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「では
誰なのですか、あれは」
日本国に伝わる神話。その中にある天照大御神の天岩戸神話は有名な神話の一つだ。弟神である素戔嗚尊の目に余るいたずらに憤り、洞窟に隠れてしまった彼女は太陽の最高神である。その神がいなくなった世界は光を、温度を、失う。八百万の神による宴に誘われて天照は洞窟から出てくる。そのお陰で元のように明るく、温かい世界が戻ってきた。天照大御神が隠れる原因となった素戔嗚尊も改心し、出雲國で八岐大蛇を退治した。そんな話である。天岩戸隠れから二千年幾ばく、その間に素戔嗚尊が本当にいたずらをしなかったのだろうか。
仮に、天照大御神が度重なるいたずらにもう一度隠れてしまったら?
仮に、天照大御神が今でも外界との関りを断っていたら?
たられば論に対した意味はない。結ぶ実もない。ただこれらが本当なら我々が太陽と呼び、信じ、正しく燦然と輝く、アレは一体何なのだろうか。
また始まった。僕はそう思いながら水平南(みずひらみなみ)から送られてきたメッセージを眺めていた。吹き出しは一つ。どこかの組織に収容されている異常存在を匂わすような内容、変に回りくどく物語風の語り口調。しかし起承転結が意識された読みやすい文ではない。水平はいつもこうだ。初めはとあるビデオテープに関する話だった。その次は鍵の話。次はテディベアの話、またその次は緋色の鳥の話。
一か月に一度のペースで送られてくるメッセージ。なんだかんだ、一年近くこの奇妙な交流は続いている。中学で同じクラスだった彼女とは特段仲が良かったわけでも、同じ部活に入っていたわけでも、共通の友達がいるわけでも無い。進学する高校が同じというだけだった。それ以外の接点は特にない。入学式の後、せっかくだからとLINEを交換したのが運の尽きだったかもしれない。
飼っている猫のチビがにゃあ、と鳴いた。時計を見るといつものご飯の時間をとっくに越している。恨めがましい目をしているわが猫に謝りながらいつもの量をカラカラと餌皿に移す。水平から新たに数件のメッセージが送られていることに気が付いてしまった。一応の返信を考えながら自分の夕食を作り始めた。
りんご飴が気になるなら
わたあめが気になるなら
花火を見に行こうよ
三つの吹き出し、いつもと違うそのメッセージに動揺してしまった。花火大会への誘い。
どうしようかと考える間もなくもう一つの吹き出しが追加された。
寒さには気を付けて
僕が花火大会に行くことは確定事項になった。どうせいつもの気まぐれに付き合うだけ。寒い中でりんご飴とかわたあめを食べたいから誘ったわけではないのだろう。OKのスタンプを送ってスマホを閉じる。別に僕が断ったとしても何も変わるわけでも無いのだろうが、何となく断るのは嫌だった。
『「寒い日って嫌いなのよね」
そう呟く私の目線の先には涼しげな夏のポスターが色褪せていた。
「いいじゃないか、寒い日も。夏の良さがわかるだろう?」
この立ち食い蕎麦屋には、元は涼しげなザルそばをアピールするものだっただろう色褪せたポスターが貼られている』
エッセイの一部分が頭に浮かんだ。何て名前の作家だったか、そもそもどこでみたんだったか。今はもう思い出せもしない。そんなことを考えながら電車で流れる景色を眺めて居る。この地域にしては珍しく晴れだ。先日水平が送ってきた天照大御神の話が本当なら、この太陽は偽物だろうか。
今日は花火大会だ。きっと始まってしまえばそれなりに楽しむだろうが休みの日にわざわざ電車に揺られ、花火を見に行くというのが変にけだるく感じる。約束当日になると妙にめんどくさくなる現象にそろそろ名前が必要だ。立ちっぱなしの足が痺れ始めた頃になってようやく駅に着いた。
駅前で待ち合わせしてある。そろそろ着くと連絡が来てすぐに駅の中から水平が現れた。小さな紙袋を手にして、何かを口の中に入れている。
「久しぶり」
「久しぶりだね…何食べてるの?」
「ザクザクシュー」
「これから露店回るのに?」
「おいしいわよ?ザクザクしたシュークリーム。柔らかいだけが取り柄じゃないの」
「りんご飴とか要らないの?」
「いいじゃない、たべたくなっちゃったのよ。露店のすごく美味しいわけでも無いのに高い焼きそば食べるよりはいいわよ。」
終始この調子なのが水平である。メッセージのことも相まっていい加減に見えるが案外ウマがあう。件のシュークリームを頬張りながら会場へ足を向ける彼女の後ろを着いて歩く。
『固いプリンが好きなのよ
初めから終わりまで噛み締めて居たいの
柔らかく溶けるだけじゃ物足りないの
きっとあなたもそうでしょう?
ベッドの上で詠う彼を横目に睡魔の氷が溶けていく。また明日聞かせてね。』
本棚に丁寧に丁寧に差し込まれた本だった気がする。エッセイ本なんて買った記憶もないのに。
「ほら、大したことない焼きそばも愉しみよ。行きましょう」
「はいはい」
マフラーで仕舞い切れなかった黒髪が風に揺れる。人の流れに任せて歩きながら露店を眺め練り歩く。どうやら水平は目新しいものが好きなようで興味があれば何でも冷やかしていく。ちゃっかり値段交渉も成立させるから大したものだ。ただ、手練れの交渉人のように大人びたものでなく商人に愛される悪たれに分類されるだろう。白い肌に黒い髪。目鼻立ちのはっきりしたその顔からすらすらと流れる水のような語り口に人の興味を誘う。
「チビくん元気?」
「ああ、元気だよ。さすがに今は毛布に包まっているけど」
「猫はこたつで丸くならなきゃ」
猫いいなあとのんびり呟いた後に水平が僕をじっと見つめているのに気が付いた。目線がどこを向いているのかわからない。変に端正な顔をしている、妙な事実に気が付いてしまった。
「…なに?」
「チビくんみっけ」
不審がる僕を気にせずに肩あたりに手を伸ばした。視界の端に手が映る。白い、細い、手。寒い所為なのか指先は赤くなっている。…あ、ネイルの色が、夕焼けみたいだ。
「ついてきちゃったのね。かわいい」
良かったなチビ。かわいいだとよ。
露店を堪能した後はいい時間になったのでお目当ての花火見学に行くことにした。その頃に彼女は片手に鈴カステラの袋をぶら下げ、もう片方には射的で当てたなんの動物かはっきりしないぬいぐるみをバッグからはみ出させていた。今は満足そうにケバブに齧り付いている。ワサビ味のねりあめだとか、イカ入りたこ焼きだとか、変なものしか買い求めない。鈴カステラもなぜか特大サイズ。僕の握りこぶしぐらいある。本坪鈴みたいねと笑うので何か聞いたら拝殿前の鈴の事らしい。じゃあサーターアンダギーも元は本坪鈴かもねと紐付けた。
他愛もない話をしていると何かが空を昇る音が響き、ドオン、と身体の芯の部分を揺すられるような音が轟いた。
夜空一面に様々な色の大輪の花が咲く。焔の花弁がパラパラと広がりながら消えていく。
「たーまやー!」などと周囲からお決まりの掛け声が聞こえてくる。
「インジウムの炎色反応は?」
「いん…なんだって?」
「インジウム。覚えてない?」
「…化学は苦手なんだ。」
「美術の成績は5だったのに」
僕にとって意味の分からないことを言いながらも彼女は愉しそうにしている。まあ、花火を見て心が騒ぐのは何となく分かる。ザアザアと鳴る木々のような、変な高揚感。それでいて身体が緊張するような、不思議な気分だ。それを人に話すことはないだろうが、おそらくみんな似たような感覚を知っている気がする。祭り特有の熱気も、自由さも、人混みも、何故か敬遠しないのはこれが理由かもしれない。
ドオン。
『奇麗だから好きなのよ
好きだから奇麗にするのよ
嫌いになんてなろうとしないわ、そこまで莫迦な子供じゃないの』
ドオン。
『木漏れ日に照らされて透ける黒髪が目に焼き付いて離れない。忘れられない位、暑かったのだけど、それと同時にこの友人が他の誰かの隣で笑うのを想像できないと考えていたのが高校生のころ。彼女は二十八歳でお母さんになったらしい。』
そうだ、思い出した。父親の部屋の本棚。三段目の右から十一番目。タイトルは、確か――。
「なんで僕を誘ったの?」
長身で目つきが鋭い、目立つタイプ。浮きそうなところを起用に立ち回って人の懐に入るのが妙に上手い。変に馴れ馴れしいとか、そういう勘違い野郎ではない。中学から同じクラスの冬川蒼(ふゆかわあお)はそんな人間だ。
「…それよりも化学のプリント、早く出してくれない?」
しかし、提出物の期限を守らない。数学の課題だとか、古文の訳だとか。
見落としがちな大事なものを忘れる確率が高い。その度に騒ぎ立てるわけでも誤魔化すわけでも無いのは彼の良いとこなのだろうけど。
バレー部のボールが床を強く打つ音が聞こえる教室で彼がプリントを解くのを待っている。どうせ大体同じ所から来ているのだから一緒に帰るのだが、それとこれとは別に早く係の仕事を終わらせたいという欲望がある。もう一人の中学校からの友達は部活に行ってしまったようだし。カリカリと行儀よく書かれる文字にも飽きて、秋ごろから置かれているシャーペンを手に取る。その辺の百貨店で売っていそうなありふれた0.5m。
「これって誰のかしら、ずっとあるけど」
「欲しいなら持ってってもいいだろ。十月から二カ月、毎日そこにいる。」
「残念、私は0.4m派なのよね」
筆記音とボールの音、そして雪が降り積もる。おそらく明日も降るだろう。
しんしんと、しんしんと。
子供のようにある意味幼稚に繰り返し降り続ける。水蒸気を含んだ風が吹くだけだから飽きるも何もないのだろうけど、よく飽きないなと感心するぐらい降り続ける。いつまで降るのか。白いまま、個体のまま、汚れないまま、しんしんと。
「ああ、ありがとう。助かるわ」
形式的な謝礼を受けて職員室を後にする。午後四時、すこし過ぎ。電車にはまだ間に合うくらいの時間だ。廊下を歩いていると楽器の音が聞こえてきた。合奏とかではなくて、個人練習のようだ。丁度、化学室から聞こえる。自由で瑞々しく、少し音が硬い。まるでセレナーデ。
「冬川君」
「あ、おかえり。帰る?」
「ええ、誰かさんのお陰で遅くなったけど」
「…ホットココア一つ」
「クッキーもね」
さくさくさく、降ったばかりの雪に足跡を付けながら歩く。小さい頃は雪が降るのを心待ちにしていた。いつから雪を忌避するようになったのか。少なくとも中学生の頃にはそうだった気がする。今だけは暑苦しい太陽を望んでいる。体を刺すような寒さに毎年毎年、どうやって凌いでいたのか分からなくなるのをそろそろ辞めたい。
「ところで」
彼は雑にそう前置きしてから先ほどと同じことを聞いた。先週末の花火大会。別に人選に何か意味があるわけでも、何か思うところがあったわけでも無い。
関係があると言えば、あの花火大会は元々、一年の耕作が無事に終わり、年の瀬を迎えられた事をお天道様に感謝するために始められたという事ぐらいだ。丁度、天照大御神の話を送った後にそのことを聞いたから話の延長線で誘っただけだった。
さくさくさく、さくさくさく。
「なんの足しにもならないタンポポよりはいいのよ」
「太陽の話は?というか、何なの?一年の頃からずっと送ってくるメッセージ。テディベアとか、青い空とか」
「あら、趣味じゃなかった?」
白で覆われた町にも色はある。それが以前と同じ色彩なのかどうかは分からないけど。色の有無の概念が違う世界があったとしたら、それはそれでいいじゃない。戻らないものに価値が生まれるのかもしれない。昔の記憶は美化されるって、よく大人が言うから。
「…なんで、僕に送ってくるの?」
彼は続ける。何でも、この前の花火大会で私と冬川君を見かけた人がいるらしいと。どういう関係なのか聞かれたと。同中なんだろ、と揶揄する言葉を添えて。世の中には男女が二人でいれば必ずそういう関係だと決めつけないといけないとでも言うように声大きく主張する。困ったものね。
「…別に、冬川君だからじゃないのだけど」
「ああ、そう言ったよ。友達の範疇だって」
「ええ、そうね」
昼間に雪が溶けたのか、日当たりがいいのか、ざりざりした感触が足に伝わる。ざくざく、ざりざり。ホットココアを開けて、甘い匂いが妙に落ち着く。午後四時を過ぎた町は暗くなり始めてしまった。
世界に三つしかない貴重な美しい黒釉の陶器を曜変天目茶碗というらしい。話好きな店の店主に図版を見せてもらった。天目釉という黒釉をつかったその器は、光の角度によってその色を七つに変える小さな星の斑点が現れるという。
あの花火に彩られた水平の目に似ている。僕はそう思った。あの日から話も、LINEのやり取りもパッタリ無くなった。三つきりの陶器に似ている眼を持つクラスメイトを思いながら、今日も僕は電車に乗る。今日は太陽の目を見ることは叶わないだろう。一日曇りで雪が降るとどこの天気予報も口を揃えている。
いつものことが無くなるのは呆気ないものだ。