スプラトゥーンのチーム内で喧嘩をし、学んだこと
非常に気分が悪くなることが起こった。
スプラトゥーンの固定チームのメンバーとVCで話をしているときに「自分たちの編成を考え直そう」という方向性で話が固まり、「まずは各自の希望武器をチャット欄に書こう」というアクションが決まった。そこで僕は自分の希望武器を書き、他者の希望武器を見てから、こういう編成はどうだろうか? と提案をしてみた。するとチャットでチームリーダーの人から罵倒されたのである。各人の希望に沿ってない、早まったことをするな、ということを荒々しい言葉遣いで言われた。
僕はそこで頭に来て反論したが、他のメンバーの仲裁があったので、適当なところで妥協して、喧嘩腰になって申し訳なかったと謝った。するとそこで驚くべきことが起こった。
なんと相手は謝らなかったのである。それどころか何食わぬ顔で自分の罵倒のチャットメッセージを削除していた。これは本当に卑怯な手口だな、と思った。他のメンバーがあとでチャットログを見た時に、相手に不満を言ってるのは僕ひとりだけになるからだ。
そこで僕はチームを抜けることにした。
ところで、今回の出来事で僕はあらためて言葉というもののむずかしさを思い知った。特に方言というものの駄目な点を思った。
そのチームリーダーはふだんからVCで関西弁を喋っていた。方言は標準語よりもはるかに機能的であり、速いスピードで意思伝達ができる。それに比べると標準語は不器用だ。硬すぎるし、発音もリズムもよくないし、方言と比べてより多くの言葉を費やす必要がある。それはニュースのアナウンサーがしゃべる言葉なのであって、ふだんの会話に用いるのには不適当だ。
しかし、お互いに大きな溝のある他人同士が寄り集まって意思伝達をするさいには、そのような多くの言葉を費やす必要のある標準語がかえって好ましいのである。僕は関西の職場に八年間赴任していたが、同僚はほとんどが標準語をしゃべっていた。そして仕事を進める上で認識の齟齬がないようにと気を配り、小さなことも言葉を明確に使って確認をしながら進めていた。ある部署では、一番の成績を叩き出しているチームは、他のどのチームよりも話し合いをしていた。ネット上の、お互い顔を知らないもの同士が集まるチームなどでは、これは特に必要な傾向ではないかと思う。
コミュニケーションは、やはり「お互いに大きな溝がある」という前提でおこなわなければならない。僕も気をつけなければならないと思った。
それにしても、普通はコミュニティ内で人と喧嘩をしたら、いくら頭に来ても適当なところで怒りをおさめてお互いに謝って水に流すものだ。それが世間である。そんなことも分からない人がいるとは驚きだった。
ちなみにそのチームは僕が去ったことにより、リーダー以外の初期メンバーは全員いなくなったことになる。彼がそのことの意味をよく考えてくれたらいいな、と僕は願っている。