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BLUE MARBLE1 L1 デジタル時代の友情


Part1

あなたたちは高校生になりました。
ワクワクする人もいれば、緊張する人もいます。
「友達何人できるかな?」
「真の友人を見つけられるだろうか?」
あなたたちは教室に入り、何人かのクラスメートと話します。
お互い気に入ったなら、
後でソーシャルメディア情報(LINEアカなど)を交換することができます。

以前は友情はゆっくりと育つものでしたが、今ではまったく異なります。
オンラインで友達になれば、いつでも連絡を取ることができます。
さらに、ソーシャルメディアは、趣味、好きなもの、経験など、
友達に関する多くの情報を提供してくれます。
ソーシャルメディアのおかげで、
以前よりも早く親密になることができます。
これはデジタル時代の友情の特徴の1つです。


Part2

友達を作る機会はたくさんあります。
これは、インターネット時代の友情のもう1つの特徴です。
ソーシャルメディアを通じて、
世界中の誰とでも簡単につながることができます。

たとえば、オンラインでより多くの人々と
あなたの夢や興味を共有することができます。
時には学校であなたと同じ趣味の友達が見つからないこともあります。
しかし、オンラインの世界では、
同じような興味を持つ人々を見つけることができます。

さらに、あなたはあなたの悩みや問題を
オンラインの友達と共有することができます。
学校の友達と私的な問題やデリケートな問題について
話したくない人もいます。
しかし、あなたがオンラインでコミュニケーションをとるなら、
あなたの「友達」はあなたに良いアドバイスをくれるかもしれません。


Part3

ソーシャルメディアの世界には、良い点だけでなく悪い点もあります。
それどころか、オンラインの友情は面と向かった友情よりも繊細です。
たとえば「友達」は、よく考えないでお互いを攻撃しあうことがあります。
彼らは過剰反応し、オンライングループから誰かをブロックするかもしれません。
さらに、偶然または故意に誰かの個人情報を晒すかもしれません。
オンラインコミュニケーションは時に人々を不幸にしたり悲しませたりします。
したがって、オンラインの世界では非常に注意深くする必要があります。

これらのネガティブな点を回避できれば、
ソーシャルメディアはとても役に立ちます。
より多くの友達を作り、より早く親密になることができます。
今日、他の人とつながる方法はたくさんあります。
あなたはこのデジタル時代にどのように友達を作りますか?

BLUE MARBLE1 L2 万博:過去、現在、そして未来


Part1

国際博覧会、つまり万博は、私たちの未来のためのアイデアを紹介する大規模な公開フェアーです。
各国は独自の製品や新技術を展示します。
最初の万博は、170年以上前の1851年にロンドンで開催されました。

1867年のパリ博で、日本は最初の万博に参加しました。
来場者は日本の展示に魅了されました。
彼らは特に浮世絵、着物、そして和風の家屋を楽しみました。
西洋人にとって、アジアンスタイルの生活は、新しくて興味深いものでした。
その後、ヨーロッパ中でジャポニズムが流行しました。

約100年後の1970年、大阪でエキスポ70、万国博覧会が開催されました。
それはアジア初の万博でした。
このイベントは6か月間続き、大成功を収めました。
開催最終日までに、世界中から合計6400万人以上が訪れました。


Part2

ロンドンでの最初の万博以来、万博は人類の進歩を披露してきました。
万博からいくつかのメリットを得ることができます。
たとえば、大阪で開催されたExpo ’70を見てみましょう。

一つめに、新しい技術を一般に紹介することができます。
人々は無線電話に驚いて、それを「夢の電話」と呼びました。
これが携帯電話の誕生につながりました。

二つめは、開催国が経済発展を遂げることができます。
万博の来訪者は多くの方法で地域経済を活性化しました。
さらに、このイベントのために高速道路、地下鉄、モノレールが建設されました。

第三に、いくつかの新製品は万博を通して人気を博す可能性があります。
エキスポ70開催の1年前、世界初の缶コーヒーが日本で発売されました。
それは、最初は人々の注目を集めませんでした。
しかし、万博で紹介されてから大人気となりました。


Part3

ここまで見てきたように、万博は多くの素晴らしい機会を提供します。
しかし近年、万博の焦点は変わりつつあります。

今日、世界は貧困、戦争、環境問題など多くの問題に直面しています。
これらの問題に対処するために、
国連は2015年に17の持続可能な開発目標(SDGs)を設定しました。
これらの目標を掲げることで、(国連は)全世界的な協力を通して2030年までに
世界をより良くすることを望んでいます。
万博は、変革を起こすための良い機会になる可能性があります。
世界中の知識で社会問題を解決することができます。

万博は、国際的な協力のための素晴らしい機会を提供します。
したがって、万博はグローバルな目標を実現する上で役割を果たすことができます。
あなたなら次の万博でどんな未来をデザインしますか?

BLUE MARBLE1 L3 プロの語り手の魅惑的な世界

Part1

「私は日本人になりたいのです。」
そのアメリカ人女性はインタビューの冒頭でそう言いました。
彼女の芸名は旭堂南春、プロの講談師です。
講談は、日本の物語を聞かせる伝統的な様式です。
講談師は、ドラマチック(劇的)でリズミカル(律動的)な歌によって、
日本の歴史物語を(暗唱し)語り聞かせます。
彼らはまた、物語中の盛り上がり(強調)を示すために
革張りの張り扇で低い釈台を叩きます。
(パパン!、パンパンパア~~ン!)

南春はアメリカの大学で日本語を熱心に勉強しました。
卒業後、彼女は英語教師として来日しました。
彼女は着物、居合道、そして文楽、能、落語などの伝統芸能を楽しみました。
ある日講談の講演に初めて参加し、彼女は深く感動しました。
「これだ! 私は講談師になりたい」その時、彼女はそう思いました。
2013年、彼女は師匠である4代目旭堂南陵によって
旭堂南春と名付けられました。


Part2

南春はインタビューで講談について議論します。

インタビュアー:
なぜそんなに講談に惹かれるのですか?

南春:
いくつか理由があります。
まず、講談での美しい手の動きに感心します。
初めて講演を見た時、
演者は咲き誇る花を表現するのに、
とても優雅なジェスチャーを用いました。
次に、講談師の顔の表情が大好きです。
彼らはサムライの大胆さや悪魔の邪悪さを巧みに示すことができます。
すべての登場人物が鮮やかに描写されているので、
観客は講談の物語をはっきりと思い浮かべることができます。
私にとって講談は、非常に独創的な世界です。

インタビュアー:
すごい!あなたは本当に講談の創造性に惹かれているのですね。

南春:
はい、でも私は講談の物語自体も大好きなんです。
日本の歴史には非常に多くの興味深い人物が存在します。
彼らはみな、講談師によって写実的に(リアルに)表現できます。
私は坂本龍馬の大ファンで、
彼の劇的な人生について物語るのは本当に楽しいです。


Part3

インタビュアー:
講談を演じるにおいて何か難しさはありますか?

南春:
もちろんあります。
英語の話者として、さまざまな課題があります。
りゃ/りゅ/りょのような日本語の音は特に難しかったです。
私はこれらの音を習得するために、
カラオケボックスで大声で講談を練習しました。
また、昔の日本語が理解しづらいこともあります。
ある時、『威風凛然』のニュアンスを表現できませんでした。
その意味を英語で学んだ後でも、なかなか伝えられませんでした。
ですから、私は日本と日本語についてもっと学ぶ必要があります。

インタビュアー:
それは理にかなっています。
日本の観客の前で講演することについてどう思いますか?

南春:
彼らは素晴らしいですが、
時に彼らの感情を知るのが難しいことがあります。
大抵は、観客の雰囲気に合わせて講談ごとに微調整する必要があります
観客がリラックスしていれば、私は自由に演じられます。
しかし、観客が少しばかりシャイな時は、
私の世界に引き込むために一層努力せねばなりません。


Part4

インタビュアー:
講談師として次の目標は何ですか?

南春:
そうですね、講談で長く仕事を続けていきたいです。
そのため、私は日本の永住権を取得しました。
私にとって日本の歴史は魅力的ですが、
他のすべての人にとってそうとは言えません。
ですから講談を演じることで、
これからも日本文化の素晴らしさを共有していきたいと思います。
講談がこの国全体で、もっともっと人気になることを願っています。

インタビュアー:
日本の高校生へのメッセージはありますか?

南春:
はい、あります。
夢を持つことを恐れないでください。
あなたが成功してもしなくても、
自分自身に挑戦することであなたの人生は豊かになります。
時に他人は、あなたの夢の実現が難しすぎると考えて、
あなたに反対するかもしれません。
龍馬はかつてこう言いました、
「人が私について否定的なことを言おうとも、
 私は自分を信じ続ける」と。
実際の言葉→『世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る』
私は毎日これらの言葉を自分自身に言っています。

BLUE MARBLE1 L4 ユニークな方法で行動を変容させる 


Part1  どうすれば人々の行動を変えさせられるでしょうか?

1
人々の行動を変える必要がある場合、
私たちは何をすべきでしょうか?
一般的なアプローチ(取り組み方)の一つは、
サイン(標識など)で人々にどうすべきかを伝えることです。
しかし、経験からわかるように、
サインはたまにしか機能しないようです。
何か新しいアプローチを見つける必要があります。

2
たとえば、ファイルボックスを棚に
正しく戻してもらうにはどうすればよいでしょうか。
(get O to ~ = (説得して)~してもらう)
写真1を見てください。
複数のファイルボックスの背表紙を
突き通すように一本の線を引くと、
どこに置けばよいかがわかります。
子供たちにおもちゃを片付けさせてみませんか?
(make O 原型 = (強制的に)~させる)
そうですね、写真2にあるように、
おもちゃ箱の上にバスケットボールの輪っかを置きます。
そうすれば、子供たちは
おもちゃを箱に投げ入れたいと思うでしょう。

3
これら2つの例は、人々の行動を変えるための間接的な方法です。
それらは人々が進んでより良い行動をとるように促します。
このようなアプローチ(取り組み方)は、
仕掛け、つまりトリガーと呼ばれます。


Part2  どうすれば効果的なトリガーを作れますか?

4
他にもいくつか例を見てみましょう。
どうすればエスカレーターの代わりに
階段を使ってもらえるでしょうか?
スウェーデンの鉄道駅で、ある実験が行われました。
そこの階段はピアノの鍵盤のようにデザインされました。
人が(階段を)上ると、それらは人の足によって
ピアノのような音を出しました。
「ピアノ階段」の実験は大成功でした。
より多くの人が階段を使うようになり、
よって、より多くの運動がなされました。

5
「世界一深いごみ箱」と呼ばれる、
もう一つのトリガーがあります。
ゴミ箱にはセンサーが付いていて、
ゴミを入れると長い落下音がします。
(=ゴミを入れると長い落下音を出すセンサーが付いていました)
多くの人がもう一度その音を聞きたがったので、
さらに多くのゴミを投入しました。
この特殊なゴミ箱は、通常のゴミ箱よりも
はるかに多くのゴミを集めました。

6
どうすればこのような効果的なトリガーを作り出せるでしょう?
独自のやり方で物事を組み合わせると、
新しく、柔軟なアイデアが生まれることがあります。
このことが、私たちに 
今までと違うポジティブな方法で
行動するモチベーションを与えてくれます。
(communicate = コミュニケーションする、と訳してよいなら、
 motivate = モチベーションを与える、
 inspire = インスピレーションを与える、もOKでしょう。
 奇怪な日本語にするより、英語上達の早道かもしれません!)


Part3  社会問題をどう扱えばよいでしょうか?

7
社会問題を扱うときは、柔軟な視点が必要です。
たとえば、かつて南アフリカでは
多くの子供たちが病気で亡くなりました。
それは手を十分に洗わなかったためでした。
子供たちに定期的に手を洗わせるために、
それぞれの石鹸の中におもちゃを一つ入れました。
子供たちはそのおもちゃを手に入れたいために、
熱心に手を洗うようになりました。
この成功したプログラムで使用された石鹸は
「ホープソープ」と呼ばれました。

8
別の例を見てみましょう。
1995年、阪神淡路大震災後に
100万人を超えるボランティアが支援に向かいました。
しかし、ボランティアの持つスキルと被災者のニーズを
一致させることが困難でした。
(teacher's room → 一人の先生の部屋 
 teachers' room → 複数の先生の部屋
 発音できない2個目の"s"は省略されます。)
その後この問題を解決するために、
できますゼッケンが作られました。
(注:ゼッケンは日本語、似た英語にbibがあります。)
ボランティアは自分のスキルを紙に書き、
それを背中に貼りました。
できますゼッケンは今なお人と人をつなぎ(マッチングさせ)、
被災地におけるコミュニケーションを推進しています。


Part4  「ソーシャルデザイン」とは何でしょうか?

9
これまで見てきたように、社会問題は
トリガーのような柔軟なアプローチで解決することができます。
これは「ソーシャルデザイン」と呼ばれていて、
日本の地域社会の多くで見られます。

10
青森県の有名な稲作地帯である田舎館村を例にとってみましょう。
何年もの間、そこには特別な観光スポットが何もありませんでした。
1993年、村人たちは田んぼをアートとしてデザインし始めました。
現在、これらの美しい田んぼは
毎年25万人以上の訪問者を引き寄せています。

11
もう一つの良い例がここにあります。
熊本城は興味深い方法で改修資金を集めています。
寄付者は自分の名前を「城主」として登録できます。
2016年の震災から半年で修復のために2億円近くが集められました。

12
私たちのコミュニティをより良い方向に変えたいのであれば、
柔軟なアプローチが必要です。
ソーシャルデザインを活用して、
自分たちのコミュニティを改善していきましょう。

ブルマー1 L5 平和への旅


Part 1  ルイーズにとって日本の何が驚きでしたか?

1
あなたはルワンダについて聞いたことがありますか?
それは中央アフリカにある自然がとてもすばらしい国です。
マリールイズ・カンベンガはルワンダ出身の平和活動家です。
彼女は村で高校を卒業した唯一の女性でした。
彼女は家政学を学び、卒業後に洋裁の教師になりました。
彼女の学校には、一人の日本人ボランティアがいました。
彼女は日本での実習生としてルイーズを推薦しました。

2
1993年,ルイーズは洋裁を学ぶ実習生として福島に来ました。
日本でホストファミリーと暮らすことは
彼女にとってまったく新しい経験でした。
ルイズは高齢女性が新聞を読んでいるのを見て、
本当に驚きました。
彼女はそのような光景を一度も見たことがありませんでした!
ルイズはまた,日本の教育制度、
特にすべての子どもへの無料の義務教育にも感銘を受けました。
ルワンダでは多くの貧しい子どもたちは学校へ行けませんでした。
1994年、興味深い10か月の実習を終えて、
ルイーズはルワンダにいる夫と子どもたちの元へ帰りました。


Part2 ルイーズがルワンダに戻ったとき何が起こりましたか?

3
彼女が戻って2か月後に、突然彼女の人生が変わりました。
ある晩、ルイーズと家族は大きな爆発を聞きました。
彼女は日本からの電話を受けるまで、
自分の国で何が起こっているのか知りませんでした。
彼女のホストファミリーは、
ルワンダ大統領が暗殺されたことを彼女に伝えました。
この国は混乱に陥りました。

4
20世紀初頭、ルワンダの人々は
ベルギーの統治者によって分割され、
互いに対立していました。
これらのグループは互いに戦い始めました。
大統領の暗殺後、事態はますます悪化しました。
人々はただ違うグループであるというだけで、
自分の親戚さえも殺しました。
この混乱がジェノサイド、
つまり大量殺戮を引き起こしました。

5
ルイーズと彼女の家族はルワンダから
脱出しなければなりませんでした。
国境へ向かう途中、
彼らの周りすべてに死がありました。
恐ろしいことに、彼らはまさに目の前で
若者たちが殺されるのを見ました。


Part3 ルイーズが多くの難民を救えたのは、
どんなアイテムのおかげですか?
(=どんなアイテムがルイーズが 多くの難民を救うことを可能にしたか?)

6
ついに、ルイーズと彼女の家族は
コンゴの難民キャンプの1つに到着しました。
しかし、そのキャンプは地獄のようでした。
人々は十分な食料を見つけられないので、
生き残るために草を食べねばなりませんでした。
毎日多くの人が亡くなりました。

7
ある日、ルイーズが日本にファクスを送るため列に並んでいたとき、
一人の日本人ボランティアの医者が彼女に話しかけてきました。
彼はルイーズの持つ紙に平仮名が書かれているのに気づいたので、
彼女がいくらかの日本語を知っていることが判りました。
彼は彼女にキャンプで通訳として働けるかどうか尋ねました。
信じられないことに、彼女がルワンダから脱出したとき、
彼女のかばんには日本語辞書が入っていました。
(過去完了had + p.p.  その時すでに~であった)
この予想外のアイテムのおかげで、彼女は通訳として働き、
他の多くの難民を救うことができました。
(=この予期せぬアイテムは彼女が~することを可能にしました。)

8
ルイーズと彼女の家族は6ヶ月間キャンプに滞在しました。
その後、日本の友人たちのおかげで、
彼女は家族と一緒に再び日本へ来ることができました。
彼女はついにこの恐ろしい内戦から脱出しました。


Part4 ルイーズによると、平和への鍵は何ですか?

9
ルイーズは、ルワンダ内戦は教育の欠如によって
引き起こされたと信じています。
ルワンダの人々は戦争中に、たやすく操作されていました。
言い換えれば、彼らは正しいことと間違ったことを
区別することができませんでした。
彼女は、教育が将来の戦争を防ぐための鍵であることを認識しました。
教育が一つの村に平和を生み出せたなら、
教育はやがて平和な国を築くこともできます。

10
この知識をもとに、ルイーズは
ルワンダに子供たちのための学校を設立しました。
たとえお金がなくても、すべての子供たちが
この学校に通うことができます。
その後、若者たちの考え方は変わりました。
かつて、ルワンダの子供たちは夢について聞かれると、
「僕は大人になるまで生きていられるの?」と言いました。
今、ルワンダの学校の子供たちは
未来への夢を持っています。

11
現在ルイーズは日本に住んでいます。
彼女は教育を通してルワンダの虐殺を生き残りました。
彼女は自分の経験を
ルワンダと日本の両方の人々と共有し続けています。

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