糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

01月24日の「今日のダーリン」

・あんがいたくさんの人が忘れている事実。
 それは、「たいていのことには次がある」ということ。
 さぁやるぞ!と気合を入れてるとき、
 さまざまな挑戦に失敗しそうなとき、失敗したとき、
 もう後がないとか、次がないと言いたがるし、思っている。
 しかし、「たいていのことには次がある」のです。
 あの人にふられたら、ぼくは一生恋なんかしない。
 受験に失敗した、もうダメだ、ぼくの人生は台無しだ。
 というふうな考えになることはありがちです。
 しかし、ほとんどの場合、次がまたあるんですよね。
 ま、早い話が初恋の人と結婚した人はあんまり多くないし、
 浪人生活をしてよかった、という人もとても多い。
 後がない、と思えるほど人生は短くもないわけでして。
 次の機会は、1年後にあったり、3年後にあったりもする。
 さらにいえば、同じような機会はなくても、
 そこで経験した「ざせつ?」のおかげで、
 まったくちがう道が開けてくることだってあります。

 長く生きてきた人が、若い人を励ましやすいのは、
 その「たいていのことには次がある」ということを、
 身をもって知っているからじゃないかと思います。
 じぶんもさんざん失敗したり落ちこんだりしていて、
 そのわりには、なんとかなってきたものだから、
 「もっといいことがあるかもしれないぞ」と、
 本気で言いやすいのだろうと思います。

 ただ、本気で「もうだめだ」と思い続けている人には、
 なかなか「次がある」というわけにはいきません。
 どんどん時間も経っていくでしょうし、
 「もうだめだ」を本人が本気でやってると、
 それはもう「次」の入り込みようがないわけですから。
 そういう意味では、ちょっとぼんやりした人のほうが、
 「次がある」になりやすいとも言えそうです。

 それはそうと、考えてみたんだけどね、老人になると、
 「次がない」と思いやすくなるんじゃないかなぁと。
 「次がない」と思うと、慎重になり過ぎてしまったり、
 逆に博打に出たりしやすくなるってことはないのかな? 
 ぼく自身は、まだ「次がない」とは感じてないのですが、
 よく観察して「自己チェック」することにします。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ねばる」とか「しつこい」「根気がいい」は、強いよねー。