山本太郎、煉獄コロアキ、津田大介、へずまりゅう各氏らが被災地入りして批判されている件で
なんかガッツchを入れて迷惑系活動家五虎将とか、堀潤加えて六芒星みたいになってますが、地震など激甚災害が起きると売名に打って出るというか、存在証明をしないと沈んじゃう人たちが新興宗教の勧誘的な一発芸に打って出るのが定番になってきてるなあと思うんですよ。
同じハコに入ってしまいましたね。
石川県や、輪島市珠洲市が「ボランティアは募集していません」と宣言しているのに、現地NGOやNPOに呼ばれた体にして被災地に身軽に行こうとし、結果的に物資が足りなくて現地調達したり不要不急にもかかわらず無駄な渋滞の一部になったり、何をしに行っているのかと意見を出されるのは仕方がない面はあると思うんですよね。現地に行ったってYoutubeで「これが足りません」とか「被災民は困ってます」みたいなルポやるのがせいぜいでしょうし。
さっき、現地にいって10以上のNPOとも会ったという山本太郎が小学生の感想文のような提言を総理の岸田文雄さんや石川県知事の馳浩さんにX(Twitter)上でしたためていて、これには共産党員も苦笑いの展開となっています。馬鹿なんだなあと改めて思いますが、馬鹿だから被災地に行ったのだと考えれば何となくしっくりします。
他方で、災害報道のあり方みたいなのは今回のように交通状況の悪い能登半島の先で起きてることをマスメディアが伝えるときの伝え方の問題みたいなのはまた出てきています。
この辺の西田亮介さんの指摘もそうですが、単純に「膳場貴子は良いけど堀潤や津田大介はなぜ駄目なのか」とかそういう公益性がありそうなマスコミの壁ってやつですね。災害時に、大手マスコミに求められる「国民の知る権利」の実現ですが、こんなもの新聞各社や各テレビ局がこぞって現地入りして被災地の負荷をかけてまで似たような報道をする必要があるのか、というお決まりの議論が出てきます。
また、今回は災害報道ですが、ガザ地区やウクライナ、スーダン、シリアなどでの紛争関連報道なんかも危険を省みず現地入りするジャーナリストの意味や、そこで得られる知見が社会を動かす報道に直結するかどうかといった価値の問題を孕みます。線引きが難しいところですよね。現地で被災民のための炊き出しやカレーを喰う馬鹿がどれだけの価値のある発信を被災民のためにしたのかということに尽きます。
裏を返せば、このあと能登地震の経緯を振り返るときや、似たような災害が起きたときに「ボク、現地に行きましたけど」という前置きで箔をつけるためのアリバイに過ぎません。山本太郎のような政治家であれ、津田大介のような活動家であれ、被災者に寄り添ってる風の態度を見せたり、政府対応を批判するための具にしたり、コタツにしないための努力という風には思います。それが信者商売の原点だろうし、10人が見て、9人はなんだあいつと批判しても1人いるかいないかの「アイツは凄い」と思う人のために、呼ばれた感じで被災地に入るのはナチュラルにやってのけるし、それが社会で生きる飯のタネとなっているのは仕方がないことだろうとは思います。
こういうのを見る限りでは、いかなる口実が彼らにあったとて、そういうアリバイを立てて何か言うたびに「でも、お前らは政府も現地自治体も『来ないで』という被災初期に現地入りして負担かけましたよね」と、懇切丁寧にケチをつけることがネット社会側の責務となっているのでしょう。お前らのやってのけたことは、迷惑系Youtuberどもと同じハコです、と。
さすがに福島第一原発事故での経緯や沖縄、熊本、北海道に今回の能登と、カルト的な党派性も含めたカラクリはネタバレをしてしまっているし、迷惑系Youtuberも枯れてきているぶん、焼き畑にならざるを得ないのでしょう。東日本大震災のように、マジヤバイ原発事故まで併発した一件のころよりは、ネット社会も成熟してきているでしょうから。
アテンションエコノミーの観点から言えば、そういう余計なことでも目立てばカネになる、批判が殺到しても社会的にはビジネスとして成立するわけですから、正直ネット経済のあだ花だなあと思います。
やはり、ネットでは馬鹿に対して馬鹿と言える健全性をきちんとキープし、カルト的な商売をやっている連中に対してはきちんと批判して、顔真っ赤になるほど嫌な思いをしてもらうことが、こういう事例では大事なことなのではないかと感じました。
画像はAIが考えた『荒廃した被災地で自衛隊や消防職員などの皆さんが対応している横で、泣きながらアレが足りないコレが足りないと騒いでいる馬鹿の皆さん』です。