実は娘妊娠中、死にたかったことがありました。
肺炎罹患し、抗生剤三昧、検査三昧(CT)、そんな辛い状況で意識も曖昧で、薬品や医原まみれ中
ほとんど覚えていない中でのイレギュラーな妊娠。
ゴリと義母が「今回は、諦めよう」と言った中、私は揺るがなかったし「離婚しても産むよ」と宣言。
実母が反対せず「あんたは大したものだよ」て背中押してくれたっけ。
でもやっぱり反対の中でギスギスはあったし
ゴリが「女の子以外、有り得ない」とか普通に言ってきたり
産む以上お金の問題も覚悟しなきゃいけないから、産後3ヶ月で仕事復帰もしたし
みんな母乳育児できたのに娘だけは諦めた。
保育園で母乳しかダメで泣いてる赤ちゃんたくさん見てきたから
最初から哺乳瓶にしたな
唯一それが心残り。
無理して働いて、椎間板ヘルニアになったり
ボロボロな中、ゴリはやりたい放題で(女性関連)
ゴリはアプリとかではなくて、リアル女子じゃないとダメだから
仕事もできて(公務員とか)、ある程度ルックスもよくて、若くて。
だからすぐ職場恋愛になる。
何度も言ってきたけど、仕事のパートナーとかに恋愛感情て1番きつい。ただの愛だの恋だのの間に尊敬や信頼が生まれるから。
不倫とかの道ならぬ恋なら火遊びていどに割り切ればいいのに、その恋愛部分に互いに尊敬が生まれると、本当にきついよね。
まあ、そんなんで普通に家の階段の手すりみて、死ねるかな…て思ったときはあったよ
辛かったし、苦しかった。
幸せな赤ちゃん育児がただ苦しい1年の記憶しかない。
1年くらいかけて、死にたくなったり 鬱になったり もがいたり、すがったり 拒絶されて
だんだんだんだん 私は必要とされず孤独なのだと
気づき
ゴリに対して諦めから、嫌いや軽蔑に変わっていった気がする。
あのとき自分の人生が壊れた気がした。
暖かい夫婦とか、そんなのは夢
とにかく子供たちを幸せに
子供のために
あのときは転職先にいた癒し先生や義勇主任(理学療法士)に仄かに恋をし
自分の心を守り奮い立たせていたと思う。
blogをみて、婚外やセカンドパートナーの人たちがしていることを見ると
そのときはそれが正しいことのように思えて
というかみんなしてるし、大義があるならそれさえも正しいと正当化したくて安心したかったのかもしれないし
でも結局はそんな器用なことができる訳もなく
自分はなんなんだろう?
夫から愛されない私はなんなんだろう?
そんな思いから、ほんの1年半前、籍を抜いたのてすが
すぐに別に暮らせたわけでもないし
自分の人生は失敗策のように思えた。
でも、今はこんな形の両親や家族の形を子供たちは需要してくれ
次男に至っては、ゴリのLINEを盗み見ては
○○て名前の女とニヤニヤしてやりとりしてたよ〜
とかどうでもいい情報を流して下さり ㅋㅋ
私がウリと電話をしてると「ママ〜」てニヤニヤ応援してくれるようになった。
長男が私のiPhoneを見てる時にウリからLINEがきて
読み上げられたときは、恥ずかしかったし
ウリも恥ずかしい〜(/ω\*)て言ってたけど
なんとなく私が幸せそうなのを子供たちが理解しだして
それを嬉しそうにしてくれて
私の幸せをともに子供たちが喜んでくれることが、ありがたいな
娘は最初、あれでしたけど
シェリーメイのお土産をヨボからもらい、
さらにウリヨボの写真を見たら
「超かっこいい…この人、芸能人でしょ?」
て言っていて 単純でよかったㅎ
今はなんとなく、7年前の苦しみから
やっと凍土が溶け始めて
幸せだと思えるようになりました。
ヨボも私のナイトだけど
我が家の男子たちが私の苦労や涙を人一倍見てきたし
暴君のゴリからいつも守ってきたから、(ゴリはどんなに怒り狂っても、私がいつも理詰めに問うので反論できなくなる)
今になり男子たちに守られてる気がします