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坪井里緒
· 5h
@selfish-icepack.bsky.social
前提としてわたしは創作物に含まれる差別に対して当然断固反対であるし、「創作無謬」などとは思っていない立場として今まで批評や批判、論考を書いてきた者であり、創作者として内部で抗い続けているクィアでもある。そもそも何かを創る時に綿密な下調べや勉強はたいていの場合必要である。同時にそれが“十分”であるかどうかは創り手の範疇であって、多くの場合知識とは果てがないとも思っているけれど「学ばず書いていい」とはわたしは主張していないよ
Jan 1, 2024 at 6:31 AM
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勿論特定のものの「一部」のみを本編取り入れることで簒奪になる場合はある。だからこそ調べた上で、「現実の」ものとあえて異なるように書く場合もある。それは「現実の」特定のものを簒奪しないための手段にもなり得ると思う。また、例えばAという魔法があったとして、それと「似た」実際の世界でのBという魔法があったとき、AはAとして、BはBとして成立しうる/「あっていい」ものだとわたしは考える。「ノンバイナリーの定義」が不可能であるのと同じように、実存は多様な形があるわけで、わたしがある魔法を実行するとき、それは唯一無二の「わたしの魔法」であることはあり得る
誰かにとってそれが別の名前を持っていたり、別の軸で成立しうるものであることはあるだろうが、それは「誰か」の信じる魔法を殺さないし、奪わない。そしてこのときAという魔法が「知識がないからこうなった魔法」なのか「下調べが行われた上でチョイスされたものなのか」というのは果たして他者に判断できるのだろうか。なにが「真 」でなにが「偽」か誰がジャッジできるのか。これはGIのないAジェンダーが存在しても、GIがあるバイナリージェンダーを否定することにはならないのと似た問題だと思う。創作における特定の「呪術」以外の存在は「呪術」の否定ではない。互いに実存をリスペクトしながら互いを否定せずに「在る」ことが重要
GIがない一部のAジェンダーはGIがあるジェンダーを無視していないし、それは「GIの脱臭」にはならない。GIへの「知識がないから」というわけでも勿論ない。そしてフィクトセクシュアル差別でもよくあることだけれど、「フィクション」において成立しているものを現実に引き寄せるのは対人(者)側の問題でもある。まずもってしてフィクションは「創作」であって、それに影響を受けて加害をする者にはその者に問題がある(これはよく「~~~~(特定のタイトル)」という漫画に影響を受けて“犯罪”をおかした」という供述があったときに、「こんな創作物があるからだ」と創作物がさらされる「差別」のひとつだろう)
(これはやや逸れるが)現実とファンタジーを混ぜたり、そのはざまに実存する者らもいて、わたしもそのたぐいの存在だが「加害が駄目」「差別は駄目」なのはどんな場所(立場)にあろうと勿論変わらない。そしてそのはざまにいて、わたしの思う「ゼノ」的な存在であることは誰にも否定できないだろう。特定の何かの系譜にのっていない、そこから誰かの目線からすると「ずれて」いたとしてそれは「デマ」ではないし「偽」ものでもない
実存を否定していない、どんなかたちの魔女も魔法も呪術もありうる、否定していないのであれば、なにが正しい呪術で/なにが間違った呪術なのか、というのも語れないのではないか。ご自身でおっしゃっているようにこの世にいくつもあり、まだ知られていない呪術・魔法はたくさんあるだろうし、「ある」「あるかもしれない」はあっても「こんなものはない」という断言ができうるのか。どんな創作物であってもまず前提には「フィクション」がある以上、必ずしも現実に則らせる道理はそもそもない。繰り返しになるが「差別はだめ」である。「差別という表現の自由」はない
わたしが返信を送れなくなってしまったのは話し始めてすぐに、“私には坪井さんに何かを強制する力も権利も全くありませんが”と断りながらも「(魔法に関する創作を)やめてくれ」というアグレッションがあって、その後もファンタジーの否定と読める文章が繰り返しあったため、創作ということがわたし自身アイデンティティに強く紐付いていることもあり命の危険があり離脱させてもらいました。わたしにとって創作は命と強固に紐付いたアイデンティティであり実存なので、命を優先した形になります