ゴヲスト・パレヱド — ようこそ、奇々怪々な妖の隠れ里へ! —
夢咲蕾花
第1話 夜道の邂逅
——神や仏がこの世にいたとして、そいつらは俺のことを心底馬鹿にしている。
金色の満月が、夜空に揺蕩っていた。雲ひとつない、不気味なほど晴れ渡った夜天。その眼下の夜道。
入り組んだ小道を、一人の少年が歩いている。ポケットに両手を突っ込み、背中をやや丸めている。しゃんと背を伸ばせばその身長が高いことがわかる。筋肉質ながっしりした肉付きで、白髪に、険がある疲れた藍色の目。
街灯に照らされたゴミ捨て場には、指定日でもないのに積み上げられた家庭ゴミの山。野良犬が何かを漁っている。
「…………」
今日も義母から一方的に罵られた。
ヒステリックな声で、ギィギィ爪でガラスを引っ掻くような耳障りな声色で、有る事無い事散々。
燈真はダメだとわかっていたが怒りに任せて椅子を蹴飛ばし、大声で怒鳴り散らして家を飛び出していた。
「くそっ」
思い出すだに腹が立つ。あの女の山姥のような醜悪な顔にも、モノに当たり酒に酔っただらしないガキのように怒鳴った己の幼稚さにも。
蛾の羽音に顔をあげた。リヘンヤママユガが飛んでいた。この地域の生物は大きくなる傾向にあり、その蛾も翼を広げると十八センチに達する。一般的なヤママユガが最大で十五センチであることを考えれば、大柄だ。
目玉模様の、鳥類を驚かせる目的の羽を忙しく羽ばたかせる。
何かを告げるようなその仕草に、燈真は日本人離れした白髪を揺らし、藍色の目を
蛾はふわっと浮遊し、飛び去っていった。鱗粉だろうか? キラキラと、青い粒子がチンダル現象のように電気に照らされる。
なんだったんだろうか。
(お告げってやつか? 変なもん見ちまったな)
昔から人と違う、変わったものを見ることがある。世間一般ではUMAとか幻獣と言われるケサランパサランを見たこともあるし、首のない、幽霊であろう人間を目撃したこともある。
子供の頃は——今も十六のガキだが——それで随分苦労した。虚言癖、妄言野郎とか言われたものだ。
燈真は自分と同じ歳くらいの若者が屯している電柱のそばにある自販機に近づく。体格のいい燈真を見た少年らは、「おい、あいつ……」と囁き合う。
「東中の鬼だろ」「マジ? 一人で家の前の暴走族全員ぶちのめしたやつ?」「高校でやべー事件起こして停学中なんだろ?」
「……言いたいことがあるなら面と向かって言えよ」
ギロ、と睨むと少年らは黙り込んで、去っていった。
陰口は嫌いだ。気に入らないなら気に食わない理由を堂々と言えばいい。別に、悪口を言われたくらいで怒るほど短気でも子供でもない。こそこそされる方が、よっぽど腹が立つ。
燈真は炭酸水のボタンを押した。レモン風味のそれを取り出し、キャップを捻って強炭酸を謳うそれを喉の奥に叩き込んだ。
涙が滲むほどに強い刺激に、燈真は半分ほど一気飲みして蓋を閉めた。
「君、君」
後ろから声をかけられた。肩に、強い力で手が添えられる。燈真はついそれを強く跳ね除けた。
「君、こんな時間に何してるんだ」
警官だった。驚くほど強烈な拒絶を食らい、若い男の警察官はなんとも言えない、ショックとも呆れとも言える顔をしていた。所在なげに、右手を閉じたり開いたりしている。
「すんません。カプセルホテルに行く途中でした」
「旅行かい?」
「いえ。地元に住んでます」
適当に嘘をついてツーリストのふりをすればよかったと、言ってから気づいた。馬鹿正直にも程がある。
案の定警官は突っ込んできた。
「なら家に帰ればいいだろう」
「派手に親子喧嘩したんすよ。思春期ですし、うるさく言われて怒鳴ったんです。すんません」
「そうかい? 帰りづらいなら、私から連絡を入れてもいいが」
「大丈夫っす。すんませんでした。すぐホテルに行きます」
警官も、若い時分を思い出したのだろう。理解がある人物らしく、「見なかったことにするから、行きなさい」と言った。
燈真は軽く頭を下げ踵を返した。その、直後。
「な……なんだあれ——ッ! 本部、応答——うわぁっ!」
燈真はハッとして振り返った。警官の腕に噛みついている、犬のような生物。
「ああ……」
出た。自分が見てしまう、化け物。
やつらはどこにでもいて、たまに実体化して人を襲う。黒紫色の瘴気を纏い、金色の目で闇を闊歩する死を物理的に具現化した怪物。頭部は、髑髏を模した外骨格で覆っている。
禍々しい——死の匂いが漂う化け物。
「君っ、逃げなさい! 私は平気だ!」
「っ、——っぁああッ!」
燈真は怒鳴り声で己を鼓舞し、犬の化け物を蹴り付けた。
しかし、鉄板に分厚いゴムを巻いたような塊を蹴り付けたような、ドムッという感触が靴から返ってきた。
犬の怪物は僅かにのけぞる程度である。
「何をっ、してる……! 逃げっ、なさい……ッ!」
死を前にしても——圧倒的な、死の物理的具現を前にしてもなお正義感を燃やす警官を前に、燈真は尚更だと思った。
自分のようなクズより、この男が生き残った方が遥かに——。
次の瞬間、犬の怪物が燈真に飛びかかった。
腕を跳ね上げて首をガードする。鋭い牙が、左腕に食い込んだ。
「っ、がぁ……!」
ジタバタしながら必死に右拳を振るって顔面を殴りつけるが、食い込んだ牙は抜けない。血が滲む湿った感触に、痛覚が死ぬほどの激痛。脳が、この痛みを知覚すればショック死すると判断しているのか、それとも極限の興奮状態でアドレナリンが過剰に分泌されているのか。
痛いと言うよりは熱いと感じる左腕。
心拍数が跳ね上がり、アドレナリンが狂ったように放出される。呼吸のピッチが狭まり、視野が狭まる。
死ぬ、死ぬ——。
いざ死を前に思ったのは、綺麗事でもかっこいい理念でもなかった。
——絶対に、死にたくねえ。
ただ、それだけだ。
刹那。
犬の怪物が吹っ飛んだ。
電柱に叩きつけられてくびられたような悲鳴をあげるそいつが唸り声をあげる。燈真と怪物の間に、ごく僅かに青みを混ぜた白髪を揺らす少女が降り立った。
白い狐。
その姿を、幻視する。
「目標、
少女は現代にあるまじき日本刀を抜いて、それを上段霞——視線と水平に刀身を寝かせ、構えた。
飛びかかる怪物の顎を切り払い、横に回って上段から切り下ろし。地面に転がった怪物が唸り、低姿勢で攻めかかるが、少女はすぐさま下段から擦り上げる軌道で切り上げ。下顎を断ち割り、追撃の蹴り上げ。
素早く足を踏み替えて、目に見えぬ速度の踏み込み。地面が縮んだかと錯覚するような運足。瞬時に距離を詰め、気づいた時には刀は鞘の内側にある。
そして、抜刀。
パンッ、と空気が割れるような音と同時に犬の化け物が上下に両断され、吹っ飛んだ。
べしゃっとぶちまけられた血と内臓と骨と皮が、やや置いて霧のように霧散する。
一体、なんだ——。
「祓葬終了——。……あんた、漆宮燈真ね」
少女が春物のニットの肘で拭った刀を血振りし、鞘に収めながら聞いてきた。
「なんだよ」
「大きくなったわね。私のことは覚えてないでしょうけど、まあそれは別として」
少女が文字通り尻で後ずさる燈真のそばに屈んで、微笑んだ。
「ちょっとだけ、おやすみ」
「は——がっ」
柄頭で首筋を打たれ、燈真は気を失った。
彼女が何者で、自分がたびたび見る奇妙なものがなんなのか——それを、燈真は次に目を覚ました時に知るのだった。
己の体に流れる、その血の
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