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2020年03月20日 (金)
山寺宏一 ふるさと宮城を語りつくす! 後編

 宮城県塩竃市出身で「しおがま文化大使」をつとめる山寺宏一さんが「みちしる」の動画を見ながら、ふるさと宮城の魅力を語りつくします。今回は、「生まれ故郷の塩竃」、「震災を機に復活した盆踊り」、「仙台光のページェント」について語ります。

山寺宏一

山寺宏一

 1961年6月、宮城県塩竃市生まれ。22歳で声優を目指して上京。「7色の声を持つ」と言われ、数々の映画、アニメなどで声の出演をしている。NHK総合テレビ「ガッテン」ではナレーターを務めている。近年は、俳優、バラエティー番組など、活躍の場を広げている。2008年よりしおがま文化大使を務める。

生まれ故郷、塩竃の魅力

塩の神様
2010年放送「塩の神様 ~藻塩焼(もしおやき)神事 宮城県・塩竈~」

Q 塩竃はどんな町だったんですか?

山寺:僕が子どものころ、塩竈は、「仙台の次は石巻、その次が塩竈」というくらい栄えた街だったんです。商店街も発展していましたし、デパートとまではいかないけど、大きめの商業施設があったり、おもちゃ屋さんがあったり映画館があったりと、にぎやかな街でした。
 とにかく歴史がある。まず塩竈神社があるというのが大きいですね。陸奥の国一宮って動画で言っていましたけど、東北を代表する神社の一つですから、僕は子どものころから本当に、初詣、七五三、全てここでやってきました。いまだに行きます。僕が通っていた中学が塩竈神社のすぐ隣りでしたからね。神事をしていた御釜神社っていうのは、塩竈神社の末社で、街の中にあるんですが、こちらは小さい。そこは、僕の友達の家の目の前でした。とにかく塩竈神社はすばらしい。子どものころも立派な神社だと思っていましたけど、今行くと改めて素敵なところだなと感じます。ただ散歩するだけで僕は心が落ち着きますね。

Q 藻塩焼神事というのが動画に出てきたが?

山寺:この昔ながらの製法を復活させて、今、藻塩を実際に作って販売しているんです。その会社を起こした一人が、僕の高校時代の親友なんです。それで僕も藻塩を使っています(笑)。その藻塩を使ったお菓子とか食品が今いっぱい出ているんです。いろんな商品があるけど、一番のおすすめは、藻塩を乗せたショコラ。これがまた絶妙な味なんです。バレンタインのお返しに、僕は相当ばらまきましたね(笑)。「こんなの食べたことない。なんですか、山寺さん」って喜んでもらえる。これは、ただおいしいっていうだけじゃなくて、歴史のある塩竃の藻塩を使っているというと、なんだかありがたい気持ちになるんですよね。
 僕は塩竃の文化大使というのをしているので、とにかくたくさんの人に塩竃へ来ていただきたい。塩竃神社を見て、塩竃の港を見て、市場を見学して、色々おいしいものを食べて行ってもらいたい。塩竃のすぐ隣りが、日本三景の一つ、松島ですから、塩竃と松島を合わせて、ぜひ行ってほしいですね(笑)。

伝統行事が結ぶ絆

松島のお盆~大漁唄いこみ
2011年放送「松島のお盆~大漁唄いこみ ~震災を機に復活した盆踊り~」

Q 2011年の東日本大震災をきっかけに、松島で「大漁唄い込み」の盆踊りを復活させたという内容の動画でしたが、ご覧になっていかがでした?

山寺:この「大漁唄い込み」は、小さいころから、唯一ちゃんと唄える民謡で、最も聞きなじみのある民謡なんです。その民謡の盆踊りが、松島で途絶えた時期があったんですね。それを震災をきかっけに復活させた・・・。動画の中でも言っていましたけど、盆踊りを通して地域の人たちの絆を強めようとしたんでしょうね。
 絆って言葉、昔は気恥ずかしい、みたいに思っていました。大事なのはわかるけど、あえて絆、絆っていうのはどうなのって。でも震災以降、本当に大切だと思うようになりましたよね。特に東北の方々の地元の絆って強いんだなと。そのおかげで、あんなに大変なことがあったけど、みんな少しずつ前を向いていけるようになったのかなというふうに今は思いますね。そういう地域の絆を深めるきっかけに、盆踊りのような伝統行事がなっているんだなあと感じました。

Q 盆踊りとかお祭りって、地域社会にとって、実はすごく重要なものなんでしょうね。

山寺:そうですね。僕は、やっぱり塩竃の人たちの地域の絆を強く感じるんですよね。それにはいろんな要素があると思うんですけど、その一つに「藻塩焼神事」や「塩竃みなと祭」という伝統行事が続いているってこともあるように思うんです。これを自分たちで絶やしてはいけない、自分たちで受け継いでやっていこうという気持ち。それが地域の絆をより強くしている気がするんです。
 震災で、人は人とつながってしか生きていけないということも学びました。僕には宮城というふるさとがあって、そこが大きな震災の被害を受けて、経験したこと、見えてきたものがたくさんあって、その一つが宮城の人たちとのつながりだったって思います。特に僕のふるさと塩竈は、今、何かやる時にみんな一つになっている感じがあるんですよね。だからもっともっと町が活性化して、復興はもちろん、さらに魅力あふれる町になって欲しいと願います。そしてそのお手伝いを少しでも出来ればと思っています。

日本一のイルミネーション

仙台 光のページェント
2011年放送「仙台 光のページェント ~明日への希望の灯り~」

Q 震災後の、光のページェント、多くの人の支援があって再開できたんですね。

山寺:そうですね。今はイルミネーションって全国どこでもやっていて、特に冬はものすごく多いですけど、仙台の光のページェントは、べつに大きな会社とか商業施設とかがやっているわけではないんですよね。この間も光のページェントの実行委員の方々とお会いする機会があったんですが、市民が中心となってやっているんですよね。微力ながら僕もちょっとだけ協力させていただいていますけど。
 今どきはもっと派手なイルミネーションが日本中にありますけど、仙台のは1986年から始まっていて、LEDになる前からやっているわけですから。あれを普通の電球でやっていたってことを考えるとすごいですよね。動画でも言っていましたけど、東日本大震災の時、電球を保管していた倉庫がたまたま沿岸部だったんですよね。それで津波で全部流されちゃって、もう絶対無理だろうってことになったんですが、東京原宿の表参道などでも募金活動をずっとしたりして、全国のたくさんの人たちの協力があって実現できたんですよね。その話を僕も伺って、ああ、すばらしい、いろんなところでつながっているんだなと思いました。そういう意味でも日本一のイルミネーションだと、ずっと思っているんです。

こども病院でのイルミネーション

山寺:こども病院というのが、街の中心から車で30分くらいのところにあって、たくさんの子供が入院してるんです。そこの子供たちは入院しているのでクリスマスにも家に帰れないし、ましてや光のページェントを見ることもできない。そんな子どもたちのために毎年病院の庭にイルミネーションをつけよう、という取り組みがあるんです。それも光のページェントの実行委員の方々が、「子供たちに」っていうことで、色々な企業の協賛を得ながらやっている活動なんです。その点灯式のイベントに、震災以降毎年参加させていただいています。

Q 司会とかをやられるんですか?

山寺:いろんなアニメキャラクターの声をやったり歌を歌ったりとかです。それで、光のページェントの実行委員の方々とご挨拶するようになったんですが、みなさん自分の仕事を持ちながらやっているボランティアなんですよね。頭が下がるなあと思っています。
 震災以降、光のページェントって仙台市民にとって特別なものになったと思うんです。毎年、光のページェントを見て、がんばろうという気持ちになるというか。まさに希望の明かりですね。

山寺宏一 ふるさと宮城を語りつくす! 前編は こちら