ラナウェイズ

(この記事は2010年11月28日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver. 5」に掲載された記事の再掲載です)

このブログを書き始める前後5年間11回の日本遠征期間中に日本は大きく変わった。
半年くらい日本をあけてやってくると、その度にびっくりするほど静かになっている、という繰り返しだったのは同じだが、「変わった」のは日本で知り合いになったひとびとの方である。
もっとも大きな変化は、「日本から出て行くひと」が多くなったことで、これは初めの頃の頑迷なほどの「日本にいることへのこだわり」から考えると同じひとたちとは思えないくらい違う。
5年前は、ふつうの、たとえばニュージーランド人なら、ここまで政府や国家が怠慢ならばさっさとオーストラリアやカナダ、合衆国、というような他の英語国に引っ越してしまうのに何故日本人はそうしないのだろうか? と訊くと、「英語の壁が高いのさ」とか「なんだかんだいっても日本は日本人にとってはいちばん居心地がいいんだよ、ガメには判らん」とゆっていたのが、きっと懸命に考えた結果なのでしょう。
みなが示し合わせたように日本をでてゆく。

国の金で外国に留学に行くと、国に戻ってきて国家のために働く、という約束をしなければならないが、そういう約束で出かけても、たとえば合衆国の大学が「違約金」に当たるものを本人に代わって支払うことによって日本に戻ってこない、というのはよくある。
大学院を卒業して日本の会社と合衆国の会社の両方からオファーがあると、一も二もなく合衆国のほうを選ぶ。
こういう友人達は「日本では自分がやろうと思っていることをやらせて貰えないから」というのが理由です。
言葉を変えると、「年寄りが権力を握っていて、その年寄りがバカだから」と翻訳される。
話していて、例として多かったのはT芝ならT芝に呼ばれてゆくと「きみたちのような特別に優秀な人間は会社のほうでも考慮して4、5年で責任ある部署で自分の宰領で事業を取り仕切られるようにしますから」とゆわれる。
一方で、タダファーストクラス航空券が送られてきて「うちの会社を見においでよ」よゆわれて出かけたシリコンバレーの会社では「はいったら直ぐ、○○の事業をXX予算でやってね」とゆわれるので、T芝の担当者は気が付かなくても、聴いているほうは比較の問題として「T芝に行ってもしょーがないよね」と思う。
あとはシリコンバレーに行くと九段下の行きつけのラーメン屋に行けなくなる、とか、合衆国に行ってしまうとガメから直々に教わったチンポコ潜水艦が温泉でやれなくなってしまうではないか、とかいろいろ考えて煩悶するが、結局は仕事上のやりたいことがやれるということを優先してシリコンバレーに行ってしまうもののよーである。

あるいは青山のカフェのねーちゃんが突然テーブルの客の世話をぶちすててモニとわしのほうに走り寄ってくる、何事ならむ、とおもっていると、満面に笑みを浮かべて、「ガメさん、モニさん、来年はねええええー、ニュージーランドであえるよおおお」という。
まず手始めにワーキングホリデービザでニュージーランドに行って2年に延長して英語をおぼえながら就職先を探すのだ。
このあいだまで、ええええーニュージーランドって、歩いている人がみいいいんな英語はなしてるんでしょう? そんな怖ろしいとこ、よういかんわ、とかゆっていたではないか、というと、「だって、ここの会社の社長も店ごとオーストラリアに移す、ってゆーんだもん」と言います。
「先行きが、ないんだよ、日本は。ガメみたいに気楽にしていると日本じゃワカモノは食えないのだ」
..そーですか。

鮨屋のにーちゃんはシンガポールに移住し、髪結いのUちゃんはロスアンジェルスに引っ越してしまった。
なんだか、みな機会さえあれば外国へ移り住んでしまう。

むかし「日本には競争がない」と書いたら、「日本人が競争社会で必死で戦っているのに、何という事を言うのだ」と書いてきたおっちゃんがいたが、では具体的に日本社会のどこに競争があるかというと何も具体的には書いてこないのでした。
実際の戦争が銃や他の現代兵器によって戦われているのにカラテの型の完璧を競って「競争」と銘打っているのが日本の競争である、と書いたのに、「大学受験は効率の良い人間の選別方法である」と書いてくる。

椅子の上でずるっこけてしまう。

細かい事を省いて日本型の大学入試はセンター試験が導入されて二次試験と組み合わされる前には一応の意味があった。
入学試験が延々と延々と筆記して設問に答える体裁の頃には、受験者と採点者のあいだで一種の「知的能力を試す面接」が行われる、という機能があったからです。
わしは日本の大学の入試問題を解いてみたことがある

http://bit.ly/hRb60c

が、問題が大時代で笑ってしまうところがないとはゆえないが高校生の知的能力を試すには比較的に良い問題であったのをおぼえている。

問題は、ああいうタイプの問題がセンター試験のように選抜思想がまったく異なる試験と組み合わされていることで、センター試験のような試験は問題の程度を見ると「これが出来ないようでは大学にはいってから教育によって向上する見込みがないから諦めなさい」という試験であって、あれで高校生を選別するなら合衆国の大学のようにシゴキに近い新兵教育がなされるのでないと、どうにもならない。

社会に出てからは、まず性別が女であると、ドアが全部閉まっていて、あちこちうろうろしてみてドアをがちゃがちゃやってみても、開いているのは「結婚」と名前が書いてあるドアだけです。
その他のドアについては、「日本の社会のドアっちゅうのはチン○ンが鍵になっているから、あれがないとどこにも行けない」というドアを開けるところを思い浮かべるとすごく痛そうな比喩を使う日本人友達がいたが、ま、見ているとその通りで、産まれてこの方鍵をもたされていないほうも良く事情を知っているから、医学部を出て勤務医をやっていても寿退職をしたりする。
甘木医科大学では一学年120人の卒業生のうち30人が専業主婦、というジョーダンみたいな学年があるそーです。
離婚になったら眼科か皮膚科だし、というので、わしは日本では眼科と皮膚科にかかるのは熟慮を要するであろう、と考えました。

「競争がない」というのに現実に語弊を感じるのであれば、「競争の基準がヘンである」と言い直しても良い。
会社への忠誠が社内での滞在時間で決まったり、「人柄」で出世されるのでは、「競争」という言葉が泣くであろう。
そうやってなんだかヘンテコな競争を繰り返しているうちに日本の社会からは「生産性」というものが失われてしまった。

わしが知る限りでいまの日本に最も類似する歴史上の社会は崩壊寸前のソビエト連邦です。ニューヨークのクラブで、わしは元KGBでいまは国連広報で働いているおばちゃんから、モスクワ大学を卒業、というソ連ではトーダイ卒の千倍くらい馬力があるステータスをもちながら結局は合衆国に亡命するに至る物語をわくわくしながら聴いたが、その背景をなすソビエト連邦の国民の不満に答えるための社会保障にこだわりすぎて社会の生産性がみるみるうちに損なわれ、最後になると価値が100の材料から80くらいの価値の物品が生産される、という笑えないマンガのような社会を体現するに至った共産主義というものの痛ましさの強い印象をいまでもよくおぼえている。

ソビエト人も最後の瞬間までまったく危機意識をもたなかった。
財政的には当時「世界の金の半分をもっている」とゆわれていた金を市場で投げ売りして常に危ない所を逃れていたからです。
しかし、ある日突然「ガソリン」というものが街から姿を消してしまう。
このころ東欧で突然民主化運動が爆発的に表面化したのにソ連が戦車を派遣して弾圧しなかった事が世界中を訝らせたが、その理由が「戦車を走らせる軽油を買う金がなかった」からなのは、いまでは有名です。
弾圧にも無論金はいるのだ。
プラハに走らせる戦車の燃料も購えないほど、ソ連の生産力が落ちていることに、誰も気付いていなかった。

「なんとなく、大丈夫、と思っていたのよ」とKGBおばちゃんは、口惜しそうに顎をひいて言う。
「ロシアのような大国が滅びるわけはない、と思っていたのに」

やなことを言うようだが、競争原理の不在、官僚制の非合理化、政治の政局化、 富の再分配の失敗、国家戦略の陳腐化、危機意識の欠落…わしはいまの日本はさまざまな点でソビエト連邦に似ていると思います。

だから、シリコンバレーで空也のモナカを恋しがりながら働いているKさんや、カリフォルニアの、アルデンテがとうに鍋のなかで溺死した、量ばかりが無暗に多い、へろへろなスパゲティを呪詛しながら日本のイタリア料理に恋い焦がれているRさんのような「本来、日本しか好きでないのにやむをえず移住したひとびと」は、さまざまな形、自分の観点から判りやすい言葉で、日本の最終的な危機の段階を検知しているのかもしれない。

しかし、やがて日本が大瓦解を遂げるとき、日本を再建するのはそうやって他国で生産性の高いやりかたを身に付けたあと空也のモナカが食べたい一心で経済的廃墟と化した日本に戻ってくるKさんや、その頃は多分一皿がバカインフレで18万円とかになっているであろう高樹町アントニオのカルボナーラを「これだ!パスタはアルデンテだ!ぬはははは」と叫びながら夜毎食べに現れるであろうRさんたちであるに決まっている。

だから「ラーメン二郎」のてんこ盛り野菜を夢に見て枕を濡らしながらレッドウッドのアパートで眠るトーダイ大学院修士課程修了の若いコンピュータ屋や、新しく出来たこのボーイフレンドは、やさしくていいやつだが自分の小さい部屋にはでかすぎて邪魔だなあ、でも付き合いが長くなりそーだから日本語をしこまなくちゃ、と思いながら日本に残った友達に最近は原宿のPでどんなブーツが流行っているか教えてくれ、というメールを書いているヘアドレッサーのねーちゃんたちには、「将来の日本」という希望がいっぱいに詰まっている。

彼等が海外に住むことによって発見するだろう日本の良い点こそが、いろいろな夾雑物のボロをまとった日本の姿の向こうにある「本当の日本の美」であるよーだ。
彼等が海外で育てた「良い日本」の苗をもちかえって、日本の土に植えかえて、大樹に育つまで、この日本という国は苦難の連続に決まっているが諦める必要もまたないと思う。

わしはいろいろ考えてみたが、いま海外にいる若い日本人にこそ未来の日本の希望があるのだと考えました。
彼等がインターネット上で「国を捨てて逃げるのか」と件のバカバカなひとたちに言われ、「そんなに日本が嫌ならもう戻ってくるな」というお決まりを通り越して退屈な罵声を浴びているのをわしは知っている。
でも、いままで日本にいて観察した日本人の心性によれば、そのバカ同胞を救うためにやはり彼等は戻ってきそうな気がする。
日本のひとの「共生」「共感」の力には、そういう訳の判らない神秘的なところがあるようです。

だから、わしはこのサーバの片隅に、そっと書きとめておこう。
いまは無茶苦茶ゆわれてるけど、きっとあなたたちが日本には必要なんです。

がんばれ、家出日本人。



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3 replies

  1. 2010年の記事ですか。
    その頃は帰ろうと思っていました。

    今のところ家出したまま過ごします。

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  1. スタートライン – ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.7

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