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失われた物語を求めて。

神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる、精神の働き。霊感。どのような時でもインスピレーションを与えてくれる言葉が、一人一人、あるのだと思う。私は『物語』と言う言葉に、何とも言い表せないものを感じる。理由はわからない。ただ、どうしようもなく惹かれてしまうものを感じる。音楽も同じだ。音楽が好きというよりは、音楽が意味しているところ、音楽が志向している根源的な郷愁に惹かれているのだと思う。自由に使えるお金もある。自由に使える時間もある。生きるために不自由なことは一つもない。それなのに、何もやる気が起こらない。拭い去ることのできない虚無感がある。心や魂が停滞をしているように感じる時、それは、物語が停滞しているのではないだろうか。音楽が停滞しているのではないだろうか。

私は言葉が好きで、音楽が好きだ。私はオトが好きなのだと思う。書かれている内容と言うよりは、言葉のリズムやテンポ、聞き心地の良さや読み心地の良さ、オトの響き方に影響を受ける。人の話を聞く時も同じだ。新聞記事や教科書を読むように聞くのではなく、音楽を聞くように聞く。くだらない内容でも永遠に話し続けられることもあれば、有意義な内容のはずなのに席を外したくなることもある。好きになる人は、まず、声を好きになる。その人の声を、いつまでも聞いていたい音楽のように感じる。その人が話しているのならば、どのような内容であれ、それは素晴らしい音楽に変換される。鳥のさえずりや、雨の降る音など、自然の音に触れていると心は落ち着きを取り戻す。人混みの喧騒や工事中の騒音など、不協和音に触れていると内臓が壊れる。オトは、良くも悪くも、私たちの身体を突き抜ける。取捨選択をすることができない。好きでもない音楽が耳に残り続けることがある。取り去ることができない。マイナスの言葉を浴び続けると、それが自分の中で響き続ける。言葉も音楽も、オトは身体を突き抜ける。壁を壊すのではなく、壁を震撼する。

他人の物語ばかり読んでいると、自分の物語が停滞する。他人の音楽ばかり聞いていると、自分の音楽が停滞する。本当の物語や音楽には、自分も他人もない。ただ、物語がある。ただ、音楽がある。読み手と書き手の境界線はなくなり、歌い手と聞き手の境界線はなくなり、たった一つの主語を示す。私たちの物語を示す。私たちの音楽を示す。それが『詩』だ。一人一人の存在にしっかりと目を凝らすと、そこには必ず詩がある。一人一人の語りにしっかりと耳を傾けると、そこには必ず詩がある。物語は、歴史とは違う。経歴とは違う。履歴書に書けることではなく、履歴書に書けないことの中に、一人一人の物語がある。世の中から切り捨てられたとしても、物語から切り捨てられることはない。商品としての物語、商品としての音楽は、自分のことを見ないで済むことを目的に作られているために、一時的な憂さ晴らしにはなるのだが、私たちの物語を喪失する。私たちの音楽を喪失する。履歴書に書けることは増えるのだが、履歴書に書けないことは消えてなくなる。個人的なことの中に普遍的なものがある。個人的なことを取り除くと、普遍的なことも消えてなくなる。物語も、音楽も、消えてなくなる。

だが、物語が消えることはない。音楽が消えることはない。見えないだけ。聞こえないだけ。それは永遠に語られ続けて、それは永遠に流れ続けている。生きている限り、物語から自由になることはできない。音楽から自由になることはできない。物語に従う時、自由を得る。音楽に従う時、自由を得る。誰かを道具にするのではなく、誰かの道具になるのでもなく、物語の道具になる。音楽の道具になる。神の道具になる。愛の道具になる。自分が求める人生を生きるのではなく、人生から求められている自分を生きる。「俺が、俺が」となっている間は、たいしたことなどできない。自分が消えてなくなる時、物語が立ち現れる。音楽が立ち現れる。根源的な郷愁が立ち現れる。永遠の孤独が立ち現れる。存在の詩が立ち現れる。そこに、私たちがいる。私たちは、一人一人が物語のようなものであり、一人一人が音楽のようなものである。言葉で分化される以前の、一つのかたまりとしての物語。一つのかたまりとしての音楽。虚無になる以前の詩。そこに、私たちがいる。

夜空の星々を見て綺麗だと思う。星々と言っても、一つ一つの星は遠く離れている。もしかしたら、あの星も一人だなと泣いているのかもしれない。涙が、夜の闇を照らしている。星座を見る。違う時の、違う場所で、同じ美しさを担っている。一人だなと泣いているあの星も、離れて見れば一人きりではない。一緒になって輝いている。一緒になって照らしている。同じ美しさを担っている。人間が星だとしたら、意図を超えたところで、私たちは地上の星座を担っているのだろう。一人だなと泣いている星が、星座を作り上げる。この星の流星群を作り上げている。一つの物語を生きている。一つの音楽を奏でている。そこに、私たちがいる。自分が消えてなくなる時、物語が立ち現れる。音楽が立ち現れる。根源的な郷愁が立ち現れる。永遠の孤独が立ち現れる。存在の詩が立ち現れる。神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる精神の働き。霊感。そこに、私たちがいる。

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おおまかな予定

1月21日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

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坂爪圭吾

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