全部、そのままでいい。
年末に体調を崩し、年越しは除夜の鐘に合わせて呻いていた。ア○ウェイの勧誘を安室奈美恵と一緒に受ける初夢を見た。元旦、私の故郷である新潟を大震災が襲った。津波警報も発令されている。実家は海にやたら近い。これは大変だと思って電話をしたら、呑気な母は「あけおめ〜」と言った。あけおめじゃないだろと言ったら「神棚の水がこぼれて大変」と、全然大変じゃない報告をした。震災が起きた時、不埒な母親は元旦からパチンコ屋にいたらしい。パチンコ屋で死んでたまるかと思って、車を走らせて家まで帰ってきたと母は得意そうに話した。
元旦からパチンコ屋に行っておいて、パチンコ屋で死んでたまるかと思ってパチンコ屋を逃げ出し、途中にあるアピタ新潟西店で警察が「高台に逃げて!海の方には絶対行かないで!」と警告しているのを見たにも関わらず、海沿いの自宅を目指す母親の行動は常軌を逸しているように思われた。坂爪家では、母親が一番ロックだ。ロックな母には何を言っても通用しない。私は、避難所があるなら逃げた方がいいよ、津波は何回も来ることがあるみたいだから、何もなかったらそれに越したことはないし、日が暮れる前に避難した方がいいよとメールをした。数分後、母親から返信が来た。そこには「お父さんはお風呂入って酒飲んでるよ。近所の人は家に帰ってきてるので、家にいます」と書かれてあった。絶望的な内容を読み、私は笑った。
人間は、絶望をすると笑うように作られているみたいだ。私は、家族に何回笑わされたかわからない。避難所があるならそこに逃げろと、普通のことを言った自分が悪いのだと反省した。働かない人に「働け」と言っても働かないように、普通じゃない人に「普通になれ」と言っても、土台無理な話だ。それができるなら、こんな人間にはなっていない。呆れながら、同時に尊敬した。「さすが俺の親だ」と納得をした。たとえ津波に襲われて死んでしまっても、それは、悲劇ではなく喜劇なのだ。早逝ではなく、寿命なのだ。大往生なのだ。死ぬ時に、死ぬ。これが我々坂爪家の宿命だ。そこに抗うことなく、通常運転で酒を飲む親を立派だと思った。
誰かが死んだ時に「早過ぎる」とか言う奴は甘い。いいか、圭吾。人は必ず死ぬ。俺たちは、遅かれ早かれ、必ず死ぬ。絶対、死ぬ。死ぬことに失敗した人間はいない。生前感謝が足りなかった奴が、死んだ後に感謝をしたがるのだ。だから、圭吾よ、お前はそんなダサい人間にはなるなよ。そのような教育を、私は実姉から施された。健気な私は、姉の教えを忠実に守り、実親に対しても「死ぬ時節には死ぬがよく候」と、良寛和尚も驚きの心理的境地に達した。死ぬことは問題ではない。生きなかったことが問題なのだ。元旦からパチンコをやり、飲みたい酒を飲み、近所の人も家に帰っているから家にいるとか、日本人丸出しの感性を全開にして、生きたいように生きて、死ぬ。それは、死んだのではない。生きたのである。生き切ったのである。だから、息子としても「あのとき全力で止めておけば」などと後悔をすることは、ルール違反になる。息子は、親の選択を尊重する。親の生を尊重するように、親の死も尊重する。
我々は、悲劇でも泣くが喜劇でも泣く。涙は、悲しい時にも流れるが嬉しい時にも流れる。親が死んだら泣くだろう。ガンガン泣くかもしれないし、さめざめ泣くかもしれない。目に見える涙を流すかもしれないし、目には見えない涙を流すかもしれない。泣くことだけは確定だ。子供は、親の言ったことは聞かないが、親のやったことは真似をするらしい。親の中にルーツがある。目を背けたくなるような親のコアに、自分がいる。家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する。心ある方が正月料理を持って家に来てくれた。日本酒と一緒に。病人に酒を呑ませる友がいることを誇りに思った。間違いでもいい。嘘でもいい。多分、全部、このままでいい。全部、そのままでいい。 坂爪さん、こんばんは。先ほどnoteで体調が良くないと拝読しました。 おおまかな予定
本当に軽い言葉ですが、お大事にされてください。
今回、LINEを送らせていただいたのは、勝手ながら、坂爪さんと共有させていただきたい感覚があったからです。
僕の家は、毎年家族で初詣に行く文化があり、これまでほぼ毎年それに行ってきたのですが、今回、それに行きたくない、行かないという旨を、先ほどLINEしてきました。
内容としては、そもそも初詣に行きたいと思えない、家族で初詣に行くということに意味があるのかもしれないけれど、納得できない部分を押し殺して無理やり行ったところであまり意味があるとは思えない、といったようなものです。
僕が最初想定していたよりも棘のある文面になってしまったのですが、でもこれを送った気持ちとしては、このまま縁を断ち切りたいということではなく、自分の本当の思いを伝えたうえで、関係性を続けていきたいというものでした。
僕はずっと家族のことがあまり好きではなく、特に父親のことは嫌いだったのですが、でもこの先本当に一生会わずにいくのか、縁を断ち切ったまま過ごしていくのかと考えると、それは違うと思いました。
もし、父親のことをずっと嫌いでいるなら、僕は明日、初詣に行ったと思います。行ったうえで、「なんでこんなところにいないといけないんだ」とか「早く帰りたい」とか鬱憤を溜め込み、終わってから「やっぱり父親のことは嫌いだ」とか「初詣なんて嫌いだ」という思いをますます強くしたと思います。
「行きたくない」という思いを伝えたことで、僕は父親の幸せも、願えるようになった気がします。父親のことだけでなく、もうすぐ始まる2024年に対して、希望を持てるようになった気がします。
ご体調が優れないなか、私事を失礼いたしました。
何か自分の中で手応えがあったときに「お伝えしたい」と思うのはやはり坂爪さんで、これからも可能なかぎり、坂爪さんの言葉や存在から受け取った感動に恥じない生き方をしていきたいです。
2023年も本当にありがとうございました。
2024年も、お会いできたり、お話できたら嬉しいですが、それ以上に、僕がどこかで発する熱が坂爪さんのそれと共鳴して、お互いにもっと良い方向に向かっていけたらいいなと思います。
どうか、良い新年をお迎えください!
1月1日(月・祝日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z