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山頂に漁業無線基地局 |
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マリンホーンで加入全船に一斉連絡をする平内町漁協職員。左は能登谷隆一事業部長=1999年1月19日、同漁協無線室で |
平内町漁協A支所「活貝出せないか?」
陸奥湾で船に乗っているホタテ養殖漁家B「いくら?」
A「500-600(キロ)」
B「う~ん、明日出すか」
A「忙しいだろうが頼む」
同町漁協の無線室にいたらこのような交信を傍受した。都会の消費者から漁協にホタテの宅配注文が来たため漁協は支所に連絡、これを受けて支所は消費者が希望している貝を持っている漁家に無線で出荷要請した、という場面だ。「マリンホーン(漁業無線地域情報システム)のおかげで、このような交信ができるようになった」。この無線設置にかかわってきた同漁協事業部長の能登谷隆一さん(53)は満足そうに語った。
漁協は以前、船上の漁家との交信に、出力1ワットの無線を使っていた。しかし、(1)交信内容が漁家みんなに傍受されるためプライバシーが保てない(2)基地局が夏泊半島東側の漁協本所(同町浅所)にあったため、電波が半島西側に届かない―など不便をかこってきた。
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なだらかな水ケ沢山。左側が山頂=1997年10月7日、水ケ沢土地改良区の水田から |
特にプライバシーの問題は深刻だった。「だれが、どのような貝をつくっているのか、それをどのくらい持っているのか、が無線交信でみんなに分かってしまう。カネに絡むことなので、ねたみなど感情の問題に発展する恐れがあった」と能登谷さん。
「これらを解決する無線がないものか」と考えていたところ、全国無線協会が千葉県でマリンホーンの試験をしている情報をつかんだ。FM電波を使うマリンホーンのメリットは電話と同じように一対一で通話ができることだ。回漁協は直ちに導人を決めた。事業費は1億2000万円。基地局は、夏泊半島の東側も西側もカバーできる、半島最高峰の水ケ沢山に決定。こうして1991(平成3)年、全国初のマリンホーンが開局した。
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水ケ沢山山頂に立っているマリンホーン基地局のアンテナ=1997年10月7日 |
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加人者は99年現在、平内町674局のほか、青森市など町外を含め計742局となっている。能登谷さんは「水ケ沢山に基地局を設けたので、陸奥湾内はすべてエリア内になった」と言う。
電話感覚で通話できるためプライバシーが保たれ、冒頭のようなやりとりが可能になった。さらに、家庭にも送受信機を設置、船と家庭との交信もできるようになった。ホタテ養殖漁家は、子供を家に残し夫婦で船に乗るケースが多い。このため、家にいる子供とマリンホーンで交信しコミュニケーションを保っている、という。また、緊急時に備え、海上保安部や県監視船も同じ装置を設置した。
プライバシーが保たれるため漁家からは好評。全国でも現在、湾口部を中心に15カ所でマリンホーンを導人している。平内町はそのさきがけになったのである。
養殖ホタテ発祥の地を標ぼうする同漁協。97年は4万3000トン、67億円、98年は3万8000トン、58億円-と単協としては2年連続でホタテの生産量・生産額とも日本一を記録した。「日本一のホタテを陰で支えている一つがマリンホーンなのです」と能登谷さん。
マリンホーンの基地局がある水ケ沢山に登ってみた。東北電カマイクロウエーブ中継地から登ること約20分。下北半島の山々や青森市浅虫が見渡せる山頂に基地局のアンテナが立っていた。同町のホタテ産業を支えるアンテナは、さりげなく立っていた。
<メモ> 平内最初の基盤整備地区
水ケ沢山の南側に、区画が整った60ヘクタールの水田が広がっている。ここが、平内町で最初に土地基盤整備が行われた所だ。基盤整備に出遅れた同町は1963(昭和38)年、同水田をモデル地区に決め、基盤整備を進めようとした。しかし、反対者が出て難航、水ケ沢地区土地改良組合が結成され工事に着工したのは68年で、70年にようやく完工した。以後、小湊、内童子、茂浦地区…と次々に水田の基盤整備が行われた。
(1999/2/26 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです
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