坪井里緒
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クィアでゼノでウィッチな者として、自身の魔法(わたしは創作とは呼ばないけど近しい営みだと思っている)を拠り所としていて、わたしはそれらが全部繋がっている 切り離せるものではない
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前提としてわたしは創作物に含まれる差別に対して当然断固反対であるし、「創作無謬」などとは思っていない立場として今まで批評や批判、論考を書いてきた者であり、創作者として内部で抗い続けているクィアでもある。そもそも何かを創る時に綿密な下調べや勉強はたいていの場合必要である。同時にそれが“十分”であるかどうかは創り手の範疇であって、多くの場合知識とは果てがないとも思っているけれど「学ばず書いていい」とはわたしは主張していないよ
フィクションはまずもって「現実」とは違うけれど、現実と地続きの中で生まれている以上フィクション内に無批判に存在する差別ははっきりと問題があるし、ヘイト表現は許されないよねと言われるようになったわけで、だから「フィクションだからって好き勝手やっていいわけじゃない」といわれているよね。わたしもそう思うし同意しているよ。その上で「こういう呪術はありえない、勉強していると思えない」と個人がジャッジするのは違うよねといっている。この世にはまだ知られていない呪術も形もたくさんあるはずだよね。そのどれもが、validだよね。それはそうだけど創作の「それ」は駄目、は違うんじゃないかと話してるのだけれど……
「呪術は存在しないから検討が必要じゃない」ではなくて、逆なんだよ。呪術も魔法も多様でひらかれたものだから、どれが「真」でどれが「偽」というゲートキーピングは悪手だし、現実は多様でいいのに創作では「検閲」が必要ならばそれは創作差別に当たるし、従来の特定の呪術・魔法の理屈の外にあるものもvalidよね、と話してるの
で、フィクションのなかで「実行したら危険」なものがあったとして、それはフィクションを現実に引き寄せて実行した側の問題(そして現時点で限りなく現実に近く創られているものには「この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません」と入っているとも思う)。果物ナイフを人を傷つけるために使ったとして、問題はナイフではなく使用者にあるよね、という話をしている
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自らのウィッチネス(という言葉は合っているだろうか)が「本物」ではないのでは?と不安に思わなくても良いし、それは自らのクィアネスを本来なら疑わなくてもよいのと同じことだと思っている
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Reply to しぃ
うちが言ってるのは、あなたのフレームワークで他者のまじないや呪術に関する効果や危険性、関わり方を判断するな、って話です。それ差別的ですか?むしろ、呪術は信仰や「通常人力の及ばぬ領域」についての考えや信念、あるいは宗教と少なくとも「連続的」なものであると認めてるのに、なんで他の方の呪術等との関わり方をあなたが「フィクション」だとか「危険」だとか判断していいと思ってるんですか?それこそ差別的じゃないんですか?それをみんな言ってるんですが。
まず対話のテーブルにつくにはある程度互いにセーフティでなければ難しいでしょう。ナイフを振りかざして、最初からこちらが無知と決めつけて意見をぶつけられても、それは対話じゃないじゃないですか。創作を生業にして生きているのを開示しているのにも関わらず「あなたに創作をやってほしくない」と刺され(対話の一番最初から言われていました)、セーフティな会話ができるでしょうか。わたしがお伝えしたのは先ほどの連ツイがすべてです。調べ物をしなくても書いていいだとか、呪術はいかがわしい、創作“無罪”だとか、差別・偏見は表現の自由といったようなことは一切言っていないです(スクショもあります)
経緯としては、まずわたしがクローズドな場所(DM)でお話していて、そこでアグレッションがあったため離脱、そのあと名指しの言及があり、加えて「ゼノジェンダーを消費したイベントについて抗議されていた方々のうち、こちらの件については問題ないとされた皆さんは、一体どういうお考えなんですか」という投稿があったために、各々その投稿を受けて自分の考えを書いているのではと思います。ナイフを向けられた状態で直接リプライを交わせというのは不均衡があるので、その選択をしないことは自由じゃないかな、とも思います……
わたしが返信を送れなくなってしまったのは話し始めてすぐに、“私には坪井さんに何かを強制する力も権利も全くありませんが”と断りながらも「(魔法に関する創作を)やめてくれ」というアグレッションがあって、その後もファンタジーの否定と読める文章が繰り返しあったため、創作ということがわたし自身アイデンティティに強く紐付いていることもあり命の危険があり離脱させてもらいました。わたしにとって創作は命と強固に紐付いたアイデンティティであり実存なので、命を優先した形になります
さすがにフラバきつくてニュース閉じた
創作は何をやってもいいみたいなのは、最初から誰も言っていないです
特定のものだけが「真」としたときに振り落とされるものについての話をしている
津波から逃げて。大丈夫と思わず、逃げて。川にも気をつけて
みんなが安全でありますように。どうか無事で
宗教は創作より「下」ではないし、創作は宗教より「下」ではない
前提としてわたしは創作物に含まれる差別に対して当然断固反対であるし、「創作無謬」などとは思っていない立場として今まで批評や批判、論考を書いてきた者であり、創作者として内部で抗い続けているクィアでもある。そもそも何かを創る時に綿密な下調べや勉強はたいていの場合必要である。同時にそれが“十分”であるかどうかは創り手の範疇であって、多くの場合知識とは果てがないとも思っているけれど「学ばず書いていい」とはわたしは主張していないよ
勿論特定のものの「一部」のみを本編取り入れることで簒奪になる場合はある。だからこそ調べた上で、「現実の」ものとあえて異なるように書く場合もある。それは「現実の」特定のものを簒奪しないための手段にもなり得ると思う。また、例えばAという魔法があったとして、それと「似た」実際の世界でのBという魔法があったとき、AはAとして、BはBとして成立しうる/「あっていい」ものだとわたしは考える。「ノンバイナリーの定義」が不可能であるのと同じように、実存は多様な形があるわけで、わたしがある魔法を実行するとき、それは唯一無二の「わたしの魔法」であることはあり得る
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わたしが返信を送れなくなってしまったのは話し始めてすぐに、“私には坪井さんに何かを強制する力も権利も全くありませんが”と断りながらも「(魔法に関する創作を)やめてくれ」というアグレッションがあって、その後もファンタジーの否定と読める文章が繰り返しあったため、創作ということがわたし自身アイデンティティに強く紐付いていることもあり命の危険があり離脱させてもらいました。わたしにとって創作は命と強固に紐付いたアイデンティティであり実存なので、命を優先した形になります
わたしの考えを書きます
おはよう。今日はわたしにとっては「元旦」というよりは祖父の命日なので、ずっとあんまり調子はよくないのだけれど、今年もわたしはわたしの想う言葉を真剣に綴っていくつもりだし、わたしもあなたもvalidだよと伝えたいよ
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