松本人志

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松本まつもと 人志ひとし
松本人志(2011年)
ニックネーム まっちゃん
まっつん
生年月日 (1963-09-08) 1963年9月8日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 兵庫県尼崎市
血液型 B型
身長 172 cm[1]
言語 日本語
方言 関西弁
大阪弁
標準語
最終学歴 兵庫県立尼崎工業高等学校
出身 NSC大阪校1期
コンビ名 ダウンタウン
相方 浜田雅功
芸風 漫才コントボケ
話芸
立ち位置
事務所 吉本興業
活動時期 1982年 -
同期 トミーズ
内場勝則
つまみ枝豆など
現在の代表番組 レギュラー番組
クレイジージャーニー
人志松本の酒のツマミになる話
探偵!ナイトスクープ
まつもtoなかい
スペシャル番組
人志松本のすべらない話
IPPONグランプリ
M-1グランプリ
過去の代表番組 テレビ
一人ごっつ
松紳
人志松本の○○な話
ドラマ
伝説の教師
ラジオ
放送室
作品 著書『遺書』『松本』
ビデオ『VISUALBUM
映画『大日本人』『さや侍
配偶者 伊原凛
親族 松本隆博(兄)
公式サイト 公式プロフィール
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松本 人志(まつもと ひとし、1963年昭和38年〉9月8日 - )は、日本お笑いタレント漫才師司会者俳優映画監督作家兵庫県尼崎市出身[1]。お笑いコンビ・ダウンタウンボケ・ネタ作り担当。相方は浜田雅功愛称松っちゃん(まっちゃん)。妻は元タレントの伊原凛吉本興業東京本部所属。

経歴

尼崎市立潮小学校尼崎市立大成中学校兵庫県立尼崎工業高等学校機械科卒業。小・中学校の同級生には後の相方となる浜田の他、放送作家の高須光聖がいた。小・中学校時代のあだ名は「まっつん」。

小学校時代、実父がうめだ花月の招待券を仕事で貰ってくるようになり、家族で通い始めた。これがお笑いとの出会いであり、やがて芸人に憧れを抱くようになった。「その頃ぐらいから、だんだん性格変わってきた。ずっと暗い子供やった」と語っている[2]。なお、浜田との初対面は小学生低学年だが、当時の浜田があまりにもおかしな風貌だった[注 1]ため距離が縮まることはなかった。

小学校4年頃、友人の伊東・森岡とトリオ「コマ第三支部」を結成。鉄ゴマ・木ゴマ・プラスチックゴマとそれぞれ名乗り、当時から漫才を演じていた[3][4]。その後、伊東と共に漫才やコントをやっていた。初めてコントを披露した際は「びっくりするぐらい滑った」という[5]

中学時代は伊東・浜田と3人で遊ぶことが多かったものの、ある日に伊東と浜田が喧嘩し、終わった後で浜田が歩いてきて「まっつん、もう行こうや」と言われて浜田の方について行った。当時を振り返って松本は「あの時は伊東より浜田を選んだっていうか…(中略)まあ、伊東とね、もしずーっと一緒にいたとして、伊東ともし一緒に吉本入ってたら俺はどうなってたんやろうとか考えてみるとね──その以前に、まず伊東と2人でやってると吉本には入ってなかったと思うんですよね。浜田は行動力ありますよね。(中略)『吉本に入ろうや、行こうや』って、結局僕のケツ叩いてたのはあいつなんですよ。だから伊東とやったら、そうはなってなかったと思うんですよね…」と語っている[6]。後にこの喧嘩の発端は2003年12月27日にて開催された『放送室 高須ちゃん生誕40周年祭り』日本武道館公開録音にて、伊東本人が「浜田が俺の弟をようおちょくって、最初は俺も笑っとったけど段々兄貴としてムカついた」ことが喧嘩に発展したと述懐している。

1982年、浜田とコンビを結成しNSCへ大阪校1期生として入学。在学当時はこれといったコンビ名を定めず活動していたが、1983年にコンビ名を「ダウンタウン」に正式に決定。しばし関西で活動後、1988年に『夢で逢えたら』で東京進出。

1993年から1995年にかけて、『週刊朝日』に自身のエッセイ(「オフオフ・ダウンタウン」)を連載し、『遺書』および『松本』として単行本化された。それぞれ250万部・200万部を売り上げ、1995年の単行本年間売上で1位・2位を独占した(トーハン調べ)[7]

1994年にライブ『寸止め海峡(仮題)』、1995年に『松風'95』を開催。『寸止め海峡(仮題)』は入場料1万円で行われたコントライブで、松本の他に今田耕司東野幸治板尾創路130R)が出演した。『松風'95』は日本武道館にて客に値段を決めてもらう所謂料金後払い制で行われ、提示された写真にコメントしていく「写真で一言」のみのライブだった。

1996年、『一人ごっつ』が放送開始。『新・一人ごっつ』、『松ごっつ』とタイトルを変えながら約2年間放送された。1998年12月に『松本人志24時間大喜利』を放送した。

ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンのごっつええ感じ』では出演の他、番組企画・構成も担当。他には『一人ごっつ』『働くおっさん人形』『モーニングビッグ対談』『人志松本のすべらない話』など多くの番組で「企画」としてクレジットされている。

1998年夏、長らくオールバックだった髪型を坊主頭へ変えた[注 2]。坊主にした理由については「浜田のツッコミによって乱れた髪型をいちいちセットし直すのがサブいから[8]」とのこと。

1998年から1999年にかけて、VHSビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』を発売。2003年にはDVD化された。

2000年に、ドラマ『伝説の教師』に出演。原案は松本が手掛けており、「ドラマには(友情出演以外)出ない」という姿勢を貫いていた松本にとって初めてにして事実上最後の主演ドラマだった[注 3]

2001年10月4日より、高須と共にラジオ番組『放送室』を開始。2009年3月28日を以ての終了まで約7年半に亘り放送された。2007年、企画・脚本・監督・出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し、映画監督としてデビュー。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」へ招待された。これに伴い、2008年の東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞[9]

2001年から『M-1グランプリ』決勝の審査員を務める。その後も2004年・2015年大会以外全ての回に出演し、審査員を務めた回数は最多となっている。

2002年10月、『働くおっさん人形』が放送開始。日曜日の早朝に放送され、終了後も同じ枠の後継番組として『モーニングビッグ対談』が放送された。

2004年から『人志松本のすべらない話(通称:すべらない話)』のホストおよび企画、2009年からは大喜利の祭典『IPPONグランプリ』のチェアマンとして出演。若手の才能発掘・育成にあたる役割も担っている[10]

2008年からダウンタウンとして『キングオブコント』のMCを担当。2015年からはMCは浜田のみが担当し、松本は審査員を務めている。2016年大会からM-1審査員に復帰したため、松本はM-1・キングオブコントの両方で審査員となっている。

2009年3月28日、『放送室』が終了。その理由として自身のプライベートを語る場面を減らしたかったという[11]。『ガキの使いやあらへんで!』でのフリートークも2009年12月6日放送分を最後に一旦終了している[注 4]

2009年4月、『人志松本の○○な話』が放送開始。2010年4月にはゴールデンタイムに移動。松本が単独でゴールデンの冠番組を持つのは初めてだった[12]

2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、股関節の手術を受けるため1-2カ月程度の休養を発表。その後、8月18日収録の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にて復帰。同年10月15日にテレビでは9年ぶりとなるコント番組『松本人志のコントMHK』(NHK総合)が放送、翌10月16日に同局のドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「松本人志スペシャル」が放送された。

2014年12月から白髪を隠すため金髪にしており[13]、髪も伸ばしている。

2016年、Amazon Prime Videoにて『ドキュメンタル』が配信開始。

2019年11月29日放送分より『探偵!ナイトスクープ』の3代目局長へ就任[14]。前任MC(西田敏行)がいた番組のMCを引き継ぐのは初めて[15]

2021年6月12日、コント番組『キングオブコントの会』(TBS)が放送。民放では2001年放送の『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』(フジテレビ)以来、20年ぶりとなる新作コントを披露した[16]。14日、『キングオブコントの会』の世帯視聴率が6.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と報じられたことについて、X(当時Twitter)で「キングオブコントの会は内容的にも視聴率的にも大成功でした。ネットニュースっていつまで“世帯”視聴率を記事にするんやろう? その指標あんま関係ないねんけど」「コア視聴率が良かったんです。コア視聴率はスポンサー的にも局的にも世帯視聴率より今や重要な指標なんです」と言及し、ネットニュースによる世帯視聴率を取り上げた報道について疑問を呈した[17][18][19]

人物

週刊朝日に連載していたエッセイ「オフオフ・ダウンタウン」(『遺書』・『松本』)では尊大かつ傲慢な語り口が特徴で、「ダウンタウンは、ほんとうにすごい2人なのである。とくに松本は今世紀最大の天才で、おそらくこの男を、笑いで抜くコメディアンは出てこないであろう[20]」「センスとオツムがない奴にオレの笑いは理解できない」「バカなやつがどうあがいても、ついてこれる世界ではないのだ[21]」などと自画自賛している。また同連載の中で「大阪の芸人は2回売れないといけない」とも綴っており[22]、これはテレビ業界や芸人の間で広く知られる言葉となった[23]

社会学者瀬沼文彰は、「松本の価値観がお笑いにヒエラルキーを生んだ」として「松本の登場以降、視聴者たちは『何を面白いと感じるか』によって、自らの『笑いのレベル』が高いか低いかを判断する意識を持つようになった」と論じている[24]

「笑いは発想[25]」を持論とし、「ネタなんてウケて当たり前」「即興でアドリブでしゃべってどれだけ笑い取れるかっていうところが、笑いの醍醐味でもあるんじゃないのか」と語っている[26]。そして「笑いと悲しみは紙一重・表裏一体」という考えも抱いている[27]。例として『ごっつええ感じ』のコント「トカゲのおっさん」や、映画『大日本人』は笑いとペーソスを両立させた作品となっている。面白いやつの条件として「ネクラ・貧乏・女好き」を挙げている。ネクラについて「面白い奴というのは自分ひとりの世界を持っており、実はネクラな奴が多い。(中略)面白い奴というのはどこか冷めている奴なのだ」、「貧乏」は松本自身が貧乏な家庭で育ったため、おもちゃを買ってもらった記憶がないことを挙げつつ「遊び道具のない子供は、自分でそれを作ろうとする。結局、想像力が豊かになり、頭を使って遊ぼうとする」、「女好き」については「女好きの奴は口がうまく、しゃべりが達者。女を落とすためにかなりのユーモアとサギ的な要素が必要になってくる」とそれぞれ述べている[28]

番組でのボケやコメントに定評があり、藤井健太郎は「他の芸人さんが2、3回発言してオンエアに使える面白い発言が1個だとすると、その間に松本さんは10回発言していて、10個全部が使える発言」とコメントの打率・手数を高く評価している[29]

尊敬する芸人として島田紳助を度々挙げており、「紳助さんがいなかったら僕はきっとこの世界に入っていなかった」として、漫才ブームの時の紳助・竜介に感銘を受けたと語っている[30]

『人志松本の○○な話』のコーナー「好きなものの話」の中で黒田官兵衛メトロン星人ピクミンを好きなものとして語った[31]

落語を好み、「(落語は)子供の時から聞いてる」と語っている[32]。『ダウンタウンなう』にて「枝雀さんか志の輔さんだけは毎晩必ず(聴く)。今日は枝雀さんか志の輔さんかどっちにしよかな、という気分でどっちかにしてる。とにかく1回聞かないと落ち着かない」と語り[33]、『ワイドナショー』で桂歌丸の訃報を扱った際も、「いつも寝る前に落語を聞いて寝るのが日課。枝雀さんだったり、志の輔さんだったり。この日は歌丸さんの落語を聞いて寝ました。非常にきれいな丁寧な落語をされますよね」と語った[34]

お題に対しての答えをフリップに書く「フリップ大喜利」や「写真で一言」を普及させた第一人者とされている。松本以前の古典大喜利はあいうえお作文なぞかけが主流であった。「フリップ大喜利」の発端は1993年に放送開始した『ダウンタウン汁』のコーナー「お笑い頭脳バトル」である。フリップで回答するため、絵を描いてその説明によって笑わせる場合もある。2009年に芸人がフリップ大喜利で競う『IPPONグランプリ』を放送開始、前述のように松本は同番組でチェアマンを務めている。「写真で一言」は1996年から放送開始された『一人ごっつ』が原点とされている。松本は団体芸の『笑点』に対し「発想力のスポーツ」としての新たな大喜利スタイルを開拓し[35]、大喜利の競技化が進んだとされる。

数々の言い回しを世に広めた人物であり、よく使われる「サムい」や「スベる」などはダウンタウンによってポピュラーな言葉となったとされる。

かつては「この禁煙ブームはなんとか阻止しなければならない。ヘビースモーカーのオレにとって、タバコを吸えないのは、百害あって一利なしなのだ」と綴るほどの愛煙家だったが[36]、世間の嫌煙禁煙の煽りを受けて2004年4月頃[37]からタバコをきっぱり辞め、禁煙に成功している。

趣味はテレビゲームで、筋トレを始めたのも『バイオハザードシリーズ』の登場人物がムキムキだったのを見て「信じてもらえないかもしれないですけど、『バイオハザード』とかやってた時に、登場人物とかムキムキじゃないですか。あれに僕はいやになってきたんです。こんなガリガリの華奢な俺がね、米兵みたいなやつに助けてもらっているというかね。(プレーヤーとして)憑依してやってる場合やないなと思って。で、俺は本当、筋トレしようと思って。これマジなの」と述べている[38]

交友関係

同年代で仲の良い芸人は内村光良ウッチャンナンチャン)、ヒロミなど。プライベートで食事や旅行に行くエピソードで名の挙がる芸人は今田耕司、板尾創路(130R)、木村祐一東野幸治三又又三月亭方正千原ジュニア千原兄弟)、宮川大輔星田英利アキ水玉れっぷう隊)、陣内智則有田哲平くりぃむしちゅー)、後藤輝基フットボールアワー)、河本準一次長課長)など。芸人以外で交友があるのは中居正広古舘伊知郎甲本ヒロト辰吉丈一郎インタビューマン山下おにぎりなど。

評価

高須光聖は、藤井健太郎との対談で「松本人志とテレビをやり始めた時に0→1のものがどんどん出てくるから俺の中ではものすごい新鮮で、それをテレビで試せるっていうのがあるから『観た事ないなー、即やろう!』って事がずっと出来た。テレビの0→1をものすごく発明した芸人」と語っている[39]

藤井健太郎は「結局、あの人(松本)が新しいルールを作って革命を起こして全部変えてしまった。そのルールの上で今はみんなが戦っていて。あの人のルールでみんなが戦っているから、ルールを知っている状態でスタートしてるから成長が早い。今、芸人さん達ってみんな面白いですけど、ある意味では、あの人が作ったルールの中での『面白い』でもあるから」と語っている[39]

ライターのラリー遠田は「お笑いの世界に『動きの笑い』と『言葉の笑い』の2つがあるとすれば、松本は間違いなく言葉の笑いのスペシャリストである。松本の登場によって『言葉の笑い』こそが高度な笑いであると考えられるようになり、お笑い界全体のレベルが上がった」と評している[40]

家族

3人兄弟の末っ子。祖父(松本昇次郎)(1896年 - 1971年6月8日 74歳没)は著書にも頻繁に名が出てくる。家族構成は父(松本譲一)(1933年[41] - 2014年8月18日 81歳没)、母(松本秋子)(1933年[41] - 三重県津市出身)、兄(松本隆博)、姉(奈緒美)。『ワイドナショー』2014年8月31日放送にて、8月18日に実父が逝去したことを明らかにした[42]。番組では家族の話をすることが多く、特に実母とはテレビで共演の機会も多い。2009年に伊原凛と結婚[43]、娘がいる[44]

出演

ダウンタウンとしての出演番組・作品はダウンタウンの出演項目を参照。

テレビ

現在のレギュラー番組
スペシャル番組
過去のレギュラー番組
過去のスペシャル番組

ドラマ

ラジオ

インターネット配信

CM

演じた俳優

受賞・ノミネート歴

芸能

映画

年度 映画賞/映画祭 作品 部門 結果
2007年 カンヌ国際映画祭 大日本人 カメラ・ドール ノミネート

作品

アニメ

ビデオ

  • ダウンタウン松本人志の流 頭頭(とうず)(1993年7月9日)※オリジナルビデオ作品。松本が企画・構成・主演を担当
  • 寸止め海峡(仮題)(1995年1月20日)※同名の松本人志1万円ライブを収録したビデオ。客の反応が一番良かった『写真で一言』のコーナーは、「入場料を払って観た客だけの特典」として意図的にカットされている[注 8]
  • 松本人志のひとりごっつ 其ノ一〜其ノ九(1997年)
  • HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.りんご「約束」(1998年)
  • HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.バナナ「親切」(1998年)
  • HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol.ぶどう「安心」(1999年)
  • わらいのじかん(2000年)
  • わらいのじかん2(2000年)

ショート・ムービー

  • サスケ(2001年)※日本テレビ系のバラエティ番組『進ぬ!電波少年』の企画で制作された。未商品化。

DVD

  • 松本人志自選集「スーパー一人ごっつ」Vol.1〜5(2002年 - 2003年)
  • HITOSI MATUMOTO VISUALBUM 「完成」(2003年)
  • 働くおっさん人形(2003年)
  • 人志松本のすべらない話(2006年6月28日)
  • HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル シーズン1 (2018年1月31日)

音楽

食玩

  • 松本人志 世界の珍獣(2003年)

スマートフォンアプリ

  • 松本人志の眠くなるアプリ(2014年)
  • 松本人志の俺の覚えたい外国語100〜英語編〜(2015年)[66]
  • 松本人志が教える大胸筋上部の鍛え方

映画

  • サスケ(2001年) – 主演・佐助 役
  • 明日があるさ THE MOVIE(2002年) – 耳鼻科の先生 役
  • 大日本人(2007年) – 主演・大佐藤大 / 6代目大日本人 役 ※監督、脚本兼任
  • しんぼる(2009年) – 主演・男 役 ※監督、脚本兼任
  • さや侍(2011年) – 監督、脚本兼任
  • R100(2013年) – 総務課の警察官 役 ※監督、脚本兼任

舞台

  • 寸止め海峡(仮題)(1994年) - 入場料1万円の「演者が客を選ぶ」ライブ。
  • 松風'95 (1995年) - スライド写真にコメントを付ける形式の単独ライブ。入場料は観客の評価に委ね、公演終了後に出口で払ってもらう「料金後払い制」を採用した。

劇場アニメ

  • バイオレンス・ボイジャー(2019年) - ナレーション[67]

イラスト

書籍

著書

単著

共著

  • 松本人志、島田紳助松本紳助』ワニブックス、2002年1月。ISBN 9784847014154 
    • 松本人志、島田紳助『松本紳助』幻冬舎〈幻冬舎よしもと文庫〉、2009年3月。ISBN 9784344412743 
  • 島田紳助、松本人志『哲学』幻冬舎、2002年3月。ISBN 9784344001664 
  • 松本人志、島田紳助『裏松本紳助』ワニブックス、2002年11月。ISBN 9784847014734 
    • 松本人志、島田紳助『裏松本紳助』幻冬舎〈幻冬舎よしもと文庫〉、2011年3月。ISBN 9784344416406 
  • 松本人志、高須光聖『放送室』Tokyo FM出版、2003年7月。ISBN 9784887450837 
    • 松本人志、高須光聖『放送室』幻冬舎〈幻冬舎よしもと文庫〉、2009年11月。ISBN 9784344413931 
  • 松本人志、島田紳助『松紳』ワニブックス、2004年7月。ISBN 9784847015595 
  • 松本人志、高須光聖『放送室』 その2、Tokyo FM出版、2005年3月。ISBN 9784887451193 
    • 松本人志、高須光聖『放送室』 その2、幻冬舎〈幻冬舎よしもと文庫〉、2012年1月。ISBN 9784344417984 
  • 松本人志、高須光聖『放送室』 その3、Tokyo FM出版、2006年4月。ISBN 9784887451582 

監修

関連書籍

連載

  • オフオフ・ダウンタウン(週刊朝日、朝日新聞社)1993年7月16日号 - 1995年7月14日号
    • のちに『遺書』・『松本』とタイトルをつけて単行本化。
  • 松本人志のシネマ坊主日経エンタテインメント!、日経BP)1999年6月号 - 2008年6月号
    • 『シネマ坊主』として3冊の単行本が出版されている。
  • 松本人志のプレイ坊主(週刊プレイボーイ、集英社)2000年7月18日号 -
    • 『プレイ坊主』・『松本人志の怒り』はこの連載からの単行本。

特集・対談など

脚注

注釈

  1. ^ 松本曰く「パーマ、パンタロン、サンドバッグみたいなカバン。モンゴルからの留学生かと思った」
  2. ^ テレビでの初出は1998年7月26日放送の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』。前週の同番組にて髪型を変えることを示唆していた。
  3. ^ 中居正広とのダブル主演。
  4. ^ フリートーク自体は月亭方正ココリコとの着ぐるみトークとして、不定期に行われている。後に2017年4月2日放送分で8年ぶりにコンビでのトークが復活し、以降は2ショットトークも不定期に行われるようになった。
  5. ^ 設楽統小池栄子と共同で担当
  6. ^ 中居正広と共同で担当。
  7. ^ 2022年3月27日までは毎週出演
  8. ^ 寸止め海峡(課題)のビデオジャケット裏面の記載より

出典

  1. ^ a b 松本人志 プロフィール”. 吉本興業. 2018年11月12日閲覧。
  2. ^ 松本 1999, pp. 25–26
  3. ^ 松本 1999, pp. 32–33
  4. ^ 松本人志 35年ぶり元相方との再会に感極まる”. 日刊スポーツ (2018年2月3日). 2021年7月26日閲覧。
  5. ^ 松本 1999, pp. 34–36
  6. ^ 松本 1999, pp. 73–75
  7. ^ トーハン調べ 1995年 年間ベストセラー” (PDF). トーハン. 2021年7月26日閲覧。
  8. ^ 松本人志、1998年急に坊主になったのは「浜田のせい」”. 2023年9月7日閲覧。
  9. ^ ついに夢の2ショット実現 たけし、松ちゃんに「映画作りを続けて」”. ORICON NEWS (2008年3月3日). 2017年9月26日閲覧。
  10. ^ お笑い不況下の「IPPON」の役割「若手発掘」「日本を元気に」”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2015年5月23日). 2015年9月17日閲覧。
  11. ^ 『放送室』第388回、2009年3月7日放送分
  12. ^ 『○○な話』で松本人志、初の単独ゴールデン「手応えまぁまぁある」”. ORICON NEWS (2023年8月23日). 2023年12月1日閲覧。
  13. ^ 松ちゃん、銀髪から金髪にした理由は「グレーすぐ落ちる」”. オリコンニュース (2014年12月7日). 2019年4月18日閲覧。
  14. ^ a b 『ナイトスクープ』新局長は松本人志 西田敏行からバトン託される”. ORICON NEWS (2019年10月25日). 2019年10月25日閲覧。
  15. ^ ナイトスクープ松本人志局長就任で視聴率20%超えへ?/芸能ショナイ業務話 サンスポ 2019年11月11日、2020年1月15日閲覧
  16. ^ 松本人志、民放20年ぶり新作コント 6.12『キングオブコントの会』歴代王者も集結”. クランクイン! (2021年6月11日). 2021年7月4日閲覧。
  17. ^ 松本人志が「キングオブコントの会」視聴率に言及「いつまで“世帯”視聴率を記事にするんやろう?」”. 東スポWeb (2021年6月14日). 2021年7月4日閲覧。
  18. ^ 松本人志が「低視聴率報道」に怒り表明でマスコミは戦々恐々”. FRIDAYデジタル (2021年6月17日). 2021年7月4日閲覧。
  19. ^ 世帯視聴率の記事がなくならない責任の一端はヤフトピにある(境治)”. Yahoo!ニュース (2021年6月22日). 2021年7月4日閲覧。
  20. ^ 松本 1994, p. 10
  21. ^ 松本 1994, pp. 90–91
  22. ^ 松本 1994, pp. 15–16
  23. ^ 「芸人は2度売れないといけない」説 有吉、アンガ田中の例も”. NEWSポストセブン (2015年1月18日). 2021年7月25日閲覧。
  24. ^ 天才・松本人志の「限界と今後」日本人の笑いにもたらした功罪(瀬沼 文彰)”. 現代ビジネス (2019年12月31日). 2021年7月23日閲覧。
  25. ^ 松本 1995, p. 23
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  27. ^ 『松本人志 仕事の流儀』ISBN 9784781680002
  28. ^ 松本 1994, pp. 54–56
  29. ^ 松本人志の圧倒的な打率と類い稀な構成力|悪意とこだわりの演出術|藤井健太郎”. cakes(ケイクス) (2016年8月17日). 2021年8月8日閲覧。
  30. ^ 『哲学』 p,14 - 18
  31. ^ 『人志松本の○○な話』2009年5月12日、5月19日、5月26日放送分。「人志松本の○○な話 誕生編~前期~」収録。
  32. ^ 『放送室』第385回、2009年2月14日放送分
  33. ^ 松本人志 桂枝雀さんか立川志の輔の落語を毎晩必ず拝聴「聞かないと落ち着かない」”. デイリースポーツ online (2017年6月30日). 2021年7月25日閲覧。
  34. ^ 松本人志、桂歌丸さんを追悼「非常にきれいな丁寧な落語を…」”. ORICON NEWS (2018年7月8日). 2021年7月25日閲覧。
  35. ^ 大喜利とバラエティー番組の50年(2)『一人ごっつ』とM-1ブーム ORICON NEWS 2016年6月9日
  36. ^ 松本 1995, pp. 24–26
  37. ^ 『放送室』第135回、2004年4月29日放送分
  38. ^ 松本人志、筋トレのキッカケは「バイオハザード」プレーして「情けなくなってきて」”. デイリースポーツonline (2018年2月18日). 2022年4月22日閲覧。
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参考文献

  • 松本人志『遺書』朝日新聞社、1994年10月5日。 
  • 松本人志『松本』朝日新聞社、1995年10月5日。 
  • 松本人志『松本坊主』ロッキング・オン、1999年1月30日。 

外部リンク

先代
西田敏行
探偵!ナイトスクープ
3代目探偵局長
松本人志
2019年11月 -
次代
-