人物デザインの創作現場から vol.6 ~ 陽光のうつろい ~
個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装です。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!
柘植伊佐夫 人物デザイン監修
1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。
柘植さんのPC、いろんな写真がたくさん入っているみたいですけど、写真お好きなんですか?
みなさんもそうじゃないかなと思うんですけれども、何気なく歩いていても、目に飛び込んでくる物や景色からふとインスピレーションが湧くことってありませんか。そんな時はいつもスマホで写真に撮っておくのが私の習慣かもしれませんね。今もPCの資料を探していたら、こんな写真が出てきたんですけどね……。
西来院の築山廟にひっそりと咲いていた椿(2022年11月 撮影・柘植伊佐夫)
椿の花ですね。
はい、そうです。実はこの花、瀬名さんの廟……つまりお墓がある浜松市の西来院に咲いていたものなんです。
あぁ……瀬名さんのお墓参りに行ってこられたのですね。第25回「はるかに遠い夢」の結末は、衝撃でした。歴史が好きな方なら瀬名の悲しい運命を史実としてご存じだったのでしょうけれども、その辺りに全然詳しくない者としては、あんなストーリー展開になるとは夢にも思っていませんでしたから。
そうですよね。確かに衝撃的でした。悲しいことに瀬名が自害するほかなかったのは史実なんです。
では今回は瀬名の人物デザインについてお話をお伺いしていきたいと思います。「陽光のうつろい」というサブタイトルを柘植さんからいただきましたが……。
はい。実はこの「陽光のうつろい」というキーワードが、私が瀬名さんの人物デザインを考える際のコンセプトだったんです。
太陽は毎日昇っては、沈む。それにしたがって、太陽の光は刻々とうつろっていき色彩や陰影が変化していく。そんなニュアンスですかね?
はい。その色彩のうつろう様子がなんだか、さまざまな命が「生まれてきて、やがて消えていく」生と死を繰り返す様子そのもののような気がしたんですよね。人の一生も毎日晴れたり曇ったり、ふいに隙間から強い閃光が差し込んできたりして、絶えずうつろっている感じがしますね。
確かにそうですね。じゃ瀬名のデザインも時期によって色彩や陰影が変わっていったということでしょうか?
はい。基本とする色彩の方向性はしっかり保ちつつも、徐々に変化させていくことで、彼女の生涯を暗喩させていくという方向性は、制作・演出・扮装チームと初期から共有していました。まず2021年12月に初めて描いた瀬名のカラーチャートをご覧ください。
確かに太陽が持つあたたかみを感じさせる色彩ですね。一番右側はちょっと夕暮れ時のような陰影も感じられて。淡い紫がほのかにまじっているのが印象的です。なんだか一日の終わりを感じさせるような一抹の寂しさもある。全体的にはそんなに激しい変化を伴うわけではなく、淡い変化なのですね。
はい。これらを含む13枚を描いて、この色彩設計を最期まで貫きました。瀬名のカラーチャートは家康とほぼ同時期に描きました。義元、信玄、信長は重要な武将ですが、ドラマのヒロイン・瀬名も彼らに引けを取らない重要人物として位置づけていましたから、色彩の選択は重要でした。家康にとって唯一無二の存在として瀬名は家康や家臣にとって太陽と同じです。瀬名には橙色と桃色がかけ合わさったような「幸福な色彩」がふさわしく感じられましたので、それを実際にカラーチャートにすることで色合いのあんばいを模索していきました。
確かにあたたかさを感じさせてくれる「幸福な色彩」ですね。家康ブルー(本コラムvol.1「家康ブルーにかけた思い」参照)や、今川義元の紺色、武田信玄の赤色、織田信長の黒+金色(本コラムvol.2「時を超えた祝祭」参照)などの武将たちの色とも全く違っていて、そのあたたかみが瀬名の独自の立ち位置を表しているのが、カラーチャートを見てもよくわかります。
戦いの世界に生きる男たちを彩る色とは対照的な、包み込むような暖色系を瀬名に配することで、見ているお客さんたちにも瀬名の人間性やキャラクターを感じてもらえると考えました。あとはその濃淡や染めの配置をどう調整するかを考慮しつつ、築山事件直前までの基本的な扮装を作っていきました。ではその変遷を、時系列を追って順番に見ていきましょう。
嫁いで間もないころの瀬名
(嫁ぐ前の、駿府での瀬名 第1回より)
(デッサンには「削ぎ髪(耳の後ろから垂れる髪)」が描かれていますが、削ぎ髪は結局、第23回「瀬名、覚醒」終盤から第24回「築山へ集え!」と第25回「はるかに遠い夢」まで3本のみでの採用となりました)
これは薄い桃色ですかね。なんとなくフレッシュな感じ。若さを感じさせます。
はい。まだ橙色を掛け合わせる以前の桃色だけの単色の段階を、まずは採用したわけです。瀬名の父・関口氏純は今川義元の重臣でした。父・氏純と母・巴のもと、駿府で暮らしていた時期の瀬名には、重臣の娘という出自を表すために、桃色一色の綾子の小袖を着てもらいました。
綾子とは?
絹織物の一種ですが、練り糸を使って織った緞子と違って、生糸を用いて織りあげたあとに精錬作業を行うので、緞子に比べると薄手で滑らかで、触り心地がとても柔らかい生地なんです。
つまり高級品ってことですね。
はい。そんな高級品を着ていた瀬名が、家康に嫁いだあとは、まず生地が質素な麻へと変わります。
郷に入っては郷に従え。ひとりだけ贅沢な身なりをすることを潔しとせず、三河のおなごになりきろうと瀬名も努力したわけですね。駿府での暮らしのまま最高級品を着てお高く留まっているような人ではなかった、と。
そうですね。そして色彩も桃色と橙色の混色へと変化をつけていきました。実は2021年のデザイン最初期では、瀬名のイメージを橙色中心に考えた事例もありました。陽光から発せられる安心感を与えることができますから。ただ家康や家族との暮らしはとても仲むつまじいものですから、橙色と桃色を組み合わせていくことで、より華やかさが増すように工夫して、優しさも感じられるようにしていきました。
2021年12月 最初期の抽象的なイメージ
2022年7月に描いた華やかで優しいイメージ
桃色に橙色までをも組み合わせた、大胆な染めの配置を採用した。
第1回で桶狭間に出陣する家康の任務が「米を運ぶだけ」と聞かされ、瀬名が安どする場面がありましたよね?
あぁ……、第25回で死の覚悟をした瀬名が、あの時の「はるかに遠い夢」を思い出した時は、ちょっとヤバかった。
(桶狭間に出陣する家康の任務が「お米を運ぶだけ」だと聞かされて、ホッと安どする瀬名 第1回より)
「殿を戦に行かせず共に隠れてしまおうかなどと思ったくらいです。どこかへこっそり落ち延びようかなんて。
誰も知らない地で、小さな畑をこさえて。ただ私たちと竹千代とこの子だけで静かにひっそりと……」
親子そろって静かにつつましく暮らしたいというささやかな夢が、あらがいきれない運命によって引き裂かれてしまう悲しさですよね。戦国時代では「殿」と呼ばれたところで、国の運命を預かる重責に翻弄されてつらい立場だったわけですね。
第1回のふたりはそんな過酷な運命が待ち受けているともつゆ知らず、本当に愛情いっぱいのかわいらしい新婚夫婦でした。それだけに今、泣けてきます。でもこの時の瀬名は家康にとって太陽のような慈愛に満ちた存在ですね。
瀬名については多くの衣装を着せ替えるというよりも「安定した存在」として印象づくように配慮しています。そのため築山事件が起きる前までは、史実上の時間経過に比較すると圧倒的に衣装の番数は少ないのですが、それは彼女が「普遍の存在」であることの暗喩でもあります。
家康や家臣団たちから見た瀬名が、いつも変わらない存在として常にそこにいてくれる、という印象を際立たせるために、あえて衣装の種類、点数を控えめにしたというわけですね?
はい。瀬名はあくまでも家康や家臣団にとってあたたかな陽光のような存在であり続けていることを大切にしたかったんです。息子・竹千代(後の、信康)も生まれて、家康や家族との暮らしも安定してくるにしたがって、少しずつ桃色味を加味していきましたが、あくまでも印象がつながるようにバランスには細心の注意を払いました。染めの配置は大胆になり「片身変わり」のように見せてもいますが、半身ずつ違う色の布を縫い合わせて仕立てる「片身変わり」とは違い、あくまでも2色を染め分けることによってツートンカラーを表現したものです。
こうして築山事件直前までは、かなり一定したイメージが保たれていたわけですね。ところがそんなあたたかいイメージの瀬名にも、最期にこのうえなく過酷な運命が待ち構えていたわけで……。
はい。第23回の「瀬名、覚醒」を皮切りに、3本連続で築山事件が描かれるので、瀬名の人物デザインにもモードチェンジが必要でした。ただ、築山事件は非常に重苦しいエピソードです。家康は一生涯さまざまな合戦を経験して、しかも苦戦したケースが多かったわけですが、しかし家康の精神にとって最もつらくて重い出来事は、合戦よりもこの築山事件だったかもしれません。
たしかに全48回シリーズ中、ちょうど折り返し地点の3本ですからね。「どうする家康」は、築山事件以前と築山事件以後の前半と後半に分かれるとも、言えなくはないわけで。
実はまさにその通りなんです。家康自身が精神的に大きな変貌を遂げ、天下取りに向けて心を鬼にしていくべき試練に次から次へと立ち向かっていく怒とうの展開が、後半戦には「これでもか」というくらい詰め込まれていきます。そのようなシリーズ全体のターニングポイントでもある築山事件のキーパーソン・瀬名のデザインを果たしてどう変化させていけば良いものか、それを考え抜く時間は、私にとっても実はかなり重苦しい時間でした。
どうやって活路を見いだしたのですか?
結局キーワードに立ち返って「陽光のうつろい」とは何か……もう一度見つめ直してみたんです。ご覧ください。
「陽光のうつろい」(撮影・柘植伊佐夫)
これはまた……カラーチャートみたいなものですか?
実はこれ、実際にさまざまな時にさまざまな場所で写した「空」のスナップ写真を切り抜いて並べて作ったカラーチャートです。
色の一枚一枚が写真!? ……確かに。改めてこうやって見ると「うつろい」が写っているって感じがしますね。
これまでの瀬名のイメージから大きくブレることなしに、どのように色彩を変化させていくべきか、そのあんばいを考えるために行き着いた作業でした。そこからはまた、陽光のうつろいが見せる色合いの変化をどの程度衣装に反映していくべきか、長い期間にわたって向き合いました。
2022年2月、最初に描いた掛けのイメージ
2022年12月、10か月後に描いた掛けのイメージ
この2枚のデザイン画の間に、なんと10か月もの期間が置かれているのですね。薄紫の陰影が加わっているのが、最初のカラーチャートや「空」の写真のカラーチャートから発想されたものだとわかります!
台本がなくても築山事件が超重要エピソードになることはわかっていましたから、かなり初期段階から意識して準備していました。でもほかにも膨大な作業をこなしていましたから、今そう言われて「10か月もたっていたんだ」と自分でもびっくりです。あっという間だったという記憶しかないですね(笑)。ただ基本的な考えは変わっていないんです。これまでの色彩設計を踏襲しながらも、衣装の配色にどの程度の変化を加えるか……そこだけに専念していろいろと試行錯誤を重ねていました。
でも台本が届かないと準備できない要素もあるんじゃないですか?
はい、その通りです。年が明け2023年になると第23-24-25回の台本が続々と仕上がってきました。台本に書かれている具体的な場面をひとつひとつ検討していき、何が足りないかを確認していきます。掛けひとつとっても、最終的な場面数によって必要な点数が変わってきます。いくらデザイン画を描いても、生地が思ったような色合いに染まってくるかどうかはまた別ですしね……。実際に衣装を制作するにあたっては、デザイン画よりも余分に掛けの点数を作り、仕上がった掛けのひとつひとつの色合いを検討し、どの場面にどの掛けを使用するか、どの色を当てはめるか、演出と協議しながら焦点を合わせていきました。
なるほど。色彩の移り変わりに注目してドラマを見直してみたら、また新たな発見がありそうです。第25回では、信長の目を欺いて瀬名を岡崎の築山から秘密裏にかくまうために、家康が極秘計画を練りました。瀬名は彦右衛門や大鼠に連れられて、小舟に乗って佐鳴湖畔へとたどりつく展開でしたね。本来ならそこで、身代わりを務める女性と入れ替わる段取りが組まれていたわけですが、瀬名はそれを拒みます。
はい。佐鳴湖に旅する場面が台本に書かれてきたので、旅の途中で必要となる「瀬名の旅姿」として、市女傘をかぶった扮装を考えてデザイン画を描きました。
2023年2月 第23-24回の小袖イメージ
2023年1月 市女傘と壺装束の瀬名
最終的には、瀬名は小舟に乗っている時だけ笠をかぶっていましたが、岸に降り立ち笠を侍女に預け、壺装束の裾を解き、そのまま掛けを引きずる姿でいる……という流れで演出されました。通常、地面で裾を引きずることはありませんが、この場合は特別に瀬名の覚悟を表しています。
つまり「もう私の人生の旅はここ、佐鳴湖で終わる」と瀬名は心の中で決めていた……ということなのですね!
自害を選んで首筋に自ら刃を当てた瀬名に結局とどめを刺したのは、随行していた大鼠(松本まりか)でした。
瀬名の逃亡を手助けするため随行したはずの大鼠でしたが、結果的に正反対の役目を負うことになる宿命でした。
信康に帯同した服部半蔵と同様に、不条理で筆舌に尽くし難い思いだったでしょう。
何食わぬ顔をして侍女の一人になりきった大鼠が、瀬名のそばに平然と控えているのに気がついた時には思わず鳥肌が立ち、ゾクゾクしました。
忍びの姿をして格闘したり、地面に敷くゴザを抱えて夜鷹のふりをして男を油断させたり、物乞いのような身なりで雑踏に紛れて耳をそばだてていたり……裏街道しか似合わないイメージの大鼠がここまで清楚な格好をすることはなかったですからね。
侍女に変装する大鼠のデザイン画です。色彩は、瀬名と対照的な「補色」に近い色を意図して採用しています。
侍女に変装する大鼠
第25回までの瀬名の掛けイメージ
瀬名の掛けは最終的に淡い紫の単色の掛けに変わります。このデザイン画ではかなり深い紫をイメージして描きましたが、実際の衣装はデザイン画よりも明るい染めになっています。ただし瀬名のデザインの文脈の中では最も深い色に仕上げています。
最も高貴な色ともいわれる紫が、理想を追求してやまない瀬名の気高い精神を反映しているようでもありますし、瀬名自身の生涯が夕暮れを迎えつつある暗喩のようにも思えます。
はい。そのように感じていただければうれしいです。
愛する者たちが仲良く暮らせる世の中を願っていただけの瀬名が……誰よりも平和な世界を築ける可能性を信じていた瀬名が、戦国の世のならいである弱肉強食の論理の犠牲となって命を落とす結果になってしまう。本当に切ないですね。そもそも「陽光のうつろい」というコンセプト自体が「うつろい」というだけあって、どこか刹那的な響きを感じます。柘植さんが瀬名をデザインするにあたって、築山事件に対してなみなみならぬ覚悟で臨まれたのも、なんだかわかるような気がします。
2022年6月撮影開始当初はNHK名古屋放送局のスタジオを根城にしていましたが、その後神奈川の緑山スタジオへ、さらに調布の角川大映スタジオへと、撮影場所を点々と旅していく日々が続いていましたからね。11月になって「アウェイ」遠征が無事終了し、やっと渋谷のNHK 106スタジオという「ホーム」での日々に戻り、撮影話数も進んでいき、そろそろ築山事件をどうデザインしたものかと気になり始めました。ただノンストップで走り続けてきたこともあり、築山事件という歴史上の大きな出来事に向き合うためには何かしらの「けじめ」が必要だと感じていました。
そんな気持ちもあって、瀬名さんと信康さんの墓参に浜松市まで行かれたわけですか?
そうなんですよ。仕事の隙間を見つけて信康廟のある浜松市の清瀧寺と、瀬名の廟のある西来院にお参りしました。その日はとても暖かくて、太陽の光が燦燦と満ちていました。
浜松市 西来院
石畳の道の奥に、陽光を浴びた築山廟があたたかな光を放っていた(2022年11月 撮影・柘植伊佐夫)
まさに陽光がうつろっていたわけですね。
そうですね。静かな落ち着いた心持ちで、瀬名さんと信康さんのおふたりにもご挨拶をすることができたので、「これでようやく、築山事件に関する仕事に取りかかれる」と思えました。と同時に、昔日に思いをはせれば、しみじみとした感情が去来しました。どれほどつらい思いだっただろうか。けれども家康の命によってここに廟が残りそれは永遠です。廟は質素な趣にも品格がある空間でした。ふだん忙しなく暮らしている自分に対して、じっくりと芯のある生き方を示唆してくれているようでした。瀬名さんのために伺った旅ではありましたが、どこか自分の人生を問いかけられるような……大げさかもしれませんがそんな思いになりました。
瀬名さんご本人のあたたかみが感じられて、期せずして勇気をもらえる旅になった、と。
そうですね……。ただ歴史好きの方にとっては、瀬名さんって実はこれまで「悪女」のイメージが定着していたわけです。
ああ、ゆるっと解説『瀬名は悪女ではなかった⁉』でもその辺りのことに触れられているみたいです。悪女って、柘植さんがイメージされた「あたたかな陽光のような存在」とは正反対じゃないですか。
そこが脚本・古沢さんの大胆なところですね。通説である「瀬名悪女説」にあえて真っ向から挑戦する姿勢を鮮明にして、家康の正妻であり信康の母である瀬名を愛情深い女性として最後まで描き切った。そこには、伝承や権力が語る文言の信憑性に対して「正論に聞こえる話を鵜呑みにせず疑問を持つことも必要」という、古沢さん御本人がお持ちの反骨精神が感じられます。その反骨精神は、私には弱きものへの公正なまなざしや愛情の深さからにじみ出てくるものであるように思えました。
家康の死後、家康を神君と崇め奉った江戸幕府は、黒歴史である築山事件を糊塗するためにことさら瀬名のことを「処罰されるのもしかたのない悪女だった」という言説を流布した可能性がある…と歴史家の間ではそのように憶測されているようですね。
はい。そのような歴史研究の最新成果もあったからこそ、古沢さんは「どうする家康」の瀬名を一貫して肯定的に描こう……そう決意を固められたのかもしれませんね。私はそのおかげさまで有村架純さん演じる瀬名=築山殿という存在に対して一点の濁りや曇りも抱くことなく、陽光のように慈愛に満ちた人物デザインを作り続けることができました。とても感謝しています。ただそこまではたどりついたのですが……。
え? この期に及んでまだ何か?
実は築山廟を訪れてから、瀬名の最期の瞬間にふさわしい衣装について「もう一歩踏み込んだ何かがきっとあるんじゃないだろうか」という思いが、首をもたげてしまったんですよね(微笑)。
うわー、執念深いというか、諦めが悪いというか……。お墓参りに行って、また触発されちゃった! で、何か思いついたのですか?
結果的に脳裏をよぎったのが「家康の蟹文の浴衣」でした。
あぁ……なるほど。
(本コラムvol.1「家康ブルーにかけた思い」 最下段の動画参照)
瀬名と共に川原で捕った蟹を自慢する信康と亀。ふたりが着ていたのが、蟹文浴衣。それを出迎える家康も、おそろいの蟹文浴衣の色違いを着ていましたね。家族4人がやっとそろって暮らせるようになったあたたかい団らんの象徴が蟹文だったのかもしれない。すると瀬名が最後の瞬間まで願い続けていた平和への思いと、「蟹文」がぴったり重なるように思えたんです。いよいよ自らの命を断とうとするその瞬間には、瀬名自身に蟹の文様の小袖を着せてあげたいという思いが、私の中に強く込み上げてきました。
蟹文の小袖を着る瀬名
まさに地獄の窯の蓋が開いてしまったかのような恐ろしくも激しい家康の慟哭と共に、第25回「はるかに遠い夢」はあらゆる情感を断ち切る冷酷さだけを残して幕を閉じてしまいました。来週からの展開が全く想像つきません。
歴史が好きな方々ならば知っていると思われる史実が次々と登場するにもかかわらず、そこで生きている登場人物たちの人間模様は、常に予想を裏切る展開を見せ続けるのが古沢さんの脚本世界の真骨頂です。本能寺の変、伊賀越え、小牧・長久手の戦い、そして敵は秀吉から石田三成、そして淀殿へ、戦いは「天下分け目の関ヶ原」から、大坂の陣へと、まさに疾風怒濤の展開が息つく間もなく続きます。瀬名が家康に遺したものは何か? 託したかったのはどんな思いだったのか? 瀬名と信康を亡くしたあとも、家康は一時たりともふたりのことを忘れることなく、戦のない世を実現するために残りの人生を突き進んでいきます。築山事件というヤマをひとつ乗り越えた私も、家康と気持ちを同じくして残りの撮影を走り切りたいと思っています。
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