貧困を劇的に改善できて、超絶コスパも良い政策があるかも、という話。
ほづみゆうきです。社会人大学院生やってます。今日は研究に関するテーマを。
「一億総中流」などと言われたのははるか昔、今の日本は貧富の差がそれなりに多い国です。2018年の相対的貧困率は15.7%。これはOECD加盟国の中でも酷い方でして、35カ国中で28位。特に深刻なのはひとり親で、貧困率は何と48.3%。つまり、ひとり親の2人に1人は貧困状態にあるのです。これはOECD平均の32.5%を遥かに超える数字。推移はこんな感じ。
2010年前後に「相対的貧困」という数字を厚労省が取り上げるようになったことから関心が集まり、子どもの貧困率、ひとり親の貧困率は多少改善の方向性にはあります。ただ、見ての通りまだまだ高い水準にあります。
いつまでも改善しない貧困の問題、どうすれば良いか。単純な話、貧困を解消させるためにはお金を配れば良いわけです。しかし、当然それには多くの財源が必要なので、所得が低い人に対してできるだけ効率よく配らないといけません。また、誰にでもお金をばらまいてしまえば働こうという意欲も失われてしまうので、この点も配慮する必要があります。
今困っている低所得者の人たちを対象に効率的に給付することで劇的に貧困率の改善して、さらには自立を促すことが期待できる。しかも、それほど財源を必要としない。そんな都合の良い政策があれば良いと思いませんか?「そんなうまい話なんてねーよ」と思っちゃいますが、意外に良いんじゃない?と思うものがあったのですよ。それは米国のEITC(勤労税額控除。給付つき税額控除とも言われたりします)という制度。
劇的に貧困率を減少!
しかも、就業率も向上!
さらに、超コスパ良い!
という、にわかには信じがたいようなシロモノです。そんなにうまい話があるのかよと思っちゃいますが、様々な論文でレビューされていて、総じてポジティブな内容。最近見た中で、いくつか例示します。
EITCは米国で最大かつ最も重要な公的支援プログラムの一つであるが、実際には米国で最も費用のかからない反貧困プログラムの一つである。(“ … the EITC is one of the U.S.’s largest and most important public assistance programs, the EITC is actually one of the U.S.’s least expensive anti-poverty programs. “)
- Jacob E.Bastian Maggie R.Jones. Do EITC expansions pay for themselves? Effects on tax revenue and government transfers. Journal of Public Economics, 2021, Volume 196. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S004727272030219X#!
福祉国家、米国での最大かつ最も議論の余地のない制度
“ … one of the largest and least controversial elements of the US welfare state …”
Austin Nichols & Jesse Rothstein, The Earned Income Tax Credit (EITC). NBER Working Papers, 2015, https://www.nber.org/papers/w21211
(この制度には)人々の就労を促し、貧困を削減するといった 短期的な利益と、受給世帯に住む子どもたちの健康状態や教育達成度の向上に関連する長期的な利益の両方が含まれます。(“ … This includes both near-term benefits, such as encouraging people to work and reducing poverty, and longer-term benefits related to improvements in health and educational attainment for children who live in households that receive the EITC. ")
- Elaine Maag, William J. Congdon, and Eunice Yau. The Earned Income Tax Credit: Program Outcomes, Payment Timing, and Next Steps for Research. OPRE Report 2021-34, 2021. https://www.nber.org/papers/w21211
こんな感じで全体的に称賛されているものがほとんどです。また、評価がはっきり定まっていないような最近できた制度ではありません。1975年に初めて導入され、その後に貧困解消に大きな効果が認められたことから徐々に受給できる人の範囲や給付額を拡大してきているという、信頼と実績のある制度なのです。
都合の良いことばっかで、なんか胡散臭い健康食品の紹介ページみたいになってますが、それはわたし個人としてはこの政策が素晴らしいように思えてまして、色々と前提は違うのでそのまま導入はできないにしてもまずはその議論を盛り上げていきたい!という思いからです。実はわたしは社会人大学院生をやってまして、その修士論文の研究テーマだったりします。まだまだこれからではあるのですが、ひとまず制度の概要や特徴について書いてみたいと思います。
どういう制度なの?
まずは制度の概要について。これは、基本的には所得税の控除の仕組みです。日本でも実際の所得の金額に対して扶養家族がいると「38万円」とかの控除の仕組みがあるのと同じ。大きな違いは「控除額の中で余った分は給付する」という点。控除だけでなく給付もあるとどんな感じで嬉しいのか、この部分が重要なポイントなので、具体的に考えてみましょう(金額や税金は説明のために簡略化してます)。
パターン1:控除も給付もない場合
ある家庭では100万円の収入があって、特に控除も給付もなしだと税率10%で10万円の所得税がかかるとします。これを表したのが以下の絵。
パターン2:控除だけある場合
次に、控除だけあるパターン。この家庭は控除の対象で、最大50万円が控除されるとします。しかし、本来税金として支払うはずだったのは10万円なので、実際にはこの10万円が控除されるだけ。控除枠は40万円(50万 - 10万)余ってますが、それは使われないまま。なので、結果的な所得は100万円。これが今の日本。
パターン3:控除も給付もある場合
最後に、控除も給付もあるパターン。これが米国の例。この場合、控除の部分はパターン2と同じ。違うのは残った控除枠の扱いで、残りの控除の枠の金額の分だけ現金給付されます。この場合だと40万円。税金の還付みたいなものですね。なので、この家庭の所得は全体だと140万円。
つまり、働いて得た所得では100万しか稼げなかった人でも、この給付があることによって大きく手取りの所得が増やすことができるようになるのです。このような感じで、所得の低い人に対してドカンと現金給付しちゃう(そして貧困を解消する!)のがこの仕組みです。
もちろん所得の金額に応じてその控除額は変わっていきます。所得が上がるごとに控除の金額は徐々に減っていって、一定の所得を超えると控除がゼロになります。基本的なところはこんな感じです。以降、もう少し詳しく特徴をいくつか挙げていきます。
ポイント1:働くことが受給の条件
米国の制度の大きな特徴は、働くことを条件としていることです。働いている人でないと、この税額控除はそもそも受ける資格がないのです。これは、これまでの低所得者層向けの支援策が働こうという意欲を失わせてきたという強い批判から来ているもので、ワークフェア(Work + Welfare)などという言葉があったりします(働けない人への支援としては生活保護のような仕組みがあります)。
控除額の上限にも工夫があって、控除額はその世帯の所得に応じて変化します。そのカタチは台形状で以下のようなもの。横軸が「所得」で、縦軸が「控除額」。つまり、働きはじめの段階では働ければ働くほど控除額が増える(実質的な所得が増える)、そしてある程度所得が増えた段階以降では控除額が減っていくという仕組みになっているのです。
それぞれの地点でどうなるのかを具体的に見ていきます(金額部分は簡略化してます)。
A地点(所得が5,000ドル)
働いて得られる所得に応じて控除額も増えていく段階。控除額は1,500ドルで、総所得は6,500ドル。所得に対する給付額は30%。働くと3割増で所得が増える、という状態。
B地点(所得が15,000ドル)
控除額の上限に達して、所得を増やしても控除額が変わらない段階。控除額は3,500ドルで、総所得は18,500ドル。所得に対する給付額は23.3%。A地点ほどではないが、この段階でも働くことで2割程度の給付がもらえる。
C地点(所得が30,000ドル)
所得に応じて控除額が少しずつ減らされる段階。控除額は2,000ドルで、総所得は32,000ドル。所得に対する給付額は11.7%。控除額は減るが、実際に稼いだ所得が増えているので所得総額は高くなる。
このように、段階に応じて給付の割合を変えることで働くインセンティブを高め、働いていない人にはできる限り働いてもらう、少し働いている人にはもっとたくさん働いてもらおうというのが大きな特徴です。
ポイント2:子どもの数で控除額が変わる
次のポイントは、子どもの数に応じて控除額が大きく変わるという点。先ほどのグラフでは線は1本でしたが、実際のものは子どもの数によって複数の線があります。こんな感じ。
子ども1人の場合の上限は約3500ドル、一方で3人以上の家庭では約6600ドルの控除額となっています。一方で、子どもがいない世帯への控除はかなり控えめ。このように、子どもの数が多ければ多いほどに控除額も大きく、控除の上限となる所得額も大きくなっています。これは、この政策が特に子どものいる低所得者層に再分配を行うことを目的として作られたことに起因しています。
ポイント3:給付額が大きい、対象者も多い
3つめに、これまでの例でも出てきてお気付きかもですが給付額がかなり大きいということです。子どものいる家庭での平均給付額は3,200ドル。現在は1ドル110円なので、日本円だと35万円。先ほどの説明のとおり所得や子どもの数に応じて給付額は変わるものの、所得の低い人にとっては働いて得た所得に対して20〜30%というかなりの高い割合になっています。これが家計での重要な収入源になっていて、この給付によって多くの人たちが貧困を免れていると言われています。
また、受給している人の数も非常に多いです。申告数は2016年時点で2,700万人。全納税者の20%、子どものいる納税者の44%が何らかの控除を受けているとされています。トータルでの控除額は670億ドル。日本円換算だと7.4兆円。デカい。
ポイント4:必要性についての審査が存在しない
最後に、これも重要な点ですが給付の必要性についての審査がないということです。例えば日本の生活保護の受給にあたっては様々な審査が行われます。その人の資産が本当にないのかであったり、他に頼ることができる親族がいないかなど。この制度にはそういったプロセスはなく、あくまで 世帯の人数とその世帯での収入額に応じて給付が行われるようになっています。
したがって、何かの「後ろめたさ」を感じることなく、給付を受けることが可能です。これは福祉の観点から極めて意味のあることです。というのも日本で生活保護の受給率が低いとされていることの理由として、この「後ろめたさ」の問題が指摘されているためです。また、もちろん贅沢品は持てないといったような生活に対して口うるさい制約もありません。
まだまだあるはあるのですが、ひとまずこの程度で。ざっくり言うと、低所得者を対象にかなり気前の良く現金給付のバラマキをすることで、働ける人はできるだけ働いた方がトクだというように動機づけしようというのがこの制度の意図です。
どんな結果をもたらしたのか?
さぁ、それではこの政策によってどういう成果が出たのでしょうか。冒頭では煽りだけだったので具体的なデータで見ていきます。かなり多くの論文が出ているので全部網羅できているとは到底思えないのですが、わたしがこれまで読んだ中でパンチのある内容をいくつか。
データ1:貧困の減少
まず、貧困の減少という点です。2013年のデータで貧困率とこの制度との関係性を調査したところ、子どもの貧困率について、この制度だけで22.8%から16.4%と、6.4%も減少させたという結果が出ています。
別の調査では、この制度に加えて別の制度も含めての数字ではありますが2018年には2,810万人の貧しい人たちの所得を向上させ、1,060万人が貧困を脱して(貧困線を超える)、1,750万人の貧困を軽減したことが明らかになりました。この数字には1,190万人の子どもが含まれており、そのうち550万人が貧困から脱却し、さらに640万人が貧困を軽減した、とのことです。
出典:
- Kathleen Short, The Supplemental Poverty Measure: 2013. Current Population Reports, Issued October 2014, https://www.census.gov/library/publications/2014/demo/p60-251.html
- Sam Washington, Child Tax Credit and Earned Income Tax Credit Lifted 10.6 Million People out of Poverty in 2018. Center on Budget and Policy Priorities, 2019, https://www.cbpp.org/blog/child-tax-credit-and-earned-income-tax-credit-lifted-106-million-people-out-of-poverty-in-2018
データ2:就業率の向上
次に、就業率の向上。1984年から1996年の間に米国ではシングルマザーの就業率が週単位の雇用で6%、年間の雇用は9%上昇しました。この要因が何にあるのかを分析したところ、60%程度はこの税制の変更によって説明可能という論文があります。
他にも多くの論文で研究が行われており、調査年や対象とするデータによって影響の大小はあるものの概ね合意があるのはシングルマザーの働くインセンティブを与えることで就業率を向上させるという点。ただ、この就業率の向上はひとり親の女性以外にはマイナス影響、それと賃金の減少の効果もあると言われています。
出典
Bruce D. Meyer, Dan T. Rosenbaum, Welfare, the Earned Income Tax Credit, and the Labor Supply of Single Mothers,The Quarterly Journal of Economics, Volume 116, issue 3, 2001, p.1063-1114 https://academic.oup.com/qje/article-abstract/116/3/1063/1899757?redirectedFrom=fulltext
データ3:高い費用対効果
最後に費用対効果、いわゆるコスパの部分です。どれだけ貧困率が解消されようが、それに莫大な財源が必要なのであれば国債頼りの日本の財政では負担を将来に回すだけです。この点について、受給者の就業による納税や生活保護費の抑制によって純粋にかかるコストは事業費の総額のたった17%程度なのではないか、という論文が2021年に発表されました。
詳細は省きますが、これまで米国政府はEITCの上限額を少しずつ上げてまして、研究の中身はこの上限額の上昇をすることによって雇用率や納税額、生活保護の受給額などがどのように変化したのかを分析する、というもの。
その結果、上限額を1,000ドル増額するごとに政府は1人当たり349ドルに支給。一方で、この制度の対象者はより多く働くようになることから平均で48ドルの税金を納めてくれるようになった。さらに、働いて得る所得と給付によって家計が改善することから、平均で243ドルの政府移転支出(生活保護など)が減った。 これらのプラスの影響を考慮すると、支給額349ドルのうち291ドル(48ドル + 243ドル)は相殺できると考えられる。残りは57ドルで、これは支給した349ドルの17%なので、純粋にかかるコストは事業費の17%という話です。
出典: Jacob E.Bastian Maggie R.Jones. Do EITC expansions pay for themselves? Effects on tax revenue and government transfers. Journal of Public Economics, 2021, Volume 196. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S004727272030219X#!
ぜひ政府で検討を始めてしてほしい!!
米国のEITCについて紹介してきました。もちろん、制度面でも文化面でも全く異なるものをそのまま移植して同じ効果が出るわけではありません。たとえば、日本の現状で言うとシングルマザーの就労率はかなり高いので新規に就労するというプラスの効果はあまり望めないかもしれません。ただ、貧困の解消という点ではワーキングプア状態にある方に大きく効果があることから、かなり大きな効果が期待できます。
わたしとしては政策の選択肢を増やし、少しずつでも試していくことが大事ではないかと考えます。これまで書いてきたとおり、様々なメリットが挙げられている制度であって、日本で導入するとした場合にどういった影響があるのか、コストはどの程度かかって、たとえばどの程度貧困率が下がるのかといったシミュレーションを考えるのは重要なことではないでしょうか。
この2021年10月は政権交代があって、さらに月末には衆院選が控えているという政治が大きく動く時期。ぜひ、これを機会にこういう政策があることを知ってほしいし、ぜひ前向きに政府でも検討してもらいたいと思います。
ちなみに、自民党・公明党は現状だと後ろ向き。数年前に消費税増税の際の低所得者への負担軽減策として野党から議員立法が提出されたものの、否決され具体的な検討を行うには至ってません(その結果できたのが軽減税率)。
一方で旧民主党系は政権取ってた頃に一部議論を進めるなどわりと前向きです。国民民主党、立憲民主党は今回の衆院選の政策の中にはこの政策を意図しているのだろうと思われる記述が見られます。
国民民主党の方ははっきり書いてます。
https://new-kokumin.jp/policies/policy02#04
立憲民主党の方はちょっと違うこと言ってるかもですが、給付金支給という点は近い。
https://cdp-japan.jp/news/20210927_2194
おまけ
特に、この政策は近年のホットトピックとも大きく重なる部分があるように感じています。また別の記事として改めて書くかもですが取り急ぎ並べておきます。
★ こども庁
この制度は、今盛り上がっている子ども庁案件です。基本的に子どもを持っている世帯向けの政策で、子どもの貧困率の減少に大きな効果が期待できます。言うまでもなく、貧困は子どもの成長や教育、学歴に悪影響を及ぼします。そして、その影響はその子どもたちが大きくなっても残ります。
残念ながら少子化という問題はなかなかまだ解決の糸口がつかめていません。そうすると次に考えるべき対応としては家庭を問わず生まれてるくる子ども達一人一人を大切に社会で責任を持って育てていくというスタンスではないかと思います。生まれによって生活の環境だったり教育の機会といったものが制約されてしまうことは出来る限り社会が介入してなくしていく必要があります。そのための手段として、この政策は十分に効果を発揮するのではないかと考えます。
米国の事例では、所得の低い家庭に対して給付が増えることによって成績や進学率が上がるという研究結果が出ています。こういった政策を導入することは、今だけでなく今後のすべての子どもをこども庁の大きな成果として刻まれることになるのではないかと
★ デジタル庁
また、デジタル庁ともけっこう大きく関係してます。この制度の肝は、いかにその人の所得の情報を効率的に把握するかという点にかかっています。これをこれまでどおりの紙媒体&窓口受付をやるとすると不正確な上にめちゃくちゃな行政コストがかかります。手続きをスマホとマイナンバーカードで簡単にできるようになれば利便性が大きく向上する上、行政コストも大きく抑えられるでしょう。
なお、日本の議論で言われているのは社会保障番号の不在によって、所得の把握が難しいのではないかと言われていること。マイナンバーがそれに当たることから、この普及というのは大きなハードル。もしかしたら、この制度の利用のためにはマイナンバーカードが必要、とすればカードの爆発的な普及にも寄与できるかもしれません。
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