人物デザイン

人物デザインの創作現場から vol.7 ~ うつけものへの回帰 ~

個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装ふんそうです。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!

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柘植伊佐夫つげいさお 人物デザイン監修

1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。

戦国時代、数ある事件の中でも「桶狭間の戦い」と「本能寺の変」は出来事の唐突さと影響力の大きさにおいては群を抜きますよね。

はい。私にとってはふたつとも非常に印象深く、大切な位置付けとなる事件です。この両者の中心人物が織田信長ですから、彼がいかにこの時代において特異な存在であったかの証左であるかに思えます。

ふたつの事件に対して柘植さんが特に興味を覚える理由はなんですか?

「桶狭間の戦い」は数に勝る今川軍に対して、奇襲によって織田勢が勝利しますよね。「本能寺の変」は数に勝る明智軍によって、織田勢が逆に不意を突かれて落ちるわけですよね。どちらも「信長は相対的に少人数」「奇襲」「後世が激変する」という因果を見いだせます。

なるほど……織田信長という人は勝つにしても負けるにしても常に「番狂わせ」の主役であり、彼の勝ち負けがそのまま歴史のターニングポイントになってしまう人だったということが言えそうです。ただし今川義元を落としたころと、本能寺に散った時期とでは、信長の地位には雲泥の差がありますよね。

はい、そこなんですよね……。「どうする家康」において「本能寺の変」を迎えるにあたって私が覚えた感情は、「地位を上り詰めた信長の内面は成長していたのか」あるいは「信長の願望とはなんだったか」というようなものでした。

つまり、戦国の世でどこまで高い地位に上り詰めても、信長自身の内面には一貫して変わらない部分もあったのではないか? ということでしょうか。

はい。特に信長の家康に対する思いは一貫していると感じました。古沢さんの脚本を読んでいると、第27回「安土城の決闘」から第28回「本能寺の変」にかけての信長に対する家康の思いは、実は第2回「うさぎおおかみ」以来、何も変わっていないような気もしたんです。いみじくも第17回のたか狩りの密会場面で、信長は家康に対して「俺とお前は一心同体」と告げていますよね。

第27回の信長を見ていても、戦場でたくさんの命をさんざん奪ってきた信長自身は自分がロクな死に方をするはずがないと、まるで予見しているかのようでした。

そういう意味では明智光秀のセリフにあった「貴公は、乱世を鎮めるまでのお方」という立ち位置を信長自身が十分に自覚していたかのようにも思えます。では自分が成し遂げてきた成果を自分の死後に誰に託すのか……実は少年時代の家康と相撲を取っていた時にすでに信長は、自身の後継者として家康に目をつけていたのかもしれません。それ以降信長はどれほどの地位に上り詰めても、周囲が怪訝けげんに感じるくらい家康に対してだけは常に感情をあらわに、むき出しにして振る舞ってきました。

家康を受け入れるにしても、家康に怒りを抱くにしても、信長はいつも腹の内をあらわにしていた……。

だから、腹の内を見せなくなった家康を「化けたかもしれない」と思いつつ、もしかしたら一抹の寂しさを感じながら彼の成長を寿ことほぐ……そんな複雑な感情が芽生えていたのかもしれませんよね。

家康が自分の後継者としての器にまで成長してくれたのは喜ばしいことであるけれども、それは同時に世界がもはや自分の存在を必要としなくなった時代がついに到来したのだということでもある……。

はい。だから討たれるならば誰よりも、唯一の友・家康にこそ討たれたい…とひそかに願っていたのでしょう。第28回のサブタイトルは「本能寺の変」とそのものズバリのものですが、当初古沢さんがお考えになっていた別のサブタイトルがあります。ご許可をいただいてここにお知らせすると、そのオリジナル・サブタイトルが「ローンウルフ」でした。

「ローンウルフ」! 孤狼ころう……。

孤独な一匹狼ですね。周りはすべて敵と割り切って、力でねじ伏せるしかないと信じてきた孤独な男。そんな信長がたった一人だけ、友として選んだ男がいたわけです。自分とは正反対の「ひとりではなにひとつなしえないことを自覚している男」家康……彼を例外的に唯一の友として信長は選んだ。それが『どうする家康』における信長と家康との関係です。家康以外の誰ひとりとして、信じるには値しないと孤独のままに生きてきた信長は、天下布武のもとに京を治め天下一統に手をかけたところでした。しかし重臣たちの中には信頼できる者もおらず、疑心暗鬼に過ごす中で、信長は自分の納得する合理へと、どんどん極端に傾いていくしかなかった。泰平の世を実現するためにはどうしても、情の欠けた道を歩むしかなかった。

信長は、最初からそういう不条理を抱えざるを得なかった人なのですね。

信長自身は家康と長きにわたって付き合う内に、互いの考えや生き方の違いを見ることができた。だから信長自身は家康の考え方には迎合できないけれども、家康という男の価値については、誰よりも早く見いだしていたし、誰よりも正しく把握していたのでしょう。だからこそ、本来ならばお互いを敵味方に引き裂くことになってもおかしくない「築山事件」のような悲劇を通過してもなお、信長の家康に対する信頼が失せることは最後までなかったのでしょう。

そう考えるとなんだか信長がちょっと哀れになってきました。家康は「わしは信長を殺す」と、すでに第26回のラストで家臣団たちにその胸中を明かしていたわけですから。

その時点ではある意味、信長から家康への「片思い」でしかない関係にも見えますからね。家康との関係を通じて人間的な深みを増していく信長が直面したものは「覇道の限界」だったのかもしれません。優柔不断に見えるような家康のこれまでの生き方は、「己を殺すことで他を生かす」というような忍耐の連続でした。そんな「滅私」の精神をもとにした生き方は、とても信長にはまねができない耐え難いものです。そんな家康の生き方を肯定できる信長ではない。しかし自分と真反対な生き方をする家康が持つすごさを、認めることができるだけの知力と眼力を、そこはさすがに信長という男だけあって、しっかりと持ち合わせていたのでしょう。

それだけ信長は目利きだったわけですね。

そうだと思います。だから家康と付き合いながら、家康の成長を見守る過程において、この家康の「滅私」の精神が「民の利益」へ向けられる時にこそ「王道」が現れるのだということも、信長はちゃんとわかっていたのかもしれません。そのような意味では信長の孤独も「滅私」だったとも思えます。

「ローンウルフ」という言葉が、だんだん重みを増して感じられてきました。

信長の孤独の深さにはすさまじいものがありますよね。ですから彼にとって唯一、宝石のようにいとおしいのが家康との関係なのです。口には出せないまでも「自分とは違う者への尊敬」を抱く心は、若きころ、自分がまだ何者でもなかったころに、仲間たちと徒党を組んで闊歩かっぽしていた無垢むくさ、何かを見つけようとしていた一途いちずさに通ずる信長の土壌のように思えます。これは利や理を超えた情の世界です。彼が本能寺へ向かう時に何を思っていたのか。破滅の行く末を予感していたかどうかはまるでわかりませんが少なくとも自分の行く「覇道」の末路はいずれ袋小路にあること、そしてそれに代わるのは家康の「王道」であることに、信長は気づいていたのかもしれません。

だからこそ殺されるなら家康に殺されたいという潜在意識は、家康への深い「友愛」の気持ちからでもあり、また自分の次世代を家康に「継承」したいという願望だったのかもしれません。そのような思いがあったのだとすれば、その逡巡は自分の根源を見直す態度であり、本能寺へ至る道は「うつけものへの回帰」ではないかと感じました。

つまり「うつけものへの回帰」は、死を前にした信長の心情をくみ取った人物デザインコンセプトなのですね! では、そのコンセプトは即採用となったのですか?

はい。かなり大胆なアイデアでしたが決定に至る経緯はすこぶるスムーズでした。「本能寺の変」撮影準備の早い段階で「うつけものへの回帰」というコンセプトをチーフ演出・村橋さんにはお話ししていたのですが、なんと時期を同じくして岡田准一さんからも村橋さんに「うつけものに回帰していきたい」というお考えが、伝えられたそうなんですよ。

柘植さんと岡田さんの思いが一致したのですね。

はい。岡田さんご自身が同じ考えを抱いていたことや、村橋さんご自身の演出方針と一致していたことも働いてそのように差配されたのだと思います。ですから方針決定はすみやかになされました。

『どうする家康』で「うつけもの」といえばやはり「全身が赤色」の強いイメージですよね。

第2回「兎と狼」より

「親父殿! こやつは俺のおもちゃじゃ! 勝手なことをされては困りますな!」

「息子の命に代えても今川とは手を切らない」と伝えてきた竹千代(家康)の父・松平広忠に激昂した信長の父・信秀は竹千代の首を斬ると決めたが間一髪、信長たちが信秀の家来を蹴散らして竹千代処刑を回避した。

<うつけもの デザイン画>

①「うつけもの」の最初期イメージ

②「うつけもの」の具体イメージ

③「うつけもの」と仲間たち

「うつけもの」の赤色については本コラムvol.2をご覧ください。

成長とともに信長の衣装はやがて黒や金に変化していきますが「うつけものへの回帰」を視覚的に表すのには「赤への回帰」が最も効果的です。そこに「本能寺」という記号をどのように連結させるか。それは「血」のイメージしかあり得ません。本能寺に明智兵が攻め入る中、夜襲を受けた白い夜着の信長が、徐々に血に染まっていくイメージがふと浮かびました。それは魅力的なアイデアだと感じましたが、課題は「血の残酷さ」を使いながらも視覚的な不快さを感じさせず、信長の心情を印象深く表現する方法が果たしてあるだろうか?ということでした。

通常なら「刺される」とか「突かれる」とか「切られる」とかすることで、体から血が流れ出して衣装が赤く染まっていくことになるのはわかります。ただその様子があまりにリアルすぎると「残酷だぁ」となったり、ときには「不快だぁ」となったりしませんかね?

はい。そうなんです。その加減がとても難しくなるぞ……と覚悟しました。そこで考えたのは「演劇的な誇張による赤い衣装」でした。試行錯誤の末に血の表現をさらに抽象化して変化の過程を大胆に飛ばし「ある段階で全身が突如! 赤い姿になる」という演出なら「血なのか? 赤い衣装なのか?」最終的にどっちにも見えるように両者の印象がうまくまざってくれて、「これは、あのころの、うつけものの姿なんだな」と視聴者の皆さんに察していただく誇張表現が成立するのでは? それによって本能寺のドラマ性を演劇的に表現できるのでは? との考えに至りました。

うわー、考えることが大胆ですね。でも歌舞伎の演出にあるような「早変わり」を想起させる手法だと思えば、しっくりくるような気もします。柘植さんが「演劇的」とおっしゃった意味合いもそういうことですか?

はい、ご理解いただきありがとうございます。そのように演出することによってご覧になる皆さんの頭の中に残っている「うつけもの時代」の記憶を呼び戻そうと試みました。そのイメージがこの人物デザイン画です。

「本能寺の変」の信長・イメージデザイン画

おぉ、確かに血に染まっているようでもあるけれど、相撲に熱中していた若き日々を彷彿ほうふつとさせる印象です。ここまで方針が決まれば、あとはもう白い夜着を血で染まったように赤くすればいいわけですね。

ところがそう簡単にはいかなかったんですね。最初は「赤い染めの着物を作り、ある時点で着替える」という段取りで行こうと考えました。そのために玉置さんに染色をお願いしました。それによって出来てきたのが「信長衣装1案」です。とても美しい作品だったのですが……。

あらかじめ赤く染めた衣装に血糊ちのりで染色を足す衣装チーム。

信長衣装1案の完成。結果的に不採用。

どこが気に入らなかったんですか?

どこか「染め物っぽさ」が消えないことに抵抗がありました。やはり、もっと血糊を薄めて染色したほうがいいかな、と思い直しました。これはこれで確かに美しさはあるのですが、あとからわざわざ血糊を足して作った強い赤の部分が「柄」のように見えてしまうので、やはりこれは採用しないと決めました。でもこの1案を制作する際に血糊で染色を足す作業を経験したおかげで「もしかすると血糊染色だけでいけるかもしれない」との考えに至りました。そして試したのが「信長衣装2案」です。今回は薄めた血糊だけで染色してみました。

トルソーに掛け血糊を薄めたものだけによって染色していく。

信長衣装2案の完成。こちらも結果は不採用。

2案は非常に美しく出来上がりました。ただもしかすると「少しだけイメージよりも色が薄いかな」とも思いましたが、ギリギリいけるかどうかという感じでした。ところが思わぬ落とし穴が。

思わぬ落とし穴⁉

乾かすために時間を経過させるにつれて、柔らかいはずの夜着の素材がバリバリに硬くなっていきまして……これだと信長の殺陣たてに対して軽やかな布の動きが表現できないだろうと感じて、断腸の思いでこの2案も不採用と決断しました。

うわぁ、そんなことがあるとは! でもいくら塗っても乾いたら着られなくなるんじゃ血糊なんか使えませんね。だけどそもそも血に染まって赤くなるっていうコンセプトなのに、血糊が使えないんじゃどうしようもない。「染め物っぽさ」がイヤだっていっても、結局染めるしかないんじゃないですか?

実は上の写真は大道具倉庫から一歩外に出て太陽の下で作業していた時の写真なんですけど、この時点ですでにスタジオでは「本能寺の変」の撮影が始まっていたんですよ。

えぇ! つまり寝込みを襲われて敵兵に傷つけられる辺りの「本能寺の変」序盤が、すでに撮影の真っ最中だったということですか?

はい(笑)。びっくりしました? 佳境になるといろんなことを間に合わせるのに現場は必死、フル回転ですよ。でも今回はそんな切迫した状況だからこそ見えてきたことがありました。

撮影中の現場を見ていたから、何か思いついたってことですか?

信長の白い夜着が明智兵の攻撃によって徐々に赤く染まっていく。この現場は衣装部チーフの齋藤さんが傷つけられた部分に血をつけていきました。その「本能寺の変」序盤の撮影を見ながら「もしかするとこれは血糊の原液を着物に付けたまま乾かさず、そのまま岡田さんを真っ赤にする作業を続けて赤の範囲を広めていき、撮影直前に完成させるのがベストかもしれない」と思いまして。

乾かさなければいいじゃんってことですか?

最も素直な考え方でしょう(笑) あとは時計をにらみつつ、撮影の進行状況・押し巻きをつぶさに確認しながら「いつ血糊を塗り始めるべきか??」ひたすら緊張しつつそのタイミングを計ることに専念していました。撮影の途中に、森乱(大西利空さん)や、明智光秀(酒向芳さん)の方向を撮影する順番になった時に、画角に入らない岡田准一さんが休憩できる瞬間があるはずだから……。

「そこが唯一のチャンスだ!」とか言いながら、手ぐすね引いて待っていた?

ええ(笑)。岡田さんもまさか撮影の最中にまで、我々が着物に血糊をこれほど塗りに来るとは予想していなかったと思いますけどね。

「本能寺の変」ということで、信長の衣装の話ばかり聞いてきたわけですが、森乱や明智光秀の人物デザインも非常に印象的でした。

本能寺といえば明智光秀と森乱の存在は欠かせません。ふたりのデザインは以下のようにケレン味のある姿です。大西利空さん演じる森乱は中性的な美少年で白の領域も多い衣装に仕立てています。それが血に染まっていくものの、柄はポップではっきりしていますので不思議と明るさを伴う演劇的な雰囲気が生み出されます。襲撃されているとはいえメイクも髪型もしっかりと妖艶に整えられていますし。

森乱のイメージ

明智光秀の存在は、演じられる酒向芳さんの力によってすでに演劇的な要素が感じられる強い存在です。本能寺のセット内はデジタルによる火炎の背景もあいまって一つの舞台のような状況が生み出されていきました。

香を聞く明智光秀

そしていよいよ、森乱や明智光秀を撮影する順番になり、岡田さんの撮影があいている時間を見計らって、いったん脱いでもらった衣装をトルソーに着せ替えて、原液の血糊を満遍なく吹きかけ真っ赤にしていきました。これは衣装部の齋藤隆さん、阿部司さん、石川美沙子さんらが、全員総出で作業していただいた賜物たまものです。血糊で重みを増した衣装を乾く間も与えぬままに岡田さんに着用していただいてからは、我々「着色班」もぞろぞろと一緒に現場に入り、モニターを通して画面写りを確認しました。

うまくいきました?

いえいえ、本当にギリギリまで粘りましたよ。やっぱり画面を通して見ると、普通に肉眼で見る以上に手作業による「ムラ」が目立つものなんです。そこでさらに現場でご本人に着ていただいたままで血糊を吹きかけて真っ赤にしていきました。

着ていただいたままで!

結果的にほとんど白味の見えない「赤い衣装」になりました。

こうして生み出したのが『どうする家康』における「本能寺の変」、「うつけものへの回帰」だったのです。本当に戦って血に染まるのとは物理的に異なる様子の衣装かもしれませんが、心象表現、演劇表現として信長の状況と心情を表したものです。

最終的には敵のやりに刺された腹よりもはるかに上、肩や襟元まで全部真っ赤ですね。これなら確かに「あのころの、うつけものの姿だ!」といやが応でも若い頃の風雲児・信長の姿を想起させられてしまいます……。第28回の壮絶なラストシーンは、まさに「うつけものへの回帰」というテーマが映像で提示されていました。

信長は家康と初めて会った時から「周りはすべて敵ぞ」と家康を叱咤しった激励していたんですね。今にして思えば、「弱ければ死ぬだけ」というセリフも、自分が役割を終えて家康に王位を継承する時機が到来すると信長自身が自覚していたかのようにも聞こえてきます。それにしても最初は真っ白だった夜着が、死出の旅に出る時にはここまで真っ赤になるとは……。

撮影が終わってから同じことを、岡田准一さんからも言われましたよ。「血の出たところから下が全部真っ赤になるっていうのは僕も想像したんですが、まさか衣装まるごとを真っ赤にするとは思いませんでしたよ。これが柘植ワールドなんですね」と、笑っていらっしゃいました。

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