第189話 下級吸血鬼と勝算だったもの
「……ま、どんな田舎だろうと今、この街を離れるのはいい選択かも知れないな。確かにお前の想像通り、このままだとまた何か起こりそうだ。しかし、冒険者を引退して、もう面白れぇことは何も起こらないかと思っていたが……」
ウルフは笑って俺を見て、それから続けた。
「お前みたいなのが現れたのは嬉しいぜ。それだけに、命は大事にしろよ……いや、命はないのか? その辺りどうなんだ?」
「……いや、俺にもよく……でも、
事実、鼓動はない。
ただ、心臓がある位置から、何か流れているのは感じる。
それとも俺にはそんな話はまるで関係ないのか……分からん。
「全く、よくわからない存在だよ……しかし、おそらく人ではないよな。魔物なんだろうが……今更だが、よく、ここに来る気になったな? そもそも、二重登録のことがあるにしろ、どうやって俺にその正当化を呑ませる気だった? さっきまでの反応を見るに、俺がお前のことを細かく掴んでいるとまでは思っていなかったのだろう?」
……まぁ、確かにそうだ。
なんとなく、そうかもしれない、くらいには分かられているかもしれないが、あまり細かくは見られていないのではないかと思っていた。
けれど、それでもウルフはきっと二重登録をどうにかしてくれるだろう、とも思っていた。
その理由は……。
――ばさり。
と、俺はウルフの執務机の上に荒い紙の束を乗せる。
ウルフはそれを怪訝そうな目で見つめて、それから読み始めたが、それを途中まで読んだ辺りでため息を吐き、
「……お前、こんなものよく手に入ったな。なるほど、お前の自信の源が分かった。しかし、またなんでこれを俺に寄越す? 黙って持って帰ればまた何かあったとき、使えそうじゃねぇか」
そう言った。
彼に渡した紙束、そこに載っているのはこのマルト
俺以外の人間の二重登録とか、表には出せない依頼の記録とか、そう言ったものだ。
どうやって俺がそんな情報を得たのかと言えば、色々である。
たとえばエーデルに探らせたり、たとえば情報屋を使ったり。
……主にこの二つか。
最終手段としてラウラに直で尋ねる、というのも考えないでもなかった。
あの娘は色々と知ってそうだし、聞けば驚くほどあっさり教えてくれそうなところがあるから。
とは言え、依頼主でありかつかなりの恩人になりつつある彼女にそんなことを頼むわけにもいかなかった。
それにそんなことせずとも色々と集まってしまったからな。
エーデルはかなり有能だったと言えよう。
まぁ、どんなところにでも潜り込め、人語を解し、情報を集められると言うのはそれだけでかなりずるい存在だからな……この結果もさもありなんというところではある。
もちろん、エーデルが盗み聞きしたりこっそりのぞいて何かを発見した、だけではウルフを強請るには……違う、ウルフにお願いするにはちょっと弱いと思っていたので、その辺りについて、情報屋を使って裏どりするなどした。
元々、この街の人間についてはかなり顔の広い方だからな、俺は。
相当分かりにくいところにいる情報屋も、どうすれば情報を集め、また売ってくれるのかも大抵わかってる。
その集大成が、今ウルフに渡した資料と考えれば……たかが二重登録のために出すのは惜しい気もしたが、必要なときに使わなければ何にもならないからな。
それに、ウルフと話して、信用できると思った以上、こんなものを使ってお願いする必要はもう、あるまい。
するとしたら正攻法がいいだろう、と思ったわけだ。
だから俺はウルフに言う。
「あんたとは脅し合いの関係じゃないものが築けそうだと思ったからな。まぁ、半ば脅そうとしていた俺が言える台詞じゃないかもしれないが」
実際良くないよなぁと思ってはいた。
だからしないで済んで良かったなと思っているくらいである。
必要ならやったけれども。
そんな俺にウルフは、
「……お前は、狡猾な奴なんだか気が抜ける奴なんだか分からないぜ……。まぁいいだろう。むしろ何も考えずに身一つで来た、とか言われるよりもずっといい。真正面から行けばなんでも解決できるとか思ってる奴は、案外使えなかったりするからな……その意味でも、お前に目をつけていた俺は正しかった、と証明されたわけだ」
とあっさり許容した。
それから、その紙束は机の中に突っ込む。
燃やしたり破り捨てたりするつもりはないようだ。
なぜかな、と思っていると、そんな視線を向けている俺にウルフが気づいていう。
「あぁ、これか? 今ぱっと見た限り、俺が知らないこともいくつか載っていたからな。俺が
「企業秘密だ」
「だろう? あとでしっかり確認して、覚えておかなきゃなんねぇと思ってな。それこそ、何かに使えるかもしれねぇしよ」
俺が調べた諸々を有効活用してくれるつもりらしい。
一体何に使うのかは気になるが、それこそ教えてくれと言って教えてくれるものでもないだろう。
この話はとりあえず切り上げた方がいいかな。
そう思って俺は言う。
「それはもうあんたに渡したものだからな。好きに使うといいさ。それで……二重登録、なんとかしてくれるってことだが、どんな風に解決してくれるんだ?」
「ん? あぁ……一番簡単なのはお前とロレーヌが結婚したということにして、以前の登録についてはこちらの事務方のミスだった、ということにすることだが……」
「おい」
それは困る。
俺は別に構わないが、ロレーヌがな……。
唐突に結婚させられてなんだそれはとなるだろう。
したがって却下だ。
ウルフもあくまで冗談で言ったようで、
「それは流石に悪ふざけが過ぎるにしても、他にも色々あるぞ。単純に使わない方の名義だけ抹消して、そんな人はいませんでした、とやるとか、ミドルネームでした、とか言って無理やり統合するとか……」
と、他の案を上げる。
……それにしてもいい加減だな。
二重登録は大した罪ではないと言うが、本当にさっぱり重いものではないようだ。
いいのか?
良くはないだろうが……もともと
しかし、その二つは流石に今やると、ニヴがこんにちはとやってきそうで怖い。
「もっと何かないのか……?」
つい俺がそう言うと、ウルフは、
「お前、二重登録を解決してもらう立場の癖に我儘だな……」
と眉を顰めながら言ったが、それでも考えてはくれるようで、少し唸ったあと、思いついたように、
「そうだ、あれだ、あの制度があったな」
と手をぽんと叩いて言った。
「あの制度?」
「あぁ。もともとは
そんなものは聞いたことがない。
が、
あるのだろう。