人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装です。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!
柘植伊佐夫 人物デザイン監修
1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。
<徳川と豊臣>
前回は陣羽織についてお話をお伺いしました。徳川方のモチーフは富士山でした。富士の山が持つ末広がりの美しさ、そして天と地という秩序がもたらす清冽な印象に対して、秀吉の陣羽織はどこか毒々しくて無秩序な図形が組み合わされた混沌とした印象。まさにコスモス対カオスという対照性を感じさせられました。
ストーリーが始まってしばらくは、今川、武田、織田と戦国大名たちが群雄割拠する時代を描いていましたから、それぞれの大名が生まれ育った風土・土地柄や家風、培われた人生哲学などを反映したカラーチャートを創作して、キャラクターを際立たせるための配色を模索してきました。しかしシリーズ終盤に向かうにつれ、戦乱の世は「豊臣と徳川」の二大勢力に収斂されていきます。そこで陣羽織のデザインにも垣間見えていましたが、豊臣・徳川両雄の差分をさらに推し進めていくことを、人物デザインに考慮すべきだろうと考えました。
色使いや生地の柄などで、なにか新機軸をお探しになったとか……そういうことですか?
そうですね、むしろそれ以上に素材などの「質の違い」や、服飾的な「背景の違い」とでも言うべきものが必要だと思えました。やがてくる「関ヶ原の戦い」によって陣営が東西二つに大きく分かれていきますよね。
はい。「東と西」、つまり徳川率いる東軍と、石田三成の決起に端を発する西軍とに分かれますね。
その二項対立を人物デザインでも表現できないだろうか、との思いに行き当たったわけです。
でも、豊臣方から徳川方に立場を翻す武将も少なくないわけですから、西から東に流入する人間もいるわけでしょう? 扮装だけで東と西とを明確に分けるのは無理なんじゃないですか?
はい、たしかにそうなんです。でも、大きく俯瞰してみれば「東と西を分けるコンセプト」があるのではないか、と考えていたんですね。それが何なのか探していました。
豊臣秀頼が出陣をしなかった以上、建て前からすれば関ヶ原の戦いは「豊臣家を存続させるためのお家騒動」という見方・言い方もできるわけですよね?
はい。三成は茶々に「秀頼を出陣させる用意がある」と耳打ちされていたでしょうし、自身に大義があると信じていたはずですが、秀頼の出陣は結局実現しませんでした。東軍と西軍の対立は豊臣に忠義を誓った者同士でのいわば「内輪もめ」として捉えられ、徳川勢率いる東軍が勝利する結果となりました。そこでドラマ上、徳川勢を視覚的に際立たせる意味で「徳川とそれ以外をどのようにはっきりと分けるか」ということが人物デザインのうえで見つけるべき課題だと感じました。「徳川とそれ以外」という人物デザイン的図式を明確にすることで、茶々と秀頼が西軍の元締めであることを視覚的な暗喩にできるでしょうし、二大勢力が「大坂の陣」に突入せざるをえない必然を感じていただく一助になるだろうと思いました。
シリーズを進めていくにあたって見えてきた新しい課題だったのですね。
はい。そんな考えを持ち始めたのは2022年3月頃だったと思います。徳川と豊臣、「両雄の違い」を表現する一方で「家康の成長」を表現することも両立させなければなりません。あの泣き虫だった若きころの家康が、壮年になって自らの信念のもとに最前線で戦の采配を振るうまでに変貌する、その葛藤や成長を描くことが『どうする家康』の “本質” だと思うからです。
<家康の成長>と、<両雄の違い>を、同時に表現する方法を見つける必要があったわけですか?
はい。それが『どうする家康』の人物デザインの仕事のいわば最終地点であり『人間家康』というコンセプトへの回答だと思えました。
うーん。ひとつずつ解決することすら難しいのに、二つ同時に……これはなかなか難題ではないでしょうか?
<先染めと後染め>
おっしゃる通りですね。まず「<家康の成長><両雄の違い>を同時に表現する」という答えを見つけるうえで立ち返ったのは、「はじまりの家康の着物は自然由来のムラ染め」であるという原点でした。そこでふと気づいたのは和装の「染織」の成り立ちについてです。これは大きく「先染め」と「後染め」の二種類に分かれます。「先染め」とは「先に糸を染めて生地を織る」もので、一般に「織物」と呼ばれるのはこれを指します。さまざまな色の糸を組み合わせて柄を作るなど絢爛な表現が多くあります。有職故実を成り立たせる公家の色や地紋、十二ひとえなど京文化にその一端を見ることができます。
事前に染められた糸で織物を織り、糸の染め色で柄を表現する手法が「先染め」だと。では「後染め」とは?
「後染め」は、一旦織られた白などの生成りの生地を「あとから染める」ものです。「三河のムラ染め」もこの方法ですし、今川方の均一な色とりどりの綾子もこの方法でした。軽く柔らかく美しい光沢をたたえた控えめな品の良さを生み出すことができます。先染め・後染め、どちらの方法にも特色がありますので、これを「両雄の違い」に応用できないだろうかと考えました。「豊臣=先染め」「徳川=後染め」という具合です。同時に「家康の成長」についてみれば、これまで後染めによって「ムラから均一な染めに変化させる」方法で成長をすでに表現してきました。
確かに! 最初はムラがあって、若干みすぼらしい感じもする(ごめんなさい!!)素朴な染め方が三河の特徴でしたが、少しずつ洗練されてきていますね……。もう一度最初から見直したくなってきました。
第21回「長篠を救え!」では家康の衣装も均一な染めに近づいています。このころの秀吉は信長のもとで虎視眈々と立身出世の機会をさぐっていました。衣装も華美ではなく、家康と同じ「後染め」でした。
では秀吉が「先染め」になったのは、いつごろからだったのですか?
第31回「史上最大の決戦」ですね。秀吉の衣装を先染めの緞子や金襴に変えました。
第31回が家康と秀吉の衣装の分岐点となって、以後、両者の方向性の違いが明確になっていくわけですね!
<秀吉>金襴の胴服
<秀長>金襴の陣羽織
<寧々>金襴の打ち掛け
<石田三成>金襴の裃
<茶々>金襴の打ち掛け
<絞り・描き絵・箔・刺繍>
「コラムvol.4 〜三河の誇り〜」に記しましたが、これまで家康をはじめ三河武士、そこに集う女性たちの衣装は、「麻の生地に自然染料のムラ染め」で表現してきました。時とともに彼らの立場や財力が高まるにつれて、生地を麻だけでなく紬も加え「均一な染め」へと変化させました。そこに「絞り」や「型」などの「防染」による文様を加えていきました。
防染ってなんですか?
例えば切り絵の型紙を布の上に置いて、その上からでんぷん糊を塗ったり、ロウソクの蝋を塗ったりすると、切り絵の通りに糊や蝋が布の上に残りますよね。その布を染料で染めたあとで糊や蝋を洗い流すと、蝋や糊が付着していた部分だけが染料に染まらないで、元の生地の色のまま残ることになります。そうやって布の上に、染まる部分と染まらない部分とを「型」によって分けることで、絵柄を描く=型染めすることができるわけです。防染とは染料に染まらない部分を作ることを言うわけです。防染のやり方は、ほかにも布を強くねじったり絞ったり、棒に縛りつけたり、折り畳んだり……いろんなやり方があるんです。それらの技法は染めだけの生地よりも手数の多い贅沢さや権威を表すことができる一方で、金襴ほどの豪奢さはありません。
豊臣ほどは豪華には見えないけれども、以前の三河よりは財力が高まったことを感じさせられる…という意味では、徳川の面々にはちょうど良かったわけですね。
はい。絞り自体は奈良時代から続く伝統的な技法ですから服飾史の上でも無理がなく徳川の質実さにもかないます。したがって徐々に家康をはじめ登場人物にも絞りと型による装飾の量を増やしています。これは「後染め」をスタートラインにした徳川方にとって自然な流れで、同時に着物の装飾的な進化にのっとっているわけです。
単なるムラから絵柄の表現にまで「染め」が進化していくわけですね。「染め」のほかには何か進化と呼べる要素はあるんですか?
そうですね。例えば於愛のムラ染めの打ち掛けには、絞りだけでなく刺繍を施して、素朴ながら裕福さも表しました。瀬名を代表とする三河の女たちと表現の流れに変化が生じたのは、於愛以降といえるでしょう。また、榊原康政の不二陣羽織には龍の描き絵を、大久保忠世のものには銀箔による装飾を、家康の不二陣羽織にも金糸による「金駒」を施したりしました。これらによって「後染めに装飾の技法を加味する」という「徳川の流れ」ができました。
<徳川家康>着物・胴服の絞り柄
<鳥居元忠>着物の絞り柄
<渡辺守綱>着物の絞り柄
<井伊直政>袖なしの絞り柄
<稲>打ち掛けの絞り染め
<於愛>打ち掛けのムラ染めと刺繍
刺繍
<榊原康政>陣羽織の描き絵
<大久保忠世>陣羽織の銀箔
<家康>陣羽織の金駒
※ 金糸による「金駒」に注目
<辻ヶ花への道>
戦国時代に流行した着物の様式のひとつに「辻ヶ花」があります。「絞り染め」を基本として、そこに「描き絵」「箔」「刺繍」を併せて施した着物の総称です。桃山から江戸初期が最盛期でした。
まさに『どうする家康』の時代背景にぴったりな手法ですね。
はい。しかしこの技法はその後「友禅染め」が現れると自然に消えていきました。
いくらなんでも、消え失せてしまった手法を復活させるのは難しいでしょう?
はい、そうです。現在「辻ヶ花」を実現できる工房は、京都にも数軒これを研究・継承する職人が残るだけとお聞きしました。この技法を完全に再現するには手間暇がかかりますからドラマの中でも、制作点数には自ずと限界が生じます。『どうする家康』では家康と徳川方に準ずる人々の衣装表現に、できる限り「辻ヶ花」とそれに関係する技法を取り入れたいと考えました。
家康たちの衣装に「辻ヶ花」を採用するのは、当初からのアイデアだったのですか?
ドラマのスタート時に「三河の衣装をムラ染めで表現する」という方針を決めましたから、自然と「後染め」を選んでいたわけですね。やがて人物の成長とともにそこには装飾が必要になりました。そこで考えたのが「絞り」や「描き絵」「刺繍」だったんですね。振り返れば「辻ヶ花」が現れるのと同じ道筋だったわけですね。徳川美術館などに残される家康の遺産には、辻ヶ花による精緻な小袖や胴服が多くあります。ドラマを作りながら家康が出世していく過程で、意図せず自然に「辻ヶ花への道に導かれていたんだな」と直感しました。そのような経験からわたし自身も辻ヶ花に魅了されました。
「辻ヶ花」の手法の使用例が、実際の遺品として残されていたのですね。
はい。家康の辻ヶ花染め衣装を作るにあたって徳川美術館収蔵「駿府御分物」から勉強をさせていただきました。どの遺品も非常に手の込んだ職人技が施されており、これを再現しようとすれば途方もない手間暇がかかることは容易に想像できます。
いやー、想像つきません。どれくらいの手間暇がかかるものなのですか?
実は、一回目の反物の完成には5人の職人によって3か月余の制作期間が必要となりました。「駿府御分物」に見られるような当時の辻ヶ花の特徴をくみ取りつつも、大河ドラマの制作条件にかなう、現実的に実現可能なデザインを職人の方と相談しながら考えていった結果、なんとか3か月ほどに収めることができた……というのが正直なところです。
本当ならもっともっと時間が欲しかった、というのが本音ですかね?
いえいえ。贅沢をさせていただいているなあと感謝しています。そもそもドラマのために辻ヶ花を試させていただけるということがありえないことですよね。こういう手作業は終わりのないものなので「手間の止めどころ」というか、もっとやりたいという思いに際限がないわけです。ではここに『どうする家康』をより深くご覧になっていただく一助として、豊臣の金襴とは対照的な「徳川家康の世界観」をご理解いただく例として3領の胴服のデザイン画と、実際に仕上がった胴服の写真とを並べてご紹介いたします。
「紺地水色段入三ツ葵紋付衿葵紋散辻ヶ花染羽織」
「水色地葵紋付葵ノ葉文辻ヶ花染羽織」
「白地三ツ葵紋付二葉葵文辻ヶ花染羽織」
さらにオリジナル図案で、あと3領の胴服に取り掛かっているところです。そのうちの一つが「薄鼠地葵紋雲鶴富士柄辻ヶ花染胴服」です。この写真はまだ反物の状態で仕立て上がっていません。これらがどのようなシーンで松本さん演じられる徳川家康の高貴な雰囲気を引き立てるかぜひ楽しみにしていてください。
「薄鼠地葵紋雲鶴富士柄辻ヶ花染胴服」
「鶴・雲・富士」の辻ヶ花オリジナル図案
反物としての完成写真
<葵紋と文様>
胴服に配している葵紋は徳川美術館収蔵のさまざまな葵紋から形と色を再構築しました。胴服の地や柄の色を変えていますのでそれに合うように組み合わせています。
「紺地葵紋辻ヶ花図案」
「薄鼠地葵紋辻ヶ花図案」
「薄鼠地三ツ葵紋辻ヶ花図案」
葵紋のバリエーション「二葉葵文辻ヶ花図案」
葵文様のバリエーション「松と葵」の辻ヶ花オリジナル図案の小袖
<阿茶>
有村架純さん演じる瀬名、広瀬アリスさん演じる於愛に続いていよいよ松本若菜さん演じる阿茶が登場です。
家康の寵愛を受けて実務でも重用された側室の阿茶。松本若菜さんが演じられることが決まりデザインは当て書きで考えていきました。大河ドラマも後半戦になっていきますと各部の準備の期間が短くなっていきます。そのようなタイトな条件の中で徳川方の衣装には「辻ヶ花らしさ」を出したいと思いました。
辻ヶ花が徳川の基本コンセプトとなった段階で登場する阿茶について、デザインするうえで何か手がかりはありましたか?
私自身、松本若菜さんから「芯が強くしなやかで明るいパーソナリティー」を受け取り、この作品で表現すべき阿茶にとても合っているなと感じました。なのでその印象そのままにデザインを起こしていきました。むしろ松本若菜さんからインスピレーションをいただいた形です。
まさに当て書きですね! デザイン画を拝見すると青の鮮やかさが印象的ですね。
そう言っていただけるとうれしいですね。「濁りのない青」を打ち掛けの地色にしたいと考えました。青はもちろん家康ブルーの文脈です。これからの家康にとっては、正信と、そして阿茶が徳川を動かす参謀になっていきます。3人そろってあれこれと相談する場面が当然増えていきます。そこでは家康は紺色、正信は渋みのある色ですからその中での阿茶は「若々しく明瞭な存在」にしたいと考えました。
なるほど! 3人そろうと衣装の色味においても、阿茶が一番元気溌剌としているわけですね。
そうですね。この三点が松本若菜さんからインスピレーションを受けた初期のデザインです。
葵文様のバリエーション「松と葵」の辻ヶ花オリジナル図案の小袖
(※袴を履いていることに注意)
髪を高い位置で一本にまとめている姿は、若き日のお市を思い出させますね。
はい。阿茶はお市と同様に活動的な一面を持っています。通常打ち掛けの中には小袖を着流しにしますが、阿茶には袴をはかせました。古典的で受動的な戦国の女性像とは一線を引いた、自立した女性像を追求しました。
<阿茶>「扇と植物」の辻ヶ花染め
辻ヶ花については、どんなふうに生かそうとされましたか?
辻ヶ花は阿茶のために、二点作ろうと考えました。しかし複雑な辻ヶ花を制作するには撮影初日までが短期でした。そこでまず一点目は「青地」「扇文の絞り」「描き絵」を組み合わせて「辻ヶ花らしさ」を出すことにしました。非常に単純化した図案ですが阿茶の溌剌とした知性にそぐうだろうと思いました。
単純化の度合いが、難しいんでしょうね。
はい。遺品として現存する辻ヶ花はシンプルな作品であっても精緻で手数も多く、また現在も世の中に流通する辻ヶ花は絢爛で華やかなものが数多いです。現在、阿茶のために「オリジナル図案」を何点か試作中ですが、本作でも後半に手数を増やした作例をお出しするつもりで、精緻で手数の多い当時の技術を想定しつつ、図案を描いて検討しているところです。阿茶はこれからいくつかの扮装の見せ場がありますので楽しみにしていただければと思います。
「青地松文様辻ケ花図案」
「松」のオリジナル図案・習作
「薄青地花葉文辻ケ花図案」
「花」「葉」のオリジナル図案・習作
「薄緑地花蔓文辻ケ花図案」
「蔓」「花」のオリジナル図案・習作
辻ヶ花の源流をたどってみるとその基礎は、「絞り染め」「描き絵」「箔」「刺繍」の組み合わせです。
豪華に見えるものも「素朴な手作業と風合いの重なり」によって生み出されているのですね。
そうなんです。そこが味わい深く温もりを感じられる良さですね。辻ヶ花は複雑で絢爛に見えるような作品も数多くありますが、その成り立ちに目を凝らして技法を分解してみれば、ごく素朴な絞りと描き絵や刺繍などで構成されています。その素朴さと強さがあるから、辻ヶ花からは「質実な精神」をかぎ取ることができるのかもしれませんね。それこそが徳川にふさわしい衣装表現だと考えたわけです。
<家康の成長>と、<徳川と豊臣の違い>とを、同時に表現する方法としての「辻ヶ花への道」に、結果的に自然と導かれていたと直感した……その時の柘植さんの気持ち、なんとなくわかってきた気がします。豊臣勢とは違った独自の進化を遂げていく、徳川勢の衣装表現の今後が楽しみです。ありがとうございました!!
【vol.10 終】
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