戦争にも戦闘にも争闘にも闘争にも
殴り合いにさえ疎い脳内妄想の病者
は、情勢も状況も刻一刻と変化し、
過去の取り決めも確認事項も遺棄さ
れたり変質したり追加されたり改変
されるという事に頭は回らない。
知力が覚束ないから理解ができない。
まして、表に発した裏での取り交わ
し事情の真実などには到底考えが及
ばない。
無論、それは高度な政治判断での
相互合意による和解収束と、外への
擬似的発信による鎮静化行動という
真実さえも見抜けない。
それらの脳が幼稚な愚者は過去の
事例をいつまでもバカの一つ覚え
で掲示して鬼の首を取ったような
つもりになる。バカだから馬鹿の
覚えしかできない。それのみ。
当事者たちが高次元に対処した世界
観とは全く別物の世界にうごめく
知力の低い俗人。
当然、知力だけでなく政治力も経済
力も戦闘力も軍事力も無いだろう。
ある者はそれはしない。
公けの場で確実な違法犯罪行為を
続けているという自覚もない暗愚は
救われない。
しかし、そんな哀れな愚者にも、
この暖かい社会は救済の手を差し
伸べてくれる事だろう。
だが、汚濁の場での愚者の寄り合い
がその救済かと思い込むとしたら、
救われる術は存在しない。
あとは、医師の処方を待つばかりだ。
一方、戦史は傭兵と民兵以外の軍
隊ではどこでも学ばせる。
自衛隊などはかなりきっちりと戦
争の歴史を学習させる。
古今東西のあらゆる戦争の歴史に
おいて、条約は常に一方的に破棄
されて来た。
「綺麗な戦争」などは存在しない。
愚かな事だが、これが歴史の事実
だ。
こちらはこちらで、かなり意地汚
い事がそれぞれの「正義」として
敢行される。
これもまた暗愚の極みだ。
そして、戦争は「準備」される。
誤報を誤報としてではなく垂れ流
しにする。
その行動が国家において開始され
たら、段階が戦争準備段階に入っ
たと確定できる。