人物デザインの創作現場から vol.12 ~ 秀吉とその後 part.2 ~
個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装です。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!
柘植伊佐夫 人物デザイン監修
1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。
前回からのつづき
さて「秀吉とその後 part.1」につづき、「秀吉とその後 part.2」をお送りします。前回は秀吉本人と直近の家族について書きました。こちらでは家臣について、そして豊臣家の命運を左右した茶々と秀頼を取り上げます。『どうする家康』もいよいよ大詰めです。
<豊臣の家臣 ①> 石田三成 〜人情に疎い知将〜
第35回「欲望の怪物」で星を見上げて語り合った家康と三成。秀吉が死に、政を豊臣家臣による合議制で進めようと仕組みを作りましたが、家康の力が突出しており、バランスが崩れていくのは必然でした。やがて力の不均衡は家康への不信や憤懣となり、伏見城の戦い、関ヶ原の合戦へと発展します。
星を眺める石田三成
「九曜紋」の裃を着た石田三成(中村七之助)
裃や着物には「九曜紋」をつけて先染めの織物、色彩はライムグリーンとでもいうべき少し温度の低い緑色を主体にしています。知的な印象を与えながらも、どこかとっつきにくさが感じられるような「わずかな壁」が体の周りにあるような雰囲気を目指しました。
朝鮮に遠征して死ぬような思いをしてぼろ雑巾のようになって帰ってきたほかの家臣たちから見れば、あまりに清潔、潔癖な雰囲気がする三成はそれだけでなんだか腹が立ちますものね。
彼自身は自分の行いに恥じるところは一つもないつもりでしょう。間違いではないかもしれませんが、他人の気持ちの機微に対してかなしいまでに疎い。本作に描かれる三成は知性は溢れていても人情で人と関わることができない。もしかすれば自分なりに人の気持ちをわかっているつもりではあっても、相手にとってその解釈が不十分であったり的外れであったりするのかもしれません。いずれにしてもそれもまた人の「器」なのだろうと思います。
「人間なんて愚かな者がほとんど」と言わんばかりで、三成自身は他人にはさほど期待していなかったのかも。
でもこの世の原理を体現する夜空の星は決して裏切らない。だから同じく星を見つめることを好む家康との出会いは三成にとって人生に一度あるかないかの貴重なものだったのかもしれません。自分と同じく宇宙の原理原則にのっとって善悪を判断できる知性の持ち主にやっと出会えたわけですから。本作では三成は何より原理原則を重んじる実直な性格の持ち主として描かれています。そんな官僚のような三成ですが関ヶ原を決意してからは、一転して戦国を背負う武士の勇敢で苛烈な一面をのぞかせます。覚悟の象徴として「漆黒の陣羽織」をまとわせました。知将のイメージの三成ですが、織り柄などの装飾性を極力拝して「力で押す武将」のイメージを加味しました。また皮肉ですが、漆黒の陣羽織は星のまたたかない宇宙の闇のようでもありますね。
三成陣羽織のデザイン
三成の陣羽織
一人が万人のため、万人が一人のために尽くす。そうして天下は太平になる……「大一大万大吉」の旗印は三成を象徴する文言として有名です。これは「厭離穢土欣求浄土」と同じくスローガンですから、実は衣装につけるのはまれなのですが、今回は三成の存在感を明確にするため陣羽織に配しました。
<豊臣の家臣 ②> 諸侯たち 〜細かな織り柄の集まり〜
西軍が「先染めによる人物デザイン」であることは以前コラムに書きました。一人一人の武将を見ると柄の大胆さやさまざまな色彩、織りの輝きによって個性を際立たせています。ところがその武将たちが集合すると、まるで「細やかな織り柄の集まり」のように感じられ、個々の強い個性が混ざり合い打ち消しあって、さざ波のように見えます。さながら秀吉に付き従ってきた人間たちの器量は、大きいようでいて突出するほどのものではなかったかのような錯覚を覚えます。
嶋左近
嶋左近(高橋 努)
毛利輝元(吹越 満)
毛利輝元
<豊臣の家臣 ③> 大谷刑部と小早川秀秋 〜忠義と寝返り〜
関ヶ原の戦いで戦況を決定づけた一つに「小早川秀秋の東軍への寝返り」があります。これまで数多の時代劇で描かれてきた大谷吉継(刑部少輔)と小早川秀秋ですから、時代劇ファンの抱かれているイメージを裏切らないように配慮しました。刑部は諸説ある病によって白頭巾で顔を覆っていますが、この姿が彼の悲劇性に拍車をかけています。家康とも良好な関係にあり、三成との器の違いを見切って両者の衝突に反対の姿勢を見せていたものの、三成が行動を決すると劣勢を感じつつ友情と忠義に従います。この白頭巾にはそれら悲劇的でありながら、いちずで純粋な忠義のイメージが込められています。
大谷刑部は顔のほとんどが頭巾に隠れていて目だけしか見えないのですが、忍成修吾さんの熱演もあって、家康と三成の間で葛藤している心情が痛いほど伝わってきます。
一方家康により調略された小早川秀秋は伝統的な赤いマントを着ています。これは大河ドラマで代々使用されてきたものです。裏切り者のイメージが強い小早川秀秋ですが、例えば真田昌幸は秀吉がその謀略、軍略家ぶりを「表裏比興の者」と称しています。乱世では何を持って正義と呼ぶのか多面的なのかもしれません。
正義の名のもとに死ぬよりも、生き残ることを選ぶのは当然だという気もします。自分の正義感を満たすためだけにたくさんの家臣を道連れにするわけにはいきませんからね。すなわち自分の目的に対していかに純粋で合理的に考えて行動するかが、正義ととらえられていたのかもしれません。
そうですね。一方で家康の忠臣・鳥居元忠を例に見れば、三成の攻撃にさらされる可能性があるなかで伏見城の守りを重んじるよりも、いずれ起こりうる西軍との衝突をにらみ家康本隊からの手勢の申し出を最小限に押し戻しています。結局元忠は城を枕に討ち死にしますが、その姿勢は遠い未来の私たちにまで「忠義の人」と語り継がれます。生き抜くことや、正義、真理などの葛藤は、戦乱の世ではとても選択が難しかっただろうと思います。
大谷刑部の陣
小早川秀秋の陣
大谷吉継(忍成修吾)
小早川秀秋(嘉島 陸)
伏見城の戦い。忠義を貫いた鳥居元忠と千代の最期。ここから関ヶ原の戦いは始まった。
第42回「天下分け目」より <忠義を貫いた鳥居元忠と千代の最期>
<豊臣秀頼> 乱世の忘れ形見
もし豊臣秀頼が徳川秀忠のような一種の凡庸さを備えていたならば、豊臣家は滅びずに済んだのかもしれません。逆にみれば茶々は秀頼を天下人の二代目として正しく育て上げたのかもしれませんが、その優秀さゆえに家康から「このまま放置しておくわけにはいかない」と恐れられたのは皮肉なことです。そのような「純血感」を秀頼役の作間龍斗さんが彼の存在そのもので表現されているのにとても感動します。立ち姿、振る舞いの一つ一つが美しく、年老いた家康がその存在のうちに潜む力を見抜き、滅ぼさなければならない覚悟を抱く対象として申し分ありません。人物デザインもその崇高さや不可侵な存在感を意識して作りました。
優雅に舞う姿が印象的でした。
秀頼は諸侯に姿をお披露目する宴の席で舞を見せます。雅楽を下敷きにしたドラマオリジナル曲が用意され、衣装は芸能考証の友吉鶴心先生のお力添えで雅楽『蘭陵王』に使われる本物の伝統装束をご用意いただきました。
雅楽の『蘭陵王』……そういう名前の人がモデルにいるのですか?
雅楽の『蘭陵王』は北斉の蘭陵武王・高長恭の伝説に由来しています。高長恭は戦いの際にはわざと獰猛な仮面をかぶり、敵をおどし味方を鼓舞したといわれる人物。それというのも彼は武功には優れているのに声も顔もあまりにも麗しすぎたので、獰猛な仮面を使わざるを得なかった。
イケメン過ぎて、その美貌が戦の際には邪魔になったわけですね。
はい。ところがあるとき高長恭が援軍を率いて洛陽に到着したというのに、城内の兵が策謀を疑って門を開けないという事件が起こりました。そこで高長恭が兜を脱ぎ、顔をさらすと……その美貌によって、まぎれもなく高長恭本人だと皆が正体を悟り、無事に扉が開かれた。そういう伝説なんです。
おぉ。顔パス!
まさに秀頼は「顔をさらした英雄」ということでしょうか。詳しくは友吉先生におたずねください(笑)。
秀頼の舞のイメージ
秀頼の舞
秀頼の胴服(正面)
秀頼の胴服(背中)
金と赤の組み合わせは、ともすると派手派手しさや禍々しさが表れやすいのですが、秀頼がこれを着用してもそのような雑音が聞こえてきません。
秀頼の陣羽織デザイン
秀頼の陣羽織
秀吉が好んだ金と赤を施しながら秀頼の華麗さを意識したデザインです。
<茶々 ①> 乱世の業
浅井長政と市の長女、茶々。幼いころに実父・長政は叔父・信長に殺され、義父・柴田勝家は秀吉に殺された。親の仇にあたる秀吉の側室となり鶴松を産むが幼くして亡くし、秀頼を産む。関ヶ原の戦いで秀頼を出陣させず豊臣家は延命するが、天下人への欲を捨てられず秀頼とともに大阪の陣に果てる。
重すぎます。強大な敵に親を全て殺され、親の仇との子どもを二度も産み、自身も強大な力を目指して、死ぬ。
ざっくりと書いただけでも業の深い壮絶な人生の茶々は一体何を求めていたのでしょう。その核には「強烈な自尊心」を感じます。その自尊心は誰のためのものだったのか。民のためというより、また秀頼のためというよりも、禍々しい血筋を超えて自分の力が上回る立証をしたかったように思えてなりません。宿命よりも己の存在への自尊。そのような強烈な自我が伝わります。
演じられる北川景子さんの美しさは、見る者にその強烈な自尊心を訴えかけるのに余りありますね。
市の面影を残しながらも、一人二役だからこそ「同じ人」と思われるリスクを軽々と超える超越的な存在感。『どうする家康』の中でも「乱世の業」を一身に体現するすばらしいキャラクターです。これまで多くの強烈な武将たちが登場しましたが、それを凌駕するかのような存在に驚かされました。
見ている我々も驚かされましたよ。同じ北川景子さんが演じているのにもかかわらず、お芝居だけでなくメイクアップや衣装の工夫もあるのでしょうけれども全くの別人に見えました。登場場面からして、いきなり家康に銃口を向けたかと思うと「バーン!!」と叫んだあとに、いたずらっぽい満面の笑顔を浮かべてみせる大胆不敵さには絶句するしかありませんでした。コケティッシュで危険な魅力が一気にさく裂しましたからねえ。まさに「さわるな危険!!」。
<茶々 ②> 肩身変わり打掛
白鳥玉季さんが演じる茶々の子ども時代は、「青と赤」の肩身変わりの打ち掛けによって業の深さを表しています。母である市の象徴色「紫」の混色は青と赤です。また青は家康を、赤は信長・秀吉も表しています。これらの血脈の交差する場所が茶々であり、このくさびのような存在が、乱世を安寧の世に変えるための超えなければならない最後の毒に変わるのですから、彼女の運命とは身の毛のよだつような不条理です。肩身変わりは市の登場時の着物の様式でもあります。
幼きころの茶々
肩身変わりを着る子ども時代の茶々(白鳥玉季)
<茶々 ③> 古き良き時代劇スタイルの復興
北川景子さんが市と茶々の二役を演じられる以上、容姿のうえでは「血筋による似たニュアンス」と「同じ人間ではない個性」という相反する要素を両立する必要があります。そのうえで大切なのは「かつら」「化粧」による表現です。市の始まりの姿は「地毛」を使ったポニーテールで「自然な髪型」でした。それに準ずるように化粧も「ほとんどすっぴん」で時代劇にしては非常に薄い技法を使いました。このようなノーメイクによる表現は、2010年大河ドラマ『龍馬伝』にさかのぼることができます。
もし幕末にタイムスリップしたら、そこで出会うリアルな人々ってむしろあんな感じなのかなぁ…って『龍馬伝』を見て思ったのを覚えています。それまで慣れ親しんでいたいわゆる『時代劇』っぽさがないというか。
そう言っていただけるのはうれしいですね。いかに自然に見せるかを試行錯誤していましたから。時間が経過して市が「下げ髪」になった際にも「七分かつら」というものを使って、「生え着と頭頂部は本人の髪」を利用し自然かつ様式的な表現にしています。この時にはわずかにアイラインと薄い紅を加えるだけで「まだ自然な範囲」のヘアメイク表現です。本来、様式的になりやすい古典的な「下げ髪」を七分かつらを使って生え際などをより自然に表現したのは2012年大河ドラマ『平清盛』に多用しました。薄い化粧と相まってこの自然な方法は当時ドラマをご覧になられた坂東玉三郎さんにお褒めいただきました。
『龍馬伝』や『平清盛』で蓄積されたノウハウが『どうする家康』でも生かされているのですね。その後、市が柴田勝家と共に散り、しばらく間があいて北川=茶々の登場となります。
その「茶々登場の衝撃」をどのように作るか。そこで考えたのが「古き良き時代劇スタイルの復興」でした。それは「古典的大河ドラマ美学の再現」でもあります。それを茶々に投入しようと考えました。
昔ながらの表現が持つ強さを、逆に今度は積極的に生かすことにされたのですね。
はい。具体的には「総かつら」と「濃厚なメイク」の投入です。市やその周辺の人々には「龍馬伝以降の現代的な時代劇美学」を使い、ナチュラルなヘアメイクで作品世界のベースを作り込んでいました。その中に「武田信玄」「山県昌景」「足利義昭」に代表されるような化粧の濃い人物デザインを差し込んで、「現代性と様式性を混在」させてきたのが『どうする家康』の新しい世界線です。「現代的な時代劇(あるいは現代大河ドラマ)の美学を背負う市」に対して、一人二役で茶々に挑む北川景子さんにはその対置となる「様式的時代劇(あるいは古典大河ドラマ)の美学を背負う茶々」という図式にしようと思いました。このアプローチに北川さんご本人や演出部も非常に積極的でした。
なるほど……だから同じ北川さんが全然違う人に見えたのですね。
その実現に大きな力を発揮していただいたのが、今回の大河チーム中でキャリアが最も長いカツラ部チーフの弓削田さんと大河ドラマや多くの映画で活躍するメイク部・古川なるみさんでした。弓削田さんのキャリアにより現代時代劇の髪型はもちろん、古典的で様式的な総カツラの「型」をしっかりと実現することができました。またその型に負けない美しいメイクアップを古川さんによって実現できました。
古き良き時代劇スタイルの茶々
<茶々 ④> 鱗文様打掛
茶々が最後に着る打ち掛けは「連続する三角形の意匠」によって創作することを早期の段階から心に決めていました。『どうする家康』は初期プロットの時点から「大坂の陣」まで描かれることは決まっていたので、茶々が壮絶な最期を遂げる場面は必須でした。ですから茶々のキャラクターが台本上でどのような表現になるかは全く分からなかった時点で既に描いていた一枚の人物デザイン画がこれ(下図)です。
浅井長政と市の長女でありながら秀吉の側室となり、秀吉亡きあと豊臣家再興とその支配をもくろむ「血脈に翻弄される強烈なキャラクター」というイメージで描きました。これから書き上げられる脚本でもさまざまな時代劇に登場した茶々の本質は変わらないだろうと予測できたからです。
三角形が連続していることが分かりますが、どんな意味を込めていらっしゃったのですか?
連続する三角形の意匠は伝統文様のひとつである「鱗紋様」を下敷きにしています。古来より三角形は「魔物」や「病」を象徴するもので、転じてそれを描くことによって「魔除け」の意味にも用いられます。
傍若無人な性格の茶々も、悪運を遠ざけるには「魔除け」を用いて神頼みをしたかったということですか?
ええ、確かにそのようにとらえることもできますが、むしろ逆の意図です。茶々の最終的な衣装として「三角形」を用いた理由は「魔除け」ではなく、「執念」「鬼」「怨霊」「魔性」などを表現するためです。そのような使われ方は、例えば能『葵上』六条御息所や、『道成寺』白拍子、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』などに見ることができます。
六条御息所は光源氏を愛しすぎたあまり生霊になって光源氏の正妻・葵の上に憑りつき、生まれてきた男子も死なせてしまう妄執の持ち主。道成寺に現れた美貌の白拍子・花子。その正体は…美男の僧・安珍と一夜の契りの後に捨てられ逆上して巨大な蛇と化した清姫の怨霊。うわぁー、どちらも怖すぎます。柘植さんのイメージ画では、いろんな色の三角形が描かれていますね。
この「鱗紋様」は通常は単色の連続になっていますが、茶々の打ち掛けには、7種類の金襴を切り貼りして仕立てています。
7色の三角形の組合せなんて無限にできそうですから、試行錯誤するにしてもたいへんなご苦労ですね。
はい。三角形の配置はデザインの段階で2回、仕立て上がってから3回修正を加えてやっと完成しました。
一つ一つの金襴はそれぞれ美しい模様ですが、七種類の模様が三角形になってせめぎ合っているのを見せられると、なんだか混沌としていて怖い感じがします。三角形を組み合わせた鱗文様の衣装はほかにはありますか?
大坂の陣の際に鱗文様打掛の下に着る小袖も「紫地の綸子」に「金銀の三角」を配してあり、これも打ち掛けと同様の意味合いを持ちます。金銀には織田や豊臣の血、紫には市の血を感じさせて「乱世の亡霊」をイメージしています。
しかし「乱世の亡霊」とは茶々に限らず、戦国の世を終結させるのに戦をもってせざるを得ない家康そのものでもあります。そして血筋上対峙する豊臣秀頼がその忘れ形見なのでしょうね。
冒頭で柘植さんがおっしゃっていましたね。信玄、勝頼、信長、秀吉を乱世で戦うことそのものを求める輩として引き合いに出したうえで、「今やわしもそのひとりなのじゃろう…」と苦渋に満ちた表情で家康が告白した第47回のサブタイトルこそはまさしく「乱世の亡霊」でした。
<大河レガシー>
この章は<大河レガシー>と題されていますが、レガシーとは遺産、伝統という意味ですね。数々の革新的な表現を切り開いてこられた柘植さんが同時に従来の大河ドラマでなされてきた表現にも、積極的に目くばせをしてリスペクトしていらっしゃるという理解でよろしいでしょうか?
はい。大河ドラマの第1作目『花の生涯』が放送されたのが1963年。それからなんと60年という長寿を誇る番組枠として大河ドラマは継続されてきました。60年間にわたる制作者のさまざまな思想、技術、そして膨大な衣装が残され引き継がれてきました。それら大河ドラマの遺産全てを「大河レガシー」と総称したいと思います。そもそも本作には、これまでの大河ドラマで主役を務められた方をはじめ、さまざまな役で御出演されてきた錚々たる役者の皆さんが数多くいらっしゃいます。そんな皆さんを見ていると個々の作品の枠組みを超えて、大河ドラマの悠久のつながりとでも呼ぶべきものが感じられてきます。そこでそのような悠久のつながり、あるいは一種のメタバース感を伝えられたら、表現できたらどんなにおもしろいだろう……という着想が芽生えました。
このコラムでメタバースという言葉が聞ける日がくるとは思いませんでした! でも具体的にはどんなことでしょうか?
例えば、茶々を演じる北川景子さんの大坂の陣での衣装について言いますと……
大坂冬の陣の茶々と千姫
茶々の襟の色は、大河ドラマ『葵 徳川三代』(2000年)の小川真由美さん=淀殿の合わせ襟の色をオマージュしました。何度も書いていますが、個人的に『秀吉』と『葵〜』は非常にファンで、特に小川さんの淀殿は拝見していて迫力に震えました。あの淀殿の魂のお力を借りたいなと、合わせ襟の色合いに託したわけです。このように個人的に憧れた大河ドラマ作品に対して、正統な系譜に位置する大河ドラマ最新作においてオマージュをささげることができるだなんて……それだけでとても幸せな仕事だと感謝の気持ちでいっぱいです。
『どうする家康』茶々(北川景子) 伊達襟の配色
合わせ襟の色ですか……。これに気づいた方がいらっしゃったなら、相当なマニアの方でしょうね。ではもう少し分かりやすい、つまりたくさんの方に気づいていただけそうなオマージュがあったら教えてください。
そうですね……。茶々の妹であり秀忠の妻、千姫の母でもある、江を演じてくださるのはマイコさんですが、第47回「乱世の亡霊」でマイコさんに着ていただいた衣装は……
熱心な大河ドラマファンならお分かりかもしれませんが……この衣装にはどんないわれがあるのでしょうか?
実は上野樹里さんが大河ドラマ『江』で使用された衣装を着用しているんです。
そうだったんですね!! 12年前に使用された衣装が新品同様の美しさで大事に保管されていたんですね。
はい。茶々との関連で、北川景子さんが演じる茶々の母・市のエピソードもご紹介いたしましょう。いつもは男勝りな市が、家康との婚礼が決まったことがうれしくて浮き足立って喜んでいた場面をご記憶でしょうか?
ありましたね!!
第4回「清須でどうする!」で、市は自分と夫婦になることを兄・信長に無理強いされている家康がまだ瀬名を愛していると知り、自ら身を引く決心をします。その時の市が着ていた衣装は、いつもの市の衣装よりもずいぶん華やかな雰囲気がありましたが、実は『麒麟がくる』(2020)で川口春奈さんが演じていらっしゃった、帰蝶の小袖を着せています。
濃姫という別名を持つ帰蝶は、斉藤道三の娘で後に織田信長の正室になった人ですね。
そうです。本作に帰蝶は登場しませんが「市が義姉・帰蝶から譲り受けたもの」との裏設定があるわけです。
なるほど!! 一つ一つの作品の枠組みを超えて、複数の大河ドラマが衣装によって結びつくわけですね。
秀吉(ムロツヨシ)
弟・秀長(佐藤隆太)
母・仲(高畑淳子)
妹・旭(山田真歩)
ほかにも秀吉の妹である山田真歩さん=旭、母の高畑淳子さん=仲を癖毛にしていますが、これは木下藤吉郎→秀吉をムロさんご自身の癖毛で表現したことに端を発しています。この表現には2012年『平清盛』で成海璃子さん=建春門院(滋子)の髪型での経験が生かされています。滋子といえば絶世の美女として伝わる女性で、それを醜女の証しである癖毛で表現したことは当時物議を醸したと思います。今回の旭・仲も同様ですが、それらは癖毛など容貌の異質さで美醜をはかることへの抵抗で、「ルッキズムは美の本質ではない」という思いを込めています。
戦国時代を描きながらも、現代的な問題意識をひそかに忍ばせているんですね。
衣装を対置的な意味合いで使用した例もあります。関ヶ原より以前から井伊直政の裃は『天地人』(2009)で石田三成を演じた小栗旬さんのものを使用しています。同じく小姓から取り立てられた立場ながら時を超えて関ヶ原で正反対の立場として対峙するアイロニーを表しています。
歴史上の同一人物・井伊直政を別のドラマで演じた方が着た衣装を、板垣李光人さんの衣装として今回故意に採用するというのなら、ある程度こちらも予想していました。しかしなんと関ヶ原で敵対する相手の衣装を、故意に用いるとは……。しかもよりによって同じく小姓から取り立てられた立場という共通項を持つ石田三成の衣装を採用するとは……。最近も『親ガチャ』なんて言葉がありますが、人間は自分が産まれてくる家を選べません。ひとの人生は如何に偶然や不条理に左右されうるか、衣装の使い方ひとつでいろんなことを考えさせられるものですね。ところで柘植さんがことのほかお好きな『秀吉』(1996)へのオマージュはないんですか?
はい、あります。白状します(笑)。『秀吉』(1996)で竹中直人さんが着ていらっしゃった羽織の「猿」。本作でも第34回「豊臣の花嫁」でムロツヨシさんが一瞬、羽織ります。これは衣装部・斎藤たかしさんが気を利かせて倉庫から出してくださったものをムロさんが見て「これは竹中秀吉に敬意を表して着させていただかなければ!」と着用された経緯です。
上記のようにメインキャラクターに対する「意図したオマージュ」以外にも、膨大な衣装をさまざまな場面で多くの出演者に使用している中で私自身も気がつかないうちに、これまで大河ドラマで使用した衣装が混在することで「大河ドラマの匂い」が醸し出されていく。それこそが「大河レガシー」なのだろうと思います。
<大坂夏の陣>
大阪夏の陣の茶々イメージ(正面)
大阪夏の陣の茶々イメージ(背中)
いよいよ徳川と豊臣の棋譜は詰めを迎えます。さまざまな思惑や欲望、意地や業が積み重なって徳川軍は大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼさざるを得ない運命を迎えます。果たして真実は、家康が積極的に豊臣を滅ぼしたかったのか、本作のようにどうしようもない宿命で滅ぼさざるを得なかったのか、これはわかりません。
茶々陣羽織。デザインは現存する秀吉の「ビロード陣羽織」から着想しています。
大阪夏の陣で茶々がまとうマントは、秀吉が使用していたビロード陣羽織であったという裏設定を取りました。最後は主君秀吉への思いをまとう。もしかすれば綺麗事に聞こえるかもしれませんが綺麗事で死は選べません。茶々は豊臣を確かに背負っていたのだと思います。豊臣を背負ったものとしてふさわしい最後の装束だと考えました。
【vol.12 終】
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