人物デザインの創作現場から vol.11 ~ 秀吉とその後 part.1 ~
個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装です。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!
柘植伊佐夫 人物デザイン監修
1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。
<継承できなかった天下人の力>
『どうする家康』が始まったころは、登場人物の中でも家康を最も若くてか弱いプリンスとして見ていましたが、気が付くと同世代のつわものたちはひとり去り、ふたり去り……家臣団たちを目の当たりにした若い世代が彼ら一人一人をレジェンドとして仰ぎ見る場面を見ていると、時代が移り変わったんだなと感じさせられます。家康と家臣団は過酷な生存競争をかいくぐった生き残りであり、乱世を生き抜いたレジェンドです。周りに集う者たちはみな世代交代で若返っており、桶狭間の戦いなんて生まれる前の出来事 =「伝説」でしかありません。
第47回「乱世の亡霊」で家康は「信玄も勝頼も信長も秀吉も、乱世で戦うことそのものを求める輩」と言い、「今やわしもそのひとりなのじゃろう」と苦渋に満ちた表情で告白します。異なる勢力の台頭と衝突、新旧世代の相克は戦国時代に限らず今も繰り返されるものですが、乱世と安寧の世の違いとは一体何なんでしょうね。
うーん……何でしょう?
私はそのひとつに「力の継承が安定しているかどうか」があるのではないかと思いました。秀吉の死をむかえて豊臣家は力を継承させられるのか。結局、乱世の決着とは豊臣・徳川「どちらの力が継承にふさわしいのか」という最後の闘争だったのでしょう。時世を見極め、機を待ち、家康が決したのが「関ヶ原の戦い」であり「大坂の陣」でした。秀吉とはいかなる人物であったのか。またその周辺の人間とは。今回はそれらを人物デザインによってどのように生み出していったかについて書きたいと思います。それによって豊臣にとどめを刺さざるを得なかった家康の存在もまた浮き彫りになるかもしれません。
豊臣秀頼のイメージ。秀吉と茶々が溺愛し、また優秀な人物であったものの、その才が生かされて豊臣家が継承されることはありませんでした。
<豊臣秀吉 ①> 左右非対称とパッチワーク 〜乱世の巨人・表の愛嬌と裏の上昇志向〜
今川義元が理想を語り、武田信玄が地をならし、織田信長が王手をかけて、豊臣秀吉がつかんだ天下統一。皆、「我こそが継承されるべき力である」としのぎを削りました。ここに豊臣家の祖、秀吉を人物デザインの視点で考察してみます。
秀吉を演じるのがムロツヨシさんだと聞いた時は、どうお感じになりましたか?
「これは最高な秀吉になるだろうな」と感じていました。前述しました通り私は1996年NHK大河ドラマ『秀吉』の大ファンですが、『どうする家康』らしい今の時代に合った秀吉像に迫れればと思っていました。ムロさんの発するユニークな存在感と高い演技力はすでに2012年大河ドラマ『平清盛』をご一緒して承知していました。今回、秀吉という偉人のビジュアルをどう具体化するかその都度ご本人とご相談しました。戦国の勝ち抜きでほぼ優勝を手にした秀吉ですが、それは不完全でした。強大な権勢を誇った秀吉も力を継承できなかったことで天下人として後世に禍根を残しました。それは秀吉の我欲のいびつさによる因果応報です。そこで誰もが知る秀吉の生涯を俯瞰して、出だしの衣装は「左右非対称」な人物デザインがふさわしいだろうとムロさんと話しました。
左右非対称の衣装は秀吉の我欲のいびつさを表現したものだったんですね。最初はあんなに周囲にへつらって、こびて、おどけていたのに、最後はものすごく怖かったし非情だった。でもその両極端は最初からどちらも、秀吉の中にアンバランスなまま存在していたものなのでしょうね。
そう思います。布を切り貼りした特徴的な衣装デザインはイッセー尾形さん=鳥居忠吉の衣装とも共通しています。三河家臣団の始まりは全員ムラ染めです。それとともに当初全員を「パッチワーク着物」にする計画がありました。その一作目が鳥居忠吉の衣装でした。三河家臣団のムラ染めの仕立て上がりを見て、パッチワークにしなくても染めの風景がつながらないことによってすでにパッチワークに見える効果がありました。そこでパッチワークは制作済みの鳥居忠吉のみにとどめました。
第1回の白本に走り書きしたツギハギのアイデア。2021.12.9と書かれていますね。
鳥居忠吉のパッチワーク
秀吉の衣装にパッチワーク技法を取り入れようと考えたのは「貧しい出自」や「自我のいびつさ」を表現するためです。その意味では三河家臣団が当初貧しい武士であったことと共通しています。唯一違うところは、家臣団がパッチワークやムラ染めにしていたのは自我のいびつさによるものではなく「質実な倹約精神」のためです。
鳥居忠吉以外の家康家臣団にはパッチワークを採用しなかったことで、パッチワークは秀吉の「左右非対称」を表現するための独特の手段になっていったわけですね。
はい。着古された着物につぎはぎの袖なし。左右長さの違うスカートのように短い袴。全体的に「寸足らずな衣装」に仕立てています。織田家臣は黒がイメージカラーなので、重臣の裃や直垂には明智光秀以外、必ず切り替えでその色が入っています。秀吉のみこれが染めによるものではなく、パッチワークの生地によるものです。
脚絆はなんだかルーズソックスみたいに見えますね。
秀吉最初期の人物デザイン 脚絆と手首に巻かれた布にご注目
手首に巻かれた布を汗拭きに使おうというアイデアを、ムロさんが最初の衣装合わせで出してくださいました。この布によって顔の汗を拭くしぐさを作り「猿のような形態摸写ができる」という意図だったんです。
うわぁ、衣装を着たその場でそんなアイデアが浮かぶのですね。俳優さんってすごいですね!! 見た目がどう見えるかだけじゃなくてその服でどんなお芝居ができるか、どんな動作ができるかって考えていらっしゃるのですね。
これには私も目からうろこで「ああ、役者だなあ」と感心させられました。この汗拭きは第33回「史上最大の決戦」以降、金襴の胴服を着る立場に上り詰めても初心を忘れない印に手首に残されています。パッチワーク衣装はスコットランドの民族衣装「キルト」のような土着的で特殊な風情を意図しています。これが木下藤吉郎=秀吉のスタートラインでした。最後は天下人まで上り詰める秀吉が、三英傑の中で最も身分が低い者だったというのが乱世の下克上を象徴しているかのようです。
木下藤吉郎のパッチワーク
<豊臣秀吉 ②> 地毛によるマゲ 〜人の下に身を置く意識〜
ムロツヨシさんご本人の癖毛を生かして藤吉郎の髪型を作るアイデアは、最初の扮装合わせから決まりました。本作では、頭頂部を剃る月代姿は第21回「長篠を救え!」で信長が初めて行う設定にしています。
月代は、織田信長の発明だったってことですか?
いえいえ。総髪と月代が混在する戦国時代において「いつを境にして、最初に月代姿になったのは誰だったのか?」についての史実は明白ではありません。そこで本作では、信長が力を示す装置として先進的な髪型や服装を活用した……そんなふうに感じられるような流れを作ってみたわけです。
その流れは、でもとてもしっくりきました。家康のほうが秀吉よりも先に月代姿になりましたよね。
家康は第26回「ぶらり富士遊覧」の冒頭で月代の手入れをしています。そして秀吉はかなり間をおいた第33回「史上最大の決戦」でやっと、月代姿を取り入れます。
月代姿が信長による自己の力を示す装置として設定されているから、秀吉が簡単には月代姿にならなかったのも、秀吉自身の低姿勢ぶりや、野心を見せびらかさない用心深さの表現として感じられますよね。だからこそ秀吉が月代になった時のインパクトはものすごく大きかったです。
「癖毛で整わないマゲ」はラフで脇の甘い印象に見せかける秀吉の人柄、人の下手に身を置いて本音や本性を見切るという生き方を表現しています。母親の仲、弟の秀長、妹の旭も全員を癖毛にすることで「豊臣の血脈」を表しています。
確かにみんな髪の毛がチリチリで、秀吉と血がつながっているのが歴然としていましたね!
秀吉最初期のイメージ
<豊臣秀吉 ③> 秀吉と仮装 〜人を楽しませて懐に入る〜
それにしても秀吉は宴会が好きですよね!
はい。確かに宴会好きな印象がありますよね。多くの武将も酒席は好きだったかと思われますが、特に秀吉は「場を盛り上げる」という意識が強かったように感じます。
かにのコスプレをして登場したこともありましたよね。
第14回「金ヶ崎でどうする!」の仮装姿ですね。駿河・金ヶ崎城の月見台御殿で行われる宴会で余興をした時の秀吉の扮装です。大森南朋さん=酒井忠次の恒例「えびすくい」に対抗して「かにすくい」を披露しました。その際の仮装姿のかにのデザインは、赤い面頬をハサミに見立てて両手に握り、漆のおわんを目玉、赤い具足を胴体にして腰みので迫力を出しています。控えの近習に赤いやりを持たせてカニの脚のように動かしています。このような様子からも、自分を下手に置いて誰よりも主君・織田信長に取り入ろうという気概すら感じられます。
主君を笑わせる時は「誰にも負けないぞ。一番おもしろいやつになるぞ」って気迫を感じます(笑)。
また自ら道化になることで人の懐に入り込もうという策も感じ取れ、そうすることで他者がどのような思惑を持っているのかも図る底知れなさがあります。
秀吉のかにデザイン
秀吉のうり売りデザイン
第38回「唐入り」では、小瀬甫庵著『太閤記』に残る肥前名護屋城で行われた「瓜畑遊び」が再現されています。瓜畑遊びは「やつしくらべ」という余興です。
やつしくらべ?
「どれだけ自分を、身をやつした姿にできるかという仮装大会」です。秀吉はうり売り、家康はあじか(ザル)売り、石田三成は魚売り、前田玄以は尼僧、前田利家は高野聖などにふんしていますが、もともと百姓出の秀吉は「自分以上に本物らしく貧しげな仮装をできるものはいないだろう」とご満悦です。これはもちろん唐入りを前にした武将への余興ではありますが、仮装する武将たちが「どれほど見えを捨てて自分を下げることのできる人物」なのかも見切っていたのではないかと耳にしました。
どれだけプライドを捨てて、目上の人に滅私奉公できるかを観察しているわけですね……。怖いですね。
<豊臣秀吉 ④> ペルシャ絨毯陣羽織 〜強烈な承認欲求〜
秀吉の着用する「ペルシャ絨毯陣羽織」は、秀吉の死後、菩提を弔うため北政所が京都に創建した高台寺に伝わる「鳥獣文様陣羽織」からイメージしています。陣羽織を作り始めた時点では「どの回のどのシーンで陣羽織を使用するか」が決まっていませんでした。また第35回「欲望の怪物」で家康が秀吉から拝領する陣羽織も、どれになるかは決まっていませんでした。そもそもこのエピソードがあるかどうかも未定だったのです。さまざまに奇抜な陣羽織が現存する秀吉ですから、「いくつ作るか」「何を作るか」予想がつかない状態で進行しており、ペルシャ絨毯陣羽織のほかにもう一つデザインを考え素材を集め始めたところで、「秀吉の陣羽織は一つだけの使用」ということが決まりました。
ペルシャ絨毯を使うこと自体が相当奇抜ですけれど、それとは全然違う質感の陣羽織が作られていたらどんな奇抜なものだったんだろう……見たかったですねぇ。この段階の秀吉はとにかく「どうやったら目立つか」に命懸けてる感じですもんね。柘植さんは「使うのは一つだけ」と決まってホッとされたかもしれないけど。
確かに私もこのペルシャ絨毯陣羽織は「秀吉の強烈な承認欲求」を象徴するものだと考えていました。現存のどの陣羽織からもその匂いを嗅ぎ取ることができます。この制作の経緯についてはコラムVol.9に記していますのでぜひお読みください。
<豊臣秀吉 ⑤> 金好みの秀吉 〜コンプレックスの反動〜
秀吉のイメージといえば「金」です。信長の家臣であったころから主君に対して強い憧憬と畏敬を抱いていただろうと思います。本能寺の変が起き、以降自らに蓋をするものがなくなった時、秀吉の意識と欲望が解放に向かっていったのは想像がつきます。
それまでさんざんいろんなことを我慢していたから、やっと誰にも遠慮しないで好きなように生きていけると思ったでしょうね……。
信長の「赤」と「金」を自分自身に取り込み、力を丸飲みにしようとする願望。信長自身を押さえ込んでいた「黒」を忌避するかのような、闇を遠ざけるような意図も感じられます。それは信長への潜在的な恐怖かもしれませんし、洗練の極みの「黒」を秀吉の生きざまでは理解できず、不必要としていたからかもしれません。利休好みの「黒楽茶碗」を好まず「黄金茶室」を造らせたなどという逸話も秀吉を探る好材料です。
長期間、信長の抑圧下にいたので生理的に「黒」が怖かったかもしれない……と想像するのはおもしろいですね。
当時の宣教師ルイス・フロイスの著した『日本史』には、秀吉は三百人におよぶ若い女性を城に置き、地方の城にも多数の娘を囲っていたとあります。
三百人!?
秀吉は第33回「史上最大の決戦」で初めて金襴の胴服で登場しますが、その柄には大勢の女性たちで彩られている平安絵巻の織物を選びました。多くの子孫を残さなければならず出産も命懸けであった戦国時代で側室の果たす役割は大きなものですが、それにしても大勢の女性を好んだ様子です。これがどれほどの真実かは分かりませんが、少なくとも女性好きなイメージはあります。女性好きと金好みとを掛け合わせたのがこの第一の胴服です。
高貴な女性が大勢織り込まれた平安絵巻の金襴
多くの反物から選び出しています
金の秀吉のイメージ
秀吉と家臣:先染めのイメージ
<豊臣家の良心 ①> 寧々 〜糟糠の妻〜
唐入りなどの悪政を行い晩節を汚す秀吉ですが、寧々と秀長に耳を傾けているうちは正しいかじ取りができていたように見えます。いずれ秀長が死に、家康のもとへ旭を嫁がせ、実母の仲も人質に出します。茶々が側室に入り、やがて豊臣の流れは落ちていきます。どんな仕打ちを受けても秀吉に言うべきことを言い、理不尽と思えるような仕打ちにも裏で支える家族は豊臣家の良心だったのかもしれません。
『どうする家康』では、秀吉の家族の初期は描かれていませんよね。
はい。豊臣秀吉になってから家族が登場しておりますから皆裕福な人物デザインです。そのような中で秀吉の愛妻・寧々は、和久井映見さんご自身の優しく質実な雰囲気を感じ取りながら「出ず入らず」な衣装を選んでいます。
「出ず入らず」……つまり出しゃばり過ぎず、でも完全に埋没するわけではなく、ってことですかね。確かにそんなに目立つ感じではないですよね。
おそらく豊臣に関わる人物の中ではもっとも目立たない人物デザインですが、地味なアプローチが逆に人物を際立たせる、というような存り方を目指しました。
秀吉が「赤」とか「金」で過度に着飾れば着飾るほど、寧々のほうは秀吉をどこか冷めた目で冷静に見つめている……そんな二人の関係が、衣装からも感じられますね。
寧々(北政所)のイメージ
<豊臣家の良心 ②> 秀長 〜誠意と知恵の参謀〜
秀吉の弟であり良き理解者、参謀の秀長は織物の裃でも実直な印象になるように控えめな色彩にまとめています。演じられる佐藤隆太さんは飄々とした持ち味でありながら、相手を見極めじっくりとかみしめて言葉を選ぶような秀長を生み出しています。通常の口ひげよりも少し間を空けてわずかに滑稽さも取り入れながら、それが笑いにはならず「味わい」として成り立つような顔作りも心がけました。
秀長のイメージ わずかに滑稽さが感じられるくらいの口ひげ
第27回「安土城の決闘」で備中に遠征している場に遊女を侍らす秀吉にあっても、秀長はしっかりとした風情でやりとりします。ここに兄弟のキャラクターの違いが浮き彫りになるようでした。正反対ともいえる性格だからこそ互いに信頼し支え合ったのでしょう。
女性をはべらす秀吉と真面目に座る秀長。
<豊臣家の良心 ③> 旭 〜けなげな妹〜
第34回「豊臣の花嫁」に初登場する秀吉の妹・旭は、人質として家康の正妻に嫁がされます。夫があったものの、この政略結婚のために強制的に離縁させられたという説もあります。本作でもそれに基づいてドラマが作られていますが、そのような過酷な背景の中でも豊臣家のために身をつくす旭の人物像を、山田真歩さんが「けなげさ」を打ち出して演じられています。
旭のイメージ
寧々とは違って、旭は結構派手ですよね。旭姫を迎え入れる家康や家臣団たちも当初は、彼女の上品とはいえない振る舞いや言葉遣いを、秀吉の妹ならではのモノと納得させられていました。
本来は派手好みではないであろう旭に、自分の趣味よりも派手に見える打ち掛けを用意しました。そのような内実と外見のギャップが感じられるほど、彼女のけなげな思いが浮き彫りになるだろうと考えたからです。
<豊臣家の良心 ④> 仲 〜豊臣の源流〜
秀吉の母、仲に対してイメージしたのは「太陽」でした。どういった理由からか自分にも計りかねるのですけれども、やはり秀吉ほどの大人物をこの世に生み落とした母性というか、その本質がどこか大きく人を包み込むような力によるのだろうと感じたからなのかもしれません。
それ、なんとなく腑に落ちますけどね。竹中直人さん主演の大河ドラマ『秀吉』でも第1回の冒頭で、ふんどし一丁の日吉(後の秀吉)が朝まだきの中、山道を駆け上がって、雲海から顔を出した太陽に向かって柏手を打ったかと思うと大声で呼びかけるんです。「かあちゃん!! 日吉は今朝も元気健康です。無一文なれど、夢、捨てまじく候……わぁっっっ」
あぁ……ありましたね。思い出しました(笑)。大政所と呼ばれ終生秀吉が大切にしたという仲ですが、旭を嫁がせてもなお上洛しない家康に業を煮やして秀吉は人質に出します。妹を嫁に出し母親も人質に出す。総力戦というほどの政略ですけれども、裏を返せばそこまでの誠意を示す秀吉の人物をも感じさせます。これに応えないわけにいかなくなった家康は秀吉の臣下となります。このような流れを作ったのも、やはり仲の人物によるところが大きいのではないかと感じました。
仲(大政所)のイメージ
演じられる高畑淳子さんは、仲が城の敷地でも百姓仕事をするようなおごらない人物であることを表現するために「ノーメイク」にすることを提案くださいました。これにより仲にどれほどの実在感が与えられたか、ご覧になった皆さんはすでにお感じだろうと思います。
【vol.12 に続く】
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