名興文庫相談役と名乗るに見合うだけのジツがあるのかどうかの考証
昨年を境目に下火になってきた、本格ファンタジー(本タジー ※定義はページ下部に参照する)提唱者や同人サークル(出版社とうたってはいるが、個人事業主がするべき所在地等の開示情報が見当たらない為やむなくこう呼ぶことにする)名興文庫を火種とする論争の数々。また、人によってはその実態を知り離れ、人によっては信頼し、または信心ともとれる発言が脚光を浴びたり、ところによりスルーされたりしているようだ。
約三年前、本格を始点とした辺りからの堅洲斗支夜氏の言葉、特にこの記事ではとある対談についての言葉を取り上げ振り返り、また、X(旧Twitter)では連続して観測することのできない一連のやり取りを記し、かの人物の実――真っ当な中身があるのかどうか……ご興味のある方に向け、判断材料となるようにまとめる。
また、私の感ずるところを引用に足るよう書きとめておこうとも思うので、お付き合いいただけたら幸いである。
対談について
堅洲斗支夜氏の言い分
※ ポストが見切れているので、以下に引用として書いておく。
「さあ、長期的に見てバカはどっちかなー? 例えば、その気になればあんたらの界隈のヤバい書籍を大義の名のもとに燃やしたがってる各所にいつでも送れることも忘れない方がいいですよ? 自分には全く困らない事ですしね。」
書籍作家とびらの氏の言い分
経緯(togetterの該当部分リンク、及び歯抜けの部分を下記に記載)
※ 上記、下記「わかりました」が何を了承したかが分かりにくかった為、一つだけ埋め込んでおくことにした。
ちなみに了承部分は文脈からして「作品具体例、お互いの作品把握」への了承である。
また、プロとは講演の、ということらしい(出典は各々Xの検索機能で確かめられたし)
※ 本タジーとは、本格ファンタジーという単語がかの人物に三年ほど定義曖昧なまま使用され続け、反発や単語イメージがミーム汚染をされかけていたのを防ぐために作られた造語である。 ■仮定義 半年以上前に〝本タジー〟呼びするエッセイを書いてた僕様の先見性を褒めてくれる方を絶賛募集中であります。
定義、また言葉の出どころは以下
【本格ファンタジー】
1.優れたファンタジー作品に対する敬称。第三者が呼ぶ
2.出版社、ゲーム会社などがマーケティング目的でつける名称
【本タジー】
定義不能。神話だとかヒロイックファンタジーだとかゲーム的だとかそうではないとかコロコロ変わる。判定基準を持つのはこの世でただ一人
∠(`^´) https://t.co/wtb4wTOfjF https://t.co/TuVWKkqr8h pic.twitter.com/XPT8GScdCu
私が抱いた疑問について
前出、「話が違う」ということについて一つ疑問がある。
講演ではなく対談、つまりは対話であり双方向のコミュニケーションであったのだから、その場で軌道修正ができなかったのか、という点だ。
一般的には話し合っている最中、疑問点があれば相手にたずねる。例えば講義であっても、挙手での発言が認められている場であれば挙手をし講師に質問する事だってできる。対談であるならば講義より明らか容易だ。手を挙げることもなく一言対談相手へと告げるだけでいい、「今、当初の予定の内容から逸れていませんか?」と。もしくは「今日の議題はこれこれだったはずですが違っていませんか?」でもいい。とにかく相手に、違うことが伝わる発言をすればいいわけである。
なぜそういった発言をしなかったのか。
私にはどうにも、腑に落ちないのである。
また相手の言が本当ならば、事前準備が「転スラ(※転生したらスライムだった件)のアニメを数話見ただけ」では足らないだろうし、そもそもなろう(※小説家になろう、ここではその中でも各々が持つなろうっぽい作品と思われるテンプレートの使われたweb小説群のことをさす)について専門性や、個人とはいえ論拠ある濃い内容を感ずるまで話すというのは、とてもではないが難しいのでは……と思った次第だ。
その視点から見ると、彼の発言は度々彼の中でさえ矛盾を孕んだまま吐き出されているようだった。なぜそんなにも矛盾するのか。古来から人は矛盾を孕むとは文学でも言われてきたことだが、それにしても、相談役が責任がないと思うだなんて責任ある立場を知らないと言った口で、サントリーの一件を私の立場でも代表の立場でもどうにもならなかった、と言うのには正直驚いたを通り越して口が開いたままになったというのが素直な気持ちの吐露である。
こうして批判を言うに、論拠もなければまずいだろうということで、以下にその実際の言を埋め込んでおく。 【わかりやすい人物評論】 これに関しては後日、色々と整理着いてから改めて詳細に報告や告知が為されるでしょう。
『相談役』という立場を予備情報も無いのに『いざという時責任逃れられる』なんて解釈した人は多分あんまり責任追いたくない人なので、代表者や経営者には向かないです。
文句言いながら給料もらう生き方が一番向いているでしょう。わりと本気で。
代表代理たる天宮さんでも権限が及ばない面があったわけです。
私などは相談役ですから当然ではありますが。
まずは問題を整理してからとなりますし、これと別に私からも何か出るかもですのでお待ち下さい。 https://t.co/pQD4YnIt9h
ちなみに代表代理の権限では及ばなかったとあるが、この時点で事業運営は前代表から旧代表代理(現名興文庫代表の尼宮乙桜氏)へと移り変わっている。
「事業運営は天宮さくらが引き継ぎます。」
※ 名興文庫公式サイト、コンテンツ内『代表辞職のご連絡と引き継ぎについて』2023年7月31日付けのお知らせページ参照
出版において刊行すると決めるのは上が行う事だろう。言論の自由には責任が伴い、また表現の自由にも責任が伴う。複数の目、少なくとも二人はチェックしなければ人間抜けが出るものであるし、ミスを防ぐためのダブルチェックなどは現代において大分一般常識としても浸透してきている、ビジネス上の基本と言ってもいい。そのはめるべきタガを部下に言われたからと外してしまっては、相談役や代表代理と名のつく役職のいる組織である意味、そのものが揺らぐ。私にはそのように感ぜられた。
ここで一つ断っておくが、私は彼や彼女らのアンチなどではない。出版業をしたいということで、きちんと理念や知識、実務でもって常識的に事業をするというなら応援さえしていただろう。
なのにこれを書いている、何故か。
私から見ても彼や彼女たちの行っていることやする発言、『ボウモアと海』という作品の扱いが、非常に危ういと思ったからだ。近寄るのに、情報がなければ判断さえできないのではと危惧したからだ。
Xという媒体は広告をうったり、未知の領域を知るのには非常に優れた面を持っているのだろうと思う。
しかし、ひとたびただ一人の人間の多様な表情を窺い知ろうと思ったら、とてつもない労力のいるシステムでもある。リポスト等の多い人物のページならば、知りたい情報へと辿り着くのも一苦労だ。それによって、隠れてしまう人となりの側面もあるだろう。
そう考えた為、私はこうして情報収集をし、まとめたページを広く公開しようと決めた。正の情報は等しく名興文庫公式ホームページへと纏められている。なのでここには普段からの彼等の足跡を忌憚なく載せておくことにした。
ただ載せただけでは無断転載にも等しくなるため、余談に過ぎるが私が感じたこと、考えたことも併せて併記させていただいている。助長かとも思うがお許し願いたい。
なお、批評や引用については法律に則ったものにしたい為、もしも不足等あれば、コメントをいただけたら修正等対応しようと思う。読んだ諸兄諸姉のお力を借りることができれば幸いだ。
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