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はじめるを、はじめよう。

家の隣のおばあちゃんが「レモンの木を切るの手伝ってちょーだい」と言って、代わりにおはなを持ってきた。熱海の通貨は、最近、おはなに変わりつつある。枝を切ったらレモンを貰った。無農薬のオーガニックレモンである。よくサプリなどに「レモン百個分のビタミン」などと書いてあるが、ふざけてはならない、レモンにはサプリ五億倍のフレッシュがある。野生がある。おばあちゃんが「今日はありがとう」と言って、大根を二本と大量のみかんを持ってきた。切り干し大根を作った。これが年末年始の主食になる。みかんを皮ごと食べる。たまにはワイルドなことをやらないと、野生を忘れる。

最近お肌の調子が良いのだが視聴者がいない。心ある人が化粧水をくれた。綺麗にな〜れとか愛してるよとか言葉をかけてあげるといいですよと言われたので「お肌のことが大スキン!」と言ったら、大顰蹙を買ったのだが解せない。長年自分と付き合ってみて確信した。楽しくないと続かない。面白くないと続かない。真面目なだけでは続かない。笑いがないと続かない。根が明るいのだと思う。闇があった方がカッコいいと思った時期もあったが、闇なんていくら探しても見つからない。沈むことはあるが、面白いことがあると一発で吹き飛ぶ。「そうこなくっちゃ!」とか「面白くなってきたぜ!」と言える瞬間に、最も生き生きする。私を殺すことは簡単だ。あらゆる楽しさを奪い、真面目に生きることを強制されたら、あっけなく死ぬ。

丁寧な暮らしや綺麗な部屋に憧れているけれどできない、部屋は汚えし生き方は雑だ、そんなあなたは「生活に向いていない」のだと思う。何を隠そう、私がそれだ。だから、私は生活を排除した。結果、神社みたいな家になった。初詣は我が家に来て欲しい。そして、大量のお賽銭を投げ入れて欲しい。私に、切り干し大根以外を食べさせて欲しい。楽と楽しいは違う。生活は楽に。人生は楽しく。どれだけ汚い部屋に住んでいても、茶だけはいい茶葉を使いたい。そう思う人に「こっちの方が便利でしょ」とか言ってペットボトルのお茶一年分を送りつけるのは大変迷惑、えらいこっ茶である。確かに楽だし便利だが、喜びを略奪している。豊かさを虐殺している。その人にとってお茶は人生なのだ。生活ではない。生活は楽でいい。だが、茶に関しては譲れない。手間暇かけて茶を飲みたい。その時間が大切なのだ。そうこなくっ茶。これが人生だ。楽は人生をぶち壊す。生活は楽に。人生は楽しく。これだけは譲れない、これだけはやりたいと思うことは、絶対、やろう。

好きなことや楽しいことは意外と繊細だから、嫌なことに負けてしまう。だから、迎えに行ってあげる必要がある。待っているだけではダメなのだ。保育園でお迎えを待っている小さなこどもを想像して欲しい。それが「楽しさ」だ。楽しさちゃんは、迎えが来てくれるのを待っている。誰も迎えに来てくれないと、楽しさちゃんは悲しくなる。さみしくなる。不安になる。一人ぼっちな気持ちになる。捨てられちゃったような気持ちになる。最悪の場合、グレる。タバコを吸ったり酒に溺れたり肉欲にまみれたり薬でラリったりする。だが、楽しさちゃんは永遠に楽しさちゃんのままだから、ちゃんと迎えに行ってあげると満面の笑顔を見せてくれる。楽しさちゃんは、人生設計なんて気にしない。そんなことより私を見て、私を愛して、私を忘れないで、私と一緒に遊ぼうよと叫んでいる。実は、楽しさちゃんを喜ばせてあげることこそが人生だったのだということを、叫んでいる。

だから、本当に好きなことをやりましょう。たまらなく好きなことをやりましょう。どうしようもなく楽しくなってしまうことを、涙が出るほど面白くなってしまうことを、問答無用で幸せになってしまうことをやりましょう。本当に好きな人に出会った時は、これまでの気持ちなんてまったく関係なくなる。さっきまで沈み込んでいたはずなのに、この人の声を聞いただけで、この人の顔を見ただけで、一発で幸せになってしまうことはザラにある。一人の時間も宝だし、人との時間も宝になる。あらゆる感情の奥に、キラリと輝く宝がある。光がある。炎がある。それが、楽しさちゃんの涙である。それが、楽しさちゃんの命である。自分の気持ちを打ち消すのではなく、その奥にある宝や光を掴みましょう。何かをやる前は不安にもなる。やりたくてはじめたはずのことなのに、途中で引き返したくなったり、なかったことにしたくもなる。それでも、やってみたらやっぱり「やってよかった」となることの方が多いから、何度でも、何度でも、はじめよう。はじめるを、はじめよう。楽しさちゃんを、お迎えに行こう。

低体温症

子供の頃は基礎体温が35℃台で、いつも低めだった。
高校生あたりから謎に体温が高くなり今は36.5℃だが、あまり末端冷え性で足先と手はこの季節になるととても冷たく体温が高い実感はあまりない。

季節柄、今年のことを色々と振り返ることが多い。今年初めごろのとある1日の話をしようと想う。

今年の初め、憧れのブロガー・坂爪圭吾さんに会いに行ったことがある。
その方のブログを読んでいて感じた印象は、情熱の火鉢を心に燃えたぎらせて、一日、一瞬をあまりにもまっすぐ、純度高く生きていらっしゃる方、そんな印象であった。
その人に会ってみたいけど怖かった。
私が人生をどれだけ誤魔化して生きているか、そんなことを見透かされて呆れられてしまうのではないかと思った。
でもどうしても会いたくなり、坂爪さんに連絡を取った朝たまたまお互い予定が空いていて、「今から別の場所に行くけど1時間だけなら」とのことなので、そのまま新宿のカフェで落ち合った。
彼のまっすぐでやや鋭い瞳は、会って10秒くらいで私のごまかしを見透かしたように思う。私はこういう風に知らない人に会うことも、自分真ん中からの言葉を発すことも苦手で逃げてきた。彼を目の前にすると何が言いたいのかよくわからなくなってしまい、そのままでぶつかりたかったのに取り繕い、しまいには「一緒にコントしませんか?」という意味不明なお誘いをしてしまった。
…自分でも言ってることが謎すぎた。
彼は自分にごまかしをまったくせずに生きている、そんな人だった。興味のない話にお世辞で乗るようなこともなく、わりとわかりやすくどうでもよさそうオーラを出されていて、私もうまく話が浮かばず、初対面の人間が沈黙気味という気まずい空間がそこにはあった。
ただ、これが今の私なのだ、と思った。

「低体温症ですね」
自分のやりたいことなど、ポツポツ話すけどうまく言葉が出てこない私に彼はそういった。
人とぶつからないから、ど真ん中の言葉を伝えないから、心の体温がどんどん冷えていっているのだと。彼は、今の私の心に症状名をつけた。私は彼に尋ねた。
「どうすればなおりますか」
人とぶつかること。自分のど真ん中を出して行き続けることで自分と相手との心のぶつかり合い、それにより火が起きるのだ。一日一回、人とど真ん中からぶつかっていくこと。そんな風に、彼は教えてくれた。

そして、坂爪さんは持っていたレモンとしょうがをくれた。なぜ鞄の中にこの二つがあったのかは謎だが。
「とりあえず、体をあたためて下さい。これはあくまで手助けみたいなものだけど」
そういって、しばらく話して、彼は旅立った。

12月末。クリスマスから急に本格的な冬の寒さが到来した気がする。
顔をあたためようと、頬を手で触れる。だけど、手が冷たすぎてあったまらない。
その時ふと、あの日彼がくれたレモンを思い出した。

あれから、私は私の手はまだ冷たいままだ。
せっかくあの日、彼から言葉をもらったのに、いまだに私は人とぶつかることができていない。
坂爪さんと会ったあの日、うまく話すことができなかった気がして、結局私はやっぱり人とぶつかることが怖くなった。本当に思っていることのど真ん中は伝わらないだろうとハナから話すことをあきらめ、当たり障りのない世間話で場を繋ぐ、周りの人と、そんなコミュニケーションをとっていた。

私の中で、彼と会ったこと、うまく話せなかったは小さな失敗として自分の中に記憶されなかったことにしたくなっていた。
だけどふと、私はレモンを思い出した。
レモンをくれた彼の気持ちはとても純粋な優しいものだったと思う。
私が「失敗してなかったことにしたかった記憶」の中に、同時に、優しさをしっかりと受け取っていたのだ。
人との関わり合いが下手な私は人と交わる場にいてもうまく話すことができず、後になって「失敗した」と思うことが多い。
だけど、それと同時に、「人とぶつかれた」という経験と、なにかしらの愛を必ず受け取っているはずなのだ。そちら側のこともちゃんと見つめ認めて、私はしっかりと、関わり合いの中を生きて行きたいと思う。
来年の、今からの私は、ちゃんと人とぶつかれる自分になり、そこからの失敗も、愛も受け取れるようになる。そう目標を決めた。

坂爪さん、あの日はほんとうにありがとうございました。

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おおまかな予定

12月30日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

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坂爪圭吾

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