人物デザインの創作現場から vol.2 ~ 時を超えた祝祭 ~
個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装です。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!
柘植伊佐夫 人物デザイン監修
1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。
数多く登場するキャラクターの人物デザイン画を描く前にまず「カラーチャート」を作成し、それぞれの人物の 「家」「家系」に色を振り分けていくことから始められた。……前回はそんなお話でした。
人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
はい、そうですね。これまでに『龍馬伝』『平清盛』の大河ドラマを担当させていただいて『どうする家康』で3作目になりますが、今回特に自分自身に問い直したことがありました。それは「大河ドラマで人物をデザインするとはどういうことだろうか?」という根本の意味についてです。扱うのが戦国時代という激しい時代だということや、担当を重ねて自分なりに普遍的な意味を見つめなければという気づきがあったからかもしれません。
歴史を振り返る作業は日本の礎を成してきた人々の思いに触れることです。そこには偉人たちはもちろん、名もなき人々の声もあります。その多くの昔日の声に耳を傾け目を向けて思いを馳せる。大河ドラマの人物デザインをするとは、その魂への「供養」ではないかなと思ったんですね。
その視点で『どうする家康』にふさわしい人物デザインとはどのようなイメージだろうか。個々の人物像はもちろん、それらが集合したドラマの「全体像はどのようなエネルギーであるべきだろうか」を考えました。
わたしはそのイメージが、明るくおおらかな「時を超えた祝祭」であるべきだろうと思えたんですね。戦では重く生な命のやり取りがあり、そのために失われる家族や友人があり、ゆえに悲劇や苦悩が渦を巻きます。それらの念をすべて飲み込んで供養する。さまざまな思いを明るい方向へ導くようなエネルギーを生み出せないだろうかと思いました。
「色彩による人物表現」という方法を選んだ理由には、複雑になりやすい世界観を整理するための記号的なわかりやすさという機能はもちろんあるのですが、戦国の世に散った人々の供養である「時を超えた祝祭」を表現するうえで、最適な方法だろうという思いがあります。
ではさっそく、3色がそれぞれどのキャラクターに振り分けられた色なのか、答えを教えてください。
はい、まず
① 「紺」は、今川義元です。若き家康に薫陶を与えた義元公の「紺色」は彼が妙心寺に学び、当時最も洗練された 教育と信仰を身につけ、武に優れていた傑物であることを象徴しています。
② 「赤」は、武田信玄の色。平服も当初は真っ赤な法衣で考えていたほどでした。より神性を加味すべく、白色を 共存させた結果、白地に赤縁取りの平服に落ち着きました。白色は武田軍の鎧下にも応用されています。
③ 「黒+金」という強烈なコントラストを織田信長に振り分けることは即座に思いつきました。信長については、迷うことなく「これしかない」と即決でした。
前回、家康の人物デザインコンセプトである「人間家康」にふさわしい色として、透明感のある薄い水色を採用して「家康ブルー」と名付けたことをお伺いしましたが、上記3色の中では今川義元が同系色ですね。
そうですね。今川義元は「海道一の弓取り」と尊敬された大大名です。京で学んだ背景から多くのドラマで公家風に描かれることの多い人物ですが、本作では臨済寺を背景に禅に通じ文武に長けた存在感を全面に打ち出しています。
元康(のちの家康)が今川に人質に取られていた時代、それは彼にとって辛苦をなめるような体験ではなく、むしろ文化的に進んだ駿府の暮らしやそこを治める義元から多くの薫陶を受けた「豊かな記憶」として描くのが当初からの方針でした。家康の水色のイメージは最初期に直感的に思いつきましたが、「紺」から発生する色彩として、氏真の「鮮やかな青」、家康の「淡い水色」という系譜を作ることで義元を尊ぶ関係がまとまりました。
また今川館にいる重臣や家臣、侍女たちは「ひとりでは単色」ですが、「集まると多色」になる仕掛けにしています。さながらひとりひとりの人物がそれぞれの色を担当し「集まった時に館自体が十二単になる」かのような方法で「京風」を表現しました。
主軸となる義元や氏真への配色と同時に、今川家全体の色使いをも見据えていらっしゃるのですね。髪型や化粧についてはいかがでしょう?
今川義元には「完全な人間性」というイメージを抱きました。そこでどのような方法で髪をつくろうかと思案しました。
ここで少し専門的なお話をいたしますが、髷を結っている通常の髪型の作り方は、地毛で結わない限りは羽二重というビンつけ油やドーランを塗り込んだ絹を頭に巻き付けて土台を作り、 帽子のようにカツラを被ります。「被る」わけですから<上から下へ>カツラを乗せることになりますよね。 ところが本来、「髪の毛を結う」とは、頭のてっぺんへ向かって毛が<下から上へ>ととかされて、一番上で髷が作られているわけです。
ここでもっとも難題なのは、もみあげや襟足の「生え際」です。カツラですとこの生え際をいかに自然に上に生えているように見せるかに四苦八苦するわけですね。
カツラは物理的には上から下へ被せるしかないから、上に向かっている髪を表現するには限界がある……。
しかし何しろ今川義元のイメージが「完全な人間性」ですから「義元の髪型」は「髪一本の乱れ」もあってはなりません。そこ、重要なわけです(笑)。そのためにはしっかりと生え際から毛が生えて、上へ向かってピシッととかされて髷が結われてなければなりませんよね。
そこで義元は通常のカツラではなく、特殊メイク・江川悦子さんにお願いし、全ての生え際に髪を貼り付けて髪型を作る選択をしました。これによって本当に気が付きにくいことですが、一切乱れのない完全な結い髪が生まれています。
野村萬斎さんには通常のかつらを使用するよりも何時間も早くから支度に取りかかっていただき心から感謝いたします。
第1回で威厳に満ちた今川義元が、出陣前に舞う場面が印象的でした。放送後に「今川義元の舞」の動画が公開されましたね。つい何度も再生してしまいまして、「万歳千秋」のフレーズが頭にこびりついて離れません。
桶狭間の戦いに出陣する際、陣中にて和漢朗詠集『祝』を舞う今川義元=野村萬斎さんの姿は、現場で観ていて鳥肌の立つものでした。
芸能考証・友吉鶴心先生の主導される稽古では、直垂姿と、その上に胴丸(鎧)を つける姿の両方を試して、結果的には後者を選びました。鎧は重さがありますから、軽やかに舞われている様子ではあっても実はとても体に負荷がかかっていたはずです。そのような圧力を少しも感じさせずにあれほど見事な表現を行われる萬斎さんに尊敬を禁じ得ませんでした。
白の直垂と胴丸をつけて下げ髪に引き立て烏帽子という古式ゆかしい装束で、「王道」を標榜する今川義元像を体現されていました。
『どうする家康』の今川義元は「海道一の弓取り」=侍としての気概と、京を知る洗練された文化・思想とを兼ね備えた人物として描かれており、王道を説くところが魅力であると、野村萬斎さんご本人もインタビューで語っていらっしゃいます。
それに対して息子の今川氏真は、巨大な父の下で自分の才能に悲観し鬱屈し家康への歪な感情と友情への願望の間に揺れる若者として描かれていました。
第12回「氏真」で、父・義元が自分をどのように評価していたかの真意を知り、戦国大名としての人生に終止符を打つと決めた時の氏真は、悲しみがあふれる中にもどこか重圧から解放された清々しさを湛えた表情をしていました。
今川氏真を演じられる溝端淳平さんは、ふだんはショートヘアと爽やかな笑顔がお似合いになる好男子ですから、それはもう氏真の姿とは真逆なんですよ(笑)。
そこでキャラクターの外面をサポートするうえで「彩度の高い青の衣裳」「少し薄く緑味かかった大きくうねる長い髪」「血色の悪いアンニュイな顔」と、とことん退廃的で虚無的な人物デザインにしました。
結果、氏真を演じられている時の溝端さんは、ふだんの彼だとは気が付かないほどの変貌ぶりでした。
デッサンの段階から髪の色に薄い緑味が加えられていて、確かになんだか退廃的な匂いが強く感じられてきます。このカツラにもやはりなにか特別な工夫がありそうな……。
はい、実は氏真の髪型は、義元公で採用した方法とは全く違う種類のカツラで表現しています。
まず「髷を上で結わずに下で結ぶ」という型を選んでいます。これによって「完全無欠な義元」に対して「どこか気弱で虚無な氏真」という対比を生み出しました。
もちろん氏真自身は父を越えようと血気盛んではありますが、どうしても届かない不完全性が際立ちます。そこで彼には日本の伝統的な金型を使った和カツラではなく、土台がネットでそこに髪を植え付けている洋カツラを使っています。
なぜならネットの土台は柔らかいので「下から上へ」 結い上げることはできませんが、「上から下へ」被せるスタイルの場合にはこれ以上ない「自然さ」を生み出せるからです。
カツラにそんなにいろいろ種類があることすら知りませんでしたが、それぞれのタイプに良し悪しがあって 「適材適所」で使い分けがなされているのですね。
そうですね。色も黒というよりも「茶のトーン違い」や「緑」などのニュアンスカラーを混ぜ、わずかにウェーブをつけて、どこかデカダンスな雰囲気が現れるように工夫しました。これらはウィッグアーティストの SAKIEさんにお力を借りました。
また溝端さんご本人の肌の色よりわずかに白めの肌色になるよう化粧を施すことにより、どこか血色の悪い雰囲気にしています。これはメイクチームの古川なるみさんが担当しています。彼女は『精霊の守り人』ではバルサ=綾瀬はるかさんの日に焼けたメイクを担当していますから真逆ですね(笑)。
今川の次は武田ですね。阿部寛さんが演じてくださった武田信玄のビジュアルが解禁された際は、映画『テルマエ・ ロマエ』で阿部さんが演じられたローマ人役になぞらえて“テルマエ信玄”とネット界隈ではすごい反響でした (笑)。特殊メイクによる顎髭と禿げ頭のビジュアルのインパクトが大きかったのでしょうね。
本当にすごい反響でしたね。ありがたいと思います。ただもちろんローマ人への憧れからあの信玄公の人物デザインにしたわけではありません(笑)。阿部さんご本人も「この衣装の色、ローマっぽいね」っておっしゃっていましたけど(笑)。
余談ですが、この作品が年始に放送されてからしばらくして『テルマエ・ロマエ』の武内英樹監督ご本人にお会いする機会がありまして。会うなり「柘植さん、阿部さん、ローマ人だね(笑)」って(笑)。「いやいや、全く違うんですけど」って返しましたが、おそらく信じてはもらえていないと思います(笑)。武内監督とは『翔んで埼玉』2作品でご一緒しておりまして。
まあ、それはそれとして、戦国最強の武将・武田信玄もデザインさせていただくのを非常に楽しみにしていたんですよね。三方ヶ原の戦いから京へ向かう途上、体調を崩し進軍をあきらめ、甲斐へとって返す最中にこの世を去るのはくつがえしようのない史実ですけれども、もし信玄が生きていたならどのような日本になっていただろうかとつい想像してしまいます。
家康が信玄を恐れていた理由の一つとして、どこから進軍してくるかわからない神出鬼没ぶりが挙げられます。 また、自分の死後も3年はそれを秘密にしろと跡継ぎの勝頼に託したとも聞きます。
まさにそこなんです。信玄のデザインをするにあたり、家康にとって「目に見えない恐怖」の象徴にしたいと考えました。
信玄の菩提寺である乾徳山恵林寺は臨済宗妙心寺派で、今川義元の臨済寺と宗派が同じです。武田と今川は縁戚関係にもありましたから義元が桶狭間で討たれるまで武田は北条とともに今川と同盟を結んで、駿府に押し入ることはありませんでした。
そこで「信玄はなぜあそこまで強いんだろうか?」と考えて、その「信仰の強さ」を想像しました。禅に基づく義元の文化度を「紺」で表したように、信玄にはインドに生まれ中国で禅を開いた「達磨大師」のイメージを思い浮かべました。甲斐の山奥で瞑想する姿。当初それは達磨の肖像画のような「赤い姿」でした。
でも、どちらかというとドラマの信玄は白い衣装の印象が強いですが。
そうですね。武田といえば山県昌景率いる「赤備え」の軍団です。もちろんこれは赤備えがあったから武田に赤のイメージがついたわけではなく、むしろ信玄そのものにこの色のイメージがあったからそのような軍団が作られたと考えるほうが自然です。今に伝わる数々の肖像画にも赤い法衣を羽織る戦装束の信玄の姿は多くあります。それらは白熊の毛をつけた「諏訪法性兜」をかぶっています。
そこで思ったのは「信玄を構成している色は赤だけではない」ということで、「赤を引き立てる白が一対になっている」というものでした。白からは神性を感じられますから信玄を「赤と白」のイメージにしようと考えました。 このデザインの時期、ちょうど信長のうつけ時代も考えていたころで、信玄を赤白にするならば信長のうつけ時代は真っ赤にして差分のおさまりの良さもありました。
信玄を阿部寛さんが演じられることは、わたしが作品へ参加させていただいてまもなくお知らせいただきましたので、非常にワクワクしました。「赤と白」によって武田を描こうというコンセプトも同時期には決めていました。
阿部さんは迫力のあるお顔立ちと体躯をされていますからすでに信玄のイメージを生み出しやすいと思いました。一方で優しく甘いニュアンスもお持ちですから、それを生かしながら深みのある底知れなさに転換するのにはどういう方法がいいだろうかと考えたわけです。
阿部さんにはスキンヘッドも、立派な髭も、よくお似合いですね。
本当にお似合いですね。史実上すでに剃髪している姿は義元同様に特殊メイクの江川さんにお願いしてすばらしいスキンヘッドにしていただきました。
江川さんとは数多くのお仕事をご一緒させていただいていますが、大河ドラマでは『平清盛』でもそれはもう大勢の出家者たちが登場しましたので、おそらくはそこで江川さんの歴史ドラマにおけるスキンヘッドの独自で高い技法が確立されたのではないかと推察します。スキンヘッドのようにシンプルな形は一見簡単そうに見えて非常にむずかしいものなんです。
これで信玄の坊主頭は確かなものになりました。加えて重要なのは「常軌を逸するほどに分量の多いヒゲ」です。
確かに。ヒゲ、インパクト強過ぎます。
ともかく濃いですよね。これは最初のスケッチから描いていたもので、これこそが今回の武田信玄の人物デザインのキモだと考えていました。
それは武田信玄の強さを信仰心の強さと結びつけているコンセプトと関係しており、信仰とヒゲは無関係ではないように感じられていたからです。そのような立証性はどこにもないのですが、原始宗教、キリスト教の始まりやムスリム、そして達磨大師……皆、多くのヒゲを蓄えています。
そこで「とにかく物すごいヒゲにしたいので」と大河ドラマのカツラ部、関根佑典さんにお願いして何度も試行錯誤を繰り返しました。もちろん阿部さんご本人も見ながら「ここはこんなふうがいいかも」というようにご意見をいただいています。ヒゲというのはただつければいいというものではありません。肌からヒゲが生えているわけですがそこには必ず「影」ができます。今回の武田は「演劇的なカリカチュア」が強い表現にしています。
そこで大河ドラマメイク部の渡辺昌晴さんにお願いして、信玄の顔の彫りも深くしてヒゲと印象が一体化するように、これも試行錯誤を繰り返しました。ここにも阿部さんご自身のご意見が反映されています。信玄の人間としての深みや迫力の根拠は役者ご自身が身をもって一番理解されているところだからです。
信玄の衣装のお話をお伺いしていると、柘植さんが構築されている人物デザインの背景には、空間軸と時間軸の両方で、あまりにも拡がりが大きすぎて、開いた口がふさがりません(汗)。そこまで拡げても、最後は日本にいてもおかしくないキャラクターとして成立するのですか?
そうですね、そこはいつも心がけています。平服は白く目の粗い麻地に赤のひげ紬の縁取り。構成する様式はすべて日本の型に順じています。格式のある場では袈裟のように掛けと同生地を肩から斜めに掛けています。基本的に、着物・袴・掛け・袈裟の要素の組み合わせによって、それをフルセットで着用したり組み合わせを変えたりしながらシーンごとにバリエーションを作り日本の様式を守っています。
戦時には胴丸(鎧)の上に赤い法衣を着ています。この法衣の襟周りには「綿入れ」をして歌舞伎のようなケレン味のある重みをつくりました。「諏訪法性兜」の白熊の白いヤクの毛はおよそ1.5倍ほど増量して迫力を増しています。まず小道具部に髪の素材を大量に足していただいてから、メイク部の谷村千恵美さんにまるで人の髪型のようにカットをしていただいています。これらはすべて阿部さんのもともとの迫力に加えて、それをさらに誇張して武田信玄のカリスマを具現化するためです。
まさにそんなカリスマ性が感じられる出陣場面です。今、見直すと確かに宗教的な空気に満ちあふれる場面でした。なるほど柘植さんからこうして解説を伺ってはじめて、この場面の「祈祷」の意味合いがやっと腑に落ちました。
前回のクイズですが、私は「赤」は信長の色だと勘違いしてしまいました。若かりしころの信長が真っ赤な着物を着た仲間たちと共に、まだ子どもだった家康と取っ組み合いをして鍛える場面があまりにも鮮烈過ぎたからです。
特に時代劇に興味がなくても、織田信長と聞けば主役、あるいはかなり重要な役だとわかります。その時その時に日本を代表する俳優さんたちが演じてきた人物ですよね。でもあんな真っ赤な着物を着た、まるで総合格闘技の使い手のような “ファイター・信長” の姿は、ほかのどんな映画やドラマでも見たことがありませんでした。
おっしゃる通りですね。これまでさまざまな作品で数え切れないほどの織田信長が描かれてきました。
私は 1996年大河ドラマ『秀吉』の大ファンで、多くの魅力的なキャラクターの中でも渡哲也さんが演じられる信長が大好きでした。なぜあの信長像に惹かれたのかと今思えば、秀吉を包容するような演技とビジュアルのスマートさからだったように思います。
まさか自分が大河ドラマで信長像を作らせていただくことになるとは夢にも思いませんでしたから、「これは大役だ」と思いましたね。
信長(渡哲也)が秀吉に向かって「どうじゃ、猿」と南蛮衣装姿を披露した場面。(大河ドラマ「秀吉」1996年)
前例が多いだけに、下手なことできませんよね。
そうなんですよ。かといって慎重になりすぎて手足が出ないというのも職責上よろしくない(笑)。
『どうする家康』で信長が初登場するのは、第1回の終盤、桶狭間で義元の首を奪い揚々と進軍するシーンです。その姿は一見、包容力とは無縁の覇王のように見えますね。のちのち物語が進むにしたがって、家康を弟のように思う包容力を感じさせる側面があることはだんだんわかってきます。
しかし初登場する際の信長は「泣かぬホトトギスを殺してしまう」性格そのもの。勝てる方法を合理的に割り出し、情を殺して敵を討ち取る容赦ない男。 絶対的な恐怖の対象です。家康にとって武田信玄が「目に見えない恐怖」の象徴であるとすれば、織田信長は「目に見える恐怖」にしたいと考えました。
最大級の強烈さを持つがゆえに、目に焼き付いてしまうくらいの、恐怖のかたまりみたいな姿ってことですね。恐怖という概念を目に見えるカタチにしたらこうなる……その初登場の場面がコチラ。
初回ですから家康も信玄も「This is 家康」「This is 信玄」と言うべき「代表的扮装」の姿で初登場させています。 家康なら義元から拝領した「金荼美具足」を着ていますし、信玄なら富士にかかる虹に向かって瞑想をする深い彫りで濃いヒゲの僧侶姿をしています。
それに勝る強烈なイメージで信長を初登場させるには 「南蛮装束の信長」以外にはないと考えました。義元の首を獲り、槍に突き刺すだけでなく、馬上からその槍を投げ放ち、首をカラスの餌にしてしまう情け無用の男。
そこには史実より「第六天魔王」(※)のイメージを投入するほうが『どうする家康』の世界観にふさわしく感じました。かの『秀吉』で渡哲也=信長が初めて竹中直人=秀吉に自分の南蛮衣装姿を誇らしく披露する場面を想起したわたしは、あの時の信長の「唯我独尊のイメージ」を召喚し、視聴者がご覧になった時に「ひと目で、家康の恐怖が自分のことのように刷り込まれる人物デザイン」となることを目指しました。
※「第六天魔王」……仏教の悪魔で、信長が自称したと言われる。
心象的な表現でもある、ということですね。
そこはやはり大切なポイントですね。南蛮人との接触や信玄とのやりとりにおける第六天魔王などを史実より先行して登場させていますから、そう思われる方がいても不思議ではありません。そもそもですが南蛮衣装で戦に出たという資料をわたしは知りません。視聴者に対して「これはリアルな存在として描いているのか」「架空の存在として描いているのか」「客観の視点なのか」「誰かの主観なのか」ということを明確にすることは、確かに作品の世界線をはっきりさせるうえで大切な手管です。しかし本作ではあえてそれを明確にせず「実在するのかもしれないし、記憶や心象の産物かもしれない」というあいまいな境界線上に乗せる人物デザインの方法を選んでいます。
そもそもこの作品の中で信長は一度も鎧をつけていないのです。したがって特に第1回は「信長に対する家康の根本的な恐怖心」を象徴させた心象的な表現と言えますし、そのイメージによってのちのドラマを導いている側面があります。
若いころの「赤」については?
ご存じの方は多いと思いますが、織田信長が青年期に「うつけもの」と呼ばれていたのは有名です。信長の旧臣・太田牛一による『信長公記』には、うつけ信長が当時目立った装いをしていた様子が活写されています。
今作ではそのうつけもの信長に、仲間たちがいる設定になっています。親衛隊のようなものでしょうか。うつけものは女物の小袖や掛けなどを組み合わせて表現するのが通例ですが、岡田准一=信長とそのチームは「赤の装束」によって表現しました。このイメージはのちに信長に近侍する家臣の「母衣衆」に由来しています。
母衣衆は「赤母衣衆」「黒母衣衆」に分かれていますが、常に少数の精鋭だけが選ばれていたそうです。若いうつけ時代に母衣衆がいたわけではありませんが、信長が若きころから一貫した考えや美学の持ち主だったとするならば、このような表現もあり得なくはないと考えました。
「家康は信長に対してどのような印象を抱き、記憶に残しているか」という点と、「取り巻きの若者たちがいる設定をどう生かすか」という点、それら二点を重んじた結果、のちの信長直属の使番「赤母衣衆」の隠喩として、うつけもの仲間を全員「赤の集団」にしました。
また信長が城主になってから素襖や裃姿で取り巻く家臣に「黒」を頻出させますが、これは「黒母衣衆」をイメージしています。清洲城に初めて家康と家臣が訪れた際に居並ぶ黒素襖の織田家臣たちも黒母衣衆の隠喩と言えます。
そして信長も歳をとっていくにつれて、「黒」と「金」の信長に変わっていくわけですか?
はい、そういうことですね。「黒」・「金」・「赤」は信長が内包している色ですから、ストーリーの進行や信長の成長にしたがって分量と配置を変えていくことで、心理を表象する手段になると考えました。もともと「黒と金」という組み合わせは、直観的なものでした。本作に参加が決まったばかりのまだ脚本がないころに、岡田准一さんから「信長のイメージを知りたい」という打診があり、「ほとんど直観的に」としか言いようがないわけですが、「黒と金」の素描を提出したのです。
「Nobunaga 1」と左上に記されていますが、まさにこれが信長デザインの一枚目です。こうして振り返りますと、すでに 桶狭間の戦いのために生み出した衣裳と違わないデザインになっていますね。
信長の人物像を探りたければ「信長は何と戦っていたのか?」について考えるべきだと思いました。天下を一新したかった異端児・信長にとっては、この世を支配してきたすべての不合理が「敵」だったのかもしれません。
小領主たちはなぜ、弱肉強食の世界で必死に戦いを続けなくてはならないのか? そんな小領主たちの戦いを一部の特権階級はなぜ、胡坐をかいて眺めていられるのか? 弱い心しか持たない者たちは、なぜ安々と宗教勢力へ吸収されその巨大化に奉仕しているだけだと気づかないのか?
旧支配者層が温存するそれら旧弊すべてを、信長は完膚なきまでにたたき壊して新しい世の中を作りたかった……そんな強い意志の持ち主だったとしたらどうでしょうか?
ものすごく純粋でまっすぐな人であるかのように聞こえます。
ええ、そう思います。そして誰にもわかってもらえないくらいに純粋であるということはすなわち、孤独であるということです。
闘争心をむき出しにして既存の社会に挑んでいた青年期は、まだ己の足取りすらもどかしく、触れば火の玉のようで、時に他者を容赦なく傷つけることすらあったでしょう。己を制御できないまま時代を覆そうともがいている孤高の天才。それは周囲からは狂気と映ったかもしれませんね。
ひときわキラリと鋭い輝きを放つ「純粋/狂気」……それこそ私が「金」という色に託したかったものです。
家康にとって、信長とのファーストコンタクトになったのも、まさにこの時期でした。そうか……あの時はまだ信長も、もがいていたのですね。
そうだと思いますね。厳しい織田家への抵抗心やそこから飛び出した開放感。青年期の信長は「赤」を周囲に見せつけ、それを隠す「黒」はまだ見受けられません。
発色の良いうつけの赤にはさながら金が含まれているかのように感じられます。それは信長の「熱情の萌芽」ではないでしょうか。成長とともにその熱は精錬され、知らず知らずのうちに「純粋さや狂気=金」の純度を高めていきます。その金はやがて表に見せるには大きすぎる欲望へ変わり、他者から気取られないよう「黒」で覆い尽くしていきます。
青年期を卒業して壮年期へとさしかかっていく信長は、既存勢力の破壊を続けながら、自己の力を証明していきます。だからこそ逆に自分の中に潜む「強烈な意思=狂気」と向き合わざるを得なくなります。煮えたぎる狂気を怜悧な仮面の下に絶えず抑え込み、飼いならし続けようとする信長の外見は、遠くから一見したところは単なる黒一色にしか見えません。
遠くから見る限りはただの黒一色でしかないのに、近づくと違って見えてくるというのですか?
面白いものですね。信長が重用した茶人利休は「黒楽茶碗」を長次郎に作らせましたが、その「黒」には「すべてを内包する」という意味があるように聞きました。
家康が信長との距離をだんだん詰めていくと、同じ黒でも刺繍や柄などの細かな、そして豊かな表情を湛えるディテールを、家康の眼は捉えることになるでしょう。そこには全てが含まれている。そしてふとした時に火花のようにチラリと顔をのぞかせる「金」。それはふだんの信長が故意に封印している「狂気」。突然堰を切ったように噴出し、いつ爆発してもおかしくない「狂気」なのではないでしょうか。
「金」が見えたらヤバいってことですね……。
マントがひるがえるたびに結構見えているんですけどね(笑)。「赤のうつけ時代」にはあれほど感情を包み隠さずに開放的に振る舞っていたのに、成人してからの信長は表向きを「黒一色」にカムフラージュしたまま、自分の思いを他者に悟られないように壁を作ります。しかし実はその中に「天下布武」の欲望を秘めています。やがて足利義昭を追放した信長は、天下人としての自覚を持つに至ります。それとともに信長の人物デザインも変化していきます。
お話をお伺いしていると、柘植さんが人物デザインで施している信長の人生のストーリーが、岡田准一さんによる演技プランと不可分な関係にあるように感じます。岡田さんとはいろいろとご相談なさったりするのですか?
そうですね。岡田さんとはかなりディスカッションをさせていただきました。初登場時にすでに「ラスボス感」からスタートさせているので、そのステージがさらに上がったデザインというのはどのようなものだろうかというやりとりを、ご本人とはかなりしました。デザイン画も多く描きましたね。
そこで意識したのが「王の風格」というコンセプトでした。和洋どちらの様式でも構いませんが「破壊的な側面」の強かった出だしから転じて、歪ではあるけれども一種の「巨大な包容力」を感じさせるようなデザインへと変貌していく設計についてやりとりしました。
なるほど!! 最終的にはやはり柘植さんが最初にこだわっていた「包容力」へと転じていくのですね。「楽しみ」です。岡田准一さん演じる信長が「王の風格」を持つに至った時に、どんな「包容力」を醸し出すのか……。
みなさんにお気に召していただけるとうれしいですが(笑)。いつもわたしはスタジオとメイクルームが接するような鏡前に自分の場所をいただいてモニターも設置して、延々とデザインを描きながら同時に撮影の状況をチェックしているのですが、岡田さんとはなんとなく後ろを通過される時に会話をしたりしていましたね。
ただ……そんな時すでに信長の扮装をしていらっしゃることが多いので、怖いんですよね。できれば話したくない。まあ自分がそういうデザインにしたわけですけれども(苦笑)、自分まで白ウサギな気分になってしまうので、そういう中でデザインの話をするのはいささかハンディーがあるというか緊張しました(笑)。
(爆笑) 信長さんの「圧」がすごいのですね!! でもまだまだ人物デザイン的に、信長は変化していくのですよね。
はい。特に信長が長篠の合戦を目前に家康を訪ねる第21回では「天下人としての信長像」に人物デザインが根本的に変わります。
具体的には「月代」という、いわゆる武士が頭頂部を剃った丁髷の髪型に変わります。本作では「もっとも最先端な髪型=月代」という設定です。信長がそれを最初に始め、それが徐々にほかの人々にも伝播していったという裏設定にもなっています。
信長が「本能寺の変」で最期を遂げる場面は、これまでにも数々の名場面として撮影されてきました。
純粋過ぎるがゆえに一生孤独だった男・信長が、人生最後の瞬間にどんな心境を迎えるのか? そしてその心象がどんな扮装によって具体化されるのか? そこにも注目していただけるとうれしいです。
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