「砂漠の英雄と百年の悲劇」 | 白玉猫のねむねむ日記

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見終わったあと「よくぞ、このタイミングで放送してくれた」と、NHKに感謝したい気持ちになりました。



アラブ人とユダヤ人。

なぜ、報復が報復を生むようになったのか?


わたしのように世界歴史や世界地理が苦手な者にも、わかりやすく説明してありました。




歴史や地理がわたしと五十歩百歩いう人は、再放送を見ることをお勧めします!ニコニコ







では、解説スタート🎬




この番組を見て、始めて知ったのですが、

アラブとイスラエルの対立の火種爆弾ドンッメラメラ

なんと、百年前にイギリスが蒔いたものでした。

びっくり






第一次世界がはじまると、

ドイツと同盟していたことから

オスマントルコは

英仏露の連合国側と対決することになります。



​赤く塗られている部分が

オスマントルコ↑



イギリスは石油ほしさもあって、オスマントルコ帝国の打倒を計画。内部崩壊を画策します。



そこでオスマントルコからの独立をめざしていたアラブ民主主義に目をつけ、

フサイン=マクマホン協定を結びます。


https://www.y-history.net/appendix/wh1501-054.html





でも、同じような約束をユダヤとも交わしていました。



https://www.y-history.net/appendix/wh1501-055.html





イギリスのこの二枚舌外交が

現在のイスラエル・パレスチナ問題を生むことになったわけですビックリマークむかつきDASH!プンスカむかっ






(イギリスはフランスやロシアとも、別の協約を結んでおり、三枚舌外交👅だったらしい)





1917年、エルサレムが陥落しユダヤ人が入城。

1918年、アラブ人によりダマスカスが陥落しオスマン帝国は降伏。 


しかし、約束は守られず、

アラブ人の国は建国されないまま・・・汗


英仏露同盟国側の勝利により、

パレスチナとヨルダンはイギリス

レバノンとシリアはフランスの委任統治領に。





そして、イギリスの統治下、
パレスチナにユダヤ人の入植がはじまり、
経済的に豊かなユダヤ人の急増で
街はユダヤ人に買い占められ、アラブ人は荒野へと追いやられることに。





こうしてパレスチナの地で、
長く、友好的に共存してきたユダヤ人とアラブ人の良き伝統は崩れ、敵対関係に・・・



そんな対立的な状況が続くなか、
追い討ちをかけたのが、
あの、ヒットラーの登場。
煽りあせる




第二次世界大戦中
ナチスにより600万人ものユダヤ人の命が奪われ、



あまりに膨大な犠牲に

シオニズムが燃え上がり、
1948年、ユダヤ人国家イスラエルが誕生。






その後は、文字通り、報復が報復を呼ぶ展開に・・・ネガティブ












1972年、テルアビブ ロッド空港乱射事件

3人の実行犯は日本人!ポーン
首謀者 岡本公三

わたしはこの事件について、ほとんど知りませんでした。みなさんはご存知でしたか?

もちろん「日本赤軍」という名前は何度も聞いていましたが、仲間を大量にリンチして殺した恐ろしい集団というぐらいの認識しかなく、
正直、ここで「日本赤軍」が出てきたことに驚きました。滝汗





また、この事件についても、ほとんど知りませんでした↓

1972年9月パレスチナ武装組織「黒い九月」 

オリンピック開催中に

イスラエルのアスリート11名を殺害した。








他にもさまざまな内戦があり、
報道されない事件もたくさんあったと思います。

番組で取り上げたものと、
ネットで見た資料の中から、目にとまったものを、以上、時系列順に並べてみました。





やがて、あの9.11事件が起こり


アメリカ同時多発テロ





そして、今回の戦争・・・










もう、なんといえばいいのか・・・ダウン


第一次世界

オスマントルコ帝国の崩壊

第二次世界大戦

ナチスのユダヤ人大虐殺

シオニズム

イスラエル建国



世界史の時間に習ったことは

教科書の中で完結したような、そんな感覚でいましたが、

歴史は全部、今へと繋がっていたんですね。

( ̄▽ ̄;)










番組の中で何度も触れていたのが

かの名作映画「アラビアのロレンス」のモデル

「トーマス・エドワード・ロレンス」

彼は英国🇬🇧二枚舌外交の英雄ですが、

終生、祖国への忠誠のために良心を捨て、

アラブの友人を騙したことを、深く後悔していたそうです。



西欧諸国は二枚舌外交を今も否定していますが
バンクシーが「アポロジー・パーティー」(謝罪のパーティ)と称する催しを開き、
エリザベス女王の写真を顔に貼った役者に
謝罪させたことも。


ベツレヘム/パレスチナ自治区 






以上、長い記事になりました。
ε-(´∀`; )書くのも大変あせる




愛国心とか郷土愛とかも、ほどほどがいいですね驚き




最後に、ガザに描かれたバンクシーの作品を載せて終わろうと思います。

ここまで読んでくれた人がいたら有難うございますクローバー一緒に平和を祈ろうね。