第百二十四章 成長と適応
「――グォオオオオオオオ!!」
デウス平原に巨人の咆哮が響き渡る。
視界の奥、岩陰から生まれた白い巨体が震え、ここ数日ですっかり聞き慣れてしまった叫びが俺の耳を打つ。
「――ッ!」
あまりに強烈な叫びは大気を震わせ、その衝撃はびりびりと肌を叩く。
しかし俺はそれに動じることもなく、音の発生と同時にもう行動を起こしていた。
こちらが全速で動ける時間には限りがある。
だから、限界が来る前に叩き潰すつもりでいた。
(ステップ!)
オーダーによって3倍速でのスキルが発動し、周りの景色が急速に流れる。
一週間前の俺であれば、確実にうろたえていたはずのスピード。
だが、それに対する動揺もまた、今の俺にはない。
(横薙ぎ!)
ただ、加速していく身体に思考を同調させる。
加速する肉体に合わせるように、3倍の速度で脳裏に命令を描くイメージ。
上書きされた指令に俺の身体は急停止。
剣を払う動作に移ろうとして、そこにすかさず、
(ステップ!)
新しいオーダーをねじ込む。
最速のキャンセルとも言われる、基本攻撃スキルのショートキャンセル。
3倍の速度でなされるそれは、もはや神速キャンセルという名前が誇張ではないほどだ。
だが、俺はそれをやり遂げた。
俺の標的、キングブッチャーの巨体が近付くのを認め、ここから一気に攻撃に転じる。
使うのはもちろん、
(朧残月!)
俺の必殺コンボ、その一段目。
神速キャンセルに比べれば、通常の攻撃スキルのロングキャンセルの難易度は低い。
ただ、油断はしない。
(ハイステップ!)
3倍という異常な速度下においては、わずかな気の緩み、気の逸りでさえも失敗に直結する。
悠長にその場でタイミングを計れるような速度ではない。
決められた譜面に従って打鍵をするように、ひたすらに体得したリズムの再現に徹する。
(ジャンプ!)
気が付けば、間近に迫るブッチャーの巨体。
半径3メートル。
その円の中に入ったことを、束の間意識する。
だが、次の瞬間にはその事実は頭から蹴り出されている。
そんなものは、一撃で決めれば関わりのないこと。
今の俺の力なら、きっと…!
(横薙ぎ!)
ブッチャーの身体を横断する、3倍の速度で放たれる斬撃。
そしてその一撃に呼吸を合わせたように、朧残月の縦の斬撃が同時にブッチャーの身体を斬り裂く。
「朧十字!!」
宙に描かれる、十字の斬線。
まさに縦横に斬り裂かれたキングブッチャーは、自分に何が起こったのか分からないとばかりに、しばらく呆然とその場に立ち尽くし、
「今日までご苦労様」
時間差で訪れた死によって、小さな光の粒となって消えていった。
相手の攻撃はこちらにかすりもせず、俺の方はたった一度の攻撃でブッチャーを倒した。
わずか数秒での、完全なる勝利だった。
ブッチャーの身体が完全に消滅したのを確認して、
「……ふぅ」
押し殺した、短い息を吐く。
戦闘用に鋭くとがっていた意識が霧散して、ようやくいつもの自分がもどってくる。
(俺の方は、これで一応完成、って言ってもいいかな)
地面に落ちたブッチャーのドロップアイテムを確認しながら、俺は強く拳を握りしめた。
まだ以前のように、ほかのことを考えながらでも神速キャンセル移動が出来るとか、町での普通の移動にも神速キャンセル移動を使えるとか、そんな域には達していない。
むしろ集中して集中して、スキルをつなげることだけを考えて、ようやく何とか形になる、というのが実際のところだ。
ゲームシステム的にはありえないことのはずなのだが、敏捷が3倍の状態で集中すると、なんとなく時間が引き延ばされるような感覚がある。
それがスキル効果かただの錯覚かは分からないが、3倍速でのスキルコンボ成功の理由の一つがそれだ。
ただ、深く集中するということは、それだけ疲れるということでもある。
たとえほかの制約が何もなかったとしても、全力でスキルキャンセルが出来るのは30秒程度だと見積もっていた方がいいだろう。
速度が上がった分スタミナの消費も激しいし、やはり今のところ3倍速でのスキルキャンセルは『憤激の化身』に合わせたように、ここぞという時の奥の手、という立ち位置が向いているようだ。
と、こんな風に語ると集中さえすれば簡単にスキルを使いこなせたみたいに聞こえるが、実際には3倍速でのスキルを使いこなせるようになるまで、地味ながら苦しい努力の日々があった。
リンゴへの指導の傍らで、俺は俺で試行錯誤を重ねていたのだ。
全ての技のキャンセルタイミングが1倍の時とは異なっているし、敏捷上昇に伴い無敵時間が3分の1になって使い勝手の悪くなった隠身や、逆に敏捷の恩恵を受けないために、相対的に速度が落ちてしまったエアハンマーの魔法など、技の使用感自体が変わってしまった物もある。
それらを一つ一つ確認しながら、以前のキャンセルポイントを思い出して3倍状態でのキャンセルタイミングを探った。
また、それでどのタイミングでキャンセルすればいいかが分かっても、3分の1の制限時間の中では思った通りにスキルをつなげるのは難しい。
それでも前にも話した通り、乱れ桜のロングキャンセルから少しずつ慣らしていって、ようやく神速キャンセル移動を使えるまでにこぎつけたのだ。
それでもキャンセルが出来るスキルは、おそらく全盛期の2割程度。
ただ、使用頻度の高い三つのスキルコンボ、すなわち、ステップ、ハイステップから縮地につなげる『移動スキルコンボ』、朧残月から接近しての横薙ぎを合わせる『朧十字』、ステップと基本攻撃スキルのショートキャンセルを組み合わせる『神速キャンセル移動』。
これらを何とか使えるようになったことで、今は満足しておくべきだろう。
なぜなら、
(――これで、準備は整った! あいつを、魔王を倒す準備が!)
それが魔王戦への備えとして考えていた、最低条件の一つだからだ。
圧倒的な攻撃力と速度。
その二つが、犠牲なしに魔王を倒すために俺が設定した最低条件。
――捕捉不可能な速度で全ての攻撃をかいくぐって魔王に接近し、常識外れな火力で一気に葬り去る。
あまりに乱暴なそれが、俺の対魔王戦の基本戦術だ。
ほかの作戦など、極端に言えばその成功率を上げるための小細工でしかない。
この九日間で俺がやっていたのは、3倍速でのキャンセルスキルを修得したことだけじゃない。
レベルとパワーシードのため、ほとんど一日中この平原に張りついて、ブッチャーを倒し続けた。
少しでもブッチャーのリポップを早めるため、畜産用の鶏をヒサメ道場から借りてきて平原に置いて、このエリアの魔物侵攻度を上げるなんて涙ぐましい工夫もした。
その成果が、今の戦闘だ。
3倍速の移動スキルコンボが使えるなら速度は申し分ない。
そして上がったレベルとシードによる筋力上昇のおかげで、攻撃力についてもブッチャーの物理耐性すら突破するほどだと証明出来た。
(これなら、これだけの力があれば、俺はこの手で、魔王を…!!)
握った手を、さらに強く、血がにじむほどに強く握りしめる。
しかし、そんな暴走とも言えるほどに高まった熱も、
「ソーマ!」
「リン……ぶはっ!」
俺の名を呼びながら近付いてくるリンゴの姿を見て、一瞬で吹き飛んだ。
――ヒュッ、ヒュゥン、スウィ~!
ステップ、ハイステップ、エアハンマーを組み合わせた、お手本のような移動スキルコンボ。
今のリンゴの姿が、俺たちのこの九日間のもう一つの成果だった。
昨夜、リンゴと一緒に屋敷にもどった時、リンゴに魔法のカスタムをさせて、魔法の予約発動について説明した。
昨日の特訓でステップをキャンセル出来るようになったリンゴだが、そこから神速キャンセル移動を修得するのは流石に難易度が高い。
それよりは、ある程度自在に使えるようになったステップからハイステップのコンボを活かした方がいい結果につながると考えたのだ。
それに、一度セッティングさえしてしまえば、タイミングが命なスキルキャンセルよりはKBキャンセルの方が幾分か使いやすい。
だから俺はリンゴに、ただ一種類、ステップ、ハイステップ、エアハンマーの三つで構成される移動法を教え、ひたすらそれだけを練習させた。
ここに縮地を加えると移動速度も移動距離も大きく伸びるのだが、リンゴはまだ覚えていない上に、あれはスタミナ消費が大きく扱いも難しいため、最初の内は使わない方が安全だろう。
そして、リンゴとこの移動法の相性は、俺の想像以上によかった。
今朝の早朝から始めたたった数時間の訓練で、リンゴはほぼ完璧にこの移動法をマスターしてしまった。
まだエアハンマーの発動タイミングにばらつきが残っているものの、充分に実戦で使えるレベルと言えるだろう。
リンゴは基本の移動速度が速いだけあって、ステップなどを使った時の移動速度もかなりのものだ。
縮地が使えない割に素早い移動が可能で、1倍の神速キャンセル移動くらいでは太刀打ち出来ないくらいの速度をあっさりと出した。
あまり接近戦をやって欲しくはないが、戦場に急いで駆けつけるための方策を手に入れて、リンゴも嬉しがっているようだった。
というか実際、心境の変化はあったようだ。
練習を始めた最初の内は、
「…ソーマは、あんまりみないで」
と何だか乗り気でない様子だったのだが、練習を重ね、うまくエアハンマーでコンボがつなげられるようになると、傍目にものびのびと動くようになった。
本人いわく、
「…ん。ちょっとだけ、たのしくなってきた。
……ほんの、ちょっとだけ」
とのこと。
どうやら自覚はないようだが、
(あ、こいつ、ハマったな)
これは明らかにドハマりの兆候である。
キャンセル移動の魅力に取りつかれた、新たな同好の士の出現に内心にやりとしながらも、俺は顔だけでは真面目な表情を崩さず、
「あんまり、根を詰めすぎるなよ」
「…ん、ありがと」
むしろ軽い忠告までして、リンゴを見守ることにした。
こういう時は下手にこちらからいじらない方がいい。
一度キャンセル移動の爽快感を味わってしまえば、もう逃げられない。
この移動法に慣れた頃に、リンゴの方から新しい移動スキルを教えてほしいとねだってくるようになるだろう。
慣れたと言えば、俺もリンゴの様子に慣れた。
俺も最初こそは、別に誰にも攻撃されていないのに突然爆風にでも吹き飛ばされたみたいに横滑りするリンゴに、ちょっと、いや、かなり引いていたのだが、
(ほんと、楽しそうだなぁ……)
元気にステップした後、何だか得意げに吹き飛ばされるリンゴの姿は、一周まわってユーモラスでかわいらしく見えてきた。
初めてリンゴのキャンセル移動を見た時は、「キャンセル移動ってやっぱり気持ち悪いのかな」なんて弱気になってしまったが、やはり魂が入った物は、それが何であれ人の心を動かす力を持っているらしい。
ああいう姿を見せられると、こっちも負けてはいられないなと闘志をかきたてられる。
ちなみにその後、俺が対抗して3倍速での神速キャンセル移動を見せた時のリンゴのコメントは、
「…こ、こっくろーち!」
だった。
言葉の意味は分からないが、表情を見る限り、たいそう驚いたと言いたかったのだろう。
これを目標にして、リンゴにはさらに励んでもらいたいところだ。
「――ソーマ!」
などと考えている間に、リンゴが目の前までやってくる。
それどころか、まだ距離の計算が甘いせいでそこで止まり切れず、エアハンマーの余波で俺に突っ込んできた。
「リンゴ……っと!」
俺はその小さな身体をしっかりと受け止めた。
ただ、俺の胸で止まったリンゴはそんな事実など全く頭にも入っていないように、俺を潤んだ目で見上げてくる。
「…ソーマ、けがは?」
「大丈夫だよ。一発もやられずに勝ったの、見てただろ?」
俺が笑って答えても、リンゴは納得しない様子で俺の身体をぺたぺたと触って確かめる。
これも、リンゴに生まれた小さな変化だ。
俺がブッチャーに殺されそうになったあの時以来、リンゴはさらに心配性になった。
ちょっと行きすぎというか、俺に危険が迫ってると感じるとそれ以外のことが目に入らなくなるようなので、逆にちょっと危なっかしい。
「…みてた、けど。……ぁ!」
今回もそこで急に我に返ったのか、突然俺から離れて顔を伏せた。
もしかすると、昨日まで俺と喧嘩をしていたことを思い出したのかもしれない。
そういうところもほほえましいとは思うが、
「それより、今日はもうもどろう。
たぶんそろそろ、みんなもどってくる頃だ」
残念ながら、あんまりのんびりともしていられない。
「…ん。わかってる」
それを聞いて、少し赤くなっていたリンゴの表情に、真剣な色が宿る。
――今日がちょうど、魔王の呪いが発動してから十日目。
俺は、仲間たちの物も含めた全ての予定を、今日の正午までに終わるように調整した。
「いよいよだ、リンゴ。
……もう俺は、一人で突っ走るような無茶はしない。
だから魔王を倒すまで、俺に、お前の力を貸してくれるか?」
俺の言葉に、しかしリンゴは小さく首を振った。
「…そんなの、だめ」
驚く俺に、リンゴは告げた。
「まおうをたおすまでじゃ、だめ。
……わたしはずっと、ソーマについてく」
心強いリンゴの言葉に、俺は一瞬だけ、言葉に詰まって、
「……ああ!」
出来るだけ俺の熱を伝えるように、力強い言葉を返す。
何だか胸の奥から無尽蔵の力が湧いてきて、何でも出来るような気持ちになる。
「よし、じゃあいっちょ気合を入れて帰るか!
――3倍神速キャンセル移動で!」
「そ、それはだめ! つうほうされちゃう!」
「なんでっ!?」
強い決意を胸に、それでもあくまで俺たちらしく、賑やかに。
成長を終えた俺たち二人は、仲間の待つ『我が家』へと帰っていったのだった。
なぜかシリアスできない・・・