しかし、話す気になったとはいえ、いきなり何の保証もなしに洗いざらい語るほどには軽率なつもりはない。
とりあえずは魔術契約をしてからだ。
それさえしておけば、最悪の事態は確実に免れることが出来る。
そのため、契約内容をしっかりと詰めたうえで、契約紙の該当部分にお互い署名をした。
ちなみに、先にウルフの方に署名してもらった。
もうほとんど白状したような状態とは言え、俺がそこに書く名前はレント・ファイナだからな……。
先に書く気にはなれない。
ウルフもそれは分かっているのか、特に何も言わずとも先に羽ペンをとって自分から名前を書きだした。
……野卑な男の割に、随分と流麗な文字を書くな。
そう思ってみていると、ウルフは書き終えてから顔を上げ、
「……書類仕事が増えてうまくなったんだよ。それに、あんまり下手な字で書くと、王都本部の職員共はどんな提案をしても鼻で笑いやがるからな。教養があることは見せないとならねぇ」
と言う。
つまりは、
言葉遣いも、俺に対してだからこんな風にいわゆる《冒険者風》だが、貴族たちとも相対できる正式な礼儀をおそらくは完璧に身に付けているのだろうと思われた。
字を書く仕草もまた、優雅なのである。
そのまま貴族と言われても信じたくなるような……ただ、それには腕の太さとか目の傷とかが邪魔をするが。
明らかに冒険者面だもんな……。
「ほれ、お前も書け」
ウルフは俺にそう言って紙と羽ペンを寄越す。
ここまで来たら、もう俺にも迷いはない。
素直に自分の名前を書く。
ウルフはそれを見ながら、
「……やっぱりレント・ファイナじゃねぇか」
とぼやくように言った。
あんた、確信してたんじゃなかったのか、と思うが、九割方確信していても、実際にそうだと確認できてなんというかほっとしたのかもしれない。
俺が考えている以上に俺に期待していてくれたみたいだしな。
なにかこう、強敵の殿を引き受けた後、命からがら生きて帰ったときのパーティメンバーに再会したときの顔に似ている。
ということは、俺が生きていたことに喜んでくれているということになるな。
……やっぱり悪い人間ではなさそうだ、と思ってしまうのはやはり甘いのだろうか。
だとすれば甘くても別にいいかな……。
文字を書き終わると、契約紙は淡い光を放ち、それが俺とウルフの体を包む。
契約発効という訳だ。
契約内容は、ざっくりと言えば、今日話したことを、ウルフは俺に不利になるような形で言わないということだ。
本当はもっと細かいが、それを言い出すとキリがないしな……。
以前、シェイラとしたものと大体同じである。
というか、条項については彼女の立案したものが優秀だったので拝借したに近い。
問題はないだろう。
「それで? レント、お前、一体なんでわざわざ七面倒くさい二重登録なんてしたんだ? 別に命がなくなったわけでもねぇんだ。そのままやってたって何の問題もなかっただろうが」
ウルフが即座に本題に踏み込んでくる。
……しかし、この男は本当に詳しくは分かっていないのか、と言うほどに核心を突いた台詞を言うな。
こうやって尋ねてくる以上、本当に知らないのだろうが、しかし、《命がなくなったわけでもない》はいっそ笑える発言である。
いや、命がなくなったんですよ、
けれどそんなこといきなり言ってもな……いや、いつ言ってもいきなりか。
ただ、それでも段階は必要だ。
とりあえずの経緯から話そう。
俺はそう思って、ウルフに言う。
「色々理由はあるんですが……」
と言いかけたところで、ウルフが、
「あぁ、敬語は面倒だから要らねぇぞ。冒険者ってのはそんなもんだ。もちろん、これから先、どっかお貴族様のパーティとかで顔を合わせた時はお互い形を作ることになるだろうが、
と言ってきたのでその言葉に甘えることにする。
最近、敬語を使うべき相手に会いすぎて、ナチュラルに目上の人間に対しては敬語になってしまっていたが、言われると確かに冒険者はそんなものである。
俺は続ける。
「正直言うと、今はほとんど問題はないんだ。ただ、以前が……」
「……? 以前が問題あったのか。どんな問題だ」
「人に見せられる顔じゃなかった」
端的にいうと、ウルフは、
「なるほど、だから仮面か。だが、別に冒険者で大けがする奴は珍しくねぇぞ。それが顔だって、別におかしくはねぇ。わざわざ名前まで変える必要はねぇだろ」
と言う。
それは全くその通りで、俺はなんと説明したものか迷った。
簡単にいえば、
そもそも、それを証明する手段が俺には……。
ニヴですら、俺が
うーん、どうしよう……と思ったところで、ふっと壁にかけられている短剣が目に入る。
俺はそれを指さして、ウルフに言う。
「あれをちょっと借りてもいいか?」
するとウルフは、一瞬少し警戒した顔をした。
俺がいきなり暴れ出す可能性を考えたのだろう。
しかし、こんなところでいきなりそんなことをする意味はないし、やるならもっと早くやっているだろう。
それに、ウルフの目は片目だとは言え、その実力はおそらくかなり高い。
俺が暴れようとも抑えきる自信もあるのだろう。
すぐに、
「……まぁ、いいだろう。しかし一体何に使うんだ?」
と言って来た。
俺はその言葉に答えず、短剣を手に取り、それから腕をまくる。
それを見たウルフは慌てて、
「お、おいっ、お前、何を……」
と言って立ち上がったが、時すでに遅し、である。
俺は、俺の左手に短剣で縦に長い切り傷をつけていた。
そこから、ぼたぼたと血が流れる。
「……一体いきなり何やって……?」
とウルフは言いながら、俺の腕を見ていたが、すぐにその瞳は驚きに見開かれた。
なぜと言って、普通起こりえない現象が俺の腕の傷に起こっていたからだ。
それはつまり……。
「傷が……塞がってやがる? 馬鹿な。回復薬も魔術もかける気配はなかったはずだぞ? それなのに……」
まぁ、回復薬をぶっかけたり回復魔術や聖気を使えば治るのだが、それとは異なると言うことを彼はその経験から察したのだろう。
そんな彼に、俺は言う。
「これが、俺が自分の身分を隠さざるを得なかった理由だ。他人にならないと、あとあと迷惑がかかると思ったからな……知人や、友人たちに」
ウルフは俺に尋ねる。
「一体、どういう意味だ……」
「俺は、
たぶん。
最近怪しくなっているけど、とりあえずはいいだろう。
そう思って、俺はそう言ったのだった。
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