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俺が抱き締めてやる。

幸せな人は大体似たようなことを言うから退屈で、不幸な人はいろいろなことを言うから面白い。誤解を恐れずに言えば、鬱なんか治さなくていいよ。メンヘラなんか治さなくていいよ。その愚痴、その嘆き、イカしてるよ。歌にすると、結構痺れるものになると思うよ。あなたはきっと音楽が向いているのだと思う。天性のロックンローラーなのだと思う。みんなが正月気分で浮かれている時に、中指突き立てて「ふぁっきんにゅーいやー」とか言っちゃう感じが、一部の層から熱狂的な支持を得るのだと思う。そう言う人がいる世界は、そう言う人がいない世界よりも、間違いなく豊かだ。世界の豊かさに貢献することで、多様性の幅を広げている。

自分に自信がないことはダメなことだとされるが、私には、自分に自信がない者は貴族に見える。人生を無駄にすることはダメなことだとされるが、私には、人生を無駄にする者は贅沢に見える。人生を無駄にすること以上に、優雅な遊びがあるだろうが。極論だが、人生とは「人生を棒に振るだけの価値あるものを見つけ出す宝探し」みたいなものだと思う。それを、現在進行形で実行している人々は貴族以外の何者でもない。過剰な自己卑下を続けるのは、下々の人間に申し訳が立たないからだ。表面的には謝っているが、内心では変わる気なんてさらさらない。繊細そうに見せかけて頑固。儚げそうに見せかけて太々しい。真面目だから鬱になると言うのは真っ赤な嘘だ。本質的にロックンローラーだから、貴族の嗜みとして鬱になるのだ。

依存とは宝探しである。依存するなら依存しまくれ。その代わり、お宝は山分けでお願いします。スマホ依存も問題ない。ゲーム依存も問題ない。ただ、中途半端はダメだ。もっとやれ。もっとダメになれ。キラッと光る何かを見つけたら突っ走れ。死んでもいいから突っ走れ。デジタルデトックスとか知ったことか。やめろと言われてもやめない。俺は宝探しの最中なんだよと突っぱねる。その代わり、しぶとさを忘れちゃならねえ。意地でも宝を拾い出す。そのマインドが大切だ。周りから見たらただのゴミでも構わない。この世の全ては美しいゴミなのだと言わんばかりの勢いで、自分にとっての最高を掴み取る。それが、男(女)の矜持である。

幸せな人たちは「今が一番若いのだから」と言いたがる。だが、不揃いの貴族たちは「今が一番若いだと?今が一番老けているのだ!どうだまいったか!わっはっは!(虚無)」という感じで、クソ親父最後の悪あがきを見せたがる。幼少期に親に愛された記憶がないんだねとか、自己肯定感が低いんだねとか言われても「うるせえ」の一言でぶっ飛ばす。自己肯定感とか、うるせえ。俺はなあ、インナーチャイルドごと踊らせたいんだよと言わんばかりの勢いで、愚かな方向に突っ走る。ダメな方向に突っ走る。これが生きると言うことだと言わんばかりの勢いで、人生を棒に振る方向に突っ走る。彼らの凄いところは、時折、本当に時折、本当の意味でみんなから喜ばれる宝を持ち帰るところだ。捨て身の人間にしか、掴み取ることのできない宝がある。その宝が、人類を前に推し進める。

疲れた時に、言葉はたいして役に立たない。そんなことより、抱き締めながら「大丈夫だよ」と何度も何度も伝えることだ。言葉ではなく、態度や存在から、温度を通して「大丈夫だよ」と伝えることだ。昔の人は、それを『手当て』と呼んだ。頭の声はごちゃごちゃうるさいが、手を当てることで静かになる。安心する。凍結した悲しみが溶け出して流れる。別離ではなく一体。頭ではなく体。言葉ではなく心。情報ではなく温度。正しさではなく優しさ。俺が抱き締めてやる。抱き締めながら、言葉ではなく態度と存在から、温度を通して「大丈夫だよ」と何度も何度も言ってやる。俺とお前に、言葉は要らねえ。死にたいと思う時はすでに死んでいるようなものだから、安心してください。安心したら、生きたくなる。さあ、次は甦る番だ。年末からの体調不良で、昨夜は激しく咳き込み鼻から血が出た。誰か、俺を抱き締めてくれ。

「低体温症」

子供の頃は基礎体温が35℃台で、いつも低めだった。
高校生あたりから謎に体温が高くなり今は36.5℃だが、あまり末端冷え性で足先と手はこの季節になるととても冷たく体温が高い実感はあまりない。

季節柄、今年のことを色々と振り返ることが多い。今年初めごろのとある1日の話をしようと想う。

今年の初め、憧れのブロガー・坂爪圭吾さんに会いに行ったことがある。
その方のブログを読んでいて感じた印象は、情熱の火鉢を心に燃えたぎらせて、一日、一瞬をあまりにもまっすぐ、純度高く生きていらっしゃる方、そんな印象であった。
その人に会ってみたいけど怖かった。
私が人生をどれだけ誤魔化して生きているか、そんなことを見透かされて呆れられてしまうのではないかと思った。
でもどうしても会いたくなり、坂爪さんに連絡を取った朝たまたまお互い予定が空いていて、「今から別の場所に行くけど1時間だけなら」とのことなので、そのまま新宿のカフェで落ち合った。
彼のまっすぐでやや鋭い瞳は、会って10秒くらいで私のごまかしを見透かしたように思う。私はこういう風に知らない人に会うことも、自分真ん中からの言葉を発すことも苦手で逃げてきた。彼を目の前にすると何が言いたいのかよくわからなくなってしまい、そのままでぶつかりたかったのに取り繕い、しまいには「一緒にコントしませんか?」という意味不明なお誘いをしてしまった。
…自分でも言ってることが謎すぎた。
彼は自分にごまかしをまったくせずに生きている、そんな人だった。興味のない話にお世辞で乗るようなこともなく、わりとわかりやすくどうでもよさそうオーラを出されていて、私もうまく話が浮かばず、初対面の人間が沈黙気味という気まずい空間がそこにはあった。
ただ、これが今の私なのだ、と思った。

「低体温症ですね」
自分のやりたいことなど、ポツポツ話すけどうまく言葉が出てこない私に彼はそういった。
人とぶつからないから、ど真ん中の言葉を伝えないから、心の体温がどんどん冷えていっているのだと。彼は、今の私の心に症状名をつけた。私は彼に尋ねた。
「どうすればなおりますか」
人とぶつかること。自分のど真ん中を出して行き続けることで自分と相手との心のぶつかり合い、それにより火が起きるのだ。一日一回、人とど真ん中からぶつかっていくこと。そんな風に、彼は教えてくれた。

そして、坂爪さんは持っていたレモンとしょうがをくれた。なぜ鞄の中にこの二つがあったのかは謎だが。
「とりあえず、体をあたためて下さい。これはあくまで手助けみたいなものだけど」
そういって、しばらく話して、彼は旅立った。

12月末。クリスマスから急に本格的な冬の寒さが到来した気がする。
顔をあたためようと、頬を手で触れる。だけど、手が冷たすぎてあったまらない。
その時ふと、あの日彼がくれたレモンを思い出した。

あれから、私は私の手はまだ冷たいままだ。
せっかくあの日、彼から言葉をもらったのに、いまだに私は人とぶつかることができていない。
坂爪さんと会ったあの日、うまく話すことができなかった気がして、結局私はやっぱり人とぶつかることが怖くなった。本当に思っていることのど真ん中は伝わらないだろうとハナから話すことをあきらめ、当たり障りのない世間話で場を繋ぐ、周りの人と、そんなコミュニケーションをとっていた。

私の中で、彼と会ったこと、うまく話せなかったは小さな失敗として自分の中に記憶されなかったことにしたくなっていた。
だけどふと、私はレモンを思い出した。
レモンをくれた彼の気持ちはとても純粋な優しいものだったと思う。
私が「失敗してなかったことにしたかった記憶」の中に、同時に、優しさをしっかりと受け取っていたのだ。
人との関わり合いが下手な私は人と交わる場にいてもうまく話すことができず、後になって「失敗した」と思うことが多い。
だけど、それと同時に、「人とぶつかれた」という経験と、なにかしらの愛を必ず受け取っているはずなのだ。そちら側のこともちゃんと見つめ認めて、私はしっかりと、関わり合いの中を生きて行きたいと思う。
来年の、今からの私は、ちゃんと人とぶつかれる自分になり、そこからの失敗も、愛も受け取れるようになる。そう目標を決めた。

坂爪さん、あの日はほんとうにありがとうございました。

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おおまかな予定

1月3日(水)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

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坂爪圭吾

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

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俺が抱き締めてやる。|坂爪圭吾