BIRTHSTONE PRAYING
樋口円香、誕生日おめでとうSSです。「ただ」誕生日プレゼントを渡すだけ。その「ただ」が、実は思いの外難しい。そんな悶々としたやりとりを二人の持つ独特の空気間を大事にしつつ、コミカルに描かせて頂きました。
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ショーケースの中に並ぶ色鮮やかなジュエリーとにらめっこしながら、ビシッとスーツを着込んだ長躯の男はかれこれ数十分程頭を悩ませていた。 (うーん……あまり高過ぎると絶対に……なら、これくらいなら……でも、どうやって……) そんな男と対面するジュエリーショップの若い女性店員は彼のあまりにも真剣に悩むその姿に気圧され苦笑いを浮かべていた。さて、どう立ち振る舞ったものだろう。 状況を整理する。昼下がり。若い顔立ちの整ったスーツ姿の男性が一人、ショッピングモール内のジュエリーショップに来ている。これはもしや……人生の分岐点? 大切な誰かへの贈り物? 何かを悟った若い女性店員は一度呼吸を整え行動に移す。 「あのー……もしよろしければなんですが、お話を窺えればこちらでご提案させて頂くことも出来ますけれども」 女性店員の言葉に、男はハッと我に返る。そうだ。そもそも最初から目の前に専門家がいるじゃないか。完全に見落としていたと蟀谷を指で掻き自嘲気味に笑う。 「はは……すみません。つい、夢中になってしまっていまして」 「いえいえ、とんでもございません! とても真剣なご様子でしたので」 お互いに何度か頭を下げ合うと、女性店員は本題を切り出す。 「お相手様やお客様の御意向やどういったものを好むかの傾向等をお聞かせ願えれば、ご予算に合わせてこちらでいくつかピックアップさせて頂きます」 「ありがとうございます。でしたら──」 花開いたように笑う男は女性店員へと注文を告げる。 「──10月の誕生石をあしらったものを、なにか」 「お疲れ様でした。お先に失礼致します」 収録を終え共演者や関係者に丁寧な挨拶を交わすと、樋口円香は足早にスタジオを後にする。パーカーの上からパーカージャケットを羽織、腰にシャツを巻いたデニムのショートパンツではやや寒く感じる秋の夜風を、二本のヘアピンで前髪を止められた赤茶色のショートヘアを揺らしその小柄な体躯で突っ切りながら、スマートフォンで現在の時刻を確認する。大丈夫。まだ、バスはある。 順調だったはずの収録は、機材トラブルの影響で大分遅れが出てしまった。 誰も悪くない。そういう日もある。そう言い聞かせ更に足を速める。 いっそタクシーでも捕まえてしまおうか。臨時であれば事務員の七草はづきさんに申請すれば、経費として落としてもらえるはず。……そう頭に過るも手間を掛けさせたくないという思いでそれを断ち切る。どのみち、このペースでいけば間に合うことはほぼ確定している。バスは既に見えている。後、もう少し── 「──円香!」 聞き覚えのある声に円香は足を止めてしまう。……ああ、ほんと。この人はいつもこう。 「……………………………」 眉を顰め立ち止まった円香に一台の車が近付く。見慣れた──いや、乗り慣れた283プロダクションの社用車。運転席に座るのは、あの男。 「──とっくに、終了の予定時刻は過ぎていると思いますが」 開けられた助手席の窓から車内を覗き込み、 「収録の遅れ、あなたの仕業?」 運転席に座るスーツ姿の若い男、283プロダクションプロデューサーを睨み据えた。 「え? 遅れていたのか? 収録で何かあったのか⁉」 「いえ。ただの機材トラブルですので。大事というほどではありません」 円香の言葉に男はホッと胸を撫で下ろす。 「なんにしても遅くまでお疲れ様。さすがに疲れただろう。送っていくよ」 疲れているのはあなたも一緒では? そう返そうとして踏み止まる。さすがの円香も送迎に対しての拒否感は既に薄れている。とはいえ、毎回のように回り道をしてまで送ってもらうのも気が引けるというもの。 「ありがとうございます。でも大丈夫です。まだバスが──」 そう口にした矢先。アナウンスと共に扉が閉まり、乗るはずだった最終バスは無情にも走り出してしまう。茫然自失の面持ちで青信号の交差点へと消えてゆく車体をただ眺める。 「……………………………」 「……………………………」 「……い、行っちゃったな。はは……」 耳朶に触れる乾いた男の笑いが円香の不機嫌を加速させる。一つ大きな溜息を吐き乱暴に後ろの扉を開けると、そのまま後部座席に腰を下ろす。 「…………行ってしまいましたので」 腕を組み、圧を掛けるよう睥睨する。男は円香の次の言葉を待つまでもなく苦笑いを浮かべながらエンジンをかけ。帰途へと走り出す。
「──それで、この間の収録の帰りに監督さんに連れられて行ってきたんだけれども、地味の良さを生かした美味しいお店だったよ」 「そうですか。それはなによりで」 ……は、話が繋がらない。ここ最近は会話にも良く乗ってくれるようになっていたのだが、今日はどうしてだか機嫌が悪い。スマートフォンの画面から目を離さない円香の興味を、どうにかして引けないものかと男は思考を巡らす。 胸ポケットに忍ばせた『あるもの』を自然に渡す為には、どうにかして円香の機嫌を取り戻さなければならない。……機嫌が良くても、受け取ってもらえるかは分からないけれども。 運転に集中しながらも、男はひたすらに熟考する。家に到着してしまえばすぐに降りてしまうだろう。だとするならばほんの少し回り道……賢い円香の事だ。いつもと道が違うことに違和感を覚えるだろう。……もう遅い時間だけど、ならいっそ── 「そ、そのお店なんだが、この道を行った先にあるんだ。お腹も空いているだろう。良かったらこのまま夕食でも」 「大丈夫です。控え室で軽食を頂いていますので」 「そ、そうか……」 決死の特攻も軽くいなされてしまいけんもほろろ。耳を傾けてもらおうと講じた作戦はすべて失敗に終わってしまう。表面上は平常心を取り繕っているが内心の部分では狼狽を隠し切れずにいる。このままでは直に家に着いてしまう。なにか、手立てを……。 「………………」 だがその一方で、察しのいい円香はルームミラーに移る男の僅かな表情の変化を見逃さずにいた。何より、普段であればもう少し踏み込んで話をしてくるはず。そもそも、本来ならもう収録が終わっている時間にわざわざ現れて──何かを、隠している……? お互いに出方を窺いながらも奇妙な静寂に包まれた一台の車は、ネオンライトに照らされた幹線道路を疾駆する。時間だけが、ただ無情に過ぎてゆく。 「──どうしたんですか」 先に動いたのは円香だった。男に気取られないよう手に持ったスマートフォンから目を離さず、訥々と口を動かす。 「何か私に用事があるから、わざわざスタジオまで来たんじゃないんですか」 円香の発したその言葉は、会話の糸口を必死に探していた男にとってまさに渡りに船と言った内容であった。 「あ、ああ! そう、そうなんだ!」 解けない難問に悶えた蕾のような渋面が満面の笑みに上書きされ花開く。変わりそうな信号を確認すると速度を緩め、完全停車したところで胸ポケットへと手を忍ばせる。 (──どう渡す?) だが、思わぬフォローに救われこそしたものの肝心の問題は解消していない。それどころか、そうだと自白してしまったが為に自分自身で逃げ場さえも塞いでしまっている状態だ。 「…………………………?」 余りにも不自然な男の様子に、円香もスマートフォンから目を離し怪訝そうに男の様子を窺う。僅かに零れた彼女の吐息に勘付かれたことを懸念し、一度胸ポケットから手を離す。 絶好の好機は僅かな逡巡と青に変わった信号とに阻まれ、神妙な空気の晴れぬまま、再び車は動き出す。 「す、すまん! もう少しゆっくり、車を止められるところで話すから」 「はあ?」 ころころと態度を変える男に、さすがの円香も声を上げた。 「…………まあ、いいけど」 だが、一度冷静になり、再びスマートフォンを弄り出す。助かった、と男はホッと胸を撫で下ろすも問題の先送りでしかないことに気が付くと軽い眩暈に襲われる。なんとか、次の停車タイミングまでには、いい案を……!
──だが男の祈りも虚しく、円香の家の前に着くまで車が停車することはなかった。
「──よし、着いたぞ」 浅倉家と樋口家。二つ並びの家屋から少し離れた場所に停車し男は車のエンジンを切る。 (はあ……着いちゃったぞ。どうするか……) 結局、到着するまで案が浮かばなかった男は天を仰ぎ放心する。それを渡すという意味であれば本来は明日がベストなのだが、びっしり埋まったスケジュール帳にその行動を行う猶予は一切ない。 「はい。ありがとうございます。……………………」 一方の円香も、用事の内容を男の口から直接聞き出せないままでいた。どうせ大した内容ではないだろうし、無視しても構わないと内心では思っていた。だが、どうしても気になってしまう。普段ならば、こんなことないはずなのだが。 車内を包み込む幾度目かの静寂。時間の経過と共に家々の明かりは寝静まる街と共に消えてゆく。小さな街灯だけが、沈黙の車内を照らす。 「──円香」 「──ねえ」 口を開いたのは、ほぼ同時だった。意を決したつもりだったのだが……猶更気まずさが上回ってしまう。それでも男は覚悟を決め、続く言葉を紡ぎ出す。 「──これ。受け取って欲しいんだ」 男が選んだ道は、玉砕覚悟の直球勝負だった。胸ポケットから花柄の包装紙に包まれた小さな箱を取り出し身体を後部座席に向けると、それを円香へと差し出す。 「──何? これ」 当然の疑問だった。警戒心を露わにするよりも先に男は話を続ける。 「本当なら、今日渡すべき物じゃないんだけれども」 「今日じゃない……? ……ああ」 そういうこと。と、何かを悟ったように一度目を瞑り視線を逸らす。やっぱり、ダメなのだろうか……? 男がそう諦めかけていると、 「では、ありがたく受け取っておきます」 すっと、小さな手で男の持つ小箱を抜き取った。 「──えっ」 予想外の行動に目を丸くする。一方で円香は掠め取った小箱を男の目線に合わせ、 「──誕生日プレゼント。……ってことですよね」 断る理由、あります? とでも言わんばかりに小首を傾げ、お道化て見せた。 予想外の結果に呆然とする男だったが次第に我を取り戻し、状況と結果を理解すると、 「お、おう! そうだよな。はは」 屈託のない笑顔で、笑って見せた。 「これ、今開けてもいいんですか」 「誕生日プレゼントだからな。出来れば、明日開けてほしい」 「随分と細かいんですね。ミスター・ロマンチスト」 「こういうのは雰囲気が大事なんだ」 「前日に渡しておいて?」 「お……大人には、時間の都合がつかないこともあるんだ」 「…………ふーん」 掛け合い漫才のようないい問答の後、小箱を片手に持ったまま後部座席のドアを開ける。 「分かりました。では、明日開けることにします」 降車際そう小さく呟くと、少し離れた自宅の方へと歩を進める。 「おう! お疲れ様、円香!」 助手席側の窓を開け労いの言葉を掛けるも、決して振り返ろうとしないその背中を見送る。なんとか無事にプレゼントを渡すことに成功した男はスケジュール帳を開く。僅かな空欄もない程にびっしりと敷き詰められた明日のスケジュール。そこから一頁戻ると、一つのミッションと書かれた予定が、大きな文字で記載されていた。
──円香に誕生日プレゼントを渡す──
赤いボールペンを取り出し、何重にも大きな丸でそれを取り囲む。筆圧の強さに、確かな嬉しさと達成感が込められていた。
「──よしっ! 明日も、皆の為に頑張るぞ!」
今日一番の大仕事を終えた男は車のエンジンを掛けると、事務所の方へと車を走らせた。
帰宅した円香は日課のストレッチを終え風呂に入ると、パジャマに着替え就寝の準備に入っていた。デスクの上に並べられた学校の教材や仕事用の資料を一つずつ入念に確認し、それをバッグへと詰め込んでゆく。 「………………」 傍らに置かれた、花柄の包装紙に包まれた小箱には、あれから一切触れていない。一瞥もくれず身支度を整えると、それを開けるタイミングを告げてくれる合図を、ただ待つ。 ──時計の長針と短針が同時に0を指す。深夜にも関わらず鳴りやまないチェインの通知からは、事務所のアイドルや幼馴染達から、無数の祝福の言葉が綴られていた。 誕生日なんて、ただ歳を重ねるだけ。本当なら、その程度でしかなかったはずなのに。僅かに表情を綻ばせ、一つ一つ既読と返信を返して行く。 それらがひと段落すると、今度はデスクに置かれた小箱に手を伸ばした。綺麗な包装紙が破れないようテープを丁寧に剥がし、中に入っていた白い小箱をそっと開く。 「──これ」 入っていたのは、バースデーカードと、小さく綺麗な宝石を使用したネックレスだった。同封されていた仕様書のようなものを見ると、どうやら使われているのは、オパールらしい。 「……………………」 予想外の物に円香は言葉を失う。小さいとはいえ、それなりの値段はするだろう。……いや。あの人は、そういう人だ。必死に選び抜いた末の回答が、これなのだろう。 手に取ったそれを眺めていると、ぴろんっ、と間を開けてチェインの通知が鳴り響く。通知に表示されていたのはあの男──プロデューサーであった。
『誕生日おめでとう、円香。オパールは10月の誕生石の一つで、幸運を呼ぶ石と呼ばれているらしいんだ。それに、才能や可能性を引き出し、願望を達成に導く効果もあるらしい。これから先、ソロライブや収録でまた色々と忙しくなるかもしれないけれども、きっと円香なら乗り越えられる。俺も強力を惜しまないから、これからも一緒に、頑張っていこう!』 長々とした文章を読み、既読を付けるとスマートフォンを枕元へと放り投げる。再びネックレスを手に取り化粧台に向かうと、それを首元に運び鏡を覗き込む。……正直なところ、自分にはまだ早いんじゃないだろうかという感想しか出てこなかった。 「……オパール」 幸運。才能。可能性。そして、
──願望。
どれもが一度はあの男──プロデューサーが円香に対して口にした言葉だ。鮮明に蘇る今までの記憶。接触を避け、ぶつかり合い、時には拒絶し否定し……それでも彼は、樋口円香というダイヤの原石を決して諦めず磨き続けた。
その結果が、
──今の私。
宝石に秘められた言葉はきっと、円香に対する男の純粋な願いなのだろう。そしてきっと今も、これからも、その気持ちは変わらない。だからこそ、
「…………私には重い」
苦笑いを浮かべ小箱にネックレスを仕舞い込むとそれをデスクの隅へと置く。流れのままベッドへと倒れ込み電気を消すと、数分後には安らかな寝息を立てていた。
今はまだ、私には早い。……けれども──
いつかはあの宝石の輝きが、似合うように。