人的リソースが減少していく状況において、弱者を見捨てることを優先していけば、最終的に自分が最弱者となる。有能な仲間だけ残した時、より弱い立場から主張したルールを守ってくれるとは限らない。
立憲民主党の米山隆一氏のように、復興ではなく移住を主張する意見が野党の政治家からも発せられ、複数の同調者も出てきている。
非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います
正論
こんな最果ての僻地の限界集落を「復興」なんて非現実的なんだよな医療現場で散々叩かれてる、認知症の超高齢者への高額な延命と何が違うのか
もう日本にはそんなリターンの乏しい事業に膨大なコストかける余裕ないんだから、
公金投入は地方都市までに制限して、僻地からの移住を推進すべき
しかし震度7レベルの大地震が人口の集中する都市部で発生したら、能登半島地震とはくらべものにならない数の被害が出るのではないだろうか。
たしかに人々が多様性をもって分散する社会は非効率的かもしれない。
あえて人権を無視して考えても、多様性をもつということは、むしろ災害などの危機にたいして一極集中するより全滅の危機を回避しやすいはずだ。
そもそも能登半島全体は日本地図でも省略されにくいくらい広い土地で平野部も多いわけだが、たしかに東日本大震災よりは被害の規模がちいさい。
しかしそこから軽視する理由を思いつくのではなく、社会が東日本大震災よりは余裕をもって救援できるという考えにいたれないものだろうか。
あくまで印象論だが、いまの日本は当時とくらべても理念でも実際でも余裕をなくしているように感じられる。なぜだろうか。
子供が母親の仕事を増やすこと。父親が金になる軍歌仕事を断ること。そうした役に立たない選択に生命の尊厳がある。従順ではない奴隷のように