当日の記憶を忘れないためにメモを記す。
地震前
C103(コミケ)に参加していたため、1月1日午前は宿のある藤沢にいた。
当初は19時頃に新横浜を発つ予定であったが、数日無理をしたのがたたってか身体が非常に重たく、動く気になれなかったため予定より8時間ぐらい早い11時半頃に新横浜を発つ。
15時過ぎに自宅に到着。地震を出先ではなく自宅でむかえられたので、新幹線の見合わせに遭わなかったため結果的に好判断だった。
地震発生時
16時12分頃、PCチェアに座ってPCに面していたが、妙なぐらつきというかゆらぎのようなものを感じる。画面の端をふと見ると、端のすぐ横手を通るモニターから伸びるHDMIと電源ケーブルが揺れていたので、ようやく地震が起きていると認識した。
どこで地震が起きたのだろうかとTwitterを見ると、能登半島を震源とする最大震度6強、さらに津波警報が表示された画面を目にする。(数分後に最大震度7と大津波警報に変わる)
また、16時10分の地震の直前にも地震(16時6分の地震)があったこと知る。これについては播磨では感じなかった。
その後も震度5や4の比較的強い地震が続く。
余震の規模といい、短いスパンで相次いで起こるといい、実際に能登で体感した2007年の能登半島地震のような印象を受けた。
16時25分頃、祖父母、ついで父との連絡に成功。無事を確認。震度7の揺れがあった志賀町(ただし、旧富来町のあたり)の父母の住居(高浜付近)は健在だったが、棚等が倒れかかったとのこと。
1日23時3分に再び「震度7の地震」が速報されたが、播磨では揺れを感じず、また地震発生時刻の映像も揺れておらず、各地の震度マップも16時10分のものと同一だったため、誤報と確信。23時20分頃に震度7の発表は誤り(実際は最大震度3)だったと気象庁が訂正。
1日夜、輪島と珠洲で火災。テレビ金沢の配信映像を見る限り輪島の火災は鎮まっていく気配がない。
2日1時半現在、北陸道が丸岡より先で全面通行止め。数日は影響が出ると思われるので、行けそうにないが通行可能になったら速やかに帰石し、自宅と墓等の被害確認に向かう。
■追伸
被害が少しでも小さくなるように祈る。