渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

革ジャンノススメ

2023年12月31日 | open



革ジャンはいいぜえ~。
街着としてもおすすめ。

よくネットでは「革ジャンの
お洒落な着こなし」とかの記
事があるが、正味本当のとこ
を言おう。
「そんなものは無い」
だ。
ミリタリーベレーや和服など
には着用
方法に厳格な決まり
事がある。

だが、軍服の礼装ではない革
ジャン
にはそうしたものも無
いし、
人が設えた「お洒落な
方法」
などというのは本当は
存在しない。

踊らされたらダメだぜ。
アパレルやファッション界の
仕掛け人たちに。

「自分流に自分のスタイルで
着る」
これが本筋の本物の着こなし
だ。
いや、これ本当の事よ。
ざっくりでもピッタリでもいい。
自分のスタイルを持っている事
が大切で、人が言う事に踊らさ
れているのは、どんなに真似っ
こ着用をしても、それは「ダサ
い」ものにしかならない。

ただ一つ、革ジャンにはあるには
ある。
それは新品ピカピカの革ジャンは
まるで新兵のプレスした戦闘服
のようで何とも締まりがない、
というデフォルトがある。
着続けて擦れてやつれているが
馴染んでいるというのが革ジャン
の良さだ。
そこ。

つい先日、友人と二人で革ジャン
をネットでいろいろ見ていた。
激渋の赤い革ジャンが売りに出て

いたので、「お!これはすんげ
カッチョイイ」と私が言うと、
そいつは見て、
「え~?袖が擦れ
て痛んでるよ。
なんだこれ。程度
悪い」と言った。

こちらは「?」と思ったが、そい
つのいろいろ来歴を聞くと、過去
に一度も革ジャンを着たことがな
い人間だった。
説明するのはやめた。

そうした自己観念の人には絶対に
革ジャンの事は理解不能だからだ。
よれ、やれ、経年変化、馴染みと
かの革ジャンの良さの必須要件は
全く理解できない。
作りたてのスーツじゃないんだ
からさぁ。
そのあたりが、なんかよく解って
ないし、これは解り得ない。
自分がその世界のその中に自分

で入った事ない人間なんだから。
革ジャンと無縁で今までずっと
人生を過ごした
人はそういうもの
なのかも知れ
ない。

同じような経験がある。
ある人が我々の仲間が奏でるギター
が良い音なので、自分もやってみ
ようかな、と言う。
音鳴りの良い箱物は、個体差があ
るし自分でよく聴き分けて買った
ほうがいいよ、とアドバイスし
た。
そして、話していたら、中古の
ギターなどは絶対に嫌だという。
訊くと「人の手垢がついた物な
どは嫌。誰だってそうでしょう?」
との事だ。
音楽をやっていない人はそうなの
かな、と思った。
ならば、どんなにバイオリンの
腕前が世界一級でも、ストラディ
バリなどは持てないね、そういう
考え方、視点では、と思った。
得てして、そういうのを門外漢と
いうのかもしれないなぁと感じた。
オートバイや車でも絶対に新車
のみにしか興味ない人もいる。
そして、古くなったらポイ。
ああ。考えたら、そういう人たち
は日本刀は持てないや。
名刀は時代刀ばかりだから。
それと絵画も買えないや。
何十億円とする名画だけでなく、
絵はいつも「新品」とは限らない
から。
陶芸の名品も持てない。

なんか、感覚が違うんだよなぁ。

革ジャンは特にウエアの中でも
特別なパティーナ感こそが価値
がある特殊衣服だ。
茶芯が出た物が珍重されるという
レザーウェアの独自の文化という
ものも存在している。
手入れが悪くて状態が悪いのと
経年変化の味が出ている物は
まるで違うのよね。
そうそう、新品でないと嫌だと
言う人は、ビリヤードのキュー
も名品は持てない。
だって、バラブシュカやガス・
ザンボッティやタッドコハラを
新品で所有する事は絶対に不可
能だから。


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