放っておいたらなくなる集落まで復興の対象とすべきなのか?
先に、この議論でよくある誤解を先に指摘しておくと、例えば、人口1万2000人あまりの珠洲市は高齢化率、つまり65歳以上人口(老年人口)の割合は51%を超えており、社会保障・人口問題研究所の推計では2040年時点の人口はおよそ7000人にまで減る可能性が示唆されています。激甚災害もあったことで、おそらくこの推計以上に人口減少は進むものと見られます。
これはあくまで市全体の人口推移であり、限界集落、超限界集落の高齢化率はほぼ100%。一部推計では完全有業者率(自ら何らかの業を営み生計を立てていて年金など何の政府補助も受けていない人)も、5%を切っていると見られます。
超限界集落した地域では、地域経済を支える存在は年金や生活保護などの政府扶助が主体とならざるを得ず、地域の文化を継承する次世代の住民もそう多くは見当たらないのが現状です。
問題は、例えば岸田政権が原案のまま1兆円ほどの能登半島地震の復興・再建プランを可決したとして、このような放っておいたらなくなる集落までも復興の対象とするべきなのかという議論が出てくる点です。
ここには、憲法第22条で国民に認められた居住、移転・職業選択の自由と、同25条のすべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、および同13条で定められた国民の幸福追求権・生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利との整合性を考えなければなりません。
理想論で言うならば、国民は住みたいところに住み、地域には長年にわたって育まれてきた土着の文化もありますので、そこに住む人がいる限り、可能な限り支援するべきだという議論はどうしても出ます。これはこれで正論と言えます。
他方で、国の財源に限りがある中で、そもそも人口が減少し、将来にわたって地域や集落の維持が困難である地域の復興にどこまで国費を投入するのかという点は議論が避けられない問題でもあります。
飯田泰之さんの指摘にもあるように、誤解が多く、総論賛成各論反対になりやすい論点であり、かつ画一的な被災集落の解体と移住を強要するものと誤解されてしまっている面もありますが、単に地域の人口を強制的に剥がしてきて都市部に集住させるという政策というわけではない点は、議論の前提として理解しておかなければなりません。
国土交通省や総務省などが検討を進めているコンパクトシティなど、自治体ごとに策定する都市政策と、これらの政策は別物であることも理解しておく必要があります。
「今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行う(促す)べきだ」と米山隆一さん問題提起したように、国民の権利選択の結果、勤労人口が過疎地域での就業を放棄して都市部に移り、猛烈な人口減少と高齢化が進んでいるのは間違いのないことです。持続可能性が絶望的な地域や集落に公費を入れて復興させる必要があるのかということは、議論しなければならない点の一つです。
もう一つは、これらの人口減少の事実をきちんと受け止めたうえで、国家が政策として人口減少による日本社会全体の縮退をどうコントロールするのかという話にもつながっていきます。