宝物がガラクタになった日
これは、ひとりの二次創作オタクの価値観が一瞬にして変わり、今まで自分が心の底から好きだった世界を完全に手放したというお話。
かなりまとまりがないのは、少々大目に見てほしい。
まず、冒頭に説明しておくと、私は、漫画やアニメの声優などのクリエイターが自分的に許し難い内容の不祥事を起こすと、漫画やアニメそのものがダメになってしまうという強烈な地雷を持っている。作品と中の人を切り離せず、どうしても不祥事の件がちらついてしまって、純粋に作品を楽しめなくなるからだ。
いわゆる『職業絵師』であるその人のことは、便宜上『その子』と呼んでおこう。
数年前、私はその子とツイッター上で知り合いになった。
私とは一回りも歳が違うその子は、とてもすばらしい絵を描く人だった。色鮮やかで、魅惑的で、私はその子の描く絵が本当に大好きだったので、幾度もツイッターでファンコールを送って、その度にその子は丁寧なリプライをくれた。
そして、アマチュア字書きである私に、文章がとてもきれいだという褒め言葉をくれた。
「長い文章は読むのに時間が掛かっちゃうからあまり読まないけど、あなたの書く文章はとても綺麗ですね。」
と(誰に言われてももちろん嬉しいことだけど)、それはもう素直に嬉しかったのをよく覚えている。
やがて色々あって、私とその子はオフラインでも遊ぶようになった。
もし、好きな相手が本当に素晴らしいということを伝えたかったら、それは言葉にしなければ相手には伝わらない。
だから、私はありとあらゆる手とことばの限りを尽くして、その子の絵がいかに素晴らしいのか、作った作品がどれだけ素敵なのか、自分の思うことをどうにかして伝えようとした。
私がそうしたのは、断じて、素晴らしい絵を描くその子に媚を売りたかったからではない。
ただ、自分が素晴らしいと思うものを本当に素晴らしいのだと伝えることで少しでも元気を出してくれるならば、そして受け手がそれを望んでくれるならば、たとえ有名な人が相手でなくとも、私が好ましいと思った人の誰に対しても同じことをしているだろうと思う。
一緒に遊ぶようになり、長電話で会話するようになった頃、その子は、私に「自分を特別扱いしないで欲しい」と言った。
そこそこ有名になり、フォロワーも増えたので、特別扱いをされて一線を引かれると寂しいから、と。
なので、私はその子を信奉の対象ではなく、『友達の一人』として扱った。その子も、「わたし、口が悪くて時々相手を怒らせるので、思ったことは先に言ってほしい。」と、私の『友達だからこそ言うべきことはきちんと言う』というスタンスを気に入ってくれて、心を許してくれてどんどん深い話をしてくれた。
色々な相談にも乗ったし、時に、何時間でもアプリの通話機能でとりとめもない会話をした。
そして、私にできることなら喜んで知恵や力を貸した。
そして、それはあかんと思うことは言葉を選んできちんと伝えた。
私の周囲には、「困った時、私・俺にできることがあったらすぐ行くから呼んでね!」という友人ばかりなので、友達のためにできることをする、というのは今でも当然のことだと思っている。
「線画を描く間、単純作業になるからお喋りしてくれると嬉しい。」
「うん、いいよ。私もお喋りだし、喋ってて楽しいしね。」
「今度出すグッズの相談に乗ってくれると嬉しいな。」
「個人的な意見だけど、これとこれとこれとか、私は欲しいと思うな~。」
「コスプレに使いたかった赤いアイライナー、ロシアからの輸入ができなくなって手に入らないんだよね…。」
「え、私、開戦前に買っていっぱい持ってるから半分あげるよ!あれ発色いいもんね、一生かけても使いきれる量じゃないから、使って使って!」
「資料に使いたい本、長文読めなくて時間かかるからしばらく借りててもいい?」
「うん、いいよ。いつも仕事忙しいもんね。今はそっちに集中して。」
「同人誌を書きたいんだけど、文章のパートが書けないから手伝ってもらえない?」
「うん。むしろ私なんかでよければ喜んで!」
こんなもの、私にとっては苦ですらなかったし、むしろ、私の持っている知識や力を使ってくれるなら、できる範囲であるのならば喜んで手を貸した。その子の創るものが好きだったし、何より、相手が『友達』であるのならば、困っているなら手を貸すのは当たり前じゃないかと今でも強く思っている。
また、その子から貰ったものもたくさんあった。
一緒に博物館に行ったり、その子が出展する展覧会に連れて行ってもらったり、モノだけでなく『体験』もたくさん分けてくれたおかげで、私の見識は随分と広がり、今までにない観点がたくさん身についたから、とても感謝している。
そしてある日、私はその子から小説の執筆依頼を受けた。
その子の頭の中にあるそれはそれは壮大な物語の、絵で描ききれない部分を小説にして欲しいと言われ、私は喜んで引き受けた。文字を書くのが得意な私が、その子の力になれるのならばという一心だった。
何時間も、彼女の描いた二次創作ファンタジーに文章をつけ、あれでもない、これでもない、これを付け足したらいいんじゃないか?と通話しながらシナリオを書き上げ、それは気付けば50,000万字を超える大きなシナリオになっていた。
50,000文字。これは自分個人の新刊に匹敵する物量で、削った分・シナリオの変更を頼まれた分を含めば、実際の文字数はさらに膨らむだろう。
もちろんこれを全部使う必要はない、必要なところを抜粋して使ってくれればいいし、シナリオが変更になったらまた書き直すから、ということは伝えた。その子の頭の中でまだ固まり切っていないシナリオはどんどん変わっていったけど、それに合わせて書き足しては削り、また書き…を繰り返した結果だった。
そして、発行日はどんどん伸びていった。
当初は依頼を受けた時の夏に発行する予定だった同人誌は、「絵の仕事が忙しい」「どうしても描きたいものを描けない」「今回は別の本を出したい」という様々な理由でどんどん先延ばしになり、気付けば依頼を受けてから2年が経過しても予定の本は発行されていなかった。
二次創作同人の界隈では、出版計画だった本が、その時の書き手の心境の変化で結局出版されずに終わることはままあることだと思う。まあ、それならそれで構わないし、話を白紙に戻してその子のやりたいことをやればいいと思っていたけど、その子が「この話は自分にとって思い入れのある話だから、大事な部分だけは絶対にあなたにお願いしたいから!絶対に出したい本だからもうちょっと待っててね!」と繰り返し言うので、私はその日が来るのをじっと待つことにした。
「いつか必ず出すから、それまで待っていて。」その約束が、よくない鎖になって年単位で自分を縛り付けていたのだと、今にして思う。
私と知り合ってから短時間の間に、その子は幾つも仕事で成功を収めてきた。それは素直に嬉しいことだったし、心の底からお祝いをした。
しかし、いつしか、何かがおかしくなっていったように思う。
さて、これから書くのは、人によっては結構心にくる内容なので、まずいと思ったら即座にブラウザを閉じてほしい。
私とその子との接点となったゲームのキャラクターがいて、そのキャラデザを担当した絵師さんが、ゲームの周年イベントに合わせて記念公式絵を描き下ろした。
二人のキャラクターが大阪の通天閣の通りを背景に、少し上を向いて大阪の街を眺めている構図のイラストだが、その子はこのイラストにとても深い感銘を受けて、インスピレーションを得たと言って憚らなかった。その子は元々そのイラストレーターさんを『神』と呼ぶほどに好きだったし、私もその二人のキャラクターが同じ構図にいる絵がとても好きで、カードを小さな額に入れてデスクの前に飾って眺めていたほどだ。
ある日、そのイラストについて電話で話をしていたら、その子は不意に楽しげな口調で言い出した。
「あのイラストすごいかっこいいけど、実は体のパースを見ると、顎めっちゃ長いんだよwwww不自然なくらい顎長いwwwww」
何を言い出すんだ?と思って、すぐには理解ができなかった。
…え。そ、そうなの…?という聞き返しがせいぜいだったように覚えている。
「ほんっと笑えるほど顎長くて、フォトショでレタッチして正しい顎にしてみると本当に顎長いのが解るんだって!!wwww」
…ねえ、ちょっと、今、なんて言ったの。
私も大好きなキャラの絵に、そしてその子も尊敬して止まない人の絵に、フォトショでレタッチ…?!
「本当にあんまりにも顎が長いんで、私が受け持ってる専門学校の教え子の何人かに顎の長さ見せちゃったwwwww」
頭の横を鈍器で殴られたような気がした。
本来、他人の絵の構図を大笑いするようなテンションで言及すること自体が私には理解できなかったし、よりによって絵で仕事をしている人が、どうして尊敬して止まない、そして私も好きだと知っている絵にそんなことができるのか、にわかには信じられなかった。
私は絵を描かない人間なので、顎の長さについては全く気にしたこともなかったが、言われてみれば確かに、かなりのアオリの構図で迫力を出すように描かれている絵であることがわかる。
ただ、その発言があまりにも信じられなかったので、混乱しながらも冷静に、
「かっこよく見せるためにパースを崩す手法はジョジョ立ちが最たる例だと思うし、そういえば、ライブペインティングで虎の絵をパクられたイラストレーターさんが、『迫力を出すために敢えて部分的にパースを崩しているので、模倣されるとすぐに解る』と言っていたのを思い出した。」
とだけ伝えることに徹した。
そんなことをしたり言ったりするべきではない、まして第三者である教え子や、元絵のファンである人(私)の前で言うべきことではない、と諭せばよかったのだろうか。しかし、私には、職業絵師界というものの常識はわからない。もしかすると、陰で欠点をあげつらって笑うのが当たり前の世界なのかもしれないと思うと、それ以上は何も言えなかった。
華やかだった世界に、急に灰色の影が落ちる感覚と言えばいいのだろうか。とにかく、目の前にさっと黒い霧が降りるような気持ちを思い出すと、今でも比喩ではなく実際にとても息が苦しくなる。
その後も、通話や遊びの中で事あるごとに「あの絵は顎が長いwwww」と、敬意とは全く違うように感じるテンションで繰り返し言い聞かされ、次第に私は、その絵と、そのキャラの絵を見るのがとても苦痛になっていった。
そして次第に、そのキャラの絵をデザインしたイラストレーターさんの絵にも苦痛は広がっていった。
公然とリスペクトしている人の絵に対して、何故そんなことができるのか私にはちっともわからない。
フォトショで「正しい位置」に直された二人の顎の構図は、見せて貰えば、なるほど確かに「正しい」のかもしれない。しかし、私が見る限り、元絵の持つ構図の迫力は全く失われているように思えた。
誰かに相談しようにも、私自身が『酷い』と思うことを相談できる、現在の職業絵師界の常識を知っている相手は他にいない。
なので、違和感を抱きかかえたまま、それでもその子と、何より原作のキャラのことを嫌いになりたくはなくて、どうにかテンションを上げようと頑張った。
「絶対にゲストで書いて欲しい」というその子との約束も頭にあり、他に、私の小説を好きだと言ってくれている人たちを裏切りたくはないという想いもあったが、それでも、2022年初頭には既に、このジャンルでの私の作風は明らかに変わり、熱意やテンションを必要とする過激な作品を書けるほどこのキャラクターに入れ込めなくなっていった。
新たな発想はどうしても湧かず、これ以降に世に出した作品は、以前から構想を温めていたもの・書きかけていたものをやりくりしてとにかくテンションを上げて書き上げたものだ。
その子との約束を果たすまではこのジャンルにいるべきだという義理を、私は持ち続けた。多くのキャラクターのゲーム内実装でジャンルが細分化し、私とその子の最推しキャラのメインに扱うサークルが最盛期よりかなり減っている状況を、その子が嘆いているのを幾度も耳にしたからだ。
別のキャラクターに浮気をし、のめり込んでみたりしたこともあったが(まあ、そのジャンルはそれはそれで大概ひどい問題のあるジャンルだったのだが)、同一のゲームをやり続けている限り、どうにもその子の発言と、リスペクトとは程遠い言葉でいじられた絵のことがちらついてしまう。
私はキャラクターの外見・立ち絵で惚れ込むことはまず無く、そのキャラクターの性格や、置かれた立場や周囲の土壌を全て加味して解釈してから惚れ込むので、立ち絵とは異なるところでのそのキャラクターの内面が本当に大好きだった。原作も読み込み、色々感情解釈を膨らませるのが好きだった。
しかし、二次創作という場所にいる以上、どうやっても「立ち絵」というものからキャラクターの性格を切り離すことはできない。
知ってしまった、たった一つのことが原因で、ゲーム内にそのキャラ・ひいては同じイラストレーターさんがデザインしているキャラが登場しても以前のように喜べなくなっている自分がいることに気づいて、暗澹と絶望した。
それでも、私はその子との間に『友達の約束』がある。いつかその子の本が出版されるその日まで、とにかくテンションを保ち続けなければいけない。
なので、私は自分の違和感にフタをして、どうにか違う方向から作品を好きでいられるように努力した。
毎日欠かさずチェックしていたその子のツイートにも、気付けばあまり反応できなくなっていた。
それでも、私はその子のことを友達だと思い続けていたし、相変わらず、時々電話やLINEでのやり取りは続いていた。
別に、その子に非がある訳ではない。ただ、自分の心境的に受け入れがたいことがあったというだけなので、それを理由に一方的に切るのは筋違いだと感じたし、絵師の世界での常識はそうなのかもしれないから、界隈のことを何も知らない私が行動を諫めるのもおかしな話だと思った。
ただ、この依頼が終わったら、界隈そのものから距離を取った方が精神衛生上よさそうだったので、依頼が来る日・あるいは正式に「やっぱり出さないことにした」と言われる日を年単位でずっと待っていた。
どうにか距離をうまく保ちながら、とある日の通話で、今回もまた依頼された内容の本は先送りになる旨を聞き、代わりに発行する新刊のプランについて聞いていたある日のこと。
その子は、直近のコミケでのプランについて嬉しそうに私に語ってくれた。
数年かけて頑張って痩せたので、(例の、長い顎の絵を描いた)絵師さんがデザインした大好きなキャラのコスプレをする。そして、憧れで仲良しのコスプレイヤーさんに、その子がデザインしたキャラクターのコスチュームをオーダーして着てもらい、電車の乗務員の恰好をしたその方に、グッズ販売と同時に切符の形をしたグッズの半券を切って渡してもらうのだ、と。
正直なところ、私はコスプレというものにあまり興味はない。
リアルで知り合いの友達同士が楽しみながら撮影したり、作った衣装を披露しているのを見るのは好きだけど、今までコスプレイヤーが絡んだ炎上案件や、それにまつわる愚痴アカウントの意見などを何回も見ていて、どんな性格や考え方なのかがわからない方のコスプレには興味を持てなくなったし、むしろ、推しの恰好をして不祥事を起こされたら本当に腹が立つ。
それに、私ばかりでなく世の中の全員が全員コスプレが好きという訳でもなく、万人に受け入れられる演出ではないだろう。
しかし、ここまで来たその子の努力や発想を無碍にはできない。なので言葉を選び、
「それはすごくいいアイデアだね。コスプレが好きな人や、そのコスプレイヤーさんのファンなら、本当にたまらない演出だと思うよ。」
と、伝えた。
その直後の、その子の口から発せられた冷ややかな一言。
「あぁ、コスプレが嫌いな人は、うちのサークルに来てくれなくていいから。」
今度は、反対側から横頭を鈍器でフルスイングされたような気がした。
スッと目の前が真っ暗になり、何もかもが音もなく砕けるような、そんな感覚に包み込まれた。
この二発目で、完璧に、「終わった」。そう思った。
再度になるが、ほぼほぼのことをスルーできる私の最大にして唯一の地雷は『公式側の人間・中の人がやらかす』ということであり、これがあると、どんなに好きな原作でも見られなくなってしまう。
何てことをしてくれたんだ、と大声で叫びたかった。
確かにその子は咄嗟の失言が多く、引っ掛かった言動を後でたしなめると「えっ、わたしそんなこと言ったっけ?」ということもままあった。でも、それも含めて私はその子を友達だと思って接していたし、たとえ絵を描かなかったとしても私は謙虚で努力家のあなたのことを好ましく思うよ、という気持ちはこの時まで確かに本物だった。
そしてその子がこの前にコスプレ小冊子を出した時、確かにその子は、「コスプレが苦手な人もいるから、コスプレの小冊子は希望者にだけ同封します。」という姿勢を取っていたし、サークルに来て下さる人や応援して下さる人のことを本当にありがたいと思っている、と繰り返し口にしていたものだった。作りたいように作った結果、かなり高額になってしまうグッズや本にお金を払ってくれている読者さんに対して感謝の言葉すらあれ、そんなことを口走ってしまうような人ではなかった。筈だった。それすらも私の思い過ごしかもしれない。
私に対しての発言は、無意識に近くペロッと出てきただけの失言なのかもしれない。しかし、人間、心にもないことは口にできず、うっかり口にした発言であるからこそ紛れもないホンモノであり、その事実がどうしようもないくらいに私を叩きのめしてくれた。
そう。考えるまでもなくポロっと漏れてしまうからこそ、それは『本心』なのだ。
もう、私が友達だと思っていた謙虚で努力家なその子はどこにもいない。何がその子の口からこんな言葉を吐かせたのだろう。
そう思ったら本当に、世界が墨一食で塗り潰されたように真っ暗になった気がした。
あれだけ綺麗だったその子の絵が、今はどんなに努力しても色あせて見える。
そればかりか、原作であるゲームの中で、あれほど好きだった私の推しキャラの絵を見ることすら苦痛になっていった。
それでも、約束がその子の口からキャンセルされない限り、私はずっとその約束に縛られたままである。
これが最後のチャンスだと思って、私は、コミケで同じ会場だったその子のスペースに足を運んだ。
案の定、私は、その子の顔をまともに見ることができなかった。その子は確かに綺麗な業者オーダーの衣装を身に着け、綺麗にメイクをして楽しそうにしていたけど、心の底からの賛辞のための言葉はどうやっても出てこない。売り子のコスプレイヤーさんの方は、申し訳なくも、その子と同じ『コスプレが嫌いならサークルに来なくていい』という考えなのだと思えてしまって、姿を見ることさえできなかった。
幸いだったのは、私が重度の声帯炎で声を出せなかったということだろう。「また今度一緒にご飯に行こうね!」と言われたけど、その日は永遠に来ないことを自覚した。
私はもう、自分自身の感情に嘘は付けないことをはっきりと悟った。
なので、忖度するのは止めにした。
書かなければいけないことを書き、伝えるべきことを伝えることで私の2023年が始まった。
ただ、反故にするにはあまりにもウェイトの大きい、その子に預けっぱなしの50,000文字オーバーの自分の作品がどうなるのかだけは本当に気がかりだったし、さすがにそこは創作者として、今後どうするのかだけはその子の口から伝えてくれるだろうと思いたかった。
だが、結局、半年近く経っても宙ぶらりんのまま事態に進展はなく、最早、私の方が自分の精神を守らないとならないくらいまで追い詰められていった。
以前、コロナ禍の真っ最中、感染対策をせずにダンス動画を披露して炎上してしまったコスプレイヤーの集団に対し、「そのジャンルを代表するような有名な人が取った行動は、その集団の総意とみなされる可能性がある」と意見したことがある。
もちろん、絵師さんの全員が全員、他人の絵を陰でレタッチして笑いものにしたりはしないだろうし、スペースにいるコスプレイヤーさん全員が全員「私がコスすることが苦手なら今後はうちの本を買うな」という考えを(頭の中に持っている分には自由だが)公然と口に出すことはないだろう。
頭ではわかっている。
でも、どうにも影響力が強過ぎて、綺麗に描かれた絵を見ても「この人たちも裏で他人の絵を笑い合っているんだろうな」と、心のどこかが冷えてしまう自分を止めることができないし、イベントに参加してスペースに立っているコスプレの人を見る度に、「ああ、この人も『嫌なら来るな』と当然のように他人に言っちゃう人なのかな?」と思ってしまうことを止めることができない。
故に、私は2022年の冬コミ以降、ツイッターのタイムラインを一切見られなくなった。プロのイラストレーターさんの絵も、知り合いでないコスプレイヤーさんの写真も、流れてくるのを見るとそれだけでメンタルをやられる。
原作のゲームも、「顎が長いwwww」と笑いものにされた原作者さんの絵を見る度に本当に心苦しくなるので、次第にプレイすることができなくなった。
本当に楽しいと思って、結構なお金を掛けてまで楽しんでいたゲームや、それに関連するイラストも、絵師コミュニティの中では笑いの種にしかならないのかと思うと、猜疑心しか湧かない自分がいる。
毎回出ていた同人イベントも、とても申し込む気にはなれなかったし、そもそも、もうこんな環境で二次創作をしようとも思えない。
あれだけ綺麗だったものが、一瞬にしてガラクタのように色あせてしまった自分の心境の変化には自分でも驚いている。
しかし、これがまた、悪いことばかりでもない。
まず、「お前、いつもゲームばっかやってんな」と友達に呆れられていたソシャゲ漬け生活は見直せたし、タイムラインを見ている時間で、リアルな友達や、DMで長々と話してくれる海外の友達との交流を深めることができ、ツイッターに費やしていた時間でスポーツや音楽や語学学習など別の楽しいことができるようになった。
イーロン・マスクの買収によって存在目的が変わってしまい、ツイッターというSNSそのものが崩壊しようとしている今、そこに価値観と存在意義を置かなくて済むようになったのは本当に幸いだとも思っている。
ともかく、ゲームやツイッターがなくても私は楽しくやれている。
しかしながら、あれだけ宝物のように綺麗だと思っていたイラストの世界を見ても、私はもう以前と同じ気持ちで眺めることはできないだろう。
噂話レベルではなく、親しかった人の口から直接聞いてしまった超特大の「高潔でも綺麗でもない内情」は、イラストレーターやコスプレイヤーの世界に対して、拭いきれない偏見を刻み付けていった。
よしんばこれが、直接人となりを知らない人の言動であれば、『は?調子乗った奴の寝言かよ(ブロック)』で済んでいたと思う。
中の人など、はじめからいなかった。
そう思い込めれば幸せなのかもしれないが、生憎、私はそうもいかない。
実を言えば、まだ「あなたの書く小説が大好きです。」と言ってくれた方々に申し訳ないという気持ちはあるし、ご期待には誠意をもって応えたいという気持ちもある。
過去作の全てを消さないで欲しい、と言われた日のことも覚えていて、そこをゼロにすることにはまだ戸惑いがあるし、何より消去する作業でさえ今は本当に面倒で心が重いと思えてしまうのだ。
私の好きだったキャラクターは、高潔にして謙虚、虚飾とは縁遠い無冠の武芸者で、それを良しとしている『施しの英雄』だと自己解釈している。
今、その志と相反するものを目の当たりにして、かつ、年単位で長い間放置していたことで、私はもう猜疑に満ち溢れる自分の心をどうすることもできない。
別に誰が悪いという訳でもなく、強いて言うなら綺羅星に近付きすぎた挙げ句、数年の間『我慢』し続けてどうにもならなくなってしまった自分が悪い。仏教に興味を持って調べていたその子の陥った状態が『慢』だとしたら、それを諫められずに許容してしまった自分の陥った状態は『我慢』だと思う。だとしたらこれは『因果応報』だろう。
ただ、決着がつかないまま宙ぶらりんになっていること自体あまりにも心が辛かったので、次の世界に踏み出すために、訣別の意を込めてすっきりと吐き出すことにした。
宝物だと思っていたものがガラクタになり、その重要性に気付かったものが今、一番の宝物になっている。
これは、どうしようもないところに地雷がある一人の二次創作オタクが、今までいた世界の価値観を捨てた日の話である。
以上。
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!