Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結) (ファルメール)
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第01話 マスターな店長

 

 11月某日、14時30分頃。

 

 冬木市の一角にあるイタリアンレストラン「虹色の脚」に、二人の来客があった。

 

 一人はダークスーツに身を包んだ絶世の美少年……ではなく、男装の麗人。

 

 もう一人は、髪や肌の色から装いまで全て白一色で統一した絶世の美女。年齢は二十代半ばといった所であろうか。

 

 外国人居住者も多い冬木市であるが、この二人は明らかに旅行者であると分かる。理由は簡単。これほど人目を引く者達がそのどちらか一方でも今までこの町に住んでいたのであれば、町の人々がそれを見逃している訳がない。それほどに容姿端麗な二人だった。

 

 スーツの女性の手にはパンフレットが握られている。そこには、この「虹色の脚」の紹介記事も書かれていた。店の規模は大きくはなく雰囲気も庶民的ではあるが、一度食べたら病み付きになるような絶品料理を振る舞う冬木市のグルメスポットだと。

 

 しかしそんな人気店も、ランチタイムを大きく過ぎているこの時間では流石に客もまばらであり空席が目立つ。

 

 と、来客に気付いたウェイトレスがぱたぱたと店の奥から駆けてきた。快活そうな印象を受ける、褐色の肌の少女だ。

 

「いらっしゃいませ!! 二名様です……か……?」

 

「あら?」

 

「どうか、しましたか?」

 

 その少女は入ってきた二人を見た途端、何やら怪訝な表情を見せる。決して敵意や猜疑心といった負の感情の籠もったものではないが……

 

 しかし初対面の筈の相手から妙な視線を向けられて不思議に思ったのか、白の女性は首を傾げ、スーツの少女は穏やかに疑問を投げかける。

 

 そして、次にそのウェイトレスの発した言葉に、二人はその表情を引き攣らせる事になる。

 

 彼女はこう言ったのだ。

 

「ライダーさん、どうしたんですか? その格好……それに、その人は……?」

 

「「!!」」

 

 ”ライダー”。ウェイトレスの口から出たその単語。それはこの二人にとって特別な意味を持っていた。

 

 次の瞬間には、スーツの少女が女性を庇うように前に出る。

 

 だが、次に起こった事はより二人を驚愕させる事になる。

 

「どうしたのだ、シャーレイ? 余はここだぞ?」

 

 店の奥から、今度は赤の衣装を纏った少女が姿を見せた。そうして店内を見渡して、ダークスーツの少女と目が合い……

 

「ぬ?」

 

「なっ!?」

 

 ほぼ同時に、二人とも驚きの声を上げた。

 

 それも無理からぬ所である。何故ならスーツの少女と今現れた赤の少女。この二人の顔は、まるで鏡に映したかのようにそっくりであったのだ。

 

「モードレッド……? いや、違う……?」

 

「おおっ!! サーヴァントらしいが、まるで余の生き写しではないか!! 余も自分は美しいと自負しておるが……こうして目の前に同じ顔があると、それを再認識させられるというものよ」

 

 動揺した様子のスーツの少女とは対照的に、赤の少女は楽しそうな笑みを浮かべて対面の相手をしげしげと観察している。

 

「どれ、もう少し間近で……」

 

 笑いながら、あまりにも堂々とした歩みで同じ顔の他人へと近付いていく赤の少女。

 

「セイバー……!!」

 

「アイリスフィール、下がって!!」

 

 不安げな声を上げるアイリスフィールと呼ばれた白の女性に、セイバーと呼ばれたスーツの少女は叫ぶ。その声に、店内にいる数名の客が注目して視線を向ける。

 

 それとほぼ同時に、セイバーの周囲に魔力を乗せた風が集まり初め……

 

「ぬ」

 

 ライダーと呼ばれていた赤の少女も瞳を大きく開き、歩みを止め、身構える。さっと振った彼女の手には赤い光の粒子が集まり初め、僅かな時間で収束して棒状に固まっていく。そしてその光が形を成そうとして、

 

「そこまで」

 

 まるで館内放送のように店中に、良く通る甘ったるい声が響き、セイバーとライダーは動きを止めた。

 

 続いてパチンと指を弾く音が鳴ったかと思うと、立ち上がっていた客達は何事も無かったように再び席に戻る。それを見たアイリスフィールは感心と驚愕が重なった表情を見せた。

 

 暗示の魔術、それもかなりの手練れだ。

 

 そうして、今度は厨房からコックコートに身を包んだ女性がぬっと顔を出した。

 

「店長!!」

 

「奏者か」

 

 彼女を見たシャーレイとライダーが声を上げる。

 

「聖杯戦争で戦うのは夜よ? こんな所で始められたら、私は聖杯に自分の店の修理を願う事になってしまうわ」

 

 そうして彼女達の前に出てくると、全体像が見えてくる。

 

 身長は女性にしてはとても高く、180センチは軽く越えているだろう。光に染め抜いたような金色のロングヘアを持った白人で、同じ色の瞳が度の強い近眼用メガネ越しにセイバーとアイリスフィールを見据えていた。総合的な印象としては、二人の客のいずれにも劣らぬ美女だと言える。

 

 料理人の格好をしているがしかし隠し切れぬ教養の高さや高貴さを感じさせる振る舞いを以て、「店長」「奏者」と呼ばれた彼女はアイリスフィールへと声を掛ける。

 

「初めまして。その容姿から判断して……あなたはアインツベルンのマスターかしら? 私はフィオ。フィオ・レンティーナ・グランベル。今回の聖杯戦争では、ライダーのマスターを務めさせてもらっているわ」

 

「グランベル……!?」

 

 その家名を聞いて、アイリスフィールはそこに畏敬の念が籠もっているかのような驚いた声を上げ、思わず口元に手を当てた。

 

「ちなみに17歳よ」

 

「嘘ですね」

 

「嘘でしょ?」

 

「嘘でしょう、店長……」

 

「うむ、嘘だな」

 

 取り囲む4人の女性から、一斉にツッコミが入った。

 



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第02話 コックな錬金術師

 「虹色の脚」の店先には「CLOSED」の看板が掛けられ、外から見られない位置の席では、一方にセイバーとアイリスフィールが、もう一方にはライダーが座って向き合っていた。

 

 両者の雰囲気は、ライダーの方は楽しそうに色々と話し掛けたりもするが、セイバーは警戒心を前面に出した面持ちのままで、アイリスフィールも緊張した表情を崩さない。その為どうにも会話が弾まず、ライダーが空回る格好となってしまっていた。

 

 するとそんな雰囲気を見かねたのか単純にタイミングが良かったのか、シャーレイが料理の載った皿を持ってやって来て、二人の前に手際良く並べていく。

 

「お待たせしました。本日のおすすめランチになります」

 

 メインディッシュはどうやら豚料理のようだ。それにサラダと、パンがそれぞれ二人の前に並べられる。

 

「ほれ、余の奢りだ。そなたらとは互いに聖杯を競いて相争う間柄だが……戦いならば夜にいくらでも出来るでな。昼間はこうして食事を共にして親交を深めるのも、悪くはあるまいて」

 

 ライダーはそう言うが、セイバーとアイリスフィールはどちらも難しい顔のままだ。

 

 それもその筈、本日未明に遠坂邸を襲撃したアサシンが黄金のサーヴァントによって撃破された時点で、第四次聖杯戦争の幕は既に上がっている。

 

 こんな状況で敵陣営が出してきた食事など……毒なり睡眠薬なりが入っていると疑うのも、無理は無い。

 

 ライダーの方も二人のそうした考えは分かっているらしく、困ったような笑みを浮かべる。

 

「まぁ……そなたらが疑うのも道理よな? 余とて散々覚えのある事だ。だが、奏者はマスターや魔術師である前に誇りある料理人だ。もし妙な物を自分の料理に入れるぐらいなら、きっと奏者は自分で首を括ってしまうであろうよ。だから安心して良いぞ? これは純粋にそなたら二人をもてなす為の食事でしかないとな」

 

「セイバー……」

 

 まだ不安げに隣に座るサーヴァントを見るアイリスフィールだが、セイバーは彼女を安心させるように頷く。彼女の直感スキルは、この状況に於いても何の危険も告げてはいない。

 

 間違いなくこの料理を食べても、自分達には何の危険も無い。

 

 そうして二人はある意味腹を括ると、ナイフとフォークを手に取り、皿の上の豚肉を切って口に運ぶ。

 

 そして、目を飛び出さんばかりに見開いた。

 

「こ……これは……!!」

 

「そんな……!!」

 

 二人のその様子を見て、ライダーはグラスの中の自分の衣装と同じ色のワインを転がしながら、にやにやと笑う。

 

 傍らに立つシャーレイは敵対する陣営の二人の反応を、少し怯えたように観察していた。

 

 そこに、厨房の片付けを終えたフィオも顔を見せる。

 

「いかがですか? 本日のメインディッシュ……豚肉の赤ワイン煮、名付けて”ポルコ=ロッソ”のお味は……」

 

「お……美味しい……」

 

「ええ……私も、こんな味は今まで口にした事が無い……!!」

 

 セイバーとアイリスフィールは互いに惜しみない賞賛の言葉を並べ、その間にも料理を食べる手が止まる事は無い。特にアイリスフィール。宮廷料理もかくやという程のアインツベルン家の料理を食べ慣れてきた彼女をも、フィオの料理は唸らせた。

 

「豚の肉汁とワインソースが喉を通る度に幸せを感じる……こんな味がこの世にあったとは……!! あ、おかわりください」

 

 既にこの時点で、一服盛っているのではないかとかそういう考えは、二人の中からは消し飛んでいた。むしろこれほどの美味ならば毒入りであろうと食べたいという欲求さえ湧いてくる。

 

 セイバーの追加分を用意すべく厨房へと引っ込んでいくフィオの背中を見送りつつ、ライダーはくいっとワインを煽る。

 

「美味であろう? 奏者ほどの料理は、生前の余もついぞ味わった事がない……初めて振る舞われた時など、余は感動の余り目玉がしぼむ程涙を流し、肩の肉はえぐれ、歯は生え替わり、内臓が飛び出てしまったほどだ。一種の概念武装かと思ったぞ」

 

 自分の事のように、喜色満面で語るライダー。「美味さの余り、生前からの悩みであった頭痛も吹っ飛んだわ」と付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

 4人前も平らげて漸く満足した様子のセイバーと、そんなサーヴァントを苦笑しつつ見るアイリスフィールにシャーレイの煎れた紅茶を振るまいつつ、フィオは自分のサーヴァントの隣に腰掛けて二人と向かい合っていた。

 

 アイリスフィールは紅茶を一口飲むと、眼前で余裕に満ち宛然とした笑みを浮かべる妙齢の女性へと話し掛けた。

 

「しかし……まさかあなた程の方が、この聖杯戦争に参加しているとは思いませんでしたわ……ロード・レンティーナ」

 

「元、ロードね。今の私はただのコックよ」

 

「アイリスフィール、彼女は……」

 

 傍らの騎士の言葉に、白の女性は頷き、説明を始める。

 

「グランベル家と言えば、時計塔でも知らない者が居ない程の名家……特に錬金術に掛けてはエキスパート中のエキスパートだとされているわ……確か、17代目の現当主は数年前に封印指定を受けて時計塔を脱退、行方不明だと聞いていたけど……」

 

 それが今、ここに居た。しかも聖杯に選ばれたマスターとして、ライダーのサーヴァントを従えて。

 

「しかし何故、魔術師が料理人に……?」

 

 当然と言えば当然のセイバーのその質問には、フィオが笑いながら答える。

 

「別におかしな話じゃあないでしょ? そもそも錬金術とは台所で発展したもの。ならば錬金術の大家であるグランベル家当主である私が、料理に精通しているのも当然でしょ? 最近は埋葬機関の代行者が岐阜県の山村で教鞭を執ったりするそうだし、それに比べれば……」

 

 彼女はそう言うが、それを受けたセイバーがアイリスフィールにちらりと視線を向けると……彼女は苦笑しつつ二三度、首を振った。やはり、同じ錬金術師であっても家が違えば色々違うらしい。

 

「それにしても、今回のアインツベルンは本気のようね……」

 

 ちらり、とセイバーに視線を送るフィオ。彼女は聖杯戦争のマスターに与えられた透視力により、セイバーのパラメーターを見る事が出来る。幸運を除いたステータスは軒並み最高水準。単純なステータスのみで比較するならばライダーでは勝負にならない。最高の魔術師をマスターとして、魔力供給も申し分無し、持てる力を生前とほぼ同等・完全に引き出しているのに、だ。

 

 恐らくは大英雄クラス。実力的には歴代サーヴァント全体で見ても最強の部類に入るだろう。

 

「セイバー……貴女は最優とされるセイバークラスの中でも更にトップクラスの英霊のようね……」

 

「奏者よ!! 確かに席が埋まっていたからセイバークラスでは現界出来なかったが、余とてセイバー適性はあるのだぞ!! こんな地味なサーヴァント相手に負けはせぬ!!」

 

 フィオのコメントに、傍らのライダーはぷんぷんと不満を漏らす。それを見てシャーレイとアイリスフィールはまるで姉妹のようだとくすくす笑い、一方でセイバーは、

 

「……ならばライダーよ、聖杯戦争の第二戦は、貴女と私の尋常の決闘と行くか?」

 

 「負けない」と言われてプライドを刺激されたらしい。不敵な笑みと共に挑戦状を叩き付ける。だがそれを受けて、ライダーとそのマスターは難しい顔になった。

 

 これにはセイバーとアイリスフィールも当惑したような顔になる。こんな陣営では、てっきり二つ返事で決闘に応じると思っていたが……

 

「本来ならオリンピアの聖火にかけて、その挑戦受けて立つ!! と、言いたい所なのだがな……残念だがセイバーよ。奏者の方針でな? 既に余らが最初に陥落させる陣営は決まっておるのだ」

 

「……それは、どのサーヴァントですか?」

 

 アイリスフィールのその問いに、しかしこれは自陣の戦略に関わる事なのでフィオは答えなかった。元より、アイリとて答えが返ってくる事を期待してなどいない。

 

「……それは、教えられないけど……でも、ちょっと面倒な事をしている連中とだけ、言っておくわ。そいつらを放置したままでは、私達は安心して優勝も出来ないのよ」

 

「「……!!」」

 

 大胆不敵なまでの優勝宣言。自信に満ちた声と態度でそう言われて、セイバーもアイリも表情を厳しくした。

 

 御三家の一角であり最優とされるセイバーを擁するアインツベルンにこうまで言ってみせるなど……

 

 過信でも慢心でもない。フィオはただの確定事項を語っているようですらある。二人は、全くのノーマークだったこの7組目が、他のどの陣営にも負けない強敵であり難敵だという認識を強くする。

 

「それでも、どーしてもやると言うならお相手するけど……?」

 

「まぁ、奏者もセイバーも、焦る事はあるまい」

 

 フィオとセイバーの間に入るように取りなしたのは、意外と言えば意外な人物、ライダーであった。

 

「セイバーが最優クラスという触れ込みに偽りが無ければ、いずれ最後まで残るであろう。余と戦うのは、その時でも遅くはあるまい?」

 

 と、彼女のその提案もあって今回はフィオの料理だけご馳走になってセイバーとアイリは店を後にする事となった。

 

 シャーレイを店に残して、表の駐車場まで、見送りに行くフィオとライダー。

 

 そう広くもない駐車場に止めてある二人の乗り物は……

 

「…………!!」

 

 それを見て、フィオは絶句する。

 

「おおっ!! 獅子を模した乗り物とは……何とも趣深いのう。余も生前はかの大英雄の試練にちなみ、ライオンへのサブミッションに挑戦したものだ……残念ながら首をヘシ折る事は出来なんだが……絞め落とす事には成功したのだぞ」

 

 対照的にライダーは感心した表情を浮かべ、好奇心一杯にその乗り物をぺたぺたと触る。

 

 その”乗り物”の操縦席にセイバーが跨り、アイリは後ろにお姫様座りで乗る。

 

 それはライダーの言葉通りライオンの形を模した……つまり、デパートの屋上とかでよく見られる”アレ”であった。

 

「ライオン号です」

 

「これしか用意出来なかったらしくて……」

 

「嘘吐け!! あなた騙されてるわよ、アインツベルン!! て言うか、バイクなり車なり用意する方が簡単でしょう!!」

 

 今度はフィオのツッコミが入った。

 

 この、例えるならマフィア同士の抗争で「武器を用意しろ」と言われて戦車を持ってくるような行為。用意した奴はわざとやってるんじゃないかと思ったが……フィオは少し冷静に考えて、これはセイバー陣営の作戦だと見抜いた。

 

 こんな美人二人がこんな乗り物に乗っていれば嫌でも目立つ。こうして、町中を巡りつつ他の陣営を挑発する策という訳か。

 

「では……アインツベルン……次は戦場で……」

 

「セイバーよ。貴様との戦い、余は楽しみにしておるぞ」

 

「今日はご馳走様でした、ロード」

 

「互いに、誇りある戦いを」

 

 こうして、セイバー陣営とライダー陣営との思わぬ接触は、互いの健闘を誓って二つの陣営が別れる形となった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数時間後。

 

 日は沈み、夜も更けて、戦争の時間がやってくる。

 

 店を閉めて自宅に戻り数十分、戦準備を整えたフィオはライダーを伴って、再び入り口に立つ。シャーレイは玄関までそんな二人を見送る形になった。

 

「では、シャーレイ。私達が戻るまでに例の調査は、お願いするわね」

 

「はい、店長もお気を付けて……」

 

「奏者の事は心配するな、余が付いておる。大船に乗った気分でいるがよい」

 

 ドン、と胸を叩いてライダーが笑う。そんな自分のサーヴァントに苦笑しつつ、フィオは表情を引き締める。同時に、彼女の雰囲気も一変していた。

 

 気の良い店長兼コックのそれから、戦士のそれに。

 

 彼女の周りの空気がぴりぴりと肌を叩くような感覚を楽しみつつ、ライダーは自分のマスターの体を抱え、

 

「では征くぞ!! 我が奏者よ!!」

 

 一人の少女に見送られ、二人は夜の町へと飛び出していた。

 



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第03話 フィオVS切嗣

 未遠川河口の倉庫街。昼間は貨物の往来で賑わうこの場所も、夜は人気も無く静かなものだ。

 

 そんな静まりかえった倉庫街の一角を、フィオとライダーは積み上げられたコンテナの隙間を縫うようにして進んでいた。

 

「奏者よ、何故にこんな狭苦しい道を進むのだ?」

 

 背中を任され、警戒しながら後を付いていく形になっているライダーは、何故自分がこんなアサシンの真似事をするのかとぼやく。

 

 町に出て敵サーヴァントの探索に入った二人であったが、程無くしてランサーと思われる英霊の誘いにセイバーが応じたのを感じ取り、その後を追うようにして倉庫街に入っていたのだ。

 

 ライダーはてっきり、自分と戦うのはセイバーかそれともランサーか、三騎士同士の激突を高みの見物と洒落込むものだとばかり思っていただけに、この展開には不満があった。

 

 耳を澄ませば、夜の静けさも手伝ってこの先にある広場から、金属同士が激突するような甲高い音が間断無く響き渡っている。

 

「のう、奏者よ。この剣戟の音……既にセイバーとランサーの決戦は始まっておるに違いない。余としてはこの一戦を見逃したくはないのだが……」

 

「……」

 

 不満を漏らしながらも追従していくライダーだが、フィオは取り合わない。

 

 マスターが構ってくれないのでより不満が強くなったのか、ライダーは今度はもう少しだけ声を大きくして訴える。

 

「セイバー達の戦いを見物するのならもっと見晴らしの良い……そう、例えばあの台のようむぐっ!?」

 

「!!」

 

 そう言ってこの倉庫街では一際目立つ巨大なデリッククレーンを指差そうとするライダーだったが、それより早くフィオは手を伸ばして自分のサーヴァントの口を封じると、そのまま物陰に引っ張り込んだ。

 

 フィオは口を封じたままのライダーに「落ち着け」「声を出すな」と念話で語り掛け、そしてコンテナの陰から顔だけひょこっと出すようにして、くいっとコンテナの方向を指差す。

 

「何だと言うのだ……? むっ!!」

 

 ライダーは怪訝な顔で示された方に視線を送り、直後に表情を驚愕によって引き攣らせた。

 

 夜闇に溶け込むような全身黒ずくめ、ボロボロの外套を纏い、それだけがポツンと浮き上がるような白い髑髏の仮面を付けた異形。見間違える筈もない、アサシンのサーヴァントがクレーン上に陣取って戦場を睥睨していた。

 

 ここでライダーは、漸く自分のマスターが何故にこんな狭いルートを選択して進んでいたのかを理解する。

 

 確かに自分が言った通りあのクレーンの上は戦場全体を見渡す事の出来る絶好の位置であろう。しかし、自分達がそれを思い付くという事は他の陣営も同じ事を思い付く、少なくともその可能性が十分にあるという事。フィオは最初にクレーンを見た時点でその結論に至り、最善の位置を確保しようとして他の陣営とバッティングする危険を回避し、同時に自分達の動きを悟られないよう、目に付きにくい移動経路を選択していたのだ。

 

「しかし、まさか脱落した筈のアサシンとは……これもそなたの計算の内か?」

 

 サーヴァントの問いに、フィオは今度は首を横に振った。

 

「いや……私にも確証があった訳じゃあないわ……確かに昨日は、気配遮断スキルを持つアサシンにしてはあっさりと発見されすぎて、あっさりとやられすぎたとは思っていたけど……」

 

 だがこれではっきりした。あれは、アサシン陣営の策略であった訳だ。恐らくあのアサシンは、身代わりか分身のような宝具かスキルを持っていたのだろう。

 

 あっさりとアサシン陣営が脱落したと見せかけて、天敵が消滅したと油断して気安く動くようになったマスターを本物のアサシンが叩く。中々良く出来た戦略だ。

 

 ここまで看破出来たのは、結果オーライながらライダーのファインプレーだった。アサシンは気配遮断スキル持ち。いつ現れたのかは全く分からなかった。ライダーの言葉によってもう一度クレーンの方を見ていなければ、フィオもその存在には気付けなかったろう。

 

 こうしてアサシンの生存が分かったのは自分達にとって大きなアドバンテージとなった。少なくとも全く無警戒に寝首を狩られる事は無い。

 

 まずは収穫が一つ。これに気を良くすると、フィオは「付いてこい」とくいっと指を動かす。

 

「次はどうするのだ?」

 

「分からない? ライダー……あなたはあのクレーンの上が絶好の監視ポジションだと気付いた。恐らくは他の陣営も……と、言う事は……?」

 

 フィオの声と顔は楽しんでいるようであり、まるで可愛い生徒に課題を与える教師のようだ。ライダーは「む……」と顎に手をやって考える仕草をしばらく見せた後に「成る程」と頷いた。

 

 他の陣営も同じ結論に至ったのなら、どう行動するかは読めてくる。

 

 それを逆手に取るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……!!」

 

 ライフルのスコープ越しにセイバーとランサーの決闘を捉えながら、衛宮切嗣は毒づいた。

 

 状況は良くない。どころか、かなり悪い。

 

 セイバーはランサーの奇策によって左手に治癒不能のダメージを負い、一撃必殺の対城宝具を放つ事が不可能となったばかりか、純粋な白兵戦でもかなりのディスアドバンテージを強いられてしまっている。

 

 こちらのスコープからランサーのマスターの姿は捉えている。奴の注意は今はサーヴァント同士の戦いに向けられているので、狙撃で仕留める事は容易。

 

 だが、ランサーのマスターを狙撃すれば自分の位置が監視しているアサシンに露見してしまう。そうなるとアサシンがこちらに向かってくる可能性がある。こちらにはまだ対サーヴァント用の装備は無いから、襲われた後に迎撃する事も、アサシンを先に倒すのも不可能。

 

 ランサーのマスターを狙撃した後、令呪でセイバーをこちらに呼び寄せるにしても、今度は主を失ったランサーの槍先に無防備なアイリが晒される事になる。

 

 どれも望むものからはかけ離れた未来しか思い描けない。

 

 ……だが、こうなっては多少のリスクは承知の上で動かざるを得ないか。

 

 そう結論して引き金にかける力を強くした、その時だった。

 

「動くな」

 

 女の声がして、同時にぐっと、固い感触が背中に突き付けられる。これは拳銃の銃口だと分かって、切嗣は自分の心臓が一際大きな音を鳴らした気がした。

 

「銃を置いて、両手を肩の高さまで上げなさい……ゆっくりとね」

 

 先程までは何の気配も感じられなかったのに、まるで突然空間から湧き出たようなこの相手に、切嗣は全身の肌を粟立たせる。後ろに立つ女にそれを悟られぬよう、だがこの状況では従う他無いと、彼はワルサーWA2000を置き、両手を挙げつつ2メートル程の距離を背後の女と空けるぐらいの位置に移動する。

 

 そうして振り返って、彼は表情を凍り付かせた。そこには、分かり易い驚愕と恐怖が顔を出していた。戦場を駆けてきた彼が、常に完全にコントロールして飼い慣らしてきた筈の感情が。

 

「……!! あんたは……!! まさか、あんたがこの聖杯戦争に……!?」

 

 切嗣の背後に立っていた女、フィオの方も、違和感を感じ取ったように首を動かす。

 

『……この男……どこかで……?』

 

 そんな思考が頭をもたげるが、しかし今はより重要な事があると彼女は頭を切り換える。

 

「あなた……さっき銃を置いた時、右手に令呪があったわね……まずはどのサーヴァントのマスターなのか……答えてもらおうかしら?」

 

「!!」

 

 眼前の敵の目聡さに切嗣は臍を噛む。こうも早く、自分の戦略が露見する危機に陥ってしまうとは……

 

 だが、こんな所でみすみす全ての情報を渡してやる訳には行かない。幸いな事にこの状況ではまだ一つ、自分には眼前のこの女に無いアドバンテージがある。

 

「やれ、舞弥」

 

 そう口にすると同時に、パンとおしぼりの袋を潰したような音が響く。銃声。しかし、

 

「奏者、危ない!!」

 

 実体化したライダーが射線に割り込み、手にした歪な形状の剣によって銃弾を叩き落としていた。

 

 だがこれで、一瞬だがフィオの注意は切嗣から外れる。この隙を逃さずに、彼は懐からキャレコM950短機関銃を取り出すと、躊躇うことなく引き金を引いた。9ミリの弾幕がフィオへと殺到する。が、

 

「怪物は打ち倒された。迷宮の出口を示せ」

 

 術式起動の呪文がフィオの口から紡がれ、次の瞬間には彼女の前方に突如として金属的な光沢を持つ銀色の壁が出現し、全ての弾丸を受け止めていた。

 

「何……っ!?」

 

 いきなり防御壁を出現させるなど、どういう魔術礼装なのか皆目見当が付かず驚愕を見せる切嗣だが、しかしこれはチャンスだ。

 

 目の前のこの女が、本当に”あの”フィオ・レンティーナ・グランベルなら、そして彼女がこの聖杯戦争に参加しているのだとしたら、礼装による防御に徹している今は千載一遇、彼女を仕留められるまたとない好機。これを逃せば二度とチャンスは巡ってこないかも知れない。

 

 本来ならば勝利の確信を得てから行動するのが彼の流儀であったが、状況が状況であり相手が相手だ。二重の非常事態であってはもうそんな悠長は言っていられなかった。

 

 防がれても関係無しにキャレコによる射撃を続けつつ、切嗣は空いている右手で懐からコンテンダーを取り出す。装填されているのは、魔術師殺し衛宮切嗣最強の切り札たる”起源弾”。現在に至るまで1ショット1キルにて、37人の魔術師を屠り去ってきた代物である。

 

 狙いを定め、今まさに発射と切嗣の指が引き金に掛かったその時、

 

「Scalp(斬)」

 

「なっ……!?」

 

 フィオの唇が再び動き、ほぼ同時に割り箸を割く時のような音を立て、コンテンダーの銃身が割れた。当然、これでは発射は不可能。切嗣は咄嗟にコンテンダーを捨て、撃ち尽くしたキャリコに弾倉を再装填しようとするが、しかしキャリコの方も銃身が真っ二つに断ち割られてしまう。

 

 そうして次にどう動いたものか戸惑うように切嗣が動きを止めたのを見ると、フィオはすっと指を動かす。すると二つになったコンテンダーが両方ともひとりでにふわりと浮き上がって、彼女の手に納まった。

 

 フィオはそれをしげしげと眺め、観察する。

 

「ふむ……トンプソン・コンテンダーか……スゴイ銃を使っているわね、魔術師……いや、魔術使い……あら、この弾丸は……」

 

 と、彼女はコンテンダーの残骸から起源弾を取り出すと、懐に仕舞った。これに冷や汗を垂らしたのは切嗣だ。起源弾を回収され、解析されればこちらの手の内が暴かれてしまう。裏をかく事を常道とする彼のような暗殺者にとって、それは文字通り生死に直結する一大事だ。

 

 しかし、現状で切嗣にフィオを倒す手段は無い。それどころか使っている礼装の正体すら分からず、逃げる事すら困難という有様である。しかも、事態は彼にとってより悪い方向へと転がっていく。

 

「でも……ゲテモノ銃なら私も負けてないわよ?」

 

 そう言ってフィオはコートの中に両手を差し込み……魔術的に空間が歪められたそこから出てきた物を見て、切嗣の顔が引き攣る。

 

 XK.50対物狙撃銃。

 

 明らかに人間一人に対して使うには過剰な火力を持った銃が、しかも二丁。その銃口が切嗣に向き……

 

「くっ……Time alter-double accel(固有時制御二倍速)!!」

 

 しかし轟音と共に発射された弾丸が、彼を吹き飛ばす事はなかった。それより一瞬だけ早く呪文の詠唱を終えた切嗣が加速して、かすめるだけでも命取りのような聖別済みの水銀弾頭を避け切ったからだ。

 

 ズガン!! ズガン!! ズガン!!

 

 身体強化の施されたフィオの肉体は対物ライフルをまるで豆鉄砲のように、あるいは二丁拳銃のように操って切嗣を撃ち抜こうとするが、銃口の動きよりも加速した切嗣の方が速い。

 

 彼は素早くコンテナから飛び降りると、空間に影を残すようなスピードで物陰へと消えてしまった。

 

「……逃がしたわね」

 

 と、フィオ。狙撃手に警戒しつつ、ライダーが近付いてくる。

 

「今のは何だ、奏者? 余の目には奴がいきなり加速したように見えたが……」

 

「概ねその認識で間違いはないわ、ライダー……自分の体内に固有結界を展開し、体内時間を操って加速したのよ……本来なら時間操作の魔術は様々な準備を整えなくてはならないのだけど……それを、効果範囲を自己の体内のみに限定する事で、たった二小節の詠唱のみで発動させている……流石は魔術使い……実戦向きの魔術を使うわね……」

 

 ライフルをコートの内側に収納しつつ、説明するフィオ。ライダーは「成る程」としきりに頷きつつ、尋ねてくる。

 

「追わぬのか?」

 

「待って」

 

 フィオはそう言うと、魔術による肉体操作で視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、五感を統合し、更にそれら一つ一つに強化を施す。

 

 共感覚。

 

 全ての五感が完全にリンクし、それぞれに魔術による強化が施された今のフィオの感覚は、普段はバラバラに働いている一つ一つの感覚から得られるものとは桁違いの膨大な情報量を彼女に与えてくれる。それは単純な広域センサー能力に留まらず、人の感情を読み取る事すら可能にする。

 

 ものの2秒で、逃亡した切嗣は捕捉出来た。今も出来るだけ自分から離れようと、断続的にあの時間制御の魔術を使っているのだろう。凄いスピードで遠ざかっていく。

 

 この辺りは流石にプロと言えるだろう。勝算が無い時には速やかに退くのが鉄則。作戦失敗時の生死はどれだけ早くその場から離れられるかで決まる。撤退の判断を下すのが一秒遅れるごとに、死神が一歩ずつ近付いてくるのを、彼は知っているのだ。

 

 視線を動かすと、ライダーが狙撃を防御した方向にいた狙撃手も既に離脱していたらしい。視えるのは残り香だけで存在が感じ取れなくなっている。

 

 今からなら追い付けない距離ではないが……だが、あの魔術使いは今日はもう仕掛けてこないだろうとフィオは予測する。

 

 彼の「心の色」は、今は敵意の青よりも怯えの緑の方が濃くなっている。あの手の敵は、勝算が見えなければ襲ってはこないだろう。

 

 その旨をライダーに伝えると、フィオは感覚の統合を解除した。

 

「ふむ……奏者は、色々と面白い事が出来るものだな……では先程、あやつの銃を破壊したのは何だ?」

 

「ああ、あれは”アリアドネ”よ」

 

 フィオはそう言うと「良く見ろ」と、そっと手を掲げる。

 

「……んん?」

 

 掲げられた手の、袖口の辺りにライダーが目を凝らすと、月明かりに反射して何か、光る物が何本も伸びているのがやっと見えるようになる。

 

 より注視すると、それが目に見えない程に細い鋼線(ワイヤー)であると分かった。

 

 これがフィオが持つ魔術礼装の一つ、”アリアドネ”。

 

 その正体は単純であり、通した魔力によって操られる無数の鋼線である。

 

 ただし、材質はただの鉄や銅ではなく、蜘蛛の糸もかくやと言う強度としなやかさを誇る無重力合金。

 

 攻撃・防御・索敵全てに転用出来る万能型礼装であり、そのスピードは先程切嗣のキャリコの弾幕を防いだ時のように近距離で発射された銃弾にすら先んじ、フィオに命中する全ての弾丸を防御する為の”盾”を編み上げる程に速く。

 

 攻撃面に於いてはその細さ・見えにくさ故に、コンテンダーとキャリコを真っ二つに括り断たれながら、切嗣に攻撃の正体を悟らせなかった奇襲性を持つ。

 

 長ささえ十分ならこれ一つでビルをも真っ二つに出来るような”兵器”であった。

 

「ほお……」

 

 恐れ入ったという表情を見せるライダー。

 

 魔術師としてのみならず、戦闘者としても自分のマスターは一級だと思っていたが、しかしその認識はどうやら甘かったらしい。フィオの実力は、自分の予想の遥か上を行っているようだ。

 

「ならば余とて、強き奏者に相応しい、強きサーヴァントであるという証を立てねばなるまい!!」

 

 謳うように、高らかにそう宣言し、俄然やる気になったライダーは歪な形状の長剣『原初の火』を振りかざし「見よ」と、セイバーとランサーの決闘の舞台である広場へと切っ先を向ける。

 

「今し方そなたが派手に暴れたせいでセイバーとランサーの戦いも、一時止まってしまっているようだ。故に、ここは一つ余が直々に参陣し、この状況に埒を明けようと思うが、どうか?」

 

「……」

 

 ライダーのその提案に、フィオは少し考える仕草を見せる。戦いはまだ序盤。早々にこちらの戦力を開示するような真似は、どうだろうか……? だが、自分達の当面の目的から考えれば……

 

 そんなマスターの迷いを読み取ったのか、ライダーはもう一言を重ねた。

 

「のう奏者よ、昼間に出会ったセイバーは間近で話した事もあって真に誇り高い英霊、”違う”とすぐに分かったが、ランサーについてはそなたが探しているサーヴァントであるか否か……こうして遠目に見ているだけでは……何も分かるまい?」

 

「……確かに」

 

 一人の英雄として純粋にあの場に参じたいという欲求も見え隠れはするが、しかし一方でライダーが真摯に自分の望みに応えようとしてくれている事、また一方で、必ず共に聖杯へと辿り着ける強い戦友であると示そうとしてくれている赤心も、フィオは確かに感じ取る事が出来た。

 

 ならば、その心を汲み取らずして何のマスターか。

 

「分かったわ、ライダー。全てあなたに任せる。好きにやって良いわよ」

 

「ふふん♪」

 

 喉を鳴らし、気持ちの良い笑みを見せるライダー。召喚されてまだ共に在る時間は短いが、このマスターはちゃんと自分の事を理解し、立ててくれている。

 

 自分と奏者は紛れも無くこの聖杯戦争の主役、他の六騎全てを駆逐し、聖杯を手にする最強の陣営なのだ。それが幕を開けるべき初戦では暗殺者に先を越され、今また第二戦にまで顔を出さなかったとあらば道理に合わぬ。

 

 ここはひとつ、派手に行くとしようか。

 

「では始めるとするか、奏者よ。セイバーとして喚ばれた時には持ち得ない、ライダーとしての余の宝具を見せてやろう」

 

 ライダーは自信に満ちた笑みを見せ、そして手にした『原初の火』に魔力を乗せて、虚空へ向けて思い切り振り抜いた。

 



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第04話 英雄達の戦場

 

 第四次聖杯戦争の二戦目たる、セイバーとランサーとの死闘。

 

 傍らで見守るアイリスフィールにはさながら神話の再現の如く見えた火の出るような打ち合いは、全く予期しない事態を以て一時中断となる。

 

 倉庫街の一角から鳴り響いてきた銃声・爆音。それがきっかけとなって、今まさにどちらかあるいは双方が倒れかねない乾坤一擲の一撃を放とうとしていた二人の英霊は、共に動きを止めてしまう。

 

 何事かとしばらくは様子を伺うように爆音のした方向を睨んでいた三者であったが、不意に凄まじい魔力の波動が感じられ、そして、

 

「「「なっ!?」」」

 

 夜が昼になった。

 

 否、違う。空中に突如として、太陽と錯覚する程の光量を持った”何か”が出現したのだ。

 

 その光の中から、何かがこちらに向かって飛んでくる。

 

「あれは……!?」

 

 本物の太陽を見る時のように、目を痛めぬよう手で庇いながらそれでもセイバーがその正体を把握しようと視線を向ける。

 

 嘶きが聞こえる。馬蹄の音も。

 

「馬……? 神獣、ライダークラスか?」

 

 ランサーが警戒しつつ身構える。見れば、炎を纏う四頭の馬がそれぞれ並んで空間を踏み締め、宙を駆けて向かってくる。

 

 馬達は、何かを牽いている。あれは……

 

「御者台……!? 戦車!?」

 

 身構えたアイリは、その戦車が着陸した局地地震の如き衝撃に何とか耐えた。

 

 そうして神馬らが纏う炎が治まり、御者台に立っている二人の姿が把握出来るようになる。

 

「あれは……ライダーと、ロード・レンティーナ……!!」

 

 昼間にレストランで出会った二人組が、他より一段高い御者台に立ちつつ二騎のサーヴァントと、一人のホムンクルスを王者の威厳と共に見下ろしていた。

 

 この炎の馬に牽かれる戦車こそがライダーの宝具に違いない。そして、最初は呆然としていたセイバーも合点が行ったという表情を見せた。

 

「そうか……彼の大英雄に倣って獅子を絞め落としたという逸話、オリンピアの聖火……そこからいずれローマかギリシャの英霊だと思っていたが、これではっきりとした」

 

 たった今自分達の前に出現した、まるで太陽と見紛うが如き熱と光を放つこの戦車。そんな物を御せる英霊。

 

 これらで線引きを行えば、残る者は一人。

 

「太陽神ソルに匹敵する戦車御者、ローマ帝国5代皇帝ネロ・クラウディウス。此度の聖杯戦争、これほどの英霊が参加しているとは……」

 

 セイバーの声は、同じ英雄としての敬意の中にどこか苦々しさを含んでいる。アイリスフィールはすぐにその理由を察する事が出来た。セイバー、アーサー王はキリスト教を信仰していた事でも有名だ。目の前にそれを迫害した事でも有名な暴君が居たとあっては、あまり良い気分ではいられないだろう。

 

 一方でランサーは英霊同士、純粋に敬意を払っているのかペコリと一礼していた。

 

「うむ。余もフィアナ騎士団最強の戦士である輝く貌のディルムッド、そして少女の身でありながらそれと五分に打ち合う程の騎士に出会えるとは思わなんだ。セイバー、そしてランサーよ。そなたらの武勇に、皇帝として賛辞を贈ろう」

 

 真名を看破されたと言うのに、ライダーはそれを些末な問題とさえ感じてはいないようだった。これには肩を並べて御者台に立つフィオも苦笑いする他は無い。

 

「そなたらの誇り高き騎士の戦を妨げた事は許せよ。この決闘を汚そうとする暗殺者の姿が見えたでな。そやつを成敗した際に起こった事だ」

 

 ライダーの説明が終わると同時に、フィオは先程回収していた二つに割れたコンテンダーの残骸を、ぽいと投げ落とした。

 

 それを見て、明らかに大きな動揺を見せた者が一人。アイリだ。見て分かる程に大きく息を呑み、口元に手を当てる。

 

 分かり易い。

 

 ライダーにあらかじめ「あの魔術使いのマスターを殺した」という意味にも取れる言い回しで先程のドンパチを説明するよう伝えていたが、こうも上手く行くとは。フィオはもう一度苦笑した。

 

 少なくとも、このホムンクルスがあの魔術使いと何かしらの関係がある事は確定した。彼がセイバーのマスターで、彼女が囮の偽マスターとなっているのか、それともあの男はこの場には来ていないキャスター辺りのマスターで、彼女と同盟を組んでいるのか。

 

 ここは、もう一押し。

 

「成る程、さっきの彼はセイバーのマスターだったのね」

 

 カマをかけられると、アイリスフィールの表情に再び動揺が走る。

 

 フィオは今度は心中で苦笑する。

 

 昼間の店での会話で彼女が聡明な人物である事は間違いなかったが、恐らくまだ見た目通りの鋳造年数ではないのだろう。咄嗟の感情の動きを、隠し切れていていない。

 

 どのサーヴァントのマスターか、本人から聞き出す事は出来なかったがこれで確定だ。

 

 つまりあの魔術使いはアイリスフィールを代理マスターとして偽装し、自分は陰働きに徹してマスターを狙撃するという戦法を執っていたのだ。これならたとえ聖杯戦争の常套戦術の一つである「マスター狙い」でアイリが殺されたとしても、セイバーが消滅する事はない。上手い手だ。

 

 だがこうして手口が分かった以上は、もう自分達には通用しない。

 

 そしてこのセイバーの気性、その堂々たる振る舞いから考えて、あのマスターもまたサーヴァントと同じで”自分達が第一に倒すべき敵ではない”と判明した。

 

「ま……まさか、切嗣を……!!」

 

「心配しなくても、無事よ。まんまと逃げられたわ」

 

 笑いながらのフィオの言葉に、アイリはほっと胸を撫で下ろす。冷静に考えればセイバーの現界に支障が生じていないのだからハッタリと看破出来る内容だったが、続けて煽ってみたので流石に心の揺れを御せなかったのだろう。そんな代理マスターを見て、フィオは「若いな」という印象を持った。彼女が鋳造されてからの年数は、思いの外最近かも知れない。あるいは10才にもならないかも。

 

 ……と、マスターの言葉が終わった時を見計らってライダーが再び口を開いた。

 

「重ねて言うが、二人の騎士よ。そなたらの戦い振り、誠に見事であった。あれほどの戦いを見せられては、居ても立ってもいられず余もこうして『日輪の戦車』(ヘリオス・チャリオット)を駆って参陣した次第だが……」

 

 彼女はそこで一度言葉を切ると、ぐるりと周囲を見渡す。そして、

 

「奏者、そなたの力、一時借り受けるぞ」

 

 自らのスキルを発動させる。

 

 ライダーのスキルの一つ、ランクEX:皇帝特権。これは本来彼女が持ち得ないスキルを、本人の強硬な主張によって短期間においてのみ獲得するものである。該当するスキルは軍略やカリスマなど多岐に渡るが、今回は先程切嗣を追跡する際にフィオが使用した力、”共感覚”を取得した。

 

 人間であるフィオのそれは音を見て、光を聴き、ただ一つの感覚から得られるものより遥かに膨大な情報を得るというものだが、サーヴァントであり霊体への知覚さえ持つライダーがこれを得た場合は、それに留まらない。

 

 繋がった五感は単純にサーヴァントの気配を感じるといった領域を遥かに超えて、自分達を見る二つの視線の存在とその主の居場所を正確に捉えていた。その姿までも、克明に。

 

 一つはアサシン。そしてもう一つは……

 

「そこの金ぴか!! そなたも己が一廉の英霊だと自負しておるのなら、霊体化してこそこそ覗き見などせず、姿を現したらどうだ!!」

 

 誰も居ない街灯のすぐ上の空間へと『原初の火』の切っ先を向けて、ライダーが叫ぶ。

 

 ややあって、黄金の光がそこに集まり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 脱落した”事になっている”アサシンのマスター・言峰綺礼はクレーンの上から状況を偵察しているアサシンとの知覚共有によって得られた情報を、魔術による通信機越しに彼の師、遠坂時臣へと報告していた。

 

 すると、通信機からは冷静ではあるものの普段の師と比べて少しトーンの落ちた声が聞こえてくる。

 

「これは……拙いな……”あの”ロード・レンティーナが相手では、如何な英雄王とて万一があるかも知れん……情報の少ない今は、何とかして無理押しは避けてもらわねば……」

 

 本日正午の事だ。教会に最後に召喚されたサーヴァント、ライダーのマスターが登録に訪れた。父・璃正からその名前を聞かされた時には、自分もきっと、見えないが今の時臣師と同じような顔をしていたのだろうと、綺礼は思う。

 

 それを伝えた時には「常に余裕を持って優雅たれ」を家訓とする彼も通信機越しでもはっきりと分かる程に動揺していた。

 

 「ゆゆゆ優雅たれ」と自己暗示でも掛けていたかのような呟きが五分も続いていたのを、綺礼は覚えている。

 

 フィオ・レンティーナ・グランベル。

 

 現・魔導元帥ロード・バルトメロイが第一魔法の具現者以外では唯一人敬意を持って接し、数年前に封印指定を受けるまでは、どうしても失敗出来ない任務を行う前に決まって彼女が呼ばれ、クロンの大隊の訓練を任されていたというプロ中のプロ。架空元素も含む7つの属性全てを備え、『』に接続しているとさえ言われる超一流の魔術師。

 

 かつて彼女は「ルーチェ」と呼ばれていた。ルーチェとは光の事だ。ピカリと光ったのが分かった時には、そいつは死んでいる事から付いた異名だった。睨まれたら絶対に逃げられない。

 

 彼女の名前を聞いただけで、間違いなく最強のサーヴァントである人類最古の英雄王・ギルガメッシュの召喚に成功して必勝を期していた筈の時臣師の戦略が、酷く頼りないものに感じてしまった。

 

 例えるなら、石橋どころか崩れるなど想像する事すら出来ない鉄筋コンクリートの橋が、いきなりたった一本のロープに変わってしまったかのような、そんな感覚を。

 

 目的達成の為には、そんな綱渡りを行わねばならない。

 

 フィオの参戦は、今度こそ遠坂家の悲願に至ろうとしていた時臣とそのサポートを任されていた綺礼にとって、それほどの衝撃であった。

 

「「何故彼女程の魔術師が、人数合わせのマスターとしてこの聖杯戦争に招かれたのだ……!!」」

 

 そんな二人の心中など全く知らない英雄王は今この時、倉庫街に姿を現していた。

 

 

 

 

 

 

 

「我(オレ)を差し置いて王を称する不埒者が、一夜に二匹も湧くとはな」

 

 現れた黄金のサーヴァントは街灯の上からセイバー達3騎と、アイリとフィオを傲然と見下ろしている。

 

 その名乗りを受けて、しかしライダーは「ほほう」と笑うと、こう言い返した。

 

「成る程金ぴか、そなたもまた王たる英霊か。しかし、ならば余の勝ちだな。余はその上を行く皇帝ぞ!!」

 

 胸を張るライダー。この挑発は、さほど高くはなさそうな”金ぴか”の沸点を振り切るには十分だったようだ。目に見えて表情が不機嫌になり、同時に背後の空間が歪曲する。

 

「天上天下に唯一無二の英雄たる我に向けてその物言い……貴様はそれほどに早死にしたいらしいな、バビロンの妖婦!!」

 

 空間の歪みの中心からは、一目見ただけで超一級の宝具であると理解出来るような威容と光輝を持つ剣と槍が顔を出した。

 

「むう……あれが奴の宝具か……!!」

 

 いつでも戦車を発進させて飛んでくる宝具を回避出来るよう手綱を握り締めつつ、ライダーは油断無く”金ぴか”アーチャーを睨む。ランサーも同じように警戒心を高め、セイバーはアイリを護衛すべくその傍まで駆け寄る。

 

 そして先込め式銃の弾丸のように空間へと”装填”されたアーチャーの宝具が、彼の思念を引き金として射出されようとしていた、まさにその時だった。アーチャーの立つ街灯からほど近い場所に黒い霧のような魔力が渦を巻き、やがて実体を持って、霞を纏った漆黒の騎士が姿を表す。

 

 ここには三騎士とライダーが揃い、アサシンは脱落したと見せかけているのでこうもおおっぴらに姿を現す事はない。そしてあの屈強な鎧姿はどう見てもキャスターのそれではない。つまり……

 

「バーサーカーか!!」

 

「ふむ……奏者よ、奴はどれほどのサーヴァントだ?」

 

 ライダーがこの場で唯一の正規マスターであるフィオに尋ねるが、彼女のマスターは渋い顔だ。

 

「それが……見えないのよ。ステータスもスキルも、全く……恐らく、正体を隠蔽するタイプのスキルか呪い、あるいは宝具を持っているのね」

 

 サーヴァントにそう説明しつつも、フィオの頭脳は回転を続けている。

 

 解せない。バーサーカーのマスターは、何故にこんな戦略も何も無い混沌の真っ直中にサーヴァントを解き放ったのか。正常な判断の出来るマスターであれば、こんな愚行は犯すまいが……

 

 と、アーチャーに動きがあった。背後に出現した宝剣宝槍の切っ先が、ライダーからバーサーカーへと動く。

 

「誰の許しを得て我を見ておる……? 狂犬めが。せめて散り様で我を興じさせよ、雑種!!」

 

 嘲るようなその言葉と共に二挺の宝具が発射され、バーサーカーに向かっていき、着弾、爆発が起こる。

 

 同時に、アーチャーを除くサーヴァントとそれにフィオは驚愕を露わにした。あの宝具の威力も凄まじいが、それ以上に驚愕すべきは。

 

「奴め、本当にバーサーカーか!?」

 

「奏者よ、見たか?」

 

「見た!!」

 

 バーサーカーは先に飛んできた剣を難無く掴み取ると、次に飛んできた槍を打ち払ったのだ。言葉にすれば簡単だが、その全行程が完了したのは一秒にも満たない刹那の間でしかない。神業という言葉すら霞む絶技だと言える。

 

「狂化によって理性を無くしているにも関わらずあの動き……あれは、生前に余程の武勇を誇った英霊と見て、間違いはないでしょう」

 

 ランサーに向けるものとはまた違った敬意を払うように、アイリを背に庇ったセイバーが厳しい顔で言った。

 

「その穢れた手で我が宝物に触れるとは……!!」

 

 必殺の一撃が必殺とならなかったアーチャーが、再び動く。

 

「それほどまでに死に急ぐか、狗!!」

 

 激昂と共に先程とは比べ物にならぬ規模で空間が歪み、十を上回る数の武器群が顔を出す。驚くべきはそれらのどれもが、先程の剣・槍と同じ”宝具”である事だ。

 

 サーヴァントの宝具は原則一つか二つ。大英雄クラスであっても多くて4つ。あれほどの数の宝具を持つ英霊など……悪い冗談とか思えない。

 

「その小癪な手癖の悪さで以て、どこまで凌ぎ切れるか……さあ、見せてみよ!!」

 

 その言葉を引き金として、空間という弓に番えられていた”矢”である宝具群は、一斉にバーサーカーへと殺到する。

 

 しかし、そのどれ一つとて漆黒の狂戦士にダメージを与える事は出来なかった。

 

 バーサーカーは美しさすら感じさせるような無駄の無い動きで迫り来る”凶弾”を掴み取り、奪い、手足のように完璧に操り、回し、続く攻撃を打ち払い、更には飛来する中により”格”の高い宝具があると見るや間髪入れずにそれに持ち替え、空爆のようなアーチャーの攻撃を凌ぎきってしまった。どころか、あまつさえ奪い取った宝具を投げ返して反撃までしてみせる。

 

 アーチャーは素早く跳躍して攻撃を避けたが、彼の立っていた街灯はそうも行かず三つに切断されてしまった。

 

 難無く着地したアーチャーであったが、その体は隠そうともしない怒りによってぶるぶると震え、面貌も憤怒によって歪んでいる。

 

「痴れ者がっ……!! 天に仰ぎ見るべきこの我を、同じ大地に立たせるか!!」

 

 三度空間が、二度目よりも更に大きく歪んで再び宝具群が顔を出す。数は、30を越えている。いよいよこのサーヴァントも本気になったのか、それともまだ上があるのか。

 

 いずれにせよ、恐るべき敵である事には間違いはない。フィオは大きく息を吐き、奴の手の内を見極めようと目を凝らす。

 

「この不敬は万死に値する!! そこな雑種よ!! 最早肉片一つも残さぬぞ!!」

 

 激情に任せて吼えるアーチャーの意志によって、雨のような宝具が発射される。

 

 かに、見えたが。

 

 

 

 

 

 

 

「ギルガメッシュは本気です。更に『王の財宝』(ゲートオブバビロン)を、解き放つ気でいます」

 

 通信機から綺礼の報告を受けて、時臣はいよいよ表情を歪ませた。

 

 まずい、絶対にまずい。

 

 今はまだ、綺礼のアサシン群による諜報に徹するべきなのだ。それをギルガメッシュは、あろう事か必殺宝具を繰り返し衆目に晒し、ましてやあんな得体の知れないバーサーカーへの全力投球など、断じて見過ごせるものではない。

 

 しかもあの場には、ロード・レンティーナが居る。

 

 他の誰にもまして、彼女に多くの情報を与えるのはまずい。早急にギルガメッシュを退かせなくては。

 

 だがあの英雄王にはマスターを尊重する気など申し訳程度にしかないようだ。ならば……

 

 魔術師の視線が、右手の令呪へと動く。

 

 目的の都合上、三画の令呪は彼にとっては二画分の意味しかないが、しかしそれを使う事を時臣は躊躇わなかった。今すぐこれを使わなくては、近い未来に自分は敗北する。彼女の手によって。

 

 そんな根拠の無い悪寒が、彼の中に走っていた。

 

「令呪を以て奉る。英雄王よ、怒りを鎮め撤退を」

 

 

 

 

 

 

 

 その絶対命令は、空間を越えて間髪入れずにアーチャーへと届く。

 

「貴様如きの諫言で、王たる我に退けと? 大きく出たな、時臣」

 

 憎々しげに言うが、しかし如何な大英雄だろうと令呪の強制には逆らえない。アーチャーはさっと手を一振りして発射寸前の宝具群を収納、先程の攻撃で地面に突き立った物も回収すると、

 

「命拾いしたな? 狂犬……雑種共、次に会うまでに有象無象を間引いておけ!! 我と見えるのは、真の英雄のみでよい!!」

 

 その言葉を最後に、現れた時と同じ金色の光と共に霊体化し、消えていった。

 

「ふむ……どうやらアーチャーのマスターは、サーヴァント程には剛毅ではなかったらしいな、奏者よ」

 

「慎重なのよ。セオリー通りだけど、でもやっかいな敵だわ」

 

 ライダーの評にそう返すフィオだが、いつまでもこんな呑気に会話していられるほど、危険は十全には除かれていない。

 

 前門の虎は去った。しかしまだ、後門の狼が残っている。

 

 標的を見失ったバーサーカーであったが、不意にその視線がセイバーへと動く。

 

「!!」

 

 表情を厳しくして、剣を構え直すセイバー。

 

「…………」

 

 と、バーサーカーの視線が今度はすぐ隣で戦車に乗っているライダーへと動いた。

 

「む……!!」

 

 狂戦士がいつ飛びかかって来ても対応出来るよう、ライダーは手綱を握り直す。

 

「…………?」

 

 バーサーカーはまだ動かない。その動きは少し戸惑っているようにも見える。

 

「…………!!」

 

 と、その目線が少しだけ下がって、もう一度セイバーへ動き、

 

「………」

 

「何だと言うのだ、一体……!?」

 

 今度はライダーに。

 

「………」

 

「理性を失っていても、余の美貌は分かるらしいな?」

 

 軽口には付き合わず、

 

「…………!!」

 

 再びバーサーカーの視線がセイバーに動く。と、同時に。

 

「A------urrrrrrrrッ!!!!」

 

 咆哮。

 

 そしてさながら暴風の如き速度とパワーを纏って、蒼の騎士へと突進した。

 



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第05話 第二戦終結

「■■■■■!!!!」

 

 呪詛のようにも怒号のようにも聞こえる叫びを上げ、引き抜いた鉄柱を振り回して襲い掛かるバーサーカー。

 

 セイバーはすかさず不可視の剣でその打ち下ろしをガードするが、すぐに彼女の目は驚愕に見開かれた。

 

 敵の得物はただの鉄柱でありながら、英霊の武器と鍔迫り合いが出来ている。

 

 鉄柱にはバーサーカーの籠手より蜘蛛の巣かあるいは葉脈のように魔力が伸び、その総身を浸食している。その即席の槍を、バーサーカーはまるで幾多の戦場を共に乗り越えた”相棒”のように、慣れぬ武器への戸惑いや違和感など全く感じさせずに完璧に操っていた。

 

「……そ、奏者よ。奴は一体……」

 

 流石に桁外れの芸当を見せられて、ライダーも動揺している。あのバーサーカーの力の秘密は、一体……?

 

 同じ思考を、フィオも行っていた。

 

 あのバーサーカーが狂化して尚衰えを知らぬ程に、究極の域にまで練り上げられた”武”の英霊である事は分かったが、しかしそれでも只の鉄柱で、セイバークラスの剣と打ち合える筈はない。これは武器の性能が劣る分は使い手の技量で補うとか、それ以前の問題だ。

 

 ならば、バーサーカーの能力の正体は……

 

「……成る程、バーサーカーが手にした物は、何であれ”奴自身の宝具”になるという事ね」

 

 仮説だが、まず間違ってはいまい。それなら先程、奴がアーチャーの宝具を奪い取って自由自在に扱った事も、今セイバーと只の鉄棒で打ち合えている事にも全て説明が付く。

 

 本来宝具とは、殊に武器や道具に分類されるタイプの物は生前の英霊にとって生身の体と変わらぬ程に、極限まで使い込まれた”究極の一”となってやっとその域に立たせる事が出来る代物だ。

 

 それをあのバーサーカーは、手で触れるというその一動作のみで可能にする。アーチャーとは別の意味で規格外のサーヴァントだと言えるだろう。

 

 そう思考している間にもバーサーカーの攻撃は止まらない。狂化によって高められたパワーと衰えぬ武の冴え、更にセイバーにはランサーの宝具である「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)によって左腕に負わされたダメージもあって、今は何とか持ち堪えてはいるが防戦一方、劣勢である。

 

「くっ……貴様は……!!」

 

 思わず声が出るが、バーサーカーには届かない。届いていたとしても、理解出来ているかどうか? 返事の代わりに次の攻撃が繰り出される。棒術の要領で、腰を起点に”槍”を回した意表を突く攻撃。

 

 不意を衝かれたセイバーは一瞬だけ反応が遅れ、

 

 そして、槍の穂先は断ち切られて地面に突き刺さった。

 

 窮地からセイバーを救ったのは、

 

「ランサー……」

 

 割り込んだ槍兵はたった今バーサーカーの疑似宝具を切断した長槍「破魔の紅薔薇」(ゲイ・ジャルグ)の切っ先を、牽制するように狂戦士へと向ける。

 

 バーサーカーとて触れさえすれば全くの無条件でそれを宝具に出来る訳ではないようだ。より正確に言えば、触れる事によって魔力を流し、その武器に”自分の宝具”という属性・概念を与える。故にランサーの手にする魔力の流れを断つ紅槍の前に、”槍”は”鉄柱”に戻ったのだ。

 

「悪ふざけはその辺にしてもらおうか、バーサーカー。そこのセイバーは、俺と先約があってな。これ以上つまらん真似をするつもりなら、俺とて黙ってはおらんぞ?」

 

 たとえ敵であろうと、真っ向から戦う相手には敬意を持って向き合う。誇り高き英霊の在り様に、セイバーはその胸に熱いものが込み上げてくる感覚を覚えていた。

 

 ライダーも戦車の上で「流石はケルトの騎士、見事よな」と頷いている。傍らのフィオも、反応は似たようなものだ。

 

 その時だった。

 

『何をしている、ランサー? セイバーを倒すのならば、今こそが好機であろう』

 

 不意に、この戦場全体に声が響く。ランサーのマスターのものだ。変声の魔術を使っているらしく、合成音のように男か女かも分からない。それに隠蔽魔術によって声の出所も分からなくしている。かなり熟練の魔術師と見て良いだろう。

 

「セイバーは、必ずやこのディルムッド・オディナが誇りに懸けて討ち果たします!! なんとなれば、そこな狂犬めも先に仕留めてご覧に入れましょう!! 故にどうか、我が主よ!! 私とセイバーの決着だけは尋常に……!!」

 

 その端正な美貌には些か似つかわしくない程に熱く、ランサーが訴えかける。彼にとって騎士王たるセイバーとの一戦は、それほどに重要な意味を持つものだった。

 

 僅かな間を置いて、再び声が響く。

 

『よかろう、許す。ランサーよ、バーサーカーを打倒せよ』

 

「はっ!! 感謝いたします、主よ!!」

 

 主からの了解を得て、猛然と邪魔者へと突進する槍兵。バーサーカーも同じく邪魔者を排除しようと半分ぐらいの長さになった鉄柱を今度は剣のように振るうが、ランサーの繰り出した槍の前には通じない。

 

 先程のリプレイのように魔力循環を断たれた鉄柱は更に半分程の長さに切断され、紅槍の穂先はそれには止まらず、魔力で編まれたプレートメイルをすり抜けるようにて狂獣の体に浅くはない傷を刻む。更に蹴りを入れて、バーサーカーを吹き飛ばすランサー。

 

「……妙ね?」

 

 ぼそりと、フィオが呟く。今のランサーから受けたダメージは、セイバーのそれと違って回復不能のものではない。にも関わらず、バーサーカーのマスターは治癒を施さないようだ。マスターが姿を現さない以上、魔力を出し惜しみしなければならないという状況は考えづらい。という事はこのバーサーカーの魔力消費はそれほどに大きいものなのか、それとも他に理由が……?

 

「■■■■■■……」

 

 バーサーカーが受けたダメージは致命傷には至らぬまでも、軽傷でもない。しかしこの狂戦士は、理性と一緒に痛覚までも失っているのではないかとこの場の全員が疑う。撤退の気配すら、その姿からは感じ取れない。

 

 奴はまだまだランサーと戦うつもりでいる。正確には、彼を打倒してその背後に居るセイバーと、であろうか。

 

「……!!」

 

 宝具の相性から優位に立てるとは言え、白兵戦に求められるステータスでは狂化の影響もあり相手の方が圧倒している。故にランサーは油断無く身構え、バーサーカーの攻撃を迎え撃つ姿勢を取る。

 

「■■■■■!!!!」

 

「来るかっ!!」

 

 最早無手となったバーサーカーが突進した。と、同時に。

 

「ライダー!!!!」

 

「任せよ奏者!! ランサー、下がれ!!!!」

 

 全く別の方向から声が上がる。フィオの指示を受け、ライダーが戦車を発進させた。

 

 『日輪の戦車』(ヘリオス・チャリオット)は助走距離は僅かながら信じられない加速によってあっという間に最高速に達し、ランサーとバーサーカーへと向かっていく。

 

「!!」

 

 ランサーは最速クラスの面目躍如とばかり素早く跳躍して離脱したが、バーサーカーはそうは行かなかった。全く予想外の方向からの乱入に反応しきれず、四頭の神馬に激突され、しかも纏う炎にも焼かれ、吹っ飛んで地面に転がった。

 

「……■■……■■……■……」

 

 即死は免れたようだが、ダメージは大きい。地に伏せたまま立ち上がれず、その動きも弱々しい。

 

 事ここに至っては、さしもの狂戦士も戦闘継続は不可能だと悟ったらしい。現れた時と同じように体を黒い霧状の魔力に変えて、霊体化した。

 

 後門の狼もこれで去った。

 

 後は、セイバーとランサーの決着を残すのみだが……しかしランサーにも、相性の良い相手だったとは言えバーサーカーと戦って疲労が残っている。

 

 左腕を封じたとは言えセイバーとこのまま戦うのは得策ではないと、彼のマスターはそう判断したのだろう。

 

『ランサーよ、今宵はここまでだ』

 

 撤退の命令を下す。

 

「はっ……!!」

 

 ディルムッドはその命に頷き、そしてまずはライダーへと向き直る。

 

「ライダーとそのマスターよ。ご助勢、感謝する」

 

「うむ……演劇の最中に役者以外が舞台に上がるなど、無粋の極みである故、な……そなたらの見事な戦いへの、余からの報奨と思うがよい」

 

 笑って言うライダーにランサーも笑みを一つ返すと、彼は今度はセイバーへと向き直った。

 

 気高き剣の英霊は、何も言わずただ頷いて応じる。互いに次の決着を誓い、ランサーは霊体化して姿を消した。

 

 それを見届けると、フィオとライダーも互いを見合って、頷き合う。引き上げ時だ。

 

「ではな、セイバー。昼間に申し渡した通り、そなたとの対決、余は楽しみにしておるぞ」

 

 挑発ともエールとも取れる言葉を最後に、ライダーもまた炎を纏う戦車を駆って、空中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「……それにしても奏者よ、よくあの場面で余の介入を許してくれたな?」

 

 人目に付かないよう高々度を飛ぶ戦車を操りつつ、ライダーは眼下の町を見下ろしている主に言った。

 

 あの場面では、ランサーとバーサーカーの戦いを静観するのがベストであった筈だ。あのまま続けていれば恐らく勝ったのはランサーであろうが、バーサーカーも手傷の一つは負わせたかも知れない。

 

 そうなれば自分達にも有利となっただろうが……

 

「…………強いサーヴァントだと、私に証明するんでしょう? それに、あなた自身も割って入りたそうだったし」

 

 とぼけるように言うフィオに、ライダーは驚きと喜びにその瞳を少しだけ大きく見開いた。

 

 バーサーカー。当面の優先目標かも知れないサーヴァントを撃破してこの強いマスターに、自分もそれに相応しいサーヴァントであると見せたかった。

 

 騎士達の戦いを汚す獣を成敗してやりたかった。

 

 それは二つはどちらも、ライダーが確かに胸に抱いていた感情だ。しかし、あの状況では戦略上致し方ないと諦めていたが……

 

 このマスターはその程度は何でもないと笑い飛ばして、自分の心を汲んで、望みを許してくれた。

 

「奏者よ」

 

「……ん?」

 

「余は、奏者がマスターであって良かったと思うぞ!!」

 

 会心の笑みを浮かべながらそう言ったライダーであったが、しかし振り向いた彼女はフィオの顔色があまり良くないのに気付いた。

 

「ど、どうした奏者よ!! 具合が悪いのか!? どこか怪我したのか!? さっきバーサーカーに突っ込んだ時か!? よ、余のせいなのか!?」

 

 ”フィオに駆け寄る”ライダー。しかし、これを見てフィオの顔色が一気に真っ青になった。

 

「ラ、ライダー!! 今手を離したら!!」

 

「ぬ!? お、おお!?」

 

 フィオが指摘すると同時に、御者のコントロールを離れた戦車は空中を滅茶苦茶な軌道で駆け始めて、S字を描くような動きによって遠心力が掛かって二人は振り落とされそうになる。ライダーは慌てて手綱を握り直すと、「どうどう」と神馬達を落ち着かせて制御を取り戻した。

 

 とんだスリリングな体験になったが、落ち着きを取り戻したフィオが、ライダーに笑って言う。

 

「大した事じゃないわ。私、昔に一度飛行機で落ちた事があってね……ちょっと、それを思い出しただけよ」

 

「……ふむ」

 

「一体全体何があったのか、私がトイレに立ったほんの十数分程の間に機内が死徒化した蜂と食屍鬼(グール)だらけになって、地獄絵図だったわ。私は一人だけ生き残っていた女の人と一緒に、飛び降りて無事だったけど」

 

 何でもないように言うが、容易ならざる言葉がその中にあったのを、ライダーは聞き逃さない。

 

「飛び降りた……って……」

 

 呆然とした顔のサーヴァントの質問に、フィオはくっくっと喉を鳴らした。

 

「質量制御と気流制御による高々度からの降下なんて、熟練の魔術師にはそれほど難しくないわよ? それに私は飛べるしね。本気を出せば」

 

「何と……!!」

 

 驚いた表情を見せるライダー。英霊である自分さえ、空を飛ぶには宝具の力を借りねばならないと言うのに、ただの人間の奏者が身一つでそれを為すと言うのか?

 

「七属性の一つ、架空元素『無』。「ありえないが物質化するもの」を操る魔術によって常識が通用しない物質を作り出し、それで形成した羽で飛ぶのよ」

 

「……つくづく規格外だな、そなたは……」

 

 ここまで来ると最早、感心するしかない。本当、このマスターは何でもありだ。本当に人間か? ひょっとしてサーヴァントか死徒が人間の皮を被ってるんではあるまいな?

 

 もうマスターが何をしようが驚かないと、ライダーは心に誓う。

 

「その飛行機事件だけじゃなくて、それ以前にもバカンスに行ったら南国の楽園が食屍鬼の楽園になったりするし……そして今回の聖杯戦争……私、トラブルに巻き込まれる体質なのかしら……」

 

 頭を押さえ、やれやれと自嘲するように嘆息するフィオ。

 

 さしものライダーもこれには苦笑いを浮かべるしかなかった。だが一つだけ、彼女には言える事がある。

 

「奏者よ、確かにそなたは不運やも知れぬ。だがそなたがその場に居合わせたからこそ、救えた者も居る筈だ。飛行機から共に飛び降りたというその女性然り、あのシャーレイ然り」

 

「……む」

 

「此度の聖杯戦争も同じだ。そなたでなければ助けられぬ命、救えぬ魂が、必ずある筈だ。それはそなたも望む所であろう? 奏者がこの聖杯戦争を戦う理由を聞いた時、余はそれを美しいと思った。皇帝たる余が、羨む程にな。より美しい願いは、より強い願いよりも生き残るものだ。安心するがよい!! 此度の聖杯戦争、余はそなたの足、そなたの翼となりて、必ずや勝利に導こう!!」

 

 力強いその宣言に、フィオはふっと笑う。

 

 『相応しいサーヴァントたる証を立てる』。この騎乗兵は、確かにその言葉を実行してくれた。共に戦うに相応しい、最高のパートナーだ。

 

「改めて、よろしく頼むわね。ライダー」

 

「うむ!!」

 

 ライダーは強く頷き、そして手綱を大きく振るう。

 

 加速した戦車は勢いを増して、月にすら届く勢いで冬木の夜空を駆けていった。

 



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第06話 参戦の理由

 

「切嗣……大丈夫ですか?」

 

「ああ、何とか……」

 

 助手である久宇舞弥が運転する軍用ジープに揺られながら、だらりと全身の筋肉を弛緩させたように力なく助手席に座る切嗣は隠し切れない疲労を滲ませた声で返した。

 

 倉庫街でフィオと遭遇し、命からがら彼女から逃げ切った彼であったが、その代償は安くはなかった。

 

 恐るべき敵から一刻も早く、少しでも遠くへと逃げ延びる為に断続的ながら固有時制御を乱発した彼の体には、今は相応の負荷が返ってきていた。筋肉も骨も血管も神経も、体中が悲鳴を上げている。

 

 今夜はもうアインツベルン城へと帰還して体を休めたい所であったが……状況はそれを許してはくれないようだった。

 

 調べなければならない事が出来た。

 

 いきなり現れたとんでもないイレギュラー、フィオ・レンティーナ・グランベル。

 

「切嗣、これを……」

 

 舞弥は、昼間にセイバーが持っていたのと同じ観光客向けに作られた冬木市案内のパンフレットを手渡す。付箋が挟まれたページを切嗣が開くと、そこにはとあるイタリアンレストランの紹介記事があり、小さくだがフィオの写真が載せられていた。腕利きのオーナーシェフとある。

 

 こんなちっぽけな冊子の小さな記事……冬木のセカンドオーナーである遠坂時臣とてここまでは目が届かなかったらしい。あるいはうっかり見落としていたのか。どちらにせよ、彼女が教会にマスター登録に現れるまで、その存在には気付いていなかったに違いない。

 

 切嗣がそう考える根拠としては、もし時臣がフィオの存在と参戦に気付いていたのなら、もっと早くに何らかのアクションを起こしていたに違いないからだ。何の動きも見せなかったのが、知らなかった何よりの証拠だ。

 

 舞弥とて見付けられたのはただの偶然である。この冬木でケーキの美味しい店を探していたら、たまたま目に入った記事を彼女は覚えていたのだ。

 

「切嗣……彼女は、何者なのですか……?」

 

「…………」

 

 魔術師殺しは僅かに言い淀んで、そして話し始める。

 

「魔術の名家グランベル家の17代目当主、元・時計塔のロードにして封印指定の魔術師……だけでなく、八極拳・サンボ・合気道・柔術など格闘技のエキスパートで、武器戦術・爆発物のプロフェッショナル。今は引退した僕の師匠から、命が惜しければ絶対に手出しするなと何度もきつく言われた、たった一人の相手だ……」

 

「それほどの敵、なのですか……?」

 

「ああ、必要なら魔術王ソロモンにネックハンギングツリーをキメかねない女だ。たとえうつらうつらしている所を簀巻きにして紀元前1万年前にレイシフトさせても、次の瞬間にはカルデアへとにっこり笑って現れる。ご丁寧に土産まで用意してね……」

 

「は、はあ……」

 

 まさかと言いたげな顔の舞弥に、切嗣は苦笑する。当然と言えば当然の反応だ。今の言葉は一言一句違わずナタリアからの受け売りだが、自分もまた彼女から最初に彼女の事を聞かされた時は、何かの冗談だろうと一笑に付したものだ。

 

 ナタリアはこうも言っていた。

 

 心を落ち着けて、自分が思い描く事の出来る最悪の悪夢を想像しろと。

 

 フィオは、その悪夢より恐ろしいのだ。

 

「一番の問題は別にある」

 

「と、言うと?」

 

「今まで彼女に返り討ちにされた魔術師殺しの数は、正確な数は不明だが10人や20人ではきかない。”魔術師殺し殺し”とも言える存在なんだよ」

 

「それは……つまり……!!」

 

 魔術師殺しである切嗣の戦い方は、フィオには知り尽くされていて先読みされるという事なのだ。だから彼女は、倉庫街でも的確に”狙撃手”の居そうな位置を把握して回り込む事が出来たのだ。

 

「恐ろしい相手だよ……」

 

 同時に、彼女は自分の”母”を救ってくれた恩人でもある。

 

 心のどこかで会いたいとは思っていたが、それがまさかこんな形になってしまうとは……!!

 

 だが、殺さなければならない。

 

 自分が今まで殺してきた人間の為に、彼女には死んでもらわなければならない。

 

 それにしても……どうして自分の情報網では、彼女のような怪物がこの戦争に参加するという情報を、何も掴めなかったのだ?

 

 しかもコックだと?

 

「訳が分からないよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 時は、3日前に遡る。

 

 フィオの朝は、熱いシャワーを浴びる事から始まる。そうして一日の始まりである事を心身に刻み込み、爽やかな気持ちでその日を頑張るのだ。

 

 それは繰り返されていく、平凡ながら穏やかな日常。

 

 しかしこの日、異変があった。

 

「……っ!?」

 

 不意に走った痛みと熱さに、フィオは胸を押さえる。何かの病気かとも思ったが、痛みを感じているのは肺や心臓ではなく、寧ろ彼女の皮膚の表層と、それに魔術回路。

 

 一分も経ってその焼けるような痛みが治まりそして鏡を見ると、彼女の胸には中央の剣と、その左右に三対六枚の羽の紋様。三画の令呪が浮かび上がっていた。

 

「こ……れは……」

 

 確か、時計塔に居た頃に文献で読んだ事がある。

 

 極東、冬木の地で60年周期で行われる魔術師達の闘争。

 

 それを皮切りに、コック暮らしで埃を被りカビを生やしていた記憶がどんどんと蘇ってくる。

 

 万能の願望機である聖杯を巡っての殺し合い。

 

 歴史上の偉人、神話の英雄を現代に召喚し、マスターと共に最後の一組になるまで戦い抜くバトルロイヤル。

 

 その参加資格者の証である令呪が、今、彼女の胸にも宿ったのだ。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーっ!!!!」

 

 さしもの彼女も思わず絶叫してしまう。

 

「ど、どうしたんですか!? 店長!!」

 

 そのバカでかい声を受けて、隣の部屋から既にばっちりメイド服を着込んだシャーレイが駆け込んできた。彼女は死徒だが、フィオは自分の店のウェイトレスとして働いてもらう為に、朝型に体質改善させたのだ。太陽光は遮光の魔術を掛けてやれば問題は無い。

 

「ああ……エラい事になってしまった……」

 

 結局この日は仕事どころではないと店を閉めて、フィオは難しい顔で冬木の町並みを歩いていた。

 

 始まりの御三家でもなく、聖杯戦争に参加する意志が無い、どころか今朝までその存在すら忘れていた自分に、何で令呪が宿るのだ?

 

 彼女は知らない事だが、聖杯は基本的に御三家や戦争に参加する意志を持ったマスターに対して優先的に令呪を配布する。しかし、開始期日が迫っても規定の人数が集まらない場合、聖杯は参加する意志の無い魔術師や、魔術師ですらなく魔術回路を持っているだけのような格の劣る者もマスターとして選び、無理にでも空席を埋めて7人の枠を揃える。

 

 フィオの場合は、前者であった訳だ。

 

「何でこんな事に……」

 

 悩むが、しかし今はそんな原因の考察・究明よりも宿ってしまった令呪をどうするかだ。

 

 しばらく店は休まなければならないだろうが、こんな物騒な物はさっさと放棄して、教会に逃げ込むか……?

 

 そう、それが良い。

 

 そうと決まれば善は急げだ。今すぐ教会に……

 

「ん?」

 

 行こうとした所で、フィオは自分が住宅街にまで歩いてきていた事に気付いた。考え事に夢中で、どこを歩いているかなんて全く気が回らなかった。

 

 気を取り直して教会へと向かおうとしたフィオであったが……

 

 しかし、ある家の前を通り掛かった所でその足が止まる。そこでは、警察による捜査が行われているようだ。

 

 そう言えばここ最近、この冬木では猟奇殺人の事件が話題に上がっているが……

 

 現場の周囲には人だかりが出来ていて、そこに集まっている人々は口々に、

 

「一家皆殺しですって……」

 

「おお、怖い」

 

「酷いわねぇ……」

 

 などと言っているが、それはテレビのニュースを見ているのと同じで実感のこもった言葉ではない。フィオとて同じであり、彼女もまた、目の前の現実を遠い世界の出来事のように感じていた。

 

 ある言葉を、聞くまでは。

 

「何でも子供の血で、魔法陣みたいなのが描かれていたとか……」

 

「!?」

 

 足が止まる。

 

 この時期に魔法陣、だと?

 

 まさか、いや、ひょっとして……?

 

 胸に生まれた疑念に突き動かされ、フィオは暗示の魔術を使って捜査現場へと踏み入って、そして表情を凍て付かせた。

 

 バケツ何杯かの赤ペンキをブチ撒いたようで酸鼻を極める現場の片隅には、既に運び出された被害者の血で、魔法陣が描かれていた。これは明らかに、サーヴァント召喚を行う為のもの。

 

 用心深く、そっと指を這わせてみるフィオ。

 

「……!!」

 

 そうあってほしくないと思っていた最悪の事態が、現実に起こってしまっていた。この魔法陣からはまだ僅かながら魔力が感じられる。間違いない。誰か、恐らくはこの惨劇を演出したクソ脚本家が、この魔法陣を使ってサーヴァント召喚を行ったのだ。

 

「何て事……!!」

 

 ぎりっ、と奥歯を噛み締める。

 

 こんな非道を行う輩がマスターになったとあれば、サーヴァントを使って更なる兇行に及ぶは必定、火を見るよりも明らかというやつだ。

 

 もう一つ。今の今まで失念していたが、何も外道狼藉を働くのはこの殺人鬼マスターだけとは限らないのだ。

 

 霊体であるサーヴァントは、魂食いを行って能力を増幅する事が出来る。優勝を望むマスターが、自分のサーヴァントを強化する為に一般人を襲撃するような暴挙に出たとて、何もおかしな話ではない。目的の為に手段を選ばない、魔術師というのはそもそも、そうした生き物なのだ。

 

 ぐっ、と胸に手を当てる。

 

 こうなってはもう、教会に逃げ込む訳には行かなくなった。

 

 自分を除いて魔術師が6人と、最高峰の使い魔が6騎も夜な夜なこの町をうろつく事になるのだ。通り魔どころの騒ぎではない。

 

 そんな奴等を野放しにしたままでは、おちおち夜も眠れない。

 

「仕方無いわね……こうなったら、私がさっさと優勝して聖杯を手に入れるしかないか」

 

 それで金銀財宝でも満漢全席でも、適当な願いを叶えてしまえば、魔術師達がこの町で暴れる理由も消滅する。

 

 数年ばかり過ごして、この町にもそこに住んでいる人達にも、愛着が湧いてしまったし。こんな悪趣味なイベントは、ちゃっちゃと終わらせてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

「……そうして奏者よ、そなたは余を召喚した訳だが……」

 

 自宅に帰ってきたフィオへ向かって、リビングの一角に特別にあつらえられたソファーにどっかりと腰掛けたライダーがワイン片手に言う。3日前に召喚されたばかりだと言うのに、彼女はもうすっかりこの家に馴染んでしまっている。天井にはフィオが錬金術で拵えたシャンデリアが吊されていた。これもライダーが蛍光灯を見て「このような機能性だけのものでは余の居室の明かりには似合わぬ」と言い出したものだ。

 

 まぁ、現界の為の魔力はこちらが供給するとは言え矢面に立って戦うのは彼女達サーヴァントなのだし、この程度の我が儘は聞いてやるのがマスターの度量というものであろう。それに確かに蛍光灯よりこっちのがオシャレだしと、フィオも何だかんだで付け替えには積極的だったりした。

 

「余らが優先して叩くべきサーヴァントはどいつなのか、未だはっきりとはしないな?」

 

「ええ……」

 

 半分は残念そうに、もう半分はからかうようなライダーの言葉に、フィオは頷く。

 

 今の所自分達が接触出来たあるいは間近で見たサーヴァントは、セイバー、ランサー、アーチャー、バーサーカーの4騎。

 

 フィオはまずは殺人鬼マスターとそいつが呼び出したサーヴァントを叩こうと考えていたが、果たしてライダーを除く6騎の内どいつがそうなのか……?

 

 断定は不可能。だが、少なくとも絞り込みは出来ている。

 

 まず、セイバーとランサーは除外しても良いだろう。あの二人はどちらも、己の宿願の為とは言え無辜の民を殺し食って恥じないような英霊ではない。

 

 アーチャーも、セカンドオーナーである遠坂のサーヴァントである点から考えて可能性は低い。

 

 となると残る可能性としては、バーサーカー、キャスター、アサシンのいずれかという事になる。

 

「……で? 奏者よ、そなたはどいつが怪しいと見ておるのだ?」

 

「確たる証拠も無いのに、思い込みは重大な危機を招くわよ? ライダー」

 

 そうは言ってみるものの、ターゲットでない可能性が高いサーヴァントは、もう一騎いる。

 

 アサシンだ。

 

 マスターの天敵たるこのクラスは、人間でありサーヴァントに比べれば能力的に遥かに劣るマスターを相手にする事を前提としているので高い白兵戦能力や強大な破壊力を発揮する宝具などは必要とせず、気配遮断による隠行・暗殺に特化している。

 

 よって十全のパフォーマンスを発揮する事や、現界の維持にはさほど高い魔力や魔術師としての技量を必要とはしないのだ。なのに敢えて神秘の漏洩に繋がるような兇行を犯してまで魂食いを行わせる理由が無い。

 

 となると、残るのはキャスターとバーサーカーだが……

 

 こいつらは、どっちも怪しい。

 

 キャスターはクラス特性からして、最短で勝利を得ようとするなら十分な魔力を確保して強力な魔術を行使したり堅牢な工房を作ろうとするだろう。

 

 バーサーカーは魔力消費が激しいクラスであるが故に、マスターの魔力事情は常に逼迫している。過去の聖杯戦争では、狂戦士のクラスを使役したマスターは全て魔力切れで自滅したと言うし、そうした事情を知っていれば尚の事、ミイラになりたくないマスターが魔力を自分以外の所から供給しようとする可能性がある。

 

 要するに断定は出来ないがどちらも、サーヴァントの意志あるいはマスターの指示で、魂食いを行う動機が十分にあるのだ。

 

 では未だ姿を見せないキャスターは兎も角、あのバーサーカーのマスターに問い質せば良いだろうという考えに行き着くのだが、数合わせで選ばれたマスターの悲しさ、事前準備を全くしていなかったフィオはそうした情報面に於いて、他のマスターに水をあけられてしまっていた。

 

 よって、一人ずつ”面接”して下手人を捜しているのだが、やはりそのようなやり方では上手く行かない。それに今になってよくよく考えてみれば、そもそもそんなやり方をする奴等が表に出てくるか? という話でもある。

 

「手がかりと言えば、マスターが殺人鬼であるという事と、もう一つ」

 

 ライダーはそう言うと、すぐ傍の台に置かれている物に手を伸ばした。

 

「この”矢”が召喚に際し触媒として用いられたという事だけか……奏者よ、間違いないのか、それは?」

 

「ええ、召喚が行われた家の、魔法陣の近くの棚に置かれていた物よ。私が確認した時、その矢にも僅かながら魔力が残留していた。間違いなくそれは英霊を招き寄せる触媒として使われた聖遺物よ」

 

 尤も、惨劇のあった家は魔術師の家系でもなんでもなかった。多分、考古学の研究の為に持っていたとかさもなくば史跡を訪れた時に何かの切っ掛けで手に入れて、そのまま記念品として持ち帰ったとかそんな所だろう。触媒として用いられたのも殺人鬼マスターが意図してそうしたのではなく、偶然描かれた魔法陣のすぐ近くにこれが置かれていたというだけに過ぎないだろうと、フィオは見ている。

 

「ふむ……しかしこんな何の変哲もない矢一本ではな……」

 

 弓矢を武器にした英霊などそうでない者の方が少ないぐらいだろうし、特定は不可能。ライダーは溜息を吐いて、机上にその矢を転がした。

 

 と、そこに、シャーレイが地図を片手に入ってくる。

 

「店長、頼まれていた調査、終わりました」

 

「ご苦労様、早速見せてくれるかしら?」

 

 フィオの指示を受けて、シャーレイはテーブルの上に地図を広げる。その地図には、ちょうど未遠川を下流から上流へと遡るようにして、アルファベットが等間隔で書き込まれていた。

 

「奏者、これは?」

 

「シャーレイに、水の中の術式残留物の調査を頼んでおいたのよ。それで、結果は?」

 

「はい、術式残留物が確認出来たのは河口のA地点からP地点までで、Q地点より上流の水からは確認出来ませんでした」

 

「……つまり、どういう事だ?」

 

 ライダーは魔術を使う事は出来ても専門家ではない。フィオはくすくす笑って、説明を始める。

 

「水の中に魔術を使用した痕跡が残っていたって事よ。それがP地点とQ地点との間で途切れている、という事は……?」

 

「その二箇所の間に、何かがある?」

 

 倉庫街の時と同じで、可愛い生徒を見る教師の顔になってフィオが笑う。

 

「そうそう。で、シャーレイ、その間に何かあった? 排水溝とか用水路とか……」

 

「はい、普通の車ぐらいなら入りそうなぐらい大きいのが一つありましたけど……」

 

「成る程、ではそれを遡っていった先に、いずれかの魔術師の拠点があるという訳か!!」

 

 掌をぽんと叩いてライダーが言うが、フィオは難しい顔だ。

 

「どうしたのだ、奏者よ」

 

「店長?」

 

「……気に入らないわね」

 

「「は?」」

 

「シャーレイ、やらせておいてこんな事を言うのはアレだけど、実を言うと私は、この作業で結果が出るとは思ってなかったのよ」

 

 あくまでダメ元、打てる手は全て打っておくという意味で行わせた調査だった。

 

 キャスタークラスは勿論、人間であろうと聖杯戦争に招かれる程の魔術師ならば痕跡の隠滅も完璧にやってみせるだろう。少なくとも自分ならと、フィオは思う。今回のように水から術式残留物を検出されるなど、魔術師としてはあまりにも初歩的なミスだ。

 

 ならば何故、こうも簡単に拠点の手がかりが見付かるのだ?

 

「罠、と考えておるのか? 敢えてその術式残留物とやらを流して、引っ掛かった者を偽の工房へ……」

 

「いや……」

 

 誘き寄せるにしてもあからさますぎて、これでは却って誰も近付かないように思う。

 

 寧ろ初歩的すぎて、優秀な魔術師が揃っているだろう聖杯戦争では逆に見落とされるレベルだ。「この戦争に参加する魔術師がこんな簡単なミスをする筈がない」という先入観・思い込みによって。フィオだってその一歩手前ぐらいには居たのだから。

 

「気に入らないわね……何か、しっくりと来ない」

 

 イマイチ表情の晴れないフィオであるが、これ以上考えても答えが出そうにない。次の報告を聞く事にした。

 

「水汲みと並行して、市内で遠坂家と間桐家以外で強い魔力が感じられる場所を探していたんですが……」

 

 シャーレイはそう言うと、赤いサインペンを取り出して地図上の一点に丸を描いた。

 

 ここは確か……

 

「冬木ハイアットホテル、その最上階から私でも分かるぐらいの凄い魔力を感じました。多分、魔術工房がそこにも……」

 

「成る程……」

 

 フィオはううむ、と唸る。

 

 どうにも気に入らない、排水溝の先にあるだろう拠点と、ホテルの最上階にある拠点。どちらに先に向かうべきか……?

 

 しばらく考えた後、フィオは結論を出して「うん」と強く頷く。指針は、固まった。

 

「ライダー」

 

「どうした、奏者よ?」

 

「今日は、もう一働きしてもらうわよ」

 

 「帰ってきたばかりで悪いけど」とのマスターの言葉を受けて騎乗兵はにっこりと笑うと、

 

「うむ、任せておけ!!」

 

 まだグラスに残っていたワインを一息で空にして、勢い良くソファーから立ち上がった。

 



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第07話 ケイネスとフィオ

 

 一週間程前の話だ。

 

「駄目だな、この論文は机上の空論でしかない」

 

 時計塔の執務室。

 

 真っ赤になった電話帳程もある論文を、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはどんと机に叩き付ける。

 

「そんな……先生……!!」

 

 呼び出された学生、ウェイバー・ベルベットは思わず抗議の声を上げた。本人としては構想に3年、執筆に1年。未だ3代しか続いていない血の浅い家系と二十歳にもならない若輩ながら魔術師人生の集大成として絶対の自信と共に提出した論文であった為、その辛辣な評価には異の一つも唱えたくなるというものであった。

 

「術式に対する理解と、手際の良い魔力の運用。確かに目の付け所としては悪くはないが……」

 

 実際、論文の趣旨自体はさほど的外れなものではない。術式に対する理解を深める事。魔力を無駄なく使う事。どちらも優秀な魔術師となる為には欠くべからざるものだ。

 

 ウェイバーはその理論を以て新興の家の出である自分が、代を重ねた家系の者にも負けない魔術師として大成する事が目的だったらしいが……

 

 だが、それでもやはりある程度の素地というものは必要となる。

 

 スポーツでも同じだ。如何に優秀なコーチが同じように教えたとしても、基礎体力など生まれ持ったものが原因で完成する選手にはどうしても差が生じる。

 

 いくら理論自体は正しくても、それがウェイバー自身に適用出来るかというのは全く別の話なのだ。彼の論文には、その点に関する考証がすっぽりと欠けて抜けていた。

 

 ぐっ、と握り締めて震わせている教え子の拳をケイネスは一瞥すると、一言。

 

「採点するならば、30点といった所か」

 

「なっ……!!」

 

 紛れもない赤点の烙印を押され、ウェイバーの顔が怒りと屈辱と羞恥で真っ赤に染まる。だが続くケイネスの言葉で、そこからは驚愕が取って代わった。

 

「ただし私の生徒がこれまで出してきた論文の中では、君の30点が最も高い点数だがね」

 

「えっ……」

 

「付いて来たまえ、ウェイバー君」

 

 そうしてケイネスに連れられて、図書室へとやって来たウェイバー。彼の両手は既にケイネスが選んだ本が積まれて一杯になっていて、やっと一番上の本の上に顔が出ているような状態である。

 

「ウェイバー君、君は私が今度、極東の地で行われる魔術師達の儀式に参加する事は知っているね?」

 

「あ、はい……うわっ」

 

 返事をすると同時にケイネスはもう一冊の本をウェイバーに渡し、とうとう彼の上半身が完全に見えなくなった。重みによって足がぷるぷると震えている。

 

 そんな不肖の弟子にケイネスはやれやれと一息吐いて、重量軽減の魔術を掛けてやる。

 

「では私が戻るまでにそれらの本の要点を整理し、レポートとしてまとめておくように」

 

「は、はい……」

 

 課題を出したケイネスは弟子の横を通り過ぎて行くが、その時、ウェイバーの肩にぽんと手が置かれた。

 

「正直な所、君は魔術師として才能豊かとは言えないが、要点の整理や内容の把握、着眼点は素晴らしい。期待しているよ、頑張りたまえ」

 

「えっ……!!」

 

 その言葉を受けて、ウェイバーは弾かれたように振り返り、去っていく師の背中を見詰める。

 

 思い返せば、自信作を真っ赤にして返された時には思わず屈辱を覚え、取り乱してケイネスに怒りを向けたものだが、しかしそれは彼が自分の作品を隅々まで読み込んだという証拠に他ならない。

 

 その上で耳に痛い言葉も受けはしたが、ケイネス先生は自分の事を評価してくれた。

 

 なら、こうしてはいられない。次こそは、先生の度肝を抜くような完成度の高いレポートを仕上げなくては。

 

「……よしっ!!」

 

 ウェイバーはぱんと顔を叩いて気合いを入れ直すと、眼前の山積する専門書に向き直った。

 

 と、このような一幕を経てケイネスは聖杯戦争に参加する為、冬木市にやって来たのだ。

 

 サーヴァントの召喚を行うに当たって、残念ながら本命と目していたマケドニアの大英雄の聖遺物は見付からなかったが、しかしながらその代わりとして英雄としての格では一歩劣ろうが、神代の時代を駆けた英霊の聖遺物が手に入った。

 

 かくしてケイネスはその聖遺物、ベガルタの欠片によってランサーを召喚し、現在に至るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 時は今に戻り、冬木ハイアットホテルの一階。受付に立ったフィオはフロントクラークに、尋ねる。

 

「ここの最上階に泊まっている人の名前が知りたいのだけど……」

 

「申し訳ありません。お客様の個人情報についてはお教えする事が……」

 

 まぁ当然と言えば当然の反応である。尋ねたフィオの方もこの反応は予想通りであった。だから困った顔のフロントクラークが言い終わる前に、もう一度言った。

 

「”ここの最上階に泊まっている人の名前が知りたいのだけど?”」

 

 ただし、今度は酷く奇妙な声で。暗示の魔術だ。

 

 無論、魔術に対する耐性などある訳もない一介のホテルマンでは超一流魔術師の暗示に抗う術など無い。手元の端末を操作すると、画面に表示された名前をほとんど棒の口調で読み上げる。

 

「イギリスからお越しの、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト様です」

 

「!!」

 

 その名前を聞いて、フィオの表情に軽い驚きが走った。

 

『どうしたのだ?』

 

 傍らに控える霊体化したままのライダーが尋ねてくるが、

 

「いえ……何でもないわ。それじゃあ、行くとしましょうか」

 

 そう言ってエレベーターに乗ろうとした所で、ホテル全体にけたたましく警報が鳴り響いた。同時に、3階で小規模ながら火事があったので、一応の安全の為、宿泊客は指定の場所に避難するようにとの内容で館内放送が行われる。

 

『奏者、これは……』

 

 こんなタイミングでの出火。偶然ではあるまい。

 

 自分達以外の陣営が攻め入ってきているのだろう。この放火騒ぎは、魔術を秘匿する為の人払いという訳だ。

 

 しかし、こうなるとこのままケイネスの工房に殴り込むのは考え物だ。自分達が真っ向から彼とそのサーヴァントと戦っている間に、どんな横槍が入るか分からない。あるいは、魔術工房の中で攻め込んできている者同士で戦うという羽目にさえ陥りかねない。

 

 こちらから攻め入る戦いである以上、敵のホームでの戦いという不利は元より承知の上。しかしその上で更に、第三者がいつ仕掛けてくるか分からないという二重の不利までは負いたくはない。

 

「ライダー、予定を変更。私達もホテルから出るわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 数分程時を前後してホテルの最上階、魔術工房の最奥に位置するスイートルームでは。

 

「今夜はご苦労だった、ランサー。誉れも高きディルムッド・オディナの双槍、見事であった」

 

「恐縮であります、我が主よ」

 

 白ワインを傾けたケイネスは、傍らで膝を付く従者に労いの言葉を掛ける。

 

「うむ……正直、サーヴァント同士の戦いがまさかあれほどのものとは思わなかった……実の所、私はこれまでお前達英霊という存在を侮っていた。それが誤りであったと、先の戦いで思い知らされた」

 

 ケイネスは内心では安堵していた。ソラウを本国に残してきた自分の判断は、どうやら間違ってはいなかったようだ。

 

 時計塔・降霊科(ユリフィス)随一の神童と謳われた彼の手腕を以てすればサーヴァントとマスターの契約システムに介入し、魔力供給を行う者と令呪を宿す者を分割する変則契約によって、自身が十全の魔術を行使出来る状態にする事も出来たのだが……止めておいた。それをすれば当然、魔力供給を担う役の彼女を第一線でないとは言え、この戦争の渦中に巻き込む事になる。

 

 研究畑の出身とは言え数多の礼装を持ち魔術師としての腕前も自他共に認める最高水準である自分とは違って彼女は戦う術を持たず、また純粋な魔術師としての力量・位階に於いても大きく劣る。そんなソラウが魔術師同士の戦いに参加するなど……ケイネスは断じて認める事が出来なかった。

 

 完璧とも言える自分の経歴に武功という”箔”を加える為に参加した聖杯戦争であったが、しかしその為に最愛の許嫁を危険に晒すなど本末転倒、論外である。ケイネスはそれほどにソラウを想っていたのだ。例えそうする事で勝率が下がるのだとしても、それは彼にとっては絶対に譲る事の出来ぬ一線だった。

 

「しかし……中でもあの黄金のアーチャーは、アサシンを一瞬で葬った時から感じていたが、まったく……底が知れん……ランサーよ、お前は奴と一対一で戦って勝てると思うか?」

 

「は……」

 

 これまでいかなる時でも鋼のように、打てば響く早さで主が望む答えを返してきた槍使いのサーヴァントは、この時ばかりは言葉を濁した。

 

 その感情の動きを、ケイネスは敏感に読み取っていた。

 

 ランサーも、残念ながら自分ではあの黄金の王には勝てないと客観的な戦力評価では認めているのだろう。しかし、彼はケイネスと主従の誓いを交わした生粋の騎士。主に対して嘘偽りを口にする事など考えもしないが、同時に「勝てない」などとは、口が裂けても言いたくはあるまい。

 

「……フィアナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナの実力は十分に認めた上で、尚かつあのサーヴァントは恐るべしと言わねばなるまい」

 

「……!! 異論はありません、我が主よ」

 

 ランサーのプライドにも配慮した形で選ばれたその言葉に、槍兵は感謝するように頭を下げて頷いた。

 

「我々だけではない。恐らくこの聖杯戦争に参加しているサーヴァントで……最優とされるセイバーが十全の状態であろうと、あのロード・レンティーナのライダーであろうと、単独であのアーチャーを撃破出来る者は一騎もいまい」

 

「では……いずれかの陣営との同盟を?」

 

「うむ……」

 

 ランサーの意見に、ケイネスは頷く。対アーチャーの同盟相手としてすぐに思い付くのはバーサーカーの陣営だ。

 

 触れた物を何であれ己が宝具と化す事が出来るあの狂戦士の能力は、宝具を射出する事を主戦術としているアーチャー相手には優位に立ち回る事が出来る。更に、ランサーの宝具はそのバーサーカー相手に優位に立てると来ている。おあつらえ向きにも程があるというものだ。

 

 狡兎死して走狗煮らると言うが、ランサーは簡単に煮られはすまい。どころか、共通の邪魔者であるアーチャーを倒した後に敵対する事となっても、バーサーカーを問題無く倒す事が出来るだろう。

 

 しかし、それはバーサーカーのマスターとて承知の筈。庭から虎を追い出す事は出来ても、代わりに狼が入ってきたのでは同じ事だ。そう上手く行くとは思えない。

 

 となると他の陣営だが、セイバー陣営は論外。同盟の話を持ち掛けたとしても、対価として左手の呪いの解除を要求されるのは目に見えている。ならば……と、ケイネスが意識を思考の海に沈めようとした時、警報が鳴り響いた。

 

「主よ、これは……」

 

 立ち上がって周囲を警戒するサーヴァントを控えさせると、ケイネスは鳴り出した電話を取った。フロントから「3階から小火程度ではあるが出火したので、万一を考えて指定の場所に避難して欲しい」と言ってくる。

 

「放火ですと? このような時に……」

 

「恐らく、人払いの計らいだろう。相手も魔術師だ。神秘の秘匿の為には、当然の処置だ」

 

 さて、どうするか……

 

 本来ならばかねてよりの打ち合わせ通り、ランサーに乗り込んできた敵を魔術工房へと追い込むように命ずる所だが……

 

 今回のケースでは攻めてきた相手の正体が大方予想出来る。セイバー陣営、アインツベルンだ。

 

 倉庫街での戦いに於いて、ランサーは奇策によって地力では一枚上手のセイバーに一矢報い、治癒不能の手傷を負わせる事に成功した。セイバーのマスターとしては半減した戦力を立て直す為、可能な限り早急に「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)の呪いを解消したい所だろう。

 

 だが、ここで気に掛かるのはこの戦争に参加する際に集めた各陣営の情報だ。その中に「9年前、アインツベルンに魔術師殺しと呼ばれた男が婿入りした」という一文があったのを、ケイネスは覚えていた。

 

 魔術師殺しの”衛宮”。一時は協会でもかなりの悪名を轟かせていた男だ。

 

 目的達成の為には手段を選ばず、狙撃、毒殺、爆破、その魔術師が乗り合わせた旅客機の撃墜、エトセトラエトセトラ……悪辣な手口は枚挙に暇が無い。

 

 いくら戦闘が専門外とは言え魔術師同士の決闘なら、自分は一人を除いて誰が相手だろうと負けるつもりはないが……相手は自分のような存在を殺す事に特化した暗殺者。こちらの想像の枠外、思いも寄らない搦め手から攻めてくるかも知れない。そんな相手と、しかも向こうの手の内が何一つ分からないのに戦うなど馬鹿げている。

 

「これほどの魔術工房を捨てるのは些か惜しいが……止むを得まい」

 

 工房一つと引き替えに敵の戦術傾向を看破出来るのならば、悪い取引ではない。

 

「撤退するぞ、ランサー。避難する宿泊客と共に、正面玄関から、堂々とな。私の周囲を警護せよ」

 

「承知いたしました、我が主よ」

 

 

 

 

 

 

 

 ぞろぞろと避難してくる客達の中にケイネスの姿を人混みの中から認めた時、切嗣は思わず舌を打ち鳴らした。

 

 魔術師としては遥かに格上であるケイネスの要塞じみた魔術工房を攻略する事は彼にはまず不可能。よってその工房が築かれていている地盤、ホテルそのものを爆破解体するという手段を選択した。

 

 放火騒ぎを起こしたのは無用な犠牲を避けると同時に、こうして敵陣営の襲撃を装えばケイネスは魔術工房を使っての籠城戦を選択すると読み、あわよくば彼自身も工房ごと亡き者にしてやろうという狙いがあったからだが、流石に物事は、何から何まで自分の望んだ通りには進まない。

 

 狙撃するという手も考えないではないが……これだけ人目のある所に立つ自分がそれを行うのは不可能であろうし、最上階の窓からケイネスが脱出する可能性を考慮して配置した舞弥のポジションからは正面玄関は死角となっている。更に奴は霊体化したランサーを傍らに従えているだろう。無理に狙撃した所で、銃弾を止められる可能性も高い。

 

 だがまぁ……良い。

 

 ケイネス自身を殺す事は出来なくても、奴の拠点の一つを破壊する事は出来る。次善の結果だが、今はそれで良しとすべきだろう。

 

 そう結論すると彼は手にしていたリモコン、ハイアットホテルに仕掛けられた爆薬の起爆スイッチを、押した。

 

 

 

 

 

 

 

「……これが、魔術師殺しの手口か……」

 

 自重によってその巨体を内側に飲み込むように、地面に吸い込まれるようにして倒壊していくホテルを見上げながら、ケイネスは怒りよりも驚きよりも、感心を強く押し出した表情で呟いた。

 

 もしあのまま避難せずに魔術工房の中に立て籠もっていたら、自分も最上階から地面へ瓦礫ごと自由落下していたという訳か。

 

 その発想には敵ながら、そして下郎ながら敬服する他は無い。ケイネスにはこんな手はこうしてホテルが崩れていく様を目の当たりにするまで、実行するしない以前に可能性として思い浮かべる事すら出来なかった。

 

 自分の礼装を使用すればそれでも生存する事は可能だったろうが……やはり早急に撤退して良かったと、ケイネスはもう一度、胸中で安堵の溜息を吐く。

 

「お互い、命拾いしたわね?」

 

 と、不意に背後から声が掛けられる。

 

 振り向くと、そこにはフィオが立っていた。主を守るべく咄嗟に実体化しようとするランサーを制し、ケイネスは一歩前に出て、恭しく一礼した。

 

「ご無沙汰しております……ロード・レンティーナ」

 

「私こそこの数年、手紙の一つも寄越さないでごめんなさいね、ケイネス……いえ、ロード・エルメロイ。でも今の私は封印指定……そこは、理解してくれると嬉しいわ」

 

「無論ですとも」

 

 互いにこの聖杯戦争で殺し合うマスター同士とは思えぬ程に気安く、挨拶を交わし合う魔術師二人。

 

 この二人の馴れ初めは、まだケイネスの背丈がフィオの腰ぐらいだった頃に遡る。

 

 アーチボルト家とグランベル家。共に時計塔では知らぬ者の居ない名門中の名門であり、幼かったケイネスが親と共に賓客として招かれた屋敷で出会ったのが、フィオだった。

 

 当時既に神童として誉れも高かったケイネスに対して、フィオもその頃には錬金術を筆頭とした様々な魔術のエキスパートして名を馳せており、家を訪れた弟ぐらいの年頃の才気溢れる少年に対して、手ほどきの一つでもしてやろうというのはごく自然な成り行きであった。

 

 そして、その出会いは互いに喜ばしいものとなる。

 

 それまで天に愛された才能によって努力知らずで全てを掴んできたケイネスにとって、フィオの卓越した技量は初めてぶつかる壁であり、乗り越える為に努力する必要と、その果てに成果を得た時の喜びを知った。

 

 一方でフィオも自分には劣るとは言えそれでもケイネス程の才には滅多に出会えるものではなく、彼女はそれを伸ばす喜びに我と時間を忘れる事が多々あった。

 

 結果としてケイネスは史上最年少にて時計塔の花形講師の座を勝ち取り、更に降霊科学部長の座を歴任してきた名門、ソフィアリ家の長女とも婚約が決まる。紛れもなく政略結婚ではあったがケイネスはそんな事は関係無く、婚約の締結に狂喜した。彼はその話が持ち上がる以前より、ソラウの事を強く想っていたのだ。つまりは一目惚れである。

 

 フィオもそんな二人を祝福していたが……それからしばらく経って、彼女は封印指定に認定され、時計塔を去る事になった。

 

「それが、まさかこんな極東の地で再会出来るとは……」

 

「私も、ホテルの人からあなたの名前を聞かされた時は驚いたわ」

 

『ふうん、やはり奏者の17才という年齢は嘘だったのか』

 

『黙りなさい、ライダー』

 

『ははっ、そなたと同じ戯れよ。許せ』

 

 霊体化したまま軽口を叩く自分のサーヴァントとのやり取りを経て、フィオは先程まではホテルのあった空間へと目をやった。それに釣られて、ケイネスも同じように目を向ける。彼の目は、今は感心が引っ込んで代わりに顔を出してきた二つの怒りに燃えていた。

 

 一つには彼自身情報の代わりに捨てるつもりであったとは言え、手間暇掛けて拵えた魔術工房を木っ端微塵にされた事への怒り。もう一つは、

 

「仮にも魔術の薫陶を得ておきながら、こんな下衆な手口を使うとは……同じ魔術師として、許してはおけませんな」

 

『……なぁ、奏者よ……』

 

『アー、アー、キコエナーイ』

 

 怒りを声に滲ませるケイネスのすぐ側に立つフィオ自身、拳銃や対物ライフルなど魔術師の嫌悪するカラクリ仕掛けを使う輩に他ならないのだが……

 

 心に棚を作る事に長けたフィオはそれを突っ込んでくるサーヴァントのコメントには好い加減な念話で返すと、肉声で以てケイネスへと言った。

 

「ロード・エルメロイ、少し付き合っていただけるかしら?」

 

「……ふむ? つまり、今宵の内に第三戦の幕を開けるという事ですかな?」

 

 私のランサーと、貴女のライダーで。

 

 ケイネスの言葉を受けて、二人の傍らに控える二騎のサーヴァントが警戒心を一気に引き上げ、いつでも瞬時に実体化出来るように戦闘準備を整える。

 

 だが両陣営の間に立ち込めるその威圧感は、続くフィオの言葉で幾分和らぐ事になる。

 

「いえ、今日はお誘いに来たのよ。貴族の嗜みに、ね」

 

「……と、仰いますと……?」

 

 古来より、貴族の嗜みと言えば決まっている。

 

「狐狩りよ。私達二人と、貴方のランサーと、私のライダーで」

 



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第08話 もう一騎のサーヴァント

 

 冬木教会。

 

 聖堂教会から派遣された監督役の拠点であり、サーヴァントの消滅や令呪の放棄によって聖杯戦争から脱落したマスター達を保護する為の避難所。

 

 その礼拝堂は、今は異様な緊張感に包まれていた。

 

 他より一段高い場所に立つ前回より引き続いての聖杯戦争の監督役、言峰璃正神父は全陣営が揃った事を確かめて、そして話を始める。

 

「今、聖杯戦争は重大な危機に見舞われている。キャスターのマスターが、昨今世間を騒がせている連続誘拐事件の犯人である事が判明したのだ」

 

 しかもそいつは、マスターとなった現在ではサーヴァントの力を用いて日夜犯行を繰り返している。その行動はエスカレートする一方。

 

 よって璃正神父は監督役の権限を発動。暫定的なルール変更を行い、全ての陣営はただちに互いの戦闘行動を中止し、キャスター討伐を行うようにと言い渡してきた。

 

 勿論、最弱と呼ばれるキャスターとて相手はサーヴァント。如何に監督役の指示とは言え無条件で「はいそうですか」と従う者は居ないだろう。あるいは他の陣営が弱らせた所で漁夫の利に与ろうと、足の引っ張り合いを演じるかも知れない。

 

 そうした事態を回避する為に、神父はロバ達の前にニンジンをぶらさげる。

 

 カソックの袖をまくる。すると老境に差し掛かりながら未だたくましい腕が姿を見せ、しかし目を引くのはそれではなく、腕全体にびっしりと刻まれた聖痕、令呪だ。その数は、参加者にそれぞれ配布される三画どころではない。軽く十画、それ以上はある。

 

 過去の聖杯戦争に於いて、マスター達が使い残した物だ。

 

「キャスター及びそのマスターを討ち取った者には、特例措置の報奨として追加令呪一画を寄贈する。複数のサーヴァントが協力して事を成し遂げた場合には、参加した各陣営のマスターにそれぞれ一画ずつの寄贈を約束しよう」

 

 令呪とは自己のサーヴァントにどれほど望まぬ行動であろうとその意を無視して強要する事の出来る絶対命令権であり、同時にサーヴァントが持つ能力の範疇を超えた行動を取らせる事の出来る切り札でもある。

 

 どちらの使い道にしても全てのマスターにとって、追加令呪を手に入れられるか否かで自分の生存・勝利の確率が大きく変動すると言っても過言ではない。

 

 これで全てのマスター達はキャスター討伐に力を注ぐ事になるだろう。

 

 これは神秘の漏洩に一切の配慮を行っていないキャスターに対して、この冬木の地のセカンドオーナーである遠坂と結託している璃正が打ち出した策である。

 

 本来なら連続殺人犯への対処は警察の仕事だが、恐らくは人数合わせでキャスターのマスターに選ばれた殺人鬼はサーヴァントの力によって兇行を繰り返している。これではもう彼等の手には負えない。サーヴァント相手には、サーヴァントを以て対するしかない。その為の、この特例措置だった。

 

 また遠坂以外でも、魔術師として神秘の秘匿という観点から考えればキャスター陣営の暴挙は見過ごせるものではなく、そうした事情に令呪の寄贈も手伝って、マスター達はキャスター狩りに本腰を入れて掛かるだろうと、時臣や璃正は見ていた。後は集中砲火を受けて弱り切ったキャスターをいかにしてアーチャーが仕留めるかだが……

 

「では、質問のある者は今この場で申し出るように。尤も……」

 

 人語を話せる者に限らせてもらうがねと、老神父は苦笑いと共にこぼす。

 

 この場に自らの足で出向いているマスターは一人も居らず、5人全員が代理で”出席”させた使い魔を目と耳にして、監督役からの指示を聞いていた。

 

 これまでは。

 

「では、私から一つ質問があるわ」

 

 勢い良く礼拝堂のドアが開かれる音に反応して、璃正神父と3体の使い魔の視線が一斉にそちらに注がれる。

 

 入ってきたのはフィオとケイネス。ライダーとランサーのマスターであった。

 

 二人は肩を並べて璃正の5メートルほど手前まで歩み寄ると、そこから更にフィオが一歩踏み出して質問内容を口にした。

 

「言峰神父。仮にキャスター陣営を討伐する過程で、私が現在のマスターを殺害してキャスターの新しいマスターとなった場合にも、追加令呪は寄贈してもらえるのかしら?」

 

「むう……」

 

 老神父は言葉を濁し、即答を控えた。

 

 この質問は予想外だった。しかし考えてみれば、魔術師の世界では生ける伝説であるロード・レンティーナ程の実力者であればどちらか一方の魔力供給を絞っての捨て駒のような扱いは言うに及ばず、二騎のサーヴァントに最大限の能力を発揮させつつの同時使役とて、決して不可能ではないだろう。

 

 だが、無条件にそれを認めたのでは……

 

 様々な要素を検証して十数秒程黙考した後、璃正は妥協案を提示する事にした。

 

「よろしいでしょう。ただしその場合には私の前で令呪一画を使用して、キャスターが今後このような真似をしないよう、命じてもらう事を条件とします」

 

 非道を行っているキャスター陣営を止めるという建前の上からも、これは当然と言えば当然の条件だった。

 

 一方で遠坂陣営に肩入れしている璃正の本音では、ただでさえフィオというナンバーワンの魔術師の存在は時臣の優勝への最大の障害だと言うのに、それが二騎のサーヴァントを得るとなれば、諜報面を水面下で協力関係にある綺礼のアサシン群が担当し、戦闘面を最強のサーヴァントであるギルガメッシュが担うという必勝の布陣をも崩されかねない。それを簡単に行わせる訳には行かなかった。

 

 そこでこの条件である。

 

 サーヴァントを他のマスターから奪い取る事は禁止されていないが、その場合、特に対象となるのが元のマスターへの忠誠心が篤いサーヴァントの場合は新しいマスターに従う義理など無く、それでも従わせたいのであれば令呪によって「主替えに同意せよ」等の命令を下す必要がある。しかもそれではそのサーヴァントはあくまで強制的に命令に従わされているだけであり、積極的な働きはまず期待出来ない。使い道があるとすれば精々が他陣営の戦力を測る為の当て馬か捨て石だろうが、それとて改めて令呪が必要になるかも知れない。

 

 現在、快楽殺人者に従っているキャスターを完全に御す為にはいかなフィオとて令呪の一画は必要だろう。そして教会にて追加令呪を手に入れようと欲するのならば更に一画。報奨の一画を計算に入れても彼女は一画分を損する計算になり、今後の展開によってはそれ以上の無為な損失も十分に有り得る。

 

 聡明な彼女が、こんな事にも気付かない筈はない。

 

 これなら、彼女は新しいサーヴァントを得るメリットと切り札を失うデメリットを同時に背負う事となり、簡単にはキャスターを自分の手駒には出来ないだろうと璃正は読んだのだ。が、

 

 フィオとケイネスは互いに笑って頷き合い、そして女性魔術師の声が、高らかに礼拝堂に響き渡る。

 

「了解しました。では、出てきなさいキャスター」

 

 

 

 

 

 

 

 遡る事9時間。

 

 シャーレイの調査によっていずれかの陣営の拠点に繋がっていると見られた巨大排水溝を、ライダーの宝具・「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)は水の流れに逆らって走っていた。バーサーカーかキャスターか、いずれにせよ半々の確率で現在冬木市で発生している連続殺人・誘拐事件の犯人と考えられる陣営の拠点へと殴り込む為である。

 

 仮にハズレであろうとそもそも敵の拠点を潰す事は戦略上、大きな意味がある。そうした判断もあって、フィオはこの作戦にゴーサインを出したのだ。

 

 だが今、戦車には御者であるライダーとそのマスターであるフィオの他にもう二人、他の顔が見えた。ケイネスと、ランサーだ。

 

 ”狐狩り”とフィオが称したケイネスへの誘い。その言葉の意味する所はつまり、共同しての敵陣営への強襲であった。

 

 ケイネスとしては対アーチャー同盟の有力候補であるフィオには良い印象を与えておきたかったし、彼にとっても他のマスターの拠点を落とす事には大きな意味がある。ついさっき拠点の一つを失った身としては尚更だ。あるいはこれから攻め落とす所を新たな拠点として使う事も出来るかも知れない。

 

 何より、彼もこの町で起こっている連続殺人事件についてはニュースで見知っている。それだけでは警察の仕事だと割り切っていたが、下手人が魔術師、しかもサーヴァントを従えたマスターの仕業であると知ったからにはもう黙ってはいられなくなった。

 

『魔術をそのような事に使うとは……魔術師殺し以上に許せん……!!』

 

 誇りある魔術師としてカラクリ仕掛けに頼る魔術師殺しにも怒りを覚える所はあるが、それでも奴は殺し殺されるのが日常の魔術師を狙う暗殺者であり、巻き添えを出す事があろうともそれはあくまでも結果だ。

 

 対してキャスターとそのマスターは、抗う術を持たぬ無辜の民を狙って魔術による兇行を繰り返している。アーチボルトの名家に生まれ、幼い頃から『高貴なる者の義務』(ノーブレス・オブリージュ)を叩き込まれているケイネスには、断じて許せなかった。そのような賊に情けは無用。魔術師同士の決闘と思って参加したこの聖杯戦争だが、今回ばかりは違う。これは決闘ではなく誅伐だ。

 

 生粋の騎士であるランサーが主のこの行動に賛成であるか否かなど、言わずもがなであった。

 

 弱きを助け強きを挫く、それこそが騎士道。

 

 その生き様を死して尚貫く彼にとって、幼子を拐かし殺めるような外道を野放しにしておける道理など無い。

 

「……気に入らないわね……」

 

 一方、フィオは難しい顔だった。

 

 元より何か気に入らなかったこの工房の在り方だが、この城攻めを行うに当たってその思考がどんどんと強くなっていた。

 

「のう、奏者よ……どうにも妙ではないか? 拠点と言うから余は、てっきり釣り天井とか壁から槍とか、あるいは使い魔の類でも出てくるものだとばかり思っていたのだが……」

 

 残念そうな口調でライダーが言う。

 

 そんでもってその罠だの番犬代わりの使い魔だの悪霊だのを、余の戦車で以て鎧袖一触と吹き飛ばしてやる予定だったのに。そうすれば奏者の余に対する好感度は、鰻登りというヤツよ。

 

 だが現実はそんな彼女の期待を裏切り、ここまで全くの無抵抗。トラップも使い魔も何も無い。拍子抜けを通り越して不気味な程に、何も無い。

 

「キャスターだかバーサーカーだか知らぬが、期待外れも甚だしいわ!!」

 

「解せませんな……キャスタークラスの拠点かも知れないという事で、場合によってはランサーを前面に立たせる事も考えていたのですが……」

 

 流れていく風景を見渡しながら、ケイネスは顎に手をやって考えていた。

 

 フィオから今回攻める工房の主は、キャスターかバーサーカーで半々の確率であると聞いていた。最弱と呼ばれるキャスタークラスだが、陣地防衛・籠城戦に於いては7騎中最強を誇る。

 

 ケイネスの工房とて20層を越える結界、3基の魔力炉、番犬代わりの悪霊・魑魅魍魎が数十体、異界化させた廊下など対魔力次第ではサーヴァントであろうと痛手を負わせる事が可能な代物だが、現在よりも遥かに魔術が強力であった時代に魔術師として名を馳せた英霊となれば、それ以上の恐るべき魔術要塞を築き上げているだろう。

 

 ならば頼りにすべきはセイバーに次ぐ対魔力と破魔の槍を持つランサー、だったのだが……槍使いには未だ出番が回ってこない。

 

「この静けさ……既にこの先の拠点は放棄されたのか、あるいは何かの罠かも知れん。ランサー、警戒を怠るな」

 

「はっ!!」

 

 言われるまでもなく一瞬も気を緩めずに周囲を見渡していたランサーだったが、主のその言葉を受けて気を引き締め直し、警戒心をより一層強くする。

 

 ややあって、長い通路を抜けて戦車は広い空間に出た。

 

 こうしてサーヴァントが堂々と、しかも2騎も乗り込んできていると言うのに、迎撃にサーヴァントが出てくる様子も仕掛けられたトラップが作動する気配すらも無い。

 

 代わりに、彼等の前には”芸術”が広がっていた。

 

「お、おい……奏者よ……これは……!!」

 

「なんと……」

 

「……悪趣味な」

 

「惨い事を……」

 

 来客達は、一様に顔を歪める。そこは、さながら雑貨店の様相を呈していた。家具があり、テーブルがあり、棚がある。その全てが、人体によって作られていた。魔術師の感性をして圧倒される異様。

 

 と、暗がりの中からそれらを作った芸術家が顔を出した。

 

「あれぇ、お客さん? あんた達もキャスターみたいな悪魔を連れてるのかい?」

 

 その青年は顔には友好的な笑みを貼り付けているが、彼の両手は赤く濡れていて、しかも血の滴る糸鋸を手にしている。

 

 これで九分九厘、彼が一連の事件の下手人であると確定した訳だが……一応、確認しておく事にした。

 

「この素晴らしい作品の数々は、あなたが作ったの?」

 

 フィオは可能な限り声に毒を含ませて、皮肉をたっぷりと乗せて言ってやったが、この青年には通じていないようだ。

 

「そ♪ この”れーじゅ”ってヤツでキャスターに魂食いさせれば、眠るみたいに綺麗にこ」

 

 得意げな口調と共に、一画だけになった令呪を宿したその手を見せびらかすように上げる青年だったが、

 

「ランサー」

 

「はっ!!」

 

 その先を言う必要は無いと、ケイネスの指示を受けて槍兵が飛び出し、

 

「外道めが……!! 抉れ!! 「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)!!」

 

「へっ?」

 

 黄の短槍で青年の心臓を正確に一突き。青年、キャスターのマスター・雨生龍之介は苦しむ間も無くその意識を永遠の闇に閉じた。

 

 ランサーが「必滅の黄薔薇」を使ったのは、眼前の相手が万に一つも生かしておいてはならない真の邪悪と見たからであろう。ここで生き延びられたら、何かの間違いで逃げられたら、また大勢の命が失われる所だった。

 

 しかし、分からないのが一つ。こうして主が殺されたと言うのに、彼の言っていたキャスターのサーヴァントは未だ姿を見せない。たった今だって、マスターを助けようとする素振りさえ見えなかった。何かの事情で拠点から離れていたのか? だからこの急襲には間に合わずに?

 

 そうフィオが考えていると不意に霊体化を解いて、大きくはだけた青い和服を纏い、頭の狐耳と大きな尻尾が特徴的な半獣の少女の姿をしたキャスターが姿を見せた。

 

「……お待ちしてました……」

 

 彼女は力無くそう言うと、「こちらへ」と奥の方へと歩いていく。4人は顔を見合わせた後に、その後ろに付いていった。罠の可能性も考えないではなかったが、工房にトラップ一つ、使い魔一匹も配置せず、マスターの危機に助けようとすらしなかったのである。今更、自分達を害する意志があるとは考えづらい。

 

 念の為、ランサーが妙な真似をしたら瞬間に串刺しに出来るようキャスターのすぐ後ろを歩き、最後尾にはライダーが戦車をゆっくり動かしながら付いていく。

 

 そうして通された場所には、赤毛の少年と黒髪をツインテールに結んだ少女、眼鏡を掛けた銀髪の少女、それにボブカットにした金髪の少女の4人が寝かされていた。フィオが近付いて確認したが、4人とも眠っているだけで命には別状は無いようだ。

 

「キャスター、この子達は……」

 

「記憶消去は完了しています……どうかこの子達を、家に帰してあげて下さい……」

 

 見れば、キャスターの体は手足の末端部分から徐々に消え始めている。

 

 マスターを殺されて契約が解除され、魔力供給も依り代も失ったキャスターからは、現世との繋がりが急激に失せている。今こうして話していられる一秒一秒が、彼女の命を削って成り立っていた。

 

「この子達を守るだけで精一杯でした……もし、消えるまで待てない、私が許せないと言うのなら……ライダーのサーヴァント……その剣で、私を斬って良いですよ。どうせ、ほんの数分の違いだけです」

 

 何の光も映していないキャスターの瞳が、ライダーが握っている『原初の火』へと動く。彼女の声は何もかも諦めて捨て鉢になっているかのように暗く、消え入りそうなほどに小さかった。

 

「……奏者よ」

 

「うん」

 

 騎乗兵は戦車から降りると、逃げもしないキャスターに近付いていき、曲がりくねった歪な刀身を魔術師の首筋に当て、

 

「覚悟は良いか?」

 

「……」

 

 キャスターは何も言わず、静かに目を閉じる。ライダーはそれを見て剣を振り上げ、

 

「そこな暗殺者よ!!」

 

 思い切り振り返ると、背後の闇へ向けて剣を投げ付ける。

 

「ぎゃあっ!!」

 

 悲鳴が上がり、闇に溶け込むような黒い衣装を纏った男が剣をピンとして、標本にされた蝶のように壁に縫いつけられる。

 

 同時にフィオも動き、明後日の方向を指差してガンドを放った。一発一発が対物ライフル以上の破壊力を持った”魔弾”が飛び、

 

「うわっ!!」

 

「ぐあっ!!」

 

「ぎゃあっ!!」

 

 次々悲鳴が上がって、ライダーに倒されたのとは別のアサシン3体が床に転がり、消えていく。

 

「これは……!!」

 

「アサシンだと……!?」

 

 ケイネスとランサーが驚愕の声を上げる。この二人はまだアサシンが脱落していない事を知らなかった。

 

 フィオとライダーが気配遮断スキルを持つアサシンに気付けた理由は二つある。倉庫街でアサシンが脱落していない事を知ったのが一つ。もう一つは、フィオが使う共感覚の魔術だった。ライダーは皇帝特権によってそれをスキルとして取得している。

 

 ほぼ完全に気配を断ち、自ら攻撃を仕掛けない限りはサーヴァントだろうがまず発見される恐れの無いアサシンクラスの気配遮断だが、逆に言うとこれはあくまで気配を断つ”だけ”であり、極端な話、目の前に立っていれば一般人でもその存在には気付く。

 

 無論、暗殺者が、それも英霊にまで上り詰めた山の翁がそんな自殺行為に及ぶ訳もないが、だが共感覚の魔術は五感を統合し、匂いを”聴き”、肌を伝う僅かな空気の揺れを”味わって”、自分に向けられる殺意を”見て”、360度全方位の死角を完全に消滅させる。

 

 脳への負担から長時間は使えないが、この魔術はアサシンにとってはまさに天敵と言える能力だ。障害物越しであろうとどれほど気配を消しても、その思考が”色”となってフィオとライダーには”見える”のだから。

 

 下水道という暗殺者好みの環境に踏み入る際に、二人は事前にこの能力を発動させていたのだ。

 

「う、うわああっ!!」

 

 しかしそんなカラクリなど、狙われた方には分からない。気配を消していたにも関わらず仲間が殺された事に動揺して、残っていたアサシンが悲鳴を上げながら逃げていく。だが、無駄な事だ。

 

「逃がさん!!」

 

 ランサーが投げ付けた紅槍に貫かれて壁に縫い付けられ、仲間の二の舞を演じる事となった。

 

 生前のディルムッド・オディナは皮肉しか言わない仲間がそれでも褒めるしかなかったという逸話を持つ、百発百中を誇る投擲の名手。如何に素早くとも、恐怖で隠れる事すら忘れたアサシンを射貫くなど造作も無かった。

 

 これで、自分達を監視していたアサシン達は全て消滅したらしい。視界から敵意の青が消える。フィオとライダーはそれを確認すると、共感覚を解いた。

 

「アサシンは脱落していなかったのか……」

 

 油断していたと神経質に周囲を見回すケイネス。

 

 フィオの様子を見るに自分達を取り巻いていた連中は全滅したようだが、死んだアサシンはこれで5、いや6人。この分では何人のアサシンが出てくるやら分かったものではない。

 

「ランサー、子供達を戦車の御者台に……ロード・レンティーナ、ここからは早く離脱しましょう。いつ、次のアサシンが現れるか……」

 

「そうね、急ぐとしましょう」

 

 フィオは赤毛の少年を抱えて、ランサーは銀髪の少女と金髪の少女を、ケイネスは黒髪の少女を抱き上げるとそれぞれ戦車の御者台に上り、後はライダーが神馬達に鞭を打って戦車を発進させるだけだ。

 

「来てくれて、ありがとうございます……お陰でこれ以上、命を奪わずに済みました……」

 

 もう立っている力すら無くしたのだろう。ぺたんと座り込んだキャスターが、4人に礼を言った。

 

「………」

 

 すると、フィオが御者台から降りてくる。

 

 キャスターはどうしたのかと不思議そうに目を丸くするが……そんな彼女の眼前に、さっと手が差し伸べられる。

 

「何言ってるの? あなたも一緒に来るのよ、キャスター」

 

「……え?」

 

「ほら」

 

 「さっさと握れ」と、差し出した手をブラブラ動かすフィオだったが、キャスターはその手を握り返す事をしなかった。

 

「駄目、ですよ……」

 

 目の前のこの人は、見れば見る程に綺麗な魂をしている。自分も召喚されるならこんな人が良かった。だが叶わない。もう。こんな……大勢の人達を惨たらしく殺す事の片棒を担いだ自分が、今更どうしてこの人と一緒に行けると言うのだ。

 

 ふるふると頭を振るキャスターに対して、フィオは優しく笑う。

 

 シャーレイがこの魔術工房の手掛かりを掴んでからずっと感じていた違和感。それがこうして直にキャスターに会って、一気に消し飛んだ。

 

 垂れ流しの術式残留物。

 

 神秘の秘匿が全く行われていない夜毎の犯行。

 

 トラップの一つも設置されていない工房。

 

 あの殺人鬼マスターの消費していた二画の令呪。

 

 そしてそのマスターの危機にも霊体化したままで助けようとする気配すら無かったサーヴァント。

 

 これらが意味する所は、一つだけ。

 

 キャスターはこの無防備な工房が見付けられるように、また敢えて神秘の漏洩を行う事によって、他の参加者が自分達の討伐に乗り出すように謀っていたのだ。自らの力でマスターを殺す事や他者に知らせる事は二つの令呪に縛られ、出来なかったのだろう。だから、他の陣営にそれを求めた。

 

 フィオが感じていた違和感の正体は、こういう事だったのだ。

 

「もう一度言うわ。キャスター……私と一緒に来なさい。ライダーと同じで、あなたとは良い友達になれそうだわ」

 

 伸ばされた手は、まだキャスターを待っている。だが半獣の魔術師は、もう一度ぶんぶんと頭を振って返した。

 

「だって、私は沢山殺して……4人しか助けられなくて……そんな私があなたと一緒に行く資格なんて……!!」

 

「4人、しか? それは逆よ? キャスター」

 

 それは世界中のあらゆる場所であらゆるトラブルに巻き込まれ、しかし超越した能力によってその全てを越えてきた女の言葉だった。

 

 アリマゴ島では、異常に気付いて走り出した時には既に島は食屍鬼で溢れており、助けられる見込みがあったのは薬物によって中途半端な死徒と化していたシャーレイ一人だった。

 

 ニューヨーク行きの飛行機の中でも、助けられたのは操縦席に居た魔術師の女性、唯一人だった。

 

 フィオはそれを悔やんだ事は無い。たった一人でも、それでも助けられた事を誇りにさえ思っている。

 

 ライダーも同じような事を言っていた。

 

 だからキャスターも、同じように思うべきなのだ。

 

 様々な状況証拠から、この惨状がキャスターの望んだものでない事は分かっている。彼女は二つの令呪に縛られる中で、それでもあのマスターから4人の子供を守り抜いたのだ。

 

 4人も、助けられた。

 

「誇りに思って良いわよ? キャスター」

 

「……私を連れて行けば、あなたを出し抜いて聖杯を手にしようとするかも知れませんよ?」

 

 もう十分に発声する力すら失せてきているのだろう。掠れた声で脅すように言うキャスターだが、フィオは「嘘が下手ね」と、一笑に付してしまう。

 

「そんなサーヴァントなら、他の陣営にこの場所をリークしたりはしないわよ」

 

 自分達が今ここに居る事が、目の前にいるキャスターが信頼に足るサーヴァントであるという何よりの証だ。

 

 だからこそフィオは、その手を彼女に差し出している。

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら」

 

 そして遂に、キャスターは差し出された手を握り返した。彼女の目に、涙が浮かんでいる。哀しみではなく、喜びによって溢れたものが。

 

「誓います……!! キャスターのサーヴァント、タマモの名に懸けて、あなたを新たなる主と認めます。常世の果てから黄泉の国まで、末永くお仕えさせて頂きます……!!」

 

 ここに、新たなる契約は為された。

 

 新たなる主従の誕生を見守るランサーは彼の主に「よろしいのですか?」と目線を送るが、ケイネスは頷いただけで何も言わなかった。

 

 確かにフィオが二騎目のサーヴァントを得るというのは強敵が更に強敵となる事を意味しているが、逆にあの黄金のアーチャーを撃破する可能性が増えたという事でもある。それにこれで、自分としても貴族の義務を果たす事が出来たし、フィオに「貸し」を一つ作れた。同盟の話は切り出し方や条件を考え直さねばなるまいが……”狐狩り”(追っていたのが本当に狐だとは思わなかったが)に参加した意味は確かにあった。

 

 ライダーは、主と新入りのサーヴァントを困ったような笑みで見詰めている。

 

『この身が奏者の唯一でなくなったのは癪だが……』

 

 だが、許そう。余は優しい者は好きだ。このような奏者であるからこそ、余はこの聖杯戦争、必ずや勝利に導くと誓ったのだから。

 

 故にこの程度は大目に見てやろう。奏者も、キャスターも。

 

『しかし、奏者の一番は譲ってやらんぞ、キャスターよ。奏者から最も強い愛を受けるのも、寵愛を享受させるのも、それは皇帝たる余の特権ぞ』

 

 フィオは、キャスターの真名を聞いて胸の中に小骨のように引っ掛かっていた最後の疑問が解消されるのを感じていた。

 

 何故あんなマスターにこんなサーヴァントが喚ばれたのかと思っていたが、これではっきりした。

 

 聖杯戦争のシステムでは触媒を用いない、あるいは用いたとしても円卓の欠片やアルゴー船の残骸といった複数の英霊と関係する、逆に言うなら単一の英霊との繋がりの弱い触媒だった場合、その括りの中でマスターと性質の似たサーヴァントが召喚される。フィオは床に転がっている名も知らぬ元マスターが喚んだのだから、キャスターはそれこそ精神に異常をきたした猟奇殺人者のようなサーヴァントだと、直に見るまで思い込んでいた。

 

 だが実際に喚ばれていたのはこんな、抱いていたイメージとは対極のような少女。

 

 それは偏に、触媒が「超」が付く程に強力であった事に起因する。

 

 タマモ。日本三大化生と言われる白面金毛九尾の狐。その最後は三浦介の矢を受けて絶命したと伝えられている。あの惨劇の家にあった矢はそれだろう。そして召喚の際に用いられた聖遺物は、矢そのものではなく矢に付着していた”血”だったのだ。

 

 本人、と言って良いのかは分からないが、とにかく肉体の一部だったもの。単一の英霊を狙って召喚する為の触媒として、これ以上の物があるだろうか。そんなのを触媒として使ったのだ。マスターとの相性など完全に度外視して、魔術基盤がアインツベルン由来である為、西洋圏由来の英霊しか喚べないというルールすら超越して、半ば「反則」に近い形で彼女が喚ばれたのだろう。

 

 ……で、なければこの冬木の聖杯が、どこかに欠陥を抱えているのか……

 

「では行くか!! 弔いの火を燃やそう!! 派手に頼むぞ、ソル神の眷属達よ!!」

 

 フィオに手を引かれたキャスターが乗り込んだのを確かめると、ライダーが叫び。4頭の神馬が一斉に嘶いて、纏う炎を最大火力にまで高めていく。

 

 燃え広がった劫火は、キャスターの元マスターの体も、この空間に広がっていた”芸術”も。全てを包み、灰も残さず無に還していく。

 

「かつてローマの大火を消し止める為に陣頭に立った余が、今度は火付けをする側になるとはな」

 

 皮肉な巡り合わせに苦笑するライダーが手綱を操り、戦車は動き出して下水道を出口へ向けて進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして夜が明け、朝になり、聖堂教会からの招集が掛かる。

 

 フィオ達にとって幸運であったのは、監視していたアサシンを全滅させた事で工房中での出来事が外には漏れず、時臣も綺礼も璃正も、この時まで全員がキャスターの現状について把握していなかった事。

 

 よって討伐令が出され、フィオとケイネスはそれと同時に報奨を得るべく、教会に足を運んだのだ。

 

「了解しました。では、出てきなさいキャスター」

 

「はい、お側におります」

 

 姿を現すキャスター。

 

 璃正神父と、それに使い魔越しに感じる気配でケイネスを除く3人のマスター達の驚愕を感じ取ると、フィオは令呪の刻まれた胸に手を当てる。

 

 すると彼女の背中に光り輝く左右三対六枚の翼と、その竜骨のような剣の紋様が出現した。それは、胸に刻まれた令呪と同じ形状をしている。

 

「令呪を以て我が朋友に願う。キャスター、『今後、たとえ私の命令であろうと自衛以外の目的で一般人に対して殺傷・拘引などを行う事を絶対の禁則とする』」

 

「承りました、ご主人様」

 

 キャスターが一礼し、命令が完了すると同時に、右側の羽が散る。これはフィオの令呪一画が消費された事を意味していた。これでは報奨を受け取っても彼女の令呪総数はプラスマイナスゼロだが、これはキャスターが他の陣営から狙い撃ちにされる事を防ぐ為の処置であった。

 

 これで、監督役が提示してきた条件もクリアできた訳だ。

 

「では言峰神父。私とロード・エルメロイに、追加令呪を頂きましょうか?」

 



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第09話 束の間の静寂

 

「むう……」

 

 机の上に置かれた年代物のワインが注がれたグラスを睨みつつ、腕組みした遠坂時臣は唸り声を上げた。

 

 完全なるイレギュラーであったロード・レンティーナの参戦を皮切りとして、事態は当初の予想を大きく外れて進んでいる。

 

 空中を高速かつ自在に移動し、綺礼のアサシン諜報部隊ですら追従出来ないライダーの宝具。

 

 これが原因で彼女の拠点すら、未だ掴めてはいない。

 

 ……のだが、これは実際は、時臣も綺礼も目の付け所が全くズレている事に起因している。

 

 フィオ・レンティーナ・グランベルと言えば魔術師の世界では知らぬ者の居ないビッグネームだ。

 

 曰く、最高の人材。

 

 曰く、戦闘のエキスパート。

 

 曰く、永遠の17才。

 

 曰く、プロ中のプロ。

 

 彼女の評判と言えばそんなものばかりであり、時臣も嘘か真か「彼女の固有結界によって二十七祖に次ぐほどの死徒とその配下たる死徒・死者合わせて千にも及ぶ軍勢が、一夜にして殲滅された」などという噂さえ聞いた事がある。

 

 数年前に封印指定を受けたと聞き、それ以降は全く消息が知れなかった事から時臣も綺礼も、フィオは「隠者」に分類される封印指定の魔術師となったのであろうと考えていた。恐らくは絶海の孤島か人里離れた山奥にでも住処を構えたのだろう。

 

 そして今回、何の因果か聖杯戦争の参加者の証である令呪を宿し、万能の願望機によって自分の代では諦めて、子孫に託すつもりでいた根源への到達を一気に成し遂げようとしている。

 

 ……と、いうのが時臣と綺礼が考えるフィオが参戦した経緯についての共通見解であったのだが……

 

 実際にはその予想はカスリもしていない。

 

 が、しかし。それで二人が無能だと評するのは酷と言うものである。

 

 良くも悪くも遠坂時臣という男は現代に於いて最も魔術師らしい魔術師であり、綺礼もまた苛烈な修行に身を置いていた元代行者。当然、その考え方は魔術師として、代行者としてのそれである。

 

 まさか『現代最高の魔術師がこの冬木市でコックをしていて、聖杯などには毛程も興味が無く、さっさと優勝して平穏な日常へと回帰する事を目的に戦争に参加している』などという悪い冗談のような、もしくは三流芝居のようなシナリオを、思い描けと言う方が無理なのだ。「事実は小説よりも奇なり」とは、良く言ったものである。

 

 とは言え、時臣に全く責が無いかと尋ねられれば、そうではなく……

 

 ローカルテレビで午後7時55分から5分間程放送されるニュースや観光客向けのパンフレットには、時々フィオの経営する『虹色の脚』が紹介されている。だが彼は前者は魔術師にありがちな機械音痴から、後者は貴族然とした気質から取るに足りない市井の情報と軽視して手に取る事すらせず、結果としてどちらも見落としてしまっていた。

 

 舞弥がそうであったように彼がそうしたニュースや冊子のどちらかにでも目を通していればこの戦争の趨勢はまた別の方向へと流れていただろう。それならば別の手も打ちようがあったのだが……

 

 何という致命的なうっかり。

 

 それは置いておくとして、現在フィオは彼女本来のサーヴァントであるライダーに加え、キャスターをも従えている。

 

「ううむ……」

 

 アーチャー・英雄王ギルガメッシュは紛れもなく最強のサーヴァントであろう。一対一ではどんなサーヴァントでも彼に勝つ事は叶うまい。

 

 だがこれ以降、ロード・レンティーナは二騎のサーヴァントを同時に運用する。最強の魔術師が従える英霊が二人掛かりとあっては、さしもの英雄王とて万一があるかも知れない。

 

 ここは慎重の上にも慎重に事を運ばねば。綺礼のアサシン群によってライダーとキャスター、それぞれの切り札がどのようなものか明らかにすれば対策の立てようもあり、話は全く違ってくる。それまでは「待ち」の姿勢を崩さない方が良いだろう。

 

 敵は彼女達だけではない。

 

 四画目の令呪を得て、他の陣営よりも切り札を一枚多く持つロード・エルメロイ。

 

 手負いとは言え最優クラスであるセイバーと、魔術師殺しを擁するアインツベルン。

 

 急造の魔術師である間桐雁夜が使役するバーサーカーは魔力消費の問題からこちらが手を下すまでもなく自滅するであろうからこれは問題外としても、強敵が揃っている。

 

 ここへ来ると倉庫街の一件でギルガメッシュを撤退させる為に費やした一画の令呪がいかにも惜しくなってきた。キャスター討伐によって補填しようという目論見があっただけに、それが外れたのは痛い。

 

『せめて、ギルガメッシュがもう少しマスターである私を尊重してくれれば、話も違うのだが……』

 

 そんな風に考えていると、彼の悩みのおよそ半分を占めている相手が金色の光を纏って姿を現した。

 

「時臣、これから散策に出掛ける。供をせよ」

 

 

 

 

 

 

 

 間桐家の地下、一切の陽の光が差し込まず、じわりとした湿気が肌にまとわりつくようで、鼻を衝く腐臭を伴った空気が充満する「蟲蔵」と呼ばれる場所。

 

 間桐雁夜はその一角で手負いの獣のように殆ど身動ぎもせずに、その身を休めていた。

 

 否、「ように」という言葉は適切ではない。今は彼も彼のサーヴァントもまさに満身創痍。傷の治癒と体力の回復は、何にも優先される急務であった。

 

 昨日の倉庫街の一戦で、時臣のサーヴァントがバーサーカーに恐れをなして尻尾を巻いて逃げたのを見た時には溜飲が下がる思いだったが、そのすぐ後に事態は彼の思惑を越えた動きを見せた。

 

 バーサーカーはセイバーに向かって暴走し、その為に消費された魔力の量は甚大。それを賄う為に体内に植え付けられた刻印虫が励起し、彼の肉体を喰らい、破壊する事によって魔力を生成していく。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあり、たった一戦を戦っただけで雁夜の肉体は限界近くまで消耗してしまった。

 

 これでセイバーでも倒せればまだ良かったが、バーサーカーは割って入ったランサーとライダーによって瀕死のダメージを負わされ、撤退を余儀なくされた。

 

 如何に刻印虫によって魔術回路を補助しようと所詮は急造の魔術師でしかない雁夜に治癒の魔術が使える訳もなく、今はマスターもサーヴァントもこうして自然治癒を待つ他は無いのだ。

 

 傷をおして無理に戦っても、結果は見えている。眠っていても襲ってくる苦痛によって肉体・精神共に摩耗し、消耗した彼でも、まだその程度の判断を行える理性は残っていた。

 

 幽鬼のようになった左半身を見れば一目瞭然だが、一年という短期間で無理矢理マスターとして選ばれるだけの資格を有する魔術師として”仕立て上げられた”彼の体は、既に限界を超えている。肉体の自然治癒力などはどうしようもなく衰えて、自らの”苗床”を守ろうとする虫達によって辛うじて命を繋ぎ止めているような状態だ。

 

 そんな半死人のような彼を動かすのは、偏に大切な人達への想いと、彼女達を不幸のどん底にたたき落とした男への妄執だった。その二つは決して相容れない矛盾である事に、気付かなくても。

 

「さ…………ら……ちゃ……………お……い……さ………………き……お……みぃぃ……」

 

 そんな雁夜の様子を枯れ木のような老人、間桐臓硯は下卑た笑みと共に見下ろしていた。

 

「雁夜め、中々粘るではないか」

 

 この老人は正直な所、あんな急拵えのマスターで、しかも使役するのが魔力消費の激しいバーサーカーとなれば第一戦で自滅すると見ていた。あっけなくはあるがそれならそれで、その道化振りを肴に酒でも飲もうかと思っていたのだが……

 

『まぁ、そうなる事を見越して、敢えて召喚の呪文に狂化の一節を挟ませたのだがな』

 

 元々臓硯は優秀な魔術師が手元に居ない事から今回の第四次聖杯戦争は見送るつもりであった。狙うのは、現在”調整”を行っている至高の胎盤である桜が産み落とした子か、その孫。いずれにしても優秀な素質を備えているであろうその者達の代に行われるだろう第五次聖杯戦争。

 

 雁夜は、一年前に帰ってくる事すら想定外だったのだ。

 

 故に、万に一つ雁夜が聖杯を間桐に持ち帰るのであればそれで良し。出来なくとも何の問題も生じない。

 

 ならば一興とばかり、臓硯はサーヴァントの召喚に当たってバーサーカーのクラス指定を行わせたのだ。

 

 本人には如何に令呪を宿すレベルになったとは言え他の参加者に比べれば雁夜の魔術師としての力量は些か以上に劣る。ならば狂化によるステータスの底上げを……と説明した。

 

 勿論それも間違いではないが……真の目的は、魔力消費の激しいバーサーカーの使役に雁夜が振り回され、苦しむ様を見て臓硯自身が愉しむ事だった。間桐の人間には似つかわしくない青臭い正義感などでこの戦争に参加した者にはお似合いだ。

 

 だが、臓硯は雁夜に対して本当の事を言わないだけで嘘は吐いていない。この戦争に参加するに当たっての条件にしてもそうだ。

 

 比喩ではなく本当に万に一つの可能性だが雁夜が勝ち残って聖杯をこの家に持ち帰ったのなら、その時は桜に用は無い。調整はその時点で切り上げ、解放してやるつもりだった。元より”調整”は次回の聖杯戦争で優勝する為のもの。聖杯が今手に入るのなら、そんな時間と手間を掛ける必要などどこにも無いのだ。

 

『じゃが……まさかあのフィオ・レンティーナ・グランベルが参戦しておるとはのう……これではその万に一つの望みも、完全に摘み取られたな……』

 

 かっかっ、と臓硯は嗤う。

 

 まぁ、それならそれで良い。ならば雁夜があの最強の魔術師に打ちのめされて、無様に地に這い蹲って、誰も。桜も。自分の身すら救えずに死んでいく様を、存分に愉しませてもらうとするか。

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ……起源弾、か……魔術師殺しめ、恐ろしい礼装を使うな」

 

 冬木市郊外の廃工場。その地下には本来有り得ない筈の空間が広がっていた。

 

 ここはケイネスの第二工房であり、ホテル最上階という目立つ所に構えられた第一工房の予備として、人目の付きにくさを重視して用意していたものだ。結界の数や防衛システムの優秀さでは力作である第一工房には一歩譲るが、ここならば足下を爆破される心配も無く、仮に上の建物を崩されたとしても入り口とは別に脱出用の経路が用意されている。

 

 結界にも反応は無いし、今の所この拠点の存在は他の陣営には知られていないだろう。取り敢えずは一安心。

 

 これでじっくり作戦が練れる。と、椅子に腰掛けたケイネスはフィオから渡された一発の弾丸を眺めながら、思わずごくりと唾を呑んだ。

 

 下水道から引き上げる際に御者台の上で、フィオが自分のサーヴァントになったキャスターへの初仕事として命じたのがこの弾丸の解析だった。

 

 他人の礼装の解析など本来ならばフィオやケイネス級の魔術師でも設備の整った研究室にて何時間かを掛けて行う必要があるが、そこは魔術師クラスの面目躍如。キャスターはほんの少し見ただけで、この弾丸の性質を看破してしまった。

 

 弾丸に付与された属性は切断と結合。切って、繋ぐ。説明はそれだけだったが、フィオとケイネスにはそれだけで十分だった。

 

「主よ、その弾丸はどのような物なのでしょうか?」

 

 魔術全盛の神代を駆け抜けたランサーだが、彼自身は魔術の専門家ではない。ケイネスは立ち向かう敵の恐ろしさを知っておいてもらう為にも、噛み含めるように説明していく。

 

「……つまり、この弾丸に撃たれた場合には、糸を切ってそれを繋ぎ直すようにその傷は即座に塞がるのだよ。”治癒”ではなく、あくまで……そうだな、古傷のように変化すると言えば分かり易いか」

 

 肉体に着弾した場合にはそれだけで済もうが、真に問題なのは魔術によってこの銃弾に干渉しようとした場合である。その場合は魔術回路がメチャクチャに切断され、デタラメに繋がれ、暴走した魔力は術者を容易く死に追い込むだろう。その傾向は干渉する魔力量に比例する。強い魔力を行使出来る優秀な魔術師ほど、この弾丸の前には格好のカモと化すのだ。

 

「では……!!」

 

 思わず息を呑んだランサーに、ケイネスは緊張した表情で頷いた。

 

「アインツベルンの魔術師殺しは、私の天敵という事だ。真っ向勝負では、私にはまず勝ち目があるまい」

 

「……!!」

 

 敵の正体が知れたのは僥倖だが、同時に問題点も浮上した。

 

 目下の強敵は、やはりあの黄金のアーチャーとアインツベルンの魔術師殺し。

 

 フィオの陣営も脅威だが、だがこちらは上手く分断して一対一に持ち込めれば勝ち目は見えてくる。彼女が擁する二騎のサーヴァントは、どちらもピーキーな特性を持つクラスだ。

 

 強力な騎乗宝具を持つライダーは思うようにそれを乗り回せない室内で、後衛向きのキャスターには距離を詰めて戦えば、三騎士の一角にして白兵戦では7騎中一、二を争うランサーが圧倒的に有利だ。無論、フィオもそれぐらいは承知だからそう容易くこちらの思い通りには決まらないだろうが……少なくとも勝ち筋は見える。

 

 だがアーチャーと魔術師殺しについてはその勝ち筋が見えない。特に前者は規格外にも程がある。

 

 一方で魔術師殺しに関してはランサーをぶつける事も検討したが、奴とてサーヴァント相手に勝てはしないまでも易々とは倒されまい。そうしてモタモタしている間に、セイバーが自分に向かってくる可能性を考慮すると、ケイネスはその戦法は却下せざるを得なかった。

 

『アーチャーには同盟を組んで対抗するとして、魔術師殺しにはぶつからないのが正解か……』

 

 結論。落とし所としては妥当な所に収まったという印象だ。

 

 とは言えこの聖杯戦争はまだ序盤。昨日は激動の一日であったし、それにあのアサシン達の存在も気に掛かる。追求しようにもマスターは中立不可侵地帯である教会の中だ。この工房のように抜け道が用意されていないとも限らないし、無理に押し入って言峰綺礼と言ったか。アサシンのマスターの姿が見えなかった日には、どんなペナルティが下されるか分からない。

 

 すぐに動いては、この第二工房とて発見される恐れがある。今日一日は使い魔を放っての情報収集に終始するべきか。

 

 恐らく今日の所はまだ大きな動きも無いだろうが……

 

 

 

 

 

 

 

 教会の一室で、言峰綺礼は腕組みしつつ「むう……」と、唸っていた。

 

 彼の前には、このアサシン達と父・璃正のコネクションを駆使して集めたこの聖杯戦争のマスター達の資料が集められている。人数合わせで選ばれたフィオとキャスターのマスターの物は殆ど無いが、机上の地図には各陣営の拠点や、今後戦闘場所として想定される場所などがびっしり書き込まれている。

 

 フィオについてはアサシン群の中で人数を多めに振り分けて捜索に当たらせているが、未だにその拠点すら掴めてはいない。

 

 ホテルや民宿など宿泊施設は勿論、廃ビルなど拠点として使えそうな所は洗いざらい探させているのだが……流石はプロ中のプロ。よほどこちらの盲点を衝くような場所に拠点を構えているのだろう。

 

 彼女の拠点の捜索は引き続き継続するように命令すると、綺礼の視線は集められた資料の一部。衛宮切嗣のものへと動いた。

 

「……衛宮、切嗣」

 

 悪名高い魔術師殺しとして名を馳せた男。

 

 明らかに得られる報酬のメリットを越えた危険の中に常に身を置き続け、資料から見るだけでは死に急ぐような戦いを繰り返してきた男。

 

 それが9年前、アインツベルンに招かれてからはきっぱりと活動を止めてしまった。

 

 その時、衛宮切嗣が何を見て、何を思い、何を決断したのか……

 

「問わねばなるまい……!!」

 

 それを知ればあるいは、自分の胸の中のこの空虚も、埋まるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「辛っ!?」

 

 フィオの自宅では、仲間になったキャスターの歓迎と、今後の方針についての作戦会議を兼ねた食事会が開かれていた。

 

 が、出された料理を一口含んだ途端、半獣の魔術師は悲鳴を上げる。

 

 今回出された料理は娼婦風スパゲッティー。ニンニクや赤唐辛子のソースを使った辛さがウリの「虹色の脚」でも人気メニューの一つであった。

 

「キャスター、辛いのが苦手なら、無理して食べなくても良いのよ?」

 

 心配そうな表情でフィオが彼女の顔を覗き込むようにしてそう言うが、

 

「い、いえ!! 折角ご主人様が初めて私の為に作ってくださった料理なのに……残すなんて良妻狐の名折れ!! 何が何でも完食させて頂きます!! ……あっ、やっぱり駄目!! これ辛い!!」

 

 もう一口を口に入れて、キャスターは涙目になるが、そこでちらりと視線を隣に動かす。

 

 ライダーは大して堪えた様子も無く、平然と同じスパゲッティーを食している。これは、やはり出身地の違いだろうか。イタリア料理と言えば、ローマ帝国皇帝だった彼女にとっては地元の味。馴染みも深いのだろう。

 

 だが目が合ったライダーが勝ち誇ったようににやりと笑ったのを見て、キャスターの闘志にも火が付いた。

 

『負けてたまりますか……!! ご主人様の一番は、譲りませんよ……!!』

 

 そんな決意と共にキャスターは三度麺を口に入れるが、やはり辛い。「駄目っ」と叫んで置かれていた水に手を伸ばす。

 

「キャスター、無理しなくて良いのよ? 食べられないなら別なのに作り直すから……」

 

「い、いえ……私もこんな辛いの食べられるワケないんですが……でも何故か、舐めたくなってしまうんです、このスパゲッティーソース……」

 

 癖になる味と言うか、引き込まれる辛さと言うか。例えるなら、節分に年の数だけ豆を食べようとしたら、大して好きでもない豆を、気が付いたら一袋食べていたような……そんな感じが近いだろうか。

 

 ズル、ズバ、スバ!!

 

 今度は一気に麺を吸い込む。それでもキャスターの手は止まらない。

 

「う、うううっ……!! お、お腹が空いていきます……!! 食べれば食べるほど、もっと食べたくなります……!! 美味しい……!! 味に目覚めました……!!」

 

 顔を汗だらけにして、目と口からビームでも出すような勢いでキャスターが叫ぶ。

 

 そんな”同僚”の様子を、騎乗兵は苦笑と共に見守っていた。

 

「さもありなん。余とて召喚されたその日に料理を振る舞われた時は、今のそなたと同じようであったわ。奏者ほどの料理人は、余の宮殿にもおらなんだ」

 

 そう言う彼女も、既に目の前の皿は空になっており……たった今平らげたキャスターのものと合わせて二組の視線がフィオの皿へと動き……

 

「「…………」」

 

 だが、ここで自分の分をどちらか一方に渡すのはどうにも良くないと、繋がっている『』が彼女に告げてくる。ここは……

 

「シャーレイ、二人におかわりを持ってきてあげて」

 

「はい、店長」

 

 キッチンにいるシャーレイに、そう指示を出した。見てはいなかったが自分の背後で溜息が重なった気がしたのは……うん、気のせいだろう。気のせいだ。

 

 そうして食事も終わり、作戦会議が始まる。シャーレイはキッチンで洗い物など後片付けの担当だ。

 

「それで、今後の方針だけど……残念ながらキャスター、あなたはあまり陣地作成は得意ではないわね」

 

「はい……」

 

 しょぼんと、狐耳をしおれさせてキャスターが俯く。

 

 彼女の陣地作成スキルはC。どうにも性格的に向いていないらしく、工房を作る事さえ難しいと来ている。

 

「よって、今後も基本的な作戦はライダーの宝具での高速移動によって足取りを掴ませずに、偵察を行いつつ町中で遭遇したサーヴァントを倒していく、というものにしようと思っているわ」

 

「うむ、余に異存は無いぞ」

 

「ライダーが作戦の主体になるのはちょっと悔しいですが……私も同意見です」

 

 元々、機動力重視のライダーと拠点防御重視のキャスターは同時運用にあまり相性が良いとは言えない。かと言ってバラバラに行動させるのでは各個撃破の的となり、折角の二体同時使役のメリットが消滅してしまう。

 

 そこへ行くとタマモは陣地作成が不得手である代わりに、彼女の使う呪術は魔術とは体系を異にする技術であり、三騎士が持つ対魔力を突破する事が可能である。

 

 ならば陣地作成は最初から捨ててかかって、ライダーの機動力と合わせてそちらを活かす方向での運用が正解であろう。二騎をセットで動かせれば、マスターを伴ったサーヴァントと遭遇した場合には一方が敵サーヴァントを牽制して、もう一方がサーヴァントと人間の圧倒的な戦力差を活かしてマスターを制圧するといった作戦も実行可能である。

 

 方針は決まった。マスターであるフィオが立ち上がるのを見て、二騎のサーヴァントも同じく立ち上がる。

 

「ライダー、キャスター!! この聖杯戦争、私達が必ず勝ち残るわよ!!」

 

「うむ、任せておけ奏者よ!! 共に聖杯へ!!」

 

「ご主人様。このタマモの全知全能を以てお守りいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市街から離れること直線距離にして約30キロ。人里離れた森の中にそびえ立つアインツベルン城の食堂では、今は切嗣とアイリスフィール、それにセイバーが顔を並べていた。彼等もまた、作戦会議の真っ最中であった。舞弥は市内に偵察へ出ている。

 

「じゃあ切嗣、しばらくは他の陣営の動きを見てチャンスを待つのね」

 

「そうだ。今の状況でこちらから動くのは得策じゃない」

 

 御三家の一角であり最優のセイバーを擁するこの陣営だが、今の所あまり強い立ち位置に居るとは言えない。

 

 現状は、規格外のアーチャーを擁する遠坂と、最強の魔術師が二騎のサーヴァントを同時使役するフィオの二強状態。それに続くようにして、四画の令呪を持つケイネスが隠然たる勢力として存在している構図だ。

 

 バーサーカーも、確かにあのサーヴァントの戦闘力は凄まじいが、過去の聖杯戦争を見てもバーサーカーのマスターはことごとく魔力切れで自滅している。脅威にはなり得ないだろう。

 

 セイバーはランサーによって治癒不能の手傷を負っている為、戦闘力が半減してしまっている。もしランサー陣営がこのアインツベルン城に攻め込んでくるようなら、地の利を活かしてセイバーを逃げ回らせ、側面からケイネスを襲って叩く、魔術師殺しの定石のような戦法を切嗣は選択するつもりであったが……

 

 しかし、ホテルでのあのケイネスの見事な引き際を見ると、あれでは予備の拠点の一つや二つぐらいは用意しているかも知れない。そんな彼がアウェーでの戦いを選択するだろうか。どちらにせよ、行動パターンの把握の為にもここは様子見に回るべきだろう。

 

 フィオの方は、舞弥の掴んできた情報から自宅はすぐに割り出せた。割り出せたのだが……魔術師としての純粋な技量では高いとは言えない切嗣ですらはっきり分かるほどの凄まじい魔力をあの家からは感じた。恐らくあの家は、ケイネスがホテル最上階に築いていた工房と同等あるいはそれ以上の鉄壁の魔術要塞と化しているだろう。

 

 加えて「魔術師殺し殺し」と呼ばれる点や倉庫街で銃器を使っていた事からも推測出来るが、生粋の魔術師であるケイネスと違って、彼女は同じロードでありながら科学を用いる事を躊躇しない、使える物は何でも全て使うタイプの魔術師だ。監視カメラやセンサーなど、近代機器までその工房には組み込まれているかも知れない。

 

『……しかも、ホテル爆破によって僕の手口はもう知れてしまっている。今から爆薬を設置しに行ったとしても行動を先読みされて待ち伏せされている可能性すらある』

 

 フィオは人数合わせで選ばれたマスターであり、事前準備が出来なかった事や情報面で他のマスターに後れを取っているのが彼女の弱点であったが、逆にそれは他のマスターも彼女の参戦を予想出来なかったという事でもある。この冬木市で事前に宿泊施設・拠点として使えそうな場所に余さず爆薬を仕掛けておいた切嗣も、一介のコックの家まではノーマークだった。

 

 あれほど厳重な警戒態勢では切り札の一枚、即席のミサイルとして用意しておいた遠隔操作のタンクローリーでさえ、接近を察知されて”着弾”より早く脱出されるだろう。何らかの手段で軌道を逸らされるか、不発にさせる事さえ、彼女はやってのけかねない。

 

「今は態勢を整え、他の陣営が衝突して消耗するのを待つんだ。相打ち共倒れが理想的だが……現在の状況では勝利した方も、無事には済まないだろう。アイリ、そこを君がセイバーで叩いてくれ。僕も舞弥と援護する」

 

「ええ……」

 

「…………」

 

 セイバーが何か言いたげに視線を向ける。切嗣はそれに気付いていたが、敢えて無視した。

 

 一方でセイバーも、漁夫の利を狙うような作戦に不満が無いと言えば嘘になったが、こうしたバトルロイヤルではそれが常套手段であると理解しているのが一つ。そしてそうした作戦を採らざるを得ないのは、自分がランサーに不覚を取ったからである事を思うと、文句も言えなかった。

 

『後は、上手く奴等の戦う場所に急行出来れば良いんだが……』

 

 切嗣が他の陣営、特にフィオ相手に考えている基本的な戦法は、倉庫街の時と同じくマスターの狙撃である。

 

 残念ながら真っ向勝負で自分が、元代行者である言峰綺礼や、もっと恐ろしいフィオを相手に勝利出来る可能性はほぼゼロだと切嗣は見ている。特にフィオには倉庫街で起源弾を回収されてしまったのが痛い。あれでこちらの手口が露呈してしまったから、もうフィオに起源弾は通用しないと考えてかかるべきだろう。

 

 ならばこその狙撃なのだが、魔術師殺しの戦い方を知り尽くしている彼女だ。それも簡単に行くとは思えない。

 

 その為に切嗣が見出した可能性が、他の陣営との交戦中だった。

 

 セイバーとの交戦中ならば「魔術師殺しがいる陣営だ」とフィオも警戒心を強くするだろうが、それ以外の陣営ならば、勿論完全に無警戒にはならないだろうが、狙撃に対する注意も疎かにはなるだろう。少なくともその可能性はある。特にそれが戦闘中であれば尚更だ。意識は眼前の敵へと集中するだろう。そのワンチャンスを、ものにする。

 

『理想としては、あのアーチャーとライダー・キャスターが潰し合ってくれる展開だが……』

 

 しかしケイネスの時もそうだったが、現実はそうそう自分の思った通りには行かないだろう。

 

 一息入れるつもりですっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ、その時だった。懐から携帯電話の呼び出し音が鳴る。

 

 相手は?

 

 考えるまでもない。この番号を知っているのは、アイリと舞弥だけ。アイリは目の前にいるし、それに機械音痴な彼女は携帯を使えない。ならば残るのは舞弥だけだ。

 

 切嗣は、ほぼワンコールで通話に出た。

 

「舞弥、どうした?」

 

<切嗣、冬木市内で動きがありました。アーチャー陣営と、ライダー・キャスター陣営が遭遇、交戦に入りました>

 



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第10話 冬木市空戦

 冬木市、未遠川上空に巨大な黄金の船が浮遊している。

 

 これぞ古代インドの二大叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」にその名を記される飛行機械”ヴィマーナ”。その原型であった。

 

 そのほぼ中央に据え付けられた玉座には黄金のアーチャー・英雄王ギルガメッシュが悠然と腰掛け、傍らには時臣が片膝を付き、臣従の体を取っている。

 

「ふむ……度し難いほどに醜悪と思っていたこの時代だが……こうして高き天より眺める景色は中々のものだ。そうは思わぬか? 時臣」

 

「は……」

 

 流石に香港の100万ドルの夜景には及ばないものの高空より眺める冬木市は蛍籠か宝石箱のようで、英雄王の感想も時臣には理解出来る。よって肯定の返事を返すのだが……内心はそう穏やかでもいられない。

 

 時臣が当初に想定していた戦略としては、諜報能力に長けた綺礼のアサシンによって各陣営の情報を収集する。それまでは要塞のような魔術結界を施した遠坂邸にて穴熊戦術を決め込み、敵サーヴァントの能力と各陣営の戦術傾向を把握した後に、ギルガメッシュと共に攻勢を掛ける。という二段構えの作戦だったのだが……

 

『今の所は第一段階すら満足に達成されていない。この段階で矢面に立つような目立つ真似は避けてもらわねばならないのに……』

 

 散策と言うから適当に町中をぶらつくのだとばかり思っていたが、まさかこんな輝舟を使っての空中散歩とは……一般人の目を避ける為の視覚迷彩の魔術は発動させてあるが、これは目立つとか目立たないとか、そういう次元の問題ではない。

 

 そうは思うが、だからと言ってギルガメッシュを制止したり、あるいは「供をせよ」という誘いを断るという選択肢は有り得ない。

 

 頭をよぎるのは昨日の倉庫街の一戦で、令呪によって撤退を命じた一件だ。

 

 あの後、戻ってきたアーチャーはかなり立腹の様子であったが、最終的には「忠心からの諫言なれば、此度は許そう」と一応の納得を示してはくれた。

 

 だが昨日の今日で同じ事を繰り返せばどうなるか。

 

 想像したくないが……まず間違いなくこのサーヴァントとの関係は破綻するだろう。令呪の補填も行えず、戦争中に絶対命令を下せる回数は実質残り一回。

 

 まだサーヴァントの一騎も脱落していないこの時期では、絶対にこれ以上消費する訳には行かない。

 

「さて……見よ、時臣。単なる暇潰しの散策のつもりだったが……存外、面白い奴等が釣れたようだぞ?」

 

「は……」

 

 英雄王の指差す先には、このヴィマーナに負けぬほどの輝きと共に向かってくる戦車の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

「み、見よ、奏者!! あんな物は余も初めて見るぞ!!」

 

 他陣営への挑発と偵察を兼ねて「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)を飛ばしていたライダーであったが、今夜はとんでもない物に遭遇した。ギルガメッシュと時臣を乗せたヴィマーナだ。

 

「あれは……アーチャーと、遠坂時臣ね」

 

 御者台に立つフィオは目を細めて、眼前の飛行機械の乗員二名の姿を捉える。

 

 あのアーチャーが規格外なのは承知していたが、湯水のように乱射される数多の武器だけでなく、あんな空飛ぶ舟まで持っているとは……!!

 

「ちょっ……何でアーチャーがあんな物まで持ってるんですか!? あんな宝具は、ライダーの領分でしょうに!!」

 

 キャスターの驚愕も尤もだ。フィオも敵サーヴァントの中で最も手強いのはあのアーチャーであろうと見ていたが、自分の認識がまだ甘かった事を思い知らされた。

 

「で……奏者、どうする?」

 

 ライダーが尋ねる。交戦か、撤退か。

 

 答えは、決まっている。

 

「あちらさんは見逃す気は無いみたいよ?」

 

 見れば既にヴィマーナ周囲の空間は石を投げ入れられた水面のように歪み、波紋の中心からは射出を待つ宝具の刃先が顔を覗かせている。

 

 この場で決着を付けるにせよ、一当てして離脱するにせよ、戦闘は避けられまい。

 

「ライダー、あなたは戦車を操るのに全力を投入して。攻撃は、私とキャスターで行うわ」

 

 フィオはそう言うと、コートの中から出した対物ライフルに暗視用スコープを取り付ける。この銃から発射される弾頭には対死徒用に聖別済み水銀弾頭が用いられており、しかも昼間の内にキャスターの呪術によってエンチャントが施されている。無防備な所に直撃すればサーヴァントにも(決定打にはならないだろうが)ダメージを与える事が可能であろう代物だ。

 

 キャスターも「了解です、ご主人様」と返して、懐から呪符を取り出す。

 

「よし!! 奏者、キャスター。舌を噛むなよ!!」

 

 ライダーは言うが早いか手綱を打って戦車を操り、挨拶代わりとばかりに飛んできた剣群を回避した。

 

 そのままヴィマーナに突っ込もうとするが、向こうも戦闘態勢に入ったらしい。それまでは風の影響も受けずに空間に静止していた輝舟はいきなりパワーショベルや戦車の超心地旋回のような動きを見せて船首の方向を変えると、こちらを誘うように上空へと上っていく。

 

 負けてはいられないとライダーも宝具戦車を加速・上昇させて雲の中に突っ込んだ。

 

「こうして!! あのアーチャーと空中戦をやる羽目になったのは!! 想定外だったけど、一つ良かった事もあるわ!!」

 

 御者台を囲むように防御力場が張られているとは言え、高速で空を飛ぶ事による凄まじい風切り音と空間を踏み締めて疾走する神馬四頭の馬蹄の音。それらに負けないように、フィオが声を張り上げる。

 

「え!? それは!! 何ですか!?」

 

 呪符を持っていない方の手でしっかり縁を掴んで体を固定したキャスターもまた、声を張り上げて返す。

 

「私は!! 他の陣営と戦っている最中に横槍!! 特に狙撃とかが来るのを一番警戒していたけど!! これなら!! 横槍の入れようがないでしょ!!」

 

 どんな凄腕の狙撃手であろうと、地上から数百メートル上空を猛スピードで移動する標的を狙撃するなど不可能だ。こうして雲の上に出てしまえば地上から携行型のミサイル兵器による攻撃すら不可能となる。あのバーサーカーなら近くを飛んでいた飛行機に掴まってその飛行機を宝具化、追いすがってくる可能性もあるが……だが奴はランサーとライダーによって痛手を負わされたばかり。まだ回復が十分ではあるまい。

 

 つまりこれで、あのアーチャーとの戦いだけに100パーセントの意識を集中出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ……」

 

 冬木市内の道路。

 

 制限速度を大きく超えたスピードでジープを操りながら、衛宮切嗣は舌打ちした。

 

 アーチャーとライダー・キャスターが遭遇、空中戦を始めたという情報を聞いた彼は、まずアイリとセイバーは城に残して自分が先行。舞弥と共に偵察を行って状況を把握し、期を見計らって二人にも出撃するように伝えていた。

 

 これはセイバー陣営が現状あまり強い立ち位置に居ないからこその慎重策でもあったが、切嗣にはセイバーとアイリには伝えなかったもう一つの狙いがあった。

 

 フィオと時臣、そのいずれかあるいは両方の狙撃である。

 

 規格外のサーヴァントであるアーチャーと、最強の魔術師が従えるライダーとキャスター。この両者の激突ともなれば、当然ながらその戦いは激戦となる事が予想出来る。マスターは周囲に気を配る余裕など無くなるだろう。そうして狙撃手への警戒など忘れた所を狙い撃つ、という目論見だったが……

 

 実の所、切嗣は舞弥から電話越しに報告を受けた時点で、この策は実行不能であろうと考えていた。

 

 そして実際に自分の目で確かめてみて分かったが、時折雲間からチカチカ光って見えるアーチャーの舟とライダーの戦車はどちらも、速い。あれほどの高度と速度ではやはり地上からの狙撃は不可能。プランAは白紙に戻さざるを得なくなった。故に。

 

 切嗣は右手でハンドルを掴んでジープを操りながら、左手で携帯電話を操作して舞弥の番号に掛ける。助手は1コールあるかないかという早さで通話に出た。

 

「舞弥、プランBに移行する。遠坂邸に向かえ。僕はフィオ宅に向かう」

 

<了解しました>

 

 プランBは戦闘中ではなく、戦闘を終了した後に拠点へと戻ってきた所を狙っての狙撃、という計画だった。

 

 この聖杯戦争の二強同士が激突すれば一方は倒され、勝利した方も無事では済まないだろう。マスターにしても、心身共にかなりの消耗が予想できる。周囲に対する警戒心は低下し、狙撃を迎撃・防御する手段などについても限られている可能性もある。狙うのは、そこだ。

 

 二人が留守にしている間に、拠点周辺に爆発物を仕掛けるという手も考えたが……

 

 いくつかの状況から判断するに、遠坂時臣と言峰綺礼は表向き決裂したと見せかけて、水面下では未だ協力関係にあるという線が濃厚である。となれば遠坂邸周辺はアサシンによる警戒が行われている可能性が高いので却下。

 

 一方でフィオの自宅には、舞弥の調べによると家主である彼女の他にもう一人、レストランの女性店員が同居しているらしい。急な調査だったので写真も手に入らなかったから何者かは分からないが、あのフィオが側に置くほどの女だ。いずれただ者ではあるまい。昨日の戦いで姿を見せなかった事を考えると、その女はフィオが留守の間の拠点の守りを任されているのだろう。爆薬を設置しようと近付いた所を発見される可能性の高さを考えると、こちらも却下せざるを得なかった。

 

 「狙撃」という手段が選択されたのはこのような経緯・事情からである。舞弥を遠坂邸に向かわせたのは、時臣はアーチャーと共にいるのか不明だが、昨日のフィオはライダーと飛行宝具で行動していたので今回も一緒にいる可能性が高く、ならば家に帰ってきた所を確実に自分の手で仕留めたいという目算からだった。

 

「……行くか」

 

 決断すると、切嗣はもう上空のサーヴァント戦には興味を無くしたように豪快にハンドルを切り、ジープを反対車線へと入れる。

 

 目指すはフィオの自宅、正確にはその玄関を射程に収められる狙撃位置(スナイピング・ポイント)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 眼下に雲海を臨む高空で、古代インドの飛行機械とギリシャ神話に語られる太陽神由来の戦車による空中戦は、時に近付き、時に離れ、加減速を繰り返し、互いに有利なポジションを奪い合うドッグファイトの様相を呈していた。

 

 しかしこの戦いは、フィオ達の方が不利だ。

 

 ヴィマーナと「日輪の戦車」。共に神話の移動用宝具であるが、この二つには決定的な違いがある。

 

 「日輪の戦車」は如何に牽引するのが太陽神の眷属たる神獣であろうと、戦闘馬車という乗り物の性質上、進行可能な方向は前のみに限られる。

 

 対するヴィマーナは思考と同じ速度で空を駆け、物理法則の範疇外の動きをするという逸話を持つ飛行機械だ。

 

 最高速度、加速性能、運動性。その全てに於いてライダーの宝具は一歩譲る形になってしまっている。

 

 ならば攻撃能力だが……

 

 アーチャーは舟の周囲に「王の財宝」(ゲートオブバビロン)を展開して、射出される宝具を弾丸代わりにして戦車を狙う。

 

 一方でフィオ達は、フィオの対物ライフルとキャスターの呪術による炎や氷の投射で対抗する。

 

 威力に於いては発射される弾丸の一発一発が強力な宝具であるギルガメッシュの方が勝っているが、フィオ達は戦車の操縦をライダーに任せ、彼女とキャスターは完全に攻撃に専念しておりその点では、攻撃と操縦を同時にこなさねばならないアーチャーよりも状況的に有利であると言える。

 

 ズガン!! ズガン!! ズガン!!

 

「炎天よ、奔れ!!」

 

 戦車の装甲板も撃ち抜くような弾丸と炎を纏う呪符が飛んでいくが、アーチャーは「ちょこざいな」とばかりにピアノを扱うように指を動かし、黄金の舟を操る。

 

 たったそれだけの動きでヴィマーナは急上昇し、射線を大きく外れてしまった。

 

「中々やるが、次はどうだ?」

 

 頬杖付いて余裕の表情を崩さず、ギルガメッシュはバビロンから数挺の宝剣を召喚し、撃ち出す。だが上手くかわされた。ライダーは前方だけを向いていたが、同乗するフィオとキャスターが切っ先の向きを見て取って、咄嗟の回避行動を指示したのだ。

 

 攻撃を外された悔しさよりも、この相手が狩られるだけの豚ではなく、狩人たる自分を愉しませる狐である事を確認出来た歓びの方が勝っているのだろう(文字通りの女狐も一匹いる事だし)。ギルガメッシュは獰猛に笑う。

 

「では、これはどうかな?」

 

 再びゲートオブバビロンを展開。宝剣宝槍が射出される。この攻撃もフィオの指示を受けたライダーは戦車を絶妙に操って回避した、が……

 

「奏者、キャスター!! 頭を下げろ!!」

 

 ライダーは叫ぶと、戦車を急降下させる。何事かとフィオとキャスターが前方を見ると、たった今外れたばかりの宝具が回転しながら軌道を変えて、こちらに戻ってきていた。

 

「っ!!」

 

「ひっ!!」

 

 頭のすぐ真上を宝具がヘリのローターのように飛んでいって、フィオの髪の一房が削り取られた。

 

 戦車を急降下させたライダーの判断は正解だった。あのまままっすぐ飛ばしていたら”エンジン”である神馬達の首が斬り飛ばされていた所だ。そしてそのまま宝具が突き刺さって、彼女らごと御者台も粉砕されていただろう。

 

「ご、ご主人様!! また戻ってきますよ!!」

 

 悲鳴じみた叫びを上げるキャスター。フィオが目を向けるとその言葉通り、自分達の頭上を通り過ぎていった宝具が軌道を変えて、再びこちらへ飛んでくるのが見えた。

 

「……!!」

 

 ズガン!!

 

 向かってくる一挺へ向け、発砲するフィオ。銃弾は剣に命中し、弾く事には成功した。が、僅かな時間空中を漂った宝剣はすぐに元の勢いを取り戻すと戦車の追尾を再開する。

 

 間違いない。今自分達を狙ってきているのは全て「必中」の属性を持った宝具だ。意志を持っているかのように標的に食らい付くまさに「魔弾」という訳だ。

 

「さて、どうする?」

 

 自慢の宝具が猟犬のように獲物を追う様を、傲然と見下ろすギルガメッシュ。

 

 これで落とされて終わりか、それともこの先があるのか。

 

「我を失望させるなよ、雑種!!」

 

「どうする!? 奏者、このままでは……」

 

 何とか飛来する魔弾を振り切ろうと神馬達を加速させたりジグザグに走行させたりするライダーだが、無駄に終わった。追尾してくる宝剣達はぴったりと戦車の後ろにくっついて離れない。

 

 フィオには打つ手が無い、という訳ではなかった。問題は……ライダーにそれが出来るかという事だが……

 

 彼女の腕前を疑っている訳ではない。寧ろ逆だ。如何に高い騎乗スキルがあろうと、戦車という乗り物でそれが出来るのか? という話だ。

 

 だが……やってもらわねばなるまい。

 

「ライダー、スピンよ」

 

「えっ?」

 

 さしもの騎乗の英霊もこの注文は予想外だったらしい。戦闘中にも関わらず素っ頓狂な声を上げる。

 

 この反応を受けて、フィオは苛立ったように少しだけ声を大きくした。

 

「この戦車をスピンさせるのよ。それしかないわ」

 

「……!!」

 

 マスターの説明を受けて、ごくりと唾を飲み込むライダー。

 

 確かにこの身は騎乗兵(ライダー)のサーヴァント。騎乗スキルは竜種を除いて幻獣・神獣をも乗りこなすA+。だがいくら空を駆けるとは言え、戦車とは本来そんな動きをする乗り物ではない。つまり足りない分は御者である自分の腕で補わねばならないという事だが……

 

「どうする、ライダー!! 時間が無いわよ!!」

 

 振り向けば、この戦車とホーミング弾との距離はもう1メートルもなくなっている。キャスターが牽制で炎や氷の呪術を放つが、強大な神秘の塊である宝具はそれを掻き消して迫ってくる。

 

 危険な状況だが……しかしここへ来て尚、ライダーは凄絶な笑みを見せた。

 

「面白い!! 太陽神ソルに匹敵する戦車御者と謳われた余の業前!! 今こそ見せてくれよう!! 奏者、それにキャスターよ!! 振り落とされぬよう、しっかりと掴まっておれ!!」

 

 と、彼女が言い終わる前にフィオとキャスターは両手で御者台の縁に掴まっていた。二人が体をしっかり固定したのを確認すると、ライダーは生前にも無かったほどに手綱を握る手に全神経を集中させて、動かす。

 

 徐々に3人の視界が水平から垂直にシフトしていき、逆さまに。再び垂直、水平に戻る。

 

 そんな螺旋を描くその動きが幾度も繰り返されて、もうどっちが上やら下やら分からなくなる。シェイクされる視界の中でフィオが後方を睨むと、追尾してくる宝具もこの戦車と同じように螺旋を描く軌道へと移っていく。

 

「いいわよ、ライダー!! そのまま!!」

 

「応ともよ!!」

 

「う……うぷ……」

 

 更にスピンの速度が速くなり、追従してくる宝具達が螺旋軌道を動く速度も速くなっていく。それらの宝剣宝槍の動きは、人間の遺伝子構造のような二重螺旋を描いていた。だが宝具達の軌道が描く円の幅は徐々に狭まっていき……

 

 そして遂に”頂点”に達し、宝具同士が衝突して砕け散ってしまった。この離れ業にはさしものアーチャーも「ほう」といった表情になった。まさか「必中」の宝具群を破るのにそんな手があったとは。傍らの時臣は彼とは対照的に「何と……!!」と、驚愕を露わにする。

 

「どうだ奏者よ!! 余の腕は!!」

 

「凄いわよライダー!! キャスター、大丈夫!?」

 

「は……はい、ご主人様……ライダーが頑張ってるんです。私だって、負けてられません……!!」

 

 曲芸じみた空中飛行で乗り物酔いを起こしているキャスターの背中をさすりつつ、フィオはぴったりと後方に付いてくるヴィマーナを睨んだ。

 

 何とか今の攻撃は凌いだが、あれとてアーチャーにとってはただの機関銃の一連射でしかあるまい。次も同じ手が通用するとは思えない。

 

 こちらが優位に立つには、何とかして後ろを取らなくてはならない。ならば……

 

「ライダー、私の言う通りに戦車を操って」

 

「あいわかった!!」

 

「では、まずは急上昇。その後ループの頂点に達する直前で失速横滑りして、斜め旋回に移行して」

 

「!? と、とにかくやってみせよう!!」

 

 恐ろしく複雑な動きを要求されたライダーだが、そこは流石に騎乗の英霊。全く間違いなくその動きを成し遂げて、戦車の旋回半径を短縮。通常の宙返りパスを回るヴィマーナの背後を取る事に成功した。飛行機乗りの間では捻り込みと呼ばれるマニューバだ。

 

 これほどの空中機動は単純な騎乗スキルの高さだけで出来る事ではない。鳥が空を飛べるのは鳩胸なんて言葉が生まれるほどに発達した筋肉や中空構造で軽量化した骨などといった小賢しい話ではなく、飛べるのが当たり前、そこに微塵の疑問も持たないからこそ。同じように神にも匹敵するという自身の技量に一片の疑念を抱かないネロだからこそ可能な、まさに神業だ。

 

「これで良いか、奏者よ!!」

 

「良いわよライダー!! これなら飛行艇に乗っても、アドリア海のエースになれるわ!!」

 

「後ろさえ取れば、こっちのものです!!」

 

 ゲートオブバビロンは後方にも宝具を射出する事が出来るが、今までの攻撃を見る限りアーチャー自身はさほど正確な射撃は得意ではないようだ。しかも死角となる後方ならば、チャンスはこちらにある。

 

 フィオもキャスターもそう考えて、ライフルと呪符を構える。

 

 だが。

 

「王よ!! このままでは……後ろを取られました!!」

 

「騒ぐな、時臣。これほど我を興じさせる相手は久方振りだ。果たして次はどのような芸を見せるのか。見届けてやろうではないか」

 

 アーチャーは笑みを崩さぬまま再び指を動かして、ヴィマーナを操る。

 

 次の瞬間、思いもよらぬ事が起こった。

 

「なっ!?」

 

「!?」

 

「ええっ!?」

 

 「日輪の戦車」に騎乗していた3人は、揃って驚愕を露わにする。

 

 それも無理は無い。

 

 右斜め前方を飛行していたヴィマーナが、突如として姿を消したのだ。

 

「何だ今のは!? どこへ……!?」

 

「瞬間移動(ワープ)もするんですか!? あのマジカル☆戦闘機は!!」

 

「……!!」

 

 何処へ行ったのかと、きょろきょろと視線を動かす二騎のサーヴァント。一方、彼女にしても発見出来たのは全くの偶然だったが、フィオはヴィマーナの姿を捉えていた。

 

 信じられない事だが、今の敵船の位置は……

 

「後ろよ、二人とも」

 

「何っ!?」

 

「そんな……!?」

 

 マスターに言われて二人が見ると、ついさっきまで確かに前方を飛んでいた筈の黄金とエメラルドの舟は、今は先程と同じようにこちらの右斜め後ろにぴったり付いていた。

 

「どうやって背後に回り込んだのだ!?」

 

「目にも止まらない加速? いや、どんなに速く動いたとしても、あんな大きな物を見落とす訳が……」

 

「いえ、加速ではないでしょう……寧ろその逆……減速です、今のは。それしか考えられません」

 

 キャスターが強張った面持ちで言う。フィオの言う通り、どんなに速く動いたとしてもヴィマーナのような巨大な物体の動きを見落とす訳がない。ならば、消えたように見えて更に自分達の背後に回り込んだ可能性は、一つ。

 

 分かり易く言うなら、ヴィマーナは空中で急ブレーキを掛けたのだ。

 

 通常の場合はどんなに思い切りスピードを殺したとしても100、90、80と徐々に速度を落としていくから目で追う事が出来る。

 

 今のヴィマーナの動きは違う。減速と言うよりは、まさに文字通りの急停止。100からいきなり0に。突如として空間に静止したのだ。あまりに速度の落差が酷すぎて、目で追えなかった。そして自分達の戦車は、それを追い越す形になった訳だ。

 

 勿論、神秘の伴わぬただの飛行機の類ではそんな無茶な機動は行えないし、よしんば行えたとしても操縦者はもれなくミンチを通り越してシートの赤いシミと化すだろう。物理法則を超越して動く事が出来るヴィマーナだからこそ、可能な機動だった。たとえ高速飛行や異常な運動を行えたとしても、それで操縦者を殺すようでは英雄王の蔵に加える価値は無い。そうした問題点を克服しているからこそ、伝説に語られる輝舟たり得るのだ。

 

「何という事だ……!!」

 

 ライダーが毒突く。こっちは一生に一度の離れ業をしかもぶっつけ本番どころか実戦の最中のアドリブで決めてやっとこさ背後を取ったのに、こうも簡単に状況を逆転されるとは。

 

「どうしますか? ご主人様……!!」

 

「キャスター、あなたは呪符を投げて牽制を。ライダー、あなたはこのままジグザグに戦車を動かして、直撃を避けて。攻撃は私がやるわ」

 

「うむ、任せるぞ!!」

 

「了解です、ご主人様!!」

 

 声を揃えたサーヴァント達の返事を聞き届けると、フィオはコートの内側に対物ライフルを入れて、代わりに全長が2メートル以上もある銃、と言うより大砲じみた兵器を取り出した。彼女のコートの内側は魔術によって空間が歪んでおり、本人より遥かに大きな物体すらそこに収納する事が可能だった。

 

 取り出した銃は先端が筒状ではなく、二本の鉄柱が突き出すようになっているのが特徴的だ。

 

「ご、ご主人様、それは……?」

 

「まさかこんな物まで使う羽目になるとは……」

 

 フィオも、自分の不幸については承知している。

 

 バカンスに行けば死徒騒ぎに出くわし、飛行機に乗れば機内が食屍鬼で溢れ返る。健康診断に行けばテロリストに病院がジャックされ、駅に行けば過激派の襲撃が重なる。

 

 彼女も学習する。冬木市に腰を据えてからの数年間にはそうした経験を活かし、「緊急時の備え」も色々と用意していた。

 

 自宅の地下にはその量たるや、シャーレイが「小さな国となら戦争出来るんじゃないでしょうか」とコメントするほどの武器弾薬が眠っている。

 

 今取り出した銃も、その「緊急時の備え」の一つ。

 

 以前にアメリカのSDI構想で同じような兵器の構想が行われたが、現在の科学では実現するのに最小でも戦艦並みの大きさが必要となるのでポシャった企画だった。

 

 フィオはこの理論に目を付け、自身の魔術と組み合わせてここまでの小型化に成功していたのである。レールガンと呼ばれるこの銃は、現時点での科学と魔術の複合、その一つの到達点と言えるだろう。

 

 当然、これに使用される弾丸にもキャスターによるエンチャントが施されている。

 

 小型・軽量化に成功しているとは言えそれでもこの銃は軽く数十キロの重量があるが、魔術によって強化されたフィオの肉体はそれを発泡スチロールのように持ち上げて構え、狙いを付ける。この間、ライダーは急降下と急上昇、ジグザグの上下左右の動きを繰り返してアーチャーに狙いを絞らせないようにし、キャスターは付け入る隙を与えまいと呪符を投げまくっている。

 

 流石にアーチャーの攻撃を完全に封じる事は出来なかったが、被害は極めて軽微。何とか戦車の装甲が一部削られただけに留める事が出来た。

 

 銃のスイッチを入れるフィオ。

 

 大容量のバッテリーから発生した電力が魔術によって増幅されて二本の鉄柱とその間に装填された弾丸へと走り、目には見えないがそれらの間に強大な磁場を形成していく。

 

 発射態勢が整った事を確認するとフィオは狙いを定め、引き金を引く。

 

 既存の銃器のような火薬が破裂する音はせず、代わりに甲高い金属の擦過音が響いた。ライダーはその高い音に思わず耳を押さえて、半獣であり人間より鋭敏な知覚を持つキャスターは思わずうずくまってしまう。

 

 音に軽く数倍する速度で弾丸が飛び出した。さしもの英霊とて初めて見る武器と弾速の二つの要素が重なり、対応が追い付かなかったのだろう。弾丸はヴィマーナの左翼に命中。エメラルドで作られた翼が砕け散り、何とも言えぬ艶やかな光景を作り出す。

 

 空中を滑るように動いていた黄金の舟が、初めて揺れた。

 

「おのれっ!!」

 

 これまでは道化の”曲芸”を見るつもりで愉しんでいた英雄王も、これには怒りを見せた。機嫌の良い笑みを浮かべていた表情が、二秒の間に憤怒のそれに取って代わった。

 

「雑種が!! 我が宝物に傷を付けるとは……!! その罪、死を以て償ってもらうぞ!!」

 

 これまでは四挺一セット程度の射撃だったのが、今回英雄王の周囲に出現した空間の歪みの数は軽くその倍、いや3倍。

 

「これは……まずいかもですよ……!!」

 

 次から次へと呪符を取り出し、投げ付けながらキャスターが焦った声を上げる。これまででも結構ギリギリだったが、あれだけの量の攻撃では……この戦車とて長くは保たないだろう。向こうが本気を出してきた。

 

 だが、フィオにはまだ勝算があった。レールガンをコートの内側に収納して、次の指示を出す。

 

「奥の手を使うわよ。キャスター、後少しだけ時間を稼いで。ライダー、私の詠唱が終わったら、戦車を急上昇させて。良いわね? 詠唱の長さは五小節!!」

 

「……勝算があるのだな?」

 

「勿論。だから頼むわよ」

 

「よし、任せておけ!!」

 

 流石のライダーもこの状況はマズイと思っていたのだろう。不安げにフィオを振り返って尋ねるが、しかしマスターの顔を見た時には、そんな心の弱さは吹き飛んだ。

 

『どんな手を使うのかは知らぬが、奏者の顔には虚勢ではない確かな自信が漲っていた。ならば、サーヴァントたる余がそれを信じずしてどうすると言うのか!!』

 

「キャスター、あなたもお願いね!!」

 

「お任せを、ご主人様!!」

 

 指示を出し終えると、フィオは早速詠唱へと移っていく。ここからは戦車が落とされるのが早いか、詠唱が終わるのが早いか。スピードの勝負となる。

 

『鳥は謳う。眩き炎を纏い、光となりて天の世界を飛び回り』

 

「もはや死に時だぞ!! 雑種!!」

 

「触れないでくださいますか?」

 

 ギルガメッシュが宝具を乱射してくるが、キャスターが戦車の周りに作り出した光の障壁に阻まれた。

 

 呪層・黒天洞。呪術によって作り出された難攻の盾。

 

 並の攻撃ならば7割以上はその威力を減衰出来るシールドだが、英雄王の攻撃にはただの一撃とて「並」は無い。最初に飛んできた数発は防げたものの、次の数発は機動を逸らすに留まり、更に第三波は障壁を突き破って、一本がキャスターのすぐ傍に突き刺さった。

 

『星々は謳う。命を燃やし、輝く光と為して』

 

「そらそらどうした!? 続けていくぞ!!」

 

「ちっ!!」

 

『歌声は響き、届き、命の光は高き天に』

 

 更に大量の宝具が乱射されるが、ライダーはヴィマーナには及ばないものの急加速と急制動を繰り返し、絶妙にアーチャーの狙いを外していく。

 

『光は輝き、導き、巡り、廻り』

 

 詠唱はあと一小節。

 

 だがその後一歩という所で、宝剣が飛来する。既に呪層・黒天洞は破れており、ライダーも今は回避動作中なので更にそこへ飛んでくる攻撃は避けられない。

 

 それを見て、キャスターが呪符を取り出す。彼女の攻撃ではあの宝具の弾丸を撃ち落とせないのは証明済み。だが。

 

「気密よ、集え!!」

 

 呪相・密天。自然界では有り得ない強さの風を纏った呪符は、その風圧によって魔弾の弾道を逸らす事に成功した。

 

「今です、ご主人様!!」

 

『そして光は。地へと墜ちる』

 

「!!」

 

 詠唱の完成。ライダーはそれを確かめると思い切り手綱を打って四頭の神馬に命じ、戦車を急上昇させる。同時に。

 

「開け。遍星丘」

 

 戦車と飛行機械。その二つの前方に、突如として丘が出現した。

 

「何っ!?」

 

 ライダーはフィオの指示通り「日輪の戦車」を急上昇させたから無事だったが、ヴィマーナは操縦者であるアーチャーがこの状況を予想出来なかった事もあって回避が間に合わず、そのまま丘陵へと突っ込んだ。

 

 それでも、ギルガメッシュが冷静であればヴィマーナの性能を活かして衝突を回避する事が出来ただろう。だが今の彼は自慢の宝具を疵物にされた事で頭に血が上っており、更にヴィマーナ自体も左翼の破損によって完全にはその性能を発揮出来なかったのだ。

 

 古の飛行船が座礁し、燃え上がるのを眼下に捉えながら、ライダーは大きく息を吐いた。いくら事前に教えられていたとは言え、かなり際どいタイミングだった。車輪が少しだけ、地面を擦った気がするし。

 

 一歩間違えば、余らもこの戦車ごと、あの黄金の舟と同じ運命を辿っていたという事か……

 

 そう思うと、抑えられていた汗が一気に噴き出してくるようだった。

 

「それにしても……」

 

「これは……」

 

 二騎のサーヴァントが視線を上げる。そこには、星空が広がっていた。それも先程までの冬木市の星空ではなく、恐らくはこの地上のどんな場所から見上げる星空とも違う。

 

 まるで世界中の空に存在する星を全て掻き集めてきて作ったような星穹が、視界一杯に広がっていた。

 

「こんなものまで使えるとはな……」

 

「固有結界、とは……」

 

 リアリティ・マーブル。術者の心象世界を形として現実を塗り潰す、魔法に最も近いとされる大魔術。本来は悪魔や精霊のみが操る事の出来る異能であるが、長い年月の中で心象世界を構築する魔術の研究が進み、現在では人間の魔術師でもトップにカテゴライズされる術者であれば短時間の結界形成を可能としている。

 

 最強の魔術師として誉れも高いフィオは、間違いなくそのカテゴリに含まれていた。

 

「これが……奏者の心の景色か……」

 

「綺麗ですねぇ……」

 

 天に広がる数多の星々によって、昼の如き光量を誇る夜の世界。そして大地は緑為す平原。それがフィオの固有結界にして心象風景「遍星丘」のカタチだった。

 

 ある叙事詩には、失われた友の理性を取り戻す為に馬車で以て月の世界にまで旅した騎士の逸話がある。ひょっとしたら彼の騎士もこんな景色を見ていたのだろうかと、キャスターは心の片隅で思う。

 

 ライダーは戦車を大きく旋回させると着地させ、小高い丘に座礁したヴィマーナの正面に停止させた。

 

「やったのか……?」

 

 燃え上がる古代機械を睨みながら、ライダーが言う。フィオもキャスターも難しい顔のまま、答えない。

 

 だが巡航する航空機並の速度で突っ込んだのだ。サーヴァントであるアーチャーは助かっても、人間であるマスターの方は無事では済むまい。しかし、もしそうだったとしても油断は出来ない。あのアーチャーはかなり高いレベルの単独行動スキル持ち。マスターを失っても(勝ったとしても現界できる時間が著しく短くなるだろうリスクを考えないのならばだが)一戦ぐらいならば問題は生じるまい。迂闊に近付いては手痛い反撃を受ける。

 

 その旨を伝えられ、マスター共々用心深く炎を睨むライダーとキャスター。

 

 十秒ほどが過ぎて、炎の中から二つの人影が姿を現す。アーチャーと、時臣だ。時臣の方は流石に今の激突が堪えたのか足取りがふらふらとおぼつかないが、二人とも決定的なダメージを受けた様子は無かった。

 

「マスターも、無事だと……?」

 

「……恐らく、咄嗟に令呪を使って自分の身を守らせたのね」

 

 今の奇策で少なくともマスターは仕留められたと見ていただけに、この結果にはフィオも苦笑いする。

 

 だがこれで遠坂時臣の残り令呪は一画のみ。簡単には切り札を切れなくなった。となれば……

 

「ライダー、キャスター。アーチャーとの決着はこの結界内で付けるわよ」

 

「うむ!!」

 

「承知しました!!」

 

 展開した固有結界は、世界からの修正力を受け続ける為に維持には膨大な魔力を必要とする。如何にナンバーワンの魔術師であるフィオとて、二騎のサーヴァントへの魔力供給まで同時に行っている現状では、二人へと回す戦闘用の魔力も計算に入れれば維持出来るのは長くて5分。

 

 短期決戦だ。

 

 ライダーは手綱を握り直し、キャスターは彼女の宝具である鏡を取り出す、が……

 

 二人と、それにフィオは仁王立ちするギルガメッシュの表情を見て、顔を固まらせた。

 

 彼女達をして怯えさせるほどに恐ろしい憤怒の顔をしている。の、ではない。

 

 笑っている。穏やかに、笑っている。ぴんと立っていた金色の髪が、前に落ちた。

 

「決めたぞ、貴様ら」

 

 その声も、先程までのような怒りによって荒げられたものではない。静かで、だがそれ故に重く。原初の英雄王の宣告が、フィオの世界に響いていく。

 

「この我が、手ずから殺すとしよう」

 

「なあ……奏者よ……」

 

「うん?」

 

 頬に冷や汗を垂らしたライダーが、言った。

 

「これは、拙くないか?」

 

「……拙いわね」

 

「ですよね……」

 



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第11話 二騎の脱落

 こいつは、強い。今まで出会ったどんな敵よりも。

 

 経験と本能によってそれを悟ったフィオの決断は迅速であった。彼女の背中に、光り輝く剣と三対六枚の翼が浮かぶ。

 

「ライダー!! キャスター!! 『この戦い、汝らが持つ全力全能を以て勝利せよ!!』 互いに一画ずつ、令呪を以て命ずる!!」

 

 両翼は散り、下された絶対命令は二騎のサーヴァントの意志と符合しているが故に、令呪の魔力は彼女等の能力を高めるブーストとして使用される。

 

 そして「全力全能を以て」という一節。”サーヴァントとして持ち得る全ての能力を使え”という言葉。その、意味する所は。

 

「了解したぞ、奏者よ!! 我が才を見よ、万雷の喝采を聞け!! インペリウムの誉れをここに!! 咲き誇る花の如く!! 開け、黄金の劇場よ!!」

 

「承知しました、ご主人様!! 出雲に神在り、審美確かに魂に息吹を。山河水天に天照す。是自在にして禊の証、名を玉藻鎮石、神宝宇迦之鏡也!!」

 

 二騎が持つ宝具、その真名解放の許可。

 

 瞬間、フィオの心象によって塗り潰された世界が更にカタチを変える。

 

 出現したのは、目も眩むばかりの金色に装飾された劇場。ライダーの願望を実現させる絶対皇帝圏。生前の彼女がローマに建設した黄金の劇場が千年以上の時を経て、現在に蘇ったのだ。

 

 固有結界は(例外もあるが)術者個人が持つ「心の景色」による世界の「改変」。人の心は互いに不可侵であるが故に、他の固有結界で上塗りする事は出来ない。ライダーは世界を塗り替えるのではなく、大魔術にして彼女の宝具『招き蕩う黄金劇場』(アエストゥス・ドムス・アウレア)をフィオの世界に「書き加えた」のだ。

 

 彼女の為の一人舞台。それが完成すると、ほぼ同時に。

 

「”水天日光天照八野鎮石”(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)!!」

 

 キャスターも高らかに真名を唱え、自らの宝具たる鏡に秘められた力を解放する。溢れ出た魔力が一時、無数の社・鳥居を形作り、やがてその魔力はキャスター自身と、それにライダーとフィオへも注ぎ込まれる。

 

 キャスターの持つ鏡は、後の八咫鏡であり天照大神の神体。真の能力を完全に解放すれば死者さえも蘇らせる事の出来る、冥界の神宝である。

 

 彼女単独であればこの「鎮石」の力は、精々が短い時間だけ魔力消費に気兼ねする事無く呪術を使用する事が出来るようになる程度。だが、この宝具の本来の使い方は味方の大軍勢の支援・強化である。現状、キャスターの”軍勢”は彼女を含めて3名。完全とは言えないにせよ、本来の使い方に近いレベルでの運用が出来ている。

 

 しかも今回のケースでは、彼女にも予想出来なかった嬉しい誤算があった。

 

「おおっ!! こやつらまで随分と調子が良くなったようだぞ!!」

 

 戦車を牽引する四頭の神馬達が大きく嘶き、纏う炎の勢いが今まで見た事も無いほどに強くなる。

 

 それも当然。彼等はライダーが比肩すると信じて疑わなかった戦車御者ソル、つまり太陽神の眷属達。同じ太陽の属性を持つ「鎮石」は、神馬達に対しては通常以上の効果を発揮していたのだ。

 

 愛剣『原初の火』を抜き放ったライダーは、仕上げとばかりに自らのスキル「皇帝特権」を発動させる。

 

「今回は騎士王の力を借り受けるとしよう!!」

 

 今、彼女が取得したスキルはセイバーが持つ直感:A。未来予知にも近い第六感の能力。これで準備は万端整った。

 

「ようし!! では共に征こうぞ、奏者!! キャスター!!」

 

 ライダーは手綱を打ち、戦車を発進させる。

 

「はあっ!!」

 

 令呪「劇場」「鎮石」の三重ブーストが施された戦闘馬車はたった一歩で最高速に達すると、周囲を埋め尽くすほどの金色の中にあって、尚その輝きを示し続ける黄金の英霊、アーチャーへ向けて突進していく。

 

「ぬうっ……!!」

 

 アーチャーのマスターである時臣は、与えられた透視力によって向かってくる敵サーヴァントの状態を正確に読み取る事が出来ていた。

 

 これは、如何な英雄王とて生半な攻撃で倒せる相手ではない。

 

「王よ……!!」

 

 同じ事をギルガメッシュも感じていたのだろう。

 

「無粋な真似はするなよ? 時臣……」

 

 迎撃の為、普段であれば彼の背後に無数の宝具を出現させる「王の財宝」(ゲートオブバビロン)だが、今回は手元にたった一つの空間の歪みが出現しただけに留まる。

 

 つまりそれは、そこから取り出されるたった一つが、他の数千の宝具に比して尚勝る程に英雄王が信を置く切り札であるという事に他ならない。

 

 ”それ”が取り出されようとするのを見て時臣が自陣の勝利を確信した、その時だった。

 

「廻り、巡り、流れ、墜ちよ」

 

 ドオン!!

 

 突如として、轟音。劇場の天蓋が崩れる。

 

「何っ!?」

 

「何だと!?」

 

 これにはギルガメッシュと、同時にライダーも驚愕を見せた。この破壊は彼女の仕業ではない。元より、彼女にそのような能力は無い。

 

 ならば、何故? その答えはすぐに出た。

 

 崩落した瓦礫を押しのけるようにして、炎を纏った星がギルガメッシュと時臣めがけて落ちてくる。

 

「ぬうっ!!」

 

 咄嗟に、ギルガメッシュは王の蔵より宝剣を射出してその星を撃墜した。だが、それで終わりではない。

 

 天井が次々破られて、同じ星が無数にアーチャーとそのマスターへと飛んでくる。

 

「おのれっ!!」

 

 アーチャーの手元から空間の歪みが消失し、代わりに背後の空間から剣群が出現。矢継ぎ早に発射され、降り注ぐ星を撃ち落としていく。

 

「余の劇場が……」

 

「ご主人様……これが、ご主人様の固有結界の力ですか……!!」

 

「ごめんなさいね、ライダー。天井が開くのを待つ暇は無くてね……!!」

 

 自慢の黄金劇場が壊れたのと、それを行ったのが敵ではなく味方の攻撃であった事に二重の衝撃を受けた様子のライダーと、マスターの固有結界の能力に、驚きを隠し切れないキャスター。フィオはそんな二人に対して、苦笑して応じる。

 

 これが、かつて二十七祖に次ぐ程の死徒とその配下である死徒・死者合わせて千にも及ぶ軍勢を一夜にして殲滅した力。

 

 逃げ場も遮蔽物も無い平野へと敵群を引きずり込み、草花咲き乱れる桃源郷の如き景観が完全に消えて無くなり、荒涼たる世界へと姿を変えるまで続けられる流星群による広域空爆。それがフィオの固有結界「遍星丘」の力だった。

 

 降り注ぐ”星”は一発一発が並の死徒ならば一撃の下に屠り去るだけの威力を内包しているが、サーヴァント相手では流石に心許なくはある。だが今回、キャスターの宝具の効果はフィオにも及んでいた。よって結界の力も強化され、対魔力Cに加えて強固な鎧を持つアーチャーにもダメージを与える事が可能になっていた。

 

 倉庫街で見た時に比べて明らかに雰囲気を変えたアーチャーと、たった一つだけ取り出そうとした宝具。この二つから次に使用される物こそが奴の切り札だと、フィオはすぐに理解した。

 

 だがそれほどの宝具ならば恐らくはランサーが持つような常時発動型ではなく、真名解放により絶大な威力を発揮するタイプ。

 

 ならば、それを封じる為には?

 

 答えは簡単、その暇を与えなければ良い。

 

 彼女はそう考えて、無数の星をアーチャー陣営の頭上に降らせたのだ。

 

「成る程な」

 

 ゲートオブバビロンの弾幕によって星の弾幕を迎撃しながら、ギルガメッシュもその狙いを読み取っていた。彼の前上方では今、空から降る燃える星と宝物庫より流星の如く飛び出す宝物とがぶつかり合い、恐ろしくも美しい光景が広がっている。

 

 確かに、目の付け所は悪くない。彼の”切り札”は、真名解放中には風が吹き荒れて武器を散らしてしまい(元々それほど精度が高い訳でもないが)正確な射撃が出来なくなるので「射出」との併用は実質的に不可能。弾幕を張りながらでも”切り札”を抜き、真名を口にする所までは問題無く行える。だがこれほどの物量相手では、迎撃に撃ち出している武器が吹き散らかされて”切り札”が放たれるまでの数秒ほど時間で、頭上に星が落ちるだろう。

 

 勿論フィオがそれを知っている訳もないが、彼女の読みは全て当たっており、ギルガメッシュの切り札を封じる事に成功していた。

 

「確かに、良い読み、良い狙いだ」

 

 この時点までは。

 

「が」

 

 ギルガメッシュは戦法を変えた。宝剣宝槍の射出による迎撃ではなく。

 

 彼の前方の空間が波立ち、波紋の中から今度は7枚の花弁を持つ花が顔を出し、広がる。

 

 その”花”はまるで傘のように降り注ぐ”雨滴”を全て受け止め、防ぎ切り、アーチャーにはその余波さえも通さない。

 

 フィオは流星群を集中させて墜としてみるが、効果は薄い。花弁の一枚が散ったものの、”花”そのものはびくとも揺るがない。

 

「むうっ……金ぴかの奴め……空飛ぶ舟の次はあんな物まで!!」

 

「恐らくあれは、投擲や飛び道具に対して有利な概念を持つ宝具です。ライダー、もっと早く!! 相手はアーチャー、こっちは距離を詰めなきゃ話になりませんよ!!」

 

「分かっておる!! だが……!!」

 

 キャスターに言われるまでもなくライダーは戦車を全力で走らせている。だが、間に合うまい。それは彼女自身にも、フィオにも、文句を言っているキャスターにも分かっていた。

 

 フィオの攻撃によって僅かながら時間は稼げたが、肉迫して先手を取るには足りなかった。宝具の真名解放を許してしまう。

 

「……くっ……どうする!?」

 

 見れば障壁によってひとまずの安全を確保したアーチャーは再び出現させた空間の歪みの中に手を突っ込み、今度こそ”切り札”を掴んでいた。

 

 そうして彼が引き抜いたのは、異形の武器だった。「剣」という概念が生まれる前に造られた剣。

 

 柄があり、鍔があり、一見すれば剣に見える。だが、刀身に当たる部分に代わってそこあるのは、重なり積まれた三本の円柱。それがドリルのように回転して唸りを上げる。

 

「なっ……」

 

「あれは……」

 

「拙いぞ……!!」

 

 それを見た3人は、特に現在皇帝特権によって最高度の直感を得ているライダーは一目でその宝具の危険性を理解した。

 

 あれは、ヤバイ。

 

 円柱の回転は徐々に強くなり、紅色の魔力が渦を巻く。

 

『放たれる前に止めるのは……無理か……だが絶対に、ただ放たせる訳には行かぬ……!!』

 

 ならばどうやって? 方法は?

 

 自分達にとって最適な展開を感じ取るスキルが役に立たないほどに、状況は不利。絶望的。第六感はフルボリュームで警鐘を鳴らしまくっている。

 

『いや……まだ手はある』

 

 何千という悪い未来のヴィジョンが浮かぶ中で、ライダーはその中の唯一つ、最善の選択肢を感じ取る事に成功していた。

 

 僅かなミスで全てがオジャンになる、薄氷の道を全力疾走するような行為だが……しかし、それしかない。

 

「キャスター!!」

 

「え、私!?」

 

「任せるぞ!!」

 

 説明している時間が無い故、ライダーはそれだけしか言わなかった。フィオも、事ここに至っては口出ししない。こうなったら自分のサーヴァントをトコトン信じるだけだ。少しでもアーチャーを牽制しようと、更に落星を集中させる。

 

 丸投げされたキャスターは生前からの明晰な頭脳をフル回転させ、自分が選び得る選択肢の、その最適解を探す。

 

『呪層・黒天洞による防御?』

 

 否。まだ真名が解放されてはいないが、あの剣に宿る魔力は軽く対城宝具クラスを超えている。呪術による防壁など、焼け火箸の前のティッシュペーパー程度にしか役立つまい。

 

『呪相・炎天、氷天、密天いずれかによる相殺?』

 

 否。あれほどの魔力が変換された際の破壊力たるや、想像出来るが想像したくない。洪水に水鉄砲で立ち向かうようなものだ。10000の威力を9999にした所で意味は無い。

 

 ならば何だ!? 自分がやるべき事は!?

 

『落ち着け、落ち着くんですタマモ!! 兎に角、私達にはアレを撃たせない事は無理!! だから何とか撃たせた後に防ぎ切るか、威力を弱めるしかない!! でもどうやって!? あれほどの魔力を!? ……魔力?』

 

 はっ、と気付く。そうだ、一つだけある。自分にしか出来なくて、最も効率良くアレの威力を弱める手が、一つだけ。

 

 魔術師の表情から迷いが消える。背中越しにそれを感じ取って、ライダーはニヤリと口角を上げた。

 

「良いか、チャンスは一瞬だぞ!!」

 

「ええ!! あなたこそ戦車の操作をミスらないで下さいよ!!」

 

 二人がその僅かな道筋を見出すのと、アーチャーが攻撃態勢を整えるのはほぼ同時だった。

 

「いざ仰げ……!!」

 

 前方の空間に固定されていた”花”の防壁は傘に例えられたが成る程、台風の日の傘のように頼りなく、今やギルガメッシュが手にする剣が巻き起こす風に煽られて、次の瞬間にも飛んでいきそうなほど震えている。

 

 だが構わない。ここまで保てば、後は一瞬でカタが付く。

 

「”天地乖離す開闢の星”(エヌマ・エリシュ)を!!」

 

「その魔力、分けて貰いますよ!!!!」

 

 極限まで高められた魔力が恐るべき破壊力へと姿を変える直前、キャスターが呪術を発動させた。

 

 呪法・吸精。

 

 対象の魔力を吸収して己の物と変える呪術。今回キャスターが対象として選んだのはアーチャー自身ではなく、彼の手にする唯一無二の宝具”乖離剣エア”。

 

 充填していた魔力を吸い取られ、円柱の回転が鈍くなっていく。

 

「悪足掻きを!!」

 

 それにも構わずギルガメッシュは宝具の力を解き放ち、同時にライダーは戦車を急上昇させて回避行動を取る。

 

 吹き荒れる滅びの風。迫っていた星はアーチャーの展開した防壁宝具ごと一瞬で消し飛び、黄金の劇場が粉微塵になって吹っ飛び、クレーターだらけの平原にも地割れが生じて引き裂かれていく。

 

「これは……!!」

 

 上空より自分の世界が切り裂かれていくのを目の当たりにしながら、フィオは思わず御者台から身を乗り出してギルガメッシュの剣を睨んだ。

 

「あの剣は、対軍宝具でも対城宝具でもない。空間を切り裂くこの力。森羅万象を崩壊させる対界宝具……!!」

 

「余の劇場が一発で吹き飛ぶとは……!! パワーダウンしてこれなら、本来の威力たるやどれほどのものか……!!」

 

「とんでもないですね……!!」

 

 だがさしもの対界宝具も、今回はその威力を十全に出し切れていなかった。固有結界は一部に亀裂が入れられて綻びが生じたものの、まだ何とか形を保っている。

 

 エヌマ・エリシュはバビロニア神話に語られる世界最古の創世記。まだ世界に天と地が存在しなかった時代に、それが分かたれた時の物語。

 

 その逸話の具現たる剣ならばまさに天地、即ち世界を分かつ力を持ち、まともに放たれたならライダーの劇場もフィオの世界もまとめて、ひとたまりもなく崩壊していただろう。

 

 しかし今回は、乖離剣が全能力を発揮出来ない二つの要因があった。

 

 一つはライダーの劇場。これが展開している間、そこは彼女の独壇場であり、敵は望む望まざるに関係無く全て脇役・やられ役を押し付けられる。故に”ギルガメッシュが持つ力”はその時点で幾分削られていた。

 

 そして破壊力が解放される直前で行われたキャスターによる呪法・吸精。魔力を奪われたエアは、これまた威力を削がれていたのだ。

 

 如何に乖離剣エアの真名解放「天地乖離す開闢の星」に世界を引き裂く力があろうとも、それは最大出力を発揮する事が出来てこそ。どちらか一方ならば兎も角、二重のパワーダウンを受けては本来の力など、望むべくもなかった。

 

 ……とは言えそれでも尚対城宝具に比する威力を発揮、ライダーの劇場を一撃で崩壊させ、フィオの世界に巨大な亀裂を走らせる辺りに対界宝具の恐ろしさが垣間見れる。

 

 フィオ達がこの程度の被害で済ませられたのは、いくつもの要素が重なったからである。

 

 まずライダーが、直感スキルによってこの可能性を感じ取れた事。

 

 キャスターが僅かな時間で、そのたった一つの活路に気付けた事。

 

 フィオの「流星」によって最初にギルガメッシュに迎撃行動を取らせた分、僅かながら近付く時間が稼げて、更に宝具同士の相性の良さからライダーが操る神馬達が「鎮石」によって大きく強化されて疾走速度が向上、エアが撃たれる前にキャスターの射程距離にまで近付けた事。

 

 そしてアーチャーが既に真名解放を行い後は放つだけとなって、宝具が発動する数瞬前。吸収された分の魔力を新たに補充出来ない、あるか無いかの瞬間に呪法・吸精を決められた事。

 

 これらはサーヴァントのみの能力では為し得ない、あるいは一つ一つが成功する可能性が恐ろしく低い綱渡りの連続だったが、最初にフィオが使った令呪「全力全能を以てこの戦いに勝利せよ」という命令は間違い無く実行されていた。二騎のサーヴァントは勝利する為に最良の選択を選び続け、全くミスをせずにこの結果を手繰り寄せたのだ。

 

 そして、ピンチの後にこそチャンスあり。どんな強力なサーヴァントも、あれほどの威力を間断無く連射する事など絶対に不可能。最強の英霊である英雄王ギルガメッシュとて、例外ではない。

 

「征くぞ!! 今こそが勝機!!」

 

 右手の『原初の火』を振りかざし、左手で手綱を打って戦車をアーチャーめがけて急降下させるライダー。彼女の言う通りアーチャーは大技を放った疲労でまだ素早く動けない。攻めるのならここしかない。

 

 しかし5メートルの距離にまで迫った瞬間、

 

「!!」

 

 走る、悪寒。

 

 借り物の直感が、危険を叫ぶ。

 

「奏者!! 逃げろ!! キャスター、奏者を守れ!!」

 

 無根拠の警告に従い、ライダーはフィオの胸ぐらを掴むと思い切り投げ飛ばした。キャスターも一瞬遅れたもののその後を追って、御者台から飛び出す。

 

 次の瞬間。

 

「天の鎖よ!!」

 

 戦車の周囲に出現した空間の揺らぎから鎖が伸びて、神馬ごと戦車が絡め取られてしまう。

 

 これぞ英雄王ギルガメッシュが唯一の友の名を冠し、エアに劣らぬ信を置く対神兵装「天の鎖」(エルキドゥ)。天の牡牛を仕留めた逸話を持ち、神性の高さに応じて強度を増す鎖。太陽神の眷属たる神馬達は、その格好の獲物だった。炎を吹き上げて逃れようとするも、巻き付いた鎖は小揺るぎもせず軋み一つ上げない。

 

 フィオはギルガメッシュからやや離れた位置に着地する、一拍遅れてキャスターも。更に一拍の間を置いて、ライダーもまたアーチャーの眼前に降り立った。彼女もフィオを投げ飛ばした後、すぐに戦車から飛び出していたのだ。

 

「アーチャー、覚悟!!」

 

 突進するライダー。迎え撃つギルガメッシュ。『原初の火』とエアが衝突する。

 

 響く、金属音。

 

「あ……」

 

 弾かれて宙に舞ったのは、曲がりくねった刀身を持つ赤い剣。

 

 乖離剣は騎士王の聖剣と同じ神造兵装にカテゴライズされる中でも、頂点の一振り。ただの剣として使ったとしても、どんな英霊のいかなる武器にも引けを取らない。

 

 そして、繰り出された突きがライダーの胸を貫き、彼女の衣装と同じ赤い花を咲かせた。

 

「ごほっ……!!」

 

 咳き込み、血の塊を吐き出すライダー。

 

「惜しかったな、バビロンの妖婦」

 

 返り血を浴びながら、ギルガメッシュは唇を歪める。

 

 だが。

 

「……捕らえたぞ、アーチャー」

 

 胸を貫かれ、口元には凄絶な血化粧を施しながら、ライダーの両手がギルガメッシュを掴む。

 

「貴様っ!!」

 

 振り解こうとするアーチャーだが、致命傷を受けながらもライダーの力は強く、彼の動きを封じて放さない。今の彼女は確かに心臓を貫かれて霊核を破壊され、保って後数十秒の命。だがそんな今際の際にあっても、彼女の力は衰えない。

 

 「劇場」が崩壊しても、令呪と「鎮石」による二重のブーストは未だ彼女の能力を高めており、一時的ながらその細腕にAクラス相当の筋力を宿らせていた。筋力Bのギルガメッシュでは抗えない。

 

「往生際の悪い……!!」

 

 トドメを刺さんと、ライダーの背後の空間にゲートオブバビロンを出現させるギルガメッシュ。ここから更に宝具の攻撃を受けては、強化されたライダーとて倒れる他は無いだろう。故にその前に、次の手を打つ。

 

「キャ……ス、ター!!」

 

「「!!」」

 

 血を吐きながら、ライダーが叫ぶ。魔術師のサーヴァントはその意図を読み取り、そして僅かの時間も躊躇わずに”次の手”を実行に移していく。

 

「いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花……」

 

 詠唱が始まる。二人に対して用いられた令呪の効果は未だ続いている。全ての能力を以て勝利せよ。そう命じられたライダーとキャスターは、眼前の敵に勝利する為の最短の行動を取る。

 

 例え、自らの身を犠牲にしようとも。

 

 例え、仲間をその手に掛けようとも。

 

「ごめんなさい、ライダー……!! ”常世咲き裂く大殺界”(ヒガンバナセッショウセキ)!!」

 

 ライダーとギルガメッシュを中心として発生する障気。魔力を持たぬ者ならば触れただけでその肉が腐れ落ちるほどに極濃のもの。

 

 それは九尾の妖狐が討たれた後、姿を変じたという殺生石。毒気を撒き散らし周囲の命を見境無く殺めたという逸話の具現。キャスターが操る呪術の中で、最高の破壊力を持つ大呪術。

 

「王よ……!!」

 

 もうもうと立ち込める毒気に触れないよう遠巻きに構えながら、時臣が叫ぶ。障気の中から、返事は返ってこない。流石の彼も動揺のあまり、手元の令呪を確認する事を忘れていた。

 

「キャスター……ライダーは……」

 

 主の問いに半獣のサーヴァントは答えず、ただ首を横に振るだけだった。代わりに、

 

「これで倒せてないと……私達的に詰むんですが……」

 

 引き攣った笑みを浮かべ、もうもうと立ち込める障気を睨みながらそう言う。魔術とは体系を異にするが故に対魔力を突破出来るキャスターの呪術であるが、高い威力を発揮する為には相応の長さの詠唱が必要な点では共通している。

 

 これで倒せていなければ、あの乖離剣にも乱射される宝具群にもキャスターは為す術がなくなる。アーチャーはフィオの固有結界も防御できる手段を持つ事が証明された訳だし、事実上今の一撃で、この戦いの勝者が決定したと言って良いだろう。

 

 果たして賽の目は丁半、いずれに出たのか……

 

 障気が徐々に薄れ、中の様子が見えるようになってくる。毒霧に、ゆらりと人影が映る。

 

 がしゃり、と鎧の音が聞こえる。

 

「!!」

 

「ま……まさか……」

 

 毒気を払うようにして現れたのはアーチャー、英雄王ギルガメッシュ。キャスターの呪術は纏っていた黄金の鎧が破損して上半身裸になり、肌の数カ所が毒によって変色している事からダメージは確かに与えていたが後一歩、その命には届いていなかった。

 

 英雄王は地に倒れ伏すライダーを踏み越えて、フィオとキャスターへと向かってくる。

 

「見事、と褒めておくぞ……業腹だが……鎧が無ければ今の一撃で、我の命は奪われていたろう」

 

 英雄王の蔵に収められているのは剣も、酒も、道具も、全て至高の逸品。その中から彼が選び出して常にその身に纏うほどの鎧である。これは本人の対魔力とは無関係に高い防御力を発揮し、担い手の命を救ったのだ。

 

「褒美だ……今度こそ、このエアの真の力を見せてやろう」

 

 三本の円柱が再び回転を開始し、対界宝具に魔力が収束していく。先程の手は二度と通用しないだろう。仮に成功したとしても、ライダーの戦車が無い以上減衰した威力でも対城宝具クラスはあるのだ。二人にはかわす手段も防ぐ術も無い。

 

「ご主人様、逃げ……!?」

 

 ならばせめて我が身を盾とすべくキャスターが前に出て、そして表情を凍り付かせた。

 

「なっ!?」

 

「バカな!?」

 

 僅かに遅れて、フィオと時臣の顔も同じように固まる。

 

「がっ……!?」

 

 何が起きたのか? 最も理解に苦しんでいるのは、ギルガメッシュであっただろう。焼けるような痛みと共に、自分の胸から剣の切っ先が突き出てきたのだから。

 

「バ……カな……貴様は……!!」

 

 振り返るギルガメッシュ。背後から『原初の火』で以て彼を貫いたのは、やはりと言うべきか、その担い手であるライダーだった。

 

 しかし、有り得ない。先程のエアは確かに彼女の心臓を刺し貫いて霊核を破壊した筈なのだ。戦闘続行のスキルを持たない彼女にここまでの行動が出来る筈がない。ならば、何故?

 

「残念だがアーチャーよ。此度はまだ、余が落日を迎えるには早かったようだ」

 

「ライダー……あなたは……」

 

「蘇生(レイズ)、だと……!?」

 

 フィオと時臣。二人のマスターに、更新されたライダーのステータス情報が流れ込んでくる。

 

 『三度、落陽を迎えても』(インウィクトゥス・スピリートゥス)。フィオですら知らなかった、「戦車」「劇場」に続くライダー第三の宝具。その正体は蘇生能力。

 

 国を追われたネロが自害した三日後、一人の兵士が亡骸へと外套をかけた際、彼女は「忠義、大儀である」と最後の言葉を遺したという逸話がある。それに因むこの宝具はライダーが死を迎えた瞬間に発動、彼女を一度のみ蘇生させるのだ。

 

 発動のタイミング、つまりライダーの死因となったのはキャスターが放った「常世咲き裂く大殺界」であった。もし、エアが彼女の胸を貫いた時、僅かでもキャスターが呪術の発動を躊躇っていたなら、ライダーは蘇った瞬間に再び呪術に巻き込まれて死に、今の一撃は無かったであろう。

 

 キャスターがタイムラグを挟まずに呪術の行使を行えたのは、令呪の命令があってこそだった。結果的にだがフィオの命令はライダーと、それにキャスターと彼女自身をも救っていたのだ。

 

 心臓を貫き、確かにアーチャーの霊核を破壊出来たのを確認するとライダーは『原初の火』を引き抜く。だがその佇まいに油断は無い。

 

 自分がそうだったのだ。この金ぴかもまた、いかなるスキルか宝具によって復活するか分からない。

 

 しかし、今回はその警戒は杞憂のようだった。ギルガメッシュの体は、少しずつ光の砂のように変わり、崩れていく。

 

「2……いや、3対1とは言え、この我が倒されるとはな……これほど心躍る戦いは……久方振りであった……」

 

 消滅を間近に控え、しかし原初の英雄王は衰えぬ威光と共に言葉を紡いでいく。

 

 その視線が、彼の臣下でありマスターたる者へと向いた。

 

「……時臣」

 

「……は」

 

「褒めてつかわすぞ。お前によって現世に招かれたが故に、これほどの者達と出会えたのだからな……」

 

 消えていく王を悼むように、時臣は胸に手を当て深く礼をする。目の前に立つ男は真の英雄王ギルガメッシュではなくその写し身、コピーのようなものだと御三家の一角たる彼は承知している。

 

 ……それでも、この最期の時ぐらいには心よりの敬意を持って接し、見送ろう。それがこの聖杯戦争の敗者としての、自分の最後の役目。そういう想いからの最敬礼であった。

 

「ではな……バビロンの妖婦、傾国の女、そしてそのマスターよ……この我を破ったのだ……我が許す。聖杯は、しばらく貴様らに預けておこう……いつの日か我が手に返す時まで、他の何者にも渡すなよ……!!」

 

 その言葉が最後だった。英雄王の肉体は金色の魔力粒子となって崩れ、散り、消えていった。

 

「王よ……」

 

 右手から最後に一つ残った令呪が消えていくのを確かめて、時臣は静かに目を閉じた。

 

『私の戦いは、ここまでか……』

 

 だが、遠坂の悲願が終わった訳ではない。私には出来なかったが凛が、凛で届かなくても桜が、いつか必ず……!!

 

「苦しい戦いだったな、奏者、それにキャスターよ……」

 

「あの、ライダー……」

 

 力を使い果たしたライダーがふらふらと歩み寄って来るのを見て、思わずキャスターは視線を逸らしてしまう。

 

 結果的にはこうして生きているとは言え、彼女の命を奪ったのは間違いなくキャスターの呪術だ。それを思うと、どんな顔して向かい合えば良いのか……彼女には分からなかった。

 

「気にする事ではない、キャスター。余が奏者を守ろうとしたように、そなたも奏者を守ろうとしたのだろう?」

 

「…………」

 

「そして奏者も余らを守ってくれたのだ。この3人の誰一人が欠けても、こうして言葉を交わす事は叶わなかったろうよ」

 

「ライダー……!!」

 

「二人とも、ご苦労様」

 

 フィオは自分のサーヴァント達を労うように肩に手を置くと「そろそろ帰りましょうか」と言いつつ「遍星丘」へと視線を動かした。

 

 即時の崩壊は免れたとは言え、エアの解放によって世界そのものに亀裂が走っており、維持にも限界が近付いてきている。

 

 ライダーは「あいわかった」と頷くとギルガメッシュの消滅に伴い「天の鎖」より解き放たれた戦車を呼び寄せて御者台に飛び乗る。それに続いて、フィオとキャスターもそこに上がる。

 

「遠坂時臣、あなたも乗ると良いわ。教会まで、送っていくから……」

 

「いや、私は……」

 

 プライドからかフィオの申し出を辞退しようとする時臣だったが……

 

「悪い事は言わん、奏者の好意に与っておいた方が良いぞ? そなた、忘れてはおらぬか? ここは高度数千メートルの上空だと」

 

「ご主人様が結界を解いたら、瞬間あなたは真っ逆さまですよ。いくら気流制御と質量制御の魔術を使ってもこの高度、地面に付く前に凍死しちゃいますよ?」

 

 サーヴァント達に脅すように言われて、受ける事にした。御者台へと上る。ライダーの戦車は流石に4人が乗るには狭く、かなりぎゅうぎゅうに詰める事になった。

 

 時臣とフィオの体は満員電車の中のように近付き、悪意があれば彼女を害する事も出来る間合いだが……止めておいた。

 

 例えサーヴァントであろうと、この戦いは英雄王ギルガメッシュによる尋常の決闘であった。これは遠坂時臣が示す事が出来る、彼の王への最初で最後の、真の敬意。王はフィオ達こそが聖杯を手にするに相応しいと認めたのだ。仮初めであろうと臣であった自分がその決定を覆すような不敬が許される訳がない。

 

「では、行くか!!」

 

 3人の乗客がしっかり乗り込んだのを確認すると、ライダーは手綱を持って「良いぞ、奏者」と、フィオに合図する。フィオもそれに頷き、そして固有結界を解除する。

 

 星空と月面のようになった平原が消えていき、代わりに夜の雲海が姿を見せる。その中を、炎を纏った戦車は悠然と進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「……遅いな……」

 

 ビルの屋上からワルサーに取り付けられたスコープ越しにフィオの自宅・玄関付近を監視していた切嗣は、焦れたように呟く。

 

 時間から言えば二つの陣営の決着は既に付いていてもおかしくないのだが……

 

 フィオが帰ってこない理由としては、いくつか考えられる。

 

 一つにはアーチャーと遠坂時臣が勝利した場合。この場合は彼女はサーヴァント共々殺されているだろうから、戻ってこないのは当然だ。だが、遠坂邸を見張っている舞弥から時臣が戻ったという報告が無い事を考えると……

 

『相打ちになったのか……?』

 

 それならフィオと時臣のどちらも家に戻ってこない理由にも、説明が付く。

 

 しかしそれ以外の可能性についても、切嗣は思い至っていた。

 

『ランサー陣営かバーサーカー陣営が、勝った方に仕掛けた……?』

 

 この聖杯戦争の二強同士がぶつかり合うのなら、どちらかは脱落して勝利した方も疲弊しているだろう。切嗣は他の二陣営のどちらかあるいは両方がそこを狙おうとして動くと、そう読んでいた。

 

 ただ、アーチャーとライダーはどちらも行動の自由度を圧倒的に広げる飛行宝具を持つので簡単には捕捉出来ないだろうとも考えていたが……

 

『いずれにせよ、もう少し待ってみるか……』

 

 そう考えた、その時だった。

 

「っ!?」

 

 右手に、走る違和感。思わずスコープから目を外して見ると、

 

「令呪が……!?」

 

 消えていく。聖杯戦争を戦うマスターの証であり、サーヴァントに対する絶対命令権を示す聖痕が。

 

 これが意味する所は、一つだけ。切嗣には”もうサーヴァントに命令を下す事は出来ない、その必要も無い”という事なのだ。

 

 つまり……

 

「くっ……舞弥、城に戻れ!! 急いで!!」

 

 インカムにそう怒鳴ると、自分もまたアインツベルン城へ向かうべく屋上を離れ、階段を下りていく。

 

 その時ちょうどフィオ宅の玄関の扉が開き、帰りの遅い家主を心配するような様子のシャーレイが姿を見せた。

 



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第12話 騎士の決闘

「むう……」

 

 廃工場地下の第二工房にて、町中に放った使い魔達からの知覚共有によって今夜の戦況を把握していたケイネスは思わず唸り声を上げ、腕組みして考える姿勢を見せる。

 

「いかがなされましたか、我が主よ」

 

 そんなマスターの様子を気遣ったのか、ランサーが片膝を付いた姿勢のまま実体化した。

 

 それを見て取ると、ケイネスは得られた情報を自分のサーヴァントにも全て開示する事にした。

 

 彼は魔術師としては自他共に認める現代最高峰の実力者ではあるが、基本的に研究畑の人間であり戦闘など荒事は専門外である。戦争の勝率を高める為には、三騎士の一角にして神代を駆けた百戦錬磨を誇る戦のエキスパート、ランサーの意見は是非聞いておきたかった。

 

 聖杯戦争はまだ二日目。一騎のサーヴァントも脱落していない序盤であり今夜の間はそれほど大きな動きも無いだろうというケイネスの予想を裏切って、状況は激動の渦中にある。

 

 実力的には全サーヴァント中最強と目される遠坂のアーチャーと、ライダー・キャスターの二騎を従える最強の魔術師フィオ。間違いなく優勝に最も近いであろう二陣営の激突という、大一番がいきなり発生した。

 

 本来はどちらか一方であろうと同盟などの手段を以て対抗すべき強大な存在であり、逆にこの両者が潰し合う展開となれば他の陣営の勝機も高まる事となる。この戦いは当事者である彼等は当然の事ながら、それ以外の4陣営の帰結すらも大きく左右しかねないまさに決戦であった。

 

 ならば、自分達はどのように動くべきだろうか。あるいは動かずに静観に徹するべきか。

 

 ケイネスは考える。もし、自分が他の陣営なら……?

 

「もし私が他のマスターであれば……遠坂とロード・レンティーナ、二強のいずれかが勝利するまで待ち、決着が付いた後に間髪入れず勝利した方を狙って漁夫の利を得ようと動くだろうが……ランサー、お前はどう思う?」

 

「……は……ご明察通りかと存じます。その二陣営はどちらも脅威。ならば他の者達がどちらかあるいは両方を早急に脱落させようと動くのは、必然かと……」

 

 質問に答えるランサーの表情には、苦り切っていると言うべきか……どうにも複雑なものが見て取れる。心なしか口調もどこか歯切れが悪いように思える。

 

 ケイネスの言う通り、他の陣営はこの状況では二虎競食の計を選択する可能性が高い。自分達も同じように動く事が勝利に最も近いのは、彼自身承知しているだろう。しかしそんな漁夫の利を狙うような真似は、生粋の騎士としてはちと容認しかねる所がある。

 

 と言って、自分達も含めて他の陣営が一対一の真っ向勝負で遠坂やフィオに勝てるか? と、考えると……

 

 そうした感情と戦術的判断がぶつかり合って板挟みになり、迷いが生じているというのが今のランサーの精神状態であろう。

 

 一方でケイネスはランサーのその意見を聞き、次に自分達がどう動くべきか、その指針を固める事が出来ていた。

 

 自分とランサーがそう読んだように二強同士の激突、そこに生じる隙に付け込めば同盟や奇策などといった持って回った手段を講じなくとも優勝のチャンスがあると見て、それ以外の陣営は一斉に動き出すに違いない。

 

 その中にはフィオ以外では最も恐ろしい魔術師殺しの”衛宮”も含まれている可能性が高い。ならば……

 

「仕度をせよ、ランサー。アインツベルン城に乗り込むぞ!!」

 

「!! はっ!!」

 

 勢い良く立ち上がったケイネスがそう宣言するのを聞いて、ランサーもまた一度深く礼の姿勢を取り、そして立ち上がる。

 

 ランサーとしてはケイネスの判断に感謝していた。この聖杯戦争は最後の一組が勝ち残るまで続けられるバトルロイヤル。なれば他の陣営と同じく疲弊した強者を叩くという戦術が有効なのは彼とて認める所である。が、敢えてその手段を選ばずに堂々と戦おうとする姿勢。高潔なる騎士はそれに胸を打たれたと言っても良い。

 

『必ずや、この主君に聖杯を……』

 

 一方でケイネスとしては、ランサーが思っているほどに感情を優先させてアインツベルン城への侵攻を決めたという訳でもなかった。

 

 サーヴァントにはサーヴァントで対抗する事を大前提とすれば、彼にとって恐ろしいのは魔術師として純粋な技量で上を行くフィオと、自分のような存在を殺す術に長けた”魔術師殺し”衛宮切嗣、この二人だ。

 

 だがフィオは同じ魔術師であるが故、次にどのように行動するのか先を読む事も出来るが、魔術師殺しはホテル爆破がそうであったように自分の思いも寄らない戦法を執ってくる。

 

 最も優秀な敵と、次に何をしてくるか分からない敵。優先して叩くならばどちらかという判断に迫られて、今回のケイネスは後者を選択したという訳だ。

 

 ただし、起源弾の存在を考えても魔術師殺しと自分が直接対決して勝てる可能性は非常に低い。故に、一工夫が必要である。

 

 そういう事情からのアインツベルン城への侵攻だった。

 

 魔術師殺しはこの聖杯戦争を勝ち抜く為にアインツベルンに雇われた傭兵である。ならばアインツベルン・セイバー陣営が脱落したのなら奴が聖杯戦争を戦う理由は消滅する。

 

 セイバーが城に居るかどうかは一つの賭けだが……そうでなかったとしても、敵拠点を制圧する事による戦略上の優位性は今更語るまでもない。城をこちらに乗っ取られたとあっては、セイバーと魔術師殺しは逃げも隠れも出来なくなり、使い魔によってその行動を把握する事も容易となる。

 

 拠点の割れている陣営としては、他に主が留守である遠坂邸、バーサーカー陣営を従えている間桐邸へと侵攻を行うというプランも存在したが……

 

 遠坂は、仮に拠点を制圧出来たとしてもあの黄金のサーヴァントが健在であった場合には何の意味も無い。奴はあらゆる意味で規格外だ。豪雨のような宝具乱射は丹念に作り上げた工房を砂の城のように容易く蹂躙するだろう。

 

 間桐は、あのバーサーカーの能力はアーチャーを相手に有利に立ち回る事が出来る。フィオが敗北した場合にはあのサーヴァントを上手くコントロールする事が、こちらの勝利に繋がる重要な要素となるだろう。

 

 こうした判断から、侵攻目標から外れていた。

 

 かくしてアーチャーとライダー・キャスターが空中戦を繰り広げる舞台裏で、もう一つの戦端が開かれる事となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

「Fervor,mei Sanguis (沸き立て、我が血潮)」

 

 起動パスワードである呪文が紡がれ、ケイネスの小脇に抱えられた陶磁製の大瓶より銀色の液体が軟体動物のようにずるずると這い出てくる。

 

 これぞケイネス・エルメロイ・アーチボルトが所有する魔術礼装の中でも最高最強の逸品「月霊髄液」(ヴォールメン・ハイドラグラム)。充填された魔力によって自在に動く水銀である。

 

「Scalp (斬)」

 

 攻撃指示。液体の性質を活かして水圧カッターのようになった水銀は下手な光学兵器にも勝る威力によって城門を薄紙のように切断し、分解してしまう。

 

 既に実体化して周囲を警戒しているランサーを伴って瓦礫を踏み越え、入城を果たしたケイネスを出迎えたのは余人に非ず、セイバーとそのマスターであろうアインツベルンのホムンクルスであった。

 

 タイミングからして待ち構えられていたとしか思えないが、しかしこれは予想出来た事でありケイネスは驚かなかった。

 

 森を抜けてくる中で、結界が幾重にも張り巡らされているのをケイネスは察していた。トラップの類は全て魔術師としての彼の手腕で無力化したが、自分達の侵入は察知されていると見るべきだった。

 

 迎撃にセイバーが出て来た事から、追い風が吹いている事をケイネスは感じていた。運は、こちらにある。魔術師殺しは……少なくとも、視界の中にはその姿は見て取れない。遠坂とフィオのいずれかを叩く為に拠点を留守にしていると、見て良さそうだ。

 

 ここまでは、良し。

 

『後は、ランサーがセイバーを倒せるかだが……』

 

「ランサー……」

 

 決着を誓った相手を前に、セイバーが二言三言、アイリスフィールと言葉を交わしている。

 

 同じようにランサーも、傍らの主へと振り返った。

 

「主よ……!!」

 

「うむ……」

 

 自らの騎士のその望みにケイネスは頷き、手袋を外す。

 

 最高の対魔力を持つセイバーに、神秘の衰えた現代の魔術師である彼が勝てる道理は無い。共闘した所でランサーの足を引っ張るだけであろう。ならば、従者が最大の力を振るって戦えるよう取り計らうのも主の務め。その役目を全うするのだ。

 

「令呪を以て我が無二の騎士に命ず。ランサーよ『この一戦、必ずや勝利せよ』」

 

 キャスター討伐令を果たした事で合計四画となった令呪の一画が消え、それを構成していた魔力がランサーへと注ぎ込まれる。

 

 これは今より決戦に赴く騎士への、ケイネスに出来る最大の援護だと言えた。

 

「ありがたき幸せ!! ケイネス様、御照覧あれ!! この戦い、必ずや勝利する事をお約束いたします!!」

 

 二槍を掲げ、最敬礼を取るフィアナの騎士。ケイネスはそれに頷いて返すと、セイバーの背後に控えるアイリスフィールへと視線を送る。二人の間に言葉は無く、ただ頷き合うだけだった。即ちこの戦い、手出しは無用の意だ。

 

 決闘の舞台たるホールへと、ランサーが進み出る。

 

「セイバー、武運を」

 

「はい、アイリスフィール」

 

 武装を整えたセイバーもまた、ランサーと同じ戦舞台へと上がっていく。

 

 互いに十歩の距離まで近付き、

 

「フィアナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ!! 推して参る!!」

 

「応とも!! ブリテン王、アルトリア・ペンドラゴンが受けて立つ!!」

 

 朗々と名乗りを上げ、そして聖剣と紅い魔槍の切っ先が、打ち合わされる。決戦開始の合図だ。

 

 セイバーはこの戦いに臨むに当たり、聖剣のもう一つの鞘たる「風王結界」(インビジブル・エア)は解除していた。既に倉庫街の戦いでランサーに見えざる剣の刃渡りは見て取られているし、変則使用たる「風王鉄槌」(ストライク・エア)も、この英傑は発動の隙など許してはくれまい。

 

 勝敗を分かつ条件は非常に単純かつ明快。純粋な白兵戦の実力で決まる。どちらの技が勝っているか。

 

 そうして最優と最速、三騎士同士の戦いが始まった。

 

 光を伴う剣閃の残影。

 

 翻る紅と黄の扇。

 

 互いに敗北する事など思考の片隅にも思い浮かべない。ただ全力を尽くして戦う事。眼前の相手に最大の敬意を持って戦い、勝利する事。そしてその勝利を主に捧げる事。

 

 剣と槍の英霊達はただそれだけを想い、得物を振る。

 

 火の出るような打ち合いは十合、二十合、三十合に及び、形勢は全くの互角。どちらが勝利するかは全く見えない。

 

 セイバーは先の戦いでランサーの黄の短槍「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)によって治癒不能の手傷を受け、左手を封じられている。しかし、そこは最優クラスの面目躍如と言うべきか、それともこれが大英雄たる騎士王の実力か。右手だけでもランサーに一歩も譲らぬ戦い振りを見せている。

 

 ランサーは、基礎能力に於いてはセイバーに一歩劣っている。だがランサークラスの特徴たる最高の敏捷性と高い白兵戦能力を最大限に活かし、騎士王と五分に渡り合っていた。

 

 打ち合いは続く。四十合、四十五合、五十合。

 

 ここへ来てもセイバーもランサーも未だ息の一つすら切らさず乱さず、顔には汗の一筋も浮かべない。逆に呼吸する事すら忘れたように瞬きもせずに二人の戦いを見守るケイネスとアイリスフィールの額や掌にこそ、緊張から来る汗が浮かんでいた。

 

「やはり強いな、セイバー!!」

 

「貴方も、ランサー!!」

 

 剣と槍を振りながら、笑みと共に互いを讃え合う二人の騎士。

 

 剣の英霊は岩をも砂糖菓子のように断ち切るであろう斬撃を絶え間なく繰り出し続け。

 

 槍の英霊はその敏捷性を遺憾なく発揮し、驚くほど簡単に宙返りを打ちながらそれをかわし、蜂の一刺しとばかりに二槍を突き出し。

 

 状況はほぼ拮抗していると見て良かったが、しかしこの時点で既に、本当に僅かにではあるが戦いの天秤が傾きつつあった。

 

 ランサーの方が不利だ。

 

 フィアナ騎士団随一の戦士であるディルムッド・オディナは、間違いなく全サーヴァントの中でも上位の白兵戦能力を持った英霊であろう。しかし、対するのがおよそ剣の英霊としては最上に位置するであろう伝説の騎士王とあっては流石に相手が悪いと言わざるを得ない。

 

 そんなランサーが互角に打ち合えているのはセイバーの左手の負傷の他に、もう一つの要因がある。それは彼の戦闘スタイルだ。

 

 どんな達人であろうとも初めて見る戦い方、初めて見る武器の前では反応が僅かに遅れるもの。それはほんのコンマ数秒に満たぬ程度の誤差でしがないが、この領域での戦いとなればそれが命取りとなる。

 

 そこへ行くと二刀流ならぬ二槍流である彼の戦い方は他に類を見ないが故に、同じ敵と二度戦う事の極端に少ない実戦に於いて実力以上に有利に立ち回る事が出来るのだ。勿論、ただの大道芸・外連では逆に自分の首を絞める結果になるであろう奇抜な闘法だが、ランサーは神代の時代、それを見事に自分のものとして幾多の戦いを勝ち抜いてきた猛者であった。

 

 しかし今、その優位性は徐々に失われつつある。

 

 倉庫街の戦いと、今や百にも達しようかという打ち合いの中で、セイバーは徐々にランサーの槍筋を見極めつつあった。

 

 こうなると、左手を封じられていようと地力の差が徐々に顔を出してくるのだが、ランサーは膨大な戦闘経験によって僅かな勝機を手繰り寄せる心眼(真)のスキルによって要所要所でセイバーの攻撃を防ぎ、あるいは奇抜な一手を繰り出し、格上相手に食い下がっていた。ケイネスの使用した令呪もサポートに一役買っている。

 

 まさに王者の戦法を体現したかの如く、小細工無しの純粋な実力で押すセイバーと、防戦気味に隙を窺うランサー。

 

 だがどちらも決め手に欠けており、横槍でも入らぬ限りはこの打ち合いは果てしなく続くのではないかと思われた。

 

 そして考え得る横槍は……

 

 切嗣は遠坂・フィオ戦の勝者を仕留めるべく城を留守にしている。

 

 バーサーカーも、アイリが掌握している結界は侵入者を感知してはいない。

 

 アイリとケイネスは、元よりどちらも手出しする心算などない。

 

 後、警戒すべきはアサシンだが……ケイネスはちらりと周囲を見渡した。このホールに隠れる所は無く、入ってくる為にはケイネスが破壊した城門か、他の出口から入ってきてアイリとセイバーが出てきた通路から来るしかない。今の所だが、そのいずれにも曲者の姿は見られなかった。

 

 つまり、この戦いは純なる決闘。勝敗を決するのは粋に二人の技量。

 

 

 

 

 

 

 

 その、筈だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 破局点は、思わぬ形で訪れた。

 

「!? そんな……!? こんな時に……それに、これは……!?」

 

 不意に、アイリが苦しげに胸を押さえて膝を付き、倒れてしまう。

 

「!? アイリスフィ」

 

 一瞬、セイバーの意識が逸れる。そして、響く金属音。

 

 「必滅の黄薔薇」が聖剣を打ち上げて、

 

「しまっ……!!」

 

 返し刀で繰り出された「破魔の紅薔薇」が鎧を無きが如くすり抜けて、セイバーの心臓を貫いた。

 

「がはっ……!!」

 

 血を吐きながらも紅槍を引き抜いたセイバーは傷口を押さえて、数歩下がる。

 

「セイバー……」

 

 そんな好敵手に対して、ランサーは悔恨と忸怩たる思いを滲ませた声を上げた。

 

 セイバーのマスターが突然倒れるなど、このような事態は誰の想像からも外側の出来事。騎士王が一瞬、気を取られたのも無理はない。

 

 ランサーとて本来ならば、一時槍を止めてマスターの容態を把握する時間くらい、セイバーに許しただろう。あるいは無礼は承知の上で、日を改めての再戦をケイネスに具申さえしたかも知れない。だが今の彼は「この一戦に勝利せよ」と令呪によって縛られている。その命令は間違いなく実行され、どのような理由であれ生じた「隙」を見逃す事など有り得なかったのだ。

 

「英霊アルトリアよ……この戦いは……」

 

 だが謝罪するようなランサーの言葉に、セイバーは首を振って応じる。

 

「恥じる事はない、ランサー……貴公も分かっていよう? 戦に於いて不慮の事態は付き物。私が未熟であっただけの事だ……名にし負うディルムッド・オディナの双槍……見事であった……」

 

 心臓を貫かれ、霊核を破壊された彼女の体は現界し続ける事叶わず、徐々に消え始めている。だが消滅を間近に控えて騎士道の誉れたる王は尚、凛然として自分に勝った主従に向き合っていた。

 

「ランサーのマスターよ……このアルトリア・ペンドラゴン、恥を忍んで一つだけ頼みがある……」

 

「承知した、セイバーよ」

 

 ケイネスは内容も尋ねぬ内から了解の返事を返した。元よりこの状況でセイバーのような清廉な騎士が願う事など、分かり切っている。

 

「私もランサーも、そのご婦人には一切の危害を加えない。責任を持って治療を行い、必ず助けると約束しよう」

 

 主の宣言を聞いたランサーは満足げに深く頷く。やはりこの主は、仕えるに相応しいお方であった。

 

「感謝する……」

 

 それを聞いたセイバーは安心したように笑みを浮かべ、目を閉じて。その体は、光となって消えていった。

 

 ランサーは先程ケイネスにしたように槍を掲げて最敬礼の姿勢を取り。

 

 ケイネスもまた胸に手を当て黙祷し、逝く騎士王を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 やがてセイバーが完全に消滅したのを確認するとケイネスは足を踏み出し、ランサーは主の前で膝を折って忠誠の形を示す。

 

 そんな騎士の頭上から、主の声が降ってきた。

 

「ランサーよ」

 

「は……」

 

「私が令呪を使った事……恨むか?」

 

「いえ、そのような事は露ほども」

 

 それはディルムッドの本心だった。

 

 確かにケイネスが令呪を使っていたが故に、自分とセイバーとの決着は不本意な形に終わってしまった。

 

 だが令呪が使われていなかったらそれより前に自分が斬り伏せられていたかも知れないし、あの白い女性が何の前触れも無く倒れるなどあまりにも予想外な出来事。何より主は自分に最大の力を与える為に令呪を使ってくれたのである。感謝しこそすれ、恨む道理などどこにあろうか。

 

 誰も悪くなどない。世の中、全てが望むように進まないのは当然の事。ただ運命の巡り合わせが悪かっただけの事なのだ。

 

「そうか……では、ランサー。取り敢えず彼女を楽な姿勢に……」

 

「はっ……」

 

 話を切り上げたケイネスに指示され、ランサーは倒れたアイリを仰向けに寝かせる。そして、二人ともぎょっとした表情になった。

 

 既にアイリには意識が無いようだ。呼吸は浅く早く、汗がだらだらと流れている。脈を取ったり額に手を当てて熱を測ったりせずとも、ただごとではないと二人が悟るには十分だった。

 

「ケイネス様、これは……」

 

「ふぅむ……」

 

 アイリへ気遣わしげな視線を送るランサー。ケイネスは腕組みして、唸る。

 

「今は聖杯戦争の渦中、そして彼女がホムンクルス、アインツベルンの御子だという事を考えると……」

 

 てっきり急病か何かだとばかり思っていたが……事態はずっと深刻なようだ。これは腹を括って掛からねばなるまいと彼が表情を厳しくした、その時だった。

 

「アイリ……!?」

 

「マダム……!!」

 

「主よ、お下がり下さい!!」

 

 響く、驚愕と動揺が入り交じった声。弾かれたように立ち上がったランサーが、ケイネスを庇うように前に出た。

 

 ケイネスとランサーを結んだ線の先には、キャレコを構えた切嗣と舞弥が立っていた。

 

 魔術師殺し。サーヴァントが既に脱落しているとは言え恐るべき相手が眼前に現れた事で、マスターとサーヴァントはどちらも最大限の警戒心を持って対峙する。

 

 と、切嗣の視線がケイネスの後ろに庇われるように寝かされているアイリへと動き、そして彼は、ゆっくりと銃口を下ろしていく。

 

 そのまま後ろにあった柱に体を預けると、ずるずると座り込んでしまった。

 

「……」

 

 ケイネスはランサーに「自分を警護せよ」と手で合図すると、ゆっくりと切嗣へと近付いていく。舞弥が構えるキャリコは未だぴったりとケイネスに照準を合わせているが、ランサーは切嗣がいつ起源弾の装填された銃を取り出しても対応出来るよう警戒すると同時に、彼女にも十分な注意を払って構えていた。

 

「その様子……貴様は、知っているな? 話せ、魔術師殺し。大体想像が付くが……彼女に何が起きたのだ?」

 

 切嗣は一拍置くように懐から煙草を取り出して火を付け、紫煙を吐き出す。

 

「彼女は……聖杯の器の護り手だ」

 

 そして魔術師殺しは、全てを語った。

 

 彼の妻、アイリスフィールは聖杯戦争の為に鋳造されたホムンクルスである事。

 

 アインツベルンの当主たるアハト翁は聖杯の器そのものが自らの意志で危険を回避出来るように、器に”アイリスフィール”という艤装を施した事。

 

 そして聖杯戦争が進んでいくにつれて、彼女のヒトとしての機能は失われ、ただの”モノ”へ還っていくという事。

 

 今のアイリの症状は、聖杯の器がサーヴァントの魂が変換された魔力によって満たされ始めたが故に起きたものである事。

 

 つまり……この聖杯戦争に参加する限り、アイリスフィールに助かる道など何処にも無かった。彼女が命を落とす事は、大前提であったのだ。

 

 その全てを承知の上で、切嗣はマスターとして聖杯戦争に臨んだ。

 

「何という事だ……!!」

 

「魔術師殺し……貴様はそうまでして……自分の妻まで贄として差し出して、何を聖杯に願うつもりでいたのだ?」

 

 同じような真似は、自分にはやるやらない以前に可能性として想像する事すら出来ない。そう言わんばかりのケイネスの問いに、切嗣はすっかり短くなった煙草をぽいと床に捨てると、答えた。

 

「僕の願い、理想は……この世界の救済。全ての争いの根絶。恒久的な世界平和……」

 

「なっ……」

 

 ケイネスは絶句する。この男は本当に、そんな絵空事を求めて自分の命を懸け、妻を必要な犠牲として容認したと言うのか?

 

 闘争は人間の本質。歴史を紐解けば、誰でも容易くその答えに至れるだろう。それでも尚、争いの無い世界を望むと言うのなら、その願いは人類を根絶する事と同義であろうに。

 

 そんな事は指摘されるまでもなく、切嗣にも理解出来ていた。

 

 それでも、彼には追い求めて止まぬ理想があった。

 

 もう誰も泣かない世界。

 

 この冬木で流す血が、人類史上最後の流血であるように。

 

「何故そこまで……」

 

 その問いにも、切嗣は全てを話した。嘘を吐いたりはぐらかしたりして隠し立てする気力さえ、今の彼からは失われていた。ただ、義務のように口を動かしていく。

 

 それは、天秤の測り手たらんとした男の物語だった。

 

 一人でも多く救う為、一人でも少ない方の天秤の皿を躊躇いなく切り捨てる。

 

 一つでも多くの悲嘆をこの世から減らそうとして、自らの手で悲嘆を生み出し続けた、どこまでも愚かでどこまでも純粋な男の話。

 

 始まりは20年近くも前、南海の孤島に遡る。

 

 目の前で死徒と化した、初恋の少女。幼き日の切嗣は「殺してくれ」という彼女の願いを叶えてやる事が出来なかった。その結果、島は炎に包まれ、少年は父親をその手に掛けて唯一人生き残った。

 

 時の流れに”もしも”は無いが。

 

 それでも、思うのだ。

 

 もし、あの時自分がシャーレイを殺す事が出来ていたのなら。そうすれば島の大勢の、何も知らぬ人達は、幼き日の友達は死なずに済んだのではないかと。

 

 そして思い知らされた。あの島の地獄など世界中を見渡せばいくらでも溢れ返っているありふれた出来事でしかなく、自分が父を殺した事など、大火事に如雨露の水を注いだ程度の些細な処置でしかなかったのだと。

 

 だから、二度と迷うまいと。

 

 より多くを救う為により少なくを殺し尽くす。

 

 衛宮切嗣はずっとそれを続けてきた。

 

 その道すがら、多くのものを捨ててきた。家族と呼んだ師とも袂を分かった。

 

 彼は、自らを無情な選別機械たれと戒めてきた。そんなものには決してなれないほどに、本来の彼は人間らしいと言うのに。

 

 そしてこの聖杯戦争で、どこまでも潔白でどこまでも罪深いこの男に、最後にして最大の罰が科される事となった。

 

 愛した妻を願いの対価として差し出す事を求められ。それを覚悟してこの戦いに臨み。だが何も変えられず、何も為せずに。ただ、喪ってしまった。

 

「手の中にあったもの、手の届く所にあったもの。その全てを捨てて僕が得た結果が……これだ」

 

 切嗣は自嘲するように笑いながら、意識の無いアイリを見やった。

 

 これは、彼にとって避ける事の出来た結末だった。

 

 9年前にアインツベルンに招かれてから今まで、例えアイリが拒絶したとしても、無理にでも彼女を外の世界に連れ出していれば。

 

 チャンスは、いくらでもあった。この聖杯戦争の渦中に在ってさえ、逃げ出す決断さえ出来ていたのなら。

 

 そうした葛藤は、常に彼の中に存在していた。だが辛うじてそれを振り切って己の理想を叶えようとして、盲目的に進んで。

 

 その道の果てで、最愛の人をただ喪っただけだった。

 

 セイバーが脱落した今、切嗣の手は最早聖杯に届く事は無い。元より光を宿していなかった彼の瞳は、何もかも諦めたようにどんよりと濁っていた。愛する者を、多くの『大切』を得て、この聖杯戦争に参加した時点で既にギリギリの状態だった衛宮切嗣という殺人機械は、もう完全に壊れていた。

 

「諦めるのか?」

 

「……何だと?」

 

 降ってきた声に、切嗣はいかにも面倒臭そうに顔を上げる。時計塔のロードは、超然と構えたまま言葉を続けていく。

 

「魔術師殺し、確かに貴様は今まで多くのものを諦め、切り捨ててきただろう。だが、このマダムは。貴様の妻はまだ生きている。なのに、夫たる貴様が諦めるのか?」

 

「…………」

 

「私は、諦めんぞ」

 

 ケイネスの言葉は、退屈な説教を聞く学生のように視線を逸らした切嗣にはもう向けられてはいないようだった。今の彼の言葉は彼自身に向けられたものだった。

 

 自問する。もし、アイリスフィールがソラウだったのなら。そして切嗣が自分だったのなら。その時自分はどうするだろう?

 

 答えなど、決まっている。

 

 自分が切嗣だったのなら、決してこんな事にはならなかった。させなかった。

 

 それに今ならまだ間に合う。少なくともその可能性はある。

 

「事ここに至っては必ず救うなどと無責任な事は言えなくなったが……だが私、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは。彼女、アイリスフィール・フォン・アインツベルンを救う事を最後の瞬間まで、決して諦めんぞ」

 

「……あんたは、何故そこまでする?」

 

 このままアイリを手中に収めておけば、彼は聖杯の器を手元に置いて、他のマスターに対して圧倒的なアドバンテージを確保出来るのに。

 

 それは、特にケイネスのような典型的な魔術師の在り様からはあまりにもかけ離れた行いだった。合理的ではない。なのに、何故?

 

 ケイネスは答える。「問われるまでもない」と。

 

「騎士王と、約束した」

 

 アイリスフィールは自分達が責任を持って治療し、必ず助けると。

 

 『自己強制証文』(セルフギアススクロール)など必要無い。これは血の通った約束、心の繋がり。その重みは国家にも匹敵する。男たる者一言吐けば万金を積まれてもそれを変えず。一度口にした言葉は、必ずや履行するのだ。

 

「思わぬ形で魔術合戦をする羽目になったが……だが、面白いではないか。アインツベルン千年の秘奥と、降霊科(ユリフィス)随一の神童と謳われたこのケイネス・エルメロイ・アーチボルトが全知全能。いずれが勝っているのか……試してみようではないか!!」

 



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第13話 最後に残った道しるべ

「二人とも、昨日はご苦労だったわね。私にはこれぐらいしかあなた達に報いる物がないけど……どうか、遠慮せずに食べて」

 

 一夜明け、フィオの自宅。

 

 ライダーとキャスターが着いたテーブルの上には、ハムをたっぷりと使ったピザがどんと置かれている。二騎のサーヴァントはマスターの料理の腕は既に把握しているが故に、揃って目を輝かせた。

 

「おお……!! では、ありがたく頂戴しよう」

 

「いただきますね、ご主人様」

 

 ピザカッターの車輪によって45度ぐらいに切り分けられたピザをそれぞれ口に入れ、そして、サーヴァント達は途端に目の色を変える。

 

「こ、これは……何と美味な……ハムとチーズとピザクラスト……それぞれがそれぞれを高め合う……!!」

 

「味の三重奏(トリオ)と言うべきでしょうか……火と蒸気とシリンダーによる蒸気機関!! 馬と鞭と騎手による乗馬!! 太陽と水と大気による地球!! 唇と歯と舌による口!! って感じです!! こんなピザは初めて食べました!!」

 

 どうやらお気に召したようで、手にしていた一切れはすぐに飲み込んでしまうと、次の一切れを求めて手を伸ばす二人。

 

 あっという間に大皿一杯に載せられていたピザは最後の30度ぐらいの一切れになり……

 

「余に譲る気はないか? キャスター……」

 

「あなたこそ私に譲る気はありませんか? ライダー……」

 

 それを巡ってサーヴァント間で火花が散っている。

 

『これは……いけないわね……』

 

 こんな事で不和の種を育ててもらう訳にはいかない。そう判断したフィオは、最後の一切れは自分が口に入れてしまった。

 

「「あ……」」

 

 いかにも残念そうな表情と口調の二騎を尻目に、自作のピッツアを味わうフィオ。確かに良い味だ。そもそも彼女は誇りある料理人。例え身内と言えど、納得の行かない料理を出したりはしない。

 

 だが……

 

「どうかしたのか? 奏者よ」

 

 シャーレイの煎れた紅茶を啜りつつ(キャスターは緑茶)、自分のマスターがどうにも納得の行かない表情をしているのを不思議に思ったライダーが尋ねる。

 

「いや……あなた達は今、このピッツアを食べて『美味しい』って言ったわよね……それが……ちょっとね……」

 

「? おかしな事を言うものよな? 「美味である」とは、料理人にとって最高の賛辞ではないのか?」

 

「そうですよ、ご主人様。私もこれにはライダーと同意見ですが……?」

 

 と、ライダーとキャスターは首を傾げる。一方、遠巻きに立ってそれを見ているシャーレイは訳知り顔で、困ったようにくすくす笑っていた。

 

「いや……今回あなた達に出したプロシュートをたっぷり使った名付けて『兄貴風ピッツア』は今度、男性客の開拓の為に新しくメニューに加えようと思っていた試作料理なのよ。私の店、客層は女性が多いから……」

 

 ちなみに他の開発中メニューには貧血気味の人にオススメ、イタリア風イカスミのお粥、名付けて『リゾット・ネエロ』、妊娠中の女性のお客様には元気な良い子が生まれるようにSAN値直葬最高級メローネ(メロン)、これを食べればマンモーニ(ママっ子)な貴方もたちまち10年も修羅場をくぐり抜けてきたような凄みと冷静さを感じさせる目をした男に早変わりな特製魚(ペッシ)料理などがある。

 

「何が問題なのだ? 確かに余らは肉体的には女だが、これほど美味なのだ。十分に店に出して、金を取って恥じぬ出来映えだと思うが……」

 

「そうそう、そこんじょそこらのデリバリーピザなんて目じゃないですよ、この味は……」

 

「……あなた達はそれを食べて『美味しい』って言ったわよね?」

 

 もう一度繰り返して、噛み含めるように言う。フィオが難しい顔をしている要因はそこだった。

 

「『美味しい』って言わせないような料理が、私の理想なのよ……何故ならその言葉を頭の中に思い浮かべた時にはッ!! 料理を全部平らげてしまってもう食べ終わってしまっているから。だからそう言わせないような料理が……『美味しかった』なら言ってほしいけどね」

 

「ふむ……」

 

「成る程……」

 

 「私もまだまだ未熟ね」と、苦笑しながら溜息を吐いたフィオがブラックコーヒーを口にした、その時だった。ティーカップから右手を放し、一発だけガンドを放つ。そして落下するティーカップを再び右手でキャッチ。ゼロコンマ2秒の早業だった。

 

「な、何だ!? 何事だ!?」

 

「店長!? どうしたんですか!!」

 

「ご主人様、ライダー、シャーレイさん。見て下さい、これは……使い魔ですよ」

 

 ライフル弾のようなフィオのガンドはガラス戸を撃ち抜いてその向こう側、ベランダに留まっていたフクロウの体を一撃の下に射貫いていた。

 

 こいつは、キャスターの言う通り屍骸を触媒とした使い魔だ。そも、フクロウなんて鳥がこんな都市部に野生で生息している訳がないし、誰かのペットが逃げ出したにせよ、夜行性の鳥がこんな真っ昼間から活動する訳がない。

 

「それにしても、妙ね……」

 

 何かのトラップかも知れないと、ベランダに倒れた使い魔を注意深く調べるフィオ。

 

 使い魔によって偵察を行うのはこの聖杯戦争に参加したマスターであれば彼女も含めて誰しもが行っている事であり、さほど警戒する事ではない。だが何故、昼の偵察にフクロウなどといった明らかに不向きな動物の屍骸を使ったのか?

 

 ハトでもカラスでも、他に適した動物がいくらでも、しかもフクロウを捕まえるよりずっと簡単に確保出来ただろうに。

 

 これは隠密性から考えれば砂漠をウッドランドの迷彩服で、雪原をタキシードで歩くようなもの。悪目立ちにも程がある。

 

 なのに、何故?

 

 考えられる可能性は……

 

『私達に、気付かせるのが目的のメッセンジャーだった?』

 

 注意深く見てみると、その予想が正解であったと分かった。フクロウの足には、伝書鳩のように一枚の手紙が括り付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

「成る程……それで、聖杯の器たる彼女を救いたいと……」

 

「左様。是非、当世最高の魔術師と謳われるあなたのお力を借りたいのです」

 

 数刻後、アインツベルン城内のサロンでは傍らに実体化したランサーを立たせたケイネスと、テーブルを挟んで同じようにキャスターとライダーを控えさせたフィオが向かい合い、二人からは少し離れた位置に憔悴した様子の切嗣が腰掛けていて、彼の傍らにはサーヴァントの代わりに舞弥が立っていた。

 

 使い魔が運んできた手紙には「戦闘の意志は無い。相談したい案件がある故、アインツベルン城に来られたし」とケイネスの筆跡で書かれていた。

 

 当然、こんな物を見せられてはライダーもキャスターもシャーレイさえも「罠ではないか」と疑ったが、フィオの見方は違っていた。

 

 ケイネスが自分達を罠に嵌めようとするならアインツベルン城などという第三者の陣地へと招待するのがまず不自然だし、仮に彼が昨夜の内にセイバー・アインツベルン陣営を攻略したとしても、いかなロードとは言えあの広大な森に仕掛けられた結界を一夜と経たぬ内に掌握するのはまず不可能。

 

 更にこれは幼い頃からケイネスを知るフィオの意見だが、生粋の魔術師である彼は相手が同じ魔術師であるのならば、真っ向から尋常の決闘・魔術合戦を所望するタイプだ。騙し討ちはケイネスらしくない。

 

 残る可能性はアインツベルンとケイネスが同盟したケースだが、これも確率は低い。この聖杯戦争の第二戦でセイバーはランサーに治癒不能の手傷を負わされており、もしケイネスがアインツベルンとの同盟を望むならその解消が条件として出される筈だ。だが「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)の解呪には槍を破壊するしかない。それではランサーの宝具の一つが使用不可に陥ってしまう。

 

 仮にそうまでして同盟を結んでアインツベルン・ケイネス連合がフィオを倒せたとしても、そうすればその後に行われるセイバー対ランサーの戦いは圧倒的にランサーが不利となる。これでは倒されるのが先か後か、フィオの手にかかるかアインツベルンの手にかかるかの違いが生じるだけだ。

 

 同じ理由で、アインツベルンからケイネスに同盟を持ち掛ける可能性も低い。同盟とは最大限に利用し合う為の手段なのだ。目的が達せられた時、同盟相手に勝ち目が無くなっているのでは意味が無い。

 

 勿論そこまで考えた上で、罠の可能性も尚十分に存在している。故に「油断だけはしないで」とサーヴァント達に言い含め、特にライダーには少しでもおかしな気配を感じたのならすぐさま戦車を最大戦速で走らせ離脱させるように言って、そしてシャーレイはいつも通り自宅に残し、アインツベルンの森に乗り込んだのだ。

 

 ライダーとキャスターはいつどんなトラップが自分達を襲うかと警戒していたが、しかし予想に反して何の抵抗も受けずに城にまで辿り着いた3人は、破壊された城門前に立っていたケイネスとランサーに迎えられ、サロンに通されたのだ。

 

 そこで、椅子にもたれ掛かるようにして座っていた切嗣を見て驚いた。

 

 倉庫街で遭遇した時の彼からは、まるで刃のような鋭さが感じられた。だが今はそれがまるでない。それどころか熱も、生気も。まるで存在そのものが薄くなっているようで、抜け殻のようだった。

 

 しかしケイネスの話を聞けば、それも納得せざるを得なかった。

 

 最愛の妻を喪う覚悟を決めて理想を遂げようとこの聖杯戦争に参加して、そして喪うだけで何も得られず、何も変えられず。

 

 しかもこれは不可避の結末でもなんでもなく、避けるチャンスはいくらでも用意されていた。それを全て振り切った先にあったものがこの結果だ。

 

 もし自分が切嗣の立場であったのなら、果たして正気を保てただろうか……想像してフィオは思わず唾を呑んだ。

 

「話は分かったわ。私も、喜んで協力させて貰うわ」

 

 フィオにはそもそも聖杯に求めるようなご大層な願いなど無く、この戦争もさっさと日常に回帰したいが故に早期終結を目的として参戦したのである。

 

 無用な犠牲を減らしたいとは思うし、ましてやアイリスフィールは一度自分の店に来てくれた大切なお客様だ。だから、救えるものなら救いたい。だが……

 

「中々、難しいわよ?」

 

「承知しております」

 

 アイリを助けようとするのは、数ある選択肢の中から最善の一つを選び出す、などという生易しい話ではない。

 

 そもそも彼女は聖杯戦争の為に鋳造されたホムンクルス。聖杯の器が何らかの要因によって破壊される事を避ける為に、自らの意志で危険を回避するように設計された……身も蓋も無い言い方をするなら卵の殻である。

 

 そして中のヒナが孵ろうとすれば、殻は内側より割られるが道理。今の彼女は割れるか割れないかの、瀬戸際にあると言って良い。時間は、あまり残されていない。

 

 聖杯戦争が進めば、聖杯の完成は否応無く進む。元々アイリにはこの戦争に参加した時点で助かる道など用意されていなかったのだ。

 

 つまりケイネスやフィオがやろうとしている事は、道の無い所に新しい道を作るという事なのである。

 

 常識的な方法では、彼女を救う事は叶うまい。

 

 一方で切嗣は、もうアイリを救うなど不可能だと諦めきってしまっているのかだらしなく椅子に座って俯いたままぴくりとも動かず、何の反応も見せない。舞弥が、気遣うように彼の肩に触れた。

 

「それで……ロード・エルメロイ、あなたはアイリスフィールを救う為にどんな方法を考えているの?」

 

「ランサー」

 

「は、魔術師殿、これを……」

 

 合図と共に槍兵が動き、持っていた資料をフィオに渡す。

 

 フィオ達を招く前にケイネスから見せてもらったが、魔術全盛の神代出身とは言え専門家でない彼には理解出来なかった書類。だが彼の主と同じく現代最高峰の魔術師であるフィオにはしかと理解出来ているようだった。興味深げに目を通していく。

 

 数分間ばかり読み込んで、内容を把握したフィオは確認するように、ケイネスの案の要点を言った。

 

「つまり……彼女の魂を別の体に移し替える、と?」

 

「はい、単純な案ですが、これが一番効果的かと」

 

 今のアイリスフィールの体が聖杯降誕の為の器として作られている限り、聖杯戦争の進行と共に死が訪れるのは避け得ぬ未来。ならばそれを避ける為にはどうすべきか。

 

 ケイネスは肉体の交換にその可能性を見出したのだ。

 

「この国には、封印指定を受けた人形師が居ると聞いています。その魔術師に連絡を取ってマダムの新しい体となる人形を用意してもらい、魂をそちらに移せば、彼女は助かります」

 

 と、ケイネス。だが、彼の案にはいくつかの問題点がある。フィオはその為に呼ばれたと言っても良い。

 

「でもロード・エルメロイ、この資料によると彼女の体内にはサーヴァントの魂を分解する事で得られた膨大な魔力が注がれていると書いてあるわね? もし、彼女の魂が肉体を離れたら……」

 

 恐ろしい未来が思い浮かんで、フィオが思わず冷や汗を流した。

 

 聖杯の器たるアイリスフィールの肉体、その魂、そして聖杯に満ちつつある魔力。その3つはどうにも、切っても切れない関係にある。

 

「封印の術式を管理しているのはアイリスフィール自身……つまり、彼女の魂が魔力の満ちた肉体を離れたら……!!」

 

「ええ、制御を離れた魔力が暴発する危険性がある。よって、貴女にはそのコントロールをお願いしたいのです」

 

 ケイネスの案はフィオにも理解出来た。確かに彼女ほどの魔術師ならサーヴァントを分解した膨大な魔力のコントロールも、やってやれない事は無い。

 

 だが、問題はまだ残っている。

 

「しかし、アイリスフィールが聖杯の器となれば……貴方のランサーとライダー・キャスターの三騎は除くとしても他の二騎……アサシンとバーサーカーのいずれかが脱落すれば、聖杯は姿を現す。そうなったら……」

 

 そうなったらもう手遅れ。特にバーサーカーは魔力の消費が激しいクラスであり、放っておいてもマスターの魔力を食い潰して勝手に自滅、聖杯を満たすかも知れないのだ。まるで時限爆弾である。

 

 まさか本来ならば付け入るべき敵の”弱点”にこちらが頭を悩ませる日が来るとは。ケイネスもフィオも、聖杯戦争への参加を決めた時には思いもしなかった。

 

「はい、ですから私達の3騎で何とか時間を稼ごうと考えているのですが……」

 

「問題はまだあるわ」

 

 元々ケイネスとてアイリを助けるのには確実な可能性など存在せず、絹糸の上を綱渡りするような……成功率が一割あれば良いような試みである事は承知している。その上で彼は、この可能性に懸けるべきだと考えていた。

 

 だが、こうして同等レベルの見識を持つ第三者を交えて検証を行うと、思っていた以上に問題が多くある事が分かってきた。実際に立ってみたその道は、想像よりもずっと険しかった。

 

「あなたがその人形師に発注して、その人形が届くまでどれだけ掛かるか……それまで、アイリスフィールが保つかしら……?」

 

「それも、問題ですね……今は何とか小康状態を保っていますが……」

 

 今のアイリは城の一室に描いた魔法陣の上に寝かされ、何とか容態を安定させているが、それも所詮は時間稼ぎに過ぎない。

 

 仮に今のまま全てのサーヴァントが脱落しない状態が続いたとしても、時間が経ちすぎれば衰弱した彼女の肉体は死を迎え、それでヒトとしての機能が停止すれば、生命活動という”不要なもの”に妨げられていた聖杯の機能は動き出し、聖杯は降誕するだろう。

 

「故に、私達の準備が整うのが早いか……マダムの命が尽きるのが早いか……時間との戦いとなる、と……思うのですが」

 

 確かに、ケイネスとフィオの二人には、アイリを救う為にはその手段しか執り得ない。

 

 切嗣が一度として顔を上げないのも、これが原因だった。

 

 件の人形師と連絡を取って、人形が届いて、アイリの魂をその人形に移すまで聖杯戦争が全く進行しないなど……そんな事態が有り得る訳もない。

 

 準備が整うまで、残るアサシンとバーサーカー相手に生かさず殺さずの状態を継続させるなど、サーヴァント3騎が連携したとてどれほどの技量を必要とするのか。

 

『少なくとも僕には無理だ』

 

 そんな事はケイネスにも、フィオにも絶対に無理だ。それでなくとも日毎にアイリは衰弱していき、そう長い時間命は続かないだろう。敵サーヴァントとアイリの命、この二つはいわば二重の時限爆弾と言えた。勝利条件は、厳しいとか厳しくないとか言う次元ではない。

 

「もっと良い手があるわよ? ロード・エルメロイ、それに魔術師殺し」

 

「「!!」」

 

 だがそんな深刻さなどとは全く無縁なように、あっさりと放たれたフィオの言葉にケイネスは驚愕の表情を見せて、切嗣も思わず顔を上げた。

 

「私に良い考えがあるわ!!」

 

 その台詞を聞いてケイネスは猛烈な不安感を覚えたが……だが、取り敢えずは彼女の案を聞いてみる事にした。

 

「この資料には、アイリスフィールの症状は脱落したサーヴァントの魂が変換された魔力が彼女の中に入って聖杯が機能し始めて、代わりにヒトとしての機能が失われていくからとあるけど……これに間違いは無いわね?」

 

「ええ、魔術師殺しから直接聞き出した事です……」

 

 切嗣が嘘を吐いている可能性があるにはあるが、彼がこの期に及んでケイネスを騙すメリットは無く、しかもその時の様子を見るにとてもそんな複雑な思考が出来る状態だとは、ケイネスには思えなかった。

 

 情報通りならアイリの状態との辻褄も合うし、まず間違いはあるまい。

 

「それなら、話は簡単よ。魔力が入って聖杯の機能が動き出し、ヒトとしての機能が失われるなら……逆に魔力を抜いてしまえば、聖杯の機能は止まってヒトとしての機能が戻るわ」

 

「……!!」

 

 フィオのその意見は単純ではあるが確かに道理だ。だが、それを聞いたケイネスは途端に難しい表情になって、一方で切嗣は「期待した僕がバカだった」とばかりに再び顔を伏せてしまった。

 

「ロード・レンティーナ、確かにそれが出来れば私の案よりもずっと手っ取り早く安全、しかも確実でしょう。ですが、不可能です」

 

「不可能? どうして?」

 

「私の案は新しい人形の体にマダムの魂のみを移して、本来の肉体は防衛機能など無い純粋な聖杯、魔力の容れ物として機能させ、私達が魔力が暴発しないよう制御するというものです」

 

 そうせねばならない。それが二人の能力の限界点であるとも言える。

 

「外様の魔術師である我々に出来るのは、魔力という水が零れたり溢れたりしないよう制御する事だけ。”容れ物”たる聖杯の器を造れるのは御三家の中でアインツベルン、その当主たるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンのみ。仮に中身の魔力を抜き取る事が出来たとしても……誰がどうやってそれを受け取るのです?」

 

「そうね。私にも、サーヴァントが変換されたような膨大な魔力を受け止める事なんか絶対に出来ないわ」

 

 フィオは認めた。無論、同じ真似はケイネスにとて不可能。仮にこの場にロード・バルトメロイが居て3人で行ったとしても、絶対に無理だ。それは人間の、そして現代の魔術師の越えられない壁だった。

 

「そんな事が可能な、魔術師……が、現代に……居……る……?」

 

 そう言いながら、ケイネスの視線が動いていく。フィオのすぐ隣へと。そしてフィオの視線も、同じ人物に。

 

「訳が……」

 

「あったわね」

 

「え? 私ですか?」

 

 二人の視線が交差する先にいた人物、キャスターが自分を指差して、ぱちくりと瞬きする。

 

 確かにそんな事を可能とする魔術師は現代には居ない。だが、過去には居た。何百年前かあるいは何千年前の神代か。今より遥かに強大な魔術が使われていた過去には居たのだ。そして今は聖杯戦争の真っ直中。その過去の英霊が、現世に蘇っているキセキの時間なのだ。

 

「そうか、魔術師(キャスター)のクラスなら……!!」

 

「タマモ、あなたの呪法・吸精でアイリスフィールから魔力を吸い出すのよ。EXランクの呪術スキルを持つあなたなら吸収した後の魔力の制御も……」

 

「十分に可能ですよ、ご主人様!! こう見えて私は太陽神の分霊!! その程度の事、造作もありません!! 私、凄いですか!?」

 

「うん、凄いわ。もしあなたが居なかったら、多分……私達はアイリスフィールを助けられなかった」

 

 先のアーチャー戦で、キャスターはその呪術によって乖離剣エアに充填された魔力を吸収し、威力を弱める事に成功した。今度はそれをアイリに対して行おうというのだ。

 

 フィオはそのまま細かな打ち合わせをキャスターと始める。その儀式にはどんな物が必要なのか、掛かる時間はどれぐらいか。

 

「喜ぶがいい、魔術師殺し!! 貴様の奥方に、助かる芽が出てきたぞ!!」

 

 自分の事のように弾んだ口調でケイネスが言う。

 

 これで彼とランサーも、セイバーとの約束を果たす事が出来る。

 

「え……」

 

 覇気の無い顔を上げる切嗣。そんな彼に、次に耳に入ってきた言葉は頭を思い切り殴られたような衝撃を与えた。

 

「ライダー、あなたにも用事を頼むわ」

 

「うむ、何なりと言うが良いぞ」

 

「儀式の為に必要な道具を、私の家から取ってきて欲しいのよ。詳しくはこのメモに……シャーレイに見せれば分かるから……」

 

「!?」

 

 シャーレイ。

 

 その、名前は。

 

 

 

 

 

 

 

「久し振りだね、ケリィ」

 

 遮光の為の修道服のようなコートのフードを外し、その下から現れたのは、20年前と少しも変わらない少女の笑顔だった。

 

「……」

 

 あの時と同じ目を向けられて、切嗣は思わず目を逸らした。

 

 この20年で彼女は全く変わっていないのに、自分はこんなにも変わってしまった。

 

「君は……どうして……あの時……死んだ筈じゃ……」

 

「うん……私も本当なら処理される筈だったけど、店長が私を助けてくれたのよ」

 

 あの惨劇の日、フィオがアリマゴ島に居たのは全くの偶然だった。たまの休暇を南海の孤島で過ごそうと、バカンスに来ていたのだが……そこで起こった食屍鬼騒ぎ。

 

 生存者を捜して島中を駆け回る中で彼女は、不完全な死徒となっていたシャーレイを見付けて拘束し、自分の研究室に連れて帰った。

 

 彼女はヴァンパイア・ハンターであるロード・バルトメロイとも親交が深く、重要任務に就くクロンの大隊の訓練を任されるような対死徒戦闘に於けるプロ中のプロ。当然、死徒については知り尽くしている。

 

 そんなフィオだから、あの時、例え死徒であろうと救える可能性があったのはシャーレイだけだと分かっていた。だから彼女は、救う為に自分の力を使う事を厭わなかった。

 

 調べてみれば、彼女が理性を無くして暴走していた理由はすぐに分かった。

 

 彼女の死徒化は通常の食屍鬼から死徒になるというプロセスを経てのものではく、何かの薬品による不完全な死徒化だった。似たような事例を、フィオは何度も見た事があった。当然、完全な死徒として安定させる手段も知っている。

 

 そもそも魔術師が研究の為の永い時間を求めて自身を死徒化するというのは珍しい話でもなく、フィオは友達にも何人か死徒の魔術師が居る。勿論、バルトメロイには内緒だ。

 

 そうした知識を活かして、フィオはシャーレイに対して調整を行ったのだ。残念ながら吸血衝動は残ってしまったが。

 

「でもまぁ……今時、血なんて輸血パックでいくらでも手に入るからね」

 

 尤も、封印指定として逃亡生活を続け、人里離れた場所に居を構える衛宮矩賢にとってはそうも行かなかったのだろうが。

 

「……それで、私はそれからずっと店長の助手として働かせてもらってるの。で、ケリィ。君は……なりたかった大人に、なれた?」

 

 あの頃と同じ屈託の無い笑顔で語られる問いの、何と残酷な事だろう。切嗣は言葉に詰まって、俯いてしまう。

 

 自分がシャーレイを殺してやれなかったから、あの地獄が起きた。

 

 だから、もうあんな事を起こさないように。一人でも多くの命を救えるように。

 

 そんな正義の味方に、なりたかった。なった筈だった。そう在って、走り続けてきた筈だった。

 

 より多くを救う為に、より少なくを……!!

 

 だがシャーレイは実際にはこうして生きている。ならばこれまで自分がやってきた事は、何だったと言うのだ?

 

「ふむ」

 

 シャーレイはそんな内心の葛藤をもろに表情に出して顔を歪めた切嗣につかつかと近付いていき、ぽんと頭に手を置いた。今の切嗣はシャーレイよりもずっと背が高くて、そうする為に彼女は背伸びしなければならなかった。

 

「どうやら、まだそうなりたかった大人にはなれてないみたいだね? じゃあ、質問を変えるよ? ケリィが今、一番大切にしているのは、何?」

 

「僕、の……大切な、ものは……」

 

 切嗣は顔を上げる。時を越えて、あの日と同じ笑顔が自分に向けられている。永遠に失ってしまった筈のものが。

 

 彼女のような笑顔が失われない世界を求めて奇跡に縋り、だが破れ、アイリを失って、何も変えられず。しかし如何なる天の気紛れか、アイリを、最愛の妻をもう一度この手に取り戻す道が示されている。

 

 今度こそ、失わずに済む道が。

 

 それは闇の中に差した光。何もかも失ってしまった切嗣にとって、最後にたった一つだけ残った道しるべだった。

 

 アイリを喪った時、殺人機械としての衛宮切嗣は完全に壊れたのだ。故に今、ここに居るのは。

 

「僕が大切なのは……アイリ、僕の奥さんと……娘の……イリヤだ」

 

 それを聞いたシャーレイは「よくできました」とにっこり笑って、目一杯背伸びして切嗣の頭を撫でる。魔術師殺しはそれを拒もうともせず、ただされるがままに任せていた。

 

 ここに居るのはどこにでもいる、家族を愛する一人の男だった。

 

 

 

 

 

 

 

「全く……魔術師殺しめ、手間を取らせおって」

 

 そんな二人の様子を遠目から見守っていたケイネスは、やれやれと首を振った。

 

『どのような人間であれ、愛した者が一番大切なのは当たり前だ。例え全てを失う羽目になろうと、その者達を守る事に何を躊躇うと言うのだ?』

 

 凄絶な過去を聞いて、切嗣が今に至るまでの経緯について理解は出来た。だが、納得は出来ない。

 

 自分が彼でアイリスフィールがソラウだったのなら、ケイネスは間違いなくソラウを連れて逃げていたと断言出来る。彼はソラウを世界の全てと天秤に掛けてさえ、尚彼女へと針が傾くほどに愛していた。認めたくないが、あの魔術師殺しが妻に向ける想いとてそれに劣るものではあるまい。なのに何故、それを失う道を選べるのか。

 

「みんな、色々あるのよ」

 

 そう言いながらフィオがやってくる。

 

「ところでロード・エルメロイ、私達以外で残っている二人のマスターの内、アサシンのマスターは元代行者ですって?」

 

「ええ……魔術師殺しが集めた情報で、言峰綺礼という男だと……」

 

 それを聞いたフィオの表情が、明らかに曇る。

 

 この反応はケイネスにとっては疑問だった。確かに代行者と言えば恐るべき使い手だろう。しかし、およそ人として究極の強さを持つであろう彼女が、こうまで露骨な忌避感を示すとは……?

 

「私、昔から代行者にはあまり良い思い出が無くてね……」

 

 始まりは、今から30年ほど前か。当時、日本の海洋冒険家がヨットで太平洋を横断したというニュースを聞いたフィオは、ならばと対抗心を燃やして自分は北米大陸を一頭の馬で横断しようと考え、思い立ったが吉日とばかりに数日後には実行に移ったのだ。

 

 果たしてアリゾナの砂漠に迷い込んで死に掛けた事もあったが、2ヶ月少しの時間を経て彼女はその誰に知られる事もないしかし人類初の試みを成功させる。しかし、その途中で聖堂教会の連中と度々いざこざがあった。彼等はどうやらフィオが旅の途中で見付けたミイラを手に入れようとしていたらしいが……それを渡す渡さないで押し問答のすったもんだがあり、最終的にはバトルへと発展したのだ。

 

 結論から言うと、その遺体は誰の手にも渡る事はなかった。旅を終えたフィオは船で国外に逃亡しようとしたが代行者達はしつこく追ってきて、両者の最後の戦闘の余波で船底に穴が空き、船は沈没。それに巻き込まれて遺体は誰の手も届かない深海へと永遠に葬られた。

 

 それが切っ掛けで、彼女は度々刺客としてやって来る代行者に襲われる羽目になり……だが最終的にはバルトメロイの取りなしもあって教会からも「今回の事は一部のタカ派・過激派の暴走であり、今後そうした事の無いように厳重に注意する」というありがたいお言葉を頂いて手打ちとなり、彼女の安全は保証された。少なくとも表向きには。

 

 しかし今思い出しても、自分が戦った代行者達は腕利き揃いだった。恐らくは定員割れが起こればすぐにでも埋葬機関のメンバーになり得るぐらいの。

 

「銃剣型の黒鍵で蜂の巣にされそうになったり、舌の十字架の軌跡に沿ってこっちを狙ってくる風の刃に切り刻まれそうになったり……人間で私と五分のケンカが出来るのはバルトメロイ以外には埋葬機関の代行者ぐらいだと思ってたけど……思い上がってたわ」

 

 自嘲するように笑う。

 

 とは言え、言峰綺礼が現れた際には自分が相手せねばなるまい。そしてそれは、明日明後日の出来事ではない。

 

「ロード・エルメロイ、ランサーに言って戦闘準備を整えさせなさい」

 

「……と、申しますと……」

 

「アサシンとバーサーカー……奴等は今夜来るわよ」

 

 今夜が、第四次聖杯戦争が決着する夜となる。

 



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第14話 決戦開始

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 午後11時を過ぎて、天上には満月が煌々と輝いている。

 

 ネズミやリスといった小動物はおろか、木々から草花に至るまで眠っているかのように、不気味なほど何の気配も感じないアインツベルンの森を、二人の男が進んでいく。

 

 一人はカソックを着た神父然とした青年。何らかの武術の心得があるのかきびきびとした動きで、目印などまるで無いようなこの夜の森中にあっても迷いを感じさせない足運びでずんずんと真っ直ぐに進んでいく。

 

 もう一人はパーカーを目深に被った、神父よりはわずかに年上に見える青年であった。しかし、今は服に隠されている面貌を見れば誰もが息を呑んだろう。彼の半面は仮面のように硬直し、瞳は白濁している。

 

 異常は顔だけではなかった。身軽そうな神父とは対照的に男の動きは油の切れたロボットのようにぎこちなく、しかもそのぎこちない動きの中で左半身は更にテンポが遅れていて、ずるずると引き摺っている。

 

 男の名は間桐雁夜。御三家の一角である間桐家からの参加者であり、バーサーカーのマスターであった。

 

 神父の名は言峰綺礼。この聖杯戦争においては真っ先に脱落した筈のアサシンのマスターである。

 

 本来ならば出会った時点で殺し合いに至るマスター同士が肩を並べて同じ方向に進んでいる意味は、一つだけ。即ち二陣営の同盟である。

 

 この同盟を持ち掛けたのは、綺礼の方であった。

 

 本来であれば彼は魔術の師である遠坂時臣と表向き決裂したように見せ掛けて、その実水面下では諜報能力に秀でたアサシンによって、最高の攻撃力を誇るアーチャー・ギルガメッシュを擁する師のサポートに回るのが役目であった。

 

 だが、最大のイレギュラーと言えるフィオ・レンティーナ・グランベルの参戦によって事態は予想を大きく裏切る動きを見せた。

 

 最強のサーヴァントであるギルガメッシュがあろうことか最初の脱落サーヴァントとなり、更に最優とされたセイバーもランサー陣営によって打ち倒された。

 

 そしてアサシン達の調査によればどのような経緯があったかまでは不明だが、衛宮切嗣を含むアインツベルン陣営、ランサー陣営、そしてライダー・キャスター陣営は全てアインツベルン城に集結したまま動かないという。

 

『今の私が衛宮切嗣に会うには、この手しかあるまい』

 

 この展開はライダーの戦車によって教会まで送られてきて、約定に従い保護を受けた時臣を見た時点で綺礼の頭の中に浮かんでいたものだった。

 

 ただ、セイバーの脱落と3騎ものサーヴァントがアインツベルン城に集まっているのは彼にとっても予想外だった。それ故の、間頭雁夜との同盟であった。

 

 彼のアサシンには無数に分裂する能力がある。分裂する毎に個々の能力は低下するが最大80人までの分裂を可能とし、いかに能力が低下したと言ってもそれはサーヴァントとしての話。人間のマスター相手には十分な脅威となる。

 

 諜報面では気配遮断スキルとあいまって無敵の能力であり、戦闘面に於いても(多少の犠牲を容認するのならという条件付きだが)どれほど敵サーヴァントがそのマスターを警護しようと、多勢に物を言わせた全方位攻撃によってごり押しのマスター殺しを可能とする脅威の能力である。

 

 ……とは言え、流石にそれでも三騎士の一角を含む3騎のサーヴァントが相手では勝負にならないだろう。

 

 それ故の、この同盟であった。

 

「はあっ……はあっ……こ、言峰……本当に、聖杯は俺に、渡してくれるんだろうな……!!」

 

 肉体を苛む苦痛に息を荒げつつ、すぐ隣を歩く雁夜が尋ねてくる。これで何度目の同じ問いだろう。綺礼はいい加減煩わしさを感じて、少しだけ語気が強くなった。

 

「無論だ。私は元より聖杯になど興味は無い。君はバーサーカーで、残りのサーヴァント達を蹴散らしてくれればいい。その後で聖杯は、君の好きにするがいい」

 

 それが、この同盟の条件だった。

 

 アサシン達には反逆を防ぐ為、あらかじめこれは雁夜の協力を得る為の嘘であると言い含めてある。アサシン達としても、当初の予定ではサポートに徹する筈だった遠坂時臣が脱落した今、綺礼が自分達を騙す理由も無いだろうという判断からその言葉を信用する姿勢を見せていた。

 

 一方で雁夜としては敵マスターが聖杯を自分に渡すなどという虫のいい話が、しかもそれを持ち掛けてきたのが恨み重なる時臣の弟子だった男では必然、疑いもしたが……彼も使い魔の虫による偵察は行っており、綺礼から説明された状況は自分の把握していたそれと合致している。これではバーサーカーの実力を以てしても単独で勝ち残るのは絶望的。胡散臭い話でも乗るしか、選択肢は無かった。

 

 綺礼の本心としては、もし本当に聖杯が手に入ったのなら雁夜に渡すつもりだった。聖杯になど興味が無いという言葉も真実だ。

 

『尤も……その時まで、この男が生きていられるとも思えないが』

 

 時臣の話では、間桐雁夜は魔道を嫌って家から逃げ出した落伍者であり、それが聖杯欲しさにおめおめと舞い戻った、という事らしい。ならばこの、文字通り身を削っているかのような尋常ならざる様子にも得心が行く。本来、長い時間を掛けて少しずつ修めていくべき魔術を、短期間で無理矢理”詰め込んだ”という事か。

 

 こんな様子で、ランサー・ライダー・キャスターを相手にバーサーカーを暴れさせて保つかどうかなど、魔術師としては見習いでしかない綺礼の目をしても答えは明らかだった。

 

『まぁ……それならそれで、構わないが』

 

 今の綺礼の心を占めているのは衛宮切嗣唯一人。彼と真っ向から向かい合い、得たのであろう”答え”を問い質す時間さえ稼いでくれるのなら、雁夜の生死など彼にはどうでもいい事だった。

 

 生きても良し、死んでも良し。

 

 周囲に展開して森中にトラップのように張り巡らされた鋼線(ワイヤー)を切断しつつ、主達の安全を確保していくアサシン群を従えて、二人のマスターは森の最奥・アインツベルン城へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「キャスター……儀式は、まだ終わらないの?」

 

 ほぼ同時刻、アインツベルン城の本丸からは少し離れた場所に建てられた離れ。

 

 たった一つしかない出入り口から入ってきたフィオが、魔法陣の上に寝かされたアイリスフィールより吸精を行っているキャスターに尋ねた。

 

「はい、ご主人様……今でも目一杯急いではいますが……これ以上はどうしても……」

 

 マスターに顔も向けずに返事するキャスターであったが、フィオはこれを不敬だとなじるような事はしない。寧ろ、いくら一大事と言っても集中力を要する儀式の最中に声を掛ける彼女の方が無神経だと叱責されるべき場面なのだ、これは。

 

 シャーレイとライダーが道具を持ってくると同時に準備を始め、儀式に取り掛かったキャスターであるが、開始からそれなりの時間が過ぎたと言うのに未だ行程は終了していない。

 

 呪術によってアイリスフィールに満ちた、サーヴァントの魂が分解された魔力を吸収する。ただ単に魔力を吸い出すだけならば1分もあれば十分だが、この儀式を行う大前提として、これはアイリの命を救う為に行うという一点がある。

 

 魔力を吸い出せてもその時アイリが死んでしまっていたのでは意味が無い。これは脳に刺さった針を脳そのものには傷を付けずに引き抜くような、高度の繊細さを求められる作業であった。

 

 よって慎重に、時間を掛けて行っているのだが……拙い事になった。

 

「アサシン達が、城に迫っているわ……」

 

「なっ……!!」

 

 それを聞いて思わず、まだ意識の戻らない妻の手を握っていた切嗣が腰を浮かす。

 

 フィオは簡単な結界として森中に礼装”アリアドネ”の鋼線を張り巡らせておいたが、それが次々に切られて突破されている。しかも一箇所や二箇所ではなく、十箇所以上がほぼ同時のタイミングで。

 

 夜の森で、しかもほぼ不可視のアリアドネを次々に切って、この城に迫ってくる。そんな凄腕の魔術師あるいは工作員が十人も二十人もこの冬木に入ってきているなど、切嗣が掴んだ情報にも無かった。考えられるのは全部で何人居るのか知れたものではないアサシンのみ。

 

 これはフィオの予想の範疇だった。

 

 それ以外の事も全て彼女の読み通りだとすれば、アサシンのマスター・言峰綺礼はバーサーカーのマスターと同盟を組んで攻め込んでくる。恐らくはマスターも含めての総力戦、今夜を決着の夜とするつもりで。

 

 小一時間も過ぎればこの城は、儀式に当たっているキャスターを除く総勢4騎のサーヴァントが入り乱れる一大決戦の舞台となるだろう。

 

 当然、ランサーとライダーとて全力で迎撃に当たらねばなるまい。となればバーサーカーとアサシン、それと考えたくはないがランサーとライダーが脱落して、どのサーヴァントであろうとその魂が変換された魔力がアイリの中に流れ込む事態は十分に考えられる。寧ろその可能性が極めて高い。お互い、手加減して戦えるような相手ではないのだから。

 

 その中で、アイリの中にプールされた魔力がリミットを越える時が一瞬でもあればアウトだ。彼女は死に、聖杯は起動する。

 

『ここまで来て、私達は彼女を救えない?』

 

 ふざけるな。

 

『認めないわよ、そんな事……!!』

 

 フィオがアイリと会話したのはほんの30分足らず。たったそれだけの関係。本来ならアイリが生きようが死のうが、彼女には何の関係も無い。

 

 だが、それでも。助けられるのだ。自分達は今、確かに死という底無し沼へと沈んでいくアイリスフィールの手を掴んでいる。後は、引っ張り上げるだけ。

 

 ここまで来て、助けられないなど。

 

『認められるか』

 

 フィオは、最後の切り札を切る事を決めた。

 

 胸に手を当て、気を張り巡らせる。フィオの背中に、光によって形作られた一本の剣の紋様が浮かび上がる。それは彼女の令呪、その最後の一画だった。令呪はサーヴァントを縛る鎖。それを失ってしまえばマスターにはそのサーヴァントを制御出来なくなり、万一の反逆に対応する事も出来なくなる。故に最後の一画は残しておくのが鉄則だが……

 

 だがフィオはこうも思うのだ。今使わずしていつ使うのかと。故に。

 

「令呪を以て我が朋友に願う。キャスター『儀式全ての作業を最短最速にて完了させ、アイリスフィールの命を救え』。絶対に成功させて!!」

 

「了解しました、ご主人様!!」

 

 剣は消え、最後の絶対命令が魔術師のサーヴァントに課せられる。キャスターはその命令に従い、ホムンクルスの体、その内側の聖杯から数秒前とは段違いのスピードで魔力を吸い上げ始める。今までは原始的な釣瓶によって井戸から一杯一杯えっちらおっちらと汲み上げていたのだとすれば、今は近代的なポンプを使っているようなものだ。しかも、アイリの体へ掛かる負担が最小限になるようにした上で。

 

 令呪によるサポートを受けた今、キャスターは機械以上の正確さ・繊細さで儀式を進める事が可能となった。これなら、きっと大丈夫。呪術師の表情に確信の笑みが浮かぶ。

 

「正直、聖杯戦争に参加するのを決めた時は、こんな風に令呪を使うなんて想像してなかったわ」

 

 他人が召喚したサーヴァントを、他人を救う為に。しかも、よりにもよって最後の一画を。フィオは苦笑する。

 

「でも、私は今のご命令をお待ちしてました。今のご主人様、とってもイケメンですよ!!」

 

 やはりこの人は、仕えるに値する主人だ。

 

 キャスター・タマモは確信する。

 

 令呪の有無など関係無い。まだたった二日前の事だが、もう何十年も昔の事のようにも思える。あの地獄に手を差し伸べて救い出してくれた時から、この人は私の全て。裏切るなんて、ありえない。

 

 そして今こそ、ご主人様の期待にお応えする時。

 

 ご主人様が私を救ってくれたように、今度は私がこの人を。

 

「大丈夫、必ず助けますよ!!」

 

「……すまない。あんたに、ここまでさせて……」

 

 切嗣は頭を下げると自分も迎撃に出るべく立ち上がったが、フィオに制された。

 

「今のあなたの仕事は、奥さんの手をしっかりと握ってあげている事よ」

 

 理論的ではない。科学的でもない。だがそれでも、今の切嗣はそうすべきだとフィオは思う。根拠など何も無いが、その方がアイリスフィールが助かる気がするし。それに、

 

「奥さんが目を覚まして最初に見るのは、旦那さんの笑顔であるべきでしょ?」

 

 そう言ってにっこり微笑むと彼女は退出し、出入り口を閉めた。そして、簡単には破壊されないよう扉と壁全体に強化を施す。

 

 儀式の場所として城内の一室ではなくこの離れを選んだのは、彼女の判断だった。

 

 バーサーカーとアサシンが今夜攻め込んでくるのは想定内。場所を移している余裕は無かったから、この城の中で可能な限り邪魔の入らないポイントを選ばねばならなかった。

 

 既にアサシンが幾人にも分身するのは確認済み。となれば正門の他に入り口や、簡単に割って侵入出来る窓がいくつもある城の中で儀式を行ったのでは、何人かがフィオ達を足止めして別働隊がアイリスフィールを……という展開も十分に有り得る。キャスターも儀式中では戦力として数えられない。

 

 その点この離れであれば、出入り口は一つだけで窓も無く、壁はマナが濃いので霊体化しての通り抜けも不可能。アサシンクラスの筋力では壁を破壊して侵入する事も不可能。

 

 守る側のこちらとしては、入り口を死守する事と壁を破壊出来るパワーを持つバーサーカーに注意を払えば良い。それにこれなら屋外を戦場と出来るので、ライダーの宝具である戦車もその威力を存分に発揮出来る。

 

 離れの前には、バランスボールのような「月霊髄液」(ヴォールメン・ハイドラグラム)を待機させ、すぐ傍にランサーを控えさせたケイネス。そして自慢の戦車に、シャーレイと舞弥を乗せたライダーが敵の到着を今や遅しと待ち構えていた。

 

 御者台に立つ二人はそれぞれ魔術によるエンチャントが施された銃火器を手にしている。

 

 右翼をカバーする舞弥は今回は、御者台に即席の銃座として据え付けられたM134ミニガンの射撃手として乗り込んでいた。コイツは”肉食獣”を撃つついでに派手に森林伐採をするには、うってつけの銃だ。生身の人間に当たれば痛みを感じる前にその命を奪う事も可能であろう事から”無痛銃”の異名で呼ばれる代物であった。

 

 これだけでも物凄いが左翼のカバーを任されたシャーレイの装備はその上を行く。彼女が使うのはこれも即席の銃座として戦車に搭載したM61・20ミリ砲身機関砲。本来ならば戦闘機に搭載される装備である。死徒の膂力を持つシャーレイをして、扱いには骨の折れるじゃじゃ馬だった。まともに当たれば人間など跡形も残らない。御者台の一角は樽のようなガンポッドが占領してしまっている。

 

 どちらもフィオが一体全体どんなコネを使って仕入れたのか、「緊急時の備え」として自宅の地下に隠していた物である。固定砲台とせずライダーの戦車に搭載したのは、バーサーカーに奪われない為の措置だった。

 

「……小さな国とでも、戦争する気だったんですか?」

 

 と、舞弥。流石の鉄の女も、これには呆れ顔だ。

 

 この聖杯戦争の為に切嗣が持ち込んだ銃火器の量もかなりのものがあったが、まさか日常からその上を行く者がいたとは……

 

「私も昔、店長に同じ台詞を言ったわ」

 

 と、輸血パックから血をトマトジュースのように飲みつつシャーレイが応じた。彼女も苦笑いしている。

 

 しかし、今回の聖杯戦争に巻き込まれた一件やシャーレイを助けた事例からも分かるが、これだけ備えを整えていても十分だとは言い切れないのがフィオの”不幸”の恐ろしい所である。

 

「やれやれ……余の戦車も随分無骨になってしまったのう……」

 

 手綱を握るライダーが困った表情を見せる。

 

「『原初の火』と同じく余自らデザインしたこの戦車に、よりにもよってそんな無粋な武器を載せるとは……」

 

 不満もあるが、まぁ奏者のたっての頼みなのだ。ここは余の方から折れておくとしよう。

 

 そう思ってフィオへと視線を動かすと、ライダーは一つの違和感に気付いた。彼女の体のどこからも、令呪の気配が感じられない。

 

 フィオが先程、キャスターが儀式を行っている離れに入っていったのを思い出したライダーはそれですぐに、最後に一つ残っていた令呪の使途を悟った。

 

「……最後の令呪を使ってしまうのは賢い行いとは言えぬが……だが奏者よ、余は優しい者を好む。奏者のそういう所は、この胸の琴線に一際触れるぞ」

 

 令呪を使い切る事の危険を知らぬ奏者でもあるまい。アイリスフィールを救う為というのもあるだろうが……それと同じぐらいに、奏者は余やキャスターを信じてくれたのだ。

 

「その信頼に、応えなくてはなるまいて!!」

 

 奇しくも、騎乗兵のサーヴァントは魔術師のサーヴァントと同じ想いを抱き。御者の心を手綱越しに感じ取ったのか太陽神の眷属たる神馬達も一際強く嘶く。

 

「そう言えば、ライダー」

 

 と、フィオが御者台に立っていて自分よりかなり高い目線にいるライダーへと、尋ねた。

 

「ん? どうした、奏者よ」

 

「今までずっと聞きそびれてたけど……聖杯に託すあなたの願いは、何? この戦いが終わった後にはそれを叶えるように、私もキャスターに言うけど……」

 

 フィオの声には申し訳なさが滲んでいる。

 

 聖杯を万能の願望機たらしめるのは、そこに溜め込まれたおよそ何でも叶える事が出来るほどの魔力。今はアイリの中にあるそれをキャスターが吸収する訳だから、必然、ライダーの願いはその魔力を運用してキャスターが叶える事となるだろう。だが、万一キャスターが嫌だと言ったら……

 

 その時はもう、令呪を失っているフィオはそれを止める術を持たない。ありえないとは思うが、その事態が起きてこれまで共に戦ってくれた戦友に報いる事が出来ないと思うと……

 

 だがライダーはゆっくりと首を振ると、優しい声で応じる。

 

「その事なら、心配する必要は無い。奏者よ」

 

 その可能性については、城のサロンでこの案が出た時からライダーにも思い至っていた。だが、彼女は反対意見を唱えるどころか嫌な顔一つ見せなかった。

 

 つまり……

 

「余の願いはもう……叶っておる。いや、この言い方は違うな」

 

 暴君ははにかむような表情を見せて、言い直す。

 

「そなたが、シャーレイが、そしてキャスターの奴めが、叶えてくれた」

 

 嘘ではない。声が、表情が、瞳が。それがネロ・クラウディウスの本心であると優しく語っている。

 

「故に奏者よ、そなたは何も気兼ねする必要は無いぞ。為し得る限りを尽くし、アイリスフィールを救うがよい。余も持ち得る全てを以て助けになると、約束しよう」

 

「……ありがとう、ライダー」

 

 フィオが、腰を曲げて頭を下げる。その時だった。

 

「……!?」

 

 弾かれたようにばっと顔を上げるフィオ。同じく、ライダーそれにランサーも表情を厳しくして周囲を見渡す。

 

 僅かに遅れて戦士として鍛えられた舞弥と死徒であり夜目が利くシャーレイが。最後にケイネスが異常に気付いた。

 

 囲まれている。

 

 この離れのぐるりを包むように、闇に溶け込むような黒い衣装とそれだけがポツンと浮かび上がって見えるような髑髏を思わせる白い仮面が顔を出す。

 

 見間違える筈もない。アサシンだ。だが驚くべきは、その数。十人や二十人ではきかない。五十人、いやもっと。

 

 男もいる、女もいる。

 

 痩せぎすの者もいる、太った者もいる。

 

 ひょろ長い者もいる、ちびもいる。

 

 幼い者もいる、老人もいる。

 

 体格や特徴は様々だが、彼等の中に唯一つ見出す事の出来る共通点は、黒い衣装と白い仮面。それが、ここに集まったのが単純な分身や身代わりなどでは断じて無く、70を超える全ての影がアサシンのサーヴァントだと教えていた。

 

「我らは群にして」

 

「個のサーヴァント」

 

「されど」

 

「個にして」

 

「群の」

 

「影」

 

 生前の多重人格を原典とし、個々の人格の分割に伴い霊的ポテンシャルをも分割・無数に分裂する。これがアサシンが持つ宝具「妄想幻像」(ザバーニーヤ)の正体だった。

 

 本来、暗殺者が手の内を晒すなど愚行の中の愚行と言えるが……しかしもう、隠す意味も無い。どのみちこれから起こるのは、群体としての包囲襲撃によって最後の一人になろうが敵マスターを全滅させるという大一番。犠牲覚悟の決戦なのだから。

 

 暗殺者達に警護されるようにして、二人のマスターが姿を現す。綺礼と雁夜だ。

 

 雁夜のすぐ傍に、黒い靄のような魔力が集まり形を持ち始める。バーサーカーの実体化だ。

 

 やはり、奴等は同盟を組んでいた。フィオの読みは当たっていたのだ。

 

 それを見て取ったケイネスも動いた。手袋を外す。この一戦こそ第四次聖杯戦争の天王山。打てる手は全て打って、勝利を掴みに行く。

 

「令呪を以て我が無二の騎士に命ず。ランサーよ『この戦い、必ずや勝利せよ』」

 

「御意……!!」

 

 ケイネスの手から、令呪の一画が消失する。

 

「重ねて令呪を以て命ず。ランサー『必ずや生き延びろ』」

 

「御意……!!」

 

 二画目の令呪も消えた。僅かな喪失感が魔術師の胸に去来する。だが、それを惜しいとは感じない。主として第一の資質は、己が臣を信じる事。この騎士に、最後の一画を惜しむ必要など無い。

 

「更に重ねて命ず。『汝の願い、騎士の忠義を全うすべし』!!」

 

 最後の令呪が、消える。

 

 令呪による三重ブーストはこの戦いのみ、短い時間の効力しか持たないが、だがそれ故に高ランクの狂化にも匹敵する効能で以てランサーの能力を引き上げる。

 

「……凄いわね」

 

 傍らでそれを見守るフィオは、マスターに与えられた透視力によって今のランサーの状態が正確に把握出来ていた。

 

 

 

 筋力:A 耐久:B 敏捷:A++ 魔力:C 幸運:A+ 宝具:B

 

 

 

 総合力ではセイバーにすら引けを取らない。敏捷に於いてはアサシンクラスすら圧倒するだろう。あのバーサーカーの正確な実力は正体隠蔽の能力によって不明だが、これならばよもや遅れは取るまい。

 

「主よりの命、確かに承りました。必ずや全ての敵を打ち倒し、主の元に帰還するとお約束いたします!!」

 

 最大の援護を受けたフィアナの騎士は、今こそ己の忠道を全うする為、その二槍を取る。

 

「我が右手に「破魔の紅薔薇」(ゲイ・ジャルグ)、左手に「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)ある限り、我が主に敗北はありえず!! 蒼天我らが上に落ちたらぬ限り、緑なす大地引き裂けて我らを呑み込まぬ限り、泡立つ海押し寄せて我らを溺らしめぬ限り、この誓い、破らるる事無し!! ディルムッド・オディナが此処に誓う!!」

 

 その、古き誓いの言葉が紡ぎ終えられるのと、漆黒の狂戦士が実体化を完了するのはほぼ同時であった。

 

 闇を纏うようなその騎士を前に、ランサーは一歩を踏み出し、紅槍の切っ先を向けて高らかに叫ぶ。

 

「バーサーカーよ、先日の戦いで貴様が何故セイバーに襲い掛かったのかは知らん。だが彼の王が倒れた今、彼女の剣は俺の中にある!! 故に貴様が騎士王を打ち倒さんと欲するのなら、このディルムッド・オディナを討ち取る他は無いと知れ!!」

 

 元よりバーサーカーが現れた場合、その相手は能力的に相性の良いランサーが行う手筈だった。狂戦士に通じる筈もないが、しかし同じ騎士の最低限の敬意として行われた宣誓だったが……

 

 不意に、バーサーカーに動きがあった。

 

 ぶるぶると震え始めて、総身を覆っていた黒靄が晴れていく。

 

 そうして露わとなったのは、歴戦の勲として疵を刻んだ黒鉄の鎧。それを見ただけでも、眼前の騎士がその生きた時代にあって武の極みにまで至った兵だと見る者に教えるには十分だった。

 

 だがそれ以上にサーヴァントも魔術師も、場の全員を驚愕させた物がある。

 

 それは、覆っていた闇が集結し、右手に実体となって顕現した漆黒の剣。

 

 一面黒に染め上げられているが、その威容を。刻まれた妖精文字を。宝具としての比類無き格を。特に英霊の座にまで招かれた者は見間違う筈がない。騎士王の剣と対を成す神造兵装「無毀なる湖光」(アロンダイト)。

 

 ならば重厚な兜に隠されたこの騎士の真名など、狂戦士が言葉を持たずとも語ったも同じ。

 

 アロンダイトを持つ騎士として考えられるのは、二人だけ。だが、今バーサーカーが手にする剣は「約束された勝利の剣」(エクスカリバー)の対たる聖剣にはほど遠い禍々しさ、魔剣の属性を帯びている。”魔剣としてのアロンダイト”を行使する騎士は唯一人。考えてみればその者は狂乱の逸話を持っているし、狂戦士(バーサーカー)のクラスで喚ばれた事にも説明が付く。

 

 円卓の騎士の中で、武芸に於いても人物に於いても随一と謳われた最高の騎士・ランスロット。

 

「■■■■■!!!!」

 

 怒号のようにも、怨嗟のようにも、呪詛のようにも、嘆きのようにも思える咆哮。湖の妖精より授かりし、決して欠ける事の無い伝説の剣を振りかざし、狂戦士はランサーへと奔る。

 

「フィアナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ!! 参る!!!!」

 

 合わせるようにランサーも、その影すらも捉えられぬような速度で突進し、両者はちょうど中間の位置で激突。何かが爆発したかのような凄まじい衝撃が周囲に走る。

 

 サーヴァント達がぶつかり合うと同時に、マスター達も動いた。

 

「虫共よ……この場の魔術師共を喰らい殺せ!! 一人残らずだ!!」

 

 バーサーカーの宝具使用と、自身の魔術行使。二重の負担による刻印虫の励起、その痛みによって全身の穴という穴から血を流しつつ、雁夜が命令を下す。

 

 その合図を待っていたかのように彼の足下に集まっていた太った鼠ほどの体躯を持つ幼虫達が次々脱皮し、成虫達は牙を剥いてフィオ達へと殺到する。

 

 しかし、ただの一匹も彼女達に食い付く事は出来なかった。

 

「Fervor,mei Sanguis(沸き立て、我が血潮)!!」

 

 ケイネスの指示によって膜状に変化した水銀が、バリアとなって虫達の進路を妨害、そのままトリモチのように捕まえてしまう。

 

「貴様の相手はこの私だ。魔術師が殺し合うという本当の意味を、存分にご教授して進ぜようではないか」

 

 バーサーカー陣営とランサー陣営の激突も始まり、もう一方の陣営もまた、睨み合いから戦いへと移行する、一歩手前だと言えた。

 

 両手に黒鍵の刃を出現させ、身構える綺礼の姿を見てフィオは「ふむ」と感心したように嘆息する。

 

「どうした? 奏者よ」

 

「ああ、あの元代行者……奴は八極拳を使うわよ。それも、かなりの使い手ね……」

 

 畏敬の念を抱いているように言うが、しかし少しだけ、安心している部分もあった。構えや身のこなしから見て、あの銃剣使いの神父とか黄衣のシスターほどぶっ飛んだ相手ではないらしい。あれなら、何とかなるだろう。多分だけど。

 

「……そなたも八極拳とやらを使うのか?」

 

「ええ……昔、有名な先生に槍の技と一緒に習ったのよ」

 

 一触即発の状態だと言うのに、昔を懐かしむような目になるフィオ。

 

「尤も……私は浮気性だったから……免許皆伝をもらった後は、沢山の技よりも一つを極めろって教えに反してサンボや合気道とか、色々手を出したわ。勿論、八極拳の稽古も続けてたけどね」

 

 フィオは綺礼と相対する為に前に出て、百戦錬磨の元代行者すら見た事の無い異様な構えを取る。

 

「そうして様々な武術の長所、そして魔術のテイストをも取り込んで完成した私の魔術CQC!! その恐ろしさを見せてあげるわ!!」

 

 コートを脱ぎ捨てるフィオ。動きやすさを重視してチューブトップとサスペンダーで釣ったカーゴパンツのみの姿となり、鍛え抜かれた輝く肉体が露わになる。

 

 今こそが、決戦の時。マスターがコートを捨てたのは合図だったと悟り、ライダーが切り札たる宝具を発動させる。

 

「regnum caelorum et gehenna(レグナム カエロラム エト ジェヘナ)!! 築かれよ、我が摩天!! ここに至高の光を示せ!!」

 

 それはかつてフィオの固有結界に築いたのと同じ、世界を塗り替える大魔術。

 

 暴君ネロがローマに築いた黄金劇場が、今現代に蘇る。

 

 同時に、周囲を取り囲んでいたアサシン達も一斉に動き出した。だが、黄金劇場のきらびやかさが闇に紛れるという彼等のアドバンテージを、完全に消滅させている。

 

 これなら、こちらが有利。

 

「よし!! 我らも征くぞ!!!!」

 

「「はい!!!!」」

 

 舞弥とシャーレイが力強い返事を返すのと、ライダーが手綱を打って宝具を発進させるのはほぼ同時だった。戦車が走り出すと同時に、二人も両手で銃座を把持し、しっかりと狙いを付ける。

 

 ライダーとアサシンによるサーヴァント戦が始まった。

 

 それを見て取った綺礼が、口を開く。

 

「そこを退け、フィオ・レンティーナ・グランベル……私の狙いは衛宮切嗣だけだ……」

 

「あら? ”そーいうの”はあなた達の教義では禁じているのではなかったかしら? 代行者」

 

 構えを崩さずに、軽口を放ってみせるフィオ。

 

「それに……今の彼は妻の手を握って、手術の成功を祈っている真っ最中。邪魔は……野暮というものよ?」

 

 そう言うと前に突き出していた右手を90度だけ回して掌を空に向けると、指を何度か、くいくいっと動かす。

 

「かかって来なさい。あなたは、ここでツブす。第四次聖杯戦争の決着!! この場で着けるわよ!!」

 



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第15話 鏡像の騎士

 

「シャーレイさん、弾幕を切らさないで!!」

 

 ミニガンから毎秒数十発というペースで7.62x51mmNATO弾をばらまきながら、銃声に負けじと舞弥が大声を張り上げる。

 

「了解!! 舞弥さん!!」

 

 シャーレイも本来なら戦闘機に搭載される重機関銃を操り、秒間100発以上にもなろうかという20mm口径弾をアサシン群にお見舞いしていく。

 

 これほどの速度での連射の場合、反動は2トンにも達しとても生身の人間では扱えない。なまじの魔術師でも同じだ。少なくとも舞弥には無理だ。切嗣も同じだろう。これほどの反動をしっかり受け止めて照準をブレさせずに正確な射撃が出来るのは、最高度の強化魔術を扱うフィオクラスの魔術師か、さもなくば人間の限界を超えたパワーを持つ死徒ぐらいのものであろう。

 

 後者であるシャーレイは、彼女自身はそれが出来ていたが、しかし衝撃は乗っている戦車にも伝わってくる。

 

「ぬおおっ!? ず、随分と揺れるな!!」

 

 仮にも宝具である太陽神由来の戦車はその程度で横転する事はなかったが、ライダーはこれまでに経験した事が無い種類の揺れの中で戸惑いながら、しかし持ち前の騎乗スキルA+を活かしてしっかりと戦車を制御し、アサシン達に取り付く隙を与えなかった。

 

 機関銃二機と、四頭の神馬が纏う炎。

 

 人間相手であればそれこそ1対100であろうと勝利出来るだろう重火力だが、相手はサーヴァントだ。正面きっての戦いでは最弱のキャスターにすら劣るアサシン、しかも無数に分裂した代償として個々の能力は軒並み低下していると言ってもそれでもサーヴァント。容易い相手ではない。ライダーは兎も角、舞弥やシャーレイはまともに戦ったのでは相手にすらなるまい。

 

 彼女等が使う銃にはどれも魔術によるエンチャントが施され、発射される弾丸に神秘が宿る仕組みになっている。故に、サーヴァントにもダメージを与える事が出来る。

 

 しかしサーヴァントはそれ自体が高位の神秘の塊とも言える存在だ。低位の神秘を宿しただけの弾丸では効果があると言っても、それで倒せるという訳ではなく決定打にはほど遠い。精々が牽制程度の役割しか出来ないのだが……

 

 だが、今回は事情が違っていた。

 

「……動きが鈍い?」

 

 敵の数が多い事もあって下手に狙わず撃ちまくりながら、舞弥がひとりごちる。

 

 いや、十分に速いがそれでも第一戦で彼女が使い魔越しに見た、遠坂邸に侵入したアサシンのスピードからすれば些か動きが鈍い気がする。

 

 これは彼女の錯覚ではなく、ライダーが展開した「招き蕩う黄金劇場」(アエストゥス・ドムス・アウレア)の効果だった。この宝具には展開中、内部に閉じ込めた敵を弱体化させる力がある。

 

 アサシン達にとっては本来闇に紛れて動く自分達が逆にその姿をくっきりと露わにしてしまう煌びやかな舞台に引きずり出され、しかも能力を制限されてしまって本来なら蚊が刺した程度の痛痒しか感じないような攻撃にも防御を必要とするこの状況は、二重の不利だと言えた。

 

「はぁっ!!」

 

 跳躍して戦車に乗り移ろうとしたアサシンの一人を、ライダーは「原初の火」で斬り捨てる。

 

 ほぼ同時に戦車の進路上から逃げ切れなかった2体を、神馬達が蹴り飛ばして業火で焼いた。

 

「油断するでないぞ!! 二人とも!!」

 

「了解しました」

 

「はい!! ライダーさん!!」

 

 徐々に数を減らしてはいるが、それでもまだ50体以上は居る暗殺者の群れを睨みつつ、ライダーは思い切り戦車を旋回させる。

 

 自分達はアサシン相手に集中出来るが、最高峰とは言え所詮は人間の魔術師でしかないケイネスや、アサシンのマスター・言峰綺礼と相対するフィオ。それにバーサーカーとの一騎打ちの最中であるランサー。彼等が暗殺者達の標的になっては拙い事になる。

 

 それを考えるとあまり距離を取る訳にも行かなかった。奴等の意識を自分達に引きつけねば。

 

 元より、ここは彼女達の為だけの舞台。そこから降りて戦うなど考えられない。

 

「まだまだここから、気を抜くなよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「■■■■!!!!」

 

「狂化して尚衰えぬ域にまで練り上げられた武芸……!! 円卓最強の名に偽りは無し、という事か!!」

 

 バーサーカー・ランスロットとランサー・ディルムッドの戦いは、「無毀なる湖光」(アロンダイト)と「破魔の紅薔薇」(ゲイ・ジャルグ)・「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)がぶつかり合う一合一合の衝撃によって周囲の大気を吹き飛ばすような桁外れの攻撃を、次々に繰り出しながら互いにそれを次々に防御し合い、続いていく。

 

 アロンダイトの使用に伴い正体隠蔽の黒霧の宝具「己が栄光の為でなく」(フォーサムワンズグローリー)の使用を解除した事で露わになったバーサーカーの現在のステータスの内、白兵戦に求められるものは三つの令呪によって補助を受けたランサーのそれとほぼ拮抗している。

 

 

 

 筋力:A 耐久:A 敏捷:A+ 魔力:C 幸運:B 宝具:A

 

 

 

 本来であれば彼の宝具である魔剣・アロンダイトは真名解放によって使用者を強化し、更に生前の竜退治の逸話に因んで竜の因子を持つ相手に対して効果的なダメージを与える事を可能とする。

 

 だが現在、神造兵装はその能力の半分も発揮出来てはいない。

 

 ライダーが展開した「劇場」は閉じ込めた敵の能力を低下させる。この効果はバーサーカーにも適用され、アロンダイトによるステータスアップは「劇場」のステータスダウンが完全に相殺してしまっていた。アロンダイトにはこうした特殊攻撃に対して影響を受けにくくなる加護を担い手に与える効果もあるが、「劇場」はただの状態異常を与える特殊攻撃ではなく固有結界にも似た、世界そのものを塗り替える大魔術。「攻撃」を避ける事は出来ても「世界」から逃れる術は無い。

 

 一方でライダーと現在共闘関係にあるランサーは影響を受けていない。

 

 しかも現在バーサーカーが相対しているのはディルムッド・オディナ。彼は竜の因子など持ち合わせておらず、これでは竜殺しの能力も無用の長物。今のアロンダイトはただの「刃毀れしない剣」でしかない。この状況はまるであつらえたかのように、魔剣の長所を殺してしまっていた。

 

 無論、ランスロットほどの武人が持てば「刃毀れしない剣」とて十分に恐ろしい武器と化す事には違いない。

 

 大英雄が、しかも狂戦士と化した事で高められたパワーと壊れる事のない武器。しかも単純な力任せでブン回すのではなく、生前の技量そのままの鋭さで打ち込んでくる。

 

 その一撃一撃を捌くのは、三つの令呪によって強化されたランサーをして骨の折れる作業だった。

 

 バーサーカーの武器はその特性からどれほど乱暴に扱ったとしても破損の心配は無いが、ランサーの二槍はそうは行かない。ゲイ・ジャルグもゲイ・ボウも、これほどのパワーと強度にモロにぶつかったのでは何発も耐える事は叶わないだろう。

 

 故にランサーは遮二無二飛んでくる攻撃を真っ向から受け止めるのではなく、魔槍を僅かに魔剣に触れさせ、力のベクトルを変化させて受け流す戦法を選択していた。

 

 ……と、言葉にするのは簡単であるが。それはゼロコンマ1秒あるかないかという刹那の時間の出来事。それをたった一回ではなく、幾度も続けて成功させなければならない。失敗すれば、速度を活かす為に軽装備のランサーでは一撃で倒されかねない。

 

 しかも攻撃を繰り出してきているのは、こと純粋な騎士としての技量にあっては最高位の剣の英霊たるアーサー王を押さえ、太陽の騎士と謳われたガウェイン卿を押さえて、キャメロットでも随一とされた湖の騎士。

 

 それほどの実力者が繰り出す攻撃を前に、神業のような防御を成功させ続けている事実一つを鑑みても、ディルムッド・オディナの実力が窺い知れるというものだ。

 

 横薙ぎに振られ空間に黒い扇のような影を残して襲い来るアロンダイトを、ランサーはゲイ・ボウを剣術で言う逆風の軌道で繰り出して衝突させ、カチ上げる事で軌道を変える。

 

 瞬間、生じる僅かな隙。

 

 そこを狙ってゲイ・ジャルグを突き出す。

 

 この反撃はランサーが敏捷の能力値で勝っているからこそ出来る事だが、次に襲ってくる一撃を回避する事を念頭に置かねばならない為に踏み込みは浅く、故に体重を乗せ切れず、強力な一撃とは言えない。

 

 そんな攻撃では、重戦車のようなバーサーカーの鎧は貫けない。

 

 普通の、槍ならば。

 

 ゲイ・ジャルグは魔力の循環を断つ破魔の槍。この刃の前ではどれほど分厚い城壁のような装甲であろうと、それが魔力によって構成されている限りは丸裸も同じ。

 

 紅い刃は漆黒の鎧を抵抗感無くすり抜けるようにして、浅手ではあるが狂戦士の体に傷を刻む事に成功する。

 

「■■■■!!!!」

 

 それは痛みによる絶叫か、それとも戦う為の雄叫びか。

 

 いずれにせよバーサーカーは更にいきり立って、ディルムッドに襲い掛かってくる。

 

 予想していたランサーはその一撃をかわし、大振りを避け、小さく、細かく、幾度もゲイ・ジャルグを繰り出し、一撃一撃はどれも浅くはあるが、しかし確実にバーサーカーにダメージを蓄積させていく。

 

「■■■■!!!!」

 

 にも関わらず、狂獣の勢いには些かの衰えも生じない。

 

 底知れぬ狂気は、最高の騎士から痛みを感じるだけの理性・感覚さえも奪い取ってしまっているのか。

 

 だがそのような状態にあってもスキル「無窮の武錬」として昇華されるまでに至ったランスロットの技の冴えは衰えない。

 

 セイバー戦と同じく五分近い戦いではあるが、やはり大英雄相手では格で劣るランサーの方がほんの僅かだけ不利に思える。

 

「ぬうっ……!!」

 

 それは、戦っている本人が一番感じている事であった。

 

「■■■■!!!!」

 

 だが、ランサーは負けられない。

 

「俺は負けん……!! 他の誰に負けても貴様にだけは、断じて負ける訳には行かん!!!!」

 

 槍兵が吼えた。

 

 ランスロットは最高の騎士の異名ともう一つ、アーサー王の妻であるギネヴィア王妃との恋に落ち、ブリテン崩壊の一端を担ったとされる裏切りの騎士の汚名でも呼ばれる英霊である。

 

 あたかも、課せられた聖誓(ゲッシュ)に逆らえず、主君たるフィン・マックールの婚約者・グラニアを連れて出奔した、ディルムッド・オディナのように。

 

 一説には、ランスロットの逸話はディルムッドのそれが原典であったとも言われている。

 

 ランサーの聖杯戦争に懸ける望みは、前世では叶う事の無かった忠節の道。今度こそ最後まで、たった一人の主を決して裏切らず、忠を尽くし、貫き通し、全うする事。

 

 その願いが。

 

 死して尚失われぬ騎士の誠が。

 

 告げている。叫んでいる。

 

 この相手にだけは、負けてはならぬと。

 

「はあっ!!」

 

「■■■■!!!!」

 

 ゲイ・ジャルグとアロンダイト。魔槍と魔剣がぶつかり合い、大気が空間に波紋を描くほどの勢いで弾かれる。

 

 防御など全く考えていないようなバーサーカーの連続攻撃を凌ぎつつ、ランサーは思案を巡らす。

 

『円卓最強の騎士、ランスロット……やはり、強い!!』

 

 彼我の実力差はまだ微々たるものでしかないが、しかし逆に言えば僅かながら差があるという事でもある。このままの戦いを続けていれば、やがてその差は大きく開き、ランサーの不利は決定的なものとなるだろう。

 

 だがランサーの武器は、何も長短の二槍だけではない。

 

 スキル「心眼(真)」。苛烈な修行・鍛錬、そして膨大な実戦経験から得た戦闘論理。窮地に於いて活路を見出し、1パーセントの勝機を手繰り寄せるその力は、狂戦士と化した者には決して発揮する事の出来ない、ランサーのアドバンテージだった。

 

 その能力は、既に一つの勝ち筋をランサーに示している。

 

 自身の経験則を信じ、槍兵は今は守勢に徹している。

 

『まだだ、まだ……!!』

 

 バーサーカーを打ち倒すヒント。それは、ランスロットの逸話にこそある。

 

 

 

 

 

 

 

「お……あ……ああ……ああああああああああっ!!!!」

 

 従えるサーヴァントの状態をそのまま再現したかのように、理性が消し飛んだかのような絶叫を上げながら雁夜は翅刃虫の大群を操って、ケイネスへと殺到させる。

 

 これらは牛骨をも噛み砕く獰猛な肉食虫であり、魔術師としての間桐雁夜の切り札である。

 

 しかし虫の大群は、全てケイネスが周囲に展開した水銀膜に絡め取られてしまう。

 

 虫としては常識外れに大きい翅刃虫はパワーも相応であり、近距離では羽の動きで掻き分けられた空気の波が肌で知覚できるほどだ。

 

 しかしそんなパワーを以てしても水銀の中では羽ばたく事は叶わず、沈められ、押し潰されるだけに終わってしまう。

 

「さ………ら………あ……あ……うあああああっ!!」

 

 両目、鼻、耳、口。今や雁夜の顔は七つの穴から吹き出た血で真っ赤に染まっていて、しかも左半身の一部の肌は張り裂けて、そこからも血が流れ出している。見れば両手の十本の爪からも、血が吹き出ていた。

 

 励起した刻印虫は消費する分の魔力を生成する為、魔術の大原則たる等価交換の代価として雁夜の肉体を喰らっていく。

 

 剥き出しにされた痛覚神経にヤスリを掛けて削られるような、筆舌に尽くしがたい激痛。

 

 それはバーサーカーを普通に運用するだけでも相当なものがあるが、今のバーサーカーは全ての制御を受け付けずランサーに向けて暴走しており、おまけに宝具であるアロンダイトすら解放して、ただでさえ甚大な魔力消費に拍車を掛けてしまっている。

 

 更に自身の翅刃虫の使役。今の雁夜は考えられる限り派手に魔力を消費している。必然、刻印虫が与える痛みもその生成する魔力に比例するものとなる。

 

 常人であればものの数秒で肉体が死を選んでしまう、つまりショック死するであろう激痛。今の雁夜はそれにすら耐えて、虫共を操っていた。

 

 恐るべき精神力。

 

 しかし、そこまでが彼の限界だった。

 

 どれほどの精神力を持っていようと、そのような極限状態では正常な思考や論理立てた作戦の実行など、行える訳がない。今の雁夜は、ただ眼前の相手に虫達を真っ向から突っ込ませる事しか出来なかった。それは彼のサーヴァントも同じだ。如何に生前の技量が損なわれまいと、狂化して理性を失っているバーサーカーは戦術もへったくれもなく、ただ眼前の敵を滅殺するために奔るだけだ。

 

 様々な無理をして辛うじて聖杯戦争に参加出来るレベルにまで仕立て上げられた急造魔術師と、時計塔の中でも指折りである現代最高峰の魔術師。

 

 ただでさえ実力差があると言うのに、それを埋める策を執る事も出来ないのでは、このマスター戦に雁夜の勝機などある訳がなかった。

 

 唯一つあるとすれば、ケイネスが慢心した所に付け込む展開だが……

 

『……バーサーカーのマスター……魔術師としての腕は私の足下にも及ばぬが……』

 

 ケイネスは冷静に、そう評価する。実力的には負ける筈の無い相手だが……目の前のこの男が相当の無理をして自分に向かってきている事は、その姿や一挙一動から容易く窺い知れる。

 

 それが何なのか? 何故、そこまでするのか?

 

 出会ったばかりのケイネスには計り知れないが、向けられる獣のような目を見れば分かる。彼には、限界を超えて肉体を動かす何かがあるのだ。

 

『僅かだが危険を冒して、一気に勝負を決めに行く事は、出来る……!!』

 

 その為には現在、防御に回している「月霊髄液」の一部を、攻撃に転用せねばならない。

 

 まず9割以上の確率でこちらの攻撃が先んじて、あの男を真っ二つにするだろうが……

 

『だが……一割に満たぬ危険が残っている……!!』

 

 ケイネスは賭けに出る事をしなかった。窮鼠猫を噛むの例え通り、決死の覚悟を持った敵は思わぬ反撃を繰り出してくるかも知れない。それを警戒したのだ。

 

 この判断によって、僅かな勝機も摘み取られた。

 

 それでも雁夜には、虫達を突貫させるしか出来ない。そもそも正常な思考を行える状態であったとしても、魔術師として一年しか鍛錬を経ていない彼では、虫に複雑な動きを取らせるような器用な真似は出来ない。

 

 無駄な行いかも知れない。だがそれしか出来ない。いや、無駄だと思うような思考力さえ、今の雁夜には残っていない。

 

「さ……く……ら……ああああああああっ!!!!」

 

 救うんだ。

 

 聖杯を手に入れて、桜ちゃんを。

 

 返してやるんだ、暖かい世界に。

 

 だから、俺は、勝たねばならない。

 

「た…………け………い……ま…………ぐ……!!」

 

 視界が白くなる。

 

 音も聞こえなくなる。

 

 感覚の全てを痛みだけが埋め尽くしていく。

 

 だが不意に、何の前触れも無く全ての痛みが消えた。

 

「あ……?」

 

 一年前から虫の苗床とされて、既にボロボロだった彼の肉体が、遂に限界を迎えたのだ。

 

「か……は……?」

 

 自分の身に何が起きたのかさえ理解出来ずに、雁夜の意識が暗転する。

 

 どさり。

 

 石畳に転がった彼の体からは、既に息が絶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……■■!?」

 

 マスターの死亡に伴い魔力供給が途切れ、バーサーカーの動きが明確に鈍る。

 

 同時に、がくりと体勢が崩れた。

 

 ランサーがここまで戦いの中で全身に刻んだ幾筋もの傷のダメージが、ここへ来て無理矢理体を動かす為に使われていた魔力の補給が無くなった事で顔を出したのだ。

 

 この瞬間こそ、ランサーの狙っていた好機だった。マスターの魔力切れを狙っての長期戦。

 

 それ自体はバーサーカークラスと対決する際の常套手段であり目新しい戦術でもないが、しかしランスロットほどの大英雄を真っ向から相手取って同じ真似が出来る者など、サーヴァントの中でもどれほど居るか。

 

 かつてランスロットはガウェインと対峙した際、彼の騎士が無敵である太陽と共に在る時間を守勢に回る事で凌ぎ切り、その刻限が過ぎて日輪よりの恩恵が消滅した所を逆襲に転じたという逸話を持つ。今度は同じ事を自分がされる側になるとは、何たる皮肉であろうか。

 

「■■■■!!!!」

 

 単独行動スキルを持つアーチャークラスを除いて、マスターを失ったサーヴァントは長く現世に留まれない。それが魔力消費の激しいバーサーカークラスでは尚の事だ。

 

 それでも魔力を節約すれば多少は保つが、バーサーカーにはそんな思考を行うほどの理性は残されていない。その身に備蓄された魔力をあっという間に食い尽くし、みるみる動きが鈍っていく。

 

 振り下ろされるアロンダイト。だがディルムッドはそれを二槍の刃で受け止めると、手首に捻りを加えて絡め取り、手放させてしまう。

 

 ランスロット本来の実力ならばみすみすそんな真似は許さなかったろうが、マスター喪失によって力を失いつつある今の彼では、逆にブーストを受けて万全以上に能力を高められたランサーには抗いようもなかった。これでアロンダイトの効力も消失し、魔力不足によるステータス減少と「劇場」の効果によるステータスダウンが重なり、かつての能力は見る影も無くなってしまう。

 

 今こそが、勝機。

 

 ランサーが遂に、勝負に出る。

 

「抉れ!! ”破魔の紅薔薇”(ゲイ・ジャルグ)!!!!」

 

 渾身の力を込めて繰り出される紅槍の突き。その一撃は漆黒の鎧をやはり簡単に突き破ると、正確に狂戦士の心臓を貫いた。

 

「………!!!!」

 

 だが、ランサーの攻撃はまだ終わらない。すかさずゲイ・ジャルグを引き抜く、と同時に左手の短槍を突き出す。狙いはたった今ゲイ・ジャルグが抉った傷口と、寸分違わない場所。今まさに循環を取り戻した魔力によって修復されようとしている、鎧の破れ。

 

「穿て!! ”必滅の黄薔薇”(ゲイ・ボウ)!!!!」

 

 ゲイ・ボウにはゲイ・ジャルグのように鎧を突き抜けられるような効果は無いが、綻びが生じて脆くなっている箇所に、今やAランクにまで高められたランサーの筋力で以て叩き込めば話は別。

 

 先程の紅槍の軌道をそのままなぞるように繰り出された黄槍は、狂戦士の心臓・霊核を再び突き破り、治癒不能のダメージを与えた。

 

 ゲイ・ボウを引き抜き、武道で言う所の残心から間合いを置いて油断無く身構えるランサー。だが、その必要も無かった。バーサーカーはがくりと膝を付いたまま、動かない。二度のダメージによって霊核を完全破壊され、しかも治癒不能のダメージを与えられたとあっては例え戦闘続行スキルを持っていたとしても、動く事は難しいだろう。

 

 不意に、彼の兜が落ちる。鉄仮面の下から現れたのは憂いを帯びた顔立ちの美丈夫。それがランスロットの素顔だった。

 

 だがその顔は狂気によって歪んだものではなく、湖面の様に穏やかで、敗北したと言うのに晴れやかですらあった。それはサーヴァントとしての彼の役目が、終わった事の証明でもあった。契約は破棄され、同時にその魂も狂化の呪いから解き放たれたのだ。

 

「見事だ……フィアナ騎士団最強の騎士……ディルムッド・オディナ……」

 

 声も、先程まで獣のように吼えていた者とは思えぬほどに静かだった。

 

「先程、貴公は言ったな……アーサー王が倒れた今、王の剣は貴公の中にあると……」

 

「ああ……彼女は、強き英霊だった」

 

 それを聞いたランスロットは、ふっと安心したように笑う。

 

「ならばこれは……我が王が貴公の体を借りて、私への罰を下されたという事か……」

 

 その身を狂戦士にまでやつしてこの戦争に身を投じた湖の騎士の願いは、今この時に叶えられた。天を仰ぐと「ああ、よかった」と、安心したように呟くランスロット。

 

 許されざる裏切りの罪を、自らの王の手によって裁かれ、罰を与えられる事。そうする事で贖罪を信じ、いつの日にか自分を赦す道を探せるようになる事。それこそが誰も恨む事が出来ず、それ故に死して後も自責の念に苛まれ続けた不義不忠の騎士の願いだった。

 

 それは間接的にではあるが、ランサーが果たしてくれた。

 

「ディルムッド・オディナ、騎士の中の騎士よ……貴公と、王の手に掛かった事を私は……誇りに思う」

 

 この死が、ランスロットに下された罰であり、救いだった。

 

「貴公も……俺の知る限り最も偉大な騎士の一人だ。狂化しても衰えを知らぬその武勇、理性を失いながらも王の仇を討つ為に駆けたその忠義……円卓最強の騎士、サー・ランスロット。貴公の名が歴史に裏切りの騎士として記されようと……他の誰が知らなくとも……俺は知っている。貴公が真に忠節の騎士であった事を心に刻み、永遠のものとして。俺だけは、ずっと覚えている」

 

 セイバーを見送る時にそうしたように、双槍を掲げて最敬礼するランサー。それが理想の騎士に彼が示す事の出来る、最上の敬意だった。

 

「感謝する、ディルムッド…………ああ、我が王よ……こんな私でも……漸く……償う事が……」

 

 瞳を閉じたランスロットは徐々にその体を光塵と変えて崩れていき、やがて、消えていった。

 

 ランサーは理想の騎士を悼むように、僅かな時間だけ目を伏せる。

 

 何かが違っていれば、俺が奴だったかも知れない。

 

 だが、俺は奴ではない。この現世で最後まで、主の為の槍で在り続けてみせる。

 

「ランスロットよ、座より見ておけ……このディルムッド・オディナの生き様を!!」

 

 それこそがランサーからの、最高の騎士への餞だ。

 

 まだ戦いは続いている。

 

 分裂したアサシン達は既にライダー等によってかなりの数が討ち果たされ、ケイネスも防戦ながら良く持ち堪えている。

 

 合流したランサーもまた双槍を振って簡単に二人のアサシンを切り裂いた。

 

 残るアサシンはもう10体を切っている。

 

 後一息。

 

 ライダーも。舞弥も。シャーレイも。ケイネスも。ランサーも。誰もがその言葉を頭に思い浮かべたその時だった。

 

 ガラスが派手にブチ割れる音が響き。

 

 残ったアサシンも含めて場の全員の視線が、そちらへ集中する。

 

 劇場二階に据え付けられていたステンドグラスが派手に粉砕して、そこから人影が飛び出してきていた。

 



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第16話 死闘!! フィオVS綺礼

 

「うっ……」

 

「アイリ……!!」

 

 アインツベルン城の離れの中。

 

 魔法陣に横たわった妻が苦しげに呻くのを聞いて、切嗣は思わず声を上げる。

 

 それを見た吸精中のキャスターは、思わず苦笑してしまう。

 

 ご主人様から聞いた話では、衛宮切嗣と言えば一時期は相当な悪名を馳せた冷酷非道な魔術師殺しだという事だったが……

 

 しかしこうして見ている限りでは、本当に妻の手術が成功する事を手術室前の長椅子に腰掛けて必死に祈っているただの夫でしかない。あるいはこれが、本来の彼なのだろうか。シャーレイとも過去に何かあったようだし……それで、素の自分が表に出てきたのかも知れない。

 

 そんな事を考えつつも溜め込まれた魔力を吸収し続けるキャスターだが、どうも吸った端から微量ずつではあるがアイリの中に魔力が入ってきているような、そんな感じがする。

 

 分厚い壁越しにひっきりなしに銃声や爆音が聞こえてくる事から、外では未だ凄まじい戦闘が続いているのだろう。

 

 外の戦況がどんなものかはキャスターには計り知れない。

 

 ただ、今アイリスフィールへと流れ込んで、そのまま自分が吸収している魔力がライダーやランサーの魂ではない事を、キャスターは祈るしかできなかった。

 

 ご主人様やライダーは、自分なら必ずやこれを成し遂げると信じて任せてくれたのだ。ならば自分とて、外の彼女達が必ずや攻めてきた連中を蹴散らすと信じて、為し得る事・為すべき事を為すしかない。

 

『それこそが……私の戦いなのですから……!!』

 

 そう決めて、再び作業に集中する。その時だった。

 

 がしり、と、アイリに向けてかざしていた手が掴まれる感覚がする。

 

「ちょっと、あなた……?」

 

 切嗣が掴んだと思って咎めるような声を上げるキャスターだったが、そうではない。

 

 彼女の手を掴んでいるのは、アイリスフィールだった。

 

 意識が戻ったのか?

 

 いや、それにしてはおかしい。

 

 彼女は今の今まで、床に寝かされていた筈だ。

 

 それがどういう訳か、底無し沼を思わせる黒い泥のようなものの上に立っている。良く見れば着ている服も紫を基調とした衣装ではなく、黒いドレスへと変わっていた。

 

 アイリは優しい笑みを浮かべているがしかしそれを目の当たりにして、キャスターの尻尾や耳が警戒によってぴんと伸びる。特に尻尾は総毛だって、普段よりも一回り大きくなったように見えた。

 

「……!?」

 

 周りを見渡したキャスターは、異常がアイリだけではない事に気付いた。

 

 切嗣が居ない。

 

 それだけではなく、彼女は城の離れの中でアイリスフィールの傍にしゃがみ込んでいた筈なのに、いつの間にか上も下も無い灰色が掛かった虚空に漂っていた。そんな風船のようなキャスターの体を、アイリスフィールが繋ぎ止めている状態だ。

 

「あなたは……!!」

 

 不意に、その手がぐいっと引かれる。

 

 黒いドレスを着たアイリスフィールは足下から少しずつ泥へと沈んでおり、このままではキャスターもその泥へと飲まれてしまうだろう。

 

 泥の中からは嘆きのような、悲鳴のような。そんな僅かな声が響いてくるのをキャスターは感じていた。

 

 まるで、世界の全てを分け隔て無く呪うような。

 

「あなた、よもやそこま、ガ……!!」

 

 アイリの口が、三日月を思わせる形に歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 対峙するフィオと綺礼はどちらもまだ微動だにせず、5メートルほどの距離を保っていた。

 

 二人とも相当な使い手であるが故にその構えには寸分の隙も無く。故に先に動いた方の不利はどうしうようもない。

 

 だが、綺礼としてはいつまでもこうしている訳には行かなかった。

 

 キャスターが戦いに出てこないのが気になるが、状況はこちらが不利。間桐雁夜は限界が近いようだし、彼が死ねばバーサーカーも消える。それにアサシンも爆走するライダーの戦車とそこから繰り出される機銃射撃によって徐々に数を減らされてしまっている。

 

 このまま何の動きも無いまま時間が過ぎれば、それぞれの相手を倒したランサーかライダーがフィオの加勢に入ってくるのが目に見えている。そうなれば彼には勝ち目が無くなってしまう。

 

『不利は承知で……動かざるを得ないか……』

 

 そう考えた神父が、打って出ようとしたまさにその時だった。

 

 突然、正面に立つフィオの体が巨大化した。

 

「なっ!?」

 

 いや、違う。巨大化などしてはいない。

 

 震脚からの、活歩。

 

 共に八極拳の技法。地面を強く踏み付け、足捌きすら見せないままに五歩以上の距離を、滑るように移動する離れ業。綺礼も同じ技を使う事が出来る。だがフィオの技による踏み込みは恐ろしく速く。10の距離は一瞬にして0となった。故に綺礼の目には、突如として彼女の体が大きくなったように見えたのだ。

 

 フィオは綺礼が僅かに反応を遅らせたその瞬間を逃さず、素早く腕を取ると合気道で言う四方投げの要領で投げ飛ばしてしまう。綺礼は咄嗟に受け身を取るが、凄まじい勢いで床に叩き付けられた衝撃によって黒鍵を取り落としてしまった。

 

 だがすぐに立ち上がって、拳を突き出す。フィオもまたそれに合わせるようにして腕を振る。

 

 両者はゼロコンマ数秒ごとに互いに顔面や体幹の急所めがけて飛んでくる攻撃を、払い、捌き、しかもそこから反撃までしてみせる。

 

 サーヴァントの目をして鮮明には捉えられぬであろう攻撃速度。その速さはどちらも人間としては破格の実力を持つ達人とは言え、視覚で追従できる筈がない。事実フィオと綺礼は攻撃と防御、それらほぼ全ての動きを殆ど無意識の内に行っていた。

 

 『聴勁』。八極拳に於いて達人のみが為せる絶技であり、視覚で敵の動きを捉える事を必要とせず、腕と腕が触れ合った刹那に相手の次の行動を読み取る技法である。今の二人はもはや攻撃や防御をしようという意識すらなく、反射的な動きでしかし完璧に互いの攻撃を防ぎ、捌き切っていた。

 

 一連の技の掛け合いは互いに相手の次の動作を読み、それを防御する為に動き、更にこちらからの攻撃を……と、次の一手を読み合うチェスや将棋のような様相を呈していた。尤も、互いの持ち時間が一秒に満たないボードゲームなど有り得ないだろうが。

 

 だが、その均衡は突如として破られる。

 

「ふっ!!」

 

「がっ!?」

 

 フィオの拳が、綺礼の顔面に炸裂した。鼻血が飛び出る。

 

 綺礼の読みや、読んだ次の攻撃へ対応の為の動きが誤ったのではない。純粋にフィオの拳が、ガードしようとする彼の腕よりも早く動いたのだ。

 

 そのまま態勢を整える暇を与えず、もう一撃。

 

「ぶっ!!」

 

 二発続けて頭部に攻撃を受けた神父がぼうっとした所に、フィオはすかさず前蹴りを叩き込んだ。綺礼の体が吹っ飛んで地面に落ち、勢いのまま後ろ向きに一回転する。

 

「ぬうっ……」

 

 このままでは不利と見たのか、立ち上がった綺礼は体勢を立て直す為にすぐ傍にあった劇場の階段を上っていく。「逃がすか」とばかりフィオもその後を追う。

 

 階段はそう長いものではなく、フィオはすぐにある程度の広さを持った広い空間へと辿り着いた。

 

「うっ!!」

 

 と、同時に、通った軌跡の空気が消し飛ぶような鋭い蹴りが彼女を襲う。綺礼の放った回し蹴りだ。当たればフィオの首とて消し飛んでいた所だったが、彼女は咄嗟に身を屈めてかわしていた。そのまま前転して距離を取ると、改めて綺礼と対峙する。元代行者は鼻血で顔を真っ赤に染めているが、まだまだその威圧感は健在だ。

 

「フィオ・レンティーナ・グランベル……!! 貴様は……」

 

 この相手と対峙するに当たって、前評判から恐るべき実力者と見ていた綺礼であったが、その認識が甘かった事を思い知らされた。

 

 確かにこちらの不利はどうしようもあるまいが、しかし代行者を務めるまでに至った自分なら一片の勝機はあると考えていた。だが、甘かった。

 

 勝ち目が、無い。彼我の実力差はそれほどまでに隔たっている。

 

 そんな彼の思考を読み取ったように、フィオが言った。

 

「勝機が無いのは当然ね。あなたの生きた年数と、私の生きた年数ではあまりにも開きがありすぎる。何かで二乗にでもしない限り、埋められる数値(さ)ではないわ」

 

 「故に」と、構えを取るフィオ。

 

「命を掛ける事ね。あるいは、この身に届くかも知れないわよ?」

 

「……そこを、どけ……」

 

 だが、綺礼とて退く訳には行かない。これほどの強敵とは現役の代行者時代にすら出会った事は無かったが、それほどの相手であろうと、退けない。

 

 生まれ落ちて二十余年、ずっとこの身の内にぽっかりと空いていた穴を埋められるかも知れぬ、千載一遇の機会なのだ。

 

 代行者としての研鑽も、魔術の修行も。言峰綺礼の人生は、己にずっと課してきた試練の全てはこの時の為にあったと言っても過言ではない。なのに何故、退く事など出来ようか。

 

「そこを……どけぇぇっ!!」

 

 咆哮。崩拳が突き出される。フィオは半身ずらしでかわす。

 

 続いて前蹴り。彼女の体に届く前にガードされ、止められる。

 

 そのまま突きの連打。フィオは飛んでくる拳全てを八極拳で言う『纏』の要領で回すように動かした腕を当てて払い、捌き、ベクトルを変えさせて一発も体には届かせない。

 

 右足での上段蹴り。左腕でガードされ、止められる。

 

 再び、今度は左足での上段蹴り。フィオは身を屈めてかわす。だが、ここまでは綺礼も読み通り。そのまま流れるような動作で踵落としへと移行。しかし、最強の魔術師はこの複合攻撃にも反応してガードし、止めてしまう。

 

 右足の、上段と中段への二段蹴り。どちらも腕で止められる。

 

 左回し蹴り。体を屈めて避けるフィオ。

 

 もう一度、左回し蹴り。フィオは同じように上体を落としてかわす。

 

 更に左の下段への蹴り。右腕でガードされる。

 

 右上段蹴り。これまでの攻撃は布石。左からの攻撃に目を慣らせていた所への、逆方向からの奇襲。だがフィオはこれにさえ反応してガード、止めてしまう。

 

 再びの突きの連打。だが数秒前と同じように全て捌かれ、フィオの体には一発も届かない。

 

「ぬうっ……!!」

 

 元代行者の頬に汗が伝う。これほどまでの猛攻を以てしても、こちらの攻撃は一発もフィオに当たっていないどころか、彼女を一歩動かす事すら出来てはいない。全ての攻撃が見切られている。

 

『まさか、これほどの使い手がいるとは……!!』

 

 思い切り腰を捻って放つ、渾身の力を込めた回し蹴り。フィオはやはり事も無げに防御すると、遂に反撃に転じた。

 

 『鎖歩』。綺礼の足に自分の足を添えて、絡める事でバランスを崩す。蹴りを繰り出している最中の彼は軸足を刈られる形になり、為す術も無く転倒する。

 

 フィオはすかさず倒れた綺礼の腰をがしっと掴んで、女性のものとは到底思えない剛力で投げ飛ばしてしまう。この動きは八極拳を含む何かの格闘技のそれではなく、単純に持ち上げてブン投げただけだった。

 

 壁に叩き付けられ、一瞬綺礼の呼吸が止まった。そのまま床に落ちる。

 

 だが、こんな怪物を前に寝たままでいるなど自殺行為。故にすぐ起き上がろうとする彼の顔面に、靴裏がぶつかってきた。フィオのブーツだ。靴底には鉄板が仕込まれていて、当然魔術による強化も施されている。

 

 そうして体勢を崩した所をフィオは間髪入れず馬乗りになってマウントポジションを取ると、カーゴパンツからこれも強化が施された小型のハンマーを取り出し、二度三度と綺礼の顔面を殴りつける。元代行者の顔面は、既に至る所から流血して真っ赤に染まっていた。

 

 フィオはそこから更に綺礼の腕を自分の腕に絡めるようにして取り、再び投げ飛ばしてしまう。185センチの長身が独楽のように廻りながら横っ飛びして、床に転がる。

 

「お……おのれっ!!」

 

 再び立ち上がった綺礼は、今度は体を低くしてタックルを繰り出した。立ち技ではフィオの強さは圧倒的。ならば先程自分がされたようにマウントポジションを取れば。

 

 そう考えての行動だったが、しかしフィオは彼以上に体を低く沈み込ませると突っ込んでくる勢いを利用して、合気道の要領で足下から掬い上げるようにして投げ飛ばした。

 

 綺礼の体は、今度は縦に一回転して背中から床に叩き付けられた。

 

「はっ……はっ……」

 

 綺礼が息を切らしながら何とか立ち上がると、フィオは先程と同じく一分の隙も無い見事な構えで身構えつつ、彼の攻撃を迎え撃つ姿勢を取っていた。

 

 それを見た綺礼も幼少の頃より父と共に行った鍛錬により、体に染み付いた構えを取る。

 

「さあ……思い切って来なさい」

 

 ダメージ以外は互いに最初の状態へと戻ったのを見計らって、フィオが言う。それを合図として、再び綺礼が動いた。

 

 平凡の域を出ない腕前とは言え魔術によって強化された肉体から繰り出す、これ以上は無いと自信を持って言える利き足での、全力の回し蹴り。

 

 だがそれさえもフィオはあまりにもあっさりとガードして、捌いてしまった。

 

「もっと強く!! 腰を入れて!!」

 

「ふっ!! はっ!!」

 

 三発目、四発目と、次々に繰り出される一撃は全てが最高のものと思われた直前の一撃を、更に上回る威力で放たれる。

 

 しかしフィオはそのどれもを完璧に防ぎ、捌き、受け流してしまう。

 

「はっ!! はっ!! はあっ!!」

 

 五発、六発、七発。

 

 綺礼の放つ蹴りはどんどん強く、鋭く、重くなっていく。

 

「まだまだ!!」

 

 しかし、それを以てしてもフィオの鉄壁の牙城を崩す事は叶わない。

 

 十三発目の蹴りも防がれ、十四発目。

 

「ふっ!!」

 

 ここへ来て綺礼は起死回生の策を繰り出した。全く逆方向からの蹴り。通常ならば当たる筈の無い大砲だが、同じ攻撃を十回以上も繰り返して目が慣れている今なら。

 

 最大のパワーと、最高の技と、最速のスピードが噛み合った蹴り。

 

 完全な奇襲となった素晴らしい一撃だったがフィオは完璧に見切って防御、綺礼の金的を蹴り上げる。

 

「ぐはっ!!」

 

 たまらず倒れ、床に伏せる綺礼。フィオは少し距離を置いて、油断も慢心も無く構えている。

 

 先程と同じ構図だ。綺礼が何とか立ち上がり構えを取るのを見計らうと、彼女はじりじりと間合いを詰めていく。

 

『間合いまで……後、一歩……後、半歩……!!』

 

 そして間合いに、入った!!

 

「はあっ!!」

 

 気合いと共に突きを打つ。

 

 魔術による肉体強化、体重移動、腰の入れ具合、関節駆動による力の伝達、拳の握り。全てが完璧と言って良いレベルで噛み合った「衝捶」にも勝るであろう威力を持った、言峰綺礼が放つ事の出来る究極のパンチ。

 

 それが、フィオの顔面に突き刺さった。

 

『手応えあり!!』

 

 常人なら、即死は間違いない一撃だった。並の死徒でも同じように仕留められるだろう。これならば、いかに化け物じみた相手であろうがダメージはある筈。

 

 綺礼は、そう確信していた。

 

 そして実際に、ダメージはあった。

 

「ペッ」

 

 血反吐を吐いて捨てるフィオ。今の綺礼のパンチは、彼女の口内に裂傷とそれに鼻血を出させる事に成功していた。

 

「それが、最高のパンチなの? ん?」

 

 胴体に当たれば骨を粉砕し、そのまま内臓を挽肉に変えてしまうほどの威力があった。それを顔面に受けたのだ。絶対に、無事では済まない筈だったのに。

 

 だが眼前の女は何事もなかったように、悠然と近付いてくる。

 

「くっ!!」

 

 再び突きを繰り出す綺礼、だがフィオは同じ手は二度は食わないとばかり、危なげなくスウェーで避けてしまう。

 

「その程度のパンチなら……あなたは死ぬしかないわね?」

 

「きさまっ!!」

 

 弾かれたように駆け出す綺礼。

 

 渾身の一撃であの程度のダメージしか与えられないのでは、打撃でこの女を倒す事は不可能。ならば、残された勝機は。

 

 彼の両手が、フィオの喉に掛かる。絞め技。だが窒息させる気ではなく、首の骨をへし折る強さで。

 

 だがしなやかながらも鍛え上げられた彼女の首はびくともしない。

 

「それで精一杯かぁ!!!!」

 

 フィオの手も同じく、綺礼の首に掛かった。万力のような力で締め上げられ、綺礼の意識が遠のく。

 

「ほら、もっと強く!!!!」

 

 額に血管を浮き立たせながら放たれたその言葉に触発された訳ではないが、最後の力を振り絞って両手に力を込める綺礼。だがそこまでしてもフィオの首はきしみの一つも、上げる気配すら見せない。

 

 そしてフィオは、遂に最後の攻撃に移った。

 

 内から外へ、手を大きく広げる要領で首に掛かっていた綺礼の両手を弾き飛ばすと、異様な構えを取る。

 

「魔術CQC奥義……!!!!」

 

「何っ!?」

 

 意表を衝かれ、一瞬だけ綺礼の動きが止まる。そこに、

 

「ストリートでならしたこの俺の実践的なキック!! 完全にお前をナメきったこの俺のキック!! ハードに進化した俺の拳と蹴り!! 加速し続ける俺の魂のダイブとこの俺!!」

 

 繰り出される連続攻撃。綺礼は何発かは防御したが、最高度の魔術によって強化された拳や脚は一発一発がまさに鉄槌となって彼に襲い掛かり、ガードを壊して全てが人体の急所に突き刺さる。

 

 威力を殺しきれなかった綺礼はそのまま吹っ飛ばされた先にあったステンドグラスに突っ込んで粉々にしながら、階下へと落ちていった。

 

 これで決着。敵を無力化出来たのを確認すると、フィオはふうっと息を吐いた。

 

「さて……私のノルマは果たしたけど……ライダーやキャスターは、上手くやったかしら?」

 



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第17話 月下終焉

「はぁ……はぁ……」

 

 全身を苛む痛みに耐えながら間桐雁夜は生まれ育った家の地下、蟲蔵へと通じる階段を下っていた。

 

 最強と思われたバーサーカーは残念ながら敗退し、桜を解放する条件として聖杯をこの家に持ち帰るという父・臓硯との約束は果たせなくなった。しかしこの期に及んでは、雁夜にとってそんな約束などどうでも良い事だった。

 

 バーサーカーの暴走によって生じた痛みは正直耐えがたいものがあったが、怪我の功名と言うヤツだろうか、嬉しい誤算があった。

 

 ただでさえ魔力消費の激しいバーサーカークラスの暴走。しかも宝具の真名解放に伴う、消費量の更なる増大。それほどの膨大な魔力の供給を求められ、さしもの刻印虫も必要とされる魔力を生成しきれず、死滅したのだ。

 

 今ならば、刻印虫を通じて臓硯が自分の様子を探る事は出来ない。しかも、状況から考えればヤツは自分が死んだものだと思っている可能性が、極めて高い。

 

『桜ちゃんを助けるなら……今しかない……』

 

 雁夜のその考えは、的を射ていた。

 

 拍子抜けするほどにあっけなく蟲蔵へと辿り着き、目当ての人物も見付けられた。

 

「……おじさん?」

 

 桜ちゃん。救いたかった少女が、まさに目の前にいた。

 

「助けに来たよ……もう、大丈夫だ……行こう……」

 

 少女の手を取って蟲蔵から、そして間桐家から出て、懐かしい禅城の家に。

 

 その庭先では凛が、あの男のせいで引き裂かれてしまった妹と、涙ながらに抱擁を交わしている。

 

「雁夜くん」

 

 呼ばれる声に振り返ると、そこには葵が立っていた。あの日の、日溜まりの中にいた時の彼女と寸分変わらぬ笑顔を浮かべて、彼を迎えてくれていた。

 

 そっと、手が差し伸べられる。

 

「葵さん……」

 

 差し出された手を、雁夜も握り返す。

 

 ごつごつとした、大きな手だ。

 

「……え?」

 

 何かがおかしい。

 

 最後に彼女の手を握ったのは中学生になるよりも以前だが、その時はもっと柔らかい、小さな手だった。いくら十年以上が過ぎていると言ってもここまで変わるものだろうか?

 

「ありがとう、雁夜くん」

 

 いつの間にか彼女の声も、変わっていた。低くて良く響く、男の声だ。

 

 見上げれば目の前に立っていたのは幼馴染みであり憧れの女性ではなく。完璧に着こなした赤スーツに、しっかりと整えられた顎髭。

 

 遠坂時臣。何度頭の中で殺してやったか分からない、全ての元凶と言える男が、そこに立っていた。

 

「ひっ!!」

 

 思わず手を振り払って、後ずさる雁夜。

 

「と、時臣? な、何でお前がここに……!?」

 

 しかし、彼の背中はどんと大きなものにぶつかる。

 

「へ……?」

 

 恐る恐る、振り返ってみると。

 

「ありがとう、雁夜おじさん」

 

 後ろに立っていた筈の桜と凛の姿はなく、姉妹の居た所には代わりに遠坂時臣が二人、立っている。

 

 嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 

 こんなのは違う、何かが間違っている。

 

 俺は確かに桜ちゃんを助けて、凛ちゃんに引き合わせて、葵さんと、四人一緒でこの冬木市から逃げ出して、どこか遠い所で幸せになって。

 

 こんなのは違う。そうだ、これは夢だ。ただの夢なんだ。俺は悪夢を見てるんだ。

 

 二人の時臣が、口を揃えて言う。

 

「「雁夜お父さん」」

 

「ひいやああああああああっ!!??」

 

 裏返った悲鳴と共に、雁夜は体を飛び起きさせた。

 

「あ……!?」

 

 数秒を置いて自分の周りの景色がさっきと全然違っているのに気付いて、ほっと胸を撫で下ろす。やっぱりさっきのは夢だったのだ。人生最大級の悪夢だった。

 

 それにしても、恐ろしい夢だった。葵さんと凛ちゃんと桜ちゃんが、揃って時臣になってるなんて……

 

 顔中に汗が流れていて、服もぐっしょりと濡れている。

 

「それにしても、ここはどこだ……?」

 

 確か俺は、ランサーのマスターである水銀を操る魔術師と戦っていて……

 

 そこから先の記憶が無い。

 

 周りを見渡すと、一面に色取り取りの草花が咲き誇っていて、まさに天国か桃源郷かという景色だった。

 

「まさか俺は……死んだのか? ここは……天国なのか?」

 

 そう思った時、出し抜けに横合いから声が掛けられた。

 

「残念♪ まだ生きてますよ」

 

 そこに立っていたのは、青い十二単を着こなした狐耳の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

「私は……負けたのか……」

 

 劇場の二階から放り出されて、しかし何とか一命を取り留めた言峰綺礼は仰向けに天蓋を眺めながら、棒読みのような口調でそう呟いた。

 

 そんな彼の視界に、ぬっと一人の女性が割り込んでくる。フィオだ。今の彼女は、ちょうどしゃがみ込んで綺礼を覗き込んでいるような形になっていた。

 

「うん、あなたの負けだね……ちょうど今、アサシン達も最後の一人がやられたみたいだし……」

 

 間桐雁夜も死に、バーサーカーも消えた。そして彼自身もまた、戦えるような状態ではない。これではフィオを倒し、ライダーとを倒し、女二人を倒し、ランサーを倒し、ケイネスを倒して、そして衛宮切嗣に会う事など到底叶うまい。

 

 言峰綺礼の戦いに懸ける願いはこの時、打ち砕かれた。

 

「私は……どうすれば良いのだ……?」

 

 誰に語るともなく、しかし答えを哀願するように、綺礼の口は言葉を紡いでいく。

 

 物心付いた時より、いかなるものにも熱を持つ事が出来なかった事。

 

 その空虚を満たす為に更に苛烈な修行に身を投じて、代行者にまでなって、だがそうまでして進んだ先であっても、何も見付からなかった事。

 

 妻を亡くしても尚、悲しいという気持ちが理解出来なかった事。

 

 3年前より遠坂時臣に師事して魔術を学んだのも父の縁故や任務ではなく、魔術の道ならばあるいは求めていたものが見付かるかも知れないという、淡い期待を寄せていたのが最大の理由であった事。

 

 そしてやはり何も見付からなかった事。

 

 この聖杯戦争への参加者の中に衛宮切嗣の名を見付け、その経歴について調べた時、彼からは自分と共通するものを感じ取り、彼が得たのであろう答えを聞く為に、こうしてやって来た事。

 

 最後にその僅かな願いが、フィオ達によって木っ端微塵に砕かれた事も。

 

「フィオ・レンティーナ・グランベル……貴様なら答えてくれるのか? 私は、どうすれば良い……?」

 

 答えは即座に返された。しかも、とびきり簡潔なものが。

 

「知らないわよ、そんなの」

 

 当然と言えば、当然の言葉だった。綺礼も「そうか……」と、さほど不満に思った様子は見せずに、目を伏せた。そもそも会ったばかりの人間に、自分は何を期待していたと言うのか。

 

 だが、フィオの言葉には続きがあった。「でも、アドバイスは出来るわ」と前置きして、話し始めていく。

 

「あまり焦ると逆効果ね。たまには立ち止まってみるのも良いんじゃない?」

 

 それだけなら、雑誌に載っている星座占いと大して変わらない使い古されたような助言でしかないが。

 

「立ち止まったら、周りを見渡してみるとか、あるいは自分の背中を見てみるのも良いんじゃない?」

 

 「もっとも、自分の背中は身難いものだけど」と断って、フィオは更に続けていく。

 

「兎にも角にも足掻いてみる事ね。足掻いてる内に、もしかしたら以前には見えなかった何かが見えてくるかもね?」

 

 その言葉もまた、綺礼にとっては聞き古したような無責任極まりない決まり文句でしかなかった。「ならば」と彼は問い返す。

 

「何も見えてこなかったら、どうすれば良いのだ?」

 

 だがこの問いにも、フィオは即答して返す。

 

「見付かるまで、足掻けば良いだけよ。何も見えないまま足掻いて終わるのも、一つの生き方でしょ?」

 

 他人事だと思って、事実他人事とは言え無責任の極みのようなその言葉。だが綺礼にとっては、逆に新鮮ですらあった。

 

 いくら敵とは言え、ここまで好き勝手言ってくるとは……仮にも人の悩みを聞いた人間が返す言葉ではない。と、流石にフィオも申し訳なく思ったのか、いくらかの言葉を付け加える。

 

「ただ……人の心というのは、足掻いている間は死ぬ事は決してないわ。それだけは、この私が保証してあげる。あなたのお父さんの十倍も二十倍も永く生きてる年長者のアドバイスなのよ? 間違いは無いわ」

 

 最後に「何にせよ、生きてみる事ね」と締めて、これで人生相談は終わりとばかり、フィオは立ち上がる。同じように綺礼もまた、体を起こした。

 

「生きてみろ、足掻いている内は心は死なない、か……」

 

 何かが変わった訳ではない。

 

 心を燃やすものが見付かった訳でも、その手掛かりを掴めた訳でもない。衛宮切嗣と話して彼の答えを聞けた訳でもない。

 

 それでも、今までとは何かが違うように感じられた。

 

 フィオの言葉は心の内側にのしのしと入り込んでくる訳でもなく、さりとて全くの無関心という訳でもなく。ほんの少しだけ、綺礼の中の何かを変えていた。

 

 あるいは彼女でなくても、例えば父に、もっと早く打ち明けるべきだったかも知れない。そうすれば……もしかしたら、違う何かが見えていたかも知れない。

 

 確かに自分は彼女の言う通り、焦りすぎていたのかも知れない。誰かに相談する。そんな当たり前の事さえ、今の今まで忘れていた。

 

「そうだな……私も、もう一度答えを探して、巡礼の旅を続けてみよう」

 

 そう言って立ち上がった綺礼は、ペコリとフィオに一礼した。それを見て取った最強の魔術師は、ライダーへと手を振って合図する。戦車に乗ったままの彼女は、頷いて指を鳴らした。

 

 同時に大魔術が解除され、黄金の劇場が光の砂と化して、崩れるように消えていく。ものの数秒でアインツベルン城の一角へと、世界が移り変わる。いや、戻ったと言うべきか。

 

「さらばだ……貴様にも衛宮切嗣にも……もう会う事はあるまい」

 

 最後にそう言い残すと、綺礼は理想的なランニングフォームで走り去っていった。その後ろ姿を見送って「あれだけブン殴ったのに、タフなヤツね……」と、フィオは感心するように呟く。

 

「さて……奏者よ、これでこの城での戦いは終わった……そう考えて良いのか?」

 

 ライダーが尋ねてくる。

 

 彼女の戦車には、至る所にアサシンが用いる短刀(ダーク)が突き刺さった跡が刻まれていた。シャーレイと舞弥も、致命傷は負っていないにせよ、あちこちにかすり傷が見えて服がぼろぼろになっている。ケイネスも似たような状態だ。

 

 ランサーも、劇場による援護効果があったとは言え円卓最強の大英雄と戦ったのである。かなりのダメージが見て取れた。

 

 フィオも、鼻血を流して口の中も少し切っている。

 

 ……とは言え、死んだ者も致命傷を負った者も無し。戦闘結果は理想的だと言えるだろう。

 

「後は……キャスターが上手くやったかどうかだけど……」

 

 そう、フィオが呟いた時だった。

 

 重い音を立てて、離れの戸が開く。

 

 誰からともなく、サーヴァント魔術師も死徒も、全員がそちらを注視する。

 

 そうして離れの中から現れたのは、アイリを胸に抱いた切嗣だった。

 

「切嗣!! マダムは……!!」

 

 一番最初に反応したのは、やはりと言うべきか舞弥だった。戦車から飛び降りて、二人の側に駆け寄る。

 

 そんな彼女の頬に、そっと手が触れた。切嗣のものではない、もっと柔らかくて、ほっそりとした壊れやすそうな手だ。

 

 目を向けると、そこには。

 

「私はもう……大丈夫よ、舞弥さん」

 

 瞳を開けて、にっこりと優しく微笑むアイリスフィールがいた。他の誰でもない、まぎれもない彼女の笑顔があった。

 

「切嗣……それでは……!!」

 

「ああ……」

 

 全てが、フィオの思い描いていた通りに進んだようだ。

 

 彼女の中に満ちていた英霊の魂が変換された膨大な魔力は全てキャスターが吸収した。魔力が抜き取られた事によって聖杯としての機能は停止し、逆にそれによって停められていたヒトの機能が戻ったのだ。

 

「これで……私達も騎士王との約束が果たせたな」

 

「はい、我が主よ」

 

 満足げに笑いながら、ケイネスとランサーは頷き合う。

 

「上手く行ったようね」

 

 安心した様子で、フィオが近付いてくる。

 

 彼女を見て、切嗣はぺこりと頭を下げた。

 

「フィオ……あんたにはまた……大変な借りが出来たな」

 

 これで彼は三度、自分の大切な人を彼女に助けられた事になる。

 

 最初にシャーレイ。次にナタリア。

 

 そして今、アイリスフィールを。

 

「私一人の力じゃないわ」

 

 そう言ってフィオは振り返るとケイネスと視線を合わせて、頷き合う。

 

 セイバーとの最後の約束を守り通す為にケイネスが連絡を取らなければ、アイリスフィールの事情などフィオは知る由もなかった。

 

 そして事情を知ったとしてもキャスターが居なければ、彼女にもどうする事も出来なかっただろう。

 

 キャスターだけ居たとしても、ライダーやランサー、ケイネスや舞弥、シャーレイ、それにフィオ自身がバーサーカー・アサシン同盟と戦わなければ、儀式を完了させる事は叶わなかったろう。

 

 誰か一人の力ではなく。全ての者がアイリを助ける為に尽力したからこそこの結果がある。切嗣は失ってしまった筈の大切な人を、取り戻す事が出来た。

 

 しかし、中でも第一の功労者を一人挙げろと言うのなら、やはり。

 

「それで……キャスターは?」

 

「……実は……彼女は……」

 

 そう尋ねられた切嗣は、そこで明らかに言葉に詰まった。

 

 何かが、妙だ。

 

「ま、まさかキャスターの奴に何かあったのか!?」

 

 察したライダーが戦車から飛び降りて、近付いてくる。

 

「おい!! 答えろ!! キャスターがどうしたのだ!?」

 

 騎乗兵はアイリスフィールを落とさせない程度に加減しながら、切嗣の肩を掴む。

 

 自分のサーヴァントほど感情任せには動かないが、フィオも切嗣の様子から、何か予想外の事が起きた事を察していた。心配そうに離れの方へと目をやる。

 

 そこには。

 

「どうしたんですか? ご主人様もライダーも、そんなに顔色変えて」

 

 暗がりから姿を見せたのは余人に非ず、キャスターであった。

 

 だが、フィオやライダーの知る彼女と比べて、その姿は一変していた。

 

 タマモは露出の多いノースリーブの着物を着ていた筈だが、今眼前にいるキャスターは平安時代の女性用装束、つまり十二単を纏っていて、いささか動き辛そうにしていた。色は、青を基調としていて変わっていないが……

 

 そして最大の違いと言えるのが背中だ。厳密にはそのお尻。

 

 本来のキャスターはそこに一本だけ、まさにきつね色の狐の尻尾が生えていた筈だ。しかし今は、金色に輝く七本の尻尾が取って代わっていた。良く見れば頭の狐耳の毛色も金色に変わっている。

 

「「…………!!」」

 

 顔を見合わせるフィオとライダー。

 

 一体全体何が起きたか計り知れないが……しかしまず第一に、聞いておかねばならない事がある。

 

「「あなた(そなた)は、本当にキャスターなの(か)?」」

 

 声を揃えての問いに、半獣の魔術師は、

 

「ええ、間違いありませんよ。ご主人様のサーヴァントです」

 

 そう、にっこり笑って答える。それは間違いなく、二人やシャーレイの知るキャスターそのものの笑顔だった。

 

 それなら取り敢えずは大丈夫かと、ほっと息を吐くマスターとサーヴァント。しかしまだ、聞きたい事は残っている。

 

「あ、この姿ですか?」

 

 キャスターの方も主や同僚の反応から彼女達が聞きたい事を大体察したらしい。苦笑しながら自分の体に目をやって、答える。

 

「いやあ、アイリさんでしたっけ。彼女の中にはとんでもない量の魔力が溜め込まれていましたからね。それに、私が吸収すればするほど増えていく感じで。それでさっき、やっと全部吸い切ったんですけど……何せおよそどんな願い事でも叶えられるだけの魔力ですからね。私の霊格にも影響が出たんでしょう」

 

 キャスターが吸収した魔力は、ただの魔力ではない。それは英霊の魂。人の身では為し得ぬ偉業を成し遂げ、伝説を築き上げ、死後祀り上げられて人類の守護者、精霊に近き所にまで上り詰めた魂。それが分解されたもの。例え何らかの方法によって同量の魔力を用意したとしても、質の上で圧倒的な差が生じる。

 

 キャスターは、己の中に脱落した4騎のサーヴァントの魂全てを取り込んだに等しい。特にアーチャー・ギルガメッシュの魂は通常のサーヴァントの3倍に相当する比重があり、つまり彼女の中には自分も含め、都合7騎分の魂が存在する計算となる。

 

 それほどの魂はキャスターの霊格を英霊の枠組みを超えて押し上げ、7本尻尾の現界や黄金の毛皮からも分かるように完全ではないにせよ、神霊の位階にすら足を踏み入れさせたのだ。

 

「まぁ、彼女から魔力を吸ってる中で何か妙なのに繋がった時は、流石の私も驚きましたが……」

 

「妙なの?」

 

「ええ、まるで世界の全ての悪意、人の世を分け隔て無く呪うようなドロドロした何かが私に向かってきて……私を取り込んで染めようとしたみたいですね」

 

 あれはきっとアイリの中、精神世界の出来事だろう。彼女とリンクしている何かが、魔力吸収によって接点の出来たキャスターにも流れ込んできたのだ。

 

「だ、大丈夫だったのか、そなたは……」

 

「まぁ、ライダー……あなたじゃあアレに触れたら自我が保てなくなるか、良くても性質が反転して黒くなるでしょうけど」

 

 と、からかうように言うキャスターだったが、しかし目の前の相手が真剣な表情で目に涙を溜めているのを見て、本気で心配してくれていたのを悟ったのだろう。流石に悪いと思ったのか「ごめんなさいね」と一言詫びた後に説明していく。

 

「あなただから駄目って訳じゃあないですよ。人間は勿論、よっぽど強力な英霊の自我でも、あんなのには耐えられないでしょう」

 

 アレに耐え切るには、それこそ人類最古の剛田主義者(ジャイアニスト)クラスの自我の強さ、つまりは我が儘さが必要だろう。あの金ぴかのアーチャーなら、多少性格は悪くなるが性質の反転には至らない程度に、影響を抑えられるかも知れない。

 

「じゃあ、そなたは何で大丈夫だったのだ?」

 

「よくぞ聞いてくれました」

 

 ふんすと鼻息を一つ、そうして誇らしげに胸を張ると、キャスターは語り始める。

 

「ご主人様にも言いましたが私は本来は太陽神・天照大神の分霊である一人格、ホンモノの神様ですよ? この世全ての悪? こちとら、世界が始まった刻から今まで浄も不浄も、善いも悪いも、全てひっくるめて照らし続け、見続けてきたんですよ? 世界の全てなんて、生まれた時から背負ってるってんです。この体を直接溶かすとかなら兎も角、あの程度の呪いで私の心を侵そうなんて片腹痛いですよ」

 

「まぁ……兎に角無事だったのなら何よりね」

 

 フィオは、安心したように肩を落とす。

 

「それと、ご主人様からのご命令には無かったですが……あんなのが繋がってたら私が助けた後も何が切っ掛けで困った事になるか分かりませんので……アイリさんのパスはチョッキンしておきました」

 

 魔術師のサーヴァントは手をジャンケンのチョキのような形にして、くっつけたり離したりする。これはキャスターの独断だが……まぁ、彼女ほどの腕っこきの仕事だ。間違いはあるまい。そう判断すると、

 

「よくやってくれたわ。ありがとう、キャスター」

 

 ぽんとフィオの右手が魔術師の頭に乗って、なでくりなでくりする。

 

「ご、ご主人様……!! もっと、もっとお願いします……!!」

 

「こらっ、ずるいぞキャスター!! 奏者よ!! 余も命懸けだったのだ!! 功を成した者は褒めるのが礼儀というものであろう!!」

 

「はいはい、ライダーもいらっしゃい」

 

 フィオは心のシッポを千切れんばかりに振るライダーを空いている左手へと招き寄せると、彼女もなでくりなでくりする。

 

 そんな両手に花状態のフィオを遠目から見て、ケイネスは嘆息した。

 

「ランサーよ……」

 

「は……」

 

「まだサーヴァントが3騎も残っているが……どうやら今回の聖杯戦争は、これで終了という事になりそうだ」

 

「と……申されますと……?」

 

「簡単な事だ。今のキャスターに勝てる者が、もう居ないのだよ」

 

 そう言うとケイネスは、マスターの透視力によって得た現在のキャスターのステータスを、ランサーに伝える。

 

 

 

 筋力:EX 耐久:EX 敏捷:EX 魔力:EX 幸運:EX 宝具:EX

 

 

 

「なっ……!?」

 

 さしもの神代の英霊も、これには絶句する他は無かった。

 

 だがこれも当然の結果と言える。今のキャスターは英霊の枠を通り越して、不完全ながら本来の神霊としての霊格を取り戻した状態。文字通り「格」が違うのだ。

 

 尤も、キャスターとて今更ランサーやライダーをその手に掛ける理由など無い。

 

 サーヴァントは3騎も残り、聖杯も顕現してはいないが、事実上第四次聖杯戦争は終了したと言って差し支えなかった。

 

 と、キャスターはここへ来て大変な事を見落としていた自分に気付いた。

 

「ご、ご主人様!! お怪我を……」

 

「ん、ああ……」

 

 まだ垂れていた鼻血を拭くフィオ。キャスターが見てみれば彼女だけでなく、シャーレイも舞弥もライダーもランサーも、皆が傷を負っていた。

 

 その傷は、自分や切嗣、アイリを守って付いたものだ。それなら。

 

「じゃあせめてそれを癒すのは、私に任せてもらいましょうか!! ご主人様、最後の宝具使用許可を!!」

 

「ええ、許すわ、キャスター」

 

 キャスターの好意からの行動であった事と、どうせこれが最後になるのだからとフィオも安い気持ちで許可を出す。

 

 それを受けたキャスターは、十二単の袖から彼女の宝具・鏡を取り出して、朗々と祝詞を唱えていく。

 

「軒轅陵墓、冥府より尽きることなく……」

 

 鏡からはまるでそこに小さな太陽が出現したかと錯覚するような眩い光が奔り、だが決して燃えるような熱さではなく。命を育む優しい光として、フィオ達を包んでいく。キャスターの精妙な力の調節によるものだろう。死徒であるシャーレイですら、その光に滅ぼされる事はなかった。

 

「おお……」

 

「これは……」

 

 驚きの声が上がる。

 

 フィオも、ライダーも、シャーレイも、舞弥も、ケイネスも、ランサーも。全員の傷が、癒えていく。

 

 それだけではない。

 

「見て下さい、花が……」

 

 今は冬だと言うのに石畳を押しのけて無数の草花が顔を出して花弁を開かせ、まるでこの一角だけ半年ほど早く春が来たかのような景色になる。

 

 更に。

 

「ひいやああああああああっ!!??」

 

 頓狂な叫び声が上がって、間桐雁夜が花の中から上体を飛び起きさせていた。

 

「なっ……!!」

 

 これには、特にケイネスは驚愕を隠せなかった。

 

 あの魔術師は、バーサーカーの暴走による魔力の過剰消費で自滅し、確かに死んだ筈なのに。

 

 実はこれも、キャスターの宝具の力によるものだった。

 

 彼女の宝具である鏡・「水天日光天照八野鎮石」(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)は魂と生命力を活性化させる力を持つ。フィオ達の傷を癒す為に使われたのもこの力だ。

 

 「鎮石」は後の八咫鏡、つまり天照大神の神体であり本来であれば死者をも蘇らせる力を持った冥界の神宝中の神宝。しかしサーヴァントでしかないキャスターにはそこまでの力は引き出せない。

 

 だが、今この時に限っては話は別だった。今のキャスターは神霊一歩手前の、サーヴァントを超えたサーヴァント。己の宝具の真の力を、完全に引き出す事に成功していた。

 

 そしてもう一つの偶然。石畳を押し退けて花が咲き乱れた事からも分かるようにキャスターは宝具の力を、戦いが終わった事もあって効果を受ける対象をいちいち選んだりはせず一定範囲内の全てが影響を受けるように使っていた。その効果範囲に、雁夜の体も置かれていたのだ。

 

 幾つかの偶然が重なったのと、死亡してさほどの時間が経っておらず魂が離れきっていなかった事もあり、雁夜は蘇生を果たしたのだ。

 

「まさか俺は……死んだのか? ここは……天国なのか?」

 

「残念♪ 生きてますよ」

 

 呆然と周りを見渡す雁夜にキャスターはしゃがみ込んで、そう笑いかける。

 

「色々話さなければならないこともあるし……キャスター、バーサーカーのマスターを城の中に運んで」

 

「承知しました、ご主人様」

 

 はきはきと返事すると、キャスターは魔術師の非力なイメージからかけ離れたパワーによって、簡単に雁夜の体を担ぐ。今の彼女の筋力はEXランク。ギリシャ最大の英雄と腕相撲したって勝てるだろう。この程度は造作も無い。

 

 担がれた雁夜は混乱気味にバーサーカーを喚ぼうとしたり暴れてキャスターの手から逃れようとしたが、無駄な努力に終わった。城内へと連行されていく。

 

 それを見て取って、未だアイリをお姫様抱っこしたままの切嗣と彼に付き添う舞弥も、城へと入っていった。アイリは助かったとは言え、つい先程までは命の瀬戸際にいたのだ。まだ安静にしているべきだろう。

 

 シャーレイもそんな彼等を追って入城する。

 

「私達もこれからどうするかを話し合わねばならんな、ランサー」

 

「はい、ケイネス様」

 

 ケイネスとランサーも、同じように。

 

 そして、フィオとライダーだけが残される形になる。ライダーも、流石に激戦で疲れたのだろう。さっさと城の中で暖を取って湯浴みの一つでもしたそうに見える。

 

 彼女がそうしないのは、マスターたるフィオが空を見上げたまま、動かないからだった。

 

「どうした? 奏者よ。此処は冷える。我等もさっさと城の中へ入ろうぞ」

 

「ん? あぁ、ライダー……ごめんなさいね」

 

 声を掛けられてやっと気付いたフィオは、ライダーと共にアインツベルン城へと入っていく、その途中でもう一度だけ立ち止まって、天を仰いだ。

 

「……気付かなかったわね……今夜はこんなにも、月が綺麗だなんて」

 



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第18話 それぞれの願い、護る者達

 

「ふん……雁夜め、死におったか」

 

 蟲蔵にて、間桐臓硯はそう、ひとりごちた。

 

 雁夜の体内に埋め込んだ刻印虫によって、臓硯は彼の動向を逐一把握する事が出来る。それだけでなく場合によっては、特に万一雁夜が翻意を示した時にはいとも容易くその命を奪う事が可能だった。

 

 だが、数十分前からその報告がぷっつりと途切れている。

 

 何者かが刻印虫を除去した可能性も無くはないが、しかし最後に刻印虫が伝えてきた情報は、アーチボルトの魔術師と勝ち目など全く無い魔術勝負をする雁夜の姿だった。その時の刻印虫はバーサーカーの暴走も手伝ってフル稼働を強いられていた。

 

 それを合わせて考えれば、雁夜は死んだと考えるのが妥当であろう。苗床である奴の肉体が死んだから、寄生していた刻印虫も同じ運命を辿ったのだ。

 

「カカカ……まぁ、少しは楽しませてくれたのぅ……」

 

 一年前はこの家に聖杯を持ち帰るなどと息巻いていたが、しかし実際に聖杯戦争に参加して奴がやった事と言えばどうだ。

 

 サーヴァントどころか一人の魔術師も倒せず、実力差も弁えずに勝ち目の無い戦いに挑んで、そして死んだだけだ。

 

 誰も。桜も。自分自身すら、救う事が出来ずに。

 

 全く、大した道化振りであった。尤もこの結果は、あのフィオ・レンティーナ・グランベルが参戦したという情報を得た時から見えていた事だったが。

 

 聖杯がこの家に持ち帰られる事は無かったが、しかし元々今回は見送るつもりであり、雁夜にも何の期待もしていなかったのだ。間桐家は何の痛手も負ってはいない。寧ろ愉しませてくれただけ、得だとも言えた。

 

「やはり、本命は次回の聖杯戦争よのぅ……」

 

 枯れかけた間桐の家系だが、しかし60年後には再びの隆盛を迎えさせられるであろう至高の胎盤が今、目の前にいる。

 

「桜よ、それでは今日も虫達の中に体を沈めてもらおうかのぅ」

 

「はい、おじいさま……」

 

 瞳から一切の光を無くしたその少女は怪老の命ずるがままに階段を下って、無数の虫達の中へと進み出していく。

 

 それは桜が遠坂の家から養子に来た日より幾度も繰り返されてきた教育であり、少女の中にはもう、諦め以外の感情など残されてはいなかった。

 

 この家から逃げようとか、おじいさまに逆らおうとか、そういった行動を起こすどころか、その発想すら少女の中には存在しない。

 

 これは桜にとっても臓硯にとっても、もう繰り返される日常の一部となっていた。ある一人の男が朝起きて顔を洗って歯を磨き、ヒゲを剃るぐらいに当然の出来事。

 

 しかしこの日は、異変があった。

 

 ちょうど桜の眼前の虚空に光が集まって、やがてその光は人の形に、実体を持っていく。

 

「……え?」

 

「なっ!?」

 

「うぇっ……話には聞いてましたが辛気臭い所ですね……息をするだけで気分が悪くなってきますよ」

 

 いきなり蟲蔵に出現した4本の尻尾を持った半獣の魔術師は鼻をつまんで顔をしかめつつもきょろきょろと辺りを見渡し、そしてお目当てのものを見付けたのだろう。桜に近付くと、その体を軽々持ち上げて抱っこしてしまう。

 

「お姫様をさっさと救出して、一秒でも早くこんな所からはおさらばさせてもらいましょう」

 

 魔術師・タマモがそう言うと彼女の尻尾の一本が光を放ち初め……

 

「き、貴様っ!! 桜をどうするつもりじゃ!!」

 

 流石の臓硯もいきなりの事に呆気に取られていたが、ここへ来て我に返った。桜に何かされようものなら思い描いていた未来絵図が、完全に破綻してしまう。闖入者をこの蟲蔵から生きては返すまいと虫達がタマモの周囲に集まり初め、一部は出口を封鎖する。だが、無駄な事。

 

「それじゃあ、もう二度と会わない事を祈ってますよ」

 

 そう言うと光っていた尻尾が消えて、同様に桜を抱っこしたタマモもまた現れた時と同じく、光に包まれてその姿を消してしまっていた。

 

 一連の流れは彼女が現れてから、ほんの30秒程度の出来事。数百年を生きる妖怪をして、何が起こったのか把握する事は困難であった。

 

「い、いや……落ち着け……」

 

 そう自分に言い聞かせ、事態の把握に努める。

 

 まずあのサーヴァントは多少姿は変わっていたがライダーと同じく、フィオと契約したキャスターであった。

 

 そしてキャスターの現れ方・消え方は、サーヴァントの霊体化や実体化とは違っていた。それに例え英霊であろうとこの間桐邸に侵入しようとしたのなら、必ず十重二十重に張り巡らされた結界に引っ掛かって事前に察知する事が出来ていた筈。なのにそんな徴候すら無かった。

 

 とすれば、考えられるのは令呪による瞬間移動か。それなら突如として現れて、そして消えた事にも説明が付くが……

 

 だが解せない。だとしたら現れた時と消えた時、都合二つの令呪を消費してまでフィオは一体何の目的で桜をさらったのだ? 雁夜も既に脱落したと言うのに……

 

「分からんが……それよりもまずは、桜の状態を把握するのが先決か……」

 

 そう考えて彼女の中の刻印虫と知覚を共有する魔術を発動させる臓硯であったが……相手は魔術師のサーヴァント。彼がそう行動するだろう事は先刻承知だったようで、妨害されてしまっている。

 

「な……何という事じゃ……」

 

 ほんの5分前まで夢見ていた輝かしい未来が一瞬で画餅に帰した事を実感して、老魔術師はがっくりと膝を付いた。

 

 

 

 

 

 

 

「うぇっ……うぇっ……」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは自室の天蓋付きベッドに飛び込むと枕に顔を埋めながら、嗚咽を漏らした。

 

 先程、アインツベルンの当主であるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンから聞かされた話は、彼女には到底、受け入れ難い内容であった。

 

「切嗣は、第四次聖杯戦争に敗北した」

 

「その上どういう訳か他の陣営が聖杯を手に入れたという情報も無い」

 

「いずれにせよ、アイリスフィールはもう生きてはおるまい」

 

「もうお前が、切嗣に会う事は無いだろう」

 

 お爺様の口から語られた言葉はそのどれもがイリヤには信じられない、信じたくない事ばかりだった。

 

 嘘よ。

 

 だってキリツグは、お仕事を片付けたらすぐに帰ってくるって約束してくれたもの。

 

 嘘よ。

 

 お母様だって「永いお別れになる」とは聞かされたけど、そのすぐ後に「イリヤは何も心配する事はないのよ」って、そう言って優しく抱き締めてくれたもの。

 

 嘘よ。

 

 負ける筈なんか無い。だってサーヴァントの中で一番強い、セイバーの召喚に成功したって聞いたもの。

 

「嘘よ、嘘よ、嘘よ……!!」

 

 泣きながらベッドから這い出したイリヤは、年中代わり映えのしない窓からの雪景色を眺める。

 

 クルミの冬芽を捜しに切嗣と歩いた森は、今は結界に閉ざされている。これでは誰も、この城へと辿り着く事は出来ないだろう。

 

 でも。

 

 イリヤは思う。

 

 今にもキリツグが木立の隙間から現れて、この窓へと向かって手を振ってくれるのではないかと。

 

「キリツグ……お母様……お願い……帰ってきて……!!」

 

 溢れる涙で景色が歪み、少女が目を伏せた、その時だった。

 

 不意に、視界が明るくなってくる。

 

「?」

 

 太陽が顔を出したのだろうか。否、今は猛吹雪がこの城を閉ざしている。お日様なんて分厚い雲の遥か上で、その光が届く事なんて絶対にない筈なのに。

 

 だが、窓から見える光はどんどん強くなって、その光を放つ物体はぐんぐんとイリヤの部屋に近付いてきて、そして遂に距離はゼロとなり、轟音と共に壁に大穴を開けた。

 

「ひゃっ!!」

 

 驚愕と、”何か”が突っ込んできた際の振動で尻餅を付いてしまうイリヤ。この常識外れの出来事を前には、涙も引っ込んでしまった。

 

 僅かな時間が過ぎると壁が壊れた時に生じた煙も晴れて、その”何か”の正体が分かるようになってくる。

 

 馬車だ。火を纏った四頭の馬が牽く、豪奢な装飾の戦闘馬車。

 

 そこから降りてきたのは、確かキリツグが教えてくれたサンタクロースの格好をした、女の人。ご丁寧に大きな袋を担いでいる。

 

「あ……あなたは……?」

 

 彼女は答える。

 

「見て分からぬか? サンタクロースよ。生憎トナカイ達は風邪で寝込んでしまったので、ソル神の眷属達がその代わりだがな」

 

 サンタのコスプレをしたネロは、そのままずんずんとイリヤへと近付いていく。

 

「フィオから聞いた「苦しみます」とやらには些か早いようだが……まぁ良い。その「苦しみます」とは、良い子にサンタとやらがプレゼントを配る日なのであろう?」

 

 そしてこの場には良い子が、一人。

 

「さて、そなたは何が欲しいのだ? 私がプレゼントして進ぜよう」

 

「え……」

 

 イリヤは突然現れたこの自称サンタには色々突っ込みたい所があったが、それ以上に「欲しいものをプレゼントしてくれる」というフレーズが、心に響いた。

 

 このサンタさんが、本当に私の欲しい物をくれるのなら……

 

「じゃあ、サンタさん……イリヤのお父様とお母様を連れてきて」

 

 それは8才の子供をして、無理難題だと心のどこかで理解出来ているであろう願い。だが今のイリヤはそれでも、願いたかった。本当に何でも欲しい物をプレゼントしてくれると言うなら、その言葉が嘘であると分かっていても、縋りたかった。

 

 こんなお願いが、聞き入れられる訳がない。この人はきっと次にこう言うだろう。「それは無理だ」と。

 

「うむ、良かろう」

 

「え……?」

 

 ネロはそう言うと担いでいた袋の尾を解き、口を開く。その中から出てきたのは。

 

「ぷはあっ!!」

 

「ネロさん、これで満足ですか……?」

 

 呆れ顔の衛宮切嗣と、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤが本当に望んだプレゼントだった。

 

「キリツグ!! お母様!!」

 

 少女が父と母の胸に飛び込むのを見ると、ネロはムフンと鼻息を一つ。そして胸を張る。以前に一時的とは言え神霊になった時のタマモと、同じポーズだ。

 

「見たか、私のリサーチ力を!! 為政者とは常に民の心を汲み取らねばならぬ故な。我が慧眼はミネルヴァの梟の如しよ!!」

 

 自慢げにそう言うが……ぶっちゃけ誰も聞いてない。

 

 するとネロの視線が「それにしても……」と、イリヤへと動く。

 

「おかえりなさい、キリツグ、お母様!! やっぱり帰ってきてくれたのね!!」

 

「イリヤ……寂しい思いをさせて、すまなかった……」

 

「ああ、イリヤ……あなたを、もう一度抱けるなんて……」

 

 何とも微笑ましい親子のやり取りが繰り広げられているが……やはり目を引くのは、イリヤとアイリだ。

 

 ネロは美少女も美女も大好きである。史実では男性であったと伝えられているが、そこでも女装して解放奴隷の妻になったり、美少年を去勢させて正室にしたなんて逸話も持っている。と言うか、美老年でもイケる口だ。

 

『イリヤスフィールか……話には聞いていたが実にういのう……アイリスフィールと二人合わせて、両手に花と洒落込みたいものよ』

 

 じゅるり、と口元から垂れた唾を慌てて拭き取る。

 

 素晴らしい未来に胸が高鳴るが、しかしそれも安全な場所に辿り着いた時の話。「切嗣」と声を掛けると、魔術師殺しと呼ばれた男は表情を引き締めてイリヤの肩に手を置き、真剣な声で話し始める。

 

「イリヤ……僕達は、君を助けに来た。一緒に、ここから出よう」

 

 突然の出奔宣言。切嗣は、イリヤがこれを受けて戸惑った反応を返すだろうと考えていた。まだ8才の子供なのだ。父親の言葉とは言え生まれ育った家から出るのに、抵抗を感じるのは至極当然な反応である。

 

 でも、違っていた。イリヤは「分かった」とあまりにもあっさりと頷いてしまう。これには切嗣もアイリも驚いて「良いのかい……?」と尋ね返してしまう。

 

 だが人間とホムンクルスのハーフである奇跡のような少女はにっこりと笑って、父のその問いに即答する。

 

「うん!! イリヤはキリツグとお母様さえ居てくれれば、どこでも良いもの!!」

 

「……ありがとう、父さんもイリヤが大好きだよ」

 

 そう言って、切嗣はイリヤを抱き締める。

 

「……話は終わったようだな。では、急いで私の戦車に乗れ。そろそろ城の者達がやって来る頃だ」

 

 ネロにそう言われてアイリと、それにイリヤを抱っこした切嗣は「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)へ乗り込もうとする。しかし、ここでイリヤが僅かに抵抗を見せた。

 

「あ、でも私……こんな格好よ……?」

 

 今のイリヤは寝間着姿。幼くてもレディーである。これで外に出るのには抵抗があるのも理解出来る。しかし、今は衣装室から上着を取ってくる時間すら惜しい。取り敢えず切嗣は、コートを脱いでイリヤに羽織らせた。

 

 そんな彼等を見たネロは「はっは」と笑って。

 

「なぁに……誰も見てはおらぬさ……」

 

 笑いつつ彼女は、手綱を打って戦車を発進させた。

 

「月以外はな!!」

 

 騒ぎを聞きつけたアハト翁が武装したホムンクルス達を従えてイリヤの寝室に入ってきた時に目にしたのは壁に空いた大穴と、そして月に向かって飛び去る戦車の影だけであった。

 

 この騒動によって、60年後の第五次聖杯戦争の切り札として考えられていた至高の器は、アインツベルンから永久に失われた。

 

 

 

 

 

 

 

 時計塔の廊下では、まるでモーセによって割られる紅海のように、生徒達が左右に避けてその人物に道を開いていく。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 

 極東で行われた魔術師達の儀式である聖杯戦争に参加した彼は、見事最後まで戦い抜き、堂々たる帰還を果たした。

 

 今回の聖杯戦争では様々な事情があったようで聖杯が降誕する事はなく、明確な優勝者が定められる事はなかったものの、最優とされたセイバー、そして単純なパワーの激突では最強であるバーサーカーを真っ向きっての戦いで撃破したという戦績は武勲として十分すぎるもので、アーチボルト家の名は更に高まる事となった。

 

 そして彼が時計塔に帰還してから、一つの変化があった。

 

 彼の傍らには、絶世の美青年が秘書として常に控えるようになったのである。

 

 眼鏡を掛けた泣き黒子が印象的なその青年、ディルムッド・オディナ。”偶然にも”ケルトの英雄と同姓同名の彼は、ケイネスが聖杯戦争中に知り合った魔術師であり、時計塔への帰還に当たり、そのまま秘書として雇う形で連れてきたという話であった。

 

 青年の絶世の美貌から、ケイネスにはそちらの趣味があるのではないかという下衆な噂が立った時もあったが……

 

 しかし、ディルムッドは秘書としても非常に優秀であり、彼が来てからと言うもの、ケイネスの仕事は3割増しではかどるようになったという。

 

 これも当然の事で、前世でディルムッドが所属したフィアナ騎士団は単に武勇に優れているだけでは入団は叶わず、詩歌の才に秀でている事が入団試験以前の最低条件として求められるような超エリート集団だったのである。文武両道でなければ、その一番槍は務まらなかったのだ。

 

「ふう……ディルムッドよ、次の予定は、何だったかな……?」

 

 ケイネスの執務室。

 

 取り敢えず一通りの予定を消化した時計塔講師が、椅子にもたれ掛かかりながら尋ねる。

 

 主に問われて、ディルムッドは眼鏡のズレを直すと手帳に書かれた予定に目を通す。この眼鏡は魔眼殺しの応用・魔貌殺しとも言えるものであった。

 

「15時より、生徒のウェイバー殿のレポートについて、本人を交えて問題点の指摘を行う事になっております」

 

「うむ、そうであったな」

 

 そう言うとケイネスは引き出しから、真っ赤になったレポートを取り出す。同時に、扉がどんどんとノックされた。

 

「ああ、入りたまえ」

 

「ケイネス先生、ウェイバー・ベルベットです。入ります!!」

 

 

 

 

 

 

 

 これがフィオ達の願いの、その結果だった。

 

 キャスターが半ば神霊の域に到達した事で事実上第四次聖杯戦争が終結した後、フィオ達はそれぞれの願いをどう叶えるかを話し合った。

 

 それらは本来は万能の願望機たる聖杯が叶えるべき願いであったが、願いを叶えるのは正確には聖杯そのものではなく、そこに溜め込まれた莫大な魔力である。ならば、キャスターが叶えても結果は同じ事であった。

 

 優先して願いを叶える立場にあるのは、ライダー・キャスターを従えるフィオと、ケイネスとランサー。勝ち残ったこの二組であった。

 

 フィオの願いは、

 

「私は、ライダーとキャスターの受肉を願うわ。友達にはこれからも一緒にいて欲しいし……勿論、二人がそれを願うのならだけど」

 

 この申し出を、騎乗兵と魔術師は一も二もなく承諾した。

 

 誰よりも人を愛し、無尽の愛を捧げながら最後まで愛される事の無かった暴君は、今度こそ一人の人間として愛し、愛される事を願い。

 

 この戦いの中で本来の在り様たる神霊の域にさえ至った魔術師は、だが神である事よりも人である事を望んで。

 

 二人ともフィオの友として、新たなる命を生きる道を選んだ。

 

 そしてケイネスも、また。

 

「私もランサーの受肉を願おう。ディルムッドよ、貴公の忠義は、まだ終わってはおらぬぞ」

 

「は!! ありがたき幸せ!! このディルムッド・オディナ、命尽きる時までケイネス様のお側で仕える事、お約束いたします!!」

 

 主の申し出をこちらも快諾し、膝を折って忠節を示す騎士。

 

「分かりました、それではこれより受肉の儀式を始めます」

 

 およそ何でも叶えられる程の魔力に物を言わせ、儀式と言うにはあまりにもあっさりと3騎のサーヴァントは3人の、一個の命として受肉を果たす。

 

 しかし、ここで予想外の事態が生じた。

 

 本来ならば聖杯が叶える願いは優勝したマスターとサーヴァントの二人分。

 

 だが今回の場合はキャスターという最高位の魔術師の手によってその魔力が無駄なく的確に運用されている事と、マスターとサーヴァントの願いが被っていた事もあって、サーヴァント3騎を受肉させても尚、魔力に余裕が生じていたのだ。

 

「これ、どうしますか?」

 

 4本になった尻尾の一つをもふもふと撫でながら、キャスター、否、タマモが尋ねる。ちなみに残る3本の内2本はフィオとネロがそれぞれもふもふしている。

 

 切嗣には、もはや願いは無い。アイリが生きていて自分の傍にいてくれるだけで、十分だった。

 

 ならば願いを叶えられるべきは……

 

「俺の願いは……」

 

 雁夜は語った。

 

 桜、血の繋がらない自分の姪が、虐待などという言葉が生易しいような地獄の中にいる事。そして彼女を救う為に聖杯戦争に参加した事を。

 

 それを聞いたネロやディルムッドはすぐさま間桐家に乗り込んで桜を救出すべきだと主張したが、フィオが待ったを掛けた。

 

「間桐家当主、間桐臓硯は狡猾な男よ。こんなメンバーで正面から押しかけても、その前に結界なり使い魔なりで察知されて桜ちゃんを人質に取られるのは目に見えているわ」

 

 それを避ける為、そんな暇を与えない電撃的な作戦として、残った魔力を使ってタマモが蟲蔵へと瞬間移動、そして桜を確保してまたすぐに瞬間移動で離脱するというプランが立案された。

 

 魔力を使って直接臓硯を殺すという案もあったが……

 

「あっさり殺しちゃつまらないでしょ? 桜ちゃんを取り戻した後、こう言ってやるのよ。『今度何か妙な事をしたら、その時こそ地獄の釜の底に叩き込んで息の根を止めるぞ』とね」

 

「それは……」

 

 それはつまり、かつて臓硯が雁夜にしてきた事と同じだった。

 

 自由意志を奪ってまで当主に仕立てる程の才がある訳でもないし、市井で自分に怯えながら暮らす分には見逃してやるぞ、と。

 

 今度はそれをフィオや雁夜達があの老人に行う事になる。

 

 お前など殺す価値も無い。蟲蔵で自分達に怯えながら、悪巧みをせずにいる分には見逃してやるぞ、と。

 

 道化として見下していた筈の者に立場を逆転されてのその仕打ち。これほどの屈辱もそうはあるまい。

 

 聞いた雁夜は、フィオに言った。

 

「あんた……人からよく嫌な奴だと言われるだろう」

 

「しょっちゅうよ、そんなのは」

 

 その後に「言った奴は不思議と長生きしないけど」と付け加える。

 

 そうして実行に移された桜救出計画は見事成功。その後、残存していた尻尾2本分の余剰魔力は桜と雁夜を癒す為に使われる事となり……

 

 二人の体内より刻印虫は完全に除去され、改造されていた桜の体質も元に戻り、雁夜も、髪に戻った色素や自由に動くようになった左半身など、完全に一年前の状態へと戻った。

 

 タマモの尻尾も遂に一本に、つまり英霊として召喚された時のものへと戻った。

 

 こうして、第四次聖杯戦争は終結した。

 

 次の日から、フィオはこの3日間、閉めていた店を再び開ける事となり。

 

 切嗣とアイリはその日の内に、アインツベルン城からイリヤを連れ出しにドイツへと向かう。ネロもそれに同行した。

 

 雁夜は桜の今後について、中立の立場であるフィオも交えて遠坂時臣と一度よく話し合う事を勧められ、恩人である彼女の顔を立てる意味でも取り敢えずはそれに従う事にした。

 

 ケイネスは、ディルムッドを連れてイギリスへと凱旋帰国する運びとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数年の時が流れて……

 

 

 

 

 

 

 

「おお、桜ではないか。今帰りか?」

 

「あ、ネロさん」

 

 通学路で独特のミュージックに気付いた桜が振り返ると、ライオン号に跨ったネロが居た。

 

 第四次聖杯戦争の際、切嗣によって持ち込まれたこの(文字通りの)モンスターマシンは今はネロの物となり、アツアツピッツアの出前をそれで行う彼女の姿は、今や冬木市の隠れた名物となっている。

 

「私もちょうど出前の帰りでな……乗っていけ、送っていくぞ」

 

 そう言って、ぽいとヘルメットを渡す。桜は受け取ったそれを被ると、彼女の背中に掴まるようにして乗り込んだ。

 

 と、桜のすぐ隣を歩いていた黒髪をツインテールにした気の強そうな少女が、印象に違わない勝ち気な声を上げた。

 

「ちょっとネロ!! いつも言ってるけど安全運転を心掛けなさいよ!! 桜に何かあったら、許さないんだから!!」

 

「大丈夫ですよ、姉さん。ネロさんは名ドライバーだもの」

 

「うむ!! 私の騎乗スキルはA+!! 大船に乗った気でいるがよい!!」

 

 そう言って野獣を発進させるネロ。魔改造遊具は信じられない加速を見せて、風そのものとなって一瞬にして桜の姉、凛の視界から消えてしまった。

 

 第四次聖杯戦争終結後、フィオの立ち会いの下、雁夜より桜の間桐家での待遇を知らされた時臣と葵は驚愕と後悔を露わにし、そして時臣も桜が希代の才覚から魔道の庇護無しには生きられない点を雁夜へと伝えた。

 

 ならばどうするかと思案した結果、うってつけの人物がそこに居た。

 

 フィオだ。

 

 架空元素も含む七属性全てを極めた魔術師である彼女なら「虚数」属性を持つ桜の師として申し分無い。彼女は「私には元々要らないものだから」と、ゆくゆくは自らの魔術刻印を桜に移植する事を『自己強制証文』(セルフギアススクロール)にて時臣に確約している。これで魔術師としての桜の将来についてもまずは安泰。そして「五大元素」の凛の師としても「火」のみの属性である時臣よりも彼女は適していると言える。

 

 こうしてフィオは、時臣がセカンドオーナーとしての権限を使って封印指定である彼女の素性を協会から隠蔽する事を条件として、桜を預かる事と姉妹二人の指導に当たる事を了解する運びとなったのである。

 

 ちなみに、間桐家へと桜を預けた件について時臣と雁夜の間にすったもんだがあり、最後には河原での殴り合いへと発展した事を追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

「きゃっ!!」

 

「イリヤ、大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫かい、お嬢ちゃん?」

 

 商店街で、アイリと共に買い物に出ていたイリヤは、ちょうど目の前を歩いていた銀髪が特徴的な妙齢の女性にぶつかってしまって、転んでしまう。

 

 アイリが慌てて娘に駆け寄って、その女性もイリヤへと手を差し伸べた。

 

 イリヤの身長は、数年前よりもずっと伸びていた。

 

 これはフィオとタマモが行った調整によるもので、これによって彼女の体は普通の人間と同じように成長するようになっていた。

 

 調整が行われたのはアイリも同じで、魔術師二人の言を信じるならば寿命面での問題なども全てクリアされたらしい。現に彼女はこの数年間、大きな病気などした事がない。本来は第四次聖杯戦争の聖杯の器としてのみ鋳造された存在であり、長い寿命など不要と断じられて、与えられてはいなかった筈なのに、だ。

 

 今の二人の名前は衛宮アイリスフィールと衛宮イリヤスフィール。名実共にアインツベルンを捨てて、一人の人間として暮らすようになったのだ。

 

 この冬木で過ごす一日一日を、二人は神様からの贈り物のように感じていた。続いていく、奇跡のような日々。二人には望むべくもなかった、有り得なかった筈の時間。それを今、二人は当たり前のように享受して生きている。

 

 これを奇跡と言わずして何と言うのか。

 

「ああ、お嬢ちゃん。ぶつかりついでに一つ聞いていいかい?」

 

 と、蓮っ葉な口調で、その女性が尋ねてくる。この町には、人を探しに来たらしい。

 

「衛宮切嗣……って名前に、心当たりはないかい?」

 

 

 

 

 

 

 

「シャーレイ、どうしよう……!!」

 

 捜し人は今、「虹色の脚」の一席で幼馴染みに真剣な顔で向き合っていた。

 

 まさかアインツベルンから追っ手が掛かったのか。それとも魔術師殺し時代に恨みを買った相手が刺客となって、この冬木にやって来ているのか。

 

 ともすればそんな深刻な話だと思うだろうが……向き合う死徒は頬杖付いて呆れ顔だ。

 

 さもありなん。相談内容など、聞かずとも大体想像出来るのだ。

 

「イリヤが僕と一緒に寝てくれなくなったんだ!! 寝室を別々にしようって……」

 

「ケリィ……いい加減に子離れしなよ……」

 

 彼女はすっかり、この手の相談には慣れっこになってしまった。

 

 以前は「一緒に風呂に入ってくれなくなったんだ」と泣き付かれ。その前は「煙草臭いって言われたんだ」と一升瓶片手に延々と愚痴を聞かされた。

 

 十代のままの姿の彼女が、三十過ぎの男に人生相談を持ち掛けられている姿は、異様を通り越してシュールですらあった。

 

 これが数年前からの衛宮切嗣の日常だった。アイリとイリヤと共に、冬木市内に聖杯戦争中の拠点として使う筈だった武家屋敷を改装して移り住み、今は親子三人で仲良く暮らしている。

 

 舞弥はあの後、生き別れになった子供を捜す旅に出た。

 

 風の噂では武器商人の私兵になったとか……まぁ、今でも定期的に切嗣の元に手紙が届く事から、元気にはしているようだ。

 

 さて、切嗣とシャーレイの隣の席では……

 

「雁夜、どうしよう……凛が「お父様の服と私の服、絶対一緒に洗わないでよね!!」って言うんだ……」

 

「何で葵さんに会いに来たら、お前の相談なんか受けなくちゃならないんだ!!」

 

「仕方あるまい!! こんな事相談出来るのは君だけだし……葵に話した日には家庭内での私の立場というものが……」

 

 時臣と雁夜が、同じようなやりとりを繰り広げていた。

 

 結局、河原で殴り合いを演じた後に、二人は葵の取りなしもあって和解し、こうして今も縁故を保っている。

 

 臓硯も、フィオの脅しがよほど効いたらしく静かなものだ。

 

「はーい、お二人様、当店の新メニュー「根源に至るパスタ」お待ち遠様です。冷めない内に、美味しく召し上がりやがって下さいな」

 

 そんな二人に料理を運んできたのは、シャーレイと同じメイド服を着たタマモだ。彼女もまた戦争が終わると同時に、給仕としてこの店で働いていた。その手際は先輩であるシャーレイもうかうかしてはいられないほどで、流石は「良妻狐」といった所か。

 

 そんなやり取りを眺めつつ、フィオはいつも通り厨房で包丁を振る。

 

 これが今の彼女の毎日だ。魔術師としてではなく、料理人として。魔術の研究をするよりも、死徒と戦うよりも大変な時もままあるが、しかし人間としての人間らしい幸せが、この生活の中には確かにあった。

 

 その時だった。厨房に据え付けられたテレビが映していたニュースが、切り替わる。

 

<それでは次は、現在上海で人気急上昇中のアイドル、ネネちゃんのニュースに移ります>

 

「…………」

 

 それだけなら別段よくあるニュースなので彼女は野菜を切る手を止めなかったが……

 

<では、ファンの人達からの声を聞いてみましょう>

 

 画面の中で、マイクを向けられたその人物は。

 

<ネネちゃんはきっと成功すると思ってました。応援していた甲斐がありましたよ>

 

<……ぽるかみぜーりあ>

 

 テロップには、『ファンクラブ会員ナンバー002・タクシードライバーのKさん』とある。

 

 ざくり。

 

「あ痛!!」

 

 動揺して、思わず指を切ってしまう。

 

 しかしそれも納得である。画面に映るのは、いくらか髪も伸びて服装もカソックではなくアロハシャツだったが、間違いなく言峰綺礼その人だったのだから。

 

 ここ数年、噂を聞かなかったからどうしているのかとたまに思い出す事があったが……

 

 まさか上海でタクシードライバーをしていて、しかもアイドルの追っ掛けをしていたとは……

 

『……あの時、殴り過ぎたかしら? それとも、ステンドグラスをぶち破った時に頭から落ちたのかな?』

 

 打ち所が悪かったのではないかと、傷口を洗うフィオは真剣に綺礼の身を案じていた。

 

 ちなみにこの更に数年後、言峰綺礼は犯罪組織「蛇」と鉄の闘争代理人との戦いに日本から来たカメラマン諸共巻き込まれ、代行者時代の実力を活かして大活躍する事になるのだが……それはまた、別の物語である。

 

 

 

 こうして冬木市での日々は……全ての人達にとって当たり前のように続き、そして過ぎていった。

 



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最終話 60 years later

 西暦20XX年、ドイツ。

 

 雪と氷に閉ざされたアインツベルン城の一室で、アインツベルン家8代目当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは、難しい顔しながら机を睨んでいた。

 

「ううむ……」

 

 机の上には神殿の柱を切り出して作ったような、剣と斧の合いの子に見える石器が置かれている。

 

 これはとある英霊を召喚する為の聖遺物であり、同時にその英霊の武器としても使えるだろう強力な概念武装でもある。

 

 第五次聖杯戦争の開始を数ヶ月後に控え、今度こそアインツベルン千年の悲願を達成すべく、必勝を期さねばならない。

 

 第二次聖杯戦争では、集まったマスターが足の引っ張り合いを演じた挙げ句に勝者が決まらず、儀式自体が失敗に終わってしまった。

 

 第三次聖杯戦争では、英霊を超える神霊としてこの世全ての悪「アンリマユ」を「復讐者」のサーヴァントとして召喚したが、期待された実力を全く発揮することなく早期に脱落、聖杯の器も途中で破壊されて戦争自体が無効となってしまった。

 

 第四次聖杯戦争では、アインツベルンの魔術師が荒事に長けていない点を補う為、外から凄腕の魔術師殺しを雇い、更に伝説の騎士王を最優のセイバークラスとして召喚させ、極め付けに「聖杯の器」にも自ら危険を回避する機能を持たせたにも関わらず、戦争の早期に敗退してしまった。

 

 これらの失敗から学んで、次の聖杯戦争ではどのような策を用いるべきか……?

 

 まずは喚び出すサーヴァントだが……それについては、もう決まっている。

 

 次の戦争に備えて集めた聖遺物の中でも、彼の前に置かれている剣はとびきり強力な英霊に縁深いもの。これによって喚ばれるだろう英霊は知らぬ者なき大英雄である。サーヴァントだけが聖杯戦争の全てではないにせよ、勝ち抜く為にはやはり強力なサーヴァントが必須であろう。

 

 次にマスターとして立てる者だが……これについても決まっている。

 

 60年前は衛宮切嗣を外から呼び寄せたが、しかし奴は敗北しただけでは飽き足らずアイリスフィールを籠絡し、おまけに最高傑作のホムンクルスたるイリヤまで奪って去った。やはり外の者など信用ならぬ。

 

 となれば、アインツベルンの技術の粋を結集して鋳造した究極のホムンクルスがマスターと聖杯の器を兼ねる事になるだろう。既に、その者については準備が整っている。

 

 最後に、召喚すべきクラスだが……

 

「うーむ……」

 

 斧剣の前に置かれたチェスボードには、聖杯戦争で召喚される七騎のサーヴァントを模った駒がずらりと並んでいる。

 

 用意した触媒によって喚ばれる英霊は、生前には武芸百般を誇ったが故にキャスター以外の全てのクラスに適性を持つという規格外の大英雄である。

 

 基本的に複数のクラス適性を持つ英霊に対して、実際に喚び出されるクラスについてはランダムであり指定する事は不可能。

 

 ただし、例外が存在する。ある二つのクラスだけは、召喚以前に指定する事が出来るのだ。

 

 一つはアサシン。これはアサシンというクラス自体が歴代の山の翁、ハサン・サーバッハの触媒として機能するからである。

 

 もう一つはバーサーカー。こちらは喚び出されるサーヴァントに「狂化」の属性を付与する事で該当させる事が出来るクラスである為だ。

 

 マスターをアインツベルンの者から出し、サーヴァントをバーサーカーとすれば複雑な思考を行う事が不可能となり、裏切る心配は皆無となる。しかもそれならサーヴァントの強化も可能となり、一石二鳥と言えるだろう。

 

 前回、衛宮切嗣に裏切られた事を思えば魅力的な組み合わせに思うが……

 

「だが……」

 

 ただ単純にパワーアップさせるのも考えものだ。

 

 喚び出させる予定のサーヴァントは掛け値無しの大英雄であり、知名度補正もあって単純なステータスは狂化によるパワーアップなど無くとも既に最高水準であろう。

 

 それに理性を奪えば、当然サーヴァントが本来持つ戦術眼や技術、一部の宝具も使用不可能となる。宝具さえ持っているか怪しいような有象無象の三流英霊なら兎も角、これほど超一級の英霊ならメリットをデメリットが上回るのではないか?

 

 黙考する老魔術師。そして、出た答えは。

 

「よし……!!」

 

 考えてみれば、今までは神霊の召喚や外の魔術師を招くなどの奇策が逆に足を引っ張る結果となったのだ。顧みてここは一つ、そうした奇策の一切を排除した正攻法・王道で臨む事としよう。

 

 それに、喚び出す英霊は高潔な武人としても有名である。まさか二心を抱くという事もあるまい。

 

 そう結論すると彼はホムンクルスのメイドに言って、既に令呪を宿したアインツベルンのマスターを呼びに行かせた。

 

 今度こそ他の6騎全てを滅し、アインツベルンが悲願を遂げるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 数ヶ月後、冬木市一角に存在するグランベル宅では。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーっ!!!!」

 

 シャワールームから凄まじい悲鳴が聞こえてきて、バスローブに身を包んだ女性が二人、飛び出してくる。

 

 フィオ・レンティーナ・グランベルとネロ・クラウディウス。

 

 60年前の聖杯戦争を戦い抜いた二人が、同じ姿でそこにいた。

 

 あの時、ネロとタマモは共に受肉したが「一個の命として肉体を得る」事は「人間になる」という事ではないらしく、二人とも腹は減るし睡眠も必要になったが、その姿は受肉した当時と変わっていない。

 

 まぁ本来ならいきなり成長した姿で生まれる命などこの世に有り得る訳も無いのだし、それはある意味での”不具合”だと言えるのかも知れない。それとも一個の命として生まれ変わった後も、人々の「理想像」として現界した英霊としての影響が残っているのか。特に後者の説については、彼女達は受肉した後もサーヴァントの高い身体能力や宝具を使う力を失っていない点からも説得力があった。

 

 いずれにせよ、二人ともそれをコンプレックスに感じるどころか、

 

 

 

「オリンピアの花たる私の美貌は時の流れの前にも衰えを知らぬのだ!!」

 

「年を取らないお嫁さんなんて、最高じゃないですか!!」

 

 

 

 ……こんな調子だった。

 

 そしてフィオだが……彼女の姿も、60年前と変わっていない。

 

 シャーレイのような死徒ではなく、さりとて自分達のような英霊でもない。ならば何故? ネロはそれについて一度尋ねた事がある。すると、

 

「自然と共に生きる事が、若さと長生きのコツね」

 

 と、はぐらされたのか本気なのか良く分からない回答が返ってきただけだった。

 

 しかし今はそんな事よりもっと重大な問題が発生している。

 

「忘れてた……今年はあなた達が受肉してから60年目……次の聖杯戦争が起こる年だったわ……」

 

 頭を抱えるフィオの胸には、60年前と同じ場所に同じ形の聖痕・令呪が浮かび上がっていた。

 

 それは全く完全に、第四次聖杯戦争が起こる直前の出来事の焼き直しだった。参加する意志など無い、と言うか聖杯戦争の存在すらも忘れていたフィオが人数合わせのマスターとして選ばれて令呪が宿る。歴史は繰り返すとはよく言ったものである。

 

「フィオよ……そなた、60年前と同じ失敗を繰り返すとは……かく言う私とてすっかり忘れていたが……」

 

 これにはネロも苦笑いである。

 

 そうこうしている間に、立ち直って着替えたフィオは貴重品や何冊かの本、それに護身用の武器や礼装を取り出してコートの内側の歪曲空間に次々と収納していく。

 

「どうするのだ? そんな物持ち出して……」

 

「決まってるでしょう。確かに令呪が現れるまで忘れてたのは60年前と同じミスだったけど、これ以上あの時の轍は践まないわよ。今度こそ、さっさと教会に避難するわ」

 

 それを聞いたネロは「ふむ」と頷く。

 

 戦争から逃げる行為を臆病だと責めるような事はしない。そもそも自分達には聖杯に願うようなご大層な望みなどは無いのだ。

 

 友と一緒に、ささやかな衣食住があればそれで良い。勿論向こうから向かってくるなら叩き潰すだけだが、わざわざ栗が無いと分かっている火の中へと入って火傷だけするような真似は馬鹿げている。現在の冬木市は平和そのものだし、間違っても連続殺人犯がマスターになるような事態は発生すまい。戦う意志が無いのなら、さっさと令呪を放棄するのはむしろ好判断だと言えるだろう。

 

「ならばタマモの奴にも知らせてやるとするか」

 

 そう言ったネロが懐から携帯電話を取り出した、その時だった。

 

 ピンポンと、チャイムが響く。

 

「「…………」」

 

 顔を見合わせる、元サーヴァントと元マスター。

 

 令呪が宿ったばかりという事も手伝って、二人とも警戒心が強くなっていた。まさか、敵のマスターかサーヴァントが……?

 

 こんな朝っぱらから聖杯戦争を始めるという訳でもあるまいが、しかし万一という事もある。互いに油断だけはしないように視線を交わし合うと、フィオは次の瞬間にドアが蹴破られようが剣がドアの向こうから突き出されてこようが対応出来るように気を張りつつ、扉を開けた。ネロもいつでも『原初の火』を取り出せるよう、身構えている。

 

 果たして、玄関先に立っていたのは。

 

「初めまして、ロード・レンティーナとお見受けいたしますが……間違いないでしょうか?」

 

「……イリヤ?」

 

 ネロが、思わずそう呟いてしまったのも無理はなかった。

 

 雪のように白い髪、紅玉のような瞳。幼き日の彼女と瓜二つと言っていい容姿をした少女が、そこに居たのだ。背丈や目鼻立ちも寸分変わらない。違う所と言えば肌の色ぐらいであろうか。イリヤは肌も白磁のように白かったが、今二人の前に立っている彼女はシャーレイと同じぐらいの褐色の肌をしている。

 

「…………!!」

 

 フィオも同じように、驚愕に言葉を失っていた。それを見た少女が怪訝な表情で「あの……」と言ってくる。それを受けて二人とも漸く平常心を取り戻して、彼女の話を聞く姿勢に入った。それを見て取って、少女の方もまずは自己紹介を始める。

 

「お初にお目にかかります。私の名はクロエ・フォン・アインツベルン。本日はあなた様にお願いの儀があり、こうして参りました」

 

 スカートの裾をつまんで、恭しく一礼するクロエ。

 

 アインツベルンという単語から彼女はこの聖杯戦争の為に送り込まれたマスターなのかと勘繰ったフィオとネロだったが、どうにも様子がおかしい。少なくとも対峙するクロエからは、僅かな殺意も敵意も感じ取れない。

 

 ここは……

 

「まぁ、立ち話も何だし……取り敢えずは上がって」

 

 

 

 

 

 

 

 そうして客間へと通されたクロエ。

 

 出された紅茶や菓子に舌鼓を打ち、10分ほどが過ぎた所で、彼女は用件を話し始めた。

 

「単刀直入に言います。私を、助けて欲しいのです」

 

「助ける……?」

 

 まずは結論から切り出したクロエだったが、聞いたフィオとネロは首を捻る。助けるとは、どういう意味だ?

 

 既に他のマスターと一戦交えていて、予想以上の強敵と当たって恨みを買ったから助けてほしいという意味だろうか? だとしたら虫が良いにも程があるというものだが……

 

 ネロは既にその結論に達して何か言いたそうだったが、フィオに制された。まずは、話を最後まで聞かねばなるまい。

 

「助けるとは、どういう意味かしら?」

 

「その前に……ロード・レンティーナはアインツベルンが用意する聖杯の器について、ご存じですか?」

 

 と、クロエが聞き返してくる。

 

 これはフィオに対しては愚問だと言えた。

 

 アインツベルンの器に関しては知るも知らないもない。60年前の第四次聖杯戦争に於いて、最後の戦いはまさにその聖杯の器であったアイリスフィールを巡って起きたのだから。

 

 しかしそういう質問をしてくるという事は、クロエの言いたい事も読めてくる。

 

「つまり……今回の聖杯の器は、あなただという事かしら? クロエ」

 

 核心を突くようなその質問に、イリヤそっくりのホムンクルスは頷く。

 

「あなた方は、60年前にアインツベルンから失われた最高傑作のホムンクルス、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンをご存じですか?」

 

 疑問文に疑問文で返すとテストでは0点だが、しかし「おっと会話が成り立たないアホがひとり登場~~」とフィオが怒るよりも前に、ネロが表情を引き攣らせる。何を隠そうアインツベルンからイリヤを奪取する作戦は、彼女が主導で行ったのだから。

 

「私はイリヤスフィールを再現すべく、残されていた彼女の体細胞をベースとして鋳造されたホムンクルスなのです」

 

「イリヤを……」

 

 その彼女が、今回の聖杯の器として仕立て上げられた。同時に”最高傑作”のコピーであるクロエは、まさしくアインツベルンが切り札として送り出すマスターに相応しい能力を備えている。

 

「ですが……私は死にたくありません。聖杯になんか、なりたくないんです……!!」

 

 スカートをぎゅっと握り締めて手を震わせながら、絞り出すようにクロエは言う。

 

「だから、お願いします。ロード・レンティーナ。あなたは60年前に、当時の聖杯の器であったアイリスフィールを死の運命から救ったと聞いています。今度も同じように、私を助けて下さい。その代わり、私達はこの聖杯戦争の勝者をあなたにするように協力します」

 

 その申し出を受けて、フィオは考える仕草を見せる。

 

 確かに聖杯になるという事はイコール死ぬという事だ。だからそうなりたくないと考えるのは至極当然の事だが……

 

 だが、クロエの申し出を受けるにせよ断るにせよ、確かめておかなくてはならない事がある。

 

「クロエ……アインツベルンの方は、その事は知っているの?」

 

 とは言えこれは答えの予想出来る問いではある。聖杯の降誕、ひいては第三魔法の再現を最大の悲願とするアインツベルンが、まさか聖杯になりたくないなどという願いを許容する訳もない。恐らくはクロエの独断であろう。

 

 そう考えるフィオだったが、しかしクロエの答えは彼女の予想の上を行った。

 

「アインツベルンは……もう、ありません。アハトお爺様やその他主だった人達はみんな、死んでしまいました」

 

「……なっ!?」

 

 御三家の一角たるアインツベルンが滅んだとは、一大事である。

 

 聖杯戦争にはその性質上、脱落したサーヴァントの魂を魔力に変化にして溜めておく為の器の存在が必要不可欠であり、器を作る技術を有するのはアインツベルンのみ。クロエにもその技術は無い。つまりこれ以降の聖杯戦争は、実質的に実行不可能になったという事である。

 

 一体どうしてそんな事に……?

 

「正確に言うと、殺されました。私の喚んだサーヴァント、アーチャーに。出てきて、アーチャー」

 

 クロエが呼ぶと、霊体化を解いて彼女のすぐ傍にサーヴァントが姿を現す。

 

「「……!!」」

 

 現れたサーヴァントはフィオやネロをして、思わず息を呑むような、一目で超一級の英霊であると分かるような姿をしていた。

 

 軽く2メートルを越えるような岩石を思わせる巨躯は余す所無く鍛え抜かれた鋼のような筋肉で覆われており、下手な鎧よりもずっと頑丈そうに見える。

 

 そしてそんな圧倒的なド迫力を醸し出す姿をしていながらもその瞳には、確かに自らの主を気遣う優しさが垣間見える。

 

 まさに強きを挫き弱きを守る「英雄」という言葉を佇まいだけで体現しているかのような偉丈夫。それがクロエのアーチャーを見た、二人の共通した感想だった。

 

「私も、あの時は正直早まってしまったと思う……昔から、考えるよりも先に体が動いてしまうタチでな……「訓練」という名目でクロエに行われていた仕打ちを思うと、いてもたってもいられなかった」

 

 アーチャーが語る。地の底から響いてくるような低い声だ。

 

 彼の話によると、アハト翁はサーヴァントを操る為の訓練と称して着の身着のままでクロエを狼がうろつく吹雪の森に放り出したという。

 

 当然、襲い掛かる危険は全てアーチャーが排除してクロエは無事であったものの、彼女のような少女にそのような仕打ちをするユーブスタクハイトにアーチャーは激怒。クロエが令呪で止める間も無く、一刀の下に斬り捨ててしまったという。

 

 そのまま取り押さえようとしてくるアインツベルンの重鎮達まで斬り捨ててアーチャーはクロエと共に城から逃亡。数ヶ月の逃避行を経て、こうして日本にやってきたという事だった。

 

「私も、最初はアーチャーが何て事をしてくれたのだと思いましたけど……でも彼は、心の底から私を案じてくれている事が、この旅の中で分かりました。だから、私は……彼の為にも私自身の為にも、生きたいのです」

 

「美少女は国の宝ぞ。それを粗末に扱うような痴れ者には良い薬であろうよ。少しばかり効き過ぎたきらいはあろうが……」

 

 と、ネロ。彼女としても、アハト翁がクロエに行った仕打ちには聞いただけで腹に据えかねるものがあった。

 

 フィオとしても、大体同じ意見だったが……しかし、もう少し聞かねばならない事がある。これはクロエにではなく、アーチャーに。

 

「アーチャー、あなたは何故、クロエにそこまで……?」

 

「……」

 

 どうして召喚されただけのマスターに、それほどに尽くすのか。

 

 そう問われた巌のような武人のサーヴァントはマスターと僅かな時間視線を交わし合い、そしてクロエの首肯によって「許可」が下りた事を確認すると、話し始めた。

 

「生まれはテーパイ、父はゼウス、母はペルセウスの孫アルクメネ。我が真名はヘラクレス」

 

「「!!」」

 

 ヘラクレス。

 

 ギリシャ神話に於いて三本の指に入るであろう大英雄が眼前にいると知り、フィオとネロの顔にも驚愕が走る。

 

 そして同時に、納得もしていた。彼が何故そこまでクロエを守るのか。わざわざ説明されるまでもない。

 

 ヘラクレスはかつて、ヘラによって狂気を吹き込まれて我が子と異母兄弟の子を殺してしまい、更にそれによって悲嘆に暮れた妻をも失ったしまったと逸話にある。彼が打ち立てた伝説の中でも特に名高い十二の試練は、その赦しを求めてのものだ。

 

 そんな逸話を持つ英雄であるからこそ、クロエのような少女に苛烈な苦行を強いるアハト翁が許せなかったのだろう。

 

 これで、聞きたい事は全て聞けた。その上での、フィオの返事は。

 

「いいわ。了解した。クロエ、あなたを必ず助けると約束する!!」

 

「……本当ですか?」

 

 望んでいた答えを返されたクロエは、しかし驚いた表情を見せる。彼女も突然のこんな申し出は、正直断られるのではないかとずっと不安だったのだ。なのに、どうして?

 

 少女の顔からそんな思考を読み取ったらしく、フィオはふっと涼しげに微笑する。

 

「私はね、クロエ。いちいち自分から出向いて困っている人を助けに行くような正義の味方じゃあないわ」

 

 むしろ、その精神性は一般人に近いとも言える。彼女は例えば地球の裏側で起こっている戦争で何百という人間が死のうと、胸に痛みを感じたりはしない。どこにでもいる普通の人間のように。

 

 事実、今回の聖杯戦争とて前回のキャスターの元マスターのような異常者がサーヴァントを従えない限りは、さっさと教会に避難して令呪を回収してもらうつもりだった。

 

「……でもね」

 

 だが今は、事情が変わった。

 

 クロエが、自分の元にやってきた。

 

「助けを求めて伸ばされた手を振り払って何も感じないほど、恥知らずじゃあないつもりよ。私は、強いからね」

 

 全く、強いというのも楽ではない。弱ければそれを言い訳に他人を助けなくてもいいのだ。だが、自分は違う。自分は強い。強い者は、伸ばされた手を決して振り払ってはならないものだ。

 

 友のその宣言を受けて、ネロは会心の笑みを浮かべる。それでこそ我が友だ。クロエとアーチャーの顔にも、同じような笑みが浮かぶ。

 

「尤も……フィオ自身にその気はなくともあちこちで人助けをしまくってはおるがな」

 

 からかうようにネロが付け加える。

 

 この60年、自分達は「虹色の脚」の慰安旅行などでタマモやシャーレイも一緒に色んな所へ行った。

 

 そして持ち前の不幸によって様々なトラブルに巻き込まれ、持ち前の実力でその悉くを解決してみせた。一度など原発のメルトダウンを止めた事すらある。

 

 本人は知らないだろうが、裏の世界ではトラブルある所にひょっこり現れ、それを解決して飄々と去っていくコックの物語は、既に一種の伝説と化している。

 

 あるいはその生き方は、超絶の力や長い寿命と引き替えにフィオという人間に与えられた天からの祝福かも知れなかった。

 

『まるで、デウス・エクス・マキナよな……』

 

 色々あったが、最後はフィオが出てきてめでたしめでたし、みんな笑って終わるのだ。今までそうだったように、クロエも、きっと。

 

「無論、私も力の限りを尽くし、助けとなる事を約束するぞ!! 我が友よ!!」

 

 機械仕掛けの神の化身とずっと一緒にいた暴君は笑う。どんと胸を叩いて自信満々に、不遜に、傲岸に。

 

「ありがとう、ネロ。で……クロエをどうやって助けるかだけど……」

 

 ここはやはりアイリスフィールを助けた時と同じで、タマモにクロエの中にプールされた魔力を吸収させる方法が良いだろう。新しい体や魂の移し替えなど大がかりな準備は必要無いし、何より実績のある手段だ。

 

「それと、私もサーヴァントの召喚を行う事になるわね」

 

 敵対するサーヴァントの打倒と、それまでの間、全ての要であるタマモを守る為にも戦力は一つでも多い方が良い。それに今回は60年前と違って、最上と言って良い触媒が手元にある。

 

 そう、フィオが考えていた時だった。

 

 ドアが開く音がして、二人分の足音がどたどたと近付いてくる。チャイムを鳴らさない事から客ではない。それにこの歩調のリズムは、誰のものであるかすぐに分かった。

 

「「ご主人様(店長)!! 大変な事が起こりました!!」」

 

 息せき切って入ってきたタマモとシャーレイであったが、しかし天上に頭をこすりつけるようでかなり窮屈そうにしているアーチャーを見ると思わず後ずさってしまう。

 

「な、な、な!? 何ですかこの筋肉ダルマは!?」

 

「私の客人よ。それよりタマモ、シャーレイ、大変な事とは……?」

 

 フィオに尋ねられて、二人は彼女へ向けて手の甲をかざす。そこには、二人とも令呪が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、フィオ宅の地下室にて召喚儀式の準備が進められていた。

 

 それほど広くない地下室を目一杯使うようにして水銀によって三つの魔法陣が描かれ、その前にはそれぞれシャーレイ、タマモ、そしてフィオが立って、声を揃えて召喚の呪文を紡いでいく。

 

「「「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!!」」」

 

 ただの紋様でしかない魔法陣が光り始め、空気の動かない地下室にもかかわらず風が吹き荒れる。

 

 この光と風に乗って、座より英霊は現世に来たる。

 

「「「誓いを此処に!! 我は常世全ての善と成る者!! 我は常世全ての悪を敷く者!! 汝三大の言霊を纏う七天!! 抑止の輪より来たれ!! 天秤の守り手よ!!」」」

 

 魔法陣が異界へと繋がり、放つ光はどんどんと強くなっていく。

 

 そして光が地下室を満たしやがて治まった時、3つの魔法陣にはそれぞれ3騎のサーヴァントが、その威容を見せていた。

 

 

 

 

 

「えっと……サーヴァント・ファニーヴァンプ。召喚に応えてやって来たよ」

 

 タマモの前に現れたのは、白いタートルネックに紫のロングスカートという当世風の衣装を着た、金髪紅眼の白人女性だった。

 

「は、はあ……」

 

 タマモは、自分の前の魔法陣に立つ女性のサーヴァントを前に戸惑ったように応じる。しかし彼女の耳や尻尾はかつてアイリの中でこの世全ての悪に触れた時と同じく、ぴんと立って眼前の相手に対して最大警戒を示していた。

 

「えっと……問おう、あなたが私を呼んだマスターか? ……って、こんな感じで良いんだっけ?」

 

「は、はあ……」

 

 とぼけたような調子で言うサーヴァントだが、彼女のマスターたる元サーヴァントは内心では冷や汗をだらだらと流している。

 

 とんでもないのを喚んでしまった。

 

 自分には分かる。このサーヴァントは、本来ならば英霊というカテゴリになど到底収まりきらない規格外の存在だ。これほどの”魔”は前世でも今世でも会った事がない。神霊の域に達した自分でさえ勝負にはなるまい。今はこうしてヒトと同じ姿を取っているが、本来ならば人間の理解を超えたレベルの存在だ。

 

『前回の私と言い、今回の彼女と言い……こんなのが召喚されるなんて……この冬木の聖杯はバグってるんじゃないでしょうか……』

 

 とは言え、これほどのサーヴァントが協力してくれるのなら頼もしい事この上ないだろうが……いやしかし……

 

 そんな風にタマモが考えていると、

 

「え、ええ……私、タマモがあなたのマスターですが……」

 

「そっか!! これからよろしくね、タマモ!!」

 

 無邪気な笑みを浮かべて、ファニーヴァンプは手を差し出してくる。タマモも、色々と思う所はあるが最初から疑ってかかってはキリがないのも事実。彼女はその手を、握り返した。

 

 

 

 

 

「ここは……そうか、あの時キャスターが言ってたのは……「私が何者かはいずれ分かる」って……そういう事だったのね」

 

「あ、あの……」

 

 ぶつぶつと呟きつつ魔法陣から進み出てきたその女性に、シャーレイは恐る恐る声を掛ける。

 

 現れたサーヴァントは、フード付きのコートで顔を隠した長身の女性だった。着ている衣装は、ファニーヴァンプと同じく当世風に見える。

 

「ん? ああ、サーヴァント・キャスター。召喚に応じて参上したわ」

 

「キャスター? でも、それにしては……」

 

 戸惑ったように声を上げるシャーレイ。

 

 キャスター、魔術師のクラスと言われればローブを纏って杖かあるいは分厚い魔術の書を持っていたりして、お伽話の魔法使い然とした人物をイメージするだろう。シャーレイもご多分に漏れず、勝手ながらそんな姿を思い描いていた。

 

 そんな予想に反して現れたのは近代どころかどう見ても現代人にしか見えない格好の女性である。これは一体……?

 

「まぁ、驚くのも分かるけど私は”当たり”よ? 私を引いたあなたに後悔はさせないと約束するわ。また、よろしく頼むわね、シャーレイ」

 

「……あれ? キャスター……私、もうあなたに自己紹介をしましたっけ? それに”また”って……?」

 

 

 

 

 

 二人とは違って、触媒を用いて召喚を行ったフィオは現れるであろうサーヴァントが何者であるかを、事前に予想する事が出来た。

 

 今回用いた触媒で喚ばれるべき英霊は、唯一人しか有り得ない。

 

「問おう、あなたが……!? あなたは……!!」

 

 サーヴァントとしての決まり文句もそこそこに、そのサーヴァント・セイバーは素っ頓狂な声を上げてフィオに近付いてくる。

 

 アルトリア・ペンドラゴン。アーサー王。

 

 60年前にアイリスフィールと共に「虹色の脚」を訪れたセイバーが、そこに居た。

 

「お久しぶりね、セイバー」

 

「……成る程、前回からかなりの時が過ぎたようですが……貴女が此度の私のマスターなのですね」

 

 自分もそうであるが故に、セイバーはフィオの姿が変わっていない事にさほどの疑問は持たないようだった。変装しているのか、何らかの手段で老化を抑えているとでも思ったのだろう。

 

「セイバー、貴女に渡す物があるわ。いや……返す、と言うべきかしら?」

 

 そう言うとフィオは台座に置かれていた物を、セイバーへと差し出す。

 

「これは……我が剣の鞘……!!」

 

 「全て遠き理想郷」(アヴァロン)。かつてアーサー王の元より失われた聖剣の鞘。所有者の老化を抑え、呪いを跳ね除け、傷を癒す宝具。

 

 アインツベルンがコーンウォールより発掘したそれは前回の聖杯戦争でもセイバーの触媒として用いられ、その後はアイリスフィールの体内に埋め込まれていた。そして戦争終結後、彼女の調整が行われた際に摘出され、以後はフィオが持ち続けていた。

 

 それが今、本来の所有者へと返されたのだ。

 

 これで、準備は整った。

 

 フィオはコートを翻しつつ振り返り、ネロ、タマモ、シャーレイ、クロエ、セイバー、アーチャー、キャスター、ファニーヴァンプ。この場にいる全員を見渡して、高らかに謳い上げる。

 

「さぁ……第五次聖杯戦争の始まりよ!!」

 



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登場人物紹介

 

・フィオ・レンティーナ・グランベル

 

身長:187cm

 

体重:77kg

 

年齢:17歳(自称・外見的に)

 

 

起源:極限

いかなる技能・分野であっても、人として究極の域にまで身に付ける事が出来る。

あくまで「鍛錬すればそこまで至る事が可能である」というだけであり、技術や知識を習得する為に必要とする時間や手間は一般人のそれと変わらないし、特定の分野に於いて学習を始めた当初から他者の平均値より秀でているような事もない。他に分野Aは飲み込みが早いがBは覚えが遅いというような事もない。

RPGのキャラクターで例えるなら、全能力の成長限界値がMAXかつ初期能力・成長率が平均値に設定されているようなもの。

フィオはこの起源を持つ事により、魔術・武術・料理・娯楽などありとあらゆるジャンルに対して凝り性である。

 

 

経歴など

時計塔において名門中の名門である錬金術の大家・グランベル家の17代目当主であり、時計塔に在籍していた時には現・魔導元帥であるバルトメロイ・ローレライが第一魔法の具現者以外には唯一敬意を持って接していた人物。どうしても失敗出来ない任務を行う際には招聘され、クロンの大隊の訓練を任されていた。

数年前に封印指定を受け、それをきっかけに時計塔を脱退、行方不明となる。

その後、冬木市でイタリアンレストラン「虹色の脚」を開店、オーナーシェフとして過ごしていたが、第四次聖杯戦争の開始に伴い、本人に参加する意志は無かった、と言うか聖杯戦争の存在自体忘れていたが、マスターの空席を埋める為の人数合わせとしてマスターに選ばれる。

当初は聖杯戦争に乗り気ではなかったものの、連続殺人犯がマスターとなっている事実を知り、早期の戦争終結を目的として参戦する。

 

第五次聖杯戦争に於いては、60年前と同じく聖杯戦争の存在自体をすっかり忘れてしまっており、再び人数合わせのマスターとして令呪を宿す。

今度こそ令呪を放棄して教会に避難しようと考えるが、自分を頼ってきたクロエの願いに応える形で参戦を決める。

 

自称ながら根源に接続しているとされ、故に根源に至ろうという欲求を持たない(そもそもわざわざ至る必要が無い)。よって紛れもなく現代の魔術師としては最高の才能と能力を持つが正確な意味では魔術師ではない。

 

本人や周囲の者の言を信じるなら「80才を越える言峰璃正神父よりも年上」であり、それから60年後もその姿は全く変化しておらず人間の寿命を遥かに越えて生きている事になる。彼女曰く長生きと若さを保つ秘訣は「自然と共に生きる」事だとか。

 

 

 

【パラメータ】(サーヴァント基準)

筋力:D 耐久:D 敏捷:D 魔力:A~∞ 幸運:E(A+)

 

 

【能力】

 

料理上手:EX

美味しい料理が作れる。相手によっては他者と良好な関係を築ける。ここまで来るとあまりの美味さに食べた者の体が健康体になるレベルである。これほどまでの腕を彼女が持つのは、実家が錬金術の大家であるため(錬金術は台所で発展したもの)。

 

接続:EX

詳細不明。『』に繋がっていると言われている。

 

格闘技:A

八極拳・サンボ・合気道・柔術などの技術を総合した白兵戦の能力。Aクラスは人間としては最高峰のレベル。

 

武器術:A

ナイフや刀、銃器や爆発物などを取り扱うスキル及びその為の専門知識。Aクラスは人間としては最高峰のレベル。

 

魔術:A

五大元素と二つの架空元素を含む七重属性。現代の魔術師としては最高レベルの才能。

上記に加え、世界中の全ての星を掻き集めたかのような昼の如き光量を持つ夜空と、草花の咲き乱れる平野によって構成される固有結界「遍星丘」を持つ。

その正体は結界に敵を引きずり込んだ後、上空より炎を纏う星を無数に落下させ、平地から草一本も無くなるほどの”空爆”によって殲滅する対軍結界。降り注ぐ星は、一つ一つが並の死徒であれば一撃で倒すだけの破壊力を持つ。

戦闘時以外でもフィオの体内に常時展開されており、日常で使用しなかった余剰魔力を新しい「星」として結晶化・貯蔵している。このようにして結界内に本来存在する物とは別に新しく加えられた「星」については「爆弾」として使用する以外に、純粋魔力としてフィオに還元する事で人間の限界を超えた魔力行使を可能とするなどの使い方がある。

また体外での展開中には、星々の配置を操って星穹を巨大な魔法陣に見立てる事で、様々な大魔術を一工程で発動させる事を可能とする。

 

 

※この他に格闘術と武器術、更に魔術を組み合わせた全く新しい我流戦闘術「魔術CQC」を行使する。

 

 

不幸:EX

旅行に行けば滞在先のホテルがテロリストに占拠されたり爆破される、乗る飛行機がよく墜落したりハイジャックされるなどトラブルの場に居合わせて厄介事に巻き込まれる才能。ここまで来るともはや呪い・悲劇をも通り越して、宿命・喜劇のレベルである。

あくまで「厄介事に巻き込まれる」才能であり、本人にその厄介事を解決出来るだけの実力があるかどうかとは無関係。

また、パラメータの幸運値がEに固定される。

 

 

 

 

 

 

 

・クロエ・フォン・アインツベルン

 

身長:133cm

 

体重:34kg

 

年齢:?

 

経歴など

第四次聖杯戦争終結直後に衛宮切嗣、アイリスフィール・フォン・アインツベルン、ネロ・クラウディウスらが行ったアインツベルン城への襲撃によってイリヤが奪取された後、失われた「最高傑作」たる彼女を再現すべく、残されていた体細胞をベースに鋳造されたホムンクルス。つまり、もう一人のイリヤと言える存在。

本来は聖杯戦争の為だけに育てられ、鋳造主であり育ての親でもあるアハト翁からの教育も手伝って「天の杯」に至る事を彼女自身も至上の目的としていた。

 

しかし、第五次聖杯戦争開始の数ヶ月前にアーチャーを召喚するも、彼女へ課せられた虐待にも等しい苛烈な訓練内容に激怒したアーチャーがアハト翁以下アインツベルンの重鎮達を軒並み殺害し、マスター共々城から逃亡するという事件が起こる。

その後、アーチャーとの逃亡生活の中で自分を守ろうとしてくれている彼の心に触れて「生きたい」と願うようになり、今回もマスターとして選ばれていたフィオを頼って来日。彼女を聖杯戦争の勝者とする対価として自らの調整と新しい世界での生活を望み、同盟を組む。

 

 

【能力】

 

マスターとして想定されていたイリヤには劣るものの、それでも聖杯戦争史上最高の適性を持ち、いかなる大英雄であろうと生前と同等もしくはそれに限りなく近いレベルまで能力を発揮させ(生前に劣る可能性があるのは、その英霊がサーヴァントとしての役割に当て嵌められている為)、十分な戦闘行動を取らせる事が出来る。

聖杯戦争の為のみに育てられた為、魔術師としての腕前は発展途上。しかし、クロエは本来のイリヤがそうであるように「願望機」である聖杯である為、それが彼女の魔力で叶う事ならば過程をすっ飛ばし、結果を現出させられる。つまりクロエ自身が必要な魔術理論を知らなくても、魔術を行使出来る。

 

 

 

 

 

 

 

・ライダー

 

真名:ネロ・クラウディウス

 

マスター:フィオ・レンティーナ・グランベル

 

触媒:無し

 

属性:不明

 

性別:女性

 

身長:不明

 

体重:不明

 

 

【パラメータ】

筋力:B 耐久:C 敏捷:B 魔力:D 幸運:B 宝具:A+

 

 

【クラス別スキル】

対魔力:D

一工程による魔術行使を無効化する。魔力除けのアミュレット程度の対魔力。

 

騎乗:A+

騎乗の才能。獣であるのならば、竜種を除く神獣、幻獣まで乗りこなせる。

 

 

【保有スキル】

皇帝特権:EX

自分が持っていないスキルを短期間だけ獲得できる。A以上だと神性やカリスマ等、肉体に寄与しない能力すら獲得可能。

 

(頭痛持ち:B)

消滅。

 

 

 

【宝具】

「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)

ランク:A

種別:対軍宝具

レンジ:4^30

最大捕捉:120人

 

炎を纏う四頭の神馬によって牽引される戦闘馬車。平時は異空間に格納されており、ライダーの剣である『原初の火』によって空間から取り出され、空中も含めたあらゆる地形を高速で走破する。

自らを太陽神ソルに匹敵する戦車御者と疑わなかった彼女だけが乗りこなす事の出来る宝具。

基本的な戦術は突進による体当たりであり、その際には馬と車輪の二つにダメージ判定がある。

派手な外見からそのイメージとはかけ離れているが常時発動型宝具であり、イスカンダルの『神威の車輪』のような真名解放による瞬間的な高出力の発揮などは不可能。またパワーでも劣るが、その分、魔力の消費効率や航続距離、最高速に達するまでの加速性能では勝っている。

 

 

「招き蕩う黄金劇場」(アエストゥス・ドムス・アウレア)

ランク:A+

種別:結界宝具

レンジ:1^99

最大捕捉:1000人

 

自己の願望を達成させる絶対皇帝圏。生前の彼女が自ら設計し、ローマに建設した劇場「ドムス・アウレア」を、魔力によって再現したもの。固有結界とは似て非なる大魔術。世界の「改変」ではなくあくまで劇場の「書き加え」である為、固有結界の内部にも展開する事が出来る。

聴衆に自らの公演を強制的に最後まで聞かせるべく、劇場の出入り口を全て封鎖し閉じ込めたという逸話に由来。

展開されている間、閉じ込められた敵は弱体化する。

 

 

「三度、落陽を迎えても」(インウィクトゥス・スピリートゥス)

ランク:C

種別:対人宝具

レンジ:-

最大捕捉:1人

 

死亡した際、一度だけ蘇生(レイズ)が掛かる。

自害したネロに対して3日後、兵士が亡骸に外套を掛けた所「忠義、大儀である」と最後の言葉を遺したという逸話に由来。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・キャスター

 

真名:玉藻の前

 

マスター:雨生龍之介→フィオ・レンティーナ・グランベル

 

触媒:白面金毛九尾の狐に刺さった矢(に、付着していた血液。つまり本人(?)の肉体の一部)

 

属性:不明

 

性別:女性

 

身長:不明

 

体重:不明

 

 

【パラメータ】

筋力:E(EX) 耐久:E(EX) 敏捷:B(EX) 魔力:A(EX) 幸運:A(EX) 宝具:A+(EX)

 

 

【クラス別スキル】

陣地作成:C

魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。が、どうも性格的に向いていないらしく、工房を作る事さえ難しい。

 

道具作成:B

魔力を帯びた器具を作成可能。

 

 

【固有スキル】

呪術:EX

ダキニ天法。

地位や財産を得る法(男性用)、権力者の寵愛を得る法(女性用)など、権力を得る秘術や死期を悟る法がある。しかし過去さんざん懲りたのか、あまり使いたがらない。

 

変化:A

借体成形とも。

玉藻の前と同一視される中国の千年狐狸精の使用した法。過去のトラウマからか、あまり使いたがらない。

 

神性:E(EX)

太陽神の分霊であり本来ならば最高クラスの神霊適性を持つが、九尾の狐は魔物としての側面も持つ為に低下してしまっている。

本来の霊格を取り戻した場合には、神そのものであるが故に規格外の神霊適性を発揮する。

 

 

【宝具】

「水天日光天照八野鎮石」

ランク:A+(EX)

種別:対人・対軍宝具

レンジ:1^99

最大捕捉:1000人

 

キャスターの持っている鏡。後の八咫鏡、天照大神の神体であり、魂と生命力を活性化させる力を持つ。真の能力を発揮すれば死者蘇生すら可能とする冥界の神宝中の神宝だが、サーヴァントであるキャスターではそこまでの力は引き出せない。

自分一人に使う場合には、短時間魔力消費に気兼ねせずに呪術を使えるようになる。

本来は味方の大軍勢を強化する為に用いられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

・アーチャー

 

真名:ヘラクレス

 

マスター:クロエ・フォン・アインツベルン

 

触媒:無銘の斧剣

 

属性:混沌・善

 

性別:男性

 

身長:253cm

 

体重:311kg

 

 

【パラメータ】

筋力:A 耐久:B 敏捷:B 魔力:B 幸運:B 宝具:B

 

 

【クラス別スキル】

単独行動:B

マスター不在でも現界し続けられる能力。ランクBならば二日間は行動出来る。

 

対魔力:B

詠唱が三節以下の魔術を無効化する。大魔術・儀礼呪法等を以てしても傷付けるのは難しい。

 

 

【固有スキル】

戦闘続行:A

瀕死の重傷を負っても生存を可能とし、怪我による死亡の可能性を下げる。クー・フーリンのそれは往生際の悪さとして現されるが、ヘラクレスの場合は生還能力の高さとして現れている。

宝具”十二の試練”とは相性が抜群であり、高い効果を発揮する。

 

心眼(偽):B

直感、第六感による危険回避能力。虫の知らせとも。

セイバークラスに選ばれるような熟練の剣士が相手でも、生半可なフェイントには引っ掛からない。

 

勇猛:A+

勇猛果敢な精神であり、威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する。

また、格闘ダメージを上昇させる効果もある。

 

神性:A

主神ゼウスとペルセウスの孫・アルクメネの子で半神半人であり、死後に神の座へと迎え入れられた事から最大級の神性スキルを持つ。

「粛清防御」と呼ばれる特殊な防御値をランク分だけ削減する効果がある。また「菩提樹の悟り」や「信仰の加護」といった加護系スキルを打ち破る。

 

 

【宝具】

「十二の試練」(ゴッドハンド)

ランク:B

種別:対人宝具

レンジ:-

最大捕捉:1人

 

生前のヘラクレスが十二の試練を乗り越えた際に神々より受けた祝福・呪いにより不死の肉体を持つに至ったという伝承に由来する、彼の肉体そのものの宝具。その効果は以下の3つ。

 

1.Bランク以下の干渉の無効化

肉体を強靱な鎧へと変化させ、物理・魔術を問わずランクB以下の攻撃は全て無効化する。

 

2.自動蘇生

無効化不可能な攻撃によってヘラクレスが死亡した場合、自動的に蘇生(レイズ)が掛かる。その回数は11回であり、つまりヘラクレスを完全に消滅させる為には12回殺す必要が生じる。

また、マスターに十分な魔力があれば蘇生ストックの回数は回復させる事が可能である。

 

3.既知のダメージに対する耐性付加

一度受けたダメージを学習し、その克服の為に新たなる耐性をヘラクレスの肉体に付加する。これによって、どのような手段でヘラクレスを倒そうとも同じ手段での攻撃は二度と通用しなくなる。

 

上記に加えてヘラクレス自身の技量によって攻撃を見切る能力があり、二重の護りとして効果を発揮する。

 

 

「射殺す百頭」(ナインライブズ)

ランク:?

種別:対人・対幻想種宝具

レンジ:1~?

最大捕捉:?人

 

ヘラクレスが最も信頼する宝具。

本来は9つの首を持つ蛇・ヒュドラを殲滅した際に用いたもので弓矢の形状をしている。ヘラクレスはその後、この能力を模した技をあらゆる武器で使用する事を可能としている。

つまり、あらゆる武器で使用可能で、かつ状況に応じて形を変える万能型宝具。

この宝具の本質は「全ての攻撃が重なるほどに高速の9連撃」であり、ハイスピードな9連続攻撃を放つ対人用、ドラゴン型のホーミングレーザーを9発同時発射する対幻想種用などの型分けがあり、それらを一つの武器で様々に放つ事が出来るいわば「流派」である。剣や弓といった武器は勿論の事、防具である盾からも放つ事が可能。

 

 

 

 

 

 

 

・ファニーヴァンプ

 

真名:アルクェイド・ブリュンスタッド

 

マスター:タマモ

 

触媒:無し

 

属性:混沌・善

 

性別:女性

 

身長:167cm

 

体重:52kg

 

 

【パラメータ】

筋力:A+ 耐久:B 敏捷:A 魔力:B 幸運:D 宝具:EX

 

 

【クラス別スキル】

ブラッド・ドリンカー:A

相手の血を吸う。彼女自身が吸血鬼であることも相まって強力になっている。

しかしファニーヴァンプはあまり使用したがらない。

 

ライフ・イーター:B

対峙した相手の体力を徐々に奪う。

 

ファイナンス・クライシス:B

その場での通貨を強制的に消費させる。男を惑わす毒婦。

 

【固有スキル】

魔眼:A

魅了の魔眼を所有。

意志を込めて目を合わせた相手を魅了し、短時間ながら意のままに操る事を可能とする。他にも行動の束縛・洗脳・記憶操作を可能とする。ランク『黄金』に位置する最上級の魔眼。

 

原初の一:EX

アルテミット・ワン。

星からのバックアップを受ける事で、敵対する相手より一段階上のスペックになる。

しかし星からの絶対命令によりそれ以上のバックアップは不可。

 

 

【宝具】

「プルート・ディ・シェヴェスタァ」

ランク:A++

種別:?

レンジ:?

最大捕捉:?

 

血の姉妹による盟約。

宝具というよりは彼女自身が持つ特性のようなもの。

周囲を地球環境化(テラフォーミング)し、通常の状態へと帰還させる。

 

 

「千年城ブリュンスタッド」

ランク:EX

種別:結界宝具

レンジ:?

最大捕捉:?

 

アルクェイドが空想具現化で創り上げた、固有結界であるお城。

アルクェイドは人生の大半をこのお城で過ごしていた。アルクェイドのオリジナルではなく、過去において最も力があった真祖が空想具現化によって創り上げたもの。

アルクェイドが現れる以前は六百年廃墟となっていたとされる。

この空間内では制限だらけのアルクェイドが本来持つ能力を十全に発揮することが可能。

 

 

 

 

 

 

 

・キャスター

 

真名:フィオ・レンティーナ・グランベル

 

マスター:シャーレイ

 

触媒:無し

 

属性:中立・善

 

性別:女性

 

身長:187cm

 

体重:77kg

 

【パラメータ】

筋力:D 耐久:D 敏捷:D 魔力:A~∞ 幸運:E(A+) 宝具:A

 

 

【クラス別スキル】

陣地作成:B

魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。

 

道具作成:B

魔力を帯びた器具を作成可能。

 

 

【固有スキル】

 

呪術:A

玉藻の前直伝のダキニ天法。

地位や財産を得る法(男性用)、権力者の寵愛を得る法(女性用)など、権力を得る秘術や死期を悟る法がある。しかし、師である玉藻の前の忠告もあってかあまり使いたがらない。

 

接続:EX

根源と繋がっている。

根源から無尽蔵の魔力を汲み上げる事で魔力切れが事実上発生せず、適性が低いマスターであっても供給される魔力量の不足からくる能力低下を最小限に抑える事が出来る(知名度による能力補正やマスター自身の生き方や在り様によるステータス補正は受ける)。

つまりは無限の魔力を行使出来る能力。ただし、単位時間当たりに汲み上げられる魔力量には限界がある為、短時間にあまりに膨大な量の魔力を消費すると一時的に魔力が不足するといった状態になる場合がある。

また、このスキルはランクA+の単独行動としても作用する。

 

キャスターは使おうとはしないがこのスキルは応用によっては過去の聖杯戦争に召喚されたサーヴァントや、黙示録に記された「666の獣」聖杯戦争に於ける禁断のクラス「ビースト」の召喚すら可能とするらしい。

 

圏境:A+

気を纏い、周囲の状況を感知し、天地と合一する事で自らの存在を消失させる技法。早い話が透明人間化。

魔術ではなくあくまでも「自然との同化」による景色への浸透である為、魔術によって透明化を看破しようとする限り絶対に発見する事は出来ない。

生前、自然と共に在る事で常人よりも遥かに永い時間を生きたキャスターはこの能力を更に昇華させ、単純な不可視化のみならず肉体そのものを自然に溶け込ませ、必要に応じて実体として安定させる事が可能な境地にまで達している(サーヴァントの霊体化とは異なり、あくまでも実体化を維持したまま肉体が自然と一体になる)。

この状態のキャスターに対する攻撃は、全てが文字通り空を切ってすり抜けるので「見えないなら周りを闇雲に攻撃してみよう」という戦法は基本的に通用しない。ただし、キャスターが攻撃する際は体を固定化する(そうしないと彼女の攻撃も相手をすり抜けてしまう)ので、この時に当たればダメージを受ける。

また、このスキルはランクA+の気配遮断としても作用する。本来の気配遮断スキルとは異なり、攻撃に移ってもランクが低下する事はない。

 

ただしこれらの能力が効果を発揮する為には周囲が”通常の世界”である事が大前提であり、固有結界の内部や高度な魔術工房の異界化された空間など異なった概念・物理法則を持った環境下では無効化されてしまう。

 

 

【兵装】

「原初の火」

銘に『regnum caelorum et gehenna』(天国と地獄)と刻まれた真紅の大剣。ローマ帝国5代皇帝ネロ・クラウディウスが自ら鍛えたもの。

 

 

【宝具】

「遍星丘」

ランク:A

種別:対人・対軍宝具

レンジ:1^99

最大捕捉:1000人

 

世界中の全ての星を掻き集めたかのような昼の如き光量を持つ夜空と、草花の咲き乱れる平野という景観により構成される固有結界。

結界内に敵を引きずり込んだ後、上空より炎を纏う星を無数に落下させ、平地から草一本も無くなるほどの”空爆”によって殲滅する対軍結界。雨の如く降り注ぐ星は、一つ一つが対魔力を考慮しなければサーヴァントであろうと有効打となり得るだけの破壊力を持つ。

戦闘時以外でもキャスターの体内に常時展開されており、日常で使用しなかった余剰魔力を新しい「星」として結晶化・貯蔵している。このようにして結界内に本来存在する物とは別に追加された「星」については「爆弾」として使用する以外に、純粋魔力としてキャスターに還元する事で平常時を大きく上回る魔力行使を可能とするなどの使い方がある。

また体外での展開中には、星々の配置を操って星穹を巨大な魔法陣に見立てる事で、様々な大魔術を一工程で発動させる。

 

根源から無限の魔力を汲み上げる接続スキルとは相性が良く、相乗作用によって高い効果を発揮する。

 

 

 

 

 

 

 

・セイバー

 

真名:アルトリア・ペンドラゴン

 

マスター:フィオ・レンティーナ・グランベル

 

触媒:「全て遠き理想郷」(アヴァロン)

 

属性:秩序・善

 

性別:女性

 

身長:154cm

 

体重:42kg

 

 

【パラメータ】

筋力:A 耐久:A 敏捷:A 魔力:A 幸運:A+ 宝具:EX

 

 

【クラス別スキル】

対魔力:A

A以下の魔術を全てキャンセルする。

事実上、現代の魔術師ではセイバーを傷付けられない。

 

騎乗:A

幻獣・神獣ランクを除く全ての獣・乗り物を自在に操れる。

 

【固有スキル】

直感:A

戦闘時、常に自身にとって最適な展開を”感じ取る”能力。研ぎ澄まされた第六感はもはや未来予知に近い。

 

魔力放出:A

武器、もしくは自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。

 

カリスマ:B

軍団を指揮する天性の才能。

一国の王としてはBランクで十分と言える。

 

 

【宝具】

「風王結界」(インビジブル・エア)

ランク:C

種別:対人・対軍宝具

レンジ:1~2

最大捕捉:1個

 

剣の周囲に展開し、刃を不可視化する風の結界・聖剣の第二の鞘。一度きりではあるが、纏わせた風を破壊力を持った暴風として撃ち出す「風王鉄槌」(ストライク・エア)による遠距離攻撃も可能。

 

 

「約束された勝利の剣」(エクスカリバー)

ランク:A++

種別:対城宝具

レンジ:1~99

最大捕捉:1000人

 

生前のアーサー王が、湖の精から授かった至上の聖剣。星に鍛えられた神造兵装であり、人々の「こうあって欲しい」という願いが地上に蓄えられ、星の内部で結晶・精製された「最強の幻想」(ラスト・ファンタズム)。

所有者の魔力を光に変換、収束・加速させる事で運動量を増大させ、究極の斬撃を放つ。

攻撃判定そのものは光の先端だが、生み出された莫大な熱量は帯部分に持つ。

 

 

「全て遠き理想郷」(アヴァロン)

ランク:EX

種別:結界宝具

防御対象:1人

 

妖精モルガンがアーサー王から奪った聖剣の鞘。

「不老不死」の効果を有し、持ち主の老化を抑え、呪いを跳ね除け、傷を癒す。

真名解放を行なうと数百のパーツに分解して使用者の周囲に展開され、この世界ではない「妖精郷」に使用者の身を置かせることであらゆる攻撃・交信をシャットアウトして対象者を守る。それは防御というより遮断であり、この世界最強の守り。

魔法域にある宝具で、五つの魔法さえ寄せ付けず、多次元からの交信は六次元まで遮断する。

 

第四次聖杯戦争時にもセイバー召喚の触媒として使用され、その後アイリスフィール・フォン・アインツベルンの体内に埋め込まれていたが、戦争終結後に彼女の調整が行われた際に摘出され、以後はフィオが持ち続けていた。

 



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Apocrypha

本編の後日譚と、嘘予告です。

オリジナルサーヴァントが、多数登場します。


 

 ロンドンでも有数の三つ星ホテルの、その最上階スイートルーム。

 

 金砂の髪に蒼い装束を纏ったその少女は窓辺に立ち、見渡す限りの街並みを飽く事無く眺めていた。

 

「何を見ているの? セイバー」

 

 後ろから掛けられた優しい声にセイバーと呼ばれた彼女が振り向くと、そこには金色の髪と同じ色の目をしてメガネを掛けた美しい女性、彼女のマスターが立っていた。

 

「この街並みを……この国の在り様を……」

 

 セイバーは戸惑ったように、少しだけ固い口調でマスター、フィオ・レンティーナ・グランベルへと応じる。

 

「マスターは、私にこれを見せたかったのですね」

 

 セイバーの態度は、ここに至るまで多くの死線を共に潜り抜けたいわば”戦友”と言うべき関係の相手に対するものとしては、些か他人行儀であった。

 

 20XX年、第五次聖杯戦争は終局に向かっていた。

 

 第四次聖杯戦争の実質的な優勝者にして前回から残った二騎のサーヴァント、ネロとタマモを擁し、加えて今回は七騎の中でも最強とされるセイバー、そしてセイバークラス中でも更に最上位の剣の英霊たるブリテン王アルトリア・ペンドラゴンをサーヴァントとして従える最強の魔術師フィオ、ギリシャ最強の大英雄である無双の武人ヘラクレスをアーチャーのサーヴァントとして使役するアインツベルン最後の子クロエ、そしてタマモが召喚した”真祖”ファニーヴァンプ、シャーレイが召喚した謎のサーヴァント、キャスター。

 

 実質的に六騎ものサーヴァントを擁するこの大同盟は確実に他の陣営を鎧袖一触の如く蹴散らして、容易く第五次聖杯戦争を制するかに思われたが、しかし他の三陣営にもセイバーやアーチャーを比較対象として尚、勝るとも劣らぬ猛者達が召喚されていた。あるいは、彼女達に呼応する形で強き英霊が喚ばれたのか。

 

 いずれにせよこの第五次聖杯戦争は、歴代の中でも最強の英雄ばかりが集まった空前の戦いであった事は疑いようもない。

 

 ランサーのサーヴァント、太陽神スーリヤの息子にして、ヴィシュヌ神の化身をして「彼に勝つ事叶わず」と言わしめた不死身の英雄、カルナ。

 

 ライダーのサーヴァント、かつて神霊”この世全ての悪”(アンリマユ)すら己が下僕として支配した古代イラン王、悪魔の束縛者、タフムーラス。

 

 アサシンのサーヴァント、先代のハサン達が生涯を賭して編み出した18の奇跡「ザバーニーヤ」を全て模倣し身に付けた狂信者、名も無き暗殺者。

 

 都合九騎ものサーヴァント達によって争われる戦争の規模はやはり歴代最大であり、数々の死闘が繰り広げられたが……しかし最終的にフィオ達の陣営は全ての敵を打倒する事に成功した。

 

 戦いと並行する形でクロエの調整もタマモによって行われ、小聖杯は彼女ではなくちょうどフィオが持っていた虎柄の水筒へと変えられて、同時に彼女の延命措置も行われた。それを見届けたアーチャー・ヘラクレスは令呪によって座へと帰還し、ファニーヴァンプもまた「楽しかったよ」と一言を残して、自慢の爪で空間を裂いて、その狭間へと去っていった。

 

 残ったサーヴァントは、既に受肉しているネロとタマモを除けばセイバーとキャスターの二騎のみ。そしてキャスターも「私は聖杯に懸ける望みは無い」と語っており、事実上この聖杯戦争の勝者はセイバーに決定した、と思われたその時だった。フィオが言い出したのだ。

 

 

 

「折角だから、記念にみんなでイギリス旅行でもしない?」

 

 

 

 セイバーもクロエも、60年も一緒にいるネロ、タマモ、シャーレイですら最初はフィオが何を言っているのか分からないという風だったが……しかし一名を除いてフィオが本気の目をしているのを見ると、呆れつつも従う事にした。セイバーだけは「この期に及んで一体何を考えているのですか!!」とお冠だったが、しかし魔術師として最高の能力を持つフィオに二画の令呪によって命ぜられては、さしもの対魔力Aを持つ彼女でも逆らう事は能わなかった。

 

 それにしてもいくら実質的に戦いが終わったとは言え『私と一緒に旅行に行く事に同意せよ』などという内容で令呪を使うマスターなど、後にも先にもフィオ一人であろう。

 

 かくして始まったイギリス旅行であったが……最初は仏頂面をしていたセイバーも、なし崩し的にではあるがこの旅を楽しむようになったようであった。彼女の心境に変化をもたらしたのは旅の途中での、一人の騎士との出会いがそうさせたのかも知れなかった。

 

「ラン・ブラックモア卿から、ロード・レンティーナによろしくと言伝を預かっています。マスターは、彼と面識があるのですか?」

 

「ええ、彼のお父上……ダン・ブラックモア卿が右足を骨折して現役を引退しなければならなくなった時に、当時騎士見習いだった彼に、少し稽古を付けてあげたのよ……それにしても、あのちびっ子が今や女王陛下の懐刀、その中でも筆頭たる第零位騎士とはね……第七位騎士だったダン卿の跡を継いで、しっかりやっているみたいね……」

 

 フィオは少しの間、昔を懐かしむように目を細めてそう呟いていたが……そうしていたのも一時で、すぐにセイバーをしっかりと見据えると、尋ねる。

 

「で、どう? セイバー。現代の騎士と出会った感想は?」

 

 主からのその問いを受け、セイバーは僅かな時間言葉に詰まった。如何に聖杯戦争が事実上終結したとは言えこのマスターの突拍子もない行動は、故国の救済の為に聖杯を手に入れる事のみに専心していたサーヴァントの精神に、強烈なパンチをかました事は間違いないようだった。

 

「彼は言っていました。私も含め、過去の英雄を尊敬し、古き英雄を誇りに思っている。だからこそ過ぎ去った者達に敬意を払い、自分達は今を生きるのだと……」

 

 そう言ってふっと微笑すると、セイバーはもう一度窓から見える景色に目をやった。

 

「私達の奉じた騎士の道、規範は……今の世代にも確かに、脈々と受け継がれているのですね……」

 

 不思議と、ずっと感じていた焦燥の念が消えた気がした。

 

 理想に殉じ、誰よりも正しく生きて、身を挺して治める国の繁栄を願い、それでも国が滅んだのは運命の巡り合わせが余りに悪すぎただけの事であると。ならば万能の願望器さえあれば、その天運すら覆せると。そう信じて、誇りを貫いて。一度目の戦いでは叶わなかったが、二度目の戦いでは恐らくは最上のマスターを得て、戦いに臨んで。

 

 そして今や聖杯戦争の勝者は彼女へと決定し、聖杯という明確な手段は手を伸ばせばすぐ届く所にある。後はブリテンの救済を望むのみ。

 

 だが……何かが。何かがその願いを思い留まらせる。

 

 本当に、これで良いのかと。

 

 未だ座に招かれず正規の英霊でないセイバーにとってブリテンの崩壊は昨日の事だ。だが、当然と言えば当然の事だが、実際には彼女の故国が滅んだ後この現世に招かれるまでには永い永い時が過ぎている。無論、セイバーとて聖杯に招かれたサーヴァントである以上、現世での行動に支障をきたさぬよう聖杯より与えられた知識によってそれについては理解出来ていたが……しかし今にして思えば、本当の意味ではその事実を分かってはいなかったのではないかと、そう思うのだ。

 

 もし自分達の国が滅んだ後に築かれたのが蛮族によって支配される正義無き国ならばセイバーは、聖杯にブリテンの救済を願う事を躊躇わなかったろう。

 

 だが、彼女のマスターによって見せられた英国の今は。

 

 聡明な指導者、優秀な家臣団、安定した経済、素晴らしい建築物、平穏を楽しむ人々、受け継がれた騎士の道、子供達の笑顔。

 

 それらは全てが美しく、眩しく……だがそれ故に一つの事実を突き付ける。

 

 ブリテンは、騎士達が護りアルトリア・ペンドラゴンの治めた国は、遠い過去に終わってしまったのだと。残酷なまでに。

 

「思えば……選定の剣を引き抜いた時、ブリテンの滅びと栄光は……既に予言されていた筈でした……」

 

 それでもあの血に染まるカムランの丘に立った時、思わずにはいられなかった。本当に、こんな結末しかなかったのかと。祈らずにはいられなかった。故国の救済を。

 

 だからこそ時を越えてまで戦い続けてきた。セイバーにとってブリテンを救う為の戦いは、まだ終わっていなかったから。

 

 でも、違っていた。もう終わっていたのだ。

 

 終わりの始まりがいつだったのかは分からない。

 

 悲運なる我が子が叛旗を翻した時か。

 

 最高の騎士が王妃を連れて出奔した時か。

 

 アルトリアという少女が岩から剣を引き抜いて、アーサー王となった時か。

 

 あるいは更に遡り、偉大なる騎士がゴルロイス公と争った時か。

 

 それがいつであれブリテン国はその時もう既に、終わっていたのだ。

 

 それでも、今でも自分達の国の足跡はこの国に残って、人々の中に受け継がれている。それで十分と思うべきかも知れない。

 

 天の下、万象には全て終わりの時がある。生きている者はいつか死ぬ。形ある物はいつか壊れる。花は枯れる。水は涸れる。星ですら燃え尽きる。同じように仮にセイバーの願いが叶い、ブリテンの滅びの運命が変わったとしても何十年後か何百年後か、いつかは滅びたであろう。だが、受け継がれていく魂が滅ぶ事は無い。

 

 喪われた命の中に在った想いを受け継いで、そして自分が死ぬ時にはその想いをまた誰かに託して。命の中で育まれた強い想いは決して消えずに、永遠に残っていく。

 

 そうして受け継がれていくものにこそ、本当の価値はあるのだ。

 

「こんな事に今になって気付くなど……私の願いは、歪んでいたのでしょうね……」

 

 自嘲的な笑みと共に語るセイバーに、だがフィオは頭を振って応じる。

 

「そうでもないと思うわよ、セイバー。確かにあなたの願いが叶ったら色々と大変な事になっていたとは思うけど、でもあなたがそうした祈りを抱ける王であったからこそ、その正しさが今の世界を紡ぎ、導いてきたと思うから。だから、誇りに思いこそすれ、恥じる所は何も無いと思うわ。少なくとも私はね」

 

 その言葉を受け、セイバーは穏やかに瞠目して、そして安らかな笑みを見せる。

 

 ちらりと視線を落とすと、セイバーの体は少しずつ透けて、消え始めていた。彼女は死の前に聖杯を手に入れる事を条件に、死後の魂を守護者として世界に捧げるという契約によって召喚された特殊なサーヴァント。契約は聖杯の取得を以て執行されるが、セイバーが聖杯を必要としなくなった今、契約自体が消滅して彼女と現世との繋がりが失せているのだ。

 

「お世話になりました、フィオ。最後に、あなたに心からの感謝と信頼を。私が築こうとしたものは理想郷にはほど遠く、万人を救う事は出来ませんでしたが……それでも、胸を張れるものだったと、あなたは伝えてくれました」

 

 消えゆくセイバーを前にフィオはそっと胸に手をやり、礼の姿勢を取る。

 

「今回の聖杯戦争。あなたのお陰でクロエが……それに沢山の人達が救えたわ。ありがとう。あなたと共に戦えた事は私の終生の誇りであり……そして、あなたという友達の事を、私はずっと覚えているわ」

 

 にっこりと、セイバーは笑って返す。

 

「ありがとう……その言葉を胸に、私は、あの丘から先に進みます」

 

 その言葉が、最後だった。もう、セイバーの凛々しい姿は何処にもない。ちらりとフィオが視線を落とすと、彼女の胸に刻まれていた令呪最後の一画もまた消えて失せていた。

 

 他に道はあったのかも知れない。自分ならばたとえ大聖杯からの補助が無くともセイバーの現界の維持など簡単であったし、友としてこの世界を生きていくという選択肢もあった。あるいはタマモに頼めばブリテンの滅びの運命を変えつつ、この世界への影響を抑えるような聖杯の運用も出来たやも知れぬ。だが、と、フィオは思う。

 

 きっと、これで良かったのだと。

 

 うん、と頷いて彼女は部屋を出ると、仲間達が集まっているサロンへと足を運んだ。

 

 そこではクロエ、ネロ、タマモ、シャーレイ、そしてキャスターがティータイムを楽しんでいた。

 

「む、フィオ。セイバーはどうした?」

 

 ネロが尋ねる。

 

「行ったわ」

 

 簡潔に、そうとだけ伝えるフィオ。それだけで、ここに集まった面々には伝わった。皆の表情に、少しだけ陰が差す。

 

「それで……どうするんですか、ご主人様。これ」

 

 タマモが、テーブルの上に置かれた虎柄の水筒を指差して呆れ顔で言う。ふざけた外見からは想像付かないが、しかしこの水筒こそが聖杯なのだ。まぎれもなく。

 

「まぁ……昔私が見た聖杯も黄金作りではなかったけどね。それも当然かしら。主は大工だったのだから、聖杯が黄金作りな訳ないわよね」

 

 と、キャスターが言う。このコメントを受けて驚いたのは、彼女のマスターであるシャーレイだ。

 

「え、キャスター、あなた聖杯を見た事があるの!?」

 

 頷く、魔術師のサーヴァント。

 

「1938年、当時私は大学で考古学を勉強していたのだけど……履修していた中世文学の先生が聖杯の探求中に行方不明になったから、探しに行って……その後色々あって、事件の裏側にいたナチス親衛隊の連中をぶちのめし、聖杯を見付けて後は持ち帰るだけだったのに……うっかり地割れに落としてしまって……まぁ、色々あって先生は息子さんと仲直り出来たから良かったけど」

 

 嘘か真か、このサーヴァントの話に、死徒も元サーヴァントもホムンクルスも狐につままれた表情だ。これまでの断片的な情報からキャスターが近代の英霊である事はほぼ明らかであったが、しかしナチスドイツという単語が出てくる事を考えるに、彼女が生きた時代は思いの外最近らしい。

 

 しかし、もし本当ならば聖堂教会がひっくり返るであろう聖遺物を発見した英霊など、ついぞ聞いた事がない。この真名すら判らぬ謎のサーヴァントは一体何者なのか?

 

 むらむらと湧き上がってきたその疑問に一同が首を捻る中で、フィオだけは違っていた。

 

 1938年、聖杯、ナチス、教授。

 

 これらのキーワードが彼女の大脳古皮質を刺激して、忘れていた記憶の扉を開いていた。彼女がたった今語った逸話は、これは……

 

「キャスター……まさか、あなた……」

 

「さてと、私もそろそろ帰る事にするわ」

 

 言い掛けたフィオの言葉は、キャスターに遮られた。「構わないわよね?」と聞かれて、シャーレイは頷く。元よりこのサーヴァントは「聖杯になど興味はない」と公言していたし、全てが終わった後にはこうする事もまた、約束だった。死徒の魔術師は右手を掲げ、マスターに与えられた絶対命令権を行使する。

 

「残った全ての令呪に重ねて命ず。我がサーヴァントよ、座へと帰還せよ」

 

 膨大な魔力を散逸させ、聖痕が消える。既に6騎のサーヴァントが脱落した今、令呪を宿した者はシャーレイ一人であった。そして彼女の令呪も失われ、彼女のサーヴァントも消える。誰が言葉にするでもなく、場の全員が理解する。今この時こそが、第五次聖杯戦争終結の時なのだと。

 

 令呪の強制力を受け、キャスターの肉体は現界を止めて少しずつ光塵となって消えていく。

 

「じゃあ、私も色々とやる事があるし、元居た所に戻るわ。みんなも元気で」

 

 肉体が消滅していくと言うのに、それを微塵も感じさせぬ笑顔と気安さでキャスターはひらひらと手を振る。それに釣られるように自然と、彼女を見送るネロ、タマモ、シャーレイ、クロエらの表情も晴れやかなものになった。と、フィオが思わず身を乗り出して、叫んだ。

 

「待って、キャスター……あなたは……」

 

「私の正体……真名なら……いずれ分かるわ。その時を、楽しみにしておく事ね、フィオ」

 

 最後の言葉を言い終わるか終わらないかの内にキャスターは消滅し、七騎全てが脱落。真の意味で完成した聖杯はこの後、フィオ達の手によって誰の手も届かぬ深海へと、永遠に遺棄された。

 

 これが第五次聖杯戦争の顛末。この世界での、最後の聖杯戦争の終わりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、世界が違っても、流石は私。しっかりやってるわね」

 

 まどろみにも似たふわふわとした感覚の後、フィオ・レンティーナ・グランベルは意識を取り戻した。彼女の体は自宅にある書斎の、リクライニングチェアにゆったりと委ねられていた。手には読みかけの本が開きっぱなしのまま持たれており、ついさっきまでの戦いは午睡の夢のようにも思える。

 

 だが、夢ではない。言語として具体的には説明できないが、あれは確かにあった出来事なのだと、彼女の中には確信があった。

 

「どうかしたのですか? マスター」

 

 戦い抜いたという充実感・達成感と、余人では幾度生まれ変わっても出来ないであろう体験の興奮を反芻する内に、我知らず笑いが洩れていたらしい。空間から湧き出るように、一人の少女がフィオのすぐ傍に現れた。

 

 一言で彼女を表現するとすれば”黒い”少女だった。黒髪で、黒い瞳で、纏っている衣装も黒。その装いが、シミ一つなく透き通るような彼女の白い肌をより際立たせて見せていた。年の頃は十代半ばといった所か。どこにでもいるようなあどけない少女ではあるが、しかしたった今フィオのすぐ傍に実体化して現れた事。そしてその肉体を構成する高密度の魔力は、彼女が人の領域を超えた超常の存在、サーヴァントであると教えていた。

 

「いえ……ちょっと、良い夢を見ていてね……」

 

「はあ……」

 

 はぐらかすようにフィオが言うが、まさか別の世界の聖杯戦争に参加していたなどとはこの黒いサーヴァントには知る由もなく、それ以上の追求は諦めたようだった。

 

「ところで話は変わるけど……あなたの願いは、変わらないのね?」

 

 フィオの問いに、黒いサーヴァントは頷いた。俯いて、両手を胸にやって答える。

 

「はい……争い、病、罪、死……この世界に満ちているあらゆる苦しみは……全てあの時の、たった一つの過ちに起因する事……私の願いは、その過ちを贖うことです」

 

「そう……」

 

 サーヴァントのこの望みを、フィオは肯定も否定もしなかった。彼女をして、この命題は是非を断じるのが難しすぎるものだった。何故なら彼女のサーヴァントの願いは、人が人である事を否定する事にも繋がりかねないのだから。だがそれを責める事も出来ない。このサーヴァントは、ある意味で”人が人でなかった”時代の住人なのだから。

 

 だからと言ってその時代の人間の都合に現代の人間であるフィオが付き合ってやる義理など無いが……しかし、彼女の気持ちもフィオには分かる。全ての始まりとなった、たった一度の過ち。それを、それだけをやり直したいと願う気持ちを、誰が責められるだろうか。あるいは彼女が十分な良識を持ち、責任ある立場に在った英霊であったのなら、フィオとて声高に否定の意を示したかも知れない。だが違う。このサーヴァントは何も知らぬ、無垢なる少女でしかなかったのだ。

 

 何と言葉を掛ければ良いのか、答えは出ない。ならばと、フィオはぱんぱんと顔を叩いて、思考を打ち切った。

 

「まぁ、良いか!! 今はこれで。戦っていく内に見えてくるものもあるかも知れないし、得られるものもあるかも知れない。それに期待しましょう!!」

 

 ばん、と音を立てて本を閉じると、フィオは立ち上がった。

 

「じゃあ、行くとしますか。よろしく頼むわね。アヴェンジャー」

 

 

 

 これは、魔術師達の間で「聖杯戦争」が日常となった世界の物語。

 

 マスターたる魔術師が英霊をサーヴァントとして召喚し、最後の一人と一騎となるまで殺し合う、極めて特殊な儀式。

 

 儀式の舞台が東洋の小さな島国であったせいだろう。この儀式は第三回を迎えるまでは殊更注目を集めるものでもなかった。極東の片田舎に万能の願望器が顕現するなど、悪い冗談にもほどがあるというものだ。「終末の獣を呼び出す」だの「魔王を降臨させる」だのその手の儀式が世界中で一日何回行われている事か。どうせこの聖杯戦争とやらもそれらと同レベルの与太話でしかない。

 

 と、これが大多数の魔術師達の認識であった。だが第三次聖杯戦争で、全ての歯車が狂った。第二次世界大戦が勃発する直前、参加者たる魔術師達と始まりの御三家、監督役を務める聖堂教会からの人員。後は不幸にも巻き込まれる何も知らぬ一般市民。精々それぐらいの人々の間だけで完結する筈であったこの儀式に、国家が介入したのだ。

 

 ナチスドイツ。千年帝国を夢見て全世界を相手に戦争を始めた彼等にある魔術師が荷担し、その魔術師は冬木市は円蔵山の洞窟に秘匿された大聖杯を発見し、軍の力を借りて移送しようとしたのだ。この事態に対しアインツベルン・遠坂・マキリ、そして帝国陸軍は総力を挙げて阻止に動き、彼等の奮闘の甲斐あって大聖杯の奪取は阻止する事が出来た。

 

 ……の、だが。問題はここからだった。

 

 国家が介入するという異常事態を受け、冬木市で行われる聖杯戦争のシステムは情報として全世界に拡散し、御三家が叡智を結集して構築した聖杯戦争のシステムは儀式としてあまりに優れていたが故に、今や願望器の顕現を目的として亜流の聖杯戦争が世界各地で繰り広げられている。

 

 尤も、それらの「聖杯戦争もどき」は御三家の当主達にとってはシステムを盗用された事に怒りを覚えるどころか、寧ろ哀れさに失笑してしまうようなお粗末なものでしかなかった。殆どの場合儀式自体が小規模で、召喚されるサーヴァントも多くて五騎、儀式が成立したとしてもあらゆる願いを叶えるまでには至らない。それに何より、根本の目的からして彼等は履き違えている。

 

 そしてこの年、聖杯戦争発祥の地たる冬木の地で正規の聖杯戦争。第四次聖杯戦争が勃発する。

 

 七人の魔術師と七騎のサーヴァントが勢揃いして。

 

 剣士の英霊・セイバー。『騎士王』アルトリア・ペンドラゴン。マスターは根源接続者・沙条愛歌。

 

 弓兵の英霊・アーチャー。『大英雄の業を継ぐ者』ポイアース。マスターは遠坂家五代目当主・遠坂時臣。

 

 槍兵の英霊・ランサー。『影の国の女王』スカサハ。マスターは時計塔の学生ウェイバー・ベルベット。

 

 騎兵の英霊・ライダー。『太陽を落とした女』フランシス・ドレイク。マスターは西欧財閥次期総帥レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。

 

 狂戦士の英霊・バーサーカー。『湖の騎士』ランスロット。マスターは真の意味で死と隣り合わせの魔術師・間桐雁夜。

 

 魔術師の英霊・キャスター。『聖なる怪物』ジル・ド・レェ。マスターは殺人鬼・雨生龍之介。

 

 暗殺者の英霊・アサシン。『百の貌』のハサン・サッバーハ。マスターは魔術師殺し・衛宮切嗣。

 

 これら七組によって、此度の聖杯戦争は争われる筈であった。だが。

 

 全ての者の思惑を超えて、この戦いに介入する者達がいた。

 

 最強の魔術師フィオ・レンティーナ・グランベルが、復讐者の英霊・アベンジャーを従えて。

 

 七人の友と共に。

 

 

 

 生前の多重人格障害を原典として人格の数だけ霊的ポテンシャルをも分割し、幾人にも分裂する宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』。この特性を最大限に活かし、まずは他の六陣営全ての行動パターンを把握せよという命を受けていたアサシン群は、しかしこの日は変わった動きを捉えていた。

 

 数名の暗殺者達の視界に映るのは、黒髪をツインテールに結んだ勝ち気そうな少女の姿。それだけならば連続殺人犯の報道が繰り返され、夜間の外出が規制されている今の冬木市にあっては珍しい光景であるがしかしそれだけでしかないと彼等も特段気には留めなかったであろうが……

 

 しかしその少女は不思議な事に、分かれ道では魔力の残滓の濃い方向ばかりに進んでいく。一度二度ならば偶然かも知れぬが、三度四度と続けば必然である。不審に思ったアサシンの一人が念話でマスターにその旨を伝え、視覚共有によって姿形の情報を送ると、ほんの数秒程のラグを置いて命令が来た。

 

<その少女は敵マスター、遠坂時臣の娘だ。捕まえろ。出来る限り無傷でな>

 

「承知」

 

 切嗣からの命令を受けたそのアサシンは、僅かな躊躇も見せずに承諾する。「何故に?」などと間抜けな質問はしない。この状況で敵マスターの家族を拉致する目的など分かり切っている。人質だ。少女、遠坂凛を哀れには思うが、しかし切嗣を非難する事はしない。命を奪う事を生業としてきた自分達が、今更綺麗事など言う気は毛頭無い。無傷で捕まえろという指示も当然だ。人質は無傷であるからこそ価値がある。

 

 近隣に展開していた十名弱が包囲態勢を取り、万が一にも取り逃す事は無い状況が整った、その時だった。

 

 路地の闇を見据えて立ち竦んでしまった凛のすぐ後ろに、新しく彼女の友人だろうか。一匹の犬を連れた同年代の少年と少女が姿を見せて、何やら会話を交わしていた。この二人をどうするのか? その指示を求めて切嗣に念話を送ると、今度は数十秒ほどの間を置いて、命令が来た。

 

<……用があるのは遠坂凛だけだ。邪魔者は……殺せ、アサシン>

 

「承知」

 

 同じ命令が聞こえていたのだろう。闇に潜む影達が、一斉に短刀を抜き放った気配があった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ……ああ……」

 

 幼い凛が、勇気と無謀を履き違えていた事は確かであろう。自分なりの理解と覚悟を持って、彼女はこの夜の新都へと赴いた筈だった。だがそもそも、その程度の短絡的かつ中途半端な心構えや動機で動くべきではなかったのだ。

 

 相次ぐ児童誘拐事件、二日続けて学校に来ない友達のコトネ。そして今の冬木市で繰り広げられている魔術師の儀式。これらの点を繋ぎ合わせて線として、今コトネの身に起こっている事態を思い描くのはそれほど突飛な想像ではなかった。

 

 居ても立ってもいられずに禅城の屋敷を抜け出して、父から少し早い誕生日プレゼントとして贈られた魔力針と、宝石魔術の修行で精製した水晶片二つを装備として、ほんの数時間の冒険に乗り出した凛。警邏中のパトカーに見付からないように身を隠して、明らかに妖しげな魔力を放つ道具を持った青年に連れられる子供達を発見、後を付けて、危なく青年が持っていた礼装の魔力に当てられそうになったが何とか持ち直し、コトネを含めて囚われていた子供達を解放する事に成功した。

 

 彼等が警察に保護されるのも見届けたし、後は終電に間に合うように駅に行って……そう思って、家路に就こうとした、その時だった。

 

 路地の先の、闇がわだかまったような暗がりから、物音が聞こえた。

 

 もし凛が只の少女でしかなかったのなら、これは風でバケツか何かがひっくり返った音かと思うだけであったろうが、凛は幼いながらも只の少女ではなかった。寧ろ真逆、彼女は希代の魔術師と成り得る資質を秘めていた。それほどの才に恵まれた凛であるからこそ何の説明も必要とはせず、気配と直感だけで理解する。姿は見えないが路地の闇の中に潜むのは、自分にとっての『死』そのものであると。

 

 しかも……それは落とし穴のようにただぽっかりとそこにあるのではなく、じゅるじゅると湿っぽい音を立てて、僅かにではあるがしかし確実に近付いてくる。

 

 恐る恐る魔力針に目を落とすと、懐中時計のような入れ物に入った針は、今まで凛が見た事もないような動き方をしていた。普段はぼんやりと揺らぎながら振るえているだけだ。今夜は、忙しくグルグルと回っていた。だが今は。彼女の視線と同じ方向、路地の奥を、まるですぐ傍らに巨大な電磁石を置かれた方位磁針のように、全くブレる事すらせずにぴったりと指している。間違いない。闇の中には、今の凛の手には負えない魔が、潜んでいる。

 

 路地奥から聞こえてくる音は、少しずつ大きくなっていた。近付いてきているのだ。気付けば、鼻をつくような腐臭も漂っている。

 

 立ち向かうか、泣き叫ぶか、背中を見せて逃げ出すか。あらゆる可能性が頭を浮かんで、すぐさま棄却される。どれを選ぼうと、自分が行き着く未来は死の一つだけだと、否応無く理解出来てしまう。

 

 と、聞こえてきた音が途絶える。居なくなった、のではない。人間が走り出す瞬間に全身の筋肉に力を込めるように”溜め”の態勢に入ったのだ。闇の中に潜むものは、ほんの数秒後には飛び出して凛に襲い掛かってくる。

 

「ひっ……」

 

 上擦った声を上げかけた、その瞬間。

 

 視界の端を銀色の光の線が走った気がした。その光は闇の中に吸い込まれていって、コンマ数秒後には身の毛もよだつような金切り声が響いてきた。この世のものとは思えぬその声の不快感とおぞましさに凛は思わず意識を手放しかけたが、辛うじて持ち堪えた。

 

「な、何が……」

 

「りん? なにしてるの?」

 

 背後から、舌足らずな声が聞こえてきた。その声は、凛にとって聞き覚えのあるものだった。

 

「ジャック? それに、アステリオス?」

 

 彼女の後ろに立っていたのは同じ学校の友達である、双子の姉弟だった。ジャック・グランベルとアステリオス・グランベル。二人の母親は冬木市でも評判のイタリアンレストランのオーナーシェフで、凛は一度ジャックに招待されて、両親には秘密でその店を訪れたのを覚えている。その時に振る舞われた料理の味たるや絶品で、今度は絶対にお父様とお母様も誘って三人で行こうと凛は心に決めていた。

 

「なん……で……」

 

 あんた達がここにと、その問いを投げる前に、緊張の糸から解き放たれた凛は意識を手放して、ぐらりと崩れ落ちる。姉、ジャックが凛の体を、その小さな体躯からは想像も付かない力でしっかりと抱き留めた。

 

「とにかく……りんをおかあさんのところまで運ばないと……」

 

 ジャックのその言葉を遮ったのは、二人が連れていた犬の声だった。

 

「どうしたの? ラエラプス」

 

 幼く小柄であるとは言え二人の胸ほどもある大きな犬だが、しかし大型犬の常として温厚な性格なのかそれともしっかりと躾けられているのか、これまでは無駄吼えの一つもしなかったこの猟犬は、周囲を警戒するように低い唸り声を上げている。

 

「これは……」

 

「……お姉ちゃん、宝具を使うよ」

 

「いいけど……わたしとりんと、あとラエラプスはひきずりこまないでね」

 

 ジャックはそう言うと凛をひょいとおんぶして、同時にアステリオスはさっと手を上げて、そこには光が集まり彼の武器が現界する。現れたのは斧だ。柄の長さはアステリオスの小さな体の、倍程もあるだろう。刃の部分だけでも彼の上半身が隠れそうな、巨大な両刃の戦斧。

 

 ほんの少し、闇が揺れたようだった。アサシン達と同じ気配遮断スキルを持つジャックは、僅かにだが闇に潜む暗殺者達の驚きを感じ取る事が出来た。アサシン達はこの時初めて、ジャックとアステリオスが”自分達と同じ存在”であると気付いたようである。

 

 驚きの次には警戒の色が強くなったが……しかしすぐに、そんな緊張した空気は緩んだ。

 

「わ……ととっ……」

 

 アステリオスはその細腕に似つかわしい程度の腕力しか持ち合わせてはいなかった。喚び出した斧にしがみつくようにして、必死に倒れないよう支えている。それを見たアサシン達は、思わず吹き出しそうになった。この二体がサーヴァントであった事には驚いたが、しかし武器を振るえないどころか武器に振り回されている者など恐るるに足らぬ。

 

 このアサシン達にとっての不運は二つ。一つは未だ聖杯戦争は序盤であり、80の総体がいくつかのチームに分かれて偵察している他の六体のサーヴァントについて容姿の特徴など情報の共有が行われていなかった事。もう一つは切嗣はこの時、別のアサシンと知覚を共有していた事である。もし情報の共有が完璧に為されていて二人がサーヴァントには違いないが”この冬木の聖杯戦争で召喚されたサーヴァントではない”と分かっていたのなら、あるいは切嗣がこの中のどれか一体が見ているのと同じものを見ていたのなら、すぐさま引き上げるか攻撃中止の命令が出ていただろう。

 

 だが、現実はどちらでもなく。このあまりにも無防備な二騎はいずこかの陣営のサーヴァントであると誤認し……それを仕留める手柄はあまりに魅力的であり、アサシン群は功名心に取り憑かれて、逸った。合図と共に、一斉に襲い掛かろうとした、と同時に。

 

「自他封印・生贄回廊(クノッソス・ラビュリントス)」

 

 アステリオスが、宝具の真名を解放する。その言霊を合図として、彼の手にした斧が眩い光を放ち……そして、アサシン達が見る景色が変転する。

 

 気付けば彼等は、見た事もない建物の中に居た。燃える蒼いかがり火、ひんやりと湿った不気味な空気、冷たい石造りの回廊、微かに鼻孔をくすぐる鮮血の臭い。凛達を包囲する陣形を取っていた筈が、いつの間にか一つ所に集められていた。ほんの数秒前まで自分達は町中に居た筈が、一体何が起こったのか?

 

 状況を把握しようと、黒衣の集団がきょろきょろと辺りを見回すと……ずしん、と、建物が揺れた。

 

「……?」

 

 ずしん、ずしん。規則正しいリズムから、これは足音であると分かる。しかも、近付いてきている。自分達の方へ。

 

 やがて曲がり角から、その音源が姿を見せる。

 

 現れたのは荒ぶる牡牛の頭に鋼の如く鍛えられた人の体を持つ魔物。父の愚かしさにより間違った形で生まれ、怪物としての生き方を強いられたクレタの王子。半人半牛(ミノタウロス)の名で知られる迷宮の主。

 

 かつて某所で行われた亜流の聖杯戦争にて、アステリオスはバーサーカーとして召喚された(元より、彼はバーサーカー以外のクラス適性を持っていない)。そして最後の勝者となった彼は、その願いを成就させる。彼の願いは『人間として、正しく生まれ直す』事。そして彼を新しく産み直す器として選ばれたのはマスターであった女魔術師、フィオであった。

 

 当時フィオは妊娠していた。一月前に別の地で行われた聖杯戦争の優勝者であるアサシン、ジャック・ザ・リッパーの願い『母親の胎内への回帰』を叶えて、彼女を身籠もっていたからである。ジャックと同じ子宮にアステリオスも宿り、二人はおよそ九ヶ月後、元気な男女の双子として生を受ける。つまりジャックとアステリオスは、正しくフィオの子供と言えるのだ。

 

 アサシン達はこの時、理解した。獲物を仕留める筈の自分達がその実、怪物に差し出される生け贄の子供であったのだと。そしてここに、テセウスは居ない。

 

 怪物の魔性を取り戻したアステリオスは大きく吼えて、呆然と立ち竦む暗殺者達に猛然と突進した。

 

 

 

<コントロールよりディアボロ1、状況を報告されたし>

 

「報告は……いや……その……」

 

 通信機から聞こえてくる声にどう返したものか、眼下の異様を正確に表現出来る言葉を仰木一等空尉は持っていなかった。

 

 「怪獣が出た」などという何かの悪ふざけとしか思えぬ災害派遣要請を受け、しかし内容はさておきこれは正式な要請には違いないので、冬木市近海上空を哨戒中であった仰木一等空尉と小林三等空尉はF15戦闘機を基地への帰路から反転させ、程なくして冬木市未遠川上空へと到達したのであるが……しかしそこで起こっていた事は、理解は出来ないがしかしこれは確かに戦闘機の派遣を要請せねばならない事態であるとは認識出来た。

 

 河口全域に不気味な霧が立ち込め、何か巨大な質量が蠢いている。上空からの目視で分かる情報はこの程度だった。

 

「もう少し高度を下げて確認してみます」

 

<ま……小林、待て!! 戻ってこい、ディアボロ2!!>

 

 言い様のない悪寒に突き動かされて仰木一尉は制止するが、それも間に合わず小林三尉のF15は機首を下げる。

 

「この距離からなら……」

 

 川の中のあの塊が何なのかが分かる。そう、小林三尉が思考したのと、その音が聞こえてきたのは同時であった。ガンガン、と、キャノピーの強化ガラスを叩く音がする。最初は空耳だと思った。亜音速で飛ぶ戦闘機の風防を、誰がどうやって叩けると言うのか。だが、ノックして中からの返事が無かった事に苛立ったのか、もう一度今度は少し強めにガンガンと叩く音がした。

 

「何が……」

 

 煩わしげに小林三尉が首を上げると……そこにはいつの間にどうやって乗り込んできたのか、全身甲冑に身を包んだ漆黒の人影が機体に掴まっていた。小林の目と、黒い騎士が被った兜の庇から覗く紅い目が、合った。

 

「降りるんだ」

 

 漆黒の騎士が言う。いや機体の中と外で、しかも巨大な金属塊を高速で飛翔させる程のエネルギーを生み出す為に唸りを上げるエンジン音や膨大質量の大気が対流する音に掻き消されて聞こえる筈も無いが、確かに小林には届いていた。怒気を孕んだものでもない、絶対者として命ずるものでもない、静かで大きく、だがそれでも尚小林が従わざるを得ない深い重みを持った声。

 

 一も二も無く、小林三尉はがくがくと首肯しながら殆ど反射的な早さで射出座席(イジェクションシート)のレバーを引いた。次の瞬間、彼の体は操縦席ごとキャノピーを突き破って撃ち出される。

 

「良し……」

 

 黒い騎士は脱出したパイロットが視界の遥か後方でパラシュートを開いたのを確認すると、意識を自分が掴まっている機体へと集中させる。すると、彼の総身を包む黒い霞の様な魔力がじわじわとチタン合金製のF15戦闘機にも浸食し始め、数秒程の間を置いて最新科学の結晶たる兵器を、騎士の得物として彼の支配下に置く。

 

「む……?」

 

 異様な気配を感じた黒騎士が振り返ると、斜め後方では彼と同じ姿をした漆黒の影が、こちらはパイロットの脱出など待たずに同じように魔力によって戦闘機の支配権を己の物として奪い取る光景が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 神秘の秘匿という大原則を無視し、しかも連続殺人犯をマスターとして夜毎の兇行を繰り返しているキャスター”青髭”ジル・ド・レェ。彼はその伝承からして錬金術に耽溺し、数百人の少年少女を虐殺した凄惨な逸話を持つ、”英霊”と言うよりは”怨霊”の側面が強い存在であったのだが、しかしキャスターの狂気がこれほどとは、誰の予測をも上回っていた。

 

 あろうことかキャスターは、魔力炉としての機能をも持つ宝具の能力を最大限に解放し、捻出された莫大な魔力に物を言わせ地球上に並ぶ物無きほどの水棲巨獣『海魔』を召喚したのである。しかも既にその海魔はキャスターの制御を外れていた。これほどの怪物の手綱を握れる者はキャスタークラスに適性を持った英霊の中でもざらには居ない。ましてやそれが正純の魔術師でないジル・ド・レェでは尚の事。尤も、彼は最初から制御しようなどとは思っていなかったのだが。

 

 巨大海魔はコントロールを度外視して、ただ”喚ばれた”だけなのだ。制御を外れた魔物は暴食の本能のままに、数時間もあれば冬木市ぐらいは丸ごと喰らい尽くしてしまうだろう。

 

 これは最早聖杯戦争とかそういうレベルではなく冬木市、引いては世界の危機である。監督役からの命令によってキャスター陣営以外との交戦を表向き禁じられていた他の六陣営はしかし水面下では衝突を繰り返していたが、事ここに至ってはキャスターを放置する訳には行かないと全員の意見が一致し、総力を挙げての迎撃を行っていたが、旗色は良くない。

 

 ライダーの宝具「黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)」によって召喚・展開された海賊艦隊が海魔へ向けて一斉砲撃を浴びせるが、強力な対軍宝具も海魔相手には効果が薄い。艦隊が浴びせる砲撃は確かに巨大な魔物にダメージを与えてはいる。だが、損傷した部位はすぐに中から”魔”が湧き出して塞いでしまう。ライダーの攻撃は、足止め以上のものには成り得なかった。

 

 そもそも相性が悪いのだ。対軍宝具にも様々なタイプがあるが、ライダーのそれは一定時間行われる展開した艦隊全ての砲撃によって総合的に高いダメージを叩き出すタイプ。だが海魔は損傷を受けた端から桁外れの再生能力で回復してしまう。あの怪物を倒すのに求められるのは、一撃の下に二度と再生出来ないよう総体全てを吹き飛ばすような瞬間火力。つまりは一撃必殺の対城宝具が必要なのだ。

 

 対城宝具は、ある。だが、

 

「くっ……」

 

 蠢く触手を斬り捨てながら、セイバーは歯噛みした。ここで彼女が持つ対城宝具「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」を使えば確かに海魔を倒す事は叶うだろうが、同時に冬木市にも致命的な被害を与えてしまう。無辜の民を巻き込むなど、彼女には到底容認出来る事ではない。だが事態がここまで切迫していては、やむを得ぬ犠牲と割り切って使わざるを得ないか……

 

 逡巡している間にも状況は動いている。悪い方向に。

 

「拙いわね……こんな単細胞に心臓があるとも思えないし……」

 

 手にした紅槍を振り回して群がる触手どもを薙ぎ払い、同時に発火のルーンによる攻撃を仕掛けつつ、ランサーが毒突いた。

 

「手詰まりかっ……?」

 

 アーチャーが苦り切った表情で言った。彼の宝具は大英雄より譲り受けた絶死の毒矢。ギガントマキアでは巨人達をも屠り去ったヒュドラの猛毒である。しかしそれを受けても巨大海魔は動物的な本能かそれともキャスターの指示か、毒が全体に回り切る前に矢が当たった周辺の部位を切り離し、損失箇所はすぐに再生で補ってしまう。

 

「くそっ!! どうにかならないのか!?」

 

 河岸で、ウェイバーが頭を掻き毟りつつ叫んだ。英霊達の必死の応戦も、海魔の侵攻を遅らせるだけの意味しかない。このままでは遠からずあの化け物は上陸を果たし、冬木市の住民達を餌にして限りない増殖と悪食の連鎖を続けるだろう。そうなったら全てが終わる。だが阻止しようにも、その為の手段が無い。

 

「手段は……あるわよ」

 

 不意に後ろから掛けられた声に、ウェイバー、レオ、時臣。河岸に集まっていたサーヴァントのマスター達が一斉に振り向くと、そこには雷鳴を纏った白い牛の背中に乗った美しい女性と、背中に天使のような羽根を生やし、蒼い長髪で目元を隠した少女。その二人が居た。

 

「あなた達は……!!」

 

 アーチャーが二人への畏敬の念と共に呟くが……だが今は見知った顔との再会を懐かしんでいる場合ではない。確かにこの二人の宝具であれば、あの海魔にも対抗出来る。倒す事までは出来ずとも、周囲に何も無い海にまで押し出してしまえば、強力な宝具も気兼ねなく使えるようになる。

 

「では、キャスター……整備は?」

 

「完璧ですよ、ライダー」

 

 ライダーと呼ばれた美しい女性と、キャスターと呼ばれた有翼の少女の会話を聞いたウェイバーや時臣は驚愕する。ライダーとキャスターはたった今未遠川で交戦中である。ならば互いをライダー・キャスターと呼び合うこの二人は何者なのか。

 

 しかし彼等の疑問に答える事なくライダーはその手をさっと掲げると、嵌められた指輪が魔力の光輝を放つ。

 

「出撃しなさい……」

 

 ライダーの動きに呼応するように河面がにわかに泡立ち、水を割って大海魔にも匹敵する巨体を持った何かが姿を現す。

 

 其は、神代の神造兵器。最高神の命を受けた鍛冶神によって鍛えられし青銅に覆われたその体躯は七つの城壁に守られたテーバイ城塞にも匹敵し、その身には噴き上げる神の炎を纏った巨兵。無双の大英雄ヘラクレスですら打ち倒す事は叶わず、コルキスの王女メディアの眠りの魔術に敗れるまで、いかなる外敵からもクレタ島を護り続けた守護神。

 

 その真名は。

 

「”青銅の守護巨神(タロス)”!!」

 

 真名解放によって巨兵は掛けられていたリミッターが外れ、その全身が金色に光り輝く。大海魔は目の前に突如として出現したデカブツを新たなる敵として認識したのか無数の触手を伸ばすが、だが無駄な事。繰り出された触手は灼熱を纏うタロスの体に触れるや否や燃えて、焼き尽くされていく。タロスはお返しとばかりにパンチを繰り出し、熱を纏った鉄拳は怪物の体を一割程も焼き削るが海魔も然る者、持ち前の再生能力を活かしてすぐに損傷箇所を塞いでいく。

 

 神代の兵器と異界の魔物。神話の戦いが具現したとしか思えぬこの戦いは、ますます激しさを増して続いていった。

 

 

 

 午前二時、冬木大橋の四車線道路。ウェイバー・ベルベットは彼のサーヴァント、否、彼の師と共にそこに立っていた。

 

 第四次聖杯戦争もいよいよ終盤に差し掛かっている。

 

 もし、勝利を第一の目標とするのなら今すぐに聖杯の器の確保に動くなり、聖杯降誕の地を確保するなりすべきであろう。幸い、彼のサーヴァントはランサーでありながら極めて希少な固有スキル『二重召喚(ダブルサモン)』によってキャスターとしての能力をも併せ持っており、A+クラスを誇る陣地作成スキルによって確保した地に神殿すら上回る彼女の領地『影の国(アルバ)』を構築して守る事が出来る。

 

 だがウェイバーはそれをしなかった。最初は優勝を手土産にイギリスに凱旋帰国し、鼻持ちならない時計塔の連中に自分の才能と実力を見せ付けてやろうと、それだけを目的として参加したこの聖杯戦争だったが、しかし今は違っている。そんなものよりずっと価値あるものを、彼は既に自分のサーヴァントから受け取っていた。ランサー、スカサハは彼を過大にも過小にも評価せず、厳しく、だが今まで彼が出会ったどんな教師よりも熱心に鍛えてくれた。

 

 魔術の才に恵まれていないと思い知らされた時には愕然としたものだが、しかしこの十日余りの期間で超促成コースの付け焼き刃ながらスカサハより授けられた影の国の奥義は、そのようなコンプレックスを跡形も無く粉砕して余りあるものであった。

 

 そのランサーが授業料として彼に望んだものは、ある男との戦い。それはこの聖杯戦争とは何の関係も無い彼女の私闘であったが……だがランサーが望むものを、求める行動を、ウェイバーが止める事は出来なかった。

 

「ウェイバー……短い間だったけど、私があなたに教えられる事は全て教えたわ……後は、あなた自身が学ぶ事ね」

 

 まるで遺言のようなランサーの言葉に、ウェイバーはかっとなった。

 

「何言ってるんですか!! 先生が負ける訳無いじゃないですか!! 僕の令呪を忘れたんですか!?」

 

 既にウェイバーの体からは、どこからも令呪の気配が感じられない。彼が持っていた三画の絶対命令権は、全てがこの戦いに臨むランサーの補助としてつぎ込まれていた。ウェイバーの家は魔術師としての家系も浅く、彼自身も才能豊かとは言えない。故にランサーにも少なからず影響が生じてステータスがダウンしていたのだが、令呪三画を注ぎ込んだブーストはそのマイナス補正を完全に相殺してしまっていた。今やランサーの能力はほぼ生前と同等、万全と言って良かった。

 

「そうね……ええ、その通りね」

 

 微笑んで頷くランサー。申し合わせた決闘の相手がやって来たのは、このやり取りのすぐ後だった。

 

 闇を切り裂いて現れたのは白銀の軽鎧を身に付けた痩身の影。蒼い髪をして、手にはランサーのそれと寸分違わぬ形状の紅槍を持った獣のような男。

 

「久し振りだな、スカサハ」

 

「あなたもね、セタンタ」

 

 ランサーが男の事をセタンタと呼んだ事で、ウェイバーも気付いた。何故に彼の師が、この相手との戦いに拘ったのか。

 

 セタンタとは、とある英霊の幼名だ。

 

 光の御子、戦場の王、クランの猛犬。その強さ、勇猛さを示す異名・逸話は枚挙に暇がない。影の国の女王スカサハに師事し、彼女から魔術と武芸、そして魔槍「ゲイ・ボルグ」を譲り受けた者。アイルランド最強の大英雄クー・フーリン。

 

「まさか、こうしてあんたと会えるとは思ってなかった……嬢ちゃんの誘いに乗って、現世に残った甲斐があったってモンだ」

 

 クー・フーリンの願いは強者との、死力を尽くした戦い。彼がフィオによってランサーとして召喚された亜流の聖杯戦争にてその願いはひとまず叶った訳だが、しかし他のサーヴァントを全て打倒して後は消えるのみとなった彼に、フィオが言ったのだ。しばらく現世に留まってみないか、と。彼にしてみればフィオは嫌いではないし生前は生き急いだ分、少しはのんびりしても良いかなと、その程度の気持ちで受肉を果たしたのだが……だが今はそうして良かったと思っている。

 

 血を滾らせ、魂を燃やす戦いの相手として、これ以上無い者と巡り会う事が出来たのだから。

 

「そんじゃあ……始めるか!!」

 

「ええ……!!」

 

 クー・フーリンとスカサハは互いの得物、本来有り得ざる二本のゲイ・ボルグの刃先を対手に向けて。

 

 そして最速の英霊たる両者は、まさに風そのものとなって、駆けた。

 

 

 

 セイバーは、夜の冬木市内を疾駆していた。

 

 既にマスターは大聖杯へと向かっており、残ったサーヴァントを掃討する事がセイバーの役目だった。だが、彼女の前に立ちはだかる者がいる。闇のような霧を纏った漆黒の騎士バーサーカー。これまでも事あるごとに彼女の前に現れたこの狂戦士のサーヴァントは、やはり決着を付けねばならない相手であった。

 

 猛然と斬り掛かったセイバーであったが、バーサーカーは魔力を浸して疑似宝具と為した鉄柱を巧みに操り、騎士王の攻撃をいなしてしまった。狂化して理性を奪われて尚、衰えぬ技巧。このサーヴァントが生前に武芸者として究極の域にまで至った英霊である事は、最早疑う余地も無い。

 

「その武錬、さぞや名のある騎士と見込んだ上で問わせてもらおう!!」

 

 意を決して、セイバーが問い掛ける。

 

「この私をブリテン王アルトリア・ペンドラゴンと弁えた上で戦いを挑むなら、騎士たる者の誇りを以て、その来歴を明かすがいい!! 素性を伏せたまま挑み掛かるは、闇討ちにも等しいぞ!!」

 

 だが全ての言葉を言い終えた後で、セイバーは気付いた。今の問い掛けは、致命的な過ちであったのだと。バーサーカーが纏う全身鎧が、震えてかたかたと音を立てる。言い様の無い悪寒が、背筋に走った。セイバーにとってこの相手は、無名の狂犬のままで斬り伏せるべきであったのだ。

 

「あ、あなたは……」

 

 バーサーカーが纏っていた黒い霧が縮み、晴れていく。そうして露わになったのは究極の武芸者が纏うに相応しい、見事な鎧。ただ身を守る防具としての機能だけでなく、騎士達を魅せる豪奢さをも兼ね備えた武具。そして抜き放たれたのはこれまでバーサーカーが使ってきた借り物とは一線を画す、彼自身の宝具。

 

 セイバーの剣とも通じるその意匠。刻み込まれた精霊文字。そして魔剣の属性を帯びて闇に染まっていようと、静謐なる湖面に映る月ように輝くその刃の怜悧なる光を、よもや見間違える訳がない。エクスカリバーの対となる神造兵装「無毀なる湖光(アロンダイト)」。その担い手は、唯一人。

 

「サー・ランスロット……」

 

 今なら分かる。これまでの戦いの中で、バーサーカーがセイバーに異常な執着を見せて襲い掛かってきたのは、あれはマスターの指示でもなければ単にバーサーカークラスに付き物の暴走でもない。バーサーカー自身が、怨恨を抱いてセイバーを狙っていたのだ。

 

「そんな……」

 

 この目で見ても信じられない。ランスロット、彼こそは騎士としての理想を具現化した最高の騎士であったのだ。その彼が狂戦士のクラスに貶められた姿など、決してあってはならなかった。そして、信じたかった。心ならずも袂を分かつ事にはなったが、互いに恨みなどどこにも無い、心根は通じ合っていたのだと。

 

 セイバーは自問する。それは、全て自分の独り善がりであったのか。自分は、間違っていたのか?

 

 答えは出ない。そしてバーサーカーはかつての主の事情になど構わず奔り、手にした剣を叩き付けようとする。

 

 立ち尽くしていたセイバーは、僅かに反応が遅れた。直感が叫ぶ。回避も、防御も間に合わない。無防備のまま、ランスロットの一撃を受ける羽目になる。

 

 斬られる!!

 

 だが、その時だった。影が走る。セイバーとバーサーカーの間に割って入ったその影は、手にした剣でアロンダイトの一撃を、見事に受け止めていた。

 

「あなたは……」

 

「ご無事ですか、我が王よ」

 

 風のように現れたのは、バーサーカーと同じ姿をした漆黒の騎士。だが、身に纏う気配は対極と言って良い程に違っている。清流のように浄く澄んだ気は、まさしくセイバーの知る彼のものであった。

 

「ランス……ロット?」

 

 呆然と、セイバーが呟く。

 

「王よ、ここは私が。あなたは聖杯の下へお急ぎください」

 

 もう一人のランスロットは視線をセイバーに向けつつも、手にした剣の切っ先でバーサーカーを牽制しつつそう言う。ランスロットがバーサーカーであったのにも驚いたが、そのランスロットが二人居るというこの事態は余計に彼女を混乱させてしまっていた。だが、一つだけ分かる事がある。この二人のランスロットはどちらもが本物。変装や幻術ではありえない。

 

 受けた衝撃が大きすぎて未だ動き出そうとしないセイバーを叱咤するように、ランスロットは言葉を続ける。

 

「王よ、このような事で私の罪が許されるなどとは思っておりません……ですがこんな私でも、これだけは分かっています。あなたは間違ってなどいなかったのだと……あなたが自らの王道とした清廉さは、私達をただ救うだけではなく、確かに導いていたのだと……」

 

「■■■■■!!!!」

 

 咆哮しつつ襲い掛かってきたバーサーカーのアロンダイトと、ランスロットが手にした剣が激突する。そうして鍔迫り合いを演じながら、尚もランスロットはセイバーに訴える。

 

「私は既に答えを得ました……遠き地での聖杯戦争が終わった後、フィオ殿を主として現世に残っていたのは、全てはこの時の為であったのだと……!! だから我が王よ、聖杯を手に入れ、あなたはあなたの答えを掴んで下さい!!」

 

 最高の騎士のその言葉は、セイバーを一人の少女から再びアーサー王へと引き戻した。

 

「ランスロット……ここは任せます!!」

 

 彼女は二人の騎士の戦いに背を向けると、柳洞寺への道を駆けていく。

 

「■■■■■!!!!」

 

「おっと、お前の相手は私だ」

 

 バーサーカーがセイバーを逃がすまいとするが、ランスロットに阻まれた。彼女を追う為にはまずは眼前のこの相手を倒さねばならないと僅かに残った理性の中で悟ったらしい。狂戦士はランスロットに魔剣の切っ先を向ける。

 

「……先程、私が現世に残っていたのは今この時の為であったと言ったが、それは何も我が王と言葉を交わす為だけという意味ではないぞ」

 

 そう言って、ランスロットは手にしていた剣を捨てた。どのみち彼の宝具の一つ「騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)」によって仕立て上げられた疑似宝具のランクはたかがDレベル。ランクA++のアロンダイトが相手ではそう何度も打ち合えない。

 

「同胞を斬り、王を裏切った我が罪……この程度で雪げるとは思わぬが……だが己(オレ)の罪と向き合う事は、他の誰でもない己の責務……己は己の罪を、今乗り越える!!」

 

 ランスロットは変身・正体隠蔽の宝具「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」を解除し、携えていた鞘込めの剣を抜く。現れたのはやはりバーサーカーと同じ「無毀なる湖光(アロンダイト)」。否、同じではない。ランスロットが手にした刃が纏う輝きは、まさにエクスカリバーの対たる聖剣として恥じぬもの。

 

 湖の精霊より人の手に委ねられたその剣は、待っていた。待ち続けていた。主が全ての迷いを振り切って、再び誇りと共に自分を手に取る事を。その英霊が死して座に招かれ、サーヴァントとして現世に喚ばれてからも、ずっと。そして、遂にその時が来た。真に最高の騎士と呼ばれるに相応しき存在となったランスロットが担う今、アロンダイトは聖剣の格を取り戻したのだ。

 

「円卓の騎士が一人、ランスロット……参る!!」

 

「■■■■■!!!!」

 

 ランスロットとランスロット、アロンダイトとアロンダイト。全くの鏡像たる二騎の激突は空を裂き、大地をも震わせた。

 

 

 

 円蔵山内部の大空洞「龍洞」に施設された大聖杯。冬の聖女ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンの魔術回路を拡大・増幅し、六十年に渡って地脈からマナを吸い上げ胎動し続ける大魔法陣。だが本来ならば無色の魔力が貯蔵されているのみである筈のこの祭壇は、今は地の底から湧き上がるような肉と泥の迷宮としか形容出来ぬおぞましい場所へと変貌を遂げていた。たった一人の魔術師の手によって。

 

「あら……最初にここに来るのはセイバーだと思っていたけど……」

 

 雨生龍之介がキャスターの力を借りて芸術作品の材料とする為にさらっていた少年少女が、生け贄として泥と肉にくべられていく。子供達は泣き叫びながら、大聖杯に呑まれていく。この地獄絵図を描いているのは、他の子供達とそう変わらぬ年頃にしか見えない少女だった。

 

 沙条愛歌。最優たる剣の英霊を召喚し、今回の聖杯戦争で優勝候補の一人と目されていた天才魔術師。

 

「……大聖杯を何に使うのかと思いきや……これはまさに、何とかに刃物ね……全く、ろくでもない人の手にろくでもない物が渡ったものだわ……」

 

 呆れたように呟きつつ現れたのは、最強の魔術師の誉れも高きフィオ・レンティーナ・グランベル。従えるサーヴァントは本来聖杯戦争には存在しない第八の英霊、アヴェンジャー。

 

「ろくでもないとは失礼ね、これが聖杯の本当の使い方よ? どうにもこれ……無色の魔力どころか何かに汚染されてるみたいだし……どのみちこれ以外の使い方は出来ないわよ。ああそれとも、あなた程の人が、願いを叶えるなんてふわふわとした話を本気で信じてたの?」

 

 愛歌はそこに悪意も敵意も無く、首を傾げて心底不思議そうな顔でそう尋ねる。これを受けてフィオも、困った表情になった。

 

「いやぁ……私も今まで何十回も聖杯戦争に巻き込まれたし、万能の願望器なんて眉唾物だとは知っていたけどね……それでも、サーヴァントの受肉ぐらいは出来たけど……けど魔術師ならもっとこう、根源への到達とか……そういう目的の為に使うものじゃないの?」

 

「根源への到達? それこそつまらないわ。あなたになら分かるんじゃない? そんな所、私達は」

 

 愛歌の瞳が深い色に変わる。まるで、宇宙の果てに通じているように。

 

「生まれた時から繋がっているもの」

 

 ぱちんと、愛歌が指を鳴らす。すると聖杯の泥が盛り上がって、濁流となってアヴェンジャーの肉体を呑み込んだ。

 

「これは……」

 

 為す術もなく泥の中に消える復讐者の英霊。サーヴァントを一瞬にして奔流の中に融かし、分解吸収してしまったこの泥も恐ろしいが、真に驚愕すべき点は別にある。たった今の泥の攻撃は、明らかに愛歌の意図したものだった。つまり彼女は、大聖杯を完全に支配下に置いているという事に他ならぬのだ。

 

「私と同じで根源に繋がったその体……面白い玩具になりそうね」

 

 フィオに向き直ってそう言う愛歌の表情には嘲りも悪意も無い。あるのは遊びで虫の手足を一本一本千切ってはもいでいく子供のような無邪気さだけだ。周囲の泥と肉が彼女の意思に連動して、蠢く。いかにフィオが最強の魔術師とは言え、サーヴァントを失い、聖杯を支配した根源接続者が相手ではまさに絶体絶命、かに思われたが。

 

「残念ですが……そうはさせませんよ」

 

「「えっ……?」」

 

 泥の中から聞こえてきたその声に、フィオと愛歌の両名が驚いてそちらを向く。タールのように黒々とした粘着質な流れを裂いて現れたのは、黒衣のサーヴァント・アヴェンジャー。

 

「どうして……? この泥はこの世全ての悪……これに触れて、暗黒面に堕ちない英霊なんて……」

 

 完全に泥の中から這い上がってきたアヴェンジャーは何でもないかのように泥を掬うと、万象を焼いて死をもたらす泥を事も無げにぐちゃりと握り潰して、捨ててしまう。

 

「アヴェンジャー……あなた……」

 

「私は大丈夫ですよ、マスター……元より私の体はあれと同質の呪い……”この世全ての罪”に汚染されていますからね。今更、染められるまでもなく真っ黒ですよ」

 

「……この世全ての罪……罪の結晶たる果実を口にして、ありとあらゆる原罪に染められた体と魂……成る程、確かにあなたはこの泥に染める事は出来ないわね……」

 

 アヴェンジャーの真名にアタリを付け、納得が行ったという風に愛歌はうんうんと頷く。同時に無数の泥と肉が触手のように束ねられて、一人と一騎を囲んだ。

 

「なら……あなた達二人とも、バラバラに引き裂いてしまえば良いだけの話ね」

 

「マスター」

 

「ん?」

 

「私は自分の願いを諦めた訳ではありませんが……ですが私の体と同じ呪いに侵されたこの大聖杯は、人の世に残しておいてはならないものです。破壊すると言うのなら、手伝いますよ」

 

 サーヴァントのその言葉に、フィオは我が意を得たりと会心の笑みを見せる。

 

「それじゃあ……頼むわ!!」

 

 根源接続者VS根源接続者。この世全ての悪VSこの世全ての罪。

 

 最後の戦いが、幕を開ける。

 

 

 

「ふん……フィオが指定した時間だが……首尾良くやったのだろうな? あいつは……」

 

 円蔵山を視界に収められる高台で、中華風の衣装を身に着けたサーヴァントの少年は、心配と苛立ちが半々といった口調で吐き捨てた。

 

「まぁ、あいつなら大丈夫か」

 

 彼は一人で勝手にそう納得する。尤もこれは、フィオの実力への絶対的な信頼があってこそでもある。

 

「僕は、僕の役目を果たすとするかね」

 

 懐からリモコンを取り出し、慣れた手付きでスイッチを弄る。最終の安全確認コードを送信し、そして彼の宝具は、動き始める。

 

「目標、円蔵山地下洞窟!! 射撃可能位置に到達するまで30秒!!」

 

 神造宝具の対極たる人造宝具。神秘と並び称される人の叡智の結晶。衛星軌道・デブリベルトに隠された地上狙撃システム。神域の天才の発明にして、かつて大宋国に仇なす者共を滅ぼした兵器。主たる彼が死して後もその兵器は八百年以上を稼働し続け、命令を待ち続けていた、即ち現存する宝具。

 

「轟天雷・星辰砲(サンダーキャノン・サテライトランチャー)!!!!」

 

 真名解放と共に、まさにその名の通り雷の如く天空より降ってきた光の柱が、円蔵山に落ちた。

 

 

 

 主は語った。地に富を積んではならないと。

 

 虚飾の繁栄を無に帰した時、次代の千年期は訪れる。

 

 富の象徴、人の七罪。

 

 汚れに汚れた金の杯。

 

 全ては天の門を開く為。

 

 最後の奇跡は、最も優れたモノの手に。

 



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Grand Order

読み切りの短編です。

オリジナルサーヴァントが登場します。


 

「うーん……」

 

 飲食業を営むフィオの朝は早い。安眠の誘惑を振り切って布団からもぞもぞと這い出すと、手元の目覚まし時計のスイッチをオフに切り替える。時計の針は5時を差していた。

 

 夢見心地で身支度を調えていると、寝室のドアがノックされる。「入りなさい」と一声掛けると、褐色の肌をした少女がドアを破る勢いで入室してきた。

 

「て、店長!! 大変です!!」

 

「どうしたの? シャーレイ、そんなに泡食って……」

 

「いや……それがその……とても言葉では言えません……!! と、兎に角外を……」

 

「外?」

 

 まだ寝ぼけ眼のフィオは、ベッドサイドに置いてあったメガネを掛けるとカーテンを開ける。

 

 そこには当然、いつもの冬木市の町並みが……

 

「な……っ?!」

 

 無かった。代わりにあったものは。

 

 黒煙が空を覆い、町を覆う紅蓮の炎……そして遠くて良く見えないが、道には妙な者共がうろうろと蠢いている。

 

「…………」

 

 シャッ、とフィオはカーテンを閉じる。

 

 そしてシャーレイと顔を見合わせた。

 

「「…………」」

 

 手招きするフィオ。シャーレイはとことこと寄ってくる。

 

「……シャーレイ、もう一度、1、2の3で、今度は同時に開けるわよ」

 

「は、はい。店長……」

 

 シャッ!!

 

 二人でカーテンを開ける。そこから見える景色は、やはり炎上する焦土の如き都市であった。

 

 シャッ!!

 

 フィオはもう一度、カーテンを閉じた。

 

「……店長、これは……」

 

 フィオは額に手を当て、ふるふると首を振る。

 

「どうもこうもない……恐らく、またこの店がどこかの特異点に繋がったのね……」

 

 シャーレイは「はぁ」と溜息を吐いた。

 

「またですか……この前はギリシャの「テオフォニア」、その前はスペインの「トマト投げ」、そのまた前はコッツウォルズの「スネ蹴りチャンピオンシップ」、更にその前は中国の「端午節」……でしたっけ? しかし困りましたね。ネロさんやタマモさんを初め、サーヴァントの皆さんは殆ど例の特異点修復の為に出払ってしまってますし……」

 

「……本当に私は呪われてるわね。この前、イタリア旅行に行ったらエトナ山の下から何かデカブツが蘇りそうな現場に出くわすし……はぁ、どこまで不幸がついて回るのやら……」

 

「あれをボコボコにしてもう一度地の底に沈めてしまう店長の実力も大概だと思いますが……しかしどうしますか? この非常事態は……」

 

「どうもこうもないでしょ。私達でこの異常の原因を調査し、解決、定礎修復。みんなハッピー、いつもやってる事よ」

 

「そうですね、差し当たってはアサシンさんに連絡と、バーサーカーさんの起動準備を……」

 

 そんな風にイマイチ緊張感の無い会話を交わしていると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。

 

「「…………」」

 

 再び、顔を見合わせる二人。

 

 こんな状況で店を訪ねてくるのが一般人とは思えない。つまり……

 

「シャーレイ、念の為に武器を取ってきなさい」

 

「はい、店長」

 

 そうしてすぐに、フィオは玄関へと移動する。シャーレイも後に続いてやって来た。彼女の手には、M61・20ミリ砲身機関砲が握られている。本来は戦闘機に搭載される重機関銃であり人間には到底扱う事など出来ないシロモノであるが、シャーレイは人ならざる死徒の身。故に、少々ホネではあるものの扱う事が出来ていた。

 

 フィオも、ドアを開けてその向こうに現れるのが悪意や害意ある者なら即座に対物ライフル並のガンドをぶっ放せる心構えをしつつ、ドアノブに手を掛けた。

 

 ガチャッ!!

 

「!! 先輩、下がってください!!」「……っ!!」「ひっ!!」「フォーウ!!」

 

 ドアの向こう側に居たのは、まず軽装の鎧を纏い巨大な盾を携えた桃色の髪の少女。次にどこかの制服だろうか? を、着た黒髪の少年。それにその肩に乗っているリスのような、猫のような小動物。最後に、この二人よりもいくらか年上らしい銀髪の女性。

 

「……」

 

 いきなり怪物が現れるような事態も想定していたフィオは、少し毒気を抜かれた。少なくとも悪意ある存在には見えない。

 

「あの……怪しい者ではありません。この町で、この店だけが何故か無事のようでしたので……何か情報が得られればと……」

 

 少年が、一同を代表する形で話し掛けてくる。

 

「ふーむ……良いわ。シャーレイ、武器を下ろしなさい」

 

「はい、店長」

 

 フィオの指示に従い、シャーレイは銃を下ろすと店内へと引っ込んだ。そしてフィオは、3名と1匹に対して恭しく一礼する。

 

「イタリアンレストラン『虹色の脚』へようこそ。店長の、フィオ・レンティーナ・グランベルと申します」

 

「!!」「?」「?」「フォ?」

 

 この名前を聞いた瞬間、反応は綺麗に二つに分かれた。ブーッ!! と吹き出したのが銀髪の女性。盾持ちの少女と少年と小動物は、狐につままれたように首を傾げるだけだ。

 

「あああ……あなたがあの、伝説の……ロード・レンティーナ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「……人理継続保障機関カルデア……2017年を迎えられない……爆発……レイシフト……そっちでは随分と大変な事になっているのね……」

 

 虹色の脚の一席で、フィオは客人である3名。盾持ちの少女・デミサーヴァントであるマシュ・キリエライト。そのマスターである黒髪の少年・藤丸立香。カルデアの所長であるオルガマリー・アニムスフィアから話を聞いていた。小動物のフォウは、テーブルの下でシャーレイが用意したご飯を食べている。

 

「しかし、レイシフト先でロード・レンティーナにお会いできた事は不幸中の幸いです。あなた以上に頼もしい方は居られません……」

 

「あ、あの……」

 

 立香が挙手する。

 

「この人は……そんなに凄い人なんですか? 所長がそこまで畏まるなんて……」

 

「凄いなんてものじゃないわ!! このお方は時計塔で17代続く名門中の名門、グランベル家の初代当主にして現当主……封印指定の魔術師で……」

 

「まぁ、それは良いじゃないの」

 

 フィオは興奮して捲し立てるオルガマリーを制すると「それよりまずはこの事態をどう収拾するかでしょ?」と、話題を切り替える。

 

「はい……ロード・レンティーナが……」

 

「フィオで良いわよ、マシュちゃん」

 

「は、はい……では……フィオさんが高名な魔術師である事は所長の反応から分かりました。ならば、ご推察出来るのではありませんか? 現在……この冬木市で何が起こっているのかを……」

 

 マシュの視線を受けて、フィオはまず一呼吸置く意味でシャーレイが煎れた紅茶を口に運んだ。

 

「……結論から言うと、確信は無いけど……でも、大凡のアタリを付ける事は出来るわ」

 

「……良く分からないです。どういう事なんですか?」

 

「……まず、この冬木市は私が知っている冬木市とは少し違う冬木市なの」

 

「……と、言うと?」

 

「私のこの店……『虹色の脚』は、どの並行世界・どの時間軸にも存在せず同時にあらゆる並行世界・あらゆる時間軸に繋がっている一種の結界魔術なの……通常時は私の力でとある世界の冬木市に基点を置いているけど、その性質上時々別の世界の特異点に繋がる事があるの。そして今回は、原因は不明だけどこの炎上した冬木市に繋がったようね」

 

「は、はぁ……」

 

 あまりにもスケールの大きい話に、マシュは圧倒されてあんぐり口を開けている。一流魔術師であり様々な魔術に精通するオルガマリーは、マシュよりも受けた衝撃がよほど大きいらしく言葉を失っていた。立香だけは話の内容がイマイチ呑み込めていないらしく、目をぱちくりさせている。

 

 食事を食べ終えたフォウはぴょんとフィオの膝に乗った。フィオはそんな小動物の背中を撫でつつ、話を続けていく。

 

「でも……この冬木市が私の知っているものとは違うとは言え、冬木市は冬木市……そして冬木市を特異点としてここまでの異常事態を発生させ得る原因となると……うん、考えられる可能性は一つね。円蔵山内部の大聖杯」

 

「それは一体……?」

 

「冬の聖女ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンの魔術回路を拡大・増幅し、六十年周期で地脈からマナを吸い上げ胎動し続ける大魔法陣。超抜級の魔術炉心……そこに何かしらの異常があると見て良いでしょう。調査すべきは、まずそこね」

 

「では……」

 

「そうね、行ってみましょう。勿論、私も同行するわ。そしてマシュちゃんと立香くん、あなた達二人はまだ圧倒的に経験が足りてないようだし……即席ながら、私が教師役を務めさせてもらうわね。シャーレイ、私が戻るまで、店番を頼むわ」

 

「はい、お気を付けて……店長」

 

「ロード・レンティーナの助けを得られるなんて、百万の味方を得た気分です!! よろしくお願いします!!」

 

「「お願いします!!」」

 

「フォーウ!!」

 

 オルガマリーが、起立して90度腰を曲げて礼の姿勢を取る。マシュと立香も一拍置いてそれに続いた。

 

 フィオは、にっこり笑って応じる。

 

「良いのよ。違う世界の話とは言え2017年が来ないなんて話を聞いて放ってはおけないし……それに……」

 

「それに?」

 

 フィオの視線がまずフォウに、次にはオルガマリーへと動いた。

 

「……この特異点だけじゃなくて、色々と大変な案件を抱えているみたいだしね……あなた達は」

 

 

 

 

 

 

 

 並行世界のものとは言え、冬木市はフィオにとっては勝手知ったるホームグラウンドである。途中、泥に汚染されたシャドウサーヴァントやスケルトンとの戦闘が幾度かあったが、フィオのサポートもあり、マシュと立香の実戦訓練を兼ねて楽勝とは言わぬまでも確実に切り抜ける事が出来た。

 

 シャドウサーヴァントは時間と共に復活するらしいが、流石にこれから大聖杯に辿り着くまでに復活する事はないであろうとのフィオの見立てだった。

 

「これまでに倒したシャドウサーヴァントは全部で4体」

 

 ランサー:武蔵坊弁慶。

 

 ライダー:メドゥーサ。

 

 アサシン:ハサン・サッバーハ。

 

 キャスター:クー・フーリン。

 

「この冬木市で行われていた聖杯戦争のルールが私の知っているものと同じ七騎のサーヴァントで争われるものだとすると……後はセイバー・アーチャー・バーサーカーが残っている筈ね……三騎士の内二騎と、肉弾戦に於いては最強クラスのバーサーカー。みんな、気を引き締めるように……」

 

「「はい!!」」「了解しました」「フォーウ、キュウ」

 

 と、話をしながら大聖杯に繋がる洞窟内を進んでいたが先頭のフィオが不意に足を止めた。そして「止まって!!」と片手を上げて一同を掣肘する。

 

「どうしたんですか? フィオさん」

 

「居るわよ……」

 

 彼女がそう言うのとほぼ同時に場に声が響く。

 

「ほう。面白いサーヴァントが居るな」

 

 不意に周囲を覆っていた闇が晴れ、姿を現したのは一騎のサーヴァント。

 

 体躯こそは華奢な女性のそれであるが、しかしそれでこの相手が容易い敵という考えはこの場の誰も頭の片隅にすら覚えなかった。

 

 血管のような紅い紋様が浮き出た黒い鎧を身に纏い、病人のように蒼白い肌、ぎらぎら光る黄色い瞳、周囲に漂う闇色の王気、手にするは一目で凄まじいまでの『格』を理解させる黒に染まった聖剣。

 

 このサーヴァントはただ立って目の前に居るだけで、超一級の英霊である事を全員に分からせる。

 

「あれは……」

 

「……皆、気を付けて。あれは黒く反転しているけど……真名はアーサー王。イギリス最強の英霊にしてセイバークラスとしては間違いなく最高位のサーヴァント。一瞬でも気を抜けば、その瞬間に真っ二つにされるわよ」

 

 フィオのこの言葉を受け、身構えるマシュ達。一方で漆黒のサーヴァント、セイバーは「ほう」と声を漏らして少しだけ感心した顔になった。

 

「一目見ただけで私の真名を看破するか。生前に出会った記憶は無いが……あぁ、どこかの聖杯戦争で召喚されたのか?」

 

「……まぁ、そんな所だと答えておくわ」

 

「ふむ。まぁ、何であろうが私がやるべき事には変わりはない……征け!! バーサーカー!!」

 

 セイバーがどん、と足を踏み鳴らすと同時、洞窟の壁が崩れ……否、吹き飛んでその向こう側から2メートル超はあろうかという巨人が姿を現した。

 

「……こ、こいつは!!」

 

 全身が影に侵食されたその姿はやはりシャドウサーヴァントの特徴ではあるが、しかし肌をびりびりと叩く威圧感は本来の英雄としての霊格においてはセイバーに勝るとも劣らない超一級の英霊であると無言の内に教えてくる。

 

 フィオは、ある程度この状況は想定していたようだった。メンバーの中では唯一慌てた様子は無く、じっと現れたバーサーカーを観察している。

 

「……こいつは、ヘラクレスね」

 

<ヘ、ヘラクレスだって!?>

 

 素っ頓狂な声が響いてくる。

 

 これはカルデアから通信によってサポートを行っているドクター・ロマンことロマニ・アーキマンのものだ。

 

 彼の驚愕もしかし当然である。ヘラクレスと言えばギリシャ最強と言って良い破格の英霊だが、その知名度はギリシャに留まらない。聖杯戦争にあってはキャスター以外の全てのクラスに適性を持つとされる武芸百般を極めた益荒男であり、一流の上に「超」が3つか4つは付くであろうワールドクラスの大英雄である。その実力はあらゆる国・あらゆる時代のサーヴァントの中でも間違いなく五指に入るであろう。

 

「■■■■■■ーーーーーーーッ!!!!」

 

 物理的な圧力さえ生み出すような咆哮。

 

 狂戦士は巨体からは想像も出来ないような速さで、一行へ向けて突進してくる。

 

 その豪腕、その剛剣。人は勿論、サーヴァントであろうとまともに一撃を受ければ命は無い。

 

 だがそれほどの脅威を目の前にしてもフィオは少しも臆した素振りは見せず。

 

「征きなさい!! バーサーカー!!」

 

 彼女の命令と同時に霊体化を解き、ヘラクレスの岩のような体が小さく見えるほどの巨兵が実体化する。

 

 全身を鎧のような装甲で覆い、絶えず熱気を噴き上げる巨人。

 

 フィオのバーサーカーは、シャドウバーサーカーへ向かって突進。振り下ろしてきた斧剣を自分の腕を盾にして止めると、逆にシャドウバーサーカー腕を取り、投げ飛ばしてしまった。シャドウバーサーカーが吹っ飛んで現れたのとは反対側の壁にも、大穴が空いた。

 

「■■■■■■ーーーーーーーッ!!!!」

 

 しかしシャドウバーサーカーは少しも怯んだ様子は無く、自分を埋めていた瓦礫を吹き飛ばして向かってくる。

 

「…………」

 

 対照的にフィオのバーサーカーはこちらは一言も発せず、ロボットのようにヘラクレスへと向かう。

 

 ズガン!! ズガン!!

 

「ひっ!!」

 

 思わず、オルガマリーが悲鳴を上げた。

 

 始まったのはベアナックルによる殴り合い。

 

 しかしその迫力たるやどうだ。

 

 一撃一撃ごとに、直接当たっている訳でもないのに洞窟全体が揺れるような衝撃が伝わってくる。二騎のサーヴァントの拳の先端に爆薬が仕込まれていて、直撃する度にそれが爆ぜているかのようだった。

 

 人間なら余波だけで即死、サーヴァントであろうと並の者なら一発でミンチと化すであろう恐るべき威力を纏った攻撃が代わりばんこに繰り出され、対手の顔面を打っていく。

 

 ズガン!! ズガン!! ズガン!!

 

 だがそんな、まさしく現代に神話の戦いが具現したような攻防を繰り広げながら、二騎のバーサーカーはどちらも倒れず、それどころか打たれる力を自分のものへと変えているかのようにますます力強くなって次の攻撃を打っていく。

 

 果てしなく続くような世にも恐ろしい打撃戦だが、しかしほんの僅か、少しずつではあるが形勢は一方に傾きつつあった。

 

「先輩、これは……!!」

 

「あぁ、フィオさんのバーサーカーが押している!!」

 

 と、マシュと立香。そう、ほんの少しずつ、ちょっぴりだけではあるがフィオのバーサーカーが前に出て、反対にヘラクレスはじりじり後退っている。

 

「し、信じられない……まさか、ヘラクレスに正面切って対抗……どころか、優勢に立てるサーヴァントが居るなんて……!?」

 

 呆然と、オルガマリーが呟く。対照的にセイバーは「成る程」と得心が行ったという表情だった。

 

「成る程、かのクレタ島の守護巨神をバーサーカーとしていたのか。確かにそれならば、ヘラクレスに勝る膂力も頷ける」

 

<……クレタ島の守護巨神……そうか、タロス神像か!! ヘラクレスどころかアルゴー船に集ったギリシャの英雄達が束になっても歯が立たなかったという怪物だ!! こと肉弾戦に限ってなら、勝てる!! 勝てるぞ!!>

 

 興奮したロマンの声が洞窟に響く。

 

 立香やマシュの顔にも喜色が浮かぶが、フィオは「気を抜かないで」と一言戒める。

 

 そう、バーサーカーは押さえられた。しかし、まだこの場にはセイバーが残っている。

 

「では……参るぞ、構えよ。名も知らぬ盾の娘よ」

 

 宣告し、それを受けてマシュがぐっと腰を落として身構える。

 

 瞬間、セイバーの体がいきなり3倍は大きくなった。

 

 勿論、実際に巨大化した訳ではない。セイバー・アーサー王にそのような能力は備わっていない。

 

 それほどのスピードで肉迫してきたのだ。

 

 スキル・魔力放出。蓄積した魔力を高圧にて任意のベクトルへ放出、運動能力を爆発的に高める能力。ましてやこのセイバーは、意識せずとも黒い霧として周囲に漂うほどの濃密な魔力を帯びている。それを全て、推進力に回せばどうなるか。

 

 筋力ではなく、魔力によって巻き起こしたジェット噴射に体を乗せて、セイバーの体は一つの巨大な砲弾と化した。

 

 その速度に乗せて、鉄槌よりも固く重い大剣の一撃がマシュの盾に叩き付けられる。

 

「くっ……ぐぅっ!!」

 

 デミ・サーヴァントの両足が地面にめり込み、両腕の筋繊維が悲鳴を上げる。

 

 マシュは歯を食い縛って、何とかその攻撃を止める事には成功した。

 

「ふむ、反応は上々。まだ未熟だが筋は良いようだ」

 

 セイバーは認めた。が、すぐに「しかし」と続ける。

 

「この一撃を防ぐ事に精一杯で、サーヴァントの本分を忘れるようではまだまだだな」

 

「えっ?」

 

「アーチャー!!」

 

 そう、今この場に現れたのはセイバーとバーサーカーのみ。ならば後一騎、どこかにサーヴァントが居る筈なのだ。

 

 セイバーの命令と共に、やはり影を纏った人影が飛び出してくる。手にするのは弓ではなく双剣なれど、スケルトンや竜牙兵の類では有り得ない。先程のセイバーの言葉もあり、これはこの聖杯戦争に喚ばれたサーヴァント最後の一騎、アーチャーが闇に呑まれた姿なのだろう。

 

 そしてアーチャーは、まっすぐ立香へと向かっていく。

 

「先輩……逃げ……!!」

 

 マシュはセイバーを押さえていて動けない。フィオのバーサーカーも、ヘラクレスの戦いで手一杯。フィオもオルガマリーも、咄嗟に立香を助けるには位置が悪かった。詰み。立香が殺される未来を、もう誰も変える事は叶わぬかと、そう思われた。

 

 だが。

 

「アサシン、頼むわ!!」

 

 フィオがそう叫び、そして予想もしない反撃が繰り出された。

 

 立香の腹部から腕が生えて、突き出された拳がシャドウアーチャーの胸を貫いていたのだ。

 

「ガハッ……!! 何だと……!?」

 

「こ、これは……」

 

 さしものシャドウアーチャーも、無防備な筈のマスターがしかも何の攻撃動作も見せずに反撃してくるのは予想外であったらしい。攻撃をもろに受けて霊核を破壊され、消えていく。

 

「な、何だこれは!?」「先輩の体から……先輩のじゃない、別の手が……?」「むうっ……?」

 

 驚いているのはアーチャーだけではない。マシュも、当事者である立香も、セイバーですら何が起こったのかは理解出来てはいなかった。

 

 理解出来ているのは、唯一人。

 

「……まだ、マシュちゃんも立香くんも未熟だからね。マスターを守りきれない状況も、私は想定していたわ。だから既に、アサシンには立香くんの体内に潜んでもらっていたのよ。いざという時、彼を守ってくれるようにね」

 

 フィオがそう語っている間にも、少しずつ立香の体内に潜んでいた者の全貌が明らかになってくる。

 

 それは全体像こそ人型であるが、明らかに人間ではなかった。ヘラクレスにも負けぬほど筋骨隆々とした体には腕が二対四本も付いていて、何より特徴的なのはその面貌である。人ではない。牙があり、鬣(たてがみ)がある。獅子だ。獅子面の獣人が、立香の体の中から重なった立体映像をすり抜けるようにして現れてきていた。

 

 この特徴的過ぎる容貌を目の当たりにして、セイバーはすぐにこのサーヴァントの真名に気付いたようだった。

 

「成る程……アヴァターラ第四の化身・ナラシンハか。柱の中から現れたという逸話から、物体に潜行する宝具ないしはスキルを持つという事か……タロス神像だけでなく、これほどの英霊までサーヴァントとしていたとは」

 

 どこか畏敬の念があるような声でそう呟くと、セイバーは後方に跳躍して距離を離した。

 

 態勢を立て直す為……では、ない。セイバーが放つ威圧感は、衰えるどころか今までに倍するほどに強くなっている。

 

「お前達を侮っていた訳ではないが……過小評価はしていたかも知れん。盾の娘よ、貴様の守りが本物かどうか……今こそ確かめてやろう!!」

 

 全身から放出され、周囲を黒い霧となって漂っていた魔力が全て、漆黒に染まりし聖剣へと収束される。これは明らかに、宝具を使う予備動作だ。防御に回していた力を、全て攻撃に注ぎ込む為の。次に繰り出されるものこそがこのセイバーにとって最高最強の、まさに乾坤一擲。

 

「来ます、マスター……!!」

 

「マシュ・キリエライトに令呪を以て命じる!! 宝具を展開し、俺達を守れ!!」

 

 立香の右手に刻まれた紋様、サーヴァントへの絶対命令権である三画の令呪の一つが消滅し、それを構成していた膨大な魔力がマシュへと流れ込んでいく。

 

 宝具の使い方と、令呪の使い方。どちらもここまで至る道すがら、フィオが二人へと教えていたものだ。

 

 宝具の使い方は、既に融合した英霊が識っている。後はマシュが本能に従い、その力を引き出す事。

 

 令呪はサーヴァントに自害さえ強要できる絶対命令権ではあるが、その最も適切にして有効な使い方はサーヴァントの力を限界を超えて高めるものである事。

 

 教え子の二人ともが自分の教えをしっかり守っている姿を、戦闘中であるにも関わらずフィオは眼を細めて見詰める。

 

「卑王鉄槌……極光は反転する……光を呑め……」「真名・偽装登録……宝具、展開します」

 

 ブリテン島に潜む原始の呪力。黒く染まった魔力が刀身に充填され、今か今かと解放の時を待つ。

 

 迎え撃つは大盾に込められた力。半人半英霊の少女が使う、未だ名も知らぬ英霊の借り物の、真名さえ明らかならざる守護の力。

 

「約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!!!」「疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)!!!!」

 

 黒い聖剣の一振りと共に、解き放たれる破壊の奔流。闇色の光が、視界の全てを埋め尽くし、触れる物全てを砕きながら迫ってくる。

 

 だが、その絶対の破壊の力を前にしてマシュはその足を逃げる為に使わず踏ん張って。

 

 その手を己を庇う為ではなく、己の背に守る人達を守る為、前に突き出し盾を支える為に力を込めて。

 

 今、マシュが持つものと令呪によって後押しされた力が強力な守護障壁となって形成・展開される。顕現する光の壁。

 

 そして、激突。

 

 振動、衝撃。

 

 洞窟全体が、局地地震にでも遭ったかのように揺れる。オルガマリーは思わず体を伏せた。

 

「う……ぐ……あああああああっ!!!!」

 

 裂帛の気合いを込めて、マシュが叫ぶ。一瞬でも気を抜けば、盾が弾き飛ばされそうになる。

 

 障壁と盾を貫通して伝わってくる衝撃で、腕が引き千切られそうだ。

 

 ズズ……と、黒い光の圧力に押されて足が地面を削る。

 

 まっすぐ突き伸ばしていた腕が、徐々に曲がっていく。

 

「ぐっ……!!」

 

 マシュの額に、汗が伝う。

 

 支えきれない。防ぎきれない。破られる。

 

 その時、盾を支えるマシュの手に二つの手が添えられた。

 

 一つは令呪が刻まれた男性のもの。一つはたおやかな女性のもの。

 

「先輩……フィオさん……!!」

 

「どうしたの、マシュちゃん? もう、限界かしら?」

 

「フィオさん……い、いえ……まだ、です。私は……まだ……頑張れます」

 

 すぐ背後に立って、背中を押してくれているフィオにマシュはそう応じる。フィオは彼女の言葉を受けて、微笑した。

 

「マシュちゃん……あなたはとても優秀な生徒だけど……でも……少しだけ間違えているわね」

 

 背中を押していた手が動いて、ポンとマシュの頭に乗せられる。

 

「防ぎきれるように頑張る、のは違う。必ず防げる筈だと信じる、のも違う」

 

 後者のそれはマスターの役割だと、フィオはすぐ隣に立つ立香へと告げた。

 

「絶対に防げるのだと、『知る』事。それが一番大切な事よ……!!」

 

「フィオさん……はい!!」

 

「そして立香くん」

 

「はい、フィオさん!!」

 

 にやっとフィオは不敵に口角を上げる。

 

「良い声ね。私が今言ったように、マシュちゃんが必ずこの一撃を防ぎきれると信じるのはマスターの役目。私が、貴方を守るマシュちゃんが無敵である事を信じるように。貴方も自分を守るマシュちゃんが無敵の力を持つと信じてあげて」

 

「フィオさん……分かりました!!」

 

 ぐっと、マシュの肩に置かれた左手と盾に添えられた右手、その両方に力が宿る。

 

「負けるな!! マシュ!!!!」

 

 雄叫びと共に二画の令呪、その双方が消滅する。

 

 令呪はその目的が短期間・具体的なものである程に強制力を強める。無論、一つの命令に画数を重ねれば強制力はより強固なものとなる。

 

 この場合、三画全てを使った事、攻撃を防ぐという具体的かつ瞬間的な命令であった事、そして何より、マシュというデミサーヴァントの意志に則りその背中を押す為に使われた事。およそ令呪の使い方としては最も適切且つ効果を発揮する使い方であったが故に。

 

 三つの聖痕を形作っていた魔力は、条理を覆し不可能すら可能に変える強大な力となって、マシュの総身に宿る。

 

「……!! はい、先輩!!」

 

 展開する守護障壁が輝きを増し、実体すら持ちかねない程に重厚なものへと移っていく。

 

「おおおおおおーーーっ!!!!」「ああああああああああーーーーーっ!!!!」

 

 何秒も経っていないのか、何時間も経ったのか。

 

 定かではないが、しかしこの破壊の力と守護の力の攻防にも終わりは訪れた。

 

 黒く染まった魔力が収束していき……

 

 しかし、魔力障壁は確かに、破られる事なく其処に在った。

 

 マシュが、勝った。

 

 その事実に誰もが安堵し、セイバーが僅かな驚愕を面貌に浮かべた瞬間。

 

 誰より先んじて、駆け出した者が居た。余人に非ず、フィオその人が。手には、投影魔術で生み出した剣が握られている。

 

 宝具を使った反動で素早く動けないセイバーであったが、しかし慌てはしなかった。見たところフィオが創り出した剣は只の剣。宝具としての格も持たない鋭いだけの武器。自身の鎧にそんな物は通らない。無論、フィオとてその程度は想定内であろう。だから何らかの手は打っている筈。

 

 一撃は許す。だが一撃だけだ。それに耐えさえすれば、技の反動から立ち直った自分の剣閃が彼女を真っ二つにする。

 

 全神経を集中し、防御の態勢を取るセイバー。しかし、これは悪手であった。

 

 『耐える』のではなく『かわす』べきだったのだ。尤も、宝具使用の反応で動きが鈍いのだからどちらにせよ不可能であった訳だが。

 

 フィオが振り下ろした一刀がセイバーの体を、さながらすり抜けるように抵抗感無く通っていって……

 

 それで、全ては決した。

 

「……直死の魔眼か」

 

「そういうこと。これでも根源に繋がっているのでね。死を見るぐらいは出来るのよ」

 

「ふ、知らず私も力が緩んでいたらしい。最後の最後で手を止めるとはな。聖杯を守り通す気でいたが、己が執着に傾いた挙句敗北してしまった。結局、何が変わろうと私一人では同じ結末を迎えるという事か……しかし、いずれ貴女達も知る……聖杯を巡る戦い……グランドオーダーは、まだ始まったばかりだという事を」

 

「セイバー……それは……」

 

「……まぁ、あなたなら大丈夫でしょうね。『フィオ・エクス・マキナ(色々あったが、最後にはフィオが出て来てみんな幸せになる)』のでしょう?」

 

 その言葉を最後に、セイバーは消滅した。後に残ったのは、膨大な魔力を内包した結晶体が一つだけ。

 

 これが、セイバーが守っていたものでありこの特異点発生の原因となった聖杯なのだろう。

 

 ズウウゥン……

 

 轟音。振り返ると、フィオのバーサーカーがシャドウバーサーカーを打ち倒した所だった。ヘラクレスもまた、その体を黒い塵へと変えて消えていく。

 

 これでこの冬木の聖杯戦争に召喚されていた七騎のサーヴァント、全てが消滅した事になる。

 

 つまりは、これで……

 

<藤丸君、マシュ、よくやってくれた!! これで僕達の勝利だ!!>

 

「やった、の?」

 

 ロマンとオルガマリーの声が聞こえるが……フィオは厳しい表情を崩していなかった。

 

「いや……まだもうちょっとだけ、この任務は続くみたいよ」

 

「え……フィオさん、それは一体……」

 

「そこの者!! 居るのは分かっているわ!! 出て来なさい!!」

 

 パン、パン、パン……

 

 フィオのその言葉を受けて、場に乾いた拍手の音が鳴った。

 

 どこからともなく響くその音に、フィオ以外の全員がキョロキョロと周囲を見渡す。

 

「流石と言うべきか……伝説のロード・レンティーナ、そして君達がここまでやるとは計画の想定外であり私の寛容さの許容外だ。48人目のマスター適性者。全く見込みのない子供だからと、善意で見逃してあげていた私の失態だよ」

 

 姿を現したのは、紳士服を着こなした壮年の男だった。

 

 カルデアの顧問たる魔術師、レフ・ライノール。

 

「レフ……ああ、レフ、レフ、生きていたのね……!!」

 

 感極まったように涙目になったオルガマリーが駆け出し、レフの傍まで走っていってしまう。

 

 フィオは最初、様子がおかしい事に気付かないのかとも考えたが、すぐ思い直した。オルガマリーとしても、状況から判断してレフが怪しいという事は気付いているのだろう。しかし「分かるけど信じたくない」と、感情が理屈を凌駕してしまっている状態にあるのだろう。

 

「全く……予想外の事ばかりが起きる。その中でロード・レンティーナの存在に次ぐ予想外は、君だよオルガ。爆弾は足下に仕掛けた筈なのに、まさか生きているなんて……いや、生きているというのは違うな。君はとっくに死んでいる。君は死ぬ事でやっと、望んでいたレイシフト適性を手に入れたんだ」

 

「え……な、何を……」

 

 怯えた表情でオルガマリーが振り返るが、フィオは沈黙を保ったまま。それがレフの言葉を何より肯定していた。

 

 今のオルガマリーは肉体を持たない、魂と精神だけの存在なのだと。

 

 そしてレフがさっと手をかざすと、空間が歪んで全く別の景色がそこに浮かんだ。

 

 何かの実験室なのだろうか、用途は分からないが多数の機械が組み込まれた部屋で、中央には紅く燃え盛る疑似天体が輝いている。フィオはすぐに察した。レフは今、聖杯の力で時空を繋げたのだ。繋げた先は人理継続保障機関カルデアで、紅い疑似天体が話に聞いた地球環境モデル・カルデアスなのだと。

 

「このまま殺すのは簡単だがそれでは芸が無い。最後に君の望みを叶えてあげよう。君の宝物とやらに触れるがいい。なに、私からの慈悲だと思ってくれたまえ」

 

 レフがそう言った瞬間、オルガマリーを中心として猛烈な圧力が発生し、彼女の体を吸い込み始めた。その先にあるのは、カルデアス。

 

「や、止めて!! お願い!! だってカルデアスよ? 高密度の情報体よ? 次元が異なる領域なのよ?」

 

 オルガマリーの懇願、いや哀願にも、レフは笑って返すだけだ。

 

「ああ、ブラックホールと何も変わらない。それとも太陽かな? まぁどちらにせよ、人間が触れれば分子レベルで分解される地獄の具現だ。遠慮無く、生きたまま無限の死を味わいたまえ」

 

 死刑宣告。残酷なまでの。

 

 カルデア所長の顔が、絶望に歪む。

 

「いや、いや、いや、助けて、誰か助けてよ!! 私、こんな所で死にたくない!! だってまだ褒められてない……!! 誰も、誰も私を認めてくれていないじゃない……!! どうして!? どうしてこんな事ばっかりなの!? 誰も私を評価してくれなかった!! 皆私を嫌っていた!! やだ、いやいやいやいやいやいやいやいや……!! 死にたくない!! 生まれてからずっと、唯の一度も……!!」

 

 最後の言葉を言い終える前に、オルガマリーの体はカルデアスへと吸い込まれ……消えていった。

 

「所長……!!」「酷い……!!」

 

 マシュと立香は戦慄すると共に怒りを燃やし……そしてフィオは、

 

「そうはイカの金時計!!」

 

 手をかざすと、レフが開いた空間の裂け目を自分の手元に引き寄せる。そして腕まくりすると……

 

「ふん!!」

 

 未だに繋がったままの時空を超えて、カルデアスに手を突っ込んだ。

 

「な!?」

 

「フィオさん!?」

 

「ん……こう、かな? えっと……よし、見付けた」

 

 これにはレフも含め全員が言葉を失い、反応に戸惑ってしまう。

 

 数秒ばかりぶつぶつ言っていたフィオであったが、やがて何か手応えを掴んだらしい。

 

 カルデアスに突っ込んでいた手を、思い切り引き抜く。

 

 そこには、やはりと言うべきかまさかと言うべきか。今さっきカルデアスに吸い込まれて死んだ筈のオルガマリーが頭を引っ掴まれて出て来ていた。

 

「なっ……!?」

 

「サルベージ成功ね」

 

 レフも絶句。

 

 朝の軽いジョギングを終えたような顔で、フィオは腕まくりしていた袖を戻した。

 

「あ……えっと……私……」

 

 サルベージされたオルガマリーは虚脱した様子でぼんやりとしていたが……しかし直前の記憶はあるようでレフからは距離を置く。そこに、マシュと立香も駆け寄ってきて彼女を庇うように前に立った。

 

「……大したものだ」

 

 これは、レフの言葉だった。

 

「……今し方言ったように、カルデアスは人間にとってはブラックホールや太陽と同じ意味を持つ。それに手を突っ込んで平然としているだけでなく……オルガを救ってみせるとは。彼女は確かに分子レベルで分解された筈だが。どうやって助けられたのかな?」

 

「別に大した事じゃないわ。分解されただけって事は、魂も精神もどこかへ飛んでいってしまった訳ではなく、カルデアスの中に全て存在するって事でしょう? なら話は簡単。分子レベルで分解されたものを総浚いして、選り分け……分子レベルで所長を再構築してしまえば良いだけの事よ」

 

 他の誰にも真似出来ない、超人的な技を超えた業を、フィオは何でもないかのようにあっさりと言ってのける。

 

 しかし、問題はまだ残っていた。今のオルガマリーは霊体。カルデアには戻れない。戻った瞬間、死が待っているのだから。

 

「……人形を製造するにしても時間が足りないし……じゃあ、差し当たってはこれね」

 

 フィオはそう言って、懐から茶筒に手足を付けたような、全高20センチほどのロボット人形を取り出した。

 

 それを見た瞬間、オルガマリーの顔が先程カルデアスに消える直前よりも蒼く、白くなった。

 

「あ、あの……ロード・レンティーナ……?」

 

「ん? どうしたのかしらオルガマリー所長」

 

「わ、私物凄く嫌な予感がしてきたんですが……その人形は……? まさか……」

 

「ひとまずはこのロボットボディを、新しい肉体として生まれ変わってもらうわ。その後でじっくりゆっくり、代わりの人形を作る事にしましょう」

 

「な!?」

 

「フィオさん、何でそんなもの持ってるんですか!?」

 

「先輩、突っ込む所はそこじゃありません!!」

 

「あぁ、マシュちゃん。あなたの言いたい事は分かるわ。それなら心配はご無用。それっ」

 

 フィオは頷くと、ロボットの頭に付いたボタンを押した。

 

 すると、ロボットの胸の部分がプクーッと膨らんで女性の乳房のようになった。

 

「やはり女性には、やわらかマシュマロがなくてはね」

 

<おお……こ、これは凄い。現代医学はここまで進歩していたのか!! 一日見ていても飽きなさそうだ>

 

「いや、ドクター!! これは医学とかそういう問題じゃないですから!! と言うか、突っ込む所はそこでもなくて!!」

 

「……一応、所長が気に入らないならロボットボディの他に、魂をコインに変換して私にコレクションされるというプランもあるけど……」

 

「……っ!!」

 

 恐ろしい二択を突き付けられ、オルガマリーは絶句、茫然自失。しかし、彼女の中で結論は既に出ている。

 

 死にたくない。誰にも評価されず、褒めてもらえず、認めてもらえない。そんなまま死んで消えて、忘れ去られるのだけは嫌だ。

 

 ならば。

 

「ううっ……背に腹は代えられないわ……し、仕方ありません。あくまでも一時的な措置として……お願いします、ロード・レンティーナ」

 

「了解したわ。それでは」

 

 オルガマリーの同意も得られた事で、フィオはロボットボディの別のスイッチを押す。すると、先程のカルデアスの時と同じようにオルガマリーの体が今度はロボットボディに吸い込まれていき……完全に吸い込まれた後、ロボットはピョコンと動き出した。

 

「しょ、所長……?」

 

『こ、これが私の新しい体か……お、思っていたより悪くないかも……し、しかし流石はロード・レンティーナ、まさか第三魔法を修められているなんて……』

 

「別に驚く事ではないわ。五つの魔法はそもそも根源に至った結果生まれたものか、根源に至る為の手段として開発されたもの。その点、私は生まれながら根源に繋がっているからね。私に使えない魔法は、一つも無いの」

 

 フィオはそう言って、レフに向き直る。

 

「さて……楽しんでもらえたかしら、レフ教授?」

 

「ああ、楽しませてもらった。実に……実に……」

 

 レフは、シルクハットを外す。

 

「貴様ほど危険な人間は見た事がない……!!」

 

 戦慄し、顔中を汗だくにしたレフであるが、しかし全身からは先程のセイバーやシャドウバーサーカーのものとはまた別質の、おぞましさを孕んだ魔力が迸る。

 

「我が王の為……貴様は今、ここで!! 確実に消しておかねばならん!!」

 

 レフの全身の肉が異様に隆起し、皮膚を突き破り、衣服を引き裂き、最早人の原形を留めない姿へと変貌していく。

 

 無数の目、目、目。

 

 それら全てが、フィオ達を凝視していた。

 

 醜い。想像上のどんな怪物よりも、ずっと。生理的・本能的に嫌悪感を覚えるその姿。地に突き立ち、天に迄届こうかという肉の柱。

 

「こ……こいつは……!!」

 

「ドクター、これは……!!」

 

『ああ、こちらでも感知している。この魔力反応は……サーヴァントでもない、幻想種でもない!! これは伝説上の、本当の”悪魔”の反応か……!?』

 

「その通り、改めて自己紹介しよう!! 私はレフ・ライノール・フラウロス!! 七十二柱の魔神が一柱!! 魔神フラウロス!! これが、我が王の寵愛そのもの!! この醜さこそが貴様等を滅ぼすのだ!!」

 

 レフが変じた肉の柱、魔神柱が身の毛もよだつような金切り声を上げ、無数の目の全てが異様な輝きを発する。

 

 と、ほぼ同時に爆発の如き衝撃波が縦横無尽に走ってフィオ達全員を呑み込んで消していった。

 

「……跡形も無く消し飛んだか……」

 

「いや、まだのようだよ? 残念だけど」

 

「!?」

 

 場に響くのは、今まで聞いた誰のものとも違う涼やかで柔らかい声。

 

 僅かに爆煙が晴れた時、そこに立っていたのは長い緑色の髪を風に流し、質素な貫頭衣に身を包んだ男のようにも女のようにも見える人物だった。

 

 彼、あるいは彼女だろうか? それが内包する圧倒的な魔力量から英霊である事は明らかである。

 

「迎えに来たよ、マスター」

 

 時間が経って爆煙が完全に消え去ったそこには、マシュも立香もフィオもオルガマリーもフォウも、全員がケガ一つ無く健在だった。

 

 大地から光を纏う無数の鎖が伸びて、それが折り重なりドームのようになって全員を守っていた。

 

「貴様は……」

 

「キャンサー、来てくれたのね」

 

 フィオは、この闖入者に心当たりがあるようだった。キャンサーと呼ばれたこのサーヴァントは、頷いて返した。

 

「あの、フィオさん……この方は……」

 

<な、何だ!? そのサーヴァントの霊基数値は!? 英霊の域を遥かに逸脱している!! 神霊クラスにすら手が届きかねないぞ!!>

 

 物凄く早口なロマンの声が聞こえてくる。いきなり現れたこのサーヴァントに、驚いているのはカルデアで情報を処理している彼だけではない。キャンサーと呼ばれたこのサーヴァントを目の前にしているマシュや立香達には、その圧倒的な威圧感が肌で感じられた。

 

 すぐ背後の、恐ろしい魔神柱ですら天秤の対として軽すぎるほどのビッグで、グレートな……否、そんな測りを全て振り切ったような超越的な力を、このサーヴァントは持っている。

 

「彼はキャンサー。私が、別の特異点修復の為に喚んでいたサーヴァントよ」

 

 と、フィオ。しかしその言葉に異議を唱えるように魔神柱が吼えた。

 

「バカな、バカな!! バカな……!! そんな力を持った英霊など……召喚出来る筈も無い!! 型落ちしたサーヴァント召喚の術式では……!! そ、それにキャンサーというクラスなど、エクストラクラスにすら存在しない筈……!!」

 

「別に難しい事じゃないわ。人間の体を触媒として英霊を憑依させる疑似サーヴァント召喚は、既に理論として確立されている……これはその、ちょっとした応用よ。まずはキャスターのサーヴァントを召喚し、そしてそのキャスターにランサーのサーヴァントを憑依させる形で召喚する。要するに、疑似サーヴァント召喚の人間を、サーヴァントに置き換えただけよ。キャスタープラスランサーだから、キャンサー。尤もこれは、キャスターとランサーの間に、極めて強い繋がりがあったからこそ出来た裏技だけどね」

 

「強い、繋がり……だと?」

 

「そう。ランサーの姿はキャスターの姿を模したもの。そしてキャスターの中には、ランサーから奪った力が存在している。そうした共通点があったから、二体のサーヴァントを『重ねる』事が出来たの」

 

「……それって……まさか、まさかその英霊は……っ!!」

 

「ランサーとしての僕の真名はエルキドゥ。そして僕の触媒となっているキャスターの真名は、ウルクの聖娼シャムハト。マスターの説明にあったように今の僕のこの姿は、彼女を模したものだよ」

 

「エルキドゥと、シャムハトの組み合わせ……!? まさか、それは……!!」

 

「ど、どういう事なんですか、所長!?」

 

<それは僕から説明しよう!!>

 

 ロマンから、通信が入る。

 

<エルキドゥは神々によって創り出された兵器であり、本来は野の獣と変わらない存在だったんだ。それが一人の聖娼と出会う事で力の大半を失う代わりに、多くの認識・人間性を得たとされる。その聖娼が、シャムハト……つまり今のエルキドゥには彼が本来持っていた十全な力と、力を手放した代わりに得た知性の双方が備わっている事になる!!>

 

「つまり、それは……」

 

「う、お、ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」

 

 立香が何か言おうとしたのを遮って、魔神柱が攻撃に移った。

 

 どこか焦ったような叫びと共に全ての目が先程よりもずっと強く輝き、暴風の如き衝撃波が迫ってくる。

 

 しかし。

 

 キャンサーが、軽く手を一振りする。

 

 それだけで、全ては済んだ。

 

 一振り、只の一振り。それだけの動作で生じた威力は衝撃波を完全に消滅させ。

 

「こ……こんな……バカナァァァアアァアァァァァッァアッ!!!!」

 

 更にはその先に居た魔神柱フラウロスですら、その肉の一片・血一滴すら残さずに消し飛ばした。ほんの、戯れの如き一撃で。その威力はそれでも尚衰えを知らず、大聖杯の一部を削り取って円蔵山に風穴を開けてしまった。

 

「……凄い……」

 

 あまりにも衝撃的で、あまりにもあっけない結末。

 

 マシュは、そう呟くのが精一杯だった。

 

 しかし、どうやら驚いてばかりもいられないようだった。

 

 彼女と、立香。それに二人に抱えられたオルガマリー入りロボとフォウの体を、光が包んでいく。

 

「これは……」

 

「……退去現象ね。この特異点の修復は為されたから……本来はこの時代の異物であるあなた達の、強制退去が始まっているのよ」

 

 それは、別れの時が来たという事でもあった。

 

 短い間ではあったが、多くの事を教えてくれた大切な師との。

 

 こうしてこの時代に留まれる時間は、もう一分とはあるまい。ならばその前に、伝えておかねばならない事があった。

 

「あの、フィオさん……!!」

 

「ん?」

 

「本当に、ありがとうございました!!」

 

「お世話になりました!! お元気で!!」

 

 頭を下げるデミサーヴァントとマスターに、フィオは会心の笑みを見せる。

 

「……マシュちゃん、そして立香くん……これから、あなた達の行く手には沢山の困難が待ち受けているだろうけど……どうか、私の教えた事を忘れないで。どんな時も、私はあなた達と一緒に居るから。そして……この言葉を、あなた達に。人類はどんな逆境にも立ち向かう力がある。未来を勝ち取れ!!」

 

 それが、最後だった。

 

 二人の視界を光が満たして、世界が移り変わっていく。

 

 

 

 

 

 

 

「……ほら、立香くん。マシュちゃん。いい加減起きなさい!!」

 

「う、うう……」

 

 レイシフト用の霊子筐体・コフィンが開き、立香が体を起こして……そして目に入ったのはカルデアの天井、壁、カルデアス……それに隣のコフィンから起き上がっているマシュと、その腕に抱えられたフォウとオルガマリーの魂が入ったロボット……そして、フィオだった。

 

「え?」

 

 そう、フィオが、そこに居た。

 

「な!? 何でフィオさんがカルデアに!?」

 

「ゆ、夢……? い、いえ、先輩と二人で同じ夢を見るのはおかしいですし……」

 

「あぁ、それがね……僕も最初に事情を聞いた時、耳を疑ったんだけど……」

 

 フィオのすぐ後ろに居たロマンが、後頭部を掻きながら話し掛けてきた。彼はフィオと目線を合わせて、頷き合う。ここからは説明をフィオに引き継ぐという合図だ。

 

「立香くん、あなたが冬木市から退去する瞬間、私はあなたの魔術回路を間借りして……私自身を触媒として私をキャスターのサーヴァントとして召喚させたの。それで、レイシフトにくっついてきた、というカラクリよ。言ったでしょう? 私は、どんな時もあなた達と一緒に居るからって」

 

「は、はぁ……」

 

 二度と会えないと思っていたのに、何だか騙された気分だ。しかし、不快ではない。

 

 加えて、こうなってはもう笑うしかない。立香とマシュの感想は一致していた。何から何まで、この人は規格外だと。

 

「まだまだ教えたい事は沢山あるし……それに所長にも、ちゃんとした人形を用意しなくてはならないからね。勿論、今後のグランドオーダーについても、協力させてもらうわ。このカルデアに来て分かったけど……本当、色々と事情が込み入っているようだし……ねぇ? ドクターロマン?」

 

 キャスターのサーヴァントはすぐ隣に立つロマンを見て、ふっと笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 立香達が退去した後の冬木市。

 

 急速に修復が進んでいく特異点の中を、フィオとキャンサー、アサシン、バーサーカーは歩いていた。

 

「……良かったのかい? マスター。君なら肉体ごと彼等に付いて行く事も難しくはなかった筈だけど」

 

 キャンサーの問いに、フィオは「まぁ……ね」と少しだけ言葉を濁した。

 

「人類史が2016年で終結するという案件を軽く見ている訳じゃないけど……でも、例の特異点での戦いも同じように重要よ。キャンサー、あなたが私を迎えに来たのもそれが理由でしょう? 戦況はどうなっているの?」

 

「……今は、五分五分だね。ギルとオジマンディアスとセミラミスの宝具を同時展開した複合城塞に全員が搭乗し、レオニダスとヘクトールが指揮を執って応戦しているけど決定打に欠ける状態……そして恐らくは次が最後の戦いになる。だから、君に戻ってもらう為に僕が迎えに来たんだ。マスターが居ると居ないとでは士気は勿論、魔力供給の効率にも大きな差が生じるからね」

 

「うん……分かっているわ。私の方こそ、事情があるとは言え一時離脱を承諾してくれたみんなには感謝してるわ……じゃあ……!!」

 

 フィオは懐からフラスコを3つ取りだし、地面に放る。

 

 ガラス製のそれはあっけなく割れて、中に入っていた水銀が地面に零れ、それらは意志を持っているかのように動いて精緻な魔法陣を描き出していく。

 

 膨大な機器と人員による計算によってカルデアで行われているレイシフト。遥かなる時の旅。それをたった一人、フィオの力によって為す為の。

 

 魔法陣全体が光を発し。その中に足を踏み入れた4人を包んでいく。

 

 この光は異なる時代を繋ぐ門。

 

 カルデアでも感知していない、未知の特異点への道標。

 

「征きましょう、7月4日のアメリカ……人類の独立記念日へ!!!!」

 



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