夜という時間帯は人の心を暗くする。
それは日常の活動時間からくる、脳内物質の減衰に伴う生理的な現象ではあるが、そうでなくとも闇に対して根源的な恐怖を抱くのが人間というものだ。
人は死や絶望といった言葉を思い浮かべた時、闇を連想する。
逆もまた然り。人は暗闇を見つめた時、そこに何かが潜んでいるのではないか、二度と抜け出せないどこかに引き込まれるのではないかと、得体の知れない恐怖を抱く。
そういう意味では、闇の中に身を置くことが常の呪術師という存在は、死を身近に享受できるような精神性が無ければ務まらないと言えるだろう。
さて、少々回りくどくなってしまったが、結局何が言いたいかと言うとだ――
――人間誰しも恐怖に打ち勝てる者ばかりではないと、要はただそれだけの話である。
◆◇◆
夜になって、坂柳有栖は一人テントの中で目を覚ました。
ポイントで購入したエアーベッドの上で横になりながら、腕時計に視線を落とすと時刻は10時32分。
(ああ……嫌な時間に、目を覚ましてしまいましたね)
予定では、次にスポットの巡回に向かうのが午前1時半頃。それに備えて日中に仮眠を取り、夜も早めに寝付いた訳だが、やはりそれがいけなかったのだろう。
まだ夜更けと呼べる時間に入って間もないというのに、有栖はやけにはっきりと目を覚ましてしまった。
神室や他の女子はどうなのだろうかと思い、耳を澄ましてみると、聞こえてくるのはかすかな寝息のみ。
どうやら他の女子達は日中の疲れからか、ぐっすりと寝付いているようだ。
神室も有栖と同様、日中に仮眠をとっていたのだが、それでも寝られているのは移動の際、護に抱えられていた有栖との疲労の差か。
仕方が無いと、再び目を閉じて眠りに入ろうとする有栖。
だが、人間眠ろうと思ってすぐに眠れる筈も無く、そのまましばらく時間だけが過ぎていく。
こういう時、人間というのは周囲が見えない分他の感覚が鋭敏になるもので、有栖は暗闇の中、様々な音を鮮明に感じ取っていた。
テントを叩く風の音。木々が揺れる草葉の音。そして近くに何か小動物でもいるのか、地面を伝って足音にも似た小さな物音が断続的に聞こえてくる。
それら無数の音が、有栖にはたまらなく不気味だった。
ゾクリと軽く身震いし、身を抱え込むようにして縮こまる。
(……少しは改善されたと思いましたが……やはり慣れませんか)
夏油傑の一件以降、有栖には一つの変化が生じていた。
その変化とは――暗闇が苦手になったこと。
あの一件以来、有栖は夜眠るときに自室の電気を消したことは無い。
暗闇の中で一人で居ると、どうしても意識してしまうのだ。この世には、呪霊という本物の怪物が存在するということを。
そうして一度意識してしまうと、ずるずると思考がそちらの方向に引き寄せられてしまう。
この暗闇の中、本当に何もいないのか。次に明かりをつけた時、目の前に大口を開けた化け物が待ち構えているのではないか、と。
勿論、本当に近くに呪霊が居るなら有栖もその気配は感知できる。
だが、いくら呪力を感知できるようになったといっても、有栖にとってはこれまでの人生、見えないことの方が当たり前だったのだ。
本当にその感覚が正しいのか、はっきりとした自信を持つことは出来ない。
(……大丈夫……大丈夫)
ゆっくりと呼吸をしながら、言い聞かせるように心の中で呟く。
すぐ近くには神室達、他の生徒だっている。何か有れば護だって駆けつけてくれる。だから心配することなど何もないのだと。
だが皮肉なことに、そうして強く意識してしまうほど余計に眠りから遠ざかってしまう。
するとしばらくして、ふと近くの木々が大きく揺れる音が響き、有栖はビクリと身をすくませた。
大方フクロウでも飛び立ったのだろうが、そう思う一方でどうしても嫌な想像をしてしまう。
一瞬、あの時見た大猿の化物の姿がフラッシュバックしてしまい、有栖は自分の身を抱くように丸まりながら、ギュッと胸元にあるお守り袋を握り締めた。
(こんなことなら、護君の傍に居させてもらうべきでしたか)
昼間、龍園に言った抱き枕発言。実の所あれは半分程本気だった。
流石に男女同じ空間で寝る訳にもいかない為、別々のテントになってしまったが、周囲の目さえなければ護に傍にいて欲しかったというのが本心だ。
「……護君」
あまりの心細さから、呟きを漏らしてしまう有栖。
勿論、呼びかけた所で返事など返ってくるはずがないと分かっている。だが同時に、ひょっとしたらと期待もしてしまう。
このお守りが護に繋がっているというなら、あわよくばこちらの呼びかけが伝わることもあるのではないかと。
「…………」
しばらく待ってもみたが、聞こえてくるのは森の音と神室達の寝息ばかり。
やはりだめだったか。そう思いながら諦めたように息を吐いたところで――
「どうかしたか?」
有栖は突然掛けられた声に、ドキリと身を縮こませた。
聞き慣れた声に、期待と不安が半々な気持ちで、恐る恐る振り返る。
するとそこには、テントの窓から差し込む月明りに照らされる護の姿がそこにあった。
「ま、もるくん……?」
「おう」
傍にいてくれたらとは思ったが、まさか本当に来てくれるとは思わず、驚きに目が見開かれる。
「どうして……ここに?」
「いや、そりゃこっちが聞きたい。何かあったと思ったから来たんだが……」
そう言って、護は周囲を軽く見渡したかと思うと続けて有栖の方に観察するような視線を送った。
「あぁ、なるほど……」
有栖の姿を見て何を察したのか、護は納得したような呟きを漏らすと、そのまま屈みこんで有栖の目線の高さに合わせてから口を開いた。
「ちょっと、外に出るか?」
間近で聞こえるその声に、暗闇の中でも確かな存在感を感じて安心感を抱く有栖。
しかし同時にこちらのことがまるで見透かされてるようにも感じて、気恥ずかしさがこみあげてきた。
「ふ、フフ……わざわざ寝所に忍び込んでデートのお誘いとは、随分と大胆ですね」
「悪かったな。俺だって女子のテントに忍び込むのは抵抗あったわ」
誤魔化すようにできるだけいつも通りの笑みを浮かべようとしたが、どうやら暗がりの中でも、こちらの強がりは伝わってしまったらしい。
いつもならただ面倒そうに呆れた声を上げる護だが、今はなんだかその声に「しょうがないな」と手のかかる子供に対するような響きが混じって聞こえた。
そのことに僅かな悔しさを覚えつつ、有栖は近くに置かれた杖を手に取るとゆっくりと立ち上がった。そしてできるだけ余裕がある様に見える所作で、護に向かって左手を差し出す。
「では、エスコートをお願いできますか?」
淑女然とした優雅な所作だが、内心にあるのは先程の気恥ずかしさを誤魔化すための強がりが半分。もう半分は夜の闇に対する心細さによるものだった。
やってから、もう少し素直に頼むべきだったかと若干の後悔を抱く有栖。
普段の護なら「揶揄うな」とでも言う所。もしそれで拒否をされたらどうしようかと、そんな不安が浮かび上がるが――
「はいはい」
どうやらその心情に関してもお見通しだったらしい。
普段であれば多少渋るところを、護はあっさりとその手を取った。
「とりあえず少し離れるぞ。誰か起きてきて出くわすのも面倒だからな」
そう言って、護は有栖をリードしながらテントを出て森の中を進んでいく。
不気味な夜の森を歩いているというのに、しかし有栖は先程よりもずっと落ち着いていた。
それは握った手の平から伝わる温もりのおかげか。
しばらく歩きながら、大分冷静さを取り戻したところで、有栖は改めて先程抱いた疑問を問いかける。
「あの……もう一度聞きますが、どうして護君は私の所へ?」
すると護は少し考えるような素振りを見せながら、その問いに答えた。
「多分だけど……お守りの誤作動だろうな」
「誤作動、ですか?」
お守りなのに誤作動とはこれいかにと、思わず首を傾げる有栖。
有栖の胸元にあるお守り袋。これは以前の襲撃事件が有ってから、万が一の警戒用に護から渡されたものだ。
効果としては周囲の呪力を感知し、何かあった場合護に危険を知らせるというもの。
しかし誤作動と言っても、少なくとも周囲に呪霊の気配など無かったし、有栖自身呪力を練れないのだからお守りが反応する訳もない。
一体どうしてそんなことが起こったのかと、問いかける有栖の視線に対し護は順をおって説明しだした。
「まず、君に渡したお守りは楓花に渡した物と違って、低位の呪霊でも感知できるよう微弱な呪力にも反応する仕組みになってる」
「鬼龍院先輩のお守りは、違うのですか?」
「楓花の場合、日頃の訓練もあるからな。そんな作りにしたら毎日作動しっぱなしになるだろ?
楓花のは呪力の籠め方にコツが有って、本人が俺を呼ぼうとして直接呪力を籠めるか、もしくは余程危険な呪力を感知した時、反応するようにしてる」
呪術のことなどほとんど知らない有栖には、これがどれほど凄い事なのか分からないが、なんとなくあっさりとした護の口調に反して、とても高度な技術なのではないかと感じた。
そもそも呪力を感知するお守り自体仕組みなんてさっぱりだが、そこで更に複雑な条件付けまでするとなると、簡単な事ではないだろうと。
ともあれそんな思考はさておき、有栖は話を戻す。
「ですが、それなら何故私のお守りが反応を? 先程のテントに呪霊などいなかった……ですよね?」
あるいは、自分が気付かなかっただけで存在していたのだろうかと、恐る恐る問いかける。
「安心しなよ。少なくともこの島に呪霊なんて一匹も居なかった。
お守りが反応したのは、君の呪力だよ」
「私の?」
「そ、勘違いしがちだけど、呪力ってのは何も呪術師だけが持ってる力じゃない。
一般人だって術師に比べりゃ少ないってだけで、多少の呪力は持ってる。特に呪霊が見えるレベルともなれば猶更だ」
それに関しては有栖も既に聞いた話だ。
術師と非術師の違いは呪力の多寡。そして持っている呪力を意識的に扱えるかどうかの違いであると。
「勿論、日常生活で漏出する呪力なんてたかが知れてる。本来なら渡したお守りも、その程度の呪力で反応することはないんだが……君、さっきはかなり精神的に不安定な状態だったろ?」
どこか躊躇いがちに問いかけてくる護の言葉に、有栖は先程の自分を思い出した。
ベッドの上で縮こまり、まるで幼い子供のように身震いする己の姿。
あのように情けない姿を見られたことの恥ずかしさがぶり返し、有栖は俯くように顔を背けた。
「…………」
「今更気にすることでも無いだろ。昼間も洞窟に入ろうとしたとき、固くなってたのも分かってる。
――暗闇、怖いんだろ?」
「……はい」
ここまでバレているのに、尚も誤魔化そうとするのはそれはそれで情けないように思える。有栖は躊躇いつつもか細い声で頷いた。
護もそれを気遣ってか、それ以上有栖の心情には触れず説明へと戻る。
「前にも言ったと思うけど、呪力ってのは精神に由来する力だ。強い感情を抱けば、本人が気づかない内に呪力が漏れ出ることもある。
ましてそのお守りを強く握り締めていたのなら、漏れ出た呪力が流れても不思議じゃない」
できるだけ淡々と説明しているのは、護なりの気遣いだろうか。ともあれ、理由に関しては分かった。
あの瞬間、有栖は恐怖の最中護が来てくれたらと思いお守りを握り締めていた。
恐怖によって湧きあがった呪力。そこに有栖の縋るような思いが指向性を与え、お守りに流れてしまったとすれば一応の説明は付く。
「……理由は分かりました。しかしそうなると、私のせいで護君の睡眠を妨げてしまったようですね。申し訳ありません」
これに関しては素直に申し訳ないと思う。
いくら護がずば抜けた身体能力を持っていると言っても、流石に日中歩き通しで疲労だって溜まっているだろうと。
「ああ、それに関しちゃ気にしないでいい。
丁度実験の最中だったし、むしろタイミング的にはよかった」
「実験、ですか?」
護の事だから呪術絡みの何かをしていたのだとは思うが、タイミングがよかったとはどういう意味だろうかと疑問符が浮かびあがる。
「っていうか、やっぱ気付いてなかったんだな、これ」
すると護は、有栖と繋いでいない方の左腕を掲げて見せた。
一体何をと思いながら、掲げられた腕の先へと視線を移すと、有栖はそれを見た瞬間呆けた声を上げた。
「――ぇ?」
彼女が見たもの、それは護の左手首から先に構築された一つの立方体の結界と、そしてその結界の中――左手首から先が完全に消失している光景だった。
「ま、護君……その、手は?」
「心配しなくても、別に物理的にぶった切った訳じゃ無いよ。ちゃんと空間的には繋がってる」
その腕を見た瞬間は心配気に目を見開いた有栖だが、動揺したのは一瞬のこと。
冷静になって観察してみると、途切れた手首から血は流れておらず、怪我をしたわけではないことが分かる。
僅かな間を置き、冷静さを取り戻した有栖は大凡の事態を察した。
「……なるほど。GPSによる監視を掻い潜る為、ですか」
「そういうこと。大分調子が戻ったみたいだな」
この試験が始まってから、護が左手の時計を鬱陶しそうに眺めていたことは有栖も知っている。
それをどうにかする手段が、これという訳だろう。
「空間操作の応用でね。細かい説明は省くけど、簡単に言うと二つの結界を同期させることで、離れていても繋がってると誤認させてるんだよ。
ちなみに切り離した左手は、この先もう少し行ったところに隠してある」
例えるなら、パズルのピースのようなものだろうか。
人体を一つの絵のように捉え、そこから手というパーツを物理的にちぎり取るのではなく、パズルのピースとして抜き取る。
細かい理屈に関しては全く意味不明だが、とりあえずは有栖はそのようなイメージを思い浮かべた。
「……護君の非常識にも大分慣れたつもりでいましたが、本当に何でもありですね」
「そう大したものでもないさ。この手のややこしい操作となるとかなり集中力が要るし、実戦じゃ碌に使うこともできやしない」
謙遜ではなく、本心から大したことがないと思っているような口調。
前々から思っていたことだが、どうも護は自己の能力に対する基準が戦闘方面に偏っているらしい。
ただでさえ頭脳や運動面など素のスペックだって高いというのに、更に空間操作なんて規格外の能力。
利用しようと思えば、人間社会において幾らでも成功を収められるだろうに、護はそれに全く価値を感じていないように見える。
明確な価値観の違いを見て、有栖は呆れると同時に一抹の寂しさを感じてしまい、そこから目を背けるように、重ねて疑問を問いかけた。
「しかし、それなら手首を丸ごと切り取らなくても、腕時計だけ抜き取ることもできたのでは?」
疑似的に繋がった状態を作り出せるというならば、何も手首丸ごとなんてショッキングな光景を作り出さずとも、時計だけを抜き取ることもできたのではないか。
無駄に驚かされたことに対する非難の混じった有栖の問いかけに、護は何と答えるべきかと悩む素振りを見せながら言葉を返した。
「まぁ、できなくは無いんだけど、それだとちょっと余計な手間が掛かる事になる。
なんて言えばいいかな……例えばパソコンのデータを移す時、ファイルを丸ごと指定するか、そこから一部のデータを掘り起こすか、みたいな?」
「……イメージとしては理解できますが、それはそこまで手間の掛かる事ですか?」
「あくまで例えだよ。術式を使う時の感覚なんて説明できるもんでもないし、実際の操作としてはもう少し面倒な工程を挟むことになる。
それに島を抜け出すって言っても、少し連絡を取りに戻るだけのつもりだったしな。別に片手が使えなくても問題無い――っと、ここだな」
話の途中、森の中を歩いていた二人は開けた場所に出た。
そこで護は立ち止まると、握っていた有栖の手を離し手印を組む。するとその瞬間、結界の中に現れる左手。
「ん、問題なさそうだな」
戻った左手の具合を確かめるように、グッパッと握ったり開いたりを繰り返す護。
そうして問題が無いことが確認できると、改めて有栖の方へと向き直った。
「それで、どうする?」
「どうする、とは?」
「今夜と、後は今後の話。スポットの巡回時刻を考えたら、残りの日数も睡眠時間が不定期になるからな。
こうして夜に目を覚ますことだってあるだろうし、その間どうやって夜を過ごすのかってことだよ」
言いながら、護は印を組んでひざ丈程の大きさの一つの結界を形成し、その上に腰を降ろした。
そして護がどうぞと座る様促す身振りを取ったのを見て、有栖も隣へと腰を掛ける。
「そう、ですね……」
確かに、考えてみると少々悩みどころだ。
幾らこまめに仮眠を取って調節しようとしても、深夜の巡回に合わせて都合よく目を覚ますのは難しい。
「護君がご一緒のテントに居てくれれば解決するのですが」
揶揄うような口調だが、半分くらいは本気である。
護が傍に居てくれるというのであれば、有栖にとってこれほど心強いことは無い。
「却下。寝る時まで一緒のテントとか、周りにどう思われると思ってんだよ」
「……もう色々と手遅れな気もしますが」
仮にの話、こんな試験の最中に不埒な行為に走る生徒が居たとしたらまず周囲にバレる。
二人の関係について勘ぐっている生徒が多いとは言っても、仮にもAクラスの生徒達。その程度の思考は働くだろう。
そう考えればたかだか寝所を共にする程度の事、周りから向けられる視線など、ある意味今更と言える。
護もそれを自覚しているのか、現実逃避するように目を逸らした。
「……いや、周りの視線を抜きにしたってさ、君だってこのままでいいとは思ってないんだろ?
百歩譲って今回の試験はそれでよかったとしても、今後同じようなことが有った時どうするよ。
俺だって、ずっと一緒に居られる訳じゃ無いんだ」
「……ええ、分かっています」
有栖とて暗闇に恐怖を抱いてしまう現状は不本意なもの。出来ることなら克服したいというのが本音である。
だが、だからと言ってどうすればいいのか。
先程だって、有栖は必死に我慢しようとしたのだ。それでも、結局体の震えは止まってくれなかった。
あの襲撃事件、呪霊が目前まで迫った時のことを有栖は忘れない。
明確な死が形を成して襲い掛かり、全身が奈落に落ちたかのような絶望感に包まれる感覚。
人はどうしようもない絶望に直面した時、本当に目の前が真っ暗になるのだと有栖は知った。
故に有栖は闇が怖い。暗闇を見ると、どうしてもあの時の死のイメージへと結びついてしまうから。
改めて、自分の精神的な脆さを自覚して、気落ちしたように俯く有栖。
するとそれを見て、護は言い過ぎたとでも思ったのか、少し気まずげな表情を浮かべると、申し訳なさそうに口を開いた。
「わるい、少しせっつきすぎた。
突き放すようなことを言ったけど、分かってるなら別にいいんだ。
そのために何か必要なことが有るなら手伝うし、どうしても我慢できない時があれば、こうして話し相手くらいにはなる」
いつにも増して、ゆっくりと穏やかな声音。
その声に有栖は安心感を覚えると同時に、なんだか子供扱いされているようにも感じて一抹の悔しさも抱いた。
その悔しさを燃料に、有栖は弱気を振り払って護に向かって笑みを向ける。
「ありがとうございます。では、人肌が恋しくなったら護君の体をお借りしますね」
「言い方考えろよ?」
「フフ……さて、ではひとまずは今夜の事を考えましょうか。今から寝るには、あまりに中途半端ですし……」
(スポットの巡回まで、残り2時間程。一応その前にシャワーも浴びて身支度も整えたいですし、そう考えると――)
スポットの巡回となれば、また有栖は護に背負われることになる。そうなると、やはり密着する以上はちゃんと身ぎれいにしておきたいところだ。
しかしそう考えた所で、有栖は気付いた。
(シャワー……あそこで、一人)
Aクラスのシャワーは、ベースキャンプからは少し離れた水場に近い位置に設置してある。
設置したシャワーは個室で勿論室内も明かりはつくが、一歩外に出れば暗い夜の森が広がっている。
あの孤立した空間の中でシャワーを浴びることを想像した瞬間、有栖は身震いし即座にすぐ隣の護の腕をガシリと掴んだ。
「護君、必要なことが有れば助けてくれるのですよね?」
「お、おう。そのつもりだけど」
珍しく勢いよく詰め寄った有栖の剣幕に、戸惑った表情を浮かべる護。
そして有栖は真っすぐに護を見上げると、鬼気迫る真剣な表情で口を開いた。
「お風呂、貸してください」
「――は?」
◆◇◆
「開門」
護の『部屋』と外界とを繋ぐ白い壁のような出入口。それを潜り抜けると、そこは見慣れたマンションの自室だった。
そして隣には、護の結界を使って時計のみを外した有栖の姿。
「ここが、護君の本来の自室ですか」
明かりの灯った部屋を興味深げに見渡しながら、有栖は呟く。
壁に置かれた本棚にはジャンル問わず無数の本が詰められており、デスクの上にはマルチモニターのパソコン。
飾り気こそ少ないが、そこには学生寮の部屋と違って、確かな生活感が染み付いていた。
「あんまジロジロ見ないでくれ」
「おや、何か見られて困る物でも?」
「いや、別にないけどさ……ただ、最近はあんま片付ける暇も無かったんでな。変に観察されるのは、粗を捜されてるみたいで少し落ち着かない」
「フフ、それは失礼しました」
護の場合、見られて困るような物騒な代物は普段から術式空間に収納するようにしている。
とはいえ今回の来客は想定外のもの。一応普段から気を付けてるつもりではいても、客を迎える碌な準備もできてない以上、何か手落ちがあるのではないかと落ち着かない気分にもなる。
「とりあえずさっさと風呂の準備するから、その間はリビングで待っててくれ」
結局あの後、風呂を貸せという有栖の頼みに護は頷いた。
護としては、他の生徒が簡易的なシャワーで我慢しているというのにいいのだろうかとも思ったが、それを言うなら普段から校則を無視して学外と出入りしてる時点で今更である。
それに自分達が多少生活面で楽をしたくらいで、今回の試験の結果が何か変わる訳でも無い。
そのようなことを有栖の口八丁で丸め込まれた結果、結局有栖に風呂を貸す流れとなった。
(まぁ、俺も1週間糖分無しはキツイと思ってたし、この際開き直るか)
護としては試験中も日頃の鍛錬を欠かすつもりは無い訳で、そうなると術式で頭を使う関係上、糖分の摂取は割と切実な問題である。
内心で打算的な事を考えながら、有栖をリビングに案内すべく部屋を出る護。
そしてリビングの扉を開いたところで――
「やっほー、おかえり護。随分と遅かったね」
――掛けられた声に、扉を開いたまま固まった。
「……なんで居るのさ? 兄さん」
(なんかデジャヴ……)
問い掛けながら、なんとなく前にもこんなやり取りがあったなと既視感を抱く護。
するとソファに座った兄――五条悟は、ヘラヘラと笑いながら言葉を返してきた。
「前にも同じような反応されたけど、僕がここに居るのってそんなに変?
一応ここ、僕の名義で契約した部屋よ?」
「いや、そもそも兄さん高専の寮に部屋あるじゃん。
大体俺、いつ帰るとか一言も言ってないし、なのにずっと待ってたの?」
確かにこのマンションの一室は兄名義で購入したものだが、それは護がまだ未成年だったために名前を借りただけのこと。
兄当人は仕事の都合上高専の寮室で寝泊まりすることが多く、ここに来るのは大抵護に用事がある時くらいだ。
まぁ、用事と言っても偶に気まぐれで遊びに来ることもある訳だが。
「やー、だって護ってば旅行が始まってから何の連絡もよこさないし、なんかあったと思うじゃん?
ちょっと話したいこともあったし、そんならメール待ちするより、こっちで一泊しながら待ってた方がいいかと思ってね」
あっけらかんと答える兄に対し、頭痛を堪えるように額に手を当てる護。
別に兄が部屋に来た事、それはいい。何の前触れも無くいきなり泊まりに来ること自体はよくある事だ。
問題なのはタイミング。何故よりにもよって、こんな日に現れてしまうのか。
「それとも何、もしかしてお邪魔だった?」
そう言って、兄は護の後ろにいる有栖へと意識を向けながら口角を吊り上げた。
そのなんとも嫌らしい笑みを見て、案の定面倒臭いことになったと思いながら言葉を返す。
「……言っとくけどやましいことが有って招いた訳じゃねぇから」
「そうですね。私はただ、護君と触れ合う前に綺麗にしておこうと、お風呂を借りに来ただけです」
「よし、君もマジで黙れ」
なんだって夜中にこの二人の相手をしなくてはならんのかと、ケラケラ笑う兄を見ながら、疲れたように溜め息が漏れる。
「あーもう……とりあえずこの辺りの事情は後で説明するから、少し待っててくれ」
とにかく、この二人を纏めて相手するのは疲れる。
とりあえず今はさっさと風呂の準備をして、有栖をこの場から引き離そうと護はリビングから出て行った。
風呂場に行き、湯船にお湯を張るべく蛇口を回し、バスタオルを用意する。
(一応新品の出しとくか……)
普段から洗濯しているとはいえ、男が普段使いしているバスタオルを年頃の女子に渡すのもどうかと思い、脱衣所の棚から予備のタオルを引っ張り出す。
テキパキと準備を済ませ、後は湯船にお湯が満ちるのを待つばかりとなったところで、一応ケータイを取り出しアラームをセットして、護はリビングへと戻った。
「あー、とりあえずアラーム設定しておいたから多分10分くらいで――」
「――で、これが7歳頃の写真ね。やーこの頃から護ってば写真撮られるの嫌がっててさ、そのせいであんま残って無いんだよね。
ほら見てこの仏頂面」
「フフ、可愛いじゃありませんか。これは、遊園地の写真ですか」
「あー、あったあった。なんか怪現象の起こる遊園地が有るってんで調査に行ったらさ、護ってば迷子の子を案内したら自分まで迷子に間違われてんの。
や~、呼び出し放送で護の名前が呼ばれた時は笑ったよ」
「あの時は案内した子供に引っ付かれてたら流れでああなったんだよ。
ってか、何やってんだあんたら!」
テーブルの上に、一冊の本を開きながら和気藹々と語り合う二人。
会話の内容に苦情を流しつつ、ツッコミを入れる。
「ん、何って――アルバム鑑賞」
「そんな『当たり前だろ』みたいな反応しないでくれる?」
「えー、弟の友達が家に来てやることって言ったらこれでしょ」
「ですね。やはり友人と親睦を深めるには過去を知ることから始めなくては」
「ねぇよ、んな常識!」
護は声を荒げてツッコミを入れると、即座に印を結んでアルバムを結界で囲おうとする。
しかし結界が形成されるよりも早く、兄は目にもとまらぬ素早い動きでアルバムを掻っ攫った。
「残念だけど、今回はここまでね。君だけに見せるのも楓花に悪いし、今度は二人揃ってる時にでも見せるよ」
「見せんな!」
「え~、思い出は友達と共有してこそなんぼでしょ。
それより護、結局なんだって連絡取れなかったわけ?」
(にゃろう……堂々と話題逸らしやがった)
さっさとアルバムを懐にしまい込み、急に話題を変えてくる兄。
相変わらず会話のキャッチボールが出来ない人だなと苛立ちを覚えつつ、かといってここで食い下がっては余計に頭の痛くなる無駄話が長引いてしまう。
護は深く息を吐きどうにか気を鎮めると、大人しく兄の質問に答えた。
「……ちょっと面倒な試験が始まったんだよ」
とにかく、さっさと現状報告を済ませてしまおうと口を開く護。
無人島でのサバイバル試験を課されたこと。その間安全の為にと渡された腕時計で、位置情報が監視されてること。後は風呂が無いんで、今回有栖に自宅の風呂を貸す流れになったことなど。
ポイント競争など細かい試験の詳細に関しては省いたが、今の状況が分かるよう簡潔に話した。
「――と、まぁこんな感じだから、しばらくは簡単に抜けられそうにないんだよ」
一通りの説明を終えてそう締めくくると、兄はククッと愉快気に笑みを浮かべた。
「何それ。随分と面白そうなことやってんね、そっちの学校」
「面白いって……こっちは割とたまったもんじゃないんだけど。
高い金を掛けてやるのが無人島サバイバルって、一体何の意味があるんだか」
「そう馬鹿にしたものでもないと思うよ?
人間、最悪自分の身一つあれば大抵の状況は乗り切れるもんだからね。
文明から切り離した場所に身を置かせることでそういう自信を付けさせるのが目的と思えば、割と教育としては理に適ってるんじゃない?」
その言葉に、意外そうに目を見開く護。
それは護自身、考えもしなかった視点の話。無人島でのサバイバルなんて一体何の意味があるのかと思ったが、確かにそう考えれば多少は意味もあると言える。
しかしそれ以上に驚きなのは――
(――ッ、兄さんが……教育者らしいことを言った……!?)
このなんちゃって教師が、珍しくまともな事を言ったという事実に対してだった。
「なんか、失礼なこと考えてない?」
「いや別に」
「ふーん……」
察しの良い兄に対し、即座に澄まし顔で惚ける護。
本人は先程兄のマイペースっぷりに呆れていたが、こういう図太い所は流石兄弟と言うべきか、割と良い勝負である。
「まぁ、試験の意味はさておき、そういう訳だからさ。暫くは呼び出しがあってもすぐに反応出来ないと思う」
「あぁ、そこはいいよ。元々旅行が有ること自体は分かってたしね。
折角の高校生活なんだし、護は一夏のアバンチュ~ルを楽しんどいで~」
「フフ、良かったですね護君」
「いや、アバンチュールて……」
知識が曖昧だが、確かその単語は単なる旅行ではなく、カップルとか恋人同士の旅行を指して使う言葉ではなかっただろうか。そして有栖は、何が楽しくて笑っているのか。
しかしそんな疑問を解消する前に、更に兄は言葉を続けた。
「ただ、代わりと言っちゃなんだけどさ、旅行が終わって手が空いたらでいいんだけど、ちょっと時間くれない?」
「時間? それは別にいいけど……」
そういえば兄がここで待っていたのも、何か話があるからだったなと思い出す。
「そりゃよかった。いやねしばらくの間、護にはちょっと憂太の面倒を見て欲しいんだよ」
「乙骨君の?」
「そ、どうも最近呪力操作で行き詰ってるみたいでさ。体術に関しては真希が教えてるけど、呪力操作となるとどうしてもね」
「あぁ……」
その言葉に護は納得の声を上げるが、横で聞いていた有栖はよくわからないのか、疑問気に首を傾げた。
「禪院さんでは、何か問題なのですか?」
「ん、ああ……まぁ本人も隠してる訳じゃ無いし、いいか。
真希さんって呪力がほとんど無いんだよ」
「呪力が無い? えっと……それは他の方と比較して少ない、ということでは無くですか?」
「そ、本当に一般人と同程度の呪力しか持ってない」
その言葉に、呆気にとられた表情を浮かべる有栖。
事情を知らぬのであれば当然の反応である。呪術師なのに呪力が無いなど、それではどうやって呪霊に対抗しているのかと不思議なのだろう。
「“天与呪縛”って言ってな。術師は何かしらの制限を掛けることで、術式の効果や呪力量を底上げしたりできるんだけど、時たまそういった“縛り”を生まれながらに課せられた人間が居るんだよ。
例えば四肢の一部を失くす代わりに、呪力量が増えるとか」
ちなみにこの辺りの説明は楓花にも話していなかったこと。
護はその内講義でもするかと思いながら説明を続けた。
「真希さんの場合はそのレアケース。本来持って生まれる筈だった術式や呪力が無い代わりに、常人離れした身体能力を持っている人間なんだよ。
ぶっちゃけ素の身体能力に関しては俺も勝てない」
「護君でも、ですか……」
無人島でのこともあって護の素の身体能力を知っているせいか、信じられないというような呟きを漏らす有栖。
ともあれ話を引き戻し、兄へと向き直る。
「それで、乙骨君に呪力操作を教えるってことだけど、わざわざ伝えに来たってことは割と急ぎ?」
「ま、そんな切羽詰まってる訳じゃ無いけどちょっとね。次の“交流会”までに少し鍛えておこうと思ってさ」
「は、交流会って……まさか乙骨君を出す気!?」
「ピンポーン、大正解! はい拍手ー、パチパチパチパチー」
呑気に拍手する兄を見て、呆れと驚きの混じった表情を浮かべる護。
「交流会、ですか……」
一方で有栖は、またも会話についてこれず疑問の声を上げた。
すると今度は、頭を抱える護に代わって兄がその疑問に答える。
「交流会ってのは、年に一度行われる京都にある姉妹校との交流会の事ね。
二日間かけて、京都と東京、それぞれの学長が提出した勝負内容で競い合うの。本来なら2、3年メインのイベントなんだけど、今年はウチの方が人数少なくてさ。代わりに1年から憂太を出そうって訳」
「また無茶なことを……」
「無茶?」
護が何に対して驚いているのか分からないのか、首を傾げる有栖。
まぁ仕方がない、交流会と言えば普通はほのぼのとしたレクリエーションの場を思い浮かべるもの。護が何を心配しているのか、分からなくても無理はない。
「交流会って言っても、やるのは毎年決まって呪術師同士の戦闘なんだよ。武器アリ呪術アリ、殺し以外は何をしても許される真剣勝負」
「ッ、それは……」
予想以上に物騒な内容であったことに驚く有栖だが、別に護が心配しているのは乙骨が怪我をするかもとか、そういうことではない。
有栖の反応を他所に、護は改めて兄へと問いかける。
「確か今年って京都での開催だろ? 保守派の巣窟に放り込むとか、火薬庫に火種をぶち込むようなもんでしょ。
上のちょっかいで祈本さんが暴走でもしたら、最悪京都が地図から消えかねないよ?」
その言葉にギョッと目を瞠る有栖だが、護の言ったことは何ら大袈裟な事ではなかった。
祈本里香の底なしの呪力量を考えれば、仮に暴走した場合町の一つや二つ軽く消し飛びかねない。
「大丈夫大丈夫。万が一そんなことになったら僕が命懸けで止めるさ。それに心配しないでも、あの年寄り共に今更何かする度胸なんて無いよ。
上にとっちゃ憂太の存在は一種の爆弾だけど、同時に里香の制御装置でもあるんだ。下手なことして暴走が止まらなくなったら、それこそ手に負えないからね」
楽観的なセリフだが、それはあながち間違ってもいない。
現状乙骨の事を危険視している上層部が彼の秘匿死刑を見送っているのは、五条悟の鶴の一声もあるが、乙骨という抑えを失った時、祈本里香が制御不能になることを危ぶんでもいるからだろう。
「そうだとしても、試合で乙骨君がピンチになったら出てくる可能性だってあるでしょ」
「それこそ今更だって。憂太だって、もう何件も任務をこなしてるんだ。
むしろここらで術師同士の戦闘も体験しておいた方がいい経験になるでしょ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
(すっげぇ、嫌な予感……)
護の経験上、兄がこうして楽しそうに企み事をしている時は大抵碌な事になった試しがない。
今年の交流会、確実に何か起きるだろうなと護は半ば確信に近い予感を抱いた。
まぁ、だからと言って本気で止める気もないのだが。
ただ里香の暴走を恐れているだけでは乙骨が進歩しないというのも一理あるし、本気で兄がそうすると決めたのなら護にとやかく言うつもりは無い。
こうなると、護に出来るのは交流会までの間、できるだけ乙骨の訓練に付き合うくらいか。
そこまで考え、護はふと思いついた。
「まぁ、いいや。とりあえず乙骨君の訓練に関しては分かったよ。
ただ一つお願いっていうか、一人見学者を付けたいんだけどいいかな?」
「ん? 別にその辺りは護の好きにしてくれていいけど、見学者っていうともしかして楓花?」
「いや違う違う。まぁ本人が興味あるようならそれもいいけど、俺が同伴させたいのはこっち。有栖の方」
そう言って、護は隣に居る有栖を指さした。
「私、ですか?」
いきなり名前を出されたことで、キョトンとした表情を浮かべる有栖。
どうして自分がと疑問気な様子だが、今回の件は有栖にとってもいい機会だ。
有栖が抱える恐怖心。それを克服するには、結局の所慣れるしかない。
しかし慣れると言っても地道に暗闇に慣らすようなやり方では時間が掛かるし、確実に改善されるという保証もない。であれば、多少の荒療治は必要だ。
勿論荒療治と言っても、いきなり目の前に呪霊を引っ張り出す訳にはいかない。そんなことをすれば、却って深刻なトラウマを抱えかねないだろう。
であればどうするか。要は、その恐怖心をより強い衝撃で上書きできればいいのだ。
そういう意味で、呪術師同士で戦う姿を見せるのは試してみる価値はある。
そのことを説明するべく口を開こうとした護だが、しかしそれより先に兄が声を発した。
「なるほどね……」
なにやら納得した様子を見せる兄だが、当然彼は有栖のトラウマのことなど知らない。
それを知らずして一体何に納得したというのか。護が怪訝な表情を浮かべると、兄は言った。
「護も、女の子に恰好良い所を見せたい年頃だったんだね」
「
「そうでしたか。しかしそのような事をしなくても、護君の良い所は知っていますよ」
「そりゃどうも。けど頼むから話を聞いてくんねぇかなぁ!」
と、そんなこんなツッコミを入れているところで――
――ピピピピッ
タイミング悪く、風呂場にセットしておいたアラームの音が部屋に届いた。
その音を聞き、有栖に向かって兄が声を掛ける。
「あ、お湯溜まったみたいだね。お風呂行って来たら?」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えてお借りします」
「ほらほら護、案内したげて」
護に反論させる間など与えまいとばかりに、勝手にサクサク話を進める二人。
「ああ、もう……わぁったよ」
どこまでもマイペースな二人に対し内心歯噛みしつつ。とにかくもうさっさとこの面倒な二人を分断してしまおうと、大人しく立ち上がる護。
そのまま有栖を風呂場へと案内すると、鳴っていたアラームを止めて湯船を確認する。
「……一応タオルに関しては新品を出しといた。シャンプーとボディソープは適当に使っていいから」
「分かりました。しかし、お部屋を見た時から立派なマンションと思いましたが、湯船も随分と大きいですね」
やはり女子というのは風呂好きなものなのか、学生寮の風呂場より尚も立派な浴槽を見て、有栖はどこか高揚しているようだった。
男が普段使ってる風呂場なんて女子としては嫌じゃないのかとも思ったが、喜んで居るようなのでその点に関しては素直にホッとする。
「ま、適当にゆっくりしてくれ」
「はい、ありがとうございます」
既に精神的にどっと疲れた護は、適当な言葉を掛けながら脱衣所を後にした。
この疲労を和らげるべく、キッチンでオレンジジュースを取り出してリビングへ戻る。なお、一応兄の分のコップも持って行く辺り流石の律義さである。
「お、サンキュー」
礼を言いながら、目の前に置かれたジュースに口を付ける兄。
護も向かいに座りながら、同様にジュースを飲んで人心地着いたところで、改めて先ほどの話に戻る。
「さっきの件だけど、あの娘を同伴させたいのは、精神的にちょっとしたリハビリをさせたいからだよ」
「あ、話戻すんだ。で、リハビリって?」
「……どうも、前の事件で呪霊に対してトラウマを持ってるらしい。
術師同士戦ってる姿を見せれば、少しは改善するかもしれないと思ったんだよ」
「なるほどねぇ……わざわざトラウマの克服にまで付き合うとか、護ってば随分とあの子を気に入ってるみたいね」
「茶化さないでくれ」
「茶化しちゃいないさ。実際、今まで護がここまで肩入れした相手なんていないだろ?」
言われて、護は考える。確かに、これまでの人生を振り返ってもここまで気を配る相手は初めてかもしれない。
というか、そもそも今までは一般人相手には一定の距離感を持って接してきた。
そう考えれば、有栖や楓花のような距離感の人間自体ある意味初めてだ。
「……仕方ないだろ。あの子が呪霊を見えるようになったことに関しては、俺にも責任があるんだ。
できる限りのフォローをするのは当然でしょ」
「責任ねぇ」
「……なにさ?」
「いんや別に? 護がそう思ってるなら、今はそれでいいさ」
何とも意味深な笑みを浮かべる兄に対し、護はなんだか釈然としない気持ちを抱きつつ、深くは気にするまいとジュースを煽った。
一応会話も一段落し、後は他に何か話しておくことは無かっただろうかと考える。
「……そういえば、乙骨君の訓練だけど、なんか目標にするラインとかある?」
一応訓練を付ける以上、何かしら明確な目標がある方がメニューも組み立てやすい。
そう思い問いかけた護だが、兄が浮かべた笑みに不吉な物を感じて、一瞬後悔しそうになった。
「そうだなぁ、しいて言うなら――
――本気の出し方を教えてやって欲しい」
オマケ小話 ~ようじゅじゅさんぽ~「赤飯案件」
悟「ところで護さ、風呂を貸すのは良いんだけど、あの子着替えとか持ってきてんの?」
護「…………あ」
悟「あー、やっちゃたねぇ」
護「やっちゃったって顔じゃねぇ。てか、なんでそんな楽しそう?」
悟「いや、別にぃ? とりあえず僕、やっぱ今晩泊まるの止めとくね。邪魔しちゃ悪いし」
護「邪魔って何!? ……ってか、着替えくらい別にいいでしょうよ。元着てた服を着れば」
悟「えー、護ってばデリカシーなーい。自分だったらどう思う? 一風呂浴びてさっぱりしたのに替えのパンツが無いの。嫌でしょ。女の子ならなおさらよ?」
護「だったらどうしろと……荷物を取りに戻ろうにも、あの娘のリュックとか見分けつかないし」
悟「ふぅ……仕方ないなぁ。ちょっとした下着ならコンビニでも売ってんでしょ。伊地知に買ってこさせるね」
護「止めて差し上げろ! 深夜に呼び出して女子の下着買わせるって、どんな罰ゲーム!?」
悟「じゃあ、どうする?」
護「…………本人に聞いてくる」
――3分経過――
悟「おかえり~で、なんて?」
護「とりあえず服と下着は洗濯機と乾燥機に掛けさせて欲しいって。で、乾くまで俺のシャツを貸してくれと」
悟「あー……やっぱ僕寮の方に帰るね。ちょっと皆で赤飯食べる用事が出来たから」
護「だから何でだよ!」
前回、早くできそうとか言っておきながら大変遅くなりました。期待をさせておきながら申し訳ありません。
ある程度できた所で読み直してたら、久しぶりの五条先生との会話とか、有栖ちゃんを少々弱しくし過ぎたかとか気になってしまって。
結果、なんか色々修正している間に当初予定していた倍くらいの文字数になってました。
あと今回、書いた台本形式のシーンに関して。
私、前々からじゅじゅさんぽ的な小話を書いてみたいとは思っていたんですが、本編と同じような文章を書こうとしたら、文字数もかさむし時間もかかるしで、結局書けずにいたんですよね。
ただ2年生編に入ったらオーディオドラマで出たようなじゅっぽんグランプリとかじゅじゅトラクイズとかやってみたいとも思っていたので、今回試験的に台本形式で書いてみました。
とはいえ台本形式って好みが分かれそうですし、この辺り、もしあまり評判が良くないようでしたら考え直そうかと思っていますので、ご意見頂けましたら幸いです。
もし好評なようでしたら、タグに台本形式でも追加して、小話が思いついたら今後も書いていこうかと。
-追記-
じゅじゅさんぽ部分に関して。投稿して1日程様子を見た所、お楽しみ頂けた方が多かったようなので、今後も思いついた話があれば同じように台本形式で書いていきたいと思います。
ただ、台本形式タグを追加するかという点に関してはやはり止めておこうかと。
台本形式と言っても本編とは関係ない部分の小話であり、読者の方々の中には「台本形式」という単語で除外設定をしている方も居るということで、それらを鑑みた結果、タグの追加は見送る事にしました。
様々な為になるご意見を頂けたこと、読者の方々には心より御礼申し上げます。