人物デザイン

人物デザインの創作現場から vol.3 ~ 金荼美具足と紺具足 ~

個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装ふんそうです。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!

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柘植伊佐夫つげいさお 人物デザイン監修

1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。

第18回「真・三方ヶ原合戦」は、衝撃でした!! 夏目広次(甲本雅裕)が自分の命と引き換えに武田軍の追手から殿を逃がすためにわざと金ピカのよろいに着替えて、自分が家康だと見得を切って敵に斬られて死にました。夏目広次がいつも家康に名前を間違えられてしまうのって、単なるお約束のギャグだとばかり思っていたんですけど……。

「おぬしは……幼いころ、わしと一番よう遊んでくれた……夏目吉信じゃろう! こんなことは……せんでよい!」
「……足りませぬ。……一度ならず二度までも殿のお命を危うくした……この不忠者を……ここまで取り立ててくださった……これしきの恩返しでは足りませぬ!」

夏目広次の命がけの忠義と、第1回から家康の名前の言い間違いには壮大な伏線が仕掛けられていたことがネット記事でも取り上げられていて視聴者の皆さんにも感動していただけたみたいですね。あの金色の鎧ですが、もう皆さんご承知かと思いますが、家康が今川義元公から拝領したもので「金荼美具足きんだみぐそく」と言います。

義元が家康に鎧を授ける時に、「鉛の玉も通さぬ金荼美具足じゃ」と言っていた通り、三河一向一揆でも鉄砲の弾から家康の命を救いましたね。

はい。三方ヶ原で夏目広次が家康の身代わりとなってこの鎧を引き継いで討ち取られ、金荼美具足はドラマのストーリー上は武田軍の手に渡ってしまいましたが、それまでは家康の戦さ姿といえばこの金荼美具足でした。

そういえば第1回で、「これならどこにいようと殿のお姿、味方の兵からよう見えましょう」と喜んでいた家臣たちも、突撃直前になると敵からもよく見えて狙い撃ちにされるのでは?とか、本当は大事に飾っておくべきものだったのでは?とか、家康が不安になるようなことばかり言い出した時には、思わず笑ってしまいました。

そうなんですよね(笑)。あまりにも目立つんですよ、この鎧(笑)。

…って、柘植さんがデザインしたんですよね?

いえいえいえ、それは違います(笑)。「金荼美具足」は当時、家康が実際に使っていた実物がちゃんと残されていて、それを元に松本潤さんの体や動きに合わせて撮影用に再現したんです。一度見たら忘れられないこの金の鎧は、強烈な印象と非現実的な存在感ですから、これまでに家康を扱った多くの映像作品では「必要最小限なシーン」「少し滑稽な扱い」で使用されることが多かったように思います。

取扱注意アイテムですね。

まさにその通りです。第1回から第18回まで見てきた今でこそすっかり見慣れた金荼美具足ですけれども、このような取扱注意アイテムをここまでメインアイテムとして使用したことは『どうする家康』の時代劇表現に対する画期的な足跡の一つではないかと思います。これを可能にしたのはほかでもない古沢さんの脚本の力です。家康が金荼美具足を着ていた時期については、実は諸説あるようです。でも古沢さんは金荼美具足を「家康と三河武士への信頼と尊敬の印」と位置付けて、義元から家康に直接贈ったものと設定されました。だからこそ「喜び勢い余って身につける家康」という導入も、家康の自然な感情の発露として受け入れることができました。「金色は目立つから味方を鼓舞するのと同時に敵の標的になりやすい」「本来着るものではなく飾るもの」という視聴者の皆さんが持つ当然の疑問や感情も、うまく先取りしてセリフにまぜるという周到さ。それを補完するために危急に際して枝葉やわらでカモフラージュする滑稽さで人間味とリアリティーを世界線に加えた。……金の鎧という飛び道具をストーリーの中に無理なく自然に織り込むための工夫が、随所にちりばめられていますね。

なるほど。そこまで行き届いた計算があったから、これだけの取扱注意アイテムを自然に受け入れてドラマを見ることができたってわけですね……。

はい。どうしてもこのような派手な装具になりますと、ドラマの雰囲気や家康のキャラクター性を印象づけてイメージを牽引けんいんする役割を担います。そのような重要なアイコンである鎧が、多くの家臣たちの命を犠牲にした三方ヶ原の大敗によって、結局は敵の手に渡ってしまうわけですよね。……でも実際にはこの具足は静岡県久能山東照宮が所蔵されていますから。

なぁんだ、実際には徳川家の手元にちゃんと残されていたわけですね。じゃないと徳川家から東照宮に奉納なんてできないか(合点)。今も大事に保存されているわけがないですもんね。ということは夏目広次が家康の身代わりになるために金荼美具足に着替えたというのも……。

「24年前に果たせなかったお約束を、いま果たさせてくださいませ。今度こそ、殿をお守りいたします」
「吉信!……駄目じゃ!」
「殿 ! ……殿が死ななければ、徳川は滅びませぬ……殿が生きてさえおれば、いつか信玄を倒せましょう」

そこが古沢さんのすごいところなんです。ドラマならではのエモーショナルな瞬間を形づくる抜群のアイデアでしたよね。でも広次が家康を逃がすために自らを家康と名乗って武田勢の追手に突入して身代わりとなって戦死したことや、吉信から広次に改名したことは史実だそうです。

広次の考えていることを瞬間的に察した平八郎が、バッと家康にとびかかって具足を一気に脱がせにかかった時に鳥肌が立ちました。しかも広次ではなく自分が、家康の身代わりを引き受けるつもりでいる。平八郎は「夏目殿、ワシが…」と言って、家康から剥ぎ取った具足を自分が身に着けようとするんだけど、いつもは一番奥ゆかしいキャラの広次が、いきなり蹴り飛ばすんですよね。

蹴ってすぐ謝る(笑)。「すまん……おぬしはまだ先じゃ」ってね。平八郎もその直前に、武田軍相手に死を覚悟した叔父上・本多忠真(波岡一喜)から、お前の死に場所はここじゃない、殿を守れって遺言をもらったばっかりですからね。「好きなんじゃろうがっ!!」って(笑)。

「おめえの夢は、主君を守って死ぬことじゃろうが」

「好きなんじゃろうがっ!! ……殿を守れ、おめえの大好きな殿を!!」

いやぁ、しびれました。でもドラマでは家康はもう「金荼美具足」使えないわけですよね。もちろん戦国大名は実際には何度も戦に出ただろうから具足も消耗品ではあったでしょうけど、主役の鎧姿が変わるってドラマ上はそれなりの意味、ついちゃいますよね。

まさにそこなんですよ。三方ヶ原の戦い以降、家康の具足をどのように変化させるかについて、我々もよく考える必要がありました。実際に家康が着用していた具足としてもう一つ有名なものがあります。「歯朶具足しだぐそく」とよばれているんですが、これは後に関ヶ原の戦いで登場させるつもりでした。しかしそれまでにも家康の人生に戦は絶えません。そこでオリジナルの具足を制作する必要に迫られたというわけです。

じゃあやっぱり柘植さん結局、具足のデザインも手掛けられたんですね。どんな具足ですか?

笑。もうご覧にいれていますよ。この公式サイトのトップページ、変わったでしょう?

あっ、本当だ。以前の「金荼美具足」姿の表紙と、「新BSへ」の表紙とが、交互に出てくるように変わってる!!

「金荼美具足」

「紺具足」

いろいろと余曲折の末に最終的に行き着いたのが『紺具足こんぐそく』です。

じゃあ今回のお題は、そのデザインの変遷をお伺いしていく…ということで !!

はい、わかりました。では順を追ってご説明して参りましょう。

<金荼美具足とカモフラージュ>

「木の枝によってカモフラージュした金荼美具足」の最初期イメージがコレです。

これ、台本じゃないですか?

第1回の白本(最初に配られる完成前の台本)の背表紙に落書きしたものですね。撮影版のイメージはほとんどこの走り書きの中に出来上がっています。脚本がとても躍動感に満ちていて、ワクワクしながら読み終えてから思わずこれを描いてしまったのを覚えています。

戦場から逃走するための「藁によるカモフラージュ」のイメージ。

これは海辺での平八郎との遭遇直前までをイメージしています。そこから藁が取れて、水辺での二人の激闘になります。実際の撮影では水に濡れた鎧がひときわ重くなりまして、松本潤さんが一瞬波にさらわれそうになったところを、山田裕貴さんが平八郎としてお芝居を続けながらもリアルに「救助」したというひと幕もあり、扮装していただいた私としてはいまだに忘れられない瞬間です。そこを囲んでいたスタッフ全員がヒヤリとさせられました。

やけに臨場感あるな、とは思っていましたが、そんなことがあったんですね!!

「藁と枝の複合によるカモフラージュ」のイメージ。

敵中、藁と枝を両方つけたらどうなるかと想像してみました。ここでの酒井忠次=大森南朋さんとのやりとりはとても心温まるものでしたね。先ほどもお伝えしたとおり、この『どうする家康版 金荼美具足』は松本潤さん専用に作った特注品で、サイズや形状、塗装を特別にカスタマイズしています。特に塗装とウェザリング(使い込んだような効果)は、特殊造形・藤原カクセイさんにお願いしてリアルな質感を実現しているんです。

具足には陣羽織が不可欠です。

金荼美具足には家康ブルーの陣羽織を真っ先に考えました。が、のちに紺色の陣羽織がふさわしく感じられました。陣羽織は水色と紺色の2色を作りましたが、細田佳央太さん演じる信康に水色を使用して、家康と信康との親子のつながりを表現しました。

<金荼美具足の最期>

三方ヶ原の戦いで討ち取られる夏目広次と、身を隠しながら運ばれる金荼美具足を眺める井伊虎松の図。

これは人物デザイン画というよりもコンセプトアートに近い表現ですが、それを描きたくなるほど、金荼美具足が討ち取られるという情景は脚本を読みながら衝撃を受けました。やり先に兜首かぶとくびがつり下げられた様子は、第1回で信長が投げた義元の兜首とどこかで印象が重なり合い恐怖を駆り立てられました。

<紺具足への試行錯誤>

夏目広次が家康の具足を引き剥がすように脱がせて、自分が身代わりとして具足を引き継ぐ瞬間が印象的だったとおっしゃいましたよね。

はい。

でも実際に具足はたやすく一瞬で引き剥がせるものではありません。三方ヶ原の危急の状況でいかにそれを表現するべきかは、長い期間打ち合わせされたんです。そもそも「兜から鎧、小具足まで全て引き継ぐべきか?」「兜と鎧だけ引き継ぐべきか?」「兜だけかぶり変えるか?」などさまざまな選択がありました。また仮に金荼美具足の一部だけが引き継がれて、家康に残された金の部分があった場合、「それを引き続き使用するべきか、供養として使用すべきではないのではないか?」という二択もありました。そのようなさまざまな選択肢や武士の心情としての葛藤を加味しながら、「新たな具足」のデザインが始まりました。

当時の武士の心情を推し量ると、違う考え方もいろいろ出てくるってわけですね。

そうなんですよ。そこが面白いところなんですが、同時に、さまざまなドラマ表現の制限をクリアして落とし所を見つけなければならないんですよね。

● 第1段階:「逆さ葵」の前立てアイデア

家康のご遺体が納められる神廟しんびょうは静岡県久能山東照宮にあります。東照宮の建築には数多くの葵紋が装飾されていますが、その中にいくつか「逆さ葵」があります。これは通常は3枚の葵の葉が安定した三角構図にされている紋を、逆三角形に配されるように装飾しているものです。これは装飾すべてを安定した紋の配置にはせずに逆さな紋を置くことで「世に完全なものはない」という自戒を含んでいると聞きました。そこで三方ヶ原の戦いで手痛い敗北を喫して多くの犠牲を払った家康の反省と自戒を込めた具足のアイデアにできないかと考えました。兜の前立てに「一枚の逆さ葵」を配するというものです。

最初の2枚は逆さ葵。最後の1枚は正体せいたいにしてみました。前立てを逆さ葵にするというアイデアは非常に気に入っていましたが、このような重要なデザインについては時代考証にかけて決定していくのが筋道なので、その回答を待っている間に鎧と小具足の素材の関係について考察しました。

● 第2段階:金と銀の組み合わせ

「夏目広次にどこまで鎧を引き継いだのか?」「全てを引き継いだとしても敵軍から返却されたのか?」演出的な落とし所が決まるまでにはかなりの日数が費やされました。美術的な観点から「金と銀の組み合わせ」というアイデアも実行寸前でした。具足のイメージが金から銀へ移行するのはわかりやすい変化ですし、金閣・銀閣の歴史的イメージもあります。また西洋甲冑かっちゅうの世界には装飾的にこの二大金属の併用は頻出します。

● 第3段階:葵紋の前立て

「逆さ葵=前立て」アイデアについて時代考証チームでは長く議論が交わされていました。そこで普通の葵紋をドーンと前立てにするのはどうだろうかと描いてみました。気持ちとしては「逆さ葵」一筋だったのですが「このアイデアも王道としては良いかもしれないな」と思いました。絵にはしていないのですが、この葵紋を文字通り逆さにしてはどうかというアイデアも出しました。よほど「逆さ葵」が気に入っている証左です。

● 第4段階:紺色の登場

時代考証チームの判断、演出チームの方針を待つ間に、松本潤さんともお話をさせていただきました。何より松本さんご本人が三方ヶ原の戦い以降、どのような心情になっていくか、またどのような家康像を心の中に描いているかという部分が最も大切だと思われたからです。そのような中で「表立たず思いを秘めていく姿」というような内容をおっしゃられていたことが印象に残りました。そこでそれにふさわしい色彩はなんだろうかと考えを修正していきました。そこでやはり「今川義元筋の紺色」というのが思い当たりました。

このころはまだ「逆さ葵」「金と銀」のアイデアは生きています。そこに「紺」がまざり込んで面積としては主役になっているという状況でしょうか。さらに「白いヤクの毛」を付け足すアイデアが登場しています。四天王がこのころには白いヤクの毛をつけていますので、金の鎧という強いアイコンから紺という落ち着いた色彩に変化するのであれば白いヤクの毛でアクセントをつけるのが良いと思われました。

高位の武将は陣羽織を着用しますので具足に紺色を使用するのに伴い、陣羽織にも紺色を多用して「落ち着いた人物像」にイメージを固定化していきました。この間にも演出部や松本さんご本人と相談して、「果たして金荼美具足を残すべきだろうか?」という大きなテーマに踏み込んでいきました。そのようなプロセスの中で「三方ヶ原の戦いにおいて金荼美具足は全て夏目広次に引き継がれる」という演出方針ができあがっていったと思います。その方針が決まることによって、「どのように引き継ぎ、どのような演出にするか」という具体が詰められていきました。それが視聴者の皆さまがご覧になった、あの「家康と夏目のやりとり」になったわけです。

殿から具足を引き剥がしていくあの場面が、そんな紆余曲折を経ていたなんて…、ちょっとびっくりしました。

● 第5段階:原型の完成

兜の前立てのデザイン以外、兜・鎧・小具足・陣羽織を「紺で統一」することが決まりました。まもなく時代考証チームから「逆さ葵」に対する回答があり、「前立てのデザインは通常の葵紋の使用が適切だろう」というものでした。これはかなり議論が二分したらしく、決定の理由は「大将の存在の完全性」というもので、家を代表する人物が軍にとって象徴されるべきなのは(あるいは期待されるのは)その「完全性にある」という考え方でした。これは非常に納得のいく判断でしたので葵紋を前立てとすることに決まりました。これについて松本さんとも話をさせていただいて、ご本人も「それが安定した印象で良いように思います」ということでした。

逆さ葵、あんなにデッサンたくさん描いてらしたのに。

幻の逆さ葵はまたいつかどこかで(笑)。ちなみに「紺具足」は『どうする家康』のオリジナル具足ですから歴史上に存在するものではありません。具足の色で「紺色」は見かけないものだそうです。そこで小道具部・酒井 亨さんが主導して非常に丁寧に「黒の中にまじっても違和感のない紺色」を意識して彩色してくださっています。これは「黒のようにも見えるし紺にも見える」というもので「反射を抑えた塗装」にしています。

ツヤを消した感じの塗装を施したんですね。これなら金荼美具足から紺具足に変わった時の、印象の違いもさらに増しそうですね。

まるでその昔、英国のウィンザー公が宴席のライトの下で「黒より黒に見えるため」にサヴィル・ロウに染めから作らせた、「ミッドナイトブルー」のタキシードのような存在ですね。深い色といい制作工程の丁寧さといい、存在に気品が漂うように感じるのは私だけでしょうか。

気品ですか。……あると思います!!

『家康の甲冑かっちゅう ~知られざる素顔に迫る~』 NHKオンデマンドで配信中

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