人物デザイン

人物デザインの創作現場から vol.5 ~ 忘れえぬ人々 ~

個性豊かな登場人物が一年にわたって数多く登場する大河ドラマ「どうする家康」。その登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせているのが、着物、履物、髪型、ひげ、眉毛、化粧、武具、装身具……つまり扮装ふんそうです。登場人物全員の扮装を統括している柘植伊佐夫さんが、人物デザイン監修の立場から、キャラクター表現の可能性について語ります!

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柘植伊佐夫つげいさお 人物デザイン監修

1960年生まれ、長野県出身。「人物デザイナー」として作品中の登場人物のビジュアルを総合的にディレクション、デザインする。主なNHK作品は『龍馬伝』『平清盛』『精霊の守り人』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』『岸辺露伴は動かない』『雪国』など。主な映画は『おくりびと』(08)、『十三人の刺客』(10)、『シン・ゴジラ』(16)、『翔んで埼玉』(19)、『シン・仮面ライダー』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)。演劇はシアター・ミラノ座こけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』(23)などがある。第1回日本ヘアデザイナー大賞/大賞、第30回毎日ファッション大賞/鯨岡阿美子賞 、第9回アジア・フィルム・アワード 優秀衣装デザイン賞受賞。

戦国の世をひた走る人々の命は大河の水面みなもを揺らすきらめきです。その光は脈々と紡がれて私たちの世へつながるのでしょう。今回はそんな忘れえぬ人々やシーンの人物デザイン、制作エピソードの一部を振り返ってみます。

第7回「わしの家」 変装する於大・登与・瀬名

変装する家康たち

一向宗徒が集う寺内町の様子がたいそう楽しいと登与からうわさを聞きつけた瀬名は、一度行ってみたいと思いますが家康に反対されます。しかし「民の様子をよーく知っておくのも上に立つ者の大事なお役目ですぞ」と於大が言うのをいいことに、結局は3人で変装して寺内町に忍び込みます。家康のほうも、年貢を収めない一向宗の活況を懸念しながらも、寺内町の繁栄ぶりには興味を禁じえない。そこで土屋長吉を案内役に平八郎と小平太をお供に、4人で忍び込むことにした。

まさか同じ日に寺内町に忍び込むとはお互いに思いもしなかったので……。

いざ出くわして、さぁ大変!という爆笑の展開でした。日頃の格好では身分がバレてしまうので、みんなそれぞれ変装するのが、少しコミカルな人物デザインですね。

これは今だから言えるのですが、撮影直前…と言いますか、撮影しながらかなりバタバタした案件なんです。

と、言いますと?

クランクインして数か月、染色も仕立ても混み合っていました。そのような状況はいつでも起こりうるのでほかの業者にも染色をお願いしたんですが……。

あぁ、前回のコラムで紹介された玉置博人さんの作業量がパンクしちゃって急きょ、別の方にも染色を分担してもらったわけですね。

はい。ところが反物は彩度が高く青味が強く出ていました。このようなズレは珍しくないのですが、染めを修正するための日数が足りませんでした。ぼかしも均等に仕上がっていてきれいではあったのですが、求めるデザインよりもぼかし方が足りなくて、色彩がはっきりし過ぎている印象がありました。着物に仕立てたらサマになるかと期待しましたが、やはり結果にズレが生じました。それがわかったのが撮影前日だったんです。

え!? それ、かなりまずいじゃないですか。しょうがないからそのまま撮影したってことですか?

撮りながら修正しました(冷汗)。

撮りながら……?

撮影の合間をぬって着物の色合いを修正していくわけです。例えば松本潤さんの出番がない時間帯を使ったり、松本潤さんがほかの衣装を着て別の場面を撮影している時間帯を使ったりしながら、寸暇を惜しんで手を入れて、微妙に変化させていったわけです。

そんなことってアリなのですか?

もちろん衣装というものは本来、撮影前に完成させて最後までそれで通すのが普通です。汚しなどの変化はつけるにしても衣装本体のデザインを変えることはありません。撮影しながら修正するなんて、極めて異例でした。寺内町に忍び込む時の着物は「染めも仕立てもチグハグな印象」にする狙いがありました。確かに修正前の衣装もチグハグな印象を作ってはいましたが「理想のチグハグ」ではなかったんです。そこで撮影の合間のわずかな時間を使い、残った布を上から縫い付けて「理想のチグハグ」を追求しながらパッチワークを施していきました。

見ているお客さんにバレませんか?

カメラワークはアップやミドル、ロングショットなどさまざまな距離から撮りますし、撮る角度も正面ばかりではなくあらゆる方向から狙います。また屋外の場面と室内の場面とでも明かりの表情が変化しますから、同じ衣装でも印象がゆらいで見えることもあります。この「チグハグな衣装」の色柄を瞬時に正確に記憶したうえで、場面が変わった時に色柄が変化したことまで看取できる人は……おそらく少数でしょう。

そう言われると、確認してみたくなります。NHKオンデマンドでちゃんと確認しちゃおうかな……。

確認するつもりでしっかりご覧いただければ、さすがにお気づきになられるかもしれませんね。家康が千代から「坊やたち、初めて?」と話しかけられる、屋外での千代との出会いの場面があります。その時の家康の衣装にはまだ、原色の印象が目立つ部分が残っているんですね。でもそのあとに家康が空誓と会話する場面では、先ほどの原色の印象がぐっと影を潜め、わずかながらも落ち着いたトーンに変化しているんです。

最後まで、というか撮影中まで微妙なトーンの変化を加えて「理想のチグハグ」を追求されたのですね。

はい。変化させたかったのはあくまでも「微妙なニュアンスの精度を上げていくこと」です。衣装部・チーフの齋藤隆さんをはじめ、みなさん総動員で手縫いをしていただいたおかげでこの無理な課題を無事に切り抜けることができました。

いやー、お疲れさまでした。

炭を塗られる瀬名

演出・小野さんは登場人物やシーンの特徴を人物デザイン的に表現することに非常に細やかにこだわられます。特にこの於大、瀬名、登与が変装するに際して炭で顔を汚そうという場面で、於大が瀬名にイタズラをするシーンは、於大のちゃめっ気や少しだけしゅうとめの圧力なども匂わせてほほえましい場面です。

このデザイン画では、ほっぺたは丸い形に墨を塗られていますが、実際にはひげのように描かれていましたね。松嶋菜々子さんの勢いがとてもかわいかったです(笑)。

第9回「守るべきもの」 お玉

井頭愛海さん(扮装記録用のスナップ写真)

正信の幼なじみであったお玉は盗賊にさらわれて身を落とします。幼く無力な正信は、盗賊からお玉を守りきれなかったことに傷つきます。その後成長した正信は、大久保忠世と盗賊討伐をした際に瀕死の彼女に遭遇します。正信は今度こそお玉を救い出しますが、力尽きた彼女が荒屋で息を引き取るのを看取ることしかできませんでした。いまわの際に仏にすがる彼女が信仰していたのが、一向宗でした。

洋の東西を問わず、人は信仰を通じてゆるしや救いを見つけようとするものです。そこで私は、身を落としたお玉の中にも聖母の魂を見いだしたいと考え、ルネサンスの宗教画から想起して「青と赤」を配しました。お玉を演じられる井頭愛海さんはとても明るく柔らかな人柄で、お玉の悲劇的な人生と印象が反していたので、扮装を作っていてとても救われました。

第11回「信玄との密約」 田鶴

田鶴は数奇な運命をたどった人ですね。もともとは瀬名とは親友の間柄。関口家を救いたいという気持ちそのままに「間違いを犯してはいけない」と、良かれと思って家康が企てた脱出計画を今川氏真に通報します。

彼女なりの正義感なんですよね。

でも結局はそれが瀬名たちを窮地に追いやってしまう。皮肉な引き寄せですよね。今川に殉じることを正義とする気持ちがあまりにも強くて純粋なあまり、彼女は夫の所業さえも密告した末に、死に追いやってしまいます。

極端な潔癖さにとらわれてしまった人ですよね。裏切りや心変わりが横行していた戦国時代に、田鶴はあまりにも今川だけを盲信していた。あまりにも盲信が過ぎたゆえに、自分が進む道を知らず知らずに狭めてしまい、望みとは裏腹な方向へと歩んでしまったのかもしれません。最期は引き返すことすら罪悪に感じて、ほかの選択肢も目に入らなくなってしまったのでしょう。田鶴の最期の具足姿には何かそのようないちずさや思いの強さを感じられて胸を締め付けられました。演じられる関水渚さんの快活さや濁りのない目には田鶴を演じるのにふさわしい力を感じるとともに、ご本人にはたおやかな部分も感じられて、田鶴の『剛』と関水さんの『柔』を意識しながら人物デザインをしました。具足は男物なので胴が大きくてその微妙なアンバランスさがかわいく、また意地と筋を通し、小さな背中で家を背負っているという印象にもなるように配慮しました。

第13回「家康、都へ行く」 足利義昭

いやー、さすが古田新太さんだけあって、足利義昭がめちゃくちゃクセの強いキャラクターで大笑いしました。

古田新太さんが室町幕府15代将軍を演じられるとお聞きして、私はこれまで何度も現場をご一緒していますのでいかなる人物デザインの可能性もありうると思いました。本コラムvol.2「時を超えた祝祭」にも書きました通り、大河ドラマ『秀吉』ファンの自分にとってあの作品に登場するキャラクターはまさに「忘れえぬ人々」でした。中でも玉置浩二さんが演じられた足利義昭はご本人のスマートなパブリックイメージを裏切って滑稽ながら哀愁のある画期的なアプローチでした。そこからも今回少なからず影響を受けていると思います。近年さまざまな足利義昭観がある中で、本作では様式を引きずり権威に執着する抜け目のない人物としてデザインしました。

単なる酔っ払いのバカ殿ではない、ということですね。それにしても全身きらびやかですねぇ。

はい。黄土色の狩衣かりぎぬには金ぱくの太陽と銀ぱくの月を配しました。白塗りに眉なしの化粧については制作・演出・俳優まじえて打ち合わせをしました。

額に太陽の白塗りDavid Bowieに拮抗する勢い。古田さん、相当思い切って表現されたのではないでしょうか?

そうですねぇ……。古田さんはいつもそうなんですが、どんな異形のキャラクターデザインを提示しても平然としていらっしゃいますね。今回も打ち合わせの冒頭から「柘植さんも知っての通り、自分は女性にでもなれますからどうにでもしてもらっていいですよ」と相変わらず淡々とおっしゃって(笑)。

白塗り化粧の印象がかなり強いキャラクターですが……。

それについても「まあ、この人は化粧も特別なことではなく当たり前の身だしなみだと思っていたんでしょうね」と、古田さん自らそう解釈して臨んでおられました。別に誰かを威圧しようとか、あえて変人を装うとか、そんな意図は毛頭なくて「通常の身だしなみとして、いつも普通にお化粧している人」なんだ、と。我々スタッフは古田さんの解釈に励まされたところはあったと思います。

義昭が逆光に立ち背景に金色の紙吹雪のフラッシュがかれる、家康の妄想シーンも強烈でしたね。 「紅白歌合戦か!」と、演出・川上さんの発想に思わず吹きました(笑)。家康にさんざんひどい思いをさせた謁見のあと、義昭が去り際に「信長の言うことをよく聞いてな、幕府のために尽くせよ」と二日酔いながらも言うべきことだけはしっかり押さえる……あの抜け目ない底知れなさに、脚本の人物描写の確かさを感じました。

足利義昭(全身)金箔の太陽と銀箔の月

第14回「金ヶ崎でどうする!」 阿月

所作のしつけのため、父に両足を縛られた阿月

この「阿月」というキャラクターの名前ですが、「小豆あずき」にひっかけたネーミングだそうですね?

はい、そのようですね。織田信長が越前朝倉義景を討伐しようとしていた時、自分の夫・浅井と敵・朝倉が結託して兄・信長を挟み撃ちする極秘計画が、市の知るところとなります。兄・信長にそれを知らせようとした市が、その時に使ったのが「袋の小豆」だったという伝承が実際にあるんです。それにしてもそんな伝承から、まるで女子マラソン選手のようなオリジナルの登場人物を創作してしまうとは、さすが古沢さんです。

そういえば「マラソン」という競技名の由来も、紀元前にギリシャ軍兵士がペルシアの大軍との戦いの勝利を報告するために、マラトンから約40km離れたアテナイまで走ったことに由来するんでしたよね。阿月が運んだ密書は敵の襲来を予告する内容なので、ギリシャ兵が託された勝利の報告より、ある意味で重要任務といえますね。

確かにそうですね。阿月はドラマのオリジナルキャラクターですが、まるで実在するかのように印象深い人物です。戦国時代に重んじられる仁や忠や義、これらを象徴するような阿月の言動には強い共感を覚えました。

第14回冒頭、砂浜での駆け足競争で、幼い阿月は賞品を目当てに健脚を現して次々と少年たちを抜き去りました。

はい。阿月の人物デザインは男勝りな半袴はんばかまに小袖をたすき掛けと尻端折しりはしょりにしています。足元には草鞋わらじが脱げないようにぼろきれを包帯のように巻き付けました。これらは全て走りやすさを考えた着こなしです。全体の印象は「小豆色」にしていますがこれは暗喩です。しかし父親は阿月の両足を縛って所作をしつけて、女性らしく育てようとします。

でも父親のしつけは娘の将来を心配して清楚せいそな女性に育てようという親心から……ではなかったみたいですね。

人買い

はい。結局父は、娘を人買いに売り飛ばして金に換えてしまいますから。人買いは『山椒大夫さんしょうだゆう』を想起しました。
父親と人買いのやりとりに翻弄される阿月の悲哀を思いながら、それぞれの登場人物が引き立つような誇張を施した人物デザインになっています。父親はフリーダ・カーロのように左右の眉をつなげました。人買いは頭巾にさえ金品を溜め込んでいるかのように膨らませて、強欲さを表しています。でも天は阿月を見放しませんでした。市と出会い、身の回りの世話をする役割を与えられ、静かな暮らしを送ることができるようになったからです。

お市に仕える阿月

月明かりに走る阿月

お市に仕えている阿月の、薄ねずみ色の地から胸下から腰下を水色と小豆色に切り替えた熨斗目のしめの小袖は、信長に挟み撃ちを知らせるための「結び切りの袋に入った小豆」を暗喩しています。しかし月明かりを頼りに懸命に走るも、小袖姿では歩幅も稼げずままなりません。そこに出くわしたのが田んぼの案山子かかしです。阿月は申し訳なく思いつつも、案山子から半袴を剥ぎ取って履き替えるが早いか、尻端折りをして自分の袖を剥ぎ取り、それを草鞋の上に巻き付けるんです!

幼い日に少年たちと駆け足で勝負した時の姿に、立ち戻ったわけですね!

はい。この描写は脚本には書かれておらず、演出・川上さんと「どういう過程で少女のころの姿にオーバーラップさせようか」と話し合い、「たとえば案山子から着物を剥ぎ取るのはどうだろうか」と出したアイデアでした。

お市さんに幸せにしてもらったことを思い出して必死に走り続ける伊東蒼さんの姿に、大泣きしちゃいました。

第15回「姉川でどうする!」 女装する井伊虎松

浜松に入った家康一行を歓迎する町の踊り子集団。その中から突如ひとりの少女が家康に襲いかかる。間一髪、家康はやいばをまぬがれ、家臣が取り押さえると……美少年!? 家康と井伊虎松(直政)の出会いは衝撃でしたね!

この時の虎松をどのような姿にするか? 女装は決まっていましたので具体的にどのようなレベルを目指すか…。我々は「どこから見てもきれいな少女に見える」という地点を目指しました。衣装は全てありものを工夫して組み合わせています。例えばしゃの掛けを尻端折りにすると、パニエでチュチュを膨らませたバレリーナのような印象を生みだすことができました。その効果は絶大で、男性的だった体型が女性的な柔らかみのあるシルエットに変貌します。四肢には「赤」を配して女性感を足し、笠にも花を盛って踊り子としての記号と女装への橋渡しの役割を担わせました。何よりメイク部・谷村さんによる少女のようなメイクが秀逸です。

衣装・小道具・化粧もさることながら、板垣李光人さんが持つ中性的な美しさがあればこそ成り立った奇跡です!

第16回「信玄を怒らせるな」 松平源三郎(武田百足むかで衆に雪中で捕縛されるところ)

松平源三郎役の長尾謙杜さんは、柘植さんが人物デザイン担当の映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』で若いころの岸辺露伴を演じていらっしゃいましたよね。

はい。ご縁というのは本当に不思議なものだと思いました。家康の命により武田に人質として預けられる家康の弟・源三郎は、家康を心から尊敬しています。また家康も源三郎を心から信頼しています。2人の関係があるからこそ源三郎の忍耐や言葉にも信憑しんぴょう性が生まれました。まさに脚本の妙だと思います。読んで真っ先に思い描いたのが、武田百足衆に雪中で捕縛される源三郎でした。この時点では源三郎がどこで捕縛されるかはまだ曖昧でしたので、平服のままで描きました。結局は訓練所から逃げようとして捕まるので稽古着となりました。

武田訓練

亡き父・信玄の三回忌を終えた勝頼(第20回より)

武田勝頼を筆頭に武田兵は一人残らずコロシアムのような軍事訓練場で衣食を共にして鍛錬します。この時の「稽古着」は武田軍の思想を示唆するうえで重要な人物デザインでした。

「白地に赤襟」……といえば、本コラムvol.2「時を超えた祝祭」で紹介された、武田信玄の色使いですよね?

「白地に赤襟」の衣装はこの回より前までは阿部寛さん演じる武田信玄のみに使われるトレードマークでした。それは信玄のアイデンティティーを表現するためのアイコンでほかには使われていません。しかしこの稽古場で、ようやくそれが「武田軍全体を表すアイコン」であることを感じる仕組みにしています。

なるほど。武田信玄の精神を直接受け継いでいるのが、勝頼であり彼と訓練を共にしている猛者たちなのですね。

大勢の兵が着る衣装なので、デザインや製作工程をどうするかについては、衣装部チーフ・齋藤隆さんと綿密に練りました。結果市販の「道着」の上半身とありものの「白袴」の下半身を組み合わせた上下を基本形にして、それをベージュに近いオフホワイトに染めました。その染色が上がってきましたら仕立てによって赤い襟付けを行います。まずこれによって衣装の新品ができます。そこからエイジングをかけていきます。やすりやサンダーなどで生地を殺して毛羽立ちや穴を作ります。道着がもともと強い生地で作られていますから、この作業は大変です。それが終わると土汚れのような色合いに加えて、傷によって染み付いた血のような彩色も施していきます。あまりやりすぎてもリアリティーに欠けてしまいますので、配慮しながら完成させます。

「信玄と共にある軍団」というイメージを追及すると稽古着ひとつ作るにもすごい手間! しかも大量生産(汗)。

訓練兵を寄せ付けない 勝頼

百足衆

(上段は第16回冒頭場面。下段は第17回より)

武田百足衆は軍の伝令役で生え抜きの軍団です。一糸乱れぬ歩調で前進するのみ、決して退かないという特徴から百足は武勇の象徴とされていたそうです。本作では訓練場に初めて登場し兵卒を指導監視する役割を担っています。また冒頭に源三郎が脱走しようと試みる際に引きずり戻すのも彼らです。武田びしにくり抜かれたのぞき窓からあたりを見回すその顔には、頭巾と面頬めんぽおをつけて目の周りを黒く塗っています。「匿名性」と「不気味さ」を表しています。また山伏のような白い法衣ほうえを小具足の上に羽織り「白と赤」の武田カラーを守っています。

(左右とも、第22回「設楽原の戦い」より)

第21回「長篠を救え!」

白洲迅さんが演じる長篠城城主・奥平信昌はやがて亀姫が嫁ぐ相手です。長篠・設楽原の戦いのきっかけになる籠城シーンでは家臣とともに飢えをしのぎ励まし続け、人徳のにじみ出る好演でした。

もみあげが結構特徴的で、印象に残りますよね。

はい。実は現存する肖像画を拝見して「なぜ彼はこのようなもみあげをしているのだろう」というちょっとした興味を感じまして、「これを再現してみてはどうだろうか」と考えました。

奥平信昌

奥平信昌 像(久昌院 蔵)

五徳なんか知りもしないのに長篠を「ケモノしかおりませぬ。みんな毛むくじゃらよ」なんて言っていて(笑)。

(笑)そうなんですよ! ですから「毛」と関連づけた、勇猛な印象の引っ掛かりを作りたいと思いました。

徳川方に捕まる鳥居強右衛門

泳ぐ強右衛門

鳥居強右衛門は知る人ぞ知る戦国時代の英雄の一人だそうですが、実際にあんなキャラだったのですかね?

……あんなに巨大な体躯たいくではなかったかもしれません。初期の原稿には「毛深い小男」という描写がありまして、演出の川上さんと「毛深いというのは、どのくらいの感じなんでしょうね」などと話しながら、「ショーン・コネリーみたいなことなんでしょうかねえ」などと冗談とも本気ともわからないやりとりをしていましたが、いつしか「毛皮を身につけてカモフラージュしたらどうだろう」ということにまとまりました。このデザイン画はまだコネリーのころですね(笑)。

そう言われると顔も少し似ている気がしてきた……確かにショーン・コネリーは毛深いですからね(笑)。あの泳ぐ場面のデザイン画もあるのですね。でも、あんな分厚い毛皮を着たまま、果たして泳げるものなんですかね?

そこ、気になりましたか(笑)? 泳げるかどうか実際に検証したわけではありませんが、ここは寓話ぐうわ的な表現でいいのだろうと思いました。そもそも主君のために長い距離を走り抜け、危急を徳川方に知らせて再び長篠城に戻る途中で武田軍に捕らわれて、主君を裏切れと誘惑されるけれどもそれを振り切って援軍の報を知らせる、そしてはりつけになる、という逸話そのものがどこか寓話的でもあります。私にとって強右衛門の存在は「忠義の精霊」のようなどこか非現実的で理想の偶像のような存在にも感じられました。

第22回「設楽原の戦い」 武田勝頼

武田勝頼の最初期に描いた軍装イメージです。このかぶとに赤く染められたヤクの毛がついたものが眞栄田郷敦さんの演じる勝頼像になります。信玄とは違い、法衣は羽織らずあくまでも陣羽織と具足の武人らしい出立いでたちで血気盛んなイメージに作っています。織田・徳川軍を眼前にして破滅的に突撃する直前のげきには非常に感動しました。

「ただちに引くのが上策である。だが…引いてしまってよいのか? 目の前に信長と家康が首を並べておる。このような舞台はもう二度とないぞ。命永らえたい者は止めはせん。逃げるがよい。だが…戦場に死して名を残したい者には、今日よりふさわしき日はない!」あの言葉を聞いて武田兵全員がものすごい雄たけびをあげました!!

戦国時代最強といわれた武田軍の気高い精神が伝わってきて、思わず胸が熱くなりました。これまでとかく愚将として描かれやすい勝頼に、新しいイメージが吹き込まれましたよね。これはひとえに脚本の妙と眞栄田さんの存在が非常に大きかったと思います。

山県昌景

デザイン画通りに再現された扮装

柘植さんの手で描かれたデザイン画が、実際の俳優さんによってそっくりそのまま再現される過程を見ているのは、それだけでとても面白いのですが、特にこの山県昌景の顔面の髪型やひげの具合なんて、まさにそのまま忠実に再現された好例と言っていいのではないでしょうか。昌景を演じられる橋本さとしさんは、古田新太さんとは長らく劇団新感線の二枚看板だった間柄。「なりきり度」では負けていませんね。これは完全にあて描きですか?

はい、そうです。山県昌景を橋本さとしさんが演じられるとお聞きしてとても楽しみでした。2012年『平清盛』の際には源為朝の人物デザインを作らせていただきみなさまからも非常に反響をいただきました。橋本さんとはその前から最近まで、さまざまな現場でご一緒させていただいております。

本コラムvol.1「家康ブルーにかけた思い」でも言及されていた映画『ゲゲゲの鬼太郎』の第1作のほうでは、いわゆるラスボス的な役・空狐を演じていらっしゃいましたからね。この山県昌景については実在する肖像画などを参考にされたんですか?

いえ、むしろ戦国最強の武将の一人としての迫力を、橋本さんの肉体を通して表現できればと思いました。史実に残る山県昌景は身長が低かったそうですが、橋本さんはスラッとした長身でいらっしゃいますし。

とにかく顔が怖いですよ!

メイクアップは『どうする家康』の中でも1、2を競うほどの濃さなんです。これは彼がまるで「冥界からの使者」であるかのごとく常軌を逸した存在である必要からでした。衣装は深い赤、バーガンディー(ワインの王様と呼ばれるフランス・ブルゴーニュ産の赤ワイン。ワインレッドより暗く茶色味が強い)のような赤の陣羽織に毛皮の襟を配しています。そこに具足の朱漆しゅうるしのような鮮烈な赤がまざり込み、まさに「赤備え」を率いる武将の威厳を表しました。

設楽原の戦いで武田軍の先陣を自ら志願して突撃し、火縄銃に散る姿は名シーンでした。累々と重なるしかばねで埋まった戦場で、最期まで戦うことをあきらめずに息絶えていったあの雄姿。いつもは家康を応援して見ていた私も、設楽原の戦いの地獄絵図を目の当たりにしては、「敵ながら天晴あっぱれ」と言わざるを得ません!!

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