1995年にニューヨークで出会った音楽家、故・坂本龍一に次いで、岸博幸氏が多大な影響を受けたのが、元内閣総理大臣・小泉純一郎氏と、小泉内閣で経済財政担当大臣を務めた竹中平蔵氏の“コンビ”である。「聖域なき構造改革」を推進した政治家と経済学者と共に汗をかいた5年半の間に、どんな学びがあったのだろうか。
任せたら、その判断を支持し、最後までやりきらせる
2001年、小泉純一郎氏が第87代内閣総理大臣に就任し、第一次小泉内閣が発足。その時、経済財政担当大臣として経済学者の竹中平蔵氏が起用され、岸氏はその補佐官に任命された。以来、2006年9月に小泉氏の自民党総裁任期満了に伴って総辞職するまで、岸氏は、このコンビと共に内閣運営に携わることとなる。
「お二人からは、さまざまなことを学ばせていただきました。影響を受けたことはあり過ぎるくらいですけど、一番大きかったのは、上に立つ人間はどうあるべきかを教えてもらったことですね。リーダーはかくあるべきというのを、目の前で見せてもらった5年半でした」
小泉氏は、「構造改革なくして景気回復なし」を唱え、バブル崩壊後の景気低迷にあえぐ日本経済立て直しに取り組んだが、その本気度は、経済学者であり、政治とは無関係だった竹中氏を経済財政担当大臣に起用したことからも伺える。
「小泉さんは、『自分は金融のことはわからない。だから、竹中さんに任せる』と明言していました。そしてそれを、本当に実践していたんですよ。第一次小泉内閣が最初に挙げた成果は不良債権処理ですが、あの時のりそな銀行への公的資金注入もそうでした」
バブル崩壊後、不良債権を抱えて苦しんでいた金融機関を立て直すべく、竹中氏は金融再生プログラムを策定。そのもとで小泉政権が行ったのが、自己資本比率が2%と悪化していた、りそな銀行に2兆円の公的資金の注入である。
「2兆円ですからね、政治家としては相当な覚悟が必要だったと思いますし、金融庁からは反対する声も出ていました。りそなの状況はそこまで悪化していないと、間違ったデータを示す官僚もいたくらい。でも、小泉さんは、竹中さんの言葉を信じて、即決したんです。
自分が信じた人間にとことん任せ、その人が判断したことは疑わず、最後までやりきらせる。昔の将軍って、きっとこんな風だったんだろうと思いました」
部下を全力で守り、気遣う。だから、信頼される
そうした器の大きさに加え、小泉氏は細やかな気遣いができる人でもあったと岸氏は語る。政界では“竹中下ろし”が画策された際、その動きを事前に察知した小泉氏は、「我々に近しい人から『郵政民営化を成功させるために身を引いてくれ』という話を持ち掛けられるだろうが、聞かなくていい」と、竹中氏に伝えたのだとか。
竹中氏辞任と引き換えに郵政民営化への協力を持ち掛けられたわけだが、たとえ悲願達成のためであっても、決して部下を犠牲にはしない。小泉氏のこの行動には、そんなリーダーとしての矜持が見て取れるうえに、部下の状況に常に目を配り、慮るやさしさも感じられる。
「竹中さんもそういうところがあるんです。実は、郵政民営化に関して僕にまつわるスキャンダルを捏造されたことがありまして。僕は、いくらでも国会で証言してやる!という気持ちでいたんですが、竹中さんが『君が答弁に立つ必要はない。全部自分がやるから』と言って、僕を守ってくれたんですよ。
仕事ができるリーダーはいくらでもいます。だけど、心から信頼でき、この人のために力を尽くそうと思わせるリーダーはそうはいません。小泉さんと竹中さんには、上に立つ人間、世の中を変えようとする人間は、こうでなければいけないというのを教えてもらいました。
自分も今、大学院の研究室ではリーダーという立場にいます。自治体や民間企業とのプロジェクトも手掛けているんですが、基本的には学生に任せ、問題が起きた時は自分が全責任をとるというスタンスでいます。その前提として、学生がしっかりできるかどうか、目を配る必要がある。どれも、小泉政権時に学んだことです」
小泉政権総辞職と、竹中氏の議員辞職を機に、経産省を退官した岸氏。その後、マスコミにも活躍の場を広げるのだが、そこで、さる大物タレントと出会い、“テレビに出る人間”として教えを乞うことになる。次回(9月3日10時公開予定)は、そのエピソードを教えてもらおう。