再現!寺内町と一揆の民衆
第7回「わしの家」・第8回「三河一揆でどうする!」で再現された蓮の花が咲き乱れた本證寺の寺内町や、一向一揆の民衆が歌っていた「流行り唄」などの裏側を紹介します。
再現!沼に囲まれた本證寺
👆堀と土塁に守られ、蓮の花が咲き乱れる沼地にたたずむ本證寺寺内町。今も遺構が残るその面積はおよそ69,000㎡と(=東京ドーム1.5個分)広大なものでした。寺内町再現のため参考にしたのは岡崎市福岡町にあった、同じ浄土真宗の本宗寺の絵図です👇。当時、お寺を中心に門徒たちが暮らしていた三河地方の寺内町は、水はけの悪い場所に形成されていました。新しい仏教である浄土真宗が三河にひろまった中世、未開の湿地帯にしかお寺を建てる場所がなかったからだと考えられています。(※👇「土呂本宗寺寺内絵図」 土呂八幡宮蔵)
そんな歴史的経緯からも、ぜひセットに「沼」を作ってほしい!と美術チームに相談したところ、試行錯誤のうえ、すばらしいセットが出来上がりました。深さが30cmほどのプールに造花の蓮とスイレンを浮かべ、顔料で水を濁してドライアイスで霧を表現しました。
色とりどり にぎわう寺内町
近年の発掘調査から、4mの高い土塁と3mの深い堀で守られていたことが分かってきた本證寺の寺内町は、その治安の良さから当時では珍しい常設市が開かれ、門徒以外にも多くの商工業者をはじめ老若男女が出入りし、大変なにぎわいであったと推定されます。ドラマにも、いろんな階層の人たちが色とりどりの衣装で登場します。
👇本證寺の寺内町と門徒のイメージ。
「流行り唄」に隠された思いとは?
これまで「神の君」である家康に弓を引いた、一方的な「悪者」として描かれることが多かった一向一揆の民衆。しかし、「どうする家康」では、彼らには彼らの正義があり、自らの暮らしを守るために戦ったことを丁寧に描いています。そんな彼らの思いを、「流行り唄」に託してみました。
「♪踊れ踊れ 浮世はままならぬ 飯(まま)になるのは米ばかり 蓮の池で 花咲いた 花が咲いたら 転んだ 転んだのは 誰だ あほか たわけか 殿さんか 替えの着物が欲しいのか 一枚二枚 何枚だ」
思いのまま年貢をとることは「この国のあるじ」にとって当然の権利である、と言い張る家康を痛烈に揶揄したオリジナルソングで、セットの蓮をヒントに作詞しました。作曲は「どうする家康」の劇伴音楽を手掛ける稲本響さん。この「流行り唄」は第7~9回の要所要所で劇伴に姿を変えて展開します。ぜひ耳でもお楽しみください。
家臣団への密書にもヒミツが…
👆ちなみに家臣団の間に飛び交った、離反を呼びかける密書も同様の文句が記されていました。
「時は来た 三河の殿様 す転んだ 息は短し きらきて(吉良来て・綺羅着て)踊れ」
「きらきて」は謀反の中心人物であった「吉良義昭」が「来た」と、奇麗な着物を意味する「綺羅」を「着て」の、ダブルミーニング。もしかすると、こんな婉曲な誘い文句で謀反を呼びかけたのかな…などと、想像をたくましくしてみました。
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