章解説

TRADITION

CHAPTER 1 伝統17世紀オランダから19世紀

ヨーロッパの美術史の中で、静物画が絵画の分野として確立するのは17世紀のことです。市民階級が台頭し経済的に発展したネーデルランドやフランドル(現在のオランダ、ベルギー)で盛んに描かれ、身の回りの品々はもちろん、富の豊かさを示すような山海の珍味、珍しい工芸品、高価な織物などが描かれました。一方で、砂時計や火が消えたロウソク、頭蓋骨など、人生のはかなさや死を連想させる事物を寓意的に描き、人々を戒めるための作品も描かれました。

ピーテル・クラース(1597-1660)《ヴァニタス》

1630年頃 油彩/板(樫) 40.0×60.5cm クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー© 2023 Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

「ヴァニタス」とは人生のはかなさや死を連想させる事物を描き、虚栄を戒めるメッセージを込めた静物画のことです。この作品でも時の移ろいを示す時計、命の短さを象徴する火の消えたロウソク、美のはかなさを暗示する萎れた花など、ヴァニタスの典型的なアイテムが描かれています。中でも髑髏は死を表す代表的なモティーフで、「メメント・モリ(死を忘れるな)」の象徴として多くの作品に描かれました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《麦わら帽のある静物》

1881年 油彩/キャンヴァスで裏打ちした紙 36.5×53.6cmクレラー=ミュラー美術館、オッテルロー © 2023 Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

人物を描く画家を目指していたゴッホは、はじめは静物画というジャンルを油彩の技術を磨くための「習作」とみなしていたようです。初期の静物画には、後に描くようになる花の静物画は数えるほどしかなく、瓶や壺、果物や野菜、靴、鳥の巣といったモティーフを、褐色や茶、黒を中心とする暗い色調で描いています。《麦わら帽のある静物》は、ゴッホ最初期の静物画で、油彩画に取り組み始めた時期の作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ髑髏どくろ

1887年 油彩/キャンヴァス 42.4×30.4cmファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

SUNFLOWER

CHAPTER 2 花の静物画「ひまわり」をめぐって

静物画の中で最も好まれる主題は「花」ではないでしょうか。花は人物と並んで人気の高い主題で、静物画の黄金時代である17世紀には花を専門に描く画家も活躍していました。ゴッホが活躍した19世紀、フランスの中央画壇では歴史画や人物画を頂点とした理念のため、静物画は絵画のヒエラルキーの下位に位置づけられていました。しかし花の絵の需要は高く、多くの画家が花の静物画に取り組んでいました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《赤と白の花をいけた花瓶》

1886年 油彩/キャンヴァス 65.5×35.0㎝ボイマンス・ファン・ブーニンヘン美術館、ロッテルダムMuseum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam

ゴッホが静物画を、とくに花の静物画を数多く描くようになるのは、パリ滞在中(1886~1887年)のことです。ゴッホ自身も手紙のなかで、1886年の夏は「花しか描かなかった」と語っています。モデル代の不足という経済的な理由に加え、色彩の研究のために花の静物画に取り組んでいたのです。《赤と白の花をいけた花瓶》は、パリ滞在1年目にあたる1886年に描かれたもの。厚塗りの絵具や重々しい色調は、印象派よりもモンティセリの影響を感じさせます。

アドルフ=ジョゼフ・モンティセリ(1824-1886) 《花瓶の花》

1875年頃 油彩/板 52.5×33.5㎝ クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー© 2023 Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

アドルフ=ジョゼフ・モンティセリは南フランスのマルセイユ出身の画家で、肖像画や静物画、優美な貴婦人や貴公子が集う「雅宴画」で知られています。ゴッホがパリに到着した1886年に亡くなっていますが、ゴッホと弟テオはモンティセリを愛好し、その作品も収集していました。ゴッホは技法的に多くをモンティセリに負っており、パリで描かれたゴッホの花の静物画には、モンティセリの作品との共通点を見ることができます。
Column

ひまわりをめぐって

北アメリカ原産のひまわりは、大航海時代にヨーロッパに伝わり、その華やかさから17世紀の静物画に早くも描かれていました。一方、1888年に描かれたゴッホの《ひまわり》は、ゴッホの生前から彼自身が、そして同世代の画家や批評家が認めたゴッホの代表作で、画家の死後には「ひまわり」そのものが、ゴッホのアイコンとして描かれるようになりました。

リヒャルト・ロラン・ホルスト(1868-1938)「ファン・ゴッホ展」図録

1892年 リトグラフ/紙 18.0×21.0㎝SOMPO美術館
※1892年にアムステルダムで開かれた「ゴッホ展」の図録表紙

カスパル・ペーテル・フェルブリュッヘン(子・1664-1730)《果物と花のある静物》

1690-1700年頃 油彩/キャンヴァス 40.3×32.8㎝スコットランド・ナショナル・ギャラリーThe National Galleries of Scotland
※中央にひまわりが描かれています

INNOVATION

CHAPTER 3 革新19世紀から20世紀

「絵画における事物の再現」という考え方は、印象派でピークをむかえたと言えるでしょう。「見たままを写す」という印象主義の考え方に疑問を抱いた画家たちは、色や形といった絵画の要素に注目し、それらを使っていかに二次元の絵画で自己を表現するかを追求し始めます。ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌら「ポスト印象派」と呼ばれた画家たちは、静物画でも新しく自由なスタイルを展開し、その姿勢は20世紀の画家に受け継がれていきます。

ポール・セザンヌ(1839-1906)《りんごとナプキン》

1879-80年 油彩/キャンヴァス 49.2×60.3㎝SOMPO美術館

「印象主義を美術館で飾られている作品のように、堅牢なものにしたい」と語ったポール・セザンヌにとって、画家が自由に対象を選択し、自らの意思で配置・構成することが出来る静物画は、格好の表現手段であったと考えられます。実際にセザンヌは初期から晩年を通じて多くの静物画を描いており、特に「りんご」を使った静物画を多数、制作しています。セザンヌ自身も「りんごでパリ中を驚かしたい」と、批評家に宛てた手紙の中で語っています。