I LOVE YOU 以外に言うことはなし。
ぶっ倒れながら「I LOVE YOU」と何度も呟いてみた。気管支炎とバイク事故でボロボロになった体は、しかし、I LOVE YOUと呟くことで「まだまだ行けるぜ」と不屈の精神を見せた。昔、男の友達から「愛してるよ」と言われた。突然のことに驚き、気恥ずかしさを感じたが、体温が上がるのを感じた。恥ずかし気もなく愛してるよと言える友達を、でかい男だなと思った。その日から、私はこっそり「愛してるよ」と言う練習を重ねた。不思議なもので、慣れてしまうと簡単に言えるようになる。最初は恥ずかしくて死ぬとさえ感じていたことでさえ、慣れてしまえば時候の挨拶のように口にできる。
やがて、私は「何を言えたらカッコいいだろうか」と考えるようになり、口癖を増やした。一番最初は「俺が来たから大丈夫だ」という言葉だった。根拠はない。別に、私に問題解決の能力はない。だが、俺が来たから大丈夫だと言いながらジャジャジャジャーンと登場したら、なんとなく大丈夫そうな雰囲気になると思った。勘違いは得意なので、私は、徐々に本気で「俺が来たから大丈夫だ」と自他共に認められている風な男になった。次は「俺の海に飛び込んでおいで」と言いながら、両手を広げる練習をした。器のデカさを表現する練習である。最初は「アホか」と馬鹿にされたが、徐々に俺の海感が身につき、最終的には「俺の海に飛び込んでおいで」と言いながら両手を広げたら、初対面の女性が実際に飛び込んでくるほどになった。
調子に乗った私は「自分には青龍がついているから金に困ることはない」と思い込むことにした。なぜそう思ったのかはよくわからない。青龍が金銭の神だと言う話を聞いたこともない。だが、なんとなく自分には青龍がついている気がして、青龍は「金のことは俺がなんとかするから、お前はお前のやることに集中しろ」と言っている気がした。私は、この直感を鵜呑みにした。一応、現在も私は生きている。仕事をしていないから定期的な収入も蓄えもなく、事故と病気で体の自由も効かない。普通だったら即時に財政破綻をして生活保護まっしぐらなのだろうが、不思議と生きている。図らずとも、乞食僧のような生き方になっている。なぜだ。わからない。自分のことが一番よくわからない。
心ある方が大量の加工肉とお菓子を送ってくれた。手紙が同封されていなかったから意図は不明だが、おそらく「肉を食って生きろ」と言うことだと解釈した。自家製の焼豚とサラミソーセージといぶし肉と巨大なベーコン、ゆずのパウンドケーキにクラッカーにビスケットなど、一人では食べ切れない。誰か食べに来てくれ。月越しパーティーをしよう。私たちは、遅かれ早かれ必ず死ぬ。今生きていると言うことは、まだ死なずに済んでいると言うことだ。そのことを祝い合おうじゃありませんか。生きているって、多分、それだけで嬉しいことなのだと思う。生きる意味を求めてしまう時もあるが、生きることは手段でもあって、目的でもある。生きることが、そのまま報酬になるのだと思う。
リハビリを開始して、久しぶりに歩くことができた。歩けるってこんなに幸せなことなのかと感動した。鳥が可愛い。異様に可愛い。最近、家の周りに翡翠が来る。異様に可愛い。糞をする姿さえ可愛い。まるで自分のこどもに向ける眼差しと同じだと思った。俺のこどもたちがあちらこちらを飛び交っている。天国ならここにあった。ここを天国と言わずして何と言う。生きている限り、この鳥とこの空を眺めることができる。それだけでもう、充分じゃないか。世界は、光と熱に満ちている。光と熱に満ちた世界で、私は光熱費の支払いに窮している。貧すればドーン!青龍様、私にお仕事をください。 「のりことのりお」 見舞い先
真っ直ぐ生きたら そりゃ尖るよ
のりこは お利口 やめるってよ
行ったことないところまで 行こう
のりおは オリオン 目指すってよ
分かり合おうなんてしなくても分かり合えた
恋人じゃなくても 付き合っていられた
あてにならない その言葉だけをあてに
のりこと のりおは 歩き始めた
真剣だけれど 深刻ではない
不便だけれど 不幸ではない
なんにもないけど 超 楽しい
綺麗じゃなくても 超 可愛い
笑わせようなんてしなくても笑い合えた
永遠じゃなくても 分け合っていられた
答えなどない それだけが答えだから
のりこと のりおは 歩き始めた
分かり合おうなんてしなくても分かり合えた
運命じゃなくても 溶け合っていられた
あてにならない その言葉だけをあてに
のりこと のりおは 歩き始めた
答えなどない それだけが答えだから
のりこと のりおは 歩き始めた
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坂爪圭吾
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