世界を支える呑気な俺たち。
私の周囲では体調不良や精神的に落ちている人が多発している。冬だ。冬眠していると思えば四ヶ月くらいふいにしてもいいのだ。かく言う私も、体調不良でぶっ倒れている。でも、そんなことはどうでもいいのだ。夜になると咳が止まらない。でも、そんなことはどうでもいいのだ。鬱病でぶっ倒れていた時、三年寝太郎に励まされた。三年寝た後に生き返った人間がいたことは、大きな支えになった。しんどい時は、三年でも三十年でも寝たらいいのだ。元気になったら、また、何度でも生き直せばいいのだ。
色々な人が色々なことを言う。このままではやばいとかこの先どうするつもりなのだとか、優しい振りをして脅迫をしてくる。でも、そんなことはどうでもいいのだ。食べられなくなると言われても、食べられなくなってもいいのだ。死んでしまうと言われても、死んでしまってもいいのだ。米を三合炊いた。自分でもびっくりしたのだけれど、一食で三合全部を食べてしまった。最初に豚しゃぶで二合食べた。結構満腹になったが、まだまだ行けそうな気がしてとろろを食べた。とろろはスムージーみたいなものだから、スルスルっと残りの一合を食べた。食べ過ぎにより、その後しっかり不幸になった。食欲はある。心は元気だ。まだまだ、いける。
呑気な人が世界を救う。遊びながら生きていると、遊んで生きてるんじゃねえよと怒られる。だが、何が悪いのだろうか。誰にも迷惑をかけていない。盗みも殺しもしていない。全体的に怠惰だが、法には触れていない。ちゃんとしろと怒られるが、いまいち「ちゃんと」がわからない。自分自身に社会人として最低のラインしか要求しない人間は、他者からも社会人として最低の扱いしか受けることができないと、識者のおじさんが怒っていた。自分に敬意を持てない人間は、他者からも敬意を受け取ることができないのだと。なるほど、一理ありそうだが、そんなことはどうでもいいのだ。敬意なんて、そんなことはどうでもいいのだ。我々はよく感謝が足りないと怒られるが、敬意とか、感謝とか、強制されて持つものではない。私は「もっと感謝しろ」とか「もっと敬意を払え」とか、言いたくはない。そう言う人は、迷惑な人だ。
確かに私は敬意が足りない。だが、本気で惚れた人間には平気で下僕になる。靴を舐めることになんら抵抗を覚えない。感謝もする。だが、感謝を強制する人に感謝をした記憶は、ない。何かをしなければいけないと言う嘘を感じる。遊んで食べて寝ているだけの人間はダメで、何かしらそれっぽいことをやっている人間にだけ生きている値打ちがある的な雰囲気を感じる。嘘だよ。多分、これ、嘘だよ。騙されちゃいけない。騙されるなら、素敵な嘘に騙されよう。感謝をしろと言われても「嫌だ」と思うし、そんなんじゃ生きていけないぞと言われても「君の生き方は大変そうだね」としか、思わない。そんなことより遊ぼうよと言いたいが、そんなことを言ったら殴られてしまいそうなので、自粛する。それくらいの気配りならば、できる。
大丈夫な世界と大丈夫じゃない世界がある。大丈夫な世界では「人生はどうにかなるから本当に好きなことをやりなよ」的なムードに満ちているが、大丈夫じゃない世界では「このままではやばいぞ」とひたすら煽られ焦らされる。先行き不透明な時代ですとか言う人がいるが、私が生まれる前から同じことを言う人はいたし、彼らにとっては永遠に「先行き不透明な時代」なのだと思う。彼らの言葉を信じれば、大丈夫じゃない世界の住人になる。私の言葉を信じれば、大丈夫な世界の住人になる。知的な人間が世界を救いそうに見えるが、実は、呑気な人間が世界を支えている。知性は、それが崩れた時弱い。呑気な人は、たとえ世界が崩壊しても、通常運転でお茶を飲み続けるだろう。私は言いたい。大丈夫だよ。どうにかなるから、こっち来いよ。大丈夫じゃなかった時は、一緒に滅びよう。まずは一緒に、お茶でも飲もう。よく寝て、よく遊び、美味いものでも食いに行こう。そうすれば、案外、鬱病は治るよ。将来の不安も、過去の後悔も、案外、全部、吹き飛ぶよ。 見舞い先 おおまかな予定
〒413-0002
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾
1月13日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z