ドイツ人と日本人の歴史観
戦後の日本人が教わってきた歴史は、米国の書いた正史だ。それによれば太平洋戦争は、「軍国主義に走り、アジアの征服を試みた日本に米国が鉄槌を加えた」もので、だからこそ、無辜の民間人の上に原爆を2発も落とされても、東京空襲で一夜にして民間人を含め10万人を殺されても、日本人は何も言わない。
政治家が、なぜ米国はこのような戦略的に無意味な殺戮に踏み切ったのかなどということを一瞬でも口にしたら、即座に修正主義者の烙印を押され、下手をすると粛清されてしまうのかもしれない。
故安倍首相は 2006年、自著『美しい国へ』で日本の美点を描き、憲法の改正を目指したら、たちまち戦争を美化しているとして批判された。あの頃はドイツの新聞までが、「修正主義者アベ」と書いた。
同様なのがドイツで、戦前までの歴史は、ビスマルクはもちろん、フリードリヒ大王まで遡っても、よく語られることはあまりない。自分たちの過去をここまで丸ごと否定できるのは、完璧を帰すドイツ人の性格ゆえの功績かもしれないが、要するに、ドイツの子供たちが学校で習う歴史も、米国、あるいは連合国の書いたドイツ史と言えるのではないか。
一部の人を除いて、ドイツ人や日本人は、現在、語られている歴史に疑問を持っていない。それどころか、多くのエリートがそれを全面的に認めたという経緯がある。
ただ、世界の他の国々が皆、日本やドイツのように素直かというと、もちろんそんなはずもない。ロシアも、中国も、イランも、韓国も、インドも、また、90年まではソ連の作った歴史に縛られていた東欧諸国の多くも、今では皆、自分たちの歴史をそれぞれに伸びやかに謳っている。
それらは多かれ少なかれ、冒頭のバウドリーノの言葉のように、あちこちに彼らの正義や感動を散りばめた、栄光に満ちた彼らの正史であるに違いない。