本田真凜 憧れの浅田真央に感謝「私が辛いときに…」かけられた言葉は「自分の中での秘密」

[ 2024年1月11日 14:57 ]

<本田真凜引退会見>会見を終え笑顔で退出する本田真凜(撮影・長久保 豊)
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 フィギュアスケートの16年世界ジュニア選手権女王の本田真凜(22=JAL)が11日、都内で引退会見を開いた。

 約100人のメディア関係者が集まった中で、白いスーツに身を包んだ本田が口を開いた。引退を決断したタイミングについて「大学4年生のタイミングで競技の場から離れるっていうのはずっと決めていたことで、全日本の前には身体の状態もありつつ、もしかしたらこの演技で最後になるんじゃないのかと自分の中で思っていた。どうしても頑張りたいという思いで最後まで走り続けられた」と語った。

 昨年12月の全日本選手権はショートプログラムで最下位の28位(44・42点)。2年連続で上位24人のフリーに進めなかった。右骨盤を痛めた中での強行出場で、回転不足ながら3回転サルコーを着氷した。取材では今後について「お答えできることは今の時点でない」と話すにとどめていたが、5日に現役から離れることを所属事務所が発表した。

 全日本終了後、家族やコーチなど周囲からは「他にも完璧な演技だったりとか、もっと点数のいい演技はたくさんあったけど、本当に感動する演技だったよ」と言葉をかけてもらい「すごく嬉しかった」と最後の舞台を振り返った。

 「引退を決めるにあたってかけてもらった言葉の中で、印象に残っている言葉は」という問いに対し、本田は「たくさんの方にありがたいお言葉を頂いたんですけど」と語りだし、「私にとって憧れの女性であり、憧れのスケーターである浅田真央さんにお話をさせて頂く機会があって、最後のシーズンになるとお話しさせてもらった」とフィギュアスケート女子で10年、バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央さんに相談したことを告白。

 「私が辛いときに、何かを察して(私から)連絡をしないときでも、私の心に響く本当に素敵な言葉をかけてくださるのが、浅田真央さんで。それも含めて本当に素晴らしい女性だなという風に思う。一番は真央さんかな」とどんなときでも素敵な言葉をかけてくれる憧れの存在に敬意を表した。

 浅田さんにかけられた言葉は「自分の中での秘密にできたら良いな」と微笑みながらも、「“真凜は最後まで小さいときから逃げずにここまでやってきたのは、凄いえらいことなんだよ。新しいスタートも胸を張って進んでいけば良いよ”とかけて頂きました。本当にありがとうございます」と浅田さんからの言葉を一部明かし、笑顔で感謝を述べた。

 さらに今後については「私は本当にスケートが大好きで、大好きなまま競技を終えることができた。これからも皆さんが私の演技を楽しみにしてくださっている以上、素敵な演技をお届けしたいなっていうのが今の気持ちで、スケートを頑張っていきたいと思っているし、いろんなチャンスがあれば新しいことにも挑戦していけたらと思っています」とし、プロスケーターとして活動することを明かした。

 妹の望結、紗来とともにスケート一家として知られる本田は2歳から氷に乗り、ジュニア時代に頭角を現した。16年に世界の頂点に立ち、17年同大会でも平昌五輪金メダルのザギトワ(ロシア)に次ぐ銀メダル。一方で17年のシニア転向後は伸び悩み、モチベーションの低下にも苦しんだ。21~22年以降は日本連盟の強化指定選手から外れたが、明大4年で最終学年となる今季まで競技は続けると決めていた。

  ◇本田 真凜(ほんだ・まりん)2001年(平13)8月21日生まれ、京都市出身の22歳。5人きょうだい3番目の次女。2歳からスケートを始め、12年全日本ノービス選手権ではBクラスで歴代最高点を出して優勝。18年4月から関大高から青森山田高に編入し、1年ほど拠点を米国に置いた。明大4年在学中。全日本選手権の最高成績はジュニアながら出場した16年の4位。男子で世界選手権2連覇中の宇野昌磨(トヨタ自動車)と交際中。1メートル63。

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