痛ましい事故だ。昨今、失意の中にいたから「自殺」の可能性もなくはないが、分別のある72歳が住宅地にある自宅で焼身自殺するとは考えにくい。
恐らくは失火ではないかと思うが、最近は一人で生活していたとも伝えられ、QOLがかなり落ちていたのではないか?

キャリアSTATS

Choji Murata


広島県出身、福山電波高の1学年上には浅野啓司がいた。1967年ドラフト1位で東京オリオンズに入団。
当時から剛速球で知られ、2年目には先発投手として規定投球回数に達する。

しかし当初は荒れ球で安定感はなかった。1973年に金田正一が監督に就任すると「先発と抑え」の掛け持ちとなり、1975年には最多セーブを記録。
以後も先発、救援でフル回転、当時はタイトルではなかった最多奪三振を4回獲得。防御率1位も2回獲得している。
1981年には最多勝もとったが、翌年、肘の故障で投げられなくなる。1983年になってフランク・ジョーブ博士のトミー・ジョン手術を受けるため渡米。

1984年の8月12日の西武戦で82年の5月17日以来の一軍登板。5試合は救援だったが、9月25日の日本ハム戦で先発。

翌年からは毎日曜日に投げる「サンデー兆治」として活躍し、話題になった。結局、41歳まで投げて引退。

トミー・ジョン手術前は159勝、この成績であれば「好投手」と言うレベルにとどまり、殿堂入りの話はなかっただろう。216勝と言う数字以上に「奇跡の復活」でファンを感動させた。また「トミー・ジョン手術」の存在を日本人に知らしめた功績も大きい。

今年9月に空港の保安検査所で暴力事件を起こし逮捕される。釈放されて村田は謝罪したが、その後、沢村賞の選考委員も辞していた。
自分の老耄ぶりにショックを受けていたのではないか。

私は村田の事件を「些細なもの」とこのブログで書いた。しかし同時に、健康面の懸念も抱き

村田が「いつも(検査所を)通過できている」というのは、明らかな勘違いであり、それに固執するのは、かなり怪しい行動ではある。
記者の囲み取材はマスクをしたまま行われたが、村田の顔はむくんでいる感じで、健康面に問題がありそうな印象を受けた。

と書いた。心無い連中が「些細な事件ではない」と言い出したのも残念だった。

認知症があったのではないかと思う。大投手の痛々しい死の報に粛然とし、救いようのない思いを抱いている。


NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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