井山名人、中国ルールに泣く 日中の違いが分かれ目に
まずは、中国ルールの基本的な考え方から。ナショナルチーム「GO・碁・ジャパン」のコーチを務め、中国ルールにも詳しい張豊猷(チョウ・リユウ)八段によると、日本ルールが「どれだけ地を囲うか」を競うのに対し、中国ルールは「盤上をいかに占有するか」を争うのだという。「自分の地と自分の生きている石を合わせて、盤の半分以上になれば勝ち」という考え方だ。
a図をご覧いただこう。5路盤で、このように終局した場合、日本ルールでは「左側の黒で囲った地7目に対し、右側の白で囲った地が6目で、黒の1目勝ち」となる。
これに対し中国ルールでは「黒が占有するのは囲った地7目と盤上の6子で合わせて13。5路盤の勝敗の分岐点は目の総数25の半分の『12と2分の1』なので、黒の『2分の1』子勝ち」。1子は日本の2目に相当するので、結果は一緒。考え方は違っても、打っている石の数が一緒なので、結果はほとんどの場合変わらない。
今回は極めて特殊なケースだった。終局図の一部であるb図をご覧いただこう。白の一団に眼形はないが、互いに手を出せず「セキ」の状態にある。
問題はAの地点だ。日本ルールではセキのところは勘定しないため、黒Aは意味のない手だが、中国ルールでは、黒だけがAに打つことが可能で、黒の1目になる。そして、この1目が響いて陳の勝ちとなったのだ。
世界戦の経験豊かな井山は、もちろんルールの違いを承知していたが、この碁では、小ヨセに入るまで失念していたという。わかっていれば別の選択肢があったのは確かで、「日本ルールなら最善のヨセ」が、かえってアダとなってしまったようだ。世界戦の優勝を渇望するファンの間では「惜しい」の声が聞かれるが、井山自身は、「もっと前に勝つチャンスが何回かあり、それを逃した方が問題」とクールに分析している。
張八段によると、こうしたケースのほかに、終盤の何でもない半コウ争いで、中国ルールの特殊性を知らないと損する場合があるという。
また、先手の黒番に負わされるハンディであるコミの違いもある。日本では現在、6目半だが、中国では7目半。5目半から移行するとき、「1子(=2目)が基準の中国では、7目半にするしかなかった」(張)のだが、この1目差は、ハイレベルの戦いの中では大きく、序盤の打ち方から変わってくるという。
もともと、囲碁の世界戦を始めたのは日本で、当然、すべて日本ルールだった。世界選手権・富士通杯がスタートした1988年当時、棋力の点で日本が中国や韓国を圧倒しており、「世界一を争うというより、日本のトッププロが中韓の棋士に胸を貸す」ぐらいの雰囲気だったという。
実際、5回目までは日本勢が優勝していたが、6回目以降、韓国勢が台頭してくる。主役は李昌鎬(イ・チャンホ)九段と、それに続く李世●(石の下に乙、イ・セドル)九段。両者を中心に98年からは韓国勢が10連覇した。96年に三星火災杯世界マスターズ、97年にLG杯世界棋王戦と、韓国主催の世界戦が相次いでスタートしたのも、こうした棋士の活躍が背景にある。
韓国の棋戦は日本ルールで実施しており、2002年にトヨタ&デンソー杯世界王座戦がスタートしたあたりでは、世界戦はほとんど日本ルールで運営されていた。99年に始まった中国主催の春蘭杯世界選手権戦が中国ルールで行われていたのが、むしろ例外的な事例だった。
しかし、ここ5~6年の間に状況は様変わり。陳を含めて世界チャンピオンを狙える力のある若手が少なくとも20人はいるといわれるほど中国では若手の台頭が著しく、それに合わせるかのように中国主催の世界戦が次から次へと登場している。百霊杯世界オープン戦、夢百合杯世界オープン戦、珠鋼杯世界団体選手権などのほか、女子の世界戦も複数できており、当然のことながら、すべて中国ルールだ。
また、中国の甲級リーグ、乙級リーグといった国内リーグには韓国や日本のプロ棋士も参加しており、日韓の棋士が中国ルールに接する機会は、増えている。
富士通杯は11年を最後に、トヨタ&デンソー杯も09年を最後に終了してしまったため、日本の棋士が世界を舞台に戦おうとすれば中国、韓国で頑張るしかないのが実情だ。ハイレベルの戦いになればなるほど、1目の損得が勝敗に影響してくるのは確かで、トップ棋士たちにとっては、中国ルールを熟知することも大切なポイントになりそうだ。
(編集委員 木村亮)