社員紹介
200年のモノづくりは
まだまだ、進化の途中
2004年入社 工学研究科 エネルギー理工学専攻
山崎 泰正YASUMASA YAMAZAKI
- 生産技術
Careerキャリアパス
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01入社
生産技術センターに配属される。先輩から殺菌や微生物にまつわる基礎と応用を教わる。
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02栃木工場増設
2005年、栃木県で業務用製品を製造する工場建設プロジェクトに参加。2007年には栃木県に常駐し、設備の導入などを担当。
生産技術
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03美濃加茂工場建設
2013年、設備の企画・据え付けから建屋の全容、スタッフの配置までを考えて竣工まで導くプロジェクトを任される。
生産技術
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04全社的な設備改善
2015年より、本社にて“ミツカン設備標準仕様”を制定する。以降、生産の“見える化”を推進し、モノづくりの効率アップを推進。
生産技術
※撮影当時の部署を記載しています。
2世紀にわたるミツカンの
モノづくりを“見える化”する。
ー仕事内容について教えて下さい
ミツカンの創業は1804年。以降、200年にわたり培われてきたモノづくり。それをさらに進化させるには何をすべきか。その改善点を抽出して実行するのが私の仕事です。たとえば、生産ラインの“見える化”。クラウドシステムを導入して、設備から稼働や停止の時間など、多種多様なデータを自動的に吸い上げ、グラフで閲覧できるようにするシステムを構築しました。まだ、ひとつの生産ラインでしか導入できていないのですが、データを見ると、改善点が随所で見つかりました。たとえば、設備がストップしている時間が想像より多いことです。食品を製造するなかで、廃棄する材料も少なくありません。これらのムダをシステムでタイムリーに捉えて改善することで削減できたら、もっと地球にやさしいモノづくりができるはず。また、会社としても、効率化を推進できれば、これまでは昼勤・夜勤の2直体制で進めていた生産を1直体制に変更できるかもしれない。そうなれば、労務費を大幅に改善できることになります。約2世紀にわたって培われたミツカンのモノづくりは、まだまだ進化の途中。自分次第でもっと発展させられると思うと、腕が鳴りますね。
もうひとつ、紹介したい仕事があります。2015年から始めた“ミツカン設備標準仕様”の制定です。一言でわかりやすく説明するとしたら、全国で稼働するミツカンの工場における設備のルールブックづくり、ということになるでしょうか。新しく設備を導入する際における配管のレイアウトや、温度計を設置する場所と材質など、あらゆる項目の設計思想をこと細かに明文化したものです。それまで各地の工場で優秀な人材が実施してきた設備づくりのノウハウを集約したら、ベストな仕様を構築できるはず。これから新しく設備をつくる際も、明確な設計思想があれば、迷うことなく、スピーディにことを進められるはず。そんな観点からつくられたものです。私自身、これまで多くの生産ラインを構築しており、自身の経験も照らし合わせながら進め、ミツカンの標準となるものを制定しました。
Schedule私の1日
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8:30
出社
出社したら、まずはメールをチェック。1日の行動予定も明確にしていきます。
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10:00
協力会社と打ち合わせ
生産工程の改善を目的とした、設備メーカーと打ち合わせに参加。現在、稼働している設備の改良点を話し合います。
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12:00
昼食
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13:00
チームで打ち合わせ
各メンバーが進めている案件の進捗を確認。困っていることがあれば、一緒になって解決策を考えます。
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15:00
自身の課題を進める
与えられた課題を進めます。自分の考えをまとめ、アウトプットを作成する時間も重要です。
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16:30
事務作業
書類作成やメールチェック・処理、他部署への依頼など、デスクワークを中心に仕事を進めていきます。
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18:00
退社
家に帰って、家族みんなでご飯。もちろん、ミツカンの商品を使った料理もたくさんいただきます。
どんなときも“できる方法を考えろ”
一あなたにとって忘れられない仕事を教えてください
まず、入社2年目のときに携わった、栃木工場内の新工場建設です。栃木工場の敷地を拡張して、業務用製品の生産設備を構築するプロジェクトに参加しました。原料の調合、パッケージに液を詰める充填、パックにラベルを貼る工程、出荷で使うパレットへの積み上げを行う設備などの検討を担当しましたが、初めて製品ができたときの感動は格別でした。そんな喜び以上に貴重だったのが、上司から“できる方法を考えろ”というスタンスを教えてもらったことです。ひとつの生産設備を構築するとき、無理難題は必ず発生します。それを“無理だ”と思うか、“何か方法があるはず”と思うかで、そのあとの仕事は大きく変わります。2009年、再び栃木工場で出汁の工程を構築することになったのですが、まさに“できる方法を考えろ”の連続でした。商品開発側にとっても肝いりの製品で、一切の妥協はなし。試作では「味にパンチがない」「もっと風味を出したい」など数々の要望が出ました。それらに応えるべく、設備を調整し、製造の方法を検討し、改善を重ねる日々。そしてある日のこと。「そうです!この味です!」と開発から太鼓判を押されたのです。言葉に表現できない喜びがこみ上げてきました。
もうひとつ、忘れられない仕事があります。2013年に携わった、岐阜県美濃加茂市の新工場建設です。鍋つゆの液を調合してパウチに充填し、パッケージングをする工場で、こちらは設備の企画・設計・構築だけでなく、建屋全体の構想・設計・建築も私が担当しました。しかも、そこで何名のスタッフが働くかも、私が考えて決めたのです。まさに、工場をまるまるつくるプロジェクトでした。もう、苦労しないはずがありません。建物を建てたあとに設備を導入する、という段階を踏んでいたら、とてもじゃないけど納期に間に合わない。建設と設備の導入を並行して進めたのですが、トラブルが頻発。あちこちから「設備が想定通りに動かない」などの連絡が私に集中しました。正直に言うと、途中で投げ出したくなったことは何度もありましたね。でも“できる方法は必ずあるはず。これが完了したら、自分はもっと成長している”と思うようにしたら、どんなことも乗り切れたのです。稼働初日を迎えたときは、喜びと安堵が入り混じった不思議な気持ちでしたね。
自分で手掛けた工場の製品を、
日常で感じたかった。
ーどのような就職活動をしていましたか?
大学時代の専攻は化学工学。難燃性プラスチックを研究していました。廃棄するしかない状態のプラスチックを、どのような処理をすることで無害化できるか。環境問題を少しでも改善できれば、と思って進めていた研究でした。就職活動では、プラントにまつわる学問をしていた観点から、工場を建設する大規模な仕事に携わることができれば、と思って企業選びを実施。特に、自分がつくった工場でつくられた製品を普段の生活で身近に感じられたら嬉しいのでは、という思いから、BtoCの分野に着目して就職活動を進めました。そのなかで興味を持ったのがミツカンです。味ぽんをはじめ、身近な製品をたくさんつくっていること、若手にもチャンスがある社風であることが魅力となり、入社の決め手となりました。振り返ると、入社動機は全て叶えることができていますね。我が家の食卓にも、ミツカンの商品が並ぶことはよくありますよ。そのたびに「これ、パパがつくったんだよ」と、子どもに自慢してしまいます。
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人のコト
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